前田氏は、SECIモデルを「組織が新たな知識を生み出すメカニズム」として紹介したうえで、まず参加者に違和感を持てるかを問うた。知識は本来、獲得するもの、すでにあるものと考えられている。それを「生み出す」と書いていることに引っかからなければ、SECIモデルは理解できない。普段使わない言葉の使い方には理由があり、そこを一つずつ丁寧に見ないとモデルが何を言っているのか分からない、というのが講義の出発点である。
講義の中心は、形式知と暗黙知の役割の違いである。同じハンバーグのレシピを使っても、素人とプロでは同じ料理にならない。レシピは記録・共有できる形式知だが、実際に作れるかどうかは経験や感覚という暗黙知に依存する。何かを実行するときには、この二つが知らない間にセットで働いている。
そのうえで前田氏は、共同化・表出化・連結化・内面化の4段階を料理の例で一周させ、なぜ暗黙知から始まるのか、なぜ「明示知」ではなく「形式知」という訳語なのかを問いかけた。マイキー氏は、形式知の由来がポランニーの暗黙知に対する野中氏の「型(フォーマット)に入れる」というこだわりにあると補足し、図は大ざっぱで、実際には静的情報と動的情報が常に混ざりながら暗黙知と形式知が同時に生まれていると述べた。
後半は、野中氏らの『失敗の本質』に話が移った。マイキー氏と中川氏は、成功体験への過剰適応が学習を止め、技術がマニュアル化されずに熟練者とともに失われた日本軍の構造が、戦後の日本企業にもそのまま残っていると指摘した。
形式知は共有でき、暗黙知は実行できる。どちらか一方では物事は実現しない。二つを往復させる仕組みを止めた組織は、成功体験に適応しすぎて学習を失う。日本軍の敗北も、今の日本企業の停滞も、同じ構造で説明できる。
前田氏はSECIモデルの前提として、これが組織に関する理論であり、組織において新たな知識を生み出すメカニズムを解説したもの、すなわち知識創造理論であることを確認した。原典のタイトルも「知識創造企業」となっている。
ここで前田氏は参加者に問いかけた。知識とは生み出すものなのか。獲得するもの、あるものではないのか。ここに違和感を感じないならSECIモデルは理解できない、と前田氏は言う。SECIモデルには本来違和感を感じるべき箇所が多くあるのに、普段使わない言葉の使い方をしていることを多くの人が見過ごしている。わざわざ普段と違う使い方をしているところに理由がある、というのが前田氏の読み方である。
前田氏はハンバーグのレシピを例にした。全員が同じレシピを共有し、材料も手順も同じにして作ったとき、素人とプロで同じものができるか。参加者の答えは「できない」だった。前田氏によれば、物を生み出すプロセスには、記録し伝達していくことと、検証し実践していくことの二つがあり、理論と実践に分かれる。理論があっても実践できるとは限らず、経験が多くても理論がなければ幅が広がらない。両方をバランスよく持つ必要があり、そのために知識を二種類に分けて考えると理解しやすい。
| 区分 | 形式知 | 暗黙知 |
|---|---|---|
| 性質 | 記録できる。文章・絵・イラスト・映像など、他人に伝わる形なら何でもよい | 記録が難しい。経験・感覚・技術として個人に蓄積される |
| 共有のしやすさ | 高い | 低い。名人のそばで長年かけて身につける |
| 理解度・実践力 | 低い。記録を読んでも実行できるとは限らない | 高い |
| 料理の例 | レシピ(こねる・形を作る・焼くの工程と時間) | こね加減・焼き加減の感覚 |
| 個人差 | 小さい | 非常に大きい |
前田氏は、参加者に「共有しやすいのはどちらか」「理解度・実践能力が高いのはどちらか」を順に問い、前者が形式知、後者が暗黙知であることを確認した。形式知は、これまでこうしてきたという記録であって、それを実行したからといってちゃんと実行できることを保証するものではない。何かを実行するときには、形式知と暗黙知が知らない間にセットで動いており、両方がなければできない。
新しいメニューを作ろうとするときは、なじみのない料理も含めていろいろなレシピを見て、自分の中で使えるかどうかを落とし込んで研究する。レシピから研究に進むこの工程が、形式知から暗黙知への移行に当たる、と前田氏は説明した。
