講義の最終盤、渡辺氏が資源依存理論を政治学の系譜に置き直した。資源とは与えられるものではなく作るものであり、金・正当性に続く第三の資源として威信(プレステージ)が浮かび上がる。明治日本と近代中国の事例まで議論が伸びた。
この動画は3本に分割しています。本ファイルは3本目、渡辺氏とマイキー氏の政治学的な対話と、明治日本・近代中国をめぐる議論、そして閉会時のやりとりを扱います。
渡辺氏が最初に置いた整理はこうである。この日の講義は、ミクロレベルの新制度主義で使われてきた理論に、マクロの政治的視点を持ち込む試みだった。従来の組織論では、動機づけもリーダーシップも組織設計も、「与えられた資源からアウトプットをどう最大化するか」という問いに答えるものだった。資源依存理論はその問いを裏返す。資源や環境をどう獲得するか、さらには依存環境そのものをどう作るかへと軸を移した。大企業にとってのお金は、使う対象から、新しい資源を創造するための投資に変わる。
これに対してマイキー氏は、別の角度から異論に近い補足を置いた。資源依存理論は政治から入ったというより、もっと「わがままな理論」として生まれたのではないか。企業が内部リソースを強くすればするほど政府のほうがこちらに従う、という筋の話であり、1960年代から70年代の半導体産業が国から仕事を取っていた時代の空気がそのまま理論になっている、という見立てである。同じ理論を、渡辺氏は政治学の系譜から、マイキー氏は企業のエゴの側から読んでいる。
両者が一致したのは、権力の性質についてだった。権力は与えられたものであり、いずれ返すものである。返さずに済ませるには、自社の内部資源を強化し続けるしかない。当時のIntelやIBMはそのぎりぎりの線を走っていたのではないか、というのがマイキー氏の見方である。
依存を「制約」として受け取るか、「力の源泉」として使うか。渡辺氏の言葉では、制約として見るのは受け身であって、力として使う側は使う側である。同じ依存関係が、立場を変えれば戦略の道具になる。そして獲得すべき資源はお金だけではない。正当性(レジティマシー)、そして日本が最も苦手としてきた威信(プレステージ)——この三つを資源として意識的に作れるかどうかが、国家にも企業にも問われている。
渡辺氏は資源依存理論の成立背景を、既存の組織論と経済学へのアンチテーゼとして説明した。ニクソン・ショック、ウォーターゲート事件、ベトナム戦争。それまで当たり前とされていた資源の前提が崩れ、組織の合理性だけでは説明が足りなくなった。そこで政治的駆け引きというレンズを作らなければならなかった、という筋道である。
これは本編(1本目)で前田氏が示した背景説明と整合する。前田氏はオイルショック、社会運動の激化、政府規制の強化を挙げ、「社会的な不安定さが増していた時代」だと述べていた。渡辺氏が加えたのは、その不安定さが学問上の空白として何を要求したかという点である。動機づけもリーダーシップも組織設計も、与件としての資源を前提にしていた。その与件が揺らいだとき、資源の獲得そのものを理論化する必要が生じた。
渡辺氏が言及した「エマソン」は、リチャード・M・エマソン(Richard M. Emerson)の論文「Power-Dependence Relations」(American Sociological Review, 27巻, 31–41頁, 1962年)とみて間違いない。エマソンの中心命題は「権力は人の属性ではなく、社会関係の性質である」というもので、依存概念を軸に、権力の均衡と「均衡化操作」(balancing operations)を4類型に整理した。
この論文は本編(1本目)で前田氏が資源依存理論の源流として挙げた三系統のうち「権力依存」に該当する。残る二つは社会交換理論とオープンシステム理論で、Pfeffer & Salancik の『The External Control of Organizations』(1978年)はこれら三系統の統合として位置づけられる。渡辺氏とマイキー氏の対話は、このエマソンの層まで遡って理論を読み直す作業だった。
渡辺氏はさらに、獲得される資源の種類が時代とともに移ったことを指摘した。市場で優位を取るための資源から、アファーマティブ・アクションや財産・労働といったきわめて市民的な領域への介入へ。そこに正当性が生まれるようになった。19世紀的なミクロの人間観から、マクロな意思のほうへ振り子(ペンデュラム)が振れた、という表現が使われた。
