制度理論の講義本編が終わったあと、この回は1時間半近くにわたって実務の質疑に費やされた。テーマは一貫している。理論として「正当性は変えられる」と分かったとして、では自分の組織の中で、それを具体的にどうやるのか。質問したのは経営者と事業責任者が中心で、前田氏とマイキー氏がそれぞれ理論側と実務側から答えるという形になった。
前田氏の回答の軸になっていたのは、正当性を固まったものではなく粘土のようなものとして捉える、という比喩だった。時代に合わせて形を変えていく能力が必要であり、自分たちだけでは枠がどこにあるのか分からないから、外から「この枠が違いますよ」と伝えられる人、もしくは機能が組織の中に必要になる。まったく関係のない業界の人をあえて取締役会に入れる、という具体策が最初に示された案である。そして、その外部の知見が既存の正当性を脅かさないのか、という追加質問に対して、前田氏は「脅かすと思います」と即答したうえで、むしろ自分たちで危機を招く意識のほうが重要だ、と踏み込んだ。危機を乗り越えられる力がなければ、そもそも継続的に大きくなれないからである。
マイキー氏が補ったのは、実装の順番だった。新しいシステムをいきなり全社に入れれば混乱する。どの部署が最も適しているかを見極めてそこに入れ、圧倒的な数字を出した上で正当性を作っていく。今まで社内でタブーとされてきたものを一部の優秀な人間に治外法権的に与え、そこでパフォーマンスを出させて方向線に誘導する――ソフトウェア導入の世界に実在するフレームワークだ、という説明である。
後半は、外向きに正当性をひっくり返す手法としてカウンターブランディングが扱われた。ドミノ・ピザ、セールスフォース、レッドブルという三つの事例が挙がり、いずれも自社にとって不利な評価や業界の常識を、あえて自分から引き受けて反転させた例として提示されている。そして最後に前田氏が釘を刺したのが、この回で最も重い一文だった。「まったくもって、既存のものから新しいものを作る、これは確実に失敗する方法なんです」。新しく作るのではなく、ずらす。そのために最初に来るのが探索である。
正当性は一気に置き換えるものではなく、既存の正当性の「振り」を利用して少しずつずらすもの。飽きている人がすでにいるという前提があって初めてカウンターが効く。だから順序は「新しいものを作る」ではなく、「探索して飽きの所在を突き止める → 小さく治外法権をつくる → 数字を出す → 物語で接続して全体をずらす」になる。
最初に質問に立ったのは川村氏である。質問の立て方が丁寧だった。正当性はそもそも組織を維持する上で必要かつ重要なものだという認識でよいか、という確認から入り、前田氏が同意したうえで本題に入っている。正当性が崩壊した組織は基本的に機能不全に陥る。だとすれば正当性をいかに維持するかが重要になる。一方で、正当性によって硬直化すると新しいものについていけなくなるため、知の探索も必要になる。両方が重要であること自体は理解しているが、それを一つの組織の中でどうバランスさせるのか。二つの別の評価軸を立てるのか、組織そのものを分けるのか。ベストプラクティスや重要な観点はあるか、という問いである。
前田氏の答えは、まったく知らない、まったく関係のない業界の人をあえて取締役会に入れる、というものだった。川村氏が「その人たちの評価の軸は、普通の会社が今まで追っている既存のKPIとは別であるということを前提にする、ということですか」と確認したのに対し、前田氏は「はい、そういうことです」と明確に肯定している。
前田氏の理解では、正当性は固まっているものというより、少しずつ粘土のような形で動いていくものである。時代によって合っている形が変わっていくのだから、その形を変えていける能力が必要になる。そして自分たちだけでは枠がどこにあるのか分からない。だから外から見たときに「この枠が違いますよ」とちゃんと伝えられる人、もしくはその機能があることが重要になる。近いところにいる人間には、そこが見えなくなりやすい――これが前田氏の前提である。
川村氏はさらに踏み込んだ。では遠い場所にいる人たちが新しい知見を持ち込んだとき、それは既存の正当性を脅かす要因にはならないのか。前田氏は「なると思います」と即答した。川村氏が「既存の正当性に対して危機を引き起こすべきだが、そこはバランスを取りながら、形が変われる程度の危機にするべき、という感覚か」と言い換えたのに対し、前田氏の回答はさらに一段強かった。それに対抗できるくらいのしっかりとした正当性が築けないのであれば、おそらく拡大できない。継続的に大きくなっていくためには危機を乗り越えられる力をつけなければならず、それを前提に考えるなら、むしろ自分たちで危機を招くという意識のほうが重要ではないか、というのが前田氏の現時点での考えである。