前田氏は4段階を次のように説明した。共同化は、専門家やノウハウを持つ人から直接教わって身につけることである。ハンバーグの美味しい店のシェフにコツを教わる段階に当たる。ただ見ているだけでは実践できないので、感覚をある程度身につけなければならない。
表出化は、教わったものを再現しやすいよう記録に残すことで、料理ならレシピにすることである。実践できるようになったら、それを再現性高く安定させたくなる。連結化は、レシピを別のレシピと組み合わせて、さらに美味しくする方法を調べる段階である。言語化され共有しやすい形になっているので、調べやすく理解しやすく、多くの人を巻き込んで議論もできる。経験や勘を名人について長年かけて身につけるより、記録のほうが速く広めやすい。
内面化は、組み合わせて考えた新メニューが本当に出せるものかを研究し、焼き加減や組み合わせを変えて検証しながら、ノウハウを自分の中に蓄えていく作業である。ここまでで一周となる。
前田氏は、形式知と暗黙知の違いを説明するのによく氷山のたとえが使われると紹介した。形式知はあくまで暗黙知を土台にしており、我々の知識の大半、およそ8割は暗黙知で、水面上に見える一角の2割程度が形式知だという。言語化・記号化・共有できているものより、できていないものの方が圧倒的に多い。
氷山の比喩はナレッジマネジメントの解説で広く使われるが、「暗黙知8割・形式知2割」という比率は測定に基づく数値ではなく、説明上の目安として流通しているものと考えられる。要確認野中氏の原典でこの比率が示されているかは確認できなかった。
前田氏は、よく見かけるSECIの解説はこれが一周してスパイラルになると言うだけのものが多いが、元の意味はもっと多くを含んでいると指摘した。たとえば連結化には探索や失敗が含まれ、問題点の発見を担う表出化が最も重要とされている。なぜ表出化が最も重要なのか、表出化には何が必要なのか、といった点まで書かれている。前田氏の見る限り、多くの解説は暗黙知と形式知の違いを理解しておらず、暗黙知の説明も形式知との違いの説明になっていないという。
前田氏は参加者に、暗黙の反対は何かと問うた。暗いの反対は明るいであり、本来なら「明示」のような言葉が対になるはずである。暗黙知が見えないところ、言語化できないところを指すのに、なぜその対が「形式知」なのか。日本語訳がそのまま適切とは限らないが、この違いを考えないと、わざわざ二つを分けた理由が分からなくなる、と前田氏は述べた。
マイキー氏はこれに答える形で由来を説明した。暗黙知の概念は、野中氏がマイケル・ポランニーから引いたもので、英語ではtacitという。対になる語はexplicitだが、野中氏がこだわったのは「フォーマットの型に入れる」こと、つまりマニュアルやプログラミングのように形式に落とし込むことだった。そのため形式知という訳語になっている、というのがマイキー氏の説明である。
マイケル・ポランニー(1891〜1976)はハンガリー出身の化学者・哲学者で、1966年の著書『The Tacit Dimension』(邦題『暗黙知の次元』)で「私たちは語れる以上のことを知っている」という趣旨の命題を示した。講義中に「言葉にできない言語という本」と聞き取れる箇所があるが、指しているのはこの著作と考えられる。野中氏はこのtacit knowledgeの概念を組織論に取り込み、explicit knowledgeと対置した。explicitは直訳すれば「明示的」だが、日本語では「形式知」が定着している。
マイキー氏は、SECIの4象限の図に当てはめてコミュニケーションを取ろうとすると混乱すると述べた。図は受け取るアクションばかりを並べた大ざっぱなもので、実際にはインプットとアウトプットを繰り返す中で、暗黙知も形式知も常に同時に生まれている。ここまでが完全に暗黙知でここからが完全に形式知、という100%の状態はない、というのがマイキー氏の見方である。
マイキー氏は、暗黙知・形式知とは別の軸として「静的情報と動的情報」を加えてよいとした。前田氏の補足によれば、静的な情報は時代が変わっても変わらないもの、動的な情報は時代や環境とともに変化するものである。マイキー氏は、分かりやすく言えば、入れたものをアウトプットし、アウトプットしたものをインプットするという繰り返しで生まれるサイクルだと考えた方が早いと述べ、インプットしてもアウトプットできなければ循環は止まる、何のためにコミュニケーションを取るのかが明確でなければ成り立たない、と強調した。
