STUDY REPORT / 2026年9月度 勉強会

素材と料理:情報と知識の境界――「知っている」と「使える」の間にあるもの

前田氏講義(情報と知識/SECIモデル前段)+ 質疑応答 / 全3本中 1本目
EXECUTIVE SUMMARY

言語化できないものは、まだ知識になっていない

2分類
情報(知っている)と知識(使える)を明確に分けることが出発点
4段階
理解度を測るテスト:例外対応・置き換え・自分の言葉・他者への指摘
3要件
情報の条件=事実性・客観性・記録性。主観の介在がない
400
今回の面談総数の着地見込み。当初想定600件から絞り込み
180
直近1週間で消化した面談本数
88,500
書籍累計部数。13,000部の増刷を経て10万部が射程に

この回の前半は、SECIモデルの解説に入る前段として「情報」と「知識」を分けて見る訓練に充てられた。前田氏は、この区別がないままSECIモデルを聞いても何を言っているのか分からないはずだ、と前置きしている。実際、モデルに出てくる暗黙知・形式知の「知」は情報ではなく知識を指すため、両者を同じものとして扱っていると、モデル全体が意味を失う。

区別の基準はきわめてシンプルに提示された。「ただ知っているよ」で止まるものが情報、「使えますよ」まで到達したものが知識である。情報には事実性・客観性・記録性が求められ、そこに主観の介在はない。誰がどこから取ってきても同じものが得られるのが情報だからだ。対して知識には、情報と情報の掛け合わせと、分析・検証・判断という主観的な操作が必ず入る。摩擦熱が起きることを知っていて、リンが低温で発火しやすいことも知っている――それだけでは何も生まれないが、二つを掛け合わせた瞬間にマッチという知識が生まれる、というのが講義で示された最小の実例だった。

後半はこれを料理のメタファーに置き換えて展開された。情報は生肉であり素材である。素材には鮮度があり、その場でしか手に入らないものもあり、牛・豚・鶏という種類によって必要な調理法も変わる。情報をそのまま流したところで何の意味もなく、調理という過程を経て初めて知識になる。そしてコミュニケーションとは、相手が差し出した素材を受け取り、自分なりに味付けして料理として返す往復のことだ、という定義が導かれた。多くの人がやりがちなのは、相手が魚を出してきたのに「僕が食べているのはビーフコンソメのポテトチップスです」と返すことで、これは素材を完全に無視しているため会話が膨らまず、知識も積み上がらない。

マイキー氏はここに、理解度を外形的に判定するテストを重ねた。メロン1個とメロン1個で2個だと分かる人が、いちごに置き換えた瞬間に分からなくなる。これは「1+1=2」が知識になっておらず、メロンという情報のまま覚えている状態である。同じ論理を別の例えに置き換えて提示したときに反応できるか、その反応速度はどれくらいか、自分の言葉で翻訳できるか、さらに他者の誤りを指摘できるか。この4段階を踏ませれば、相手が知識まで到達しているのか情報で止まっているのかが外から測れる、という実務的な道具が提示された。

セッションを貫く1本の線

情報は交換できるが、交換しただけでは何も生まれない。言われたことを返すだけ、確認するだけの往復は、素材を渡し合っているにすぎない。自分の判断・分析・検証・意見を掛け合わせて初めて料理になり、その料理を出し合うことだけが新しい知識を生む。つまり「自分の言葉になっているか」は礼儀や表現力の話ではなく、知識が成立しているかどうかの唯一の外形的証拠である。

PART 0

講義前の雑談――目的遂行のための言語という裏側

講義に入る前、マイキー氏は進行中の面談について触れている。当初は関連企画と合わせて600件規模を見込んでいたが、絞り込んだ結果400件程度に着地する見通しで、直近1週間だけで180本を消化した。10月中旬までに終わらせたい理由として、10月1日に桜インベストメントのライブ出演、その後に証券会社での講演、10月3日のサミット、そして10月下旬から3週間で10カ国というヨーロッパ出張が控えていることが挙げられた。

面談の合否基準について語られた内容は、この回のテーマと直結している。年齢や経歴では見ておらず「人間性」で見ている、学ぶ気がある人・面白いと思った人にだけクラブの説明をする、そうでなければ何も説明せずに切る、という運用である。判断材料が履歴書という「情報」ではなく、会話の往復で観察できる何かに置かれている点が、後の講義と符合する。