川村氏の質問(正当性の維持と知の探索の両立)は、両利きの経営(ambidexterity)における知の深化と知の探索のトレードオフそのものである。川村氏自身も質疑の途中で「イノベーションのジレンマ的な考え方な気もする」と述べており、既存事業に対して新規事業は基本的にカウンターになるという構造を正しく把握している。本勉強会では「知の探索とコンピテンシー・トラップ」で同じ問題を扱っており、この回の質疑はその実装編にあたる。
川村氏の次の問いは「別々の事業を社内において並行させ、両立させようとした場合、二つの正当性が組織内に存在するという感覚か」というものだった。ここでマイキー氏が説明を引き取っている。
マイキー氏が挙げたのはシステム導入の例である。新しいシステムをいきなり全社にぶちかますと混乱を招く。だから、そのシステムがどの部署に最も適しているかを見極めてそこに入れ、圧倒的な数字を出した上で、そこからどんどん正当性を作っていく。ソフトウェアの世界では実際によく取られるやり方である。同じように、今まで正当性だったものではないもの、エッジの効いたものを社内に入れれば、必ず反発が起きる。そこで、その考え方に賛同できる優秀な人たちだけを集め、そこでパフォーマンスを出させて圧倒的な数値を示し、その方向線に誘導する。マイキー氏は、今までの会社の価値観からすればタブーとされていたものを治外法権のような形で与える、という表現を使い、これは実在するフレームワークだと述べた。
新しいものを、正しいという理由だけでいきなり全社に展開する。既存の正当性と正面衝突し、反発によって潰れる。マイキー氏の言葉では「混乱を招く」。
最適な一部署を選ぶ → 賛同できる優秀な人材だけを集める → 既存の価値観ではタブーだったことを治外法権的に許す → 圧倒的な数字を出す → その数字を根拠に正当性を作り、全社へ広げる。
川村氏はここで、経営者としての実感を率直に述べている。既存事業が伸びていくことが見えている中で知の探索を続けなければならないこと自体は理解できるが、新しい正当性を組織の中に入れたとき、いま自社が持っているカルチャーが崩れてしまうだろうという気がする。その辺りにカルチャーの段階論のようなものはあるのか、という問いである。
マイキー氏の回答は、経時のストーリーが大事だ、というものだった。今までやってきたことの延長線上に次があるのだと見せていくストーリーテリングが重要だとよく言われる。いまはこの段階で、いまはこういう正当性があるが、これはいずれ古くなるかもしれない。正当性というものはすでにアップデートされていくものであって、次はこうアップデートされた版がこの正当性になる――そこまでしっかりストーリーテリングした上で、徐々に変化させていく。これを社内から行うのと同時に、外部の知を少しずつ刷り込んでいき、正当性をアップデートする流れを構築することが重要だ、という整理である。
マイキー氏がこのパートで最も鋭く言い切ったのがここだった。「毎年毎年、会社の評価制度が一緒の時点で、正当性を固めちゃっている状態」である。正当性も合理性も時代背景によって変化しなければならない以上、それに応じて評価制度も変えていかなければならない。まず会社がその考え方を持っているかどうかが重要だ、という指摘である。評価制度を変えないこと自体が、制度理論の観点からは「変えない」という積極的な選択になっている。
川村氏が「そういう意味では、優位になる正当性は一つであるほうが望ましいということか」と確認したのに対し、マイキー氏は「一つでなくていい」と答えた。そこに慣れた正当性自体が制度に加わってくるという形を入れ込むことで、少しずつ変更させるよう促していけばよい、という回答である。
川村氏の次の問いは、より具体的な設例だった。フィルムカメラを作っていた会社が、知の探索によってデジタルカメラが必要だと判断する。一方で、フィルムカメラを作っていたテクノロジーを背景にヘルスケアにも進出できる。この二つの新しいことを両方とも別組織で立ち上げようとした場合、三つの異なる正当性が評価軸として生まれるのではないか。AからBに変わるだけではなく、Aに対してBもCも選択肢があるとき、これは経営者が事業に優先順位をつけて、寄せたい方向で正当性を徐々に変えていくという感覚なのか、という問いである。
