STUDY REPORT / 2026年4月度 勉強会

正当性の三類型と脱制度化――なぜ私たちは、見えない檻に入っていることに気づけないのか

講師:前田氏/主宰:マイキー氏 | 制度理論・第2回
EXECUTIVE SUMMARY

「自分で選んでいる」という感覚そのものが、制度の産物である

講義の出発点
人は見えない檻に
閉じ込められている
正当性の三類型
実用的/道徳的
/認知的
制度化のプロセス
外在化→客観化
→内面化
脱制度化の圧力
政治的・機能的
・社会的
危機の三段階
疑問 → 声 → 離脱
変革に必須のもの
ナラティブ
(物語)

制度理論の第2回は、前回の同質化(アイソモーフィズム)の議論から一段深いところ、つまり「そもそもなぜ人は制度に従ってしまうのか」という層に降りていった。講師の前田氏は冒頭で、この理論が抽象的にならざるを得ない理由を、理論の前提そのものから説明している。制度理論は、人間が見えない檻の中に閉じ込められており、しかもその檻を自力で抜け出すことはできない、という前提の上に組み立てられている。だから檻の外に出る話ではなく、檻の中で何が起きているかを理解する話になる。理解した者が有利になる、というのが前田氏の言い方だった。

この講義の核心は、自由意志の否定ではなく、自由意志の「決定要因」が先に押さえられているという指摘にある。私たちは自分で選んでいるように感じているが、選ぶ際の判断基準そのものが外側から与えられている。その判断基準を動かしている力を、制度理論は正当性(legitimacy)と呼ぶ。そして正当性は、目に見えず、気づかれないからこそ厄介であり、逆に言えば支配に使いやすい。

前田氏はこの正当性を三つに分けた。分かりやすい利益にもとづく実用的正当性、正しい行いという規範にもとづく道徳的正当性、そして「当たり前だから」という疑問すら生じない認知的正当性である。認知の層が深くなるほど気づきにくく、変えにくくなる。前田氏が繰り返し使った例が「寒いから服を着る」「服を着ないで外に出るのはおかしい」であり、人間は裸で生まれてくるにもかかわらず、服を着ないことが異常だと思わされている、という指摘だった。ここが最も深い層であり、ここを押さえた者が最も強い影響力を持つ。

後半は、その制度がどう壊れるかに移る。ロジックの競合、外部環境の変化(前田氏はAIとインターネットを例に挙げた)、正当性の摩耗によって制度は危機に入り、疑問が生まれ、声が上がり、離脱が始まる。しかし前田氏は、危機を否定的にだけ捉えなかった。制度の危機こそがイノベーションの起点であり、探索範囲を広げる契機であり、そこで初めて制度起業家が現れる、と整理している。カエサル、ナポレオン、イーロン・マスク、千利休。彼らは力で制度を変えたのではなく、先に起きていた制度の危機を敏感に感じ取り、ナラティブでそれを束ねた人物だ、というのがこの回の結論である。

セッションを貫く1本の線

制度は、外から強制されているのではなく、私たち自身が毎日それを再生産することで維持されている。だから制度を変えたい者は、ルールを書き換えるのではなく、人々が自分で自分に語っている物語(ナラティブ)を書き換えなければならない。正しさでは人は動かず、物語でしか動かない。

PART 0

韓国・BTS・台湾スタートアップ――講義前の雑談で出ていた「需要とポテンシャルの取り違え」

講義に入る前の約20分は、マイキー氏の渡航予定と近況で埋まっている。水曜から韓国に入り、金曜に戻れれば戻ってきて講義、土曜は小澤サミット、という日程の確認から始まった。宿の話では、以前ソウル市内のロッテホテルが1泊7,000円から1万円で泊まれたのに、いまは5万円台になっていて高すぎる、だから空港近くのパラダイスシティやハイアット系に2万円前後で泊まって市内までは迎えに来てもらう、という実務的な判断が語られている。ソウルでやることは東京と大して変わらない、というのがマイキー氏の評価だった。