ここで議論の核心が出る。マイキー氏が提起したのは、依存のベクトルが対象によって違うのではないかという論点だった。IBMやIntel、あるいは当時のGEがルールを変えさせ、そこに依存する企業が生まれる。ところがその産業が巨大に成長すると、今度は国の側がその産業に依存し始める。企業対企業の依存と、企業対政府の依存は、方向も性質も違うものではないか。渡辺氏は「ベクトルは全然違うものですね」と即答している。
そしてマイキー氏は、この点こそが自分が資源依存理論を「大雑把な理論」と評する理由だと述べた。同じ「依存」という語で、質の違う二つの関係を扱ってしまっている。後半では「三大理論と言われつつ、すごく曖昧」「いい加減な理論だとも思っている」という、かなり踏み込んだ評価も出ている。ただしそれは全否定ではない。
企業の交渉力を外部にどう見せつけ、内部にどう持ってくるか。この問いは現代だからこそ重要になっている。ダイナミック・ケーパビリティの文脈で考えると、資源依存理論は「もっと整理されるべき理論」であり、曖昧なまま放置されているのがむしろ惜しい——というのがマイキー氏の立場である。
これを受けて渡辺氏が置いたのが「だからこそオントロジーみたいなものが生まれる」という指摘で、両者はそこからピーター・ティールのパランティアに話を移した。データの存在論的な整理そのものを商品にしている企業が、いままさにこの領域の中心にいる、という見立てである。
パランティアは2026年に米政府契約が累計10億ドルを突破した。2025年7月の米陸軍との10年・100億ドル規模の契約が牽引し、連邦政府向けの支出は2025年の9億7050万ドルから翌年に10億ドルを超えている。政府事業は売上のおおむね55%を占める。
ただし2026年第2四半期を見ると、米政府向け売上が前年同期比90%増の8億900万ドルに対し、米国商用部門は同149%増の7億6400万ドルと、商用側の伸びのほうが速い。単一顧客セグメントへの依存を、成長の速い別セグメントで薄めていく——資源依存理論が言う依存度の引き下げが、進行中の形で観察できる。
なお2024年以降にパランティアが受けた連邦契約約32億ドルのうち、およそ半分が競争入札を経ない契約だったというデータもある(GovTribe)。依存の非対称性が調達手続の面にも現れている例として、講義の論旨を補強する。
渡辺氏がこの流れで置いたのが、権力論としては最も切れ味のある指摘だった。実際に取引されているものは、実は同じものではない。実質的な報酬と象徴的な報酬はトレードオフとして発生しており、相手が実態的な報酬だと思っていたものを、どれだけ象徴的な報酬に入れ替えられるか——その枠組み作りこそが権力の技術である、と。
渡辺氏はその例として、本編で扱われたAppleの調達戦略を挙げた。複数のサプライヤーを競わせるという構造を作るだけで、実態的な報酬(発注金額)から象徴的な報酬(Appleに選ばれているという地位)への入れ替えが起きている。両者は「これは古典的な政治学ですね」と確認し合っている。
マイキー氏が示した学問観がここで出る。経営学も経済学も0から1を作る学問ではなく、1から10を作る学問である。起きた現象を後から分析して説明する理論であり、後付けのものがほとんどだ。しかし——ここが要点だが——現象はサイクルで起きる。だから後付けの理論が、また使われるときが来る。オープンシステム理論しかり、リーダーシップ理論しかり、オープンソースとクローズドのモデルしかり。
そしてこの認識から実務的な含意が引き出される。サイクルだと分かっているなら、どんな事業であれ早めに戦略を打てるはずである。流行を「ブーム」として見るか「サイクル」として見るかで、目線が全く違う。マイキー氏は、米国と中国の発見と戦略が速いのは、学問がしっかりしていて、経営学・経済学をサイクルとして読める経営者が多いからではないか、という仮説を置いた。
渡辺氏は米国については政治学の強さを挙げ、中国については教育だと応じた。伸びる人材を国家主導で拾って育てる仕組みが、中国の歴史的な蓄積として引き継がれている。この点は真似できる国がない、という評価である。
これに対してマイキー氏が挙げたのが、自身のYouTubeでも話したという対比だった。中国共産党の幹部の多くは米国の大学を出ている。「自分たちの敵の民主主義を勉強してこい」と送り込める。一方の日本が、共産主義を学ばせるために人材を中国へ送り込むかといえば、絶対に送らない。渡辺氏はこれを「学ぶところの動機が違う」と整理した。日本や米国は流行っているもの、これから来そうなものを学ぶ。中国は人材そのものを一つのリソースとする観点が、最初から教育に埋め込まれている。
