前半の講義が「情報をどう知識に変えるか」であったのに対し、後半の主題は「知識をどう知恵に変えるか」だった。口火を切ったのは神原氏の質問で、知識があるだけではなく現場に応用するときの知恵に消化させていくプロセスについて、SECIモデル以外の考え方があるかを問うものである。
前田氏の回答は明快だった。料理を色々作っていくうちに、素材を見ただけで複数の料理を生み出せるようになる。それがなぜできるのかを考えたとき、重要なのは失敗の積み重ねである。適切な料理が作れなかったということは、相手に自分の言いたいことが伝わっていないということで、つまりコミュニケーションエラーである。しかしこれは無駄ではなく、資産に当たるものに変わっていく。ただし条件がひとつある。その失敗のプロセスをしっかりレビューできる体制があって初めて、という点だ。神原氏は、失敗はたくさん積み重ねているはずなのに、会社でそれをレビューするプロセスは四半期に1回意識する程度で、仕組みとしては持てていないという危機感を語った。前田氏はここから「結果主義はすごく危険だ」という認識に踏み込んでいる。
マイキー氏はこれをマニュアルの話に接続した。マニュアルとは連結化された情報であり、新人が現場で試して失敗しまくることで知識になり、繰り返して価値判断が生まれることで知恵になる。それを共同化してシェアし、肌感覚の部分を言語化して情報に戻す――この循環が回っていればマニュアルは常にアップデートされ続けるはずで、何年も同じマニュアルを使っているということは循環が止まっている証拠になる。しかもマニュアルが変わらない会社は評価制度も何年も同じままであり、共有メンタルモデルが変われば評価制度も変わるはずだ、という筋が通される。
さらに話は回転速度と土台に及んだ。死にゲーやスプラトゥーンを例に、ゲームは仮説検証が5分で回るがビジネスは極端に遅いこと。頭の中でシミュレーションするだけでなく実践する仕組みが会社に組み込まれているかが重要であること。そして土台がない人間が高速回転しても小さい円しか作れず、多角的な情報を取り続けている人間だけが雪だるま式に大きくなること。最後に、その土台が差別化として現れる実例として、自身の発信の9割が海外情報であること、他の登壇者が全員国内情報で話していたことが挙げられた。
失敗したくないという感情は、個人の性格の問題ではなく「循環を止める意思決定」である。知識を知恵に変える唯一の経路が失敗と検証の反復である以上、失敗を避ける人・レビューしない組織・アウトプットできない人間は、そこで回転を止める。回転が止まれば製品もマニュアルも評価制度もアイデアも更新されなくなる。逆に言えば、土台のある人間が高速で回し続けると、その差は加速度的に開いていく。
神原氏の問いは、情報を知識にして、今度はその知識を知恵にするプロセスについてだった。知識と知識を掛け合わせて新しい仮説を生み出すこと、あるいは知識があるだけではなく現場に応用させるときの知恵に消化させていくこと。SECIモデルはまさにそれを指しているのだろうが、他に考え方があるかを聞きたい、という内容である。
前田氏は料理の比喩に戻した。色々な料理を作っていくと、最終的には素材を見た時点でその素材から複数の料理を生み出せるようになる。ではなぜそれができるのかと考えたとき、実は失敗の積み重ねが重要なのではないかという見方を示した。
ここでの失敗とは何かというと、コミュニケーションの失敗である。この料理を作ろうと思っても適切な料理が作れなかった、つまり相手に対して自分の言いたいことがきちんと伝わっていない。そういうコミュニケーションエラーは当然起きる。しかしそれは無駄なことではなく、会計に例えるなら費用ではなく資産に当たるものに変わっていく、という認識が示された。
神原氏はこれを受けて、失敗は確かにたくさん積み重ねているはずなのに、会社でそれをレビューするプロセスは四半期に1回程度しか意識しておらず、仕組みとしては持てていないという危機感を率直に述べている。結局、その部分の繰り返しをやっていくしかないのではないか、という応答に対し、前田氏はさらに踏み込んだ。もっと言ってしまえば、結果主義はすごく危険だという認識も、そこから持っている。
