本パートは、前田氏が「なぜわざわざ質問の話をするのか」という問いから始めた講義である。前田氏によれば、組織の知識創造を説明するSECIモデルは会話とコミュニケーションを土台にしており、質問ができなければそもそもモデルが回らない。質問の技術は、SECIモデルを理解・実践するための前提条件として位置づけられている。
講義の骨格は二つの区別にある。一つは「会話」と「壁打ち」の区別である。相手の言葉を受けて球質やコースを変えて返すのが会話であり、相手の言葉を無視して自分の言いたいことだけを打ち込むのは壁打ちにすぎない。もう一つは「問題」と「問い」の区別である。「これで合っていますか」のように想定された正解を確認するのが問題であり、想定される正解がないまま相手から知識を引き出すのが問いである。
問いを成立させるには、前提の共有、対象の明確化、答えてほしい形式の明確化という三条件が要る。そして良い問いの必須条件は「会話が継続できること」である。情報に自分の感想を足しただけの発言は、相手に「そうですね」と返されて終わる。相手の見解や経験を引き出し、自分の知見と交換し、新しい疑問を生む問いだけが会話を前に進める。
後半の質疑では、「どう思いますか」に答えない相手への対処、相手の力量の測り方、聞く側の姿勢といった実務的な論点に話が広がった。マイキー氏は、質問の場面では聞く側にも責任があり、表情やリアクションまで含めて「情報を引き出す行為」だと強調した。
質問とは「正解を確かめる作業」ではなく「相手の知識を引き出して交換する作業」である。相手を見て、相手の言葉を受けて問いを組み立てられない限り、会話は独り言の往復にとどまり、知識は知恵に進まない。
前田氏は冒頭、今回の内容は「一つの見方をした場合の見解」として聞いてほしいと前置きしたうえで、質問を取り上げる理由を説明した。前回まで扱ってきたSECIモデルは、個人の暗黙知と組織の形式知を往復させて知識を生み出す枠組みだが、その往復を駆動しているのは会話である。会話は質問によって生まれるので、質問ができない組織ではSECIモデルが成り立たない、というのが出発点である。
講義の終盤でも前田氏は同じ点に戻り、「今回わざわざ質問を取り上げたのは、普段から意識して質問していますか、というのが皆さんへの問いでもある」と述べている。つまり本パートの内容そのものが、参加者に向けた一つの問いとして設計されている。
前田氏は、質問で意識すべきこととして「言葉をやり取りする」というイメージを挙げた。テニスのように、相手から来るボールの質やコースによって、返すボールの質やコースも変わる。相手の言葉を受けて返すことが会話の基本である。
これに対し、「私がこれを聞くのだから何が悪いのか」という姿勢の人がいる。前田氏には、これはそもそも会話をするつもりがないように聞こえるという。こうした人は、ネットの代わりに真ん中に壁を立て、壁に向かってボールを打ち続けている。本人は会話をしていると思い込んでいるが、相手の言葉をほぼ意識していない。前田氏によれば、この「壁打ち」をしている人のほうが圧倒的に多い。
前田氏は質問を二つのパターンに分けた。一つは「問題」で、あらかじめ想定される正解があり、それを確認する行為である。典型は「これで合っていますか」「これでいいですか」である。もう一つは「問い」で、想定される正解はなく、話している相手から知識を引き出す作業である。
問いの例として前田氏が挙げたのは鉛筆である。鉛筆について知ろうとするとき、歴史を調べる、材質を調べる、材質の性質から別の使い道を考える、というように一つの対象からいくつもの方向に話を展開できる。問いとは、一つのことをより深く知ろうとする行為だと位置づけられている。
| 区分 | 問題 | 問い |
|---|---|---|
| 目的 | 正解の確認 | 相手から知識を引き出す |
| 正解 | あらかじめ想定されている | 想定されていない |
| 典型フレーズ | 「これで合っていますか」 | 「あなたはどう考えていますか」 |
| 会話のその後 | 「はい/いいえ」で終わる | 展開が生まれ、会話が続く |
講義では鉛筆の材質の話から「鉛筆をうまく使えば絶縁機能が使える」という趣旨の発言があった(音声認識の揺れを含む)。鉛筆の芯の主成分である黒鉛(グラファイト)は電気を通す導電体であり、絶縁体ではない。芯で紙に線を引くと簡易的な導線や抵抗になることは、理科の実験としてよく知られている。発言の趣旨は「材質を知ると別の用途に展開できる」という点にあり、例としての方向性は変わらないが、「絶縁」ではなく「導電」と読み替えるのが正確である。