そこからライブ興行の投資の話に移る。今回の韓国行きはライブ観覧と運用状況の確認が目的で、日本でのワールドツアー分の販売権には一部出資しているという。興行そのものは意外に元手がかからず数千万円規模だが、今回の利回りは半年で50%だった、とマイキー氏は述べている。参加者から「それはもう投資ではなく利権では」という反応が出たが、マイキー氏は通常は3か月で5%から10%程度であり今回が特別に大きかった、と補足した。最も伸びたのはガチャガチャで、1,000万円の投資に対してリターンが1.7億円、グッズ全体の売上は20億円規模に達したという。原価600円程度のペンライトが1万円台で売れ、生産が追いつかない、という話も出ている。

後半は台湾のスタートアップ支援の話になり、ここが講義の内容と直接つながっている。マイキー氏は翌日、台湾政府が推している20社ほどのスタートアップ向けに講演することになっており、創業メンバーにスタンフォードなど西側のトップ校出身者が並ぶことを事前に全社調べた上で臨むという。ただし彼らの相談内容は「どうやって日本に進出するか」であり、マイキー氏の答えは一貫して「やめとけ」だった。日本は何を入れるのも遅く、戦略変更ばかりで金と時間が消える。だったらシンガポール、韓国、タイ、マレーシア、香港を先に攻めてキャッシュを作り、日本は最後にしろ、という主張である。

需要はあるが、ポテンシャルはない

マイキー氏がこの文脈で繰り返した言葉が「需要とポテンシャルを間違えるな」だった。日本に需要があること自体は否定していない。しかし現在進行形のポテンシャルはほぼゼロであり、将来的なポテンシャルがあるかもしれないという話と、いま資金と時間を投下する判断は別だ、という切り分けである。これは本編の「正当性にはライフサイクルがある」という論点の先取りになっている。

関連して、台湾のインキュベーションセンターやスタートアップ連携のコミュニティ組織についても、運営陣を見た限り取りまとめている側の水準が低く、インキュベーションと名乗っていながら実態がインキュベーションになっていない、という厳しい評価が語られた。「やっとのエコシステムです」という運営側の発言が参加者のあいだで「伝説の名言」として共有されていたが、意味が分からなかった、というやり取りが挟まっている。マイキー氏の結論は、そこと繋ぐのではなく別の国から攻めることを勧める、というものだった。

📌 Claude補足:同日にはもう一つ別の勉強会がある

この日(2026年4月8日)には、本レポートが扱う「制度理論」の回とは別に「資源依存理論」の回が行われており、そちらは別の3本のレポートで扱っている。本編の質疑でも前田氏が「不確実性の話になってくると資源依存理論の話が出る」と述べており、両者は同じ問題を別の角度から見た理論として明確に接続されている。

PART 1

見えない檻という前提――制度理論はなぜ抽象的にならざるを得ないのか

前田氏はまず、制度理論に抽象的な概念が多い理由を、理論の前提から説明した。この理論は二つの前提の上に立っている。ひとつは、人は基本的に見えない檻に閉じ込められているということ。見えないので、どこに檻があるのかも分からない。もうひとつは、その檻から自力で抜け出すことはできないということである。前田氏は「強制的にこの中に入れさせられている」という言い方をした。

ここで重要なのは、理論の目的が「檻から出る方法を教えること」ではない点だ。前田氏の言葉を要約すれば、檻に入れられていること自体は変えられないが、その中で何が起きているのかを理解する方が優位に立てる、ということになる。この時点で、制度理論は解放の理論ではなく、認識の理論として提示されている。

次に前田氏は、自由意志について踏み込んだ。人は自分で意思決定しているように見えるが、その意思決定の判断基準を決めている要因のほうが、すでに完全にコントロールされている。では何がその決定要因を動かしているのか。それが正当性だ、という導入である。そして正当性は、こうして図解して説明すれば見えるように感じるが、日常の中では基本的に見えないし気づかない。見えず気づかないからこそ厄介であり、逆に言えば支配されやすい、と前田氏は述べた。

