企業進化理論の第一の柱「ルーティンと暗黙知」を、ジョナサン・アイブとオーケストラという二つの題材から読み解いた回の記録。
この回の講義は、きわめてシンプルな観察から始まっている。ほぼ同じ規模の資産を持ち、ほぼ同じ能力の人材を抱えた二つの組織が、まったく違う結果を出すことがある。新古典派的な発想であれば、同じ入力には同じ出力が対応するはずで、この差は説明できない。講師はこの説明できない差こそが企業進化理論の出発点であり、その差を生んでいるのがルーティンと暗黙知だと述べた。
説明のために持ち出された事例が、Appleのデザイナーだったジョナサン・アイブである。iMac、iPod、iPhoneといった製品のデザインを手がけた人物が、Appleを離れて自分のデザイン会社を設立したあと、同じ水準の革新的なデザインを生み出せなくなった。個人のデザイン能力が落ちたわけではない。では何が失われたのか。講師はここに、組織の側にしか存在しない知識があったのではないかという問いを立てた。
その問いを解く道具として使われたのがオーケストラの比喩である。楽器が上手な人を集めただけでは、オーケストラの演奏の質は上がらない。全体で繰り返し練習するプロセスを経なければ、全体としての能力は引き上がらない。そしてその練習を通じて身につく「全体に必要な何か」は、教科書には書けない。同じ指揮者が同じ指示を出し、同じタイミングで振っても、ベルリン・フィルとウィーン・フィルでは音が変わる。楽団ごとの固有の色は、長い演奏の積み重ねのなかで自然に形成されてしまう。この「自然に形成されてしまったもの」が暗黙知であり、それを形成する反復行動がルーティンだという整理である。
後半の議論はさらに一段抽象度が上がった。参加者の一人が、なぜアイブがAppleの外で失敗したのかを、ハーバート・サイモンの限定合理性という概念から説明し直した。自分たちの判断能力には限界があり、正しい答えには到達できない——この前提を共有できている集団だけが、ルーティンを受け入れて足並みを揃えられる。逆に、能力が高く「自分は適応できる」と信じている人間を集めると、マウントの取り合いになって崩壊する。講師はこの解釈に全面的に同意し、優秀であることと優れたものを生み出せることは別だと結論づけた。
能力は個人に宿るが、成果は組織に宿る。そして組織に宿ったものは、言語化した瞬間に抜け落ち、外へ持ち出すこともできない。だからこそ真似されず、だからこそ変えられない。この回の議論は、暗黙知の「強み」と「呪い」がまったく同じ性質の裏表であることを、繰り返し別の角度から確認する作業だった。
講義の入口に置かれた問いは、理論の教科書的な紹介ではなく、観察から立てられたものだった。同じ組織形態、同じくらいの資産、同じくらいの能力を持った集団であっても、結果がまったく違うことがある。この原因をきちんと考えてみましょう、というのが講師の提示した課題である。
その反例として選ばれたのがジョナサン・アイブだった。講師の説明によれば、彼はAppleのデザイナーとしてiMac、iPod、iPhoneといった製品の「Appleらしいデザイン」を生み出した人物であり、技術的に発明したというよりは、UIと佇まいの水準を定義した存在である。講師は、Appleの前半にもっとも貢献したのがスティーブ・ウォズニアックだとすれば、ジョブズと組んだ後半にもっとも貢献したのはこの人物だと言えるほどだ、という言い方をした。
ところが、その彼が自分のデザイン会社を設立したあと、影響力はむしろ低下した。Appleと組んで提供し続けたデザインについてはともかく、それ以外の領域で、Appleにいた頃と同じ水準のものは生み出せなかった。講師はここで立ち止まる。デザイン能力が高いのなら、どこへ行っても良いデザインを生み出せるはずではないか。にもかかわらずそうならなかった。その鍵がルーティンと暗黙知に眠っているのではないか、というのがこの回の見立てである。
ジョナサン・アイブは約30年在籍したAppleを2019年6月に退社し、同年に自身のクリエイティブ集団LoveFromを設立した。Appleは当初LoveFromの最初のクライアントだったが、この関係は2022年7月に終了している。LoveFromはその後、Airbnb、フェラーリ、モンクレールなどを顧客に持つ。彼がAppleで手がけた主要製品は初代iMac(1998年)、iPod(2001年)、iPhone(2007年)、iPad(2010年)、Apple Watch(2015年)。