マイキー氏はさらに歴史的な条件を加えた。中国は北からも南からも東からも西からも攻められる大陸国家であり、最低でも四方向の戦略を考えざるを得なかった。異民族の戦略を徹底的に研究し、地政学的な優位をどう使うかを考え続けてきた。思考の起点が常に外部にある。それに対して島国は外部起点で考える必然性が薄い、という見立てである。
市場だけを見ず、常に政治と歴史を見る。過去の政治家や賢人をモデルにするビジネスマンが多く、モデルが古典的であるがゆえに権力の集中モデルに強い——というのが渡辺氏の評価である。
国家の歴史的転換を受け身で迎えてきており、自分たちで作るフロンティア精神がない——これは渡辺氏の見解として述べられたものである。歴史評価が分かれる論点であり、そのまま帰属を明示して記載する。
渡辺氏はここで、フェファーらが挙げる資源としてマネー、レジティマシー(正当性)と並ぶプレステージ(威信)を取り出した。日本にはこの威信という資源が理解できていないのではないか。唯一それを発生させたのは明治政府ではないか、という問いである。プロトコルを作る力、マネジメントに対する力を国際的に示す機会が、明治以降の日本にはなかった。
これを受けてマイキー氏が語ったのが、明治期のピッチ文化である。近日公開のYouTubeで扱うという前置きのうえで、次のような主張が展開された。現代日本のスタートアップ・ピッチは、参加者を全部合わせても規模が小さい。ペガサスで2,000人程度、スタートアップワールドカップは地方を入れても年間3,000人弱、他は50人や100人の規模である。ところが明治期には、年間1,200万人が参加していた。特許も900万件あった。政府が報酬を出し、権威性を与えたため、研究者という職業が成立し、日本中でピッチが行われていた——「昔の日本人はプレゼンテーターだらけだった」という総括である。
マイキー氏が指す明治期の催しは、内容から内国勧業博覧会とみるのが自然である。ただし規模が一致しない。
入場者数:1903年(明治36年)に大阪で開かれた第5回内国勧業博覧会が最大で、入場者は530万人(史料により435万人とする記述もある)。第1回から第5回までを合計しても1,000万人規模で、「年間1,200万人」という数字には届かない。
特許件数:専売特許条例は1885年(明治18年)に高橋是清の起草で施行され、初年度の出願は425件、うち登録99件である。明治期を通算しても900万件という桁には遠く及ばない。900万件という規模は、日本の特許出願・登録の累計として現代までを含めた数字に近い。
この差は書き換えずに残す。「明治期の日本には、現代より桁違いに厚い発明・発表の文化があった」という論旨そのものは検討に値するが、根拠として提示された数字はそのままでは使えない。出典を確認したうえで論旨を再構成する必要がある。
マイキー氏はこの文脈でトヨタの事例にも触れた。繊維関連の権利をイギリスに売った、そこには政府のバックアップがあった、という趣旨である。そして現代の日本政府のバックアップは「金を出す以外に何もしていない」——精神的な支持も、韓国が自国製品について行っているような対外的なマーケティング支援もない、という批判が続いた。
言及されているのは、1929年(昭和4年)12月に締結された豊田・プラット協定である。英国のプラット・ブラザーズ社がG型自動織機に注目し、日本・中国・米国を除く国々での製作・販売権を与える契約が結ばれ、対価は10万ポンドだった。
ただし二点、発言との差がある。第一に、これは「繊維会社を売った」のではなく特許実施権の譲渡である。第二に、要確認政府のバックアップがあったという記録は確認できなかった。トヨタ自動織機や国立公文書館の記述では、日本人の発明が外国企業から譲渡を求められた民間取引として扱われている。
もっとも、この契約が「日本の技術が世界に認められた」という自信を国民に与えた出来事として語り継がれている点は事実であり、威信という資源の発生事例としては講義の論旨に合致する。
渡辺氏が明治日本の対として挙げたのが、清末から民国期の辜鴻銘である。中国人がどういう民族かを、当時のイギリス・フランス・ドイツの人々に向けて講演した人物であり、その講演の切符は当時最も高い演劇のチケットの2倍の値段で取引されたという。中国の精神を学ぶことを価値あるものとして成立させた、それ自体が威信であり、中国のビジネスの基盤を作ったとも言われている——という説明である。