「失敗を費用ではなく資産として扱う」という整理は、組織学習論で言う二重ループ学習(double-loop learning)の発想と重なる。単に結果を修正するだけの一重ループに対し、前提や判断枠組みそのものを見直すのが二重ループであり、そこではエラーの発生そのものが情報源になる。神原氏が指摘した「四半期に1回しか意識しない」という状態は、失敗が一重ループの中で処理され、前提の見直しまで届いていないことを示唆する。
また前田氏の「結果主義は危険」という指摘は、結果指標のみで評価すると、プロセスの失敗が隠蔽され、レビューの材料そのものが組織に上がってこなくなる、という因果で読むと一貫する。失敗を資産化する体制と、結果だけで評価する制度は、原理的に両立しにくい。
マイキー氏はこれをマニュアルで説明し直した。マニュアルとは何かといえば、いろいろな情報が既に一つにまとめ上げられたもの、すなわち連結化されたものである。トークスクリプトや市場データを統合して標準的な営業マニュアルを作った、という状態は、情報から情報への移動にすぎない。
その後に何が起きるか。新人が来て、マニュアルを持って現場で試し、失敗する。失敗しまくる。前田氏が言っていた部分がここに当たり、この段階で情報は知識に変わる。さらにやりまくることで価値判断が生まれ、どうやればいいのかという判断基準ができあがる。ここで知識が知恵に移行する。そして共同化によってそれをシェアし、顧客と対峙する中で肌で感じたものをどんどん改善して外に出していく。トップ営業が持っている感覚の部分を全部言語化していくと、それが情報に変わり、また知識に変わり、やりまくることで知恵に変わる――この循環を繰り返すことで、マニュアルはずっとアップデートされ続ける。
この循環が社内でできているかを確認する問いとして、マイキー氏は具体的な点検を投げかけた。自分の会社のマニュアルを見直してほしい、ずっと同じものを使っていないか、と。
ずっと同じマニュアルがあるということは、何年も何年も同じ評価制度のままだということでもある。循環が回ってマニュアルが変わり、共有メンタルモデル(SMM)が変わってくるのであれば、当然、評価制度自体も社内で変わってくるはずだ。しかも評価制度は社員の指針にもなるため、単に評価制度を変えるだけでは意味がなく、循環があるからこそマニュアルが変わり、マニュアルが変わるから新しい情報に変わる、という順序が重要になる。
さらに、この改善が起きるためには失敗が前提でなければならない、という条件が繰り返される。知識があるだけでは足りない。サッカーの知識がものすごくあったとしても、実際にシュートを決められるようになるのは、何回も何回も失敗して練習するからである。したがって「失敗したくない」というのは、この循環を止めることと同義だ、というのがマイキー氏の立場だった。
回転の速さを説明する題材として持ち出されたのはゲームだった。知識としては「このボスはこうやれば倒せるらしい」と分かっていても、実際にやってみると倒せない。何回も何回も壊されまくって、最終的にそれが知恵に変わって倒せるようになる。いわゆる死にゲー――PS5のエルデンリングのようなタイトルは、この構造そのものである。
マイキー氏自身の例はスプラトゥーンだった。最初は下手で、「この武器が強いらしい」という情報を教えてもらってやってみてもボコボコにされる。上手いプレイヤーの動画を見ると「こうやるのか」と理解した気になり、うまくなった気になるが、実践すると同じようには動けず、またボコボコにされる。そこから本人に聞きに行ったり自分で仮説検証をしたりして、実際に使えるようになったときに初めて知恵になる。知恵に変わった瞬間、見える世界観がまったく変わるという。
ゲーマーがビジネスや運用トレードをやると上手いことがあるのは、この回転が癖になっているからだ、という見立てが示された。さらに重要なのは、それを頭の中のトレーニングで終わらせず、実践するという流れが会社の仕組みの中に作られているかという点である。