「思ってもないことを真顔で言えた」という自己観察

もう一つ、イベントでの世界的スピーカーとの15分間の会話が振り返られた。マイキー氏は自分でその映像を見直して「性格が悪い」「詐欺師だ」と評している。日本人は下を向いて歩いている人が多いが、あなたが話した後に参加者がどれだけ笑顔で新しい希望を見つけて出ていったか――そうした賛辞を、本心ではないまま真顔で述べたという。

ただし、そこには明確な狙いが置かれていた。高額な受講料を払って最前列に座っていた参加者にとって、講演後のサイン会と撮影が最後の接点になる。しかし当の登壇者は高齢で疲弊しきっており、そのままでは「こんな姿を見せられない」状態だった。興行として最後まで満足してもらうための一つの流れとして、相手のモチベーションを上げる嘘をつくことも重要だ――これが本人の説明である。内容に不満があった別の登壇者には過去に直接文句を言っているが、今回は指摘しても響かないと判断し、褒めて持ち上げることで参加者への最終パフォーマンスを上げるほうが合理的だと切り替えた、という整理だった。

ここが後半につながる
目的を定め、相手と場の条件を読み、その場で最も合理的な言葉を選んで出す。これは素材(相手の状態・参加者の期待・興行の残り時間)を読んで調理法を決める行為そのものである。同じ回の終盤でマイキー氏は「他の登壇者はただメモを読んでいただけ」「自分の言葉になっていない時点でプレゼンなどできない」と述べており、雑談と講義は同じ主題を別の角度から語っていた。
書籍の累計部数と10万部までの距離
単位:部/出典:セッション内の発言(前回時点の部数は差分からの推計)

書籍については、新たに13,000部の増刷が決まり累計88,500部に到達したことが報告された。このペースならあと1カ月ほどで10万部に届きそうだという見立てである。会場では配布用の書籍が不足し、登壇後に参加者の3分の1が外に出てブースへ向かったため在庫が一気に消え、翌日に追加した分も午前中2時間で消えたという。

面談パイプラインの推移
単位:件/出典:セッション内の発言
PART 1

情報と知識は、同じ言葉で語ってはいけない

前田氏はまず、この区別について統一的な見解が存在するわけではない、と断りを入れている。そのうえで今回提示するのは、こう見ておくとSECIモデルが比較的理解しやすくなる、という実用的な整理だ、と位置づけた。

SECIモデルは組織において知識を創造する理論である。創造とはクリエーション、つまり生み出すことを指す。そのために何が必要かといえばコミュニケーションであり、そのコミュニケーションを理解するために情報と知識の区別が要る――この順番で話は組み立てられている。

情報=「知っているよ」
事実性・客観性・記録性が要件。主観の介在がなく、提供元があればどこから取っても同じものが得られる。そのままでは意味を生まない。
知識=「使えますよ」
情報と情報の掛け合わせが必要。さらに分析・検証・判断(良い/悪い、美しい/醜い)が入るため、主観が必ず介在する。

言葉づかいの話に聞こえるが、影響は大きい。前田氏が指摘したのは、モデルに登場する暗黙知・形式知という語の「知」は一貫して知識を指しているという点である。知識である以上、そこには必ず意味が伴う。情報と知識を混同したまま読むと、「意味を持たないもの」を組織で循環させる理論だと誤読してしまう

掛け合わせが知識を生む――マッチの例

摩擦で熱が起こることは知っている。リンが低温で発火しやすいことも知っている。しかし知っているだけでは何も生まれない。この二つの事実を掛け合わせたとき、初めてマッチという成果物が出てくる。前田氏はこれを「情報の掛け合わせによって生み出された知識」と呼んだ。ここに分析・検証・判断が加われば、良い悪いや美しい醜いといった価値判断が入り込み、主観が介在する領域に移る。

📌 Claude補足

SECIモデルの提唱者は野中郁次郎氏(1935年5月10日生、2025年1月25日逝去、一橋大学名誉教授)。竹内弘高氏との共著『知識創造企業』で国際的に知られ、その原型は1990年の『知識創造の経営 日本企業のエピステモロジー』(日本経済新聞社)にある。組織学会会長(1996〜2002年)、日本学士院会員、カリフォルニア大学バークレー校特別名誉教授などを歴任した。