この講義で最も冷たい一文

「見えないし気づかないものだからこそ、ある意味非常に厄介なんですよ。ただ、逆に言うと支配されやすい」。前田氏はここで、正当性を善悪の問題としてではなく、統治の技術として扱っている。制度理論を学ぶ実利は、支配される側から支配の構造を見る側に移ることにある、という位置づけである。

📌 Claude補足:「檻」という比喩の二重の出自

制度理論の文脈で「檻」を語るとき、二つの系譜が重なっている。ひとつはマックス・ウェーバーの「鉄の檻(stahlhartes Gehäuse)」で、合理化の進行が人間を官僚制的秩序に閉じ込めるという議論。もうひとつはディマジオとパウエルが1983年の論文「The Iron Cage Revisited」でその比喩を制度的同型化の文脈に引き継いだもの。前田氏はこの回で「見えない檻」という表現を用いており、これは後述の質疑でウェーバーの鉄の檻と明示的に対比される。両者の関係はこの回の質疑の中心論点になった。

なお、本勉強会では2026年1月12日の回でウェーバー側から同じ問題(合理性と正当性のズレ)を扱っており、そちらは別レポートになっている。

PART 2

正当性の三類型――実用的・道徳的・認知的、そして認識の深さ

前田氏は正当性を三つに分類した。ひとつめが実用的正当性で、これは分かりやすい利益に支えられたもの。ふたつめが道徳的正当性で、正しい行いをする、倫理的であるという規範に支えられたもの。みっつめが認知的正当性で、これは前田氏の説明では「当たり前にやること」であり、そこに疑問を抱く人がいない領域を指す。寒かったら服を着る。そこに疑問を持つ人はいない。疑問を持たずに当たり前にやるということ自体が、すでに正当性に取り込まれている状態である。

類型何に支えられているか認識の深さと帰結
実用的分かりやすい利益。得か損か。認識の層が浅い。気づきやすく、したがって変えやすい。利益条件が変われば正当性も揺らぐ。
道徳的正しい行い、倫理的な振る舞い。中間層。規範として言語化されているぶん議論の対象になりうる。
認知的当たり前であること。疑問が生じないこと。認識の層が深い。気づきにくく、かつ変えにくい。ここに影響力を及ぼせる者が最も強い。

前田氏が強調したのは、実用的から認知的へと層が深くなるほど、正当性を強い力で動かせるようになるという点だった。逆に言えば、利益で説明できる正当性は利益条件が変われば崩れるが、「当たり前」の層に根を張った正当性は、そもそも議論の俎上に載らないため揺らぎにくい。

📌 Claude補足:この三分類の出典

この実用的(pragmatic)/道徳的(moral)/認知的(cognitive)という三分類は、マーク・C・サッチマンが1995年に Academy of Management Review 誌(第20巻)に発表した論文 "Managing Legitimacy: Strategic and Institutional Approaches" によるものである。サッチマンはそれぞれを、実用的=オーディエンスの自己利益にもとづくもの、道徳的=規範的な承認にもとづくもの、認知的=理解可能性と自明性(taken-for-grantedness)にもとづくものと定義しており、前田氏の説明は原典の定義とよく一致している。前田氏は講義中に出典名を挙げなかったが、内容に食い違いは見当たらない。

制度を維持しているのは、制度ではなく私たち自身である

次に前田氏は、制度が何によって維持されるのかを説明した。ここが講義で最も反転が効いている箇所である。制度は上から押し付けられて維持されているのではなく、私たち自身が勝手に、この制度を維持するような動きをしている。前田氏が挙げたのは、正当性・慣習化・再生産の連鎖だった。一度「これがいい」と思ったものを習慣にし、その習慣を数の力で再生産する。「いや、これが必要ですよ」「これをやるのは当たり前ですよ」「これをやらなかったらどうなるんですか」「人としておかしいですよね」――前田氏はこの発話の連鎖そのものを、正当性の維持装置として提示した。

ここでも例は服である。人間は服を着て生まれてくるわけではない。服は後から作られた概念である。にもかかわらず、いまや服を着ずに外に出ることのほうが「おかしい」と思わされている。前田氏の指摘は、正当性が生活の中に、自分たちで自ら強め維持する役割として必ず組み込まれている、というものだった。