前田氏は、日本ではマニュアルが手順書になっているが、本来マニュアルは状況と目的がはっきりしていて、その目的を常に達成するために組織で共有すべき知識だと説明した。時代や環境が変われば目的を達成するプロセスも変わるので、マニュアルも変えなければならない。つまりマニュアルは動的なものである。マニュアルが止まった状態はイナーシア(慣性)と呼ばれる硬直状態で、前田氏は日本人の9割はイナーシアに入っていると述べた。
マイキー氏は例として、1970年代の接客方法が今も通用するか、1980年代のニュースキャスターの話し方がそのまま残っていたらどうなるかを挙げた。アナウンサーの養成でも表現方法は時代とともに教え直されている。変化し続けることがマニュアルの前提であり、海外でも手順書であること自体は変わらないが、更新し続けないと良いサービスは続かない。
組織論では、環境が変わっても従来のやり方を続けてしまう傾向を「組織慣性(organizational inertia)」と呼び、ハナンとフリーマンの組織生態学(1984年)などで論じられてきた。要確認「日本人の9割がイナーシアに入っている」という比率は講義中の評価であり、調査データの出典は示されていない。
マイキー氏は、クラブで以前中川氏が紹介した『失敗の本質』を取り上げ、SECIモデルの観点で日本が最も学習していなかったことが分かる本だと述べた。日本は戦争に負けた後にこの本で敗因を分析したが、その後ビジネスや経済で成功してからも何もしなかった。SECIができていない結果が今の社会であり、今読む価値がある、というのがマイキー氏の見立てである。
| 6つの事例(同書が扱う作戦) | 講義で触れられた論点 |
|---|---|
| ノモンハン事件(1939年) | ソ連の近代化された兵器を過小評価し、学習しなかった |
| ミッドウェー作戦 | 映画『ミッドウェイ』で経緯を追うと分かりやすい(マイキー氏) |
| ガダルカナル作戦 | 成功体験への過剰適応 |
| インパール作戦 | 同上 |
| レイテ海戦 | 同上 |
| 沖縄戦 | 同上 |
マイキー氏によれば、同書は日本軍がなぜ敗れたかを軍事的な戦術論ではなく、組織論と戦略論で構造的に書いたものである。ポイントは成功体験への過剰適応が学習を止めたことで、日本軍では技術がマニュアル化されず、つまり表出化されないまま、ベテランが戦死するとその知識が部隊から永久に失われた。一方アメリカ軍は性能テストでデータ化し、教範化を進めた。戦後の日本はそこから復活したが、そのまま学習せず過去の成功体験に寄りかかり、また失敗した。やっていることが100年前と同じではないか、とマイキー氏は問うた。
中川氏は、過剰適応が思考を止めると応じ、零戦や戦艦大和の例を挙げた。作り込めば作り込むほど、操縦できるパイロットは熟練者に限られ、訓練も難しくなる。少ないパイロットを中1日で回さなければならない日本に対し、アメリカは誰でも少し訓練すれば乗れる機体を作ったので、パイロットの数がいて中3日で休養できた。疲れている側が判断ミスを起こすのは物理的に当然であり、作り込みすぎはよくないと野中氏も指摘している、というのが中川氏の説明である。
マイキー氏は、当時の日本はそれでも強かったが、この循環ができなかったから負けたと述べた。昔の日本人は海外から恐れられていたが、今の日本人を怖いと思う国はない。コミュニケーションの欠落という点で、今の日本人は昔よりさらに欠けている。アメリカは組織としてこの循環を回し、イノベーションを生む企業を作っている。
『失敗の本質――日本軍の組織論的研究』は、戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎の6氏による共著で、1984年にダイヤモンド社から刊行された(その後中公文庫)。ノモンハン事件、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ海戦、沖縄戦の6事例を扱い、環境への過剰適応、学習棄却の失敗、空気による意思決定などを日本軍の組織的特性として分析している。講義中の「30〜40年前の本」という説明と整合する(刊行から約42年)。
映画『ミッドウェイ』(2019年)は、『インデペンデンス・デイ』のローランド・エメリッヒ監督の作品である。
要確認零戦・大和とパイロットの「中1日と中3日」の比較は中川氏の説明に基づく。同書に同じ形の記述があるかは今回確認していない。