SECIの4モードは、共同化(Socialization:暗黙知から暗黙知)、表出化(Externalization:暗黙知から形式知)、連結化(Combination:形式知から形式知)、内面化(Internalization:形式知から暗黙知)である。講義中に「インターナリゼーションが内面化」「これが連結化」と確認されていた箇所は正しい。

なお、前田氏が「統一的な見解があるわけではない」と断った点は誠実で、情報と知識の境界は情報科学・知識経営・認識論で定義が分かれる。今回の整理はSECIモデルを読み解くための作業定義として受け取るのが適切である。

PART 2

生肉と料理――素材を無視した会話は会話ではない

ここから前田氏はメタファーに切り替える。情報とは何かと問われれば、それは生肉であり素材である。食べ物は素材があって初めて成り立つが、素材そのものは食べ物ではない。

素材として見ると、情報の性質がよく見える。鮮度があり、新鮮なものも腐敗したものもある。その場でしか手に入らないものもある。牛肉・豚肉・鶏肉という種類の違いがあり、種類が違えば必要な調理法も変わる。情報には調理が必要で、調理には過程が必要であり、情報をそのまま流したところで何の意味もないというのが結論である。同じ牛肉をもらってもハンバーグにするかステーキにするかで味は変わる。料理に変えて初めて知識になる。

コミュニケーションは素材と料理の往復である

ここで「コミュニケーション」という語が差し挟まれる。なぜわざわざこの語を挟むのかといえば、コミュニケーションが成立するには必ず情報を知識に変える過程が要るからだ。他人の話が素材だとすると、自分の話は料理として相手に提供するもので、その意識で話すことが重要になる。話をされたことを受け取り、自分なりに味付けや調理をしたうえで「こんな料理ができるんじゃないでしょうか」と出していく。この過程がなければ、そもそも会話として成立しない。

よくある失敗:素材の完全無視
相手が魚を出してきたのに、「いま僕が食べているのはビーフコンソメのポテトチップスですね」と返す。調理もなければ相手の話との関係もない。相手から提供された素材を完全に無視しているため、話が膨らまない。膨らまない限り知識は積み上がらず、新しいものを生み出す過程にもつながらない。

知識の創造は、単純にポンと思いつくものではない。この過程の繰り返しによって知識の幅が増え、大きくなっていく。素材を無視し続けていれば、新たな料理も新たな味も、より美味しいものも生み出せない。

「交換しているだけ」では何も生まれない

前田氏は最後にもう一段踏み込む。言われたことをそのまま返すだけ、確認するだけというのは、まさに素材を渡し合っているだけであり、交換しているにすぎないから何も生まない。自分の判断・分析・検証・意見、あるいは自分が持っている知識をそこに掛け合わせる意識がない限り、コミュニケーションにはならない。そしてコミュニケーションにならなければ、いくら情報を持っていても新しい知識は生み出せない

状態やっていること生まれるもの
情報の交換言われたことを返す、確認する、素材を渡し合うなし
素材の無視相手の話と無関係に自分の話したいことを出すなし(会話が成立しない)
調理して返す受け取った素材に分析・検証・判断・自分の知識を掛け合わせて出す新しい知識(幅が増え大きくなる)
PART 3

理解度を測る4つのテスト

マイキー氏はこの整理に、人を相手にした判定方法を接続した。情報を知りましたという状態から知識に変わったかどうかは、人でテストすると分かりやすい、というのが出発点である。

テスト1:情報の例外に対応できるか

メロンが1個あります。もう1個あります。答えは2個です。これを、いちごが1個ありますという話に変えた瞬間に分からなくなる人がいる。これは知識になっていない。メロンとして覚えているが「メロンはフルーツだ」という上位の枠から外れている状態で、いちごにした瞬間に答えられなくなる。本質は「1+1=2」であって、いちごなら2個になるがメロンなら2個にならない、というのは計算ができていないのと同じである。

テスト2:置き換えられたときの反応速度

ここで示された例は不動産だった。Aというマンションは外面は良いが、テレビはブラウン管、風呂は五右衛門風呂、エアコンはなく扇風機。Bという家は最新のエアコンが入り、4Kテレビがあり、追い焚きのできる風呂がある。どちらが欲しいかと聞けば当然Bになる。