マイキー氏の回答は、状況によって二通りあるというものだった。ひとつは最初からプランニングされている場合。Aという素材があり、まずは自動車に使えるが、電車にも自転車にも飛行機にも使える。全部いっぺんにやるとコストがかかるから、まず自動車からやり、次にBへ持っていく、という展開である。もうひとつが、途中で思いつく場合で、ここで挙げられたのが味の素だった。
マイキー氏の説明はこうである。味の素はもともと食い物にアミノ酸を使うというミッション・ビジョンで始まった。しかし食品だけでは、冷凍食品を含めても成長率が足りない。そこで、アミノ酸そのものを使って何か別のものに転用できないかを研究した結果、半導体のフィルム材料に使えることが分かり、いまこの分野で世界シェアの大半を握っている。マイキー氏は「99%」という数字を挙げた。ここで重要なのは正当性の話である。食品としての正当性は「どれだけ安全な食を作るか」「口に入れるものだから品質管理が重要だ」というものだった。半導体業界に行くには、その正当性のすべてを変化させなければならなかった。
マイキー氏が挙げた事例は、味の素ビルドアップフィルム(ABF)である。半導体パッケージ基板に使われる層間絶縁材料で、PC・サーバー向けの高性能CPU/GPU用としてほぼ100%に近い世界シェアを握っているとされる。2024年度の半導体素材事業の売上高は765億円、営業利益402億円で、営業利益率は約50%という水準である。AI向け半導体はサイズと構造の複雑さからPC用とは比較にならない量のABFを消費するため、この分野の伸びが業績に直結している。
マイキー氏の「シェア99%」という数字は、公開されている「ほぼ100%」という表現とほぼ整合しており、食い違いとは言えない。なお、文字起こしでは「不動産業界」と聞こえる箇所があるが、文脈から半導体業界の誤りと判断した。また現在、米スタートアップのThintronicsなどが同分野への参入を試みており、シェアが恒久的に保証されているわけではない点は補足しておく。
川村氏はさらに「大きい会社になるほど、部署ごとに大きな利益が出せる部署が出てくる。食品と半導体のように、それぞれに正当性が存在するという感じか」と確認した。マイキー氏は肯定したうえで、重要な但し書きを付けている。それらが同じミッション・ビジョンを向いていない場合、部署同士の仲が悪くなる。製造業と営業がひどく仲が悪い、というようなことが起きてくる、という指摘である。
別の参加者から、正当性を徐々にスライドさせるという話と、あるCEOが来て企業風土ごと変えてしまうような大変革、あるいは歴史的な革命との違いについて質問が出た。変革を起こす人たちは何を意識しているのか、という問いである。
マイキー氏はこれを会社の方向性の問題として答えた。全社を垂直統合して生産性の効率を作りたいのであれば、コングロマリット型の企業がよい。しかし評価額を上げたいのであれば話が変わる。前回の講義で扱ったコングロマリット・ディスカウントの研究が示すように、SK、LG、サムスン、GEといった企業が分社化して上場していくのは、自分たちの事業体が最大の評価を受けるためである。評価額・時価総額をどこまで持っていきたいかという目標があるからこそ、あえて分社化してコングロマリット・ディスカウントを解除する。逆に、いまやらなければならないのがコスト削減であるなら、垂直統合のままコングロマリット型の部署を多く抱える状態を作る。会社の方向性によって、どちらが正しいかは全く変わる、というのがマイキー氏の結論だった。
前田氏はここに、プロセスと仮説の話を重ねている。この種の議論はどうしても結果から見てしまうことが多いが、実際に重視されているのはプロセスをどう作るか、そして仮説をどう立てるかである。結果は誰にも分からないのだから、やった中でそれをどう再構成するかの連続になる。前田氏は最近こうした文脈でネガティブ・ケイパビリティが注目されていることに触れ、これは言ってしまえばプロセスメイキングの話だ、と述べた。
マイキー氏がこの回で最も熱を入れて語ったのが、カウンターブランディングという概念だった。エッジの効いた人がよく言われる考え方で、いま最も求められているのはこれではないか、という前置きから始まっている。マイキー氏の説明は日常的な比喩だった。今までいじめられっ子だった子がいじめっ子側に回る。今まで静かだったやつがすごくうるさくなる。正当性とはある意味その人に染みついているものであり、それがその人のブランディングになる。それを一気に破壊しに行くのがカウンターブランディングである。