外在化・客観化・内面化

制度化のプロセスとして前田氏が示したのが、外在化・客観化・内面化の三段階である。外在化は、一度それを慣習化すること、つまり普段の習慣にしていく段階。客観化は、それに対してルールを作る段階で、デファクトスタンダードや法律がこれにあたる。そして内面化は、ルールや習慣という形をとらなくても、やることがもう当たり前だと思ってやるようになる段階である。前田氏はここでも服の例に戻している。そして、この内面化が脅かされた時点で制度の危機が起きる、と接続した。

📌 Claude補足:外在化・客観化・内面化の出自

この三段階は、ピーター・バーガーとトーマス・ルックマンが1966年の『現実の社会的構成(The Social Construction of Reality)』で提示した externalization/objectivation/internalization の循環に由来する。制度理論がこの枠組みを取り込んだ経路としては、メイヤーとローワンの1977年論文、およびツッカーの一連の研究がよく参照される。前田氏は出典を明示しなかったが、三段階の内容と順序は原典に沿っている。

PART 3

制度の危機と脱制度化――何が「当たり前」を壊すのか

前田氏は、維持のステップのいずれかが崩壊すると制度の危機が訪れる、と述べた。制度の危機とは、制度自体に疑いが持たれ、「あれ、これはおかしいんじゃないか」という声が出始めること、つまり今まで当たり前だと思っていたものが当たり前ではないと言われ始めることである。

その原因として前田氏が挙げたのが三つある。第一にロジックの競合。服を着るという行為は、人に迷惑をかけない、恥ずかしいところを隠すという論理で正当化されているが、逆に服を着ることが失礼だという考え方や、そもそもなぜ隠すのかという考え方もありうる。どちらも相容れないため、どちらかの正当性が保てなくなるか、両方が崩れかけることもある。第二に外部環境の変化。前田氏がいま最も分かりやすい例として挙げたのがAIであり、インターネットが出てきた時も同じだったと述べている。もともと存在しなかった技術が急に現れることで、行動そのもの、常識そのものを変えざるを得なくなる。第三に正当性の摩耗。ずっと何かしらの違和感が積み重なってきて、それがある時に少しずつ崩れ始める気配を見せる、という経路である。

正当性には常にナラティブが必要である

前田氏がこのパートで最初にナラティブに言及したのがここだった。複数の常識、技術、環境、そして時代が変化していくと、正当性は時代についていけなくなり、説得力を失う。そのとき失われているのは論理ではなく物語である。「正当性には常にナラティブが必要なんですよ。そのナラティブが生きないような状況になってきた時に、正当性はみんなに疑念を抱かれて説得力がなくなる」。

脱制度化を引き起こす三つの圧力

今までの正当化が通じなくなることを、前田氏は脱制度化と呼び、そこに働く圧力を三つに整理した。

圧力前田氏の説明
政治的圧力権力と利益。最もイメージしやすい類型として最初に挙げられた。
機能的圧力これまで効果を上げていたものの効果がどんどん薄れていくこと。同じことをやっていても時代によって受け取られ方が変わる。前田氏の例は映画で、最初はすごく受けたものが今の時代では受けないことがあり、そうなれば映画の種類を変えていかなければならない。
社会的圧力現在の条件・現状と、これまで持っていた正当性とのあいだにズレが生じること。ズレが生じたときに皆が違和感を覚え、そのズレが拡大していくというメカニズムがある。
📌 Claude補足:この三圧力の出典と、順序の違い

脱制度化を政治的・機能的・社会的の三つの先行要因に整理したのは、クリスティン・オリヴァーが1992年に Organization Studies 誌(第13巻563〜588頁)に発表した論文 "The Antecedents of Deinstitutionalization" である。原典では social/functional(technical)/political の順で提示されており、政治的圧力の具体的条件として「業績危機の深刻化」「現状と利害や信念が対立するメンバーの発言力の増大」「革新的慣行の採用圧力の高まり」「従来の同調を強いてきた制度的構成員への依存度の低下」が挙げられている。前田氏は三つの圧力の内容を正しく説明しているが、政治的圧力を「権力と利益」とだけ要約した点は、原典の四条件より簡略化されている。補足