なお、セッションでは「Appleを離れてから革新的なデザインを生み出せなくなった」という評価が前提として語られたが、これは公開データで検証できる種類の命題ではなく、講師の評価である点は区別して読む必要がある。
講師はルーティンを定義するのに、楽器の初心者から話を始めた。初心者は、まず自分一人で練習して曲が吹けるようにならなければ、他人と合奏できない。練習を繰り返して能力と知識とコツを手に入れ、ようやく合奏の入口に立つ。ここまでは個人の話である。
問題はその先だった。個人が上達すればオーケストラの演奏能力も上がるのか。うまい人だけを集めればオーケストラの質は高くなるのか。講師の答えは明確に否である。個人の能力が一定水準以上あることは前提条件だが、その上で全体として繰り返し練習しない限り、オーケストラ自体の質は良くならない。そして全体で反復したときにだけ、全体に必要な能力が必然的に身につく。
ここから導かれるのが、この回の中心的な定義である。ルーティンとは単に日々同じことを繰り返すことではない。必要な能力を身につけるための行動パターンであり、必要な能力が身につかないものはルーティンでも何でもない。講師は後半で、これをもっと短く「改善のための習慣」と言い換えた。
この反復を通じて得られるものが、個人ではなく組織としての知識である。そしてその組織的学習を強固に裏付けるのが組織の歴史だと講師は述べた。ルーティンには創業期・成長期・成熟期といった段階ごとの違いもあるが、この回はそこには立ち入らず、歴史による蓄積が裏付けになるという点だけを押さえた。歴史が浅いからやらなくていいという話ではなく、蓄積していくことで強固にしていく必要がある、という整理である。
あわせて講師は、経路依存性(パス・ディペンデンシー)が必要になる部分もあると触れたが、この回では深入りしなかった。そして最後に釘を刺している。組織だけが良くなればいいのではない。個人も磨かれなければならず、その上で全体として学ぶ場所が必要だ、と。
「学習するための行動パターン」。したがって、ただやればいいというものではない。行動が反復されていても、そこから組織的な知識が積み上がっていないなら、それはルーティンと呼ぶに値しない。
次に講師は暗黙知に移った。導入はふたたびオーケストラである。同じ指揮者が、ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、ニューヨーク・フィル、フィルハーモニアをそれぞれ指揮する。指示する内容も、振り方も、タイミングも同じだ。それでも音は変わる。楽団自身に固有のカラーが存在しているからであり、それは長く演奏を重ねるなかで自然と生み出されてしまったものだ、と講師は説明した。
暗黙知の第一の特徴は、言語化できないことである。トランペットの吹き方は本に書いてあるが、それを読んですぐ吹けるわけではない。体で経験しなければできない。さらに厄介なのは、言語化できるようになった瞬間に何かが抜け落ちてしまうという性質だ。したがって暗黙知は、その場にいなければ学べない知識であり、経験でしか学べない。その組織でしか育たない知識だからこそ、それは組織的記憶になる。
そのうえで講師は、暗黙知が持つ三つの困難を挙げた。ここがこの回の骨格である。
| 性質 | 意味 | 組織にとっての帰結 |
|---|---|---|
| 模倣困難 | 他社が真似できない | 持続的な競争優位の源泉になる |
| 移転困難 | 他の場所で同じことをやろうとしてもできない | 買収しても自社でうまく使えず、シナジーが生まれない。M&A失敗の一因 |
| 変更困難 | 一度できあがったものを単純には変えられない | 構造的慣性。組織は宿命的に変わりにくい |
この三つは別々の欠点ではなく、同じ性質から出てくる三つの顔である。真似できないから強いのであり、真似できないからこそ持ち出せず、持ち出せないからこそ変えられない。講師はここで、変更困難が組織エコロジー論でいう構造的慣性につながると補足した。
