STUDY REPORT / 2026年5月度 勉強会
展示会での登壇を終えた直後の反省会で、講師が最も時間を割いたのがプレゼンテーションの技術論だった。ここで提示された課題は、話し方の巧拙ではない。スライドという道具を取り上げられたとき、何を代わりに使うのか、という問題である。
出発点は、登壇者たちが「つなぎ役」として振る舞っていたことへの指摘だった。講師の主張は、自分が主役になる必要はなく、登壇した人が主役になっていい、というものである。根拠として挙げられたのは過去二回の大規模イベントで、いずれも知名度でも専門分野でも自分がアウェイ側だったにもかかわらず、全登壇者を上回る面談数を獲得したという自己申告だった。誰が主催で誰が看板かに関係なく、その場で最も主役になった者が結果を持ち帰る、という整理である。
そのうえで、資料の有無という差が持ち込まれる。スライドは紙芝居であり、場面が切り替わるから聴き手は留まる。話の面白さと関係なく人をつなぎ止める装置である。今回の登壇者たちはその装置なしで、一枚の画用紙だけで入口から出口までを構成しなければならなかった。だから難度が高かったし、多くが結果としてテンプレートに勝てなかった。ここで講師が「今まで教えていなかった」と言って持ち出したのが、言葉のなかにグラデーションを作る、という考え方である。
後半、話題は展示会の期間中に行われた米中首脳会談へ移る。講師はこれを交渉術の教材として扱い、冒頭の挨拶のわずか十数分で勝負が決まっていたと評価した。看板と影響力を持つ側が相手を尊重する言葉しか出せず、後発側が最重要の論点を先に置いた。資料なしの場で言葉だけがものを言う、という前半の議論とそのままつながる形で、この日の会は閉じられている。
講師がまず正したのは、登壇者たちの役割認識だった。会場では多くの人が「自分は場をつなぐ役だ」という意識で前に立っていた。講師はこれを助かると評価しつつ、その意識自体が声のテンションを抑え、内容以前に聴き手をこちらへ向かせられない原因になっていると指摘している。
ここで持ち出されたのが、過去二回の大規模イベントの経験である。一度目は五百名規模の着席があったイベントで、登壇者には知名度の高いマーケターや専門家が並び、講師自身は知名度の点で最も下だった。しかも聴衆はマーケティングを背景に持つ人が多く、投資を語る自分は完全にアウェイだった。それでも、全登壇者のなかで最も多くの面談を獲得したという。二度目は海外の著名マーケターや大手ブランドの経営者が主役だったイベントで、やはり登壇者全員の面談数を上回った。
この経験から導かれたのが、「自分を主役にさせなくていい」という考え方である。壇上に立つのが二十歳の若手であってもよく、その人が自分の悪口だけ言って降りても構わない。理由は二つ挙げられた。面白いこと、そして聴衆が笑っていたことである。表現方法は何でもよく、「この人の話が面白かったからマイキーは要らない」と言われても、そういう人が周囲にいること自体がブランドになる。
実際、その二十歳の登壇者は自ら「Tアップ役をやらせてほしい」と申し出ていた。講師はこれを高く評価し、「今度やるときは自分が主役でいい、声を潰してもいい、次の人がやるから、というバトンタッチくらいの感覚でいい」と参加者に向けて言い直している。
この回で最も具体的な技術論が展開されたのが、資料の有無をめぐる部分である。
登壇者たちは事前に資料を用意し、それに沿って話していた。講師は現場でそれを何度も批判し、自分は資料を使わずその場に応じて話すと宣言していた。ところが結論として、ほとんどの登壇者はテンプレートに勝てなかった。負けた理由を、講師はテンプレートの正体から説明している。
つまり今回の登壇者たちは、他の出展者より高いハードルの上に立っていた。資料がないということは、場面転換の装置を持たないまま人を足止めしなければならないということである。難しくて当然であり、そこで苦戦したこと自体は能力の問題ではない。
では資料なしで何をするのか。講師が使った表現が「グラデーション」である。一枚の画用紙しかない状態で、入口から出口までのストーリー構成を言葉だけで作る。聴き手の中に、プロローグからエピローグまでを想像させる。
これを講師は落語に喩えている。パワーワード、感情の乗せ方、動きの量──それらで場面を作り、あるいは埋め込んでいく。演技である、という言い方もされた。従来教えてきたのは「資料を作り、グラデーションを変え、ストーリー構成を作る」という手順だったが、それを言葉の中だけでどう作るかは、本人の言葉を借りれば「超高等テクニックでふつうできない」領域であり、これまで扱ってこなかったという。