疑問 → 声 → 離脱、そして再構築

前田氏は制度の危機にもステップがあると述べた。最初は疑問を抱く段階で、みんなが「おかしいな」と思い始める。次に、おかしいと思った人が声をあげる段階。そして最後に、今まで当たり前だと思っていたものからの離脱が始まる。ここでも服の例が使われた。「なぜいつも服を着なきゃいけないんですか」「生まれてきた時もそうだし、動物を見ても服は着ていない、じゃあ服を脱いで動いてもいいじゃないか」という発想が出てくることも考えられる、と。

そして前田氏は、危機が起きればもう一度立て直そうとするステップも存在する、と続けた。正当性が低下すると認識が変化し、認識が変化すると行動が変化する。ここで重要なのは、人は既存の正当性を否定するのと同時に、新しい正当性を模索しているという点である。その結果、新しい正当性が古いものを置き換える。前田氏はこの置き換えを「再感(置き換えられる)」という言い方で表現した。ここで初めて正当性の変更が完了する。

制度の変革にナラティブが必要な理由

前田氏はここで再びナラティブに戻る。制度の変革には人の同意、心、行動、意識を変える必要があるが、言うだけ、説得するだけでは意識は変えられない。そこにストーリーがなければ人の意思はついてこない。「正しいかどうかじゃなくて、人を引きつけるストーリーを作れない限りは正当性は変更できない」。これがこの回で最も明快に述べられた実務的な結論である。

PART 4

制度の危機の意義と、制度起業家という存在

前田氏は、制度の危機には意義があると述べた。挙げられたのはイノベーション、制度ロジック、制度フィールドの三つである。危機は新しいものを生み出す起点になり、いま持っている考え方や合理性を転換するきっかけになり、さらに自分たちがどの範囲で動いていたかを再認識させる。ここで前田氏は以前扱ったネットワーク理論に触れ、ネットワークの範囲を再認識する意識が出てくると述べている。その結果、探索範囲を広げる、様式を変える、環境を変えるといった行動につながる。

そしてこの環境が整って初めて制度起業家が現れる、というのが一般的な流れだと前田氏は説明した。ここでの「起業家」は会社を作る人という意味ではなく、制度の変更を行う人を指す。挙げられた例はカエサル、ナポレオン、そして現代のイーロン・マスク。日本人では千利休だった。彼らは概念そのものを変革しようとした人物である。

制度起業家は制度を壊したのではなく、すでに起きていた危機に乗った

前田氏が最も注意を促したのがここである。こうした人物は、急に現れたり何らかの力を使って制度を変えたのではなく、そもそもその前に制度の危機が起こっている。危機が起こっているからこそ、それを敏感に感じ取り、うまくナラティブを使うことができた。つまり順序は「英雄が制度を壊す」ではなく「制度が壊れかけているところに、それを言語化できる人物が現れる」である。

リアリティ・ディストーションと、アウグストゥスの言い換え

前田氏はイーロン・マスクのナラティブをリアリティ・ディストーション(現実歪曲)と呼んだ。正しいことではないけれども、正しいように聞かせる技術である。そして、歴史上これを最もうまく使ったのは自分の認識ではアウグストゥスだ、と述べた。カエサルが殺されたという認識があったため、皇帝という言葉を使わず「プリンキパトゥス(第一の市民)」という言い方をした。やっていることは皇帝と同じだが、言葉を変えることで自分に向かう危機を回避した、という説明である。

📌 Claude補足:アウグストゥスの「第一の市民」

アウグストゥスが王(rex)という称号を拒み、princeps(第一の市民、元老院の第一人者=princeps senatus、国家の第一人者=princeps civitatis)を名乗ったこと、そしてそれによって共和政の体裁を保ちながら君主政の実質を確立したことは、史実として確認できる。この統治形態はプリンキパトゥス(元首政)と呼ばれ、紀元前27年のアウグストゥスの統治開始から3世紀後半まで続いたとされる。前田氏の説明は史実と整合している。なお「皇帝」に相当する imperator は当時軍事的称号であり、後世に君主号として定着したもので、称号回避という前田氏の論旨を損なわない。