マイキー氏の説明では、ドミノはずっと自分たちのピザが一番うまいと言い張っていたが、アメリカ国内では「このピザ自体がひどくまずい」「段ボールの味がする」と言われて問題になっていた。そこでドミノは、あえて広告で自分たちのピザはまずいと言った。結果として「自分たちの弱点を隠さずに認める誠実さがこの会社にはある」という評価が生まれ、逆に「段ボールくらいまずいピザなら食ってみようぜ」となり、食べてみたら意外とうまい、という状態になって売上が上がった。
マイキー氏の説明は概ね正確である。実際の経緯は、2009年に同社の売上が減少し株価も下落、顧客からクラストは「段ボール」、ソースは「ケチャップ」と評されていた。さらに同年、従業員が食品に不衛生な悪ふざけをする動画をYouTubeに投稿して炎上する事件も重なっている。ドミノは広告代理店 Crispin Porter + Bogusky と組み、2009年12月に「Pizza Turnaround」と題した4分間のコマーシャルを全米で放映した。
ただし一点、重要な補足がある。ドミノは「まずい」と認めただけではなく、同時にレシピを全面的に作り直している。クラストはガーリックとバターで再設計し、ソースはハーブとスパイスで組み直し、チーズの品質も引き上げた。そのうえで改良の全過程を顧客に見せた、という構造である。マイキー氏の説明では製品刷新への言及がなかったため、「認めるだけで売れた」と読めてしまう恐れがある。正当性の反転は、実体の変更を伴っていた。
従来のソフトウェア業界の正当性は、パッケージを買ってもらって自社のサーバーに入れるというものだった。高額なソフトを売り、管理費用で稼ぐのが大手の手法であり、マイクロソフトもそうしていた。そこにセールスフォースが「ノーモア・ソフトウェア」「ソフトウェアは死んだんだぜ」というキャンペーンを打ち始める。マイキー氏の説明では、実際に競合他社の目の前まで行って「今までこんな高いサーバーとか取り付け作業をやるんじゃねえよ」とデモ活動までやらせた。そのことで「あの会社はカウンターブランディングしたんだ」というイメージがつき、セールスフォース自体が成長していった。
マイキー氏の説明は事実に即している。マーク・ベニオフはマーケターのブルース・キャンベルを起用し、software の文字に赤い禁止マークを重ねた「No Software」ロゴを作らせた。社内には否定的メッセージへの懸念もあったが、ベニオフは従来型ソフトウェア企業との違いが明確に伝わるとして押し切っている。
競合の目の前でのデモについては、2000年2月22日、サンフランシスコで開催されたシーベル社のユーザーカンファレンス会場前で行われた。ベニオフは俳優を雇い、「The Cloud Must Go On」というプラカードを持たせ、「インターネットは本当に素晴らしい、ソフトウェアは時代遅れだ」と唱和させ、さらに架空の「Channel 22」というニュース局まで手配して取材させている。この仕込みが話題を呼び、本物の報道機関が取材に来る事態になった。マイキー氏は年代を明示しなかったが、1999年ではなく2000年2月である点を付記しておく。
マイキー氏の説明では、飲料水業界はそれまで「健康的である」「自然である」ことをアピールしてきた。その中でレッドブルは、カフェインが大量に入っていて子供には飲ませたくない不健康なものの代表格という扱いを受けていた。そこにレッドブルはエッジの効いた広告を打ち、「レッドブルはドーピング飲料水です」というようなことを言い始めた。夜更かしする人、夜通し遊ぶ生活をしていて次の日の体力がきつい人に向けて、不健康な人でもこれを飲めば大丈夫、ドーピングができますよ、という売り方をして流行った、という説明である。
レッドブルが「健康的な飲料」という業界の正当性の逆を突き、パーティードリンク/興奮剤/レイバーの「スマートドリンク」として位置づけられていったこと、ナイトクラブと極限スポーツを軸としたマーケティングによって危険や薬物的高揚とのイメージ的な結びつきが強化されたこと、ファンのあいだで「リキッド・コカイン」と呼ばれたことは、いずれも公開情報から確認できる。
ただし「レッドブル自身がドーピング飲料だと広告で言い始めた」という形の記述は、確認できなかった。報じられている同社の手法は、むしろ逆である。創業者ディートリッヒ・マテシッツが取ったのは「省略による噂(rumor by omission)」――タウリンが雄牛の睾丸由来だ、コカインが入っている、といった噂が流れても、絶対に必要な場合を除いて否定しないという戦略であり、公衆が空白を憶測で埋めることを意図的に放置した、とされる。つまり「自ら言った」のではなく「否定しなかった」。発言の論旨(業界の健康志向の正当性を反転させた)は妥当だが、その手段の記述は公開情報と一致しないため、書き換えずに食い違いとして残す。要確認