講師自身がこれを使っている例として挙げられたのが、海外での商談だった。台湾で複数の企業が食いついてきたのは、英語で全部グラデーションを作っていたからだという。ただ面白い話をするのではなく、相手に想像させ、場面が次々に切り替わる状態を言葉だけで作る。これができると、資料のない突発的な打ち合わせでも有効に働く。
講師はこの二つを区別している。二日目の最終回は「一発決めよう」として作った、記憶に残る型のプレゼンテーションだった。一方、三日目の最終回は別の狙いで組まれていた。そこで「サインしていいですよ」と言った瞬間、並びきらないほどの列ができた。通常の三倍程度だったという。
この違いを講師は「心に残るプレゼンテーションも重要だが、相手を動かすプレゼンテーションを最後にやった」と説明している。グラデーションをやや強めに作った結果だという。印象の強度と行動の誘発は別の設計目標であり、狙って使い分けるものだ、という整理になる。
次の課題として挙げられたのが尺である。これまで扱ってきたのは十分から十五分程度の短いプレゼンテーションであり、講師はこれを「短編集」と呼んだ。それに対し、九十分を一本の構成として、しかも時間を一分もずらさずに終わらせるのは別の技術であり、これは経験値がものを言うので場数を踏むしかない、という整理だった。
| 段階 | 扱う単位 | 必要になるもの |
|---|---|---|
| これまで | 10〜15分の短編、資料あり | 動作・ストーリーテリングの基礎技術 |
| 今回見えた課題 | 資料なしの短編 | 言葉によるグラデーション、場面の想像させ方 |
| 次の段階 | 90分一本、資料の有無を問わず | 時間感覚。場数による蓄積が必要とされた |
もう一つ、技術とは別の層として指摘されたのが「場の作り方」である。最終日、直前に到着した外部の登壇者が壇上に上がった。「五分前に来たばかりで何もわかっていない」と言いながら話し始めたところ、全員がその人に注目し、場の集中度が一段上がった、と複数の参加者が証言している。
講師はこれを、腕の動作やストーリーテリングといったスキルとは別のものだと明確に分けた。スキルは同じレベルまで到達できるかもしれないが、最初の場の作り方は圧倒的にレベルが違う、という評価である。今後のプレゼンテーション合宿ではそこにフォーカスしてもよいのではないか、とまで述べている。
参加者からの指摘で、この回で最も示唆的だったやりとりがある。初参加の参加者が、会場の雰囲気について率直な感想を述べた。日本人は自己主張が弱く、周囲のリアクションも鈍い。加えて、登壇者が皆とても勉強熱心で早口で、プロフェッショナルな印象が強いため、かえって声をかけるハードルが高くなる。もう少しゆっくりしたペースで話す人がいると、慣れていない人も安心して参加できるのではないか、という趣旨だった。
この参加者は、同行者から「熱量が宗教団体のようだ」と言われて引かれた場面があったことも率直に共有している。自分はその熱量が好きだが、慣れていない人が入りやすい演出があってもよいのではないか、という提案だった。
講師の返しは、まず質問の形を取った。話している最中に何度かスピードを変えていたことに気づいたか、そして速いときと遅いときのどちらが反応がよかったと思うか。参加者の答えは「速いほうが伝わるからよいと思う」だった。
ここで重要なのは、速いかゆっくりかという結論よりも、自分の感覚を信じるのではなく相手を観察して考えろ、という方法論のほうである。疑問があるなら相手を見る。本当にそうなっているかを確認する。前レポートで扱った「入口・内容・出口を一つずつ変えて検証する」という話と同じ姿勢がここでも出ている。
講師はまた、全員に刺さるプレゼンテーションは存在しないとも述べている。世界一のプレゼンターでも無理である。むしろ聴衆の感想として多かったのは「なんだかわからないけれど登録してしまっていた」「気づかないうちに自分が入り込んでいた」というものであり、こちらのほうがインパクトとしては強い、という評価だった。ゆっくり話してインパクトを与える型は、それを成立させている実例はあるが、ハードルは高い、という但し書きも付けられている。
「結局、営業なんですよ」という結論に続けて、講師は展示会の期間中に行われた米中首脳会談を教材として持ち出した。ここからは相場や政治の話ではなく、資料のない場での言葉の使い方という、この回の一貫したテーマの延長として語られている。