環境要因の必須性と、正当性のライフサイクル

前田氏はこのパートの締めくくりとして、二点を提示した。第一に、制度の変革には必ず環境要因が必要である。文献によっては必須ではないとする立場もあるが、その場合の状況はかなり限定的であり、基本的には環境要因が必須と考えたほうが適切だ、という自身の見解を明示している。第二に、制度と正当性には必ずライフサイクルが存在する。つまり永遠のものではない。ライフサイクルがあるという前提でものを見ると、捉え方が変わってくるだろう、というのが講義本編の結びだった。

講師の見解として明示された部分

「制度の変革には環境要因が必須」という命題について、前田氏自身が「必須ではないという言い方をしているものもある」と留保を付けたうえで、自分は必須と考えるほうが適切だと述べている。つまりこれは学界の定説ではなく、前田氏の立場の表明である。制度起業家研究の中には、行為主体(エージェンシー)の側に変革の起点を置く立場も存在するため、この点は対立する見方が併存する論点として読むのが妥当である。

Q&A

質疑応答──ウェーバーの「鉄の檻」と制度理論の「見えない檻」はどちらが抜けにくいか

Q1. 今日の制度理論では正当性から生まれる檻という話だったが、これまでの合理性の講義、マックス・ウェーバーのほうにも「鉄の檻」が出てくる。どちらの檻に入った場合のほうが、そこから抜け出すのが難しいと思うか。

前田氏の回答は「ある意味どちらも難しい」だった。ウェーバーの鉄の檻は、合理性がどんどん繰り返されるうちに勝手に正当化に変わっていくステージとしてイメージするとよい、という整理である。最初は合理的だという理由でシステムが作られる。ところが時間が経つと「前の人がやっていた」「前の人がいいと言っていたから、これをやりましょう」という圧力に変質し、時代とともに変化に対応できなくなる。前田氏はここで戸籍制度を例に挙げ、質問者が「前例主義的な感じですね」と応じている。

さらに前田氏は、日本がマイナンバーを取り入れられなかった要因のひとつがここにある、と述べた。日本の制度は他国に比べて比較的安定して作られていたため「これでいいじゃん、マイナンバーをやって何の意味があるんだ」という意識が生まれ、結果的にソーシャルナンバーの導入が非常に遅れた。逆に中国やインドは積極的に取り組み、精緻な管理システムを作った上で、今度はそれをどう輸出するかという段階まで来ている、という対比である。結論として前田氏は、合理性の檻と正当性の檻はバラバラに存在するというより、両方が一体化したときに檻になると捉えるほうが適切だ、と答えた。

Q2(同じ質問者の追加). 根っこは似ているということか。自分の理解では、正当性からの檻はより感情的な形で、合理性のほうは理性で作られていく。だとすれば、感情やナラティブに託して変えるのは正当性のほうがやりやすく、官僚的な形になって本人たちが正しいと思っている合理性のほうが壊しにくいのではないか。

前田氏はここで質問者と逆の見立てを示した。合理性のほうがおそらく見えやすく、正当性のほうが見えにくい。したがって実質的には正当性のほうが壊しにくいのではないか、という回答である。見えないものは議論の対象にすらならない、という PART 1 の論点がここで効いている。

Q3(同じ質問者の追加). 前回マイキー氏の話にあったインスティテューショナル・ディスラプションの議論も見たが、ベースになっているのはダイナミック・ケイパビリティで、どうやって変革を起こすかという話に見えた。感知(sensing)というよりトランスフォーミング寄りの論調に見えたが。

前田氏はこれを肯定し、どちらも硬直化が起きるため、批判的精神や外の視野を入れないといけないという点で共通する、と応じた。そしてバランスを取り続けなければならないこと、さらに人も組織も不確実性を嫌うという面があることを指摘し、不確実性の問題に踏み込むと資源依存理論の話になる、と述べている。質問者の「お互い関係し合っているということか」という確認に対し、前田氏は「関係し合っていると思う。双方にあるのは間違いない」と答え、両方の面から見ていくという形でこのやり取りは閉じられた。