要確認セッションでは「スプラトゥーンのプロYouTuberにトレードを教えた結果、25歳のメンバーが3カ月から半年の実践で月収2,000万円を稼いでいる」という事例が語られた。この種の収益実績は第三者による検証が原理的に困難であり、再現性を前提とした数値として扱うべきではない。ここで機能している論点は金額ではなく、「仮説検証の回転が速い習慣を持つ人は、別領域に移してもその回転速度を持ち込める」という転移の主張そのものである。
なお、プロゲーマーに共通して観察される能力として、短いフィードバックループの中での意思決定反復が挙げられるのは妥当だが、eスポーツの技能が金融取引の成績に転移するという主張を支持する査読研究は確認できない。前段の「4段階テスト」と同様、主張の構造は納得できるが、成果数値の一般化には距離を置くのが安全である。
ここで前田氏が「この高速回転を繰り返して知恵に変えるのに一番重要なのは何か」と問い、マイキー氏は「土台だ」と答えた。分かりやすく言えば、頭の悪い人間がこれを回転させても頭が悪いままである。逆に、これまで失敗しまくって知識と知恵を入れまくっている人間が高速で改善させると非常に速く、しかも高度なものが出来上がる。
では何が土台になるのか。情報と知識と知恵に変えていく循環を作ること、そしてそのために関係がある・ないにかかわらず、いろいろな情報をずっと取り続ける状態を作ることである。
マイキー氏は学生を引き合いに出した。学生の学習能力が速いのは、脳が柔らかいという理由もあるかもしれないが、それ以上に、やりたくない教科も含めてあらゆるものをやり続け、それを高速で回しているからだ、という見方である。大人になると「俺は数学が好きだから数学だけやる」「社会が苦手だから社会はやらない」となり、情報処理が限定的になる。だからこそ大人になってからやらなければならないのは、多角的な情報を手に入れることで基盤を作ることだ、という結論になる。
前田氏から「1万時間の法則や量質転化が重要なのか」と問われ、マイキー氏は「まずは量をやるしかない」と答えている。ゲーマーの例についても誤解のないよう前提を補足した。彼らはこれまでずっと仮説検証をしてきてその能力を鍛えてきたから、いま結果が速く出るようになっただけであり、いきなりそうなるわけではない、絶対に無理だ、ということである。
時間をかけて勉強し、時間をかけてアウトプットする。その際の目安として提示されたのが到達レベルの話だった。一つの分野をレベル10まで持っていけるなら、他のものもレベル10まで持っていける。ところが大抵の人はレベル5まで持っていったところで次に移ってしまうため、レベル5までしか行けない。レベル10まで持っていく経験を一度作れば、それが100時間かかったとしても、次は80時間、その次は30時間で済むようになり、どんどん速くなっていく。これが雪だるまである。
ここで前田氏が「最初は時間がかかってもいいから生産性を上げ、次のターンで効率性を上げる」と整理したのに対し、マイキー氏は「効率性を上げようとするのではなく、勝手に効率化されてしまう」と訂正している。自然にそうなる、という点が要点である。
自身の例として挙げられたのは、メディア掲載の実績だった。この半年間で出した記事は経済ニュース系も含めてすべて採用されているという。なぜかと言えば、あらゆる学問を勉強してきたので、知らない分野も少し勉強するだけである程度は専門家のように話せてしまうからだ、と説明された(本人は「専門家風に喋れる」「はったりかもしれない」と表現している)。
具体例として挙がったのが、最近の映画作品の分析である。その作品自体は見ていなかったが、これまでアニメを社会学的な視点や批判的な目線で見続けてきたからこそ、公開直後に見た瞬間に分析の枠組みが思いついた、という流れである。大抵の人は「自分はこの分野は喋りません」「これはできません」と言うが、それは基盤がないからだ。本当に分からない分野については「2日くれ」と言い、2日間徹底的にやればある程度は話せるようになる――これが土台のある状態の現れとして語られた。