買収した側は相手の暗黙知を資産として買ったつもりでいるが、暗黙知は移転困難である以上、買収によって手に入るとは限らない。講師はこの点を、シナジーがうまく生み出せずM&Aが失敗する一つの説明として示した。
ここで講師は、ルーティンを個人と組織の二つの側面に分けて整理した。個人の側面では、一つのことを徹底的に突き詰めて自分の暗黙知を深めていく。講師はこれをトランザクティブ・メモリー・システム(TMS)を磨くようなものだと表現した。組織の側面では、暗黙知の共同化、すなわち暗黙知どうしを互いにシェアし、教え合い、伝え合う作業が必要になる。SECIモデルにおける知の交換パターンのうち、暗黙知から暗黙知への移転にあたる部分である。
この二つが揃っていることが、ルーティンが成立する条件ではないか——講師はこれを、テキストにそう書いてあるわけではなく自分の理解だと明示したうえで提示した。そしてこの二つが揃ってはじめて、言語化できない種類の組織の記憶が磨かれていく。
ここまでの道具立てを持って、講義はジョナサン・アイブの事例に戻る。Appleで革新的なデザインが生まれたのは、Appleという企業のなかに蓄積されたルーティンと暗黙知の結晶があったからだ、というのが講師の説明である。アイブが優れたデザイナーであることを否定する人はいない。しかし彼一人の力でできたわけでもない。
アイブが指揮者だとすれば、Appleは既に高い水準で機能していたオーケストラだった。彼がデザイン力を発揮する場所としてきわめて優れていた、というのが講師の見立てである。
ゼロから作った会社はまだオーケストラとして機能を果たしていない。優秀な指揮者がいても、ダメなオーケストラでは力は発揮できない。加えて、複数のクライアントを抱えれば一社ごとに入り込んで練習を重ねる時間がなくなる。
講師はここから、個人が優秀であることは必要条件だが十分条件ではない、と結論づけた。同じ条件であっても、学習のスタイルと積み上げられた知のスタイルによって結果は変わってしまう。そして講義の締めくくりとして、個人でも組織でも、学ばないものは進化しない、と述べた。あわせて、デジタルよりアナログが重要だという普段の主張の理論的背景としても、この枠組みは読めるのではないかと付け加えている。
SECIモデルは野中郁次郎らによる知識創造理論の枠組みで、共同化(Socialization)・表出化(Externalization)・連結化(Combination)・内面化(Internalization)の四つの変換からなる。講師が言及した「暗黙知どうしの交換」は最初の共同化にあたる。トランザクティブ・メモリー・システムは、組織のメンバーが「誰が何を知っているか」を共有している状態を指す概念で、組織全員が同じ知識を持つことではなく、知識の所在の地図を共有することを重視する点に特徴がある。
なお講師自身が「こういう書き方をしているわけではないが、これは私の理解です」と断っている通り、TMSとSECIをルーティンの必須条件として並置する整理は、テキストの記述ではなく講師の再構成である。
質疑の後半で、参加者の一人(渡辺氏)が講義全体を別の角度から再整理した。この回でもっとも抽象度の高い議論であり、講師が「全くそこには同意というしかない」と応じた部分でもある。
その整理はこうだった。今日の講義を貫く共通のテーマは、ハーバート・サイモンの限定合理性である。ここで言われているのは、人間は必ずしも合理的な判断をしない、という点にとどまらない。自分たちの持っているものが歴史のなかで、あるいは市場において選択される——その前提自体を、この理論の担い手たちは捨てている、というのである。
もし私たちが、企業価値を最大化できる行動や市場から選択される行動を自力で取りうると信じているなら、各人の向く方向はばらばらになる。しかし実際には適当な答えを誰も持っていない。だからこそ、最小限のところから、ルーティンというものを通じてどうやって足並みを揃え、企業の方向性を作るかという話になる。それが可能なのは、自分たちの能力が限定されていて正しいことに行き着かない、という認識を全員が共有しているからだ、という論理である。