前田氏は、問いを立てるには次の三点が必要だと述べた。第一に前提の共有、第二にトピックの中心となる対象の明確化、第三に答えてほしい形式の明確化である。よくある失敗は「これ、どうですか」という聞き方で、「これ」が何を指すのかも、何を聞きたいのかも相手には分からない。答える側からすればケース1、2、3が考えられるが、どれを聞かれているのか判断できない。
内容の確認や共有が目的であれば、「まず自分はこういう認識で考えているが、どうお考えですか」と自分の前提を示してから尋ねる形になる。前田氏はこれを料理の注文に例えた。何でもいいから作ってくださいではなく、中華が食べたい(ジャンル)、素材は肉で(対象)、料理は酢豚で(形式)と指定すれば、作る側は迷わない。
前田氏は問いで最も重要なことを「知識を引き出すこと」とした。前回の講義で扱ったとおり、知識とは情報に見解や経験が加わったものであり、人によって中身が異なる。だから問いは、その人にしかない知識を取り出す行為になる。
そのうえで、便宜上「良い質問」を定義するなら必須条件は一つで、会話が継続できることだという。ほとんどの人は「これでいいですか」「これですよね」と聞くが、その時点で会話は終わる。話は膨らまず、新しい発見もない。会話が継続するとは、相手の持つ知識と自分の知識がつながっていくことであり、そう意識して会話しているかが問われている。
改善の方向として前田氏が示したのは、感想で終わらせず相手の意図を尋ねる形である。たとえば作品を見て「このシーンで私はこう感じたが、あなたは何を表現したかったのか」と聞けば、相手の知識を引き出せる。「あなたがどう考えているかを知りたい」という聞き方と、「いつ起きた事件の何が問題ですか」という聞き方とでは、その人から得られる情報がまったく変わる。
| 機能 | 内容 | 講義での例 |
|---|---|---|
| 知識の引き出し | 相手の見解・経験を取り出す | 「あなたは何を表現したかったのか」 |
| 知識の交換 | 自分の経験を先に開示し、相手の知見と交換する | 「自分はこうやってきた。あなたはどうしているか」。同業同士ではよくやるが、異業種とやると幅がさらに広がる |
| 疑問の創出 | 相手が気づいていない点や別の知見を示し、次の疑問を生む | 「その視点はなかった」という反応から新しい問いが生まれる |
前田氏は、コミュニケーションの語源に立ち返った。コミュニケーションは「共有する」という意味の言葉に由来し、一方的に喋ることではない。会話がうまいと言われる人でも、一人でずっと喋っているなら、それは独り言が上手な人にすぎない。自分語りを続ける人、命令をする人はすべて一方的であり、コミュニケーションは成り立たない。逆に言えば、聞き上手のコミュニケーションもありうる。
英語のcommunicationは、ラテン語のcommunicare(共有する、分かち合う)に由来し、さらにcommunis(共通の)にさかのぼるとするのが一般的な説明である。前田氏の「共有するという意味」という説明はこの語源と整合する。
前田氏はここで誤解を防ぐため二点を付け加えた。第一に、共有は必ずしも同意を得ることではない。違う意見でもよい。第二に、共有は共感でもない。同じものを見て楽しいと感じる人と悲しいと感じる人がいてよく、見解が違っていてよい。大事なのは、互いにどういうものを見ているか、どの状況で見ているかを共有していることである。
前田氏は、適切なコミュニケーションとは「その場にいる人たちの知識を共有すること」だとまとめた。ほとんどの会話は壁打ちで独り言になっているが、ラリーをしなければ会話にならない。壁打ちには知識の交換がなく、ラリーには知識の交換が生まれる。
講義の終わりに、前田氏とマイキー氏は聞く側の姿勢について補足した。前田氏は、参加者の多くが画面上で固まっていることに触れ、あえてオーバーリアクションをするだけでも場の空気が変わるのに、なぜそれを思いつかないのか、そこで思考が止まっているのではないかと問題提起した。マイキー氏は、自身が登壇したJ.エイブラムス氏の講演会でも同氏が「スマイル」を繰り返していたことに触れ、喋る側にも気を使ってほしいと述べた。聞く姿勢の作り方は、今後のプレゼン合宿で扱う予定とされた。
要確認文字起こしでは「Jエイブラムス」「Jウブラムス」と表記揺れがあり、どの人物・どのイベントを指すかは公開情報で特定できなかった。本レポートでは発言どおり「J.エイブラムス氏」と表記している。