英領マラヤに生まれ育ち、1885年まで中国の地を踏んだことがなかった人物である。13歳から英国で教育を受け、西洋文学で修士号を取得。『中庸』『論語』を英訳し、西洋の教養を借りて中国の伝統思想を解釈するという手法を取った。主著『中国人の精神(The Spirit of the Chinese People)』は第一次世界大戦期、ヨーロッパ文明が危機にあった時期に書かれており、中国文明の精神を説明することで危機にある世界文明に道を示すことが目的だったとされる。中国人が持つ「温良」を、受動性や弱さではなく、共感と人間的知恵に根ざした一種の力として提示した。
要確認「講演チケットが最高級の演劇の2倍」という逸話は広く流布しているが、一次資料での裏づけは取れなかった。
なお渡辺氏が日本側の対応物として挙げた新渡戸稲造『武士道(Bushido: The Soul of Japan)』は、1899年から1900年にかけて英文で米国(フィラデルフィア)で刊行され、その後フランス語・スペイン語など各国語に翻訳された。内村鑑三『代表的日本人』、岡倉天心『茶の本』と並ぶ、明治期の日本人による代表的な英文著作である。
最後に、明治期の当事者の動機について渡辺氏が興味深い補足を置いた。天皇のためという愛国心もあったが、それだけではない。藩がなくなったことが大きい。自分たちの藩が他藩に対していかに優位だったかを証明したいという情熱があり、長州や薩摩に比べて自分たちのほうが優れているのだということを、商売や別のフィールドで示そうとした。統一される日本に対して、統一されていないという意識が原動力だったという逆説である。地域に対する連続性と立場が個人に埋め込まれていたからこそ、それをそのまま商品として、あるいは威信として外に出すことに疑いがなかった。
理論の定義に関する質疑は1本目、中国サプライチェーンに関する質疑は2本目に振り分けています。
渡辺氏の整理:与えられた資源からアウトプットを最大化するという枠組みから、資源と環境をどう獲得するかという枠組みへの転換である。自分の持つ資源を、次の資源を生み出すための投資として使うという理論になった。歴史的関係性・外交力・民族的強みといったものを使って効率性の限界を打破し、影響力を手に入れる。企業のお金の使い方を、正当性(レジティマシー)を得る方向へシフトさせた点が自分の理解である。
マイキー氏:資源依存理論は、内部から外部へどう交渉力を上げるかという研究であり、投資先・政治・取引先・競争相手を同時に扱って進められた理論だと学んでいる。政治的なポイントから入ったというより、もっとわがままな理論から生まれた印象が強い。企業が内部リソースを強くすればするほど政府がこちらに従う、という筋である。1960〜70年代、半導体が出てきて国から仕事を取る時代の発想がそこにある。
両者の確認:制約として見るのは受け身であり、それを力・権力として使う側は使う側である。ただしマイキー氏は、企業対企業と企業対政府ではベクトルが違うと指摘。ある企業がルールを変えさせ、そこに依存する企業が生まれるが、その産業が巨大化すると今度は国の側がその産業に依存し始める。渡辺氏も「ベクトルは全然違う」と同意した。
マイキー氏:ヨーロッパの文化や技術は当時の日本にとって見たこともないものが多く、それを自分たちにカスタマイズして生活をどう良くするかを考えた。そこに政府が報酬を出し、権威性を与えた。研究者という、お金にならないものを一つの職業として成立させた。
(参加者数と特許件数の数字については、PART 4の要確認ボックスを参照。)
講義の締めくくりでは、いくつかの予定が共有された。マイキー氏が台湾政府の進めるスタートアップ5社と面談することになっており、その面談をYouTubeで撮影・公開したいという交渉を進めている(英語になる見込み、公開可否は未定)。この案件について本間氏との役割分担をめぐるやりとりがあり、その流れで、交渉報酬を辞退して代わりに北京ダックと小籠包を要求したという話が出た。「お金は絶対に受け取りません、小籠包でお願いします」という形である。相手側が困惑したというこの逸話自体が、実質的報酬を象徴的報酬に置き換えるというPART 2の論点の実演になっている。
そのほか、資産運用EXPOの出展(15日・17日)への協力者募集、当日の対談企画、出展各社のセミナー内容を持ち寄って理論的に検証するという企画が案内された。マイキー氏は「相当嫌われるが絶対に面白い」「僕らは事実だけを言っている、という状態を作る」と述べている。次回は金曜日の講義で、韓国からの配信になる可能性があるとの連絡があった。