講師の見立てはこうである。冒頭の挨拶の段階で勝負は決まっていた。米国側は母体と影響力を持ち、これまでのアメリカという看板を背負っている。その立場から出てくるのは、いつもどおり相手をリスペクトする言葉だけだった。一方、後発の側は、台湾問題に触れるなら大きな問題になる、という最重要の論点を最初に置いた。交渉としては後者のほうが一枚上手だった、というのが講師の評価である。
講師の議論で興味深いのは、母体と看板を持っていることを有利ではなく制約として捉えている点である。抱えているものが多いほど、最初に出せる言葉が儀礼的なものに限定される。逆に成り上がりの側は、失うものが少ない分、最初の一手に最重要の論点を置ける。これは前半で扱った「知名度で劣る側がアウェイの場で主役を取る」という構図と同じ形をしている。
講師はここから、中国経済に対する評価に踏み込んでいる。名目上は共産党であり社会主義を掲げているが、実質的には最強の資本主義を作ってしまった。逆に日本は資本主義・民主主義を標榜しながら最強の社会主義を作ってしまった──というのが講師の対比である。そのうえで、日本も一点集中で格差が生まれるような評価制度で戦わないと厳しい、と述べた。これは明確に価値判断を含む主張であり、分配や社会的安定性を重視する立場からは正反対の評価もあり得る点は併記しておきたい。
さらに、悪口を言っても嫉妬にしかならない、中国に対してどうかではなく中国から何がパクれるかを考えることが大事だ、というのがこの日のメッセージだと本人が総括している。かつて中国の経営者が日本の経営者から学んで強くなったのと同じ構図を、今度は逆向きにやれ、という主張である。
同じ日の別件として、台湾政府が推すスタートアップ数社との打ち合わせに参加した話も共有された。技術的に見るべきものを作っている会社が複数あり、なかにはDARPA(米国防高等研究計画局)や海軍のシステムに関わっていた人物が集まって立ち上げた企業もあったという。講師はこれを「日本のスタートアップは話にならないくらい」と評した。
もう一点、講師が面白いと述べたのが居住地である。台湾に会社があり台湾のスタートアップとして登録されていても、メンバーの多くは米国やシンガポールに住んでいる。法人の所在地と人的資本の所在地が一致しない形態が普通になっている、という観察だった。なお、これらの企業については講師自身が「リサーチが足りない」と繰り返し指摘したとも述べており、評価は確定的なものではない。
直前に到着した登壇者が場の空気を変えた件について、外から見てどう見えたか。
「五分前に来たばかりで何もわからない」と言いながら入ったにもかかわらず、話し始めた瞬間に全員が注目し、集中度が上がった。外から見て圧倒的だった、という証言が複数あった。
初めて聴いたが、あの場の作り方と巻き込み力はどこから来るのか。
著者でもなく内容も事前に決めていない状態で、あれだけ話を組み立てられるのは経験値によるものだ、というのが講師の評価。スキル(動作・ストーリーテリング)は同レベルまで到達できても、最初の場の作り方は別の層にある。
日本人は自己主張が弱く、登壇者も早口で専門的すぎて声をかけにくいのではないか。もう少しゆっくり話す人がいると参加しやすいのでは。
講師の回答は、話している最中に何度かスピードを変えていたと明かしたうえで、集客を目的とする限り答えは逆になる、というもの。最初に緩めてから加速していったときのほうが場は盛り上がっていた。聴衆は言葉より音とリズムで受け取っているため、加速のほうが気持ちが乗る。思っていることと観察していることは違うので、観察して考えるべきだと結ばれた。
複数の登壇者がいた過去のイベントで、誰が最も面談を取り、誰のプレゼンが最も盛り上がったか。
参加者の答えは外部の著名登壇者だった。理由として、スライドと話すペースの切り返しの巧みさが挙げられた。講師はこれに対し、ゆっくり話してインパクトを与える型を成立させている実例はあるが、自分にはできないし、そちらのほうがハードルは高いと述べている。
グラデーションの話は理解できたが、これまで意識できていなかった。
「これから作ればいい」というのが講師の返答。従来は資料を作ってグラデーションを変える手順を教えてきたが、言葉の中でどう作るかは今回初めて明示した論点である。
合宿での練習は実際に効果があったのか。
ランキング上位はほとんどがプレゼンテーション合宿の参加者だった、というのが講師の回答。合宿がインプット中心であるのに対し、展示会は本番のアウトプットを連続でできる場であり、経験値として高まる、という整理がなされた。
今回の交渉術の教材として、どこを見ればよいか。
首脳会談の演説の入口、二人が挨拶を交わす場面。そこでの会話を聴けば、一発目で勝負が決まっていたことがわかる、というのが講師の指示だった。