マイキー氏はこの三例をまとめて、今までの正当性をどうやって覆すかを考えた上で大きなブランディングをしていくこと自体に、面白い成功事例がいくつもある、と述べた。業界の常識が外れていくようなパフォーマンスをしない業界も中にはあるかもしれない、みんな怖くてできないというのはあるが、やってみなければ分からない、というのがこの話の締めくくりだった。
質疑の終盤で、前田氏がこの回で最も強い言い方をした。ある参加者が「新しい正当性」という言葉を使ったのに対し、前田氏は「新しいという考え方は、多分やめたほうがいいと思います」「すごく危険です」と応じている。
前田氏の論理はこうである。あくまでずらしていく。服を着ないという習慣を新しく作るのがどれほど大変か。それをやるくらいなら、徐々に着るものを減らしていくとか、一年中夏物に変えていくとか、そういうところでずらしていくしかない。一気に変える、新しくするという考え方はむしろ危険である。マイキー氏が言っていたように、今までのものがあって、それが「振り」になった上で、そこに飽きている人がいるという前提があるからこそカウンターが効く。だから、まったくもって既存のものから新しいものを作るというのは、確実に失敗する方法である。
一気に転換するのではなく、こういう可能性があって、ここは進めるが、ここは残るだろうということを踏まえた上で動く。そのために一番最初に来るのが探索である。リサーチをした上で、どういう状況があるのかを敏感に感じ取る能力が必要になる。前田氏はここでダイナミック・ケイパビリティに触れ、その最初に重要なのがサーチ(探索)だと述べた。これができなければ、おそらく正当性の変化にはつながらない、というのが前田氏の意見である。
ずらすことの実例として前田氏が挙げたのがEVだった。前田氏の見方では、EVは自動車ではなく走るスマホである。したがって電気自動車という概念、その言葉自体が間違っている。本来は自動車と競合するものではない。ところが「自動車と競合します」と言った時点で、自動車の買い替え需要のほうに進んでしまった。つまり新しいジャンルにしなかった。新しいジャンルにしないために感覚をずらしたわけで、これがリアリティ・ディストーションであり、ナラティブ、ストーリーテリングに行っている、という説明である。参加者が「表で見えているものと実際に進めているものが違っていて、その企業もそれをコントロールして意識してやっているのか」と確認したのに対し、前田氏は「かなり意識しています」と答えた。
「EVは自動車ではなく走るスマホである」は前田氏の見立てであり、業界の合意事項ではない。実際にはEVを従来の自動車の延長として設計する陣営と、ソフトウェア定義車両(SDV)として再設計する陣営が並存しており、どちらの読みが正しいかは市場で決着していない。ここでは前田氏の主張の構造――「新しいジャンルを立てず、既存カテゴリの内側に置くことで抵抗を下げた」という正当性操作の読解――に価値がある。
ある参加者が、新しい正当性を作ったとして他者が真似できないのか、模倣障壁を高くしたり相手のリソースを下げたりする設計を考えた上で進むのか、と質問した。マイキー氏は自身のマイキークラブとYouTubeの売り方を例に出している。マイキークラブに入ったからといってあなたは金持ちになれない、ビジネスで成功するかどうかは知ったことではない、という言い方は、業界の常識からすればめちゃくちゃである。これは、参加している北川氏が手がけている犬の事業に置き換えれば、「あなたの犬がどうなろうが関係ございません」と言って売っているのと同じだ、とマイキー氏は説明した。従来は、金を払う側が払われる側に依存し、結果を求めて頼るという構図だった。それを反転させている。
マイキー氏の回答で最も重要だったのがここである。これを真似できるかという問いに対し、前田氏が言っていたRDT(リソース・ディペンデンス・セオリー=資源依存理論)の部分が効いてくる、と述べた。リソースが深いからこそエッジの効いたことができるのであって、リソースがない人が同じことをやろうとしても、まず続かないし、叩かれて終わるだけである。カウンターブランディングは誰でも使える戦術ではなく、資源の裏付けを前提とする戦術だ、という限定がここで付されている。
マイキー氏の答えは明快だった。自分の会社でやったほうが、リブランディング/カウンターブランディングになる。別会社でやってしまうと、既存のブランドの「振り」を使えないため、反転そのものが起きない。今まであったもののプラスアルファに持っていく形にすべきだ、という回答である。