「1万時間の法則」はアンダース・エリクソンらの熟達研究をマルコム・グラッドウェルが『Outliers』で一般向けに定式化したもので、エリクソン本人は後に、重要なのは総時間数ではなく「限界的練習(deliberate practice)」の質である――具体的には、現在の能力をわずかに超える課題に、明確な目標と即時のフィードバックを伴って取り組むこと――だと繰り返し指摘している。分野によって練習時間が成績のばらつきを説明する割合は大きく異なることも報告されている。
この点は、セッションの主張と実は整合的である。マイキー氏が強調したのは「量をこなす」ことそのものよりも、失敗に対するフィードバックを受けて高速で回すという構造であり、これは限界的練習の定義にかなり近い。したがって本レポートでは「1万時間」を時間数の目標としてではなく、「フィードバック付きの反復をどれだけ回せるか」の言い換えとして読むのが正確である。
参加者から、日本企業と海外企業の違いとして、SECIモデルのどこで止まりやすいかという傾向はあるのか、という質問が出た。日本は体質的に決めたものが変わりづらいので、連結化=マニュアル化のところで滞ることが多いのではないか、という仮説つきの問いである。
マイキー氏の回答は「どこでも止まる」だった。苦手な分野が出てきたら全部止まる。相手のアイデアを連結させるところで止まる人もいれば、外にアウトプットするのが苦手な人もいるし、理解力が乏しい人もいる。言語化ができない人もいるので、どこかしら苦手な部分があればそこで止まる。したがって組織の傾向というより、そこにいるメンバーの能力による。会社の資源として一番強いのは金でも物でもなく人だ、という考えがその根拠として示された。
組織での実装例として挙げられたのが、Amazonの経営トップの会議手法だった。A部署とB部署の責任者を同時に呼び出し、A部署の責任者に対して「B部署が抱えている問題を、あなたの部署のリソースで解決することをいま提案しなさい」と求める、というものである。
これができるということは、B部署のことを理解し、自部署のことを理解したうえで、同じ構造のPDCAを置き換えるだけで解決できるという判断ができているということであり、自分たちのリソースをきちんと知識に変えていて、他にも転用できる状態を意味する。マイキー氏の説明では、答えられなければ降格になるほど厳しく、多角的に物を見て他部署も理解したうえで自分たちのリソースを外に出せるかが部長・課長の仕事として問われる、という整理だった。神原氏はこれを「数学の公式を覚えているだけでなく、公式をどう展開すれば問題が解けるかという応用」と言い換え、マイキー氏も同意している。
Amazonの会議運営として広く文書化されているのは、パワーポイントを禁じた6ページのナラティブ(物語形式の文書)を会議冒頭に全員で黙読する方式と、プレスリリースとFAQを先に書く「ワーキング・バックワーズ」である。前者は『Working Backwards』(コリン・ブライアー、ビル・カー)で詳述されており、書き手に論理の飛躍を許さない点が要点とされる。
要確認一方で、「A部署の責任者にB部署の課題を自部署のリソースで解決する提案をその場でさせ、できなければ降格する」という運用は、公開情報で裏付けが取れない。趣旨として語られている「他部署を理解し、自部署の資源を転用できるか」を問う設計思想は、Amazonのリーダーシップ・プリンシプル(Ownership、Are Right A Lotなど)と方向性は一致するが、降格を含む具体的な運用ルールとしては確認できないため、比喩として受け取るのが安全である。
これができない人間として挙げられたのが、あらゆる事象に対して「これは自分に関係ある/関係ない」を自己判断で勝手に区切る人である。事業というものはすでに外部的要因にさらされているのが前提で、政治的な政策も、地域性も、業界のルールも絡んでおり、自分たちの会社はそこに巻き込まれた状態にある。ならば政策も経済も経営も重要であり、頭の中が整理できている人間はすべての情報を取って自分の知識に変えてアウトプットできるはずだ、という論理である。
日本の経営者の多くは「政治なんか関係ない、俺は物を売るだけだ」と言うが、それはいろいろな情報を処理できていないということだ、と厳しい評価が下された。大手企業や優秀なスタートアップになるほど、マクロ情報をどう自分の事業に落とし込んで展開するかを考える。目先の自分の金しか見ていないから周りが見えていない、というのが大きな違いだ、という整理である。