これを置き換えると、日本企業とアメリカ企業の買収の違いになる。アメリカがM&Aをするときは「Bの家」を買っているようなもので、新しい考え方・新しい技術・新しい知識が入っているからこそ買収する必要がある。では日本でなぜM&Aが少ないかといえば、古びた家電製品が入っている家を買わないからだ、という説明である。言っていることは不動産の例と同じだが、この置き換えが理解できない人がいる。そしてそれは反応速度で大体分かる、つまり意思決定のスピードとして表に出てくる。

テスト3:自分の言葉で翻訳できるか

次に問われるのは言語である。置き換えた内容について「つまりこういうことですよね」と自分の言葉で言い直せるか、いまの例とは別の例を自分で出せるか。言語化ができたときに初めて知識になっているとマイキー氏は述べる。逆に言語化能力がなければ、そもそも言語化ができていないのだから知識になっていない、という判断ができる。

テスト4:他者の誤りを指摘できるか

最後の段階は、他の人が別の話を出してきたときに「それは違うのではないか」と突っ込めるかどうかである。自分がフィードバックを受けて認知した内容について、今度は逆方向に指摘できるなら、本人が理解していると判断してよい。この4段階を挟めば、自分自身が理解しているかどうかも含めて判定基準になる、という組み立てだった。

講義そのものがテストになっている
マイキー氏は、前田氏の講義が「別の観点に置き換えて同じことを言う」形式になっていると指摘した。言っていることは同じなのに、置き換えられると新しい情報として受け取ってしまう人が何人もいる。それは、前回の講義を情報としては受け取ったが知識にはしていないということが、その場で見えている状態である。

この判定は組織運営にも直結する。マイキー氏は、社員や周囲の人が理解したのかどうかをコミュニケーションで探れる、と述べている。プレゼンテーションが大事だ、経営の基盤が大事だと言っているところで、情報を少しすり替えた瞬間に分からなくなる人は、知識になっていない人として扱える。知ること自体は楽しいが、聞いた話を人に分かりやすく説明できるか、フィードバックを受けたときに「それは違う」と指摘できるか、別の例え話で話してみてと言われたときに即座に出てくるか――そこが知識と情報の分かれ目になる。

📌 Claude補足

ここで示された4段階は、教育測定の分野で言う「転移(transfer)」の評価に近い。表層の文脈が変わっても同じ構造を適用できるかを見る手続きであり、同型構造を別領域に移せるかどうかで理解度を測るという考え方は、学習研究では標準的な扱いになっている。

要確認ただし「反応速度=理解度」と単純に置くことには留保が要る。反応が遅い理由には、慎重さ、前提条件の確認、異なる解釈の検討などもあり得るため、速度だけを基準にすると熟慮型の人材を誤って低く評価するリスクがある。テスト3・4(自分の言葉での再現と、他者への指摘)のほうが判定材料としては頑健である点は、実務で使う際に意識しておきたい。