マイキー氏は「真似できないですね」と答えた上で、自身のマイキークラブとYouTubeの売り方を例に挙げた(PART 5 に詳述)。そして模倣障壁の本体はリソースの深さであり、資源依存理論の議論に接続すると述べている。リソースがない者が同じエッジを立てても、続かず、叩かれて終わる。なお質問者が、正当性だけでは定着せず、約束が分からないためクレームが殺到するのではないかと懸念を述べたのに対し、この点は明確な結論に至らないまま次の論点へ移っている。
マイキー氏はまずパン屋の比喩で答えた。新規を集め続けるパンを作るのか、固定客をサイクル化させるパンを作るのか、両方ありうる。掴んだ客を逃さないことが第一で、そうすれば新規がそれほどいらなくても売上は安定する。YouTubeの視聴者が多い人ほど常にリストだけを求める状態になっており、新しい客を集め続けなければならないという集客への囚われがビジネスモデルとして蔓延している。自分のやり方は集客に囚われていない、と述べている。
周りから見て怖いのはなぜか。第一に、サービスがひどいから人がやめる。第二に、内容が薄っぺらい。そしてYouTubeで全力投球している人は大体勝てない、というのがマイキー氏の見立てだった。自分はYouTubeで1割2割しか喋っておらず、残りの8割は講義やクラブのために保存している。だからこそ囲い込み戦略が成立する。そこまで設計した上でYouTubeと向き合っているかどうかが大事だ、という回答である。
マイキー氏は、YouTube発のオンラインスクールが大体やめられてしまう理由を挙げた。YouTubeと内容が大して変わらない状態になるからである。自分なら、YouTubeを集客ベースにしていないのだから一部の情報だけを流し、内部に来てくれた人にもっと情報を提供する。そうすれば誰もやめない。そこまで考えられていない、という指摘である。
さらにマイキー氏は、メディアで全力を出すこと自体がよく分からない、本当にリソースを持っている人はメディアで全力投球しない、と述べた。情報の質の中に全力投球してはいけない部分がある、海外の政府と仕事をしたNDA案件の内容をメディアで喋るわけがない、という例を挙げている。中身が空っぽの人が多いからそうなっているのであり、それを潰しに行こうとしてYouTubeをやっている、というのがマイキー氏の自己説明だった。技法としては、韓国ドラマのラスト5分のように、動画内でどうハイライトを作って次に繋ぐかが重要になる。15分ほど喋ったところで「じゃあもうやめよう」と止めており、実は全部の話を途中で止めている。ただし自分のYouTubeは、やめているように見えないように喋っている。「1本完結しましたよ」的な嘘をついているが、全然終わっていないし、こっちから本番というものが多い、と述べた。
マイキー氏は、そういうところに張ること自体がやはり怖いのだ、と認めたうえで、鮫島氏も方向を変えていっていいのではないかと勧めた。鮫島氏が「やっている内容がほとんど1店舗1話完結だ」と述べたのに対し、マイキー氏は、自分もYouTubeで経済や経営系の人たちと話すが大体その場で完結させることを強く考えている、しかし自分は最初からそれが合理的だとは思わなかった、と答えている。
マイキー氏は、鮫島氏ならできると励ましたうえで、コロナ禍でみんなが動かないときに店にアタックしまくった突撃レポートこそが強みだ、と指摘した。鮫島氏が「パートナーはそこを捨てようとする癖がある」と述べたのに対し、マイキー氏は「僕だったらそこは残しつつ徐々に転換していく」「それが鮫島さんのYouTubeの強いコア・コンピタンスだと思う」と答えている。ここでも結論は同じで、捨てて新しく作るのではなく、残しながらずらす、である。
前田氏がリアリティ・ディストーションの話をした直後、マイキー氏が「前田さんの前提で言うと、イーロン・マスクは確かにリアリティ・ディストーションだが、スティーブ・ジョブズは本当の嘘つきだった、ということが言えるのではないか」という皮肉を挟んでいる。そのうえでマイキー氏が重要だと述べたのが、リサーチをどこでするかである。たとえば「今後勝つやつは面白い人間だ」と言っても、周りで面白い人間が勝っていなかったり、周りに面白くない人しかいない場合、その結論には辿り着けない。その人のリサーチ幅が決定的になる。マイキー氏の整理では、実践しない人は、周りにそれで上手くいっている人が大していないか、リサーチの幅が狭いか、感情的にできないと決めつけているか、あるいは自分がかけたリサーチを否定したいか、この四つのパターンのどれかに当てはまる。