この質疑が示していること

この一連のやり取りは、この回の講義を一段引き上げている。前田氏の立場は「合理性の檻(ウェーバー)と正当性の檻(制度理論)は別々の檻ではなく、一体化して一つの檻になる」であり、かつ「見えにくいぶん正当性のほうが壊しにくい」というものだった。質問者は逆に「正しいと信じられている合理性のほうが壊しにくい」と見ており、両者の見立ては最後まで完全には一致していない。どちらが正しいかは決着していないため、対立する見方として併記しておく価値がある。

この後の質疑は、正当性を組織の中でどう更新していくかという実務の議論に移っていく。そのやり取りは別レポート「正当性はずらして変える」で扱っている。

HOMEWORK

宿題・アクションアイテム

  1. 自分の会社で「当たり前すぎて誰も理由を説明できないルール」を三つ書き出し、それぞれが実用的・道徳的・認知的のどの層の正当性で支えられているかを判定する。認知的の層にあるものが、最も変えにくく、最も価値のある論点になる。
  2. 自社の制度のうち、外在化(慣習)・客観化(ルール化)・内面化(無意識化)のどの段階で止まっているものがあるかを棚卸しする。ルールはあるのに誰も守っていないものは客観化で止まっており、内面化に失敗している。
  3. 直近3年で自社に効かなくなってきた施策を一つ挙げ、それが政治的・機能的・社会的のどの圧力による脱制度化なのかを特定する。機能的圧力(効果の逓減)だけの場合と、社会的圧力(世の中とのズレ)が混ざっている場合とでは、打ち手がまったく変わる。
  4. 自社が外部に語っているナラティブを一文で書き出し、それが2026年時点でまだ説得力を持っているか、社外の人間に読ませて確かめる。
  5. ウェーバーの鉄の檻と制度理論の見えない檻について、前田氏の見立て(一体化する/正当性のほうが壊しにくい)と質問者の見立て(合理性のほうが壊しにくい)のどちらに近いか、自分の組織の実例で検証する。
GLOSSARY

この回に出た概念

正当性(legitimacy)
ある行為や組織が、社会的に望ましい・適切だと受け取られている状態。本人には見えず、気づかれない。前田氏はこれを意思決定の決定要因を動かす力と位置づけた。
実用的/道徳的/認知的正当性
サッチマン(1995)による三分類。それぞれ利益、規範、自明性に支えられる。認知的が最も深く、最も変えにくい。
外在化・客観化・内面化
バーガー&ルックマン(1966)に由来する制度化の三段階。慣習化 → ルール化 → 無意識化。内面化が脅かされた時点で制度の危機が起きる。
制度の危機
当たり前だと思われていたものが当たり前ではないと言われ始める状態。ロジックの競合、外部環境の変化、正当性の摩耗によって生じる。
脱制度化(deinstitutionalization)
既存の正当化が通用しなくなる過程。オリヴァー(1992)は政治的・機能的・社会的の三圧力を先行要因とした。
制度起業家
会社を作る人ではなく、制度そのものを変更する人。前田氏の例はカエサル、ナポレオン、イーロン・マスク、千利休。すでに起きている危機に乗る存在であって、危機を単独で作る存在ではない。
ナラティブ
正当性を支える物語。正しさでは人は動かないため、変革には人を引きつけるストーリーが不可欠だとされた。
リアリティ・ディストーション
現実歪曲。正しいことではないが正しいように聞かせる技術。前田氏はイーロン・マスクとアウグストゥスを例に挙げた。
鉄の檻
ウェーバー由来の比喩で、合理化の反復が正当化に転じ、変化に対応できなくなる状態。前田氏の例は戸籍制度とマイナンバー導入の遅れ。
正当性のライフサイクル
制度も正当性も永続しないという前提。前田氏は、ライフサイクルがあるという視点で見るだけで捉え方が変わる、と述べた。