仮にジョナサン・アイブが一流の演奏家を全員集めたとしても、うまくいかなかったはずだ——なぜなら、そこに限定合理性に対する手当てがあったかどうかが問題だからである。指揮者であるという理由だけで演奏者が合わせるという、自分の限定合理性をいったん手放した適応が必要になる。それを共有できるのが「仲間」であり、逆に優秀な人たちは自分は適応できると思っているので、マウントの取り合いになって崩壊する。(参加者の解釈として提示され、講師が全面的に同意した)
この解釈に対して講師は、これがもっとも良い例だと思う、優秀だから素晴らしいものを生み出せるわけではない、重要なのはアジャストする能力だ、と応じた。組織にはその追求が必要だ、というのがこのパートの着地である。
ハーバート・サイモンは1978年に「経済組織における意思決定過程の先駆的研究」でノーベル経済学賞を受賞した。限定合理性の核心は、選択肢の情報を得るにはコストがかかり、多くの決定の帰結はそもそも知りえないため、人は効用を最大化するのではなく「満足化(satisfice)」する、という点にある。
セッション中では「ハーバート・サイモンとジェームズ・マーチの行動経済学」という言い方がされたが、より正確にはカーネギー学派(Carnegie School)の系譜で、代表的著作はリチャード・サイアートとジェームズ・マーチの『企業の行動理論(A Behavioral Theory of the Firm)』1963年。企業を、利害の異なる managers・従業員・株主らの政治的連合として捉える立場である。この流れをさらに進化論的に展開したのがリチャード・ネルソンとシドニー・ウィンターであり、セッションでもその接続が語られた。
Q. なぜジョナサン・アイブはAppleで成功し、外で失敗したのか。それは組織における限定合理性の共有の違いではないか。(渡辺氏)
A. 講師は全面的に同意。もっとも良い例であり、優秀だから素晴らしいものを生み出せるわけではない。重要なのはアジャストする能力であり、組織はそこを追求する必要がある。
Q. このルーティンの話は、結局『論語』が言っていることと同じではないか。組織として、個人としてどう学び、学んだものをどう活かすかを具体化したものが論語ではないか。
A. 渡辺氏は「おっしゃる通りのところはある」と応じた。論語は答えを出さない。過去において聖人が何を行ったか、どのような家族・社会・儀礼を営めと言ったか、それをやることでとりあえず失敗しなかった、という形で習慣を大事にせよと説いた。当時いた諸集団のなかで、論語の集団はルーティンによって優位のある組織を作ろうとした集団だと言えるなら、類似性はあるだろう、という整理である。
Q. 結局これは、続けることの重要性と、疑問を持つことの重要性と、何を学習と定義するかを決めるところから始めなければならないという話ではないか。
A. 渡辺氏は同意し、だからこそ自然に対しては敬意を払い、自分たちが到達できない知識であるとまず言うのだ、と応じた。到達できない知識に対してどう合わせられるかしかない、という姿勢が、暗黙知の議論と結びつくという説明である。
Q. マイケル・ポランニーの暗黙知の定義との関係は。
A. 渡辺氏は、ポランニーが近位項と遠位項を分けた点を挙げた。目的そのものに直接到達できなくても、自分たちが触れられる近位項をどう変えていくかによって、目的に対して前進できる。その信頼性が集団のなかにあり、それを暗黙知と呼ぶ、という説明である。能力がある人ほど目的へのリーチを急いでしまい、最初のステップを軽んじ、ダイナミズムを止めてしまうという指摘も添えられた。
マイケル・ポランニーの暗黙知論では、知は「from-to」の構造を持つとされる。手がかりや道具など、依拠しているが直接は注意を向けていない細目が近位項(proximal term)、注意を向けている包括的な意味や対象が遠位項(distal term)である。セッションの音声では「ディジタル」と聞こえる箇所があるが、文脈から distal(遠位項)を指していると判断した。ポランニーの中心的な指摘は、細目そのものに注意を移すと意味が壊れるという点で、タイピング中に個々の指の動きに注意を向けると流暢に打てなくなる、という例で説明される。これは講師が述べた「言語化できるようになった瞬間に抜け落ちる」という性質と対応している。