これに対し神原氏は、マクロの遠い部分は現場の目の前の利益を上げるときの相関係数が低く、意識が後回しにされがちだと現実的な反論を挟んだ。マイキー氏の応答は、全部を網羅する必要はない、頭の中にその流れが入っているかどうかで意思判断がまったく違う、というものだった。神原氏はこれを「頭の中に引き出しを作っておく。引き出しがあれば中身が空っぽでも、情報が来たときに『あの引き出しに入れるものだ』という意識が働く」と自分の言葉で言い換えている。
最後のテーマは、リサーチの深さと広さだった。深いことも重要だが、広いことも重要であり、広い知識・遠いところから持ってきた知識は、他の人が掴めない。同じ業界の人たちが村社会のように固まっている中に、1人だけ世界中から情報を取ってくる人間が入れば、それだけで差別化になる。
マイキー氏が自身の発信について語った内容は具体的だった。よくテレビに出ている経済学者の多くは、国内で取ったニュースをそのまま喋っているに過ぎない。自分の場合は国内ニュースをほとんど見ておらず、日本の政治(高市政権など)は日本のソースのほうが詳しいので見るが、大半は海外情報がベースで、比率にして9割ほどが海外情報である。だからこそ差別化されているように見えるだけで、特別なことは何もしていない、という説明だった。
先のイベントでも、登壇者は大勢いたが全員が国内情報をベースに話していた。自分だけが外部の情報ばかり使っていたので、面白いと評価されるのは当たり前の話である。プレゼンテーションで語ったのは「あなたの持っている1,000万円は、銀行口座には1,000万円と表示されているが、外から見た場合はこれくらいの価値に下がっている」という視点だった。国内の情報しか持っていない人は、そもそも外部から自分たちを見ることができないので、自分たちがどういう状況かも分かっていない。だから新鮮に感じて「面白かった」となる、という整理である。
では、国内情報で発信していながら人と違うことを発信できている人には共通点があるかと問われ、マイキー氏は「外部に情報をリーチできる人」と答えた。人間関係を持っていること、言語的な問題を解消していること――この2点が挙げられている。
この循環を超高速で回せれば、自社の製品やサービスをどんどんアップデートできる。アイデアも同じで、回転させ続けていればアイデアが思いつかないわけがなく、どこかで止めているからアイデアが出ない。ただし、この入り口に立つときには必ずボコボコにされる。ボコボコにされたくない人は途中で止める。
マーケティングを仕掛けるときも、この回転ができていないまま商品開発をすれば、どこかで必ず製品のアップデートが止まる。そんなものを外に出せば大変なことになる。逆に基盤ができた製品に広告などのマーケティングを仕掛けていけば、どんどんアップデートされた商品ができ、顧客に付加価値を与え続けられる。
そして最近の最大の転換点として挙げられたのが、中国のEVメーカーだった。日本やアメリカが4〜5年かけるものを、1年半から2年で作ってしまう。これは完全にリソースがポイントになる、という指摘である。
中国メーカーの開発期間短縮は実データでも裏付けられる。日本経済新聞(2026年8月)は、BYDの軽EV「ラッコ」が基幹部品の内製を強みに約2年で開発されたと報じている。また業界報道では、中国の新車開発期間は2年からさらに18カ月へと短縮が進み、あまりの高速化に当局が過当競争への警告を出す事態になっていると伝えられている。
一方で「日米欧が4〜5年」という比較には注意が必要である。BYDの開発陣への取材記事では、中国車の開発が2〜3年で日米欧より2年ほど早いとされており、日米欧側も近年は3〜4年に短縮しつつある。したがって要確認「4〜5年 vs 1年半」という倍率はやや誇張気味で、実勢は「3〜4年 vs 1.5〜2年」程度と見るのが妥当と思われる。構造的な差(内製比率の高さ、意思決定の速さ、24時間体制の開発運用)が存在すること自体は複数のソースで共通している。