Q&A

質疑応答

情報が知識に変換されると個人的に感じるのは、自分の中で立てているテーマにマッチするときです。つまりコンテクストを持っているかどうか。自分が伝えたいこと、考えたいことのテーマやストーリーの中で、この情報は使えそうか、アナロジーも含めてどう組み込めるかを考えていると、情報と情報が繋がって知識になっている感覚があります。分析・検証・判断と言われると「一体何に対して」という点もあるので、テーマを持つことは情報を摂取して知識に変換するときに役立つのではないでしょうか。――神原氏
その指摘に関して、自分の解釈の一つとしては、SECIモデルはその文脈(コンテクスト)を生み出すためのメカニズムだという捉え方もできる。コンテクストは最初から仮説として持っていなくてもよく、それぞれが別々に持っていてよいと考えている。お互いのコンテクストを持ち寄り、二つのコンテクストがあったらそれを検証したうえで別の形に作り替える。そうすればより効果的なコンテクストになるのではないか、ということを繰り返していくメカニズムである。なお、この論点は『知識創造企業』にもそのとおり書かれている。――前田氏
書籍応援チームの中でコミュニケーションを取るとき、伝言ゲームのようになることがあります。Aさん・Bさん・Cさんと伝わる過程で、最初の「ドムドムバーガー」が途中でマクドナルドに変わってしまう。人によって情報の解釈の捉え方が違う場合、どう修正すればよいでしょうか。――富士川氏
それも料理に例えている理由に関わる。同じ素材を与えられても調理能力によって出来上がるものは変わる。料理の初心者とプロが同じものを作ろうとしても、まったく違うものが出来上がる。正直に言えば、その人のレベルが上がらない限り無理だと思う。あとはレベルの高い人のほうがある程度合わせに行くこと。ただし合わせに行くと言っても、結局はその人に真剣に取り組むつもりがあるか、ある程度自分で積み重ねるものがあるかによる。料理をまったく知らなかったとしても、レシピを見ておく、動画でやり方を見ておくといった形でイメージを持ってから来るかどうかで、結果はまったく変わってくる。それを一切しないで「では行きます」という人に対して適切なものが得られるかというと、まったく違ってくる。その場合は切り落とすしかない。全体に対して意識すること自体は大事だが、できるかどうかの基準は持っておかなければならず、こういう見方をして基準を作っていくことが必要だと考えている。――前田氏
それができるようになるには、テーマや例え話が違っても本質的なロジックは同じだ、と判断することを意識するのが大事なのでしょうか。――神原氏
そのとおりで、そこで重要になるのは反応速度である。不動産の例からM&Aの例へ置き換えたときに、言っていることは同じだと即座に分かるか。さらに、それを自分自身の言葉で翻訳できるか。言語化ができたときに初めて知識になっていると考えている。――マイキー氏
(進行上の確認)今日の講義で、プレゼンテーションにつなげようと思ったところ、一番のメッセージとして繋げたかった点はどこでしたか。――マイキー氏から前田氏へ
自分の言葉にする、ということ。台本ではなく。聞いていてほとんどの人が自分の言葉になっておらず、そもそも自分の言葉になっていない時点でプレゼンなどできるわけがない。自分の言葉を作るという意識を持つことが大事だ、という点をまず伝えたかった。(他の登壇者について問われ)自分から見ると、他の登壇者はただメモを読んでいただけだった。ただパソコンを開いて、それを喋っていただけである。――前田氏/後半はマイキー氏
宿題・アクションアイテム

持ち帰って試すこと

  1. 直近の会話を一つ選び、相手が出してきた素材を自分がどう調理して返したかを振り返る。調理せずに素材を渡し返しただけの箇所を特定する。
  2. この講義の内容を、まったく別の例え話に置き換えて説明してみる。即座に出てこない場合は、情報のまま止まっている可能性が高い。
  3. 会員同士で相互にテストする。一方が別の例えで説明し、もう一方が「それは違うのではないか」と指摘できるかを確認する(4段階判定の実地テスト)。
  4. プレゼン合宿に向けて、台本の文章を一度捨て、自分の言葉だけで同じ内容を話せるかを検証する。
  5. 相手が出してきた素材を無視して自分の話をしてしまう癖がないか、次の商談・面談で1回だけ意識的に観察する。
用語集

このレポートに登場した用語

情報
「知っている」状態のもの。事実性・客観性・記録性が要件で、主観の介在がない。素材(生肉)にあたる。
知識
「使える」状態のもの。情報の掛け合わせと、分析・検証・判断という主観的操作を経て成立する。料理にあたる。
SECIモデル
野中郁次郎氏による、組織において知識を創造する理論。共同化・表出化・連結化・内面化の4モードが循環する。
暗黙知
言語化されていない、経験や身体に根ざした知識。「知」は情報ではなく知識を指す。
形式知
言語や図表として外部化され、他者と共有可能になった知識。
共同化(Socialization)
暗黙知から暗黙知へ。経験の共有によって感覚レベルの知が移転する段階。
表出化(Externalization)
暗黙知から形式知へ。感覚として持っているものを言語化・図解する段階。
連結化(Combination)
形式知から形式知へ。言語化されたものを組み合わせて体系化する段階。マニュアル化がここに当たる。
内面化(Internalization)
形式知から暗黙知へ。実践と失敗を通じて、体系化された知が身体化される段階。
コンテクスト
文脈。情報を知識に変える際の判断枠組み。SECIはコンテクストを持ち寄って作り替えるメカニズムでもある。
言語化
受け取った内容を自分の言葉で再構成して出せること。知識が成立しているかどうかの外形的証拠。
転移(transfer)
学習した構造を、表層の文脈が変わった別の問題に適用できること。4段階判定のテスト1・2が測っているもの。