STUDY REPORT / 2026年5月度 勉強会
ブルーオーシャンとは境界線の再定義である。ではその境界線はどうすれば見えるのか。答えは「怒られてみること」だった。中国スポーツブランドのNike侵食、韓国サンダルのKPOP戦略、Anthropicのミュートスまで、線を動かした実例を追う。
この回で講師が繰り返したのは、ブルーオーシャン戦略という言葉の一般的な使い方が原典と違う、という指摘だった。講師の整理では、レッドオーシャンとブルーオーシャンの対比は「競争が激しい/激しくない」ではない。境界線と空間の話である。業界の正当性がここまで、ラインがここまでと決まっている状態がレッドオーシャン。その境界線を再定義するのがブルーオーシャン。だからブルーオーシャン戦略をやる前提は、レッドオーシャンにいることになる。境界線がどこにあるかを知らない人間に、それを引き直すことはできない。
ここまでは概念の話だが、この回の価値は次の一歩にある。では、その境界線はどうやって知るのか。講師の答えは実践的で、身も蓋もないものだった。怒られる前提・批判される前提で振り切った提案をしてみる以外に、線の位置は分からない。提案が却下されて初めて「ではどこまでなら良いのか」が可視化される。だから境界線を知ることそのものがリスクを取る行為だ、という論理である。
後半は事例が続く。中国のANTAグループがNikeの市場を侵食している構図、韓国の健康サンダルメーカーにKPOP文脈での参入を助言した話、医療機器を美容商品として見せるパッケージングの転換、そしてAnthropicのMythosが「市場に出せる線」を先に越えたという読み。どれも商品そのものではなく、商品が何として見られるかを動かした例として並べられている。
セッションを貫く1本の線
「境界線を変える」とは、商品を変えることではなく見え方を再定義することである。そして見え方を変えるには、業界全体・素材・サプライチェーンまで把握したうえで、自分が突破できる一点を見極める必要がある。それができる会社を「小回りが利く」と呼ぶ。小回りとは速度ではなく、面倒の引き受け方のことだった。
冒頭、講師は前回の宿題として出していた確認から入った。ブルーオーシャン戦略とレッドオーシャン戦略は、原典にちゃんとした定義がある。ところが現在使われている意味はそれと違う、と。参加者の一人が「今やっていることを攻めるのがレッドオーシャン、まったく新しい新規事業がブルーオーシャン」と答えたところ、講師はこれを明確に間違いだと退けた。
ブルーオーシャン=誰もやっていない新しい領域。
前提:既存市場とは無関係な場所を探す。
帰結:レッドオーシャンを経由せずにブルーオーシャンに行けることになる。
ブルーオーシャン=引かれている境界線の再定義。
前提:どこに線が引かれているかを知っている必要がある=レッドオーシャンにいること。
帰結:レッドを通らない人にブルーは作れない。
講師の言い方は強い。「一般的に使われているブルーオーシャン戦略という使い方は基本的に間違いです」「私が知る限り、YouTubeで説明されているものは基本的に大体嘘です」。ロジックが成り立たなくなるから、というのがその理由である。定義がずれると、そこから導かれる結論の全部が変わってしまう。だから定義を見直すことが重要だ、という主張だった。
ブルーオーシャン戦略の原典は、INSEAD教授の W. Chan Kim と Renée Mauborgne による『Blue Ocean Strategy』(2005年)。市場境界を引き直す手法として Six Paths Framework、既存の競争要因を組み替える手法として ERRCグリッド(Eliminate/Reduce/Raise/Create) が提示されており、中心概念は「非顧客(noncustomers)」である。講師の言う「境界線の再定義」は Six Paths に対応する。
なお本勉強会では以前にもこの誤読の問題が扱われている(既存レポート「ブルーオーシャン戦略の再定義」)。今回の回で新しいのは、「ブルーの前提はレッドにいること」という順序の指定と、後述する「境界線はリスクを取らないと見えない」という探索方法の議論である。
境界線の再定義がもっとも具体的に語られたのが、中国スポーツブランドの事例である。参加者から「クラフト業界で大手になった企業が、後から来た大手に追い抜かれるのは、自分たちの強みをサボるからか」という質問が出たのに対し、講師は海苔巻き(恵方巻)の例を引き取りながら、こう整理した。大手も同じものを出し始めたということは、境界線がそこに移動したということである。ならば境界線を再定義しなければならない。
そのうえで講師が挙げたのが、中国市場でのNikeの苦戦だった。講師の見立てでは、ANTAグループなどの中国メーカーは二つの点で線を引き直している。
第一に、スピードのサイクルである。中国ではトレンドが変わるのが極端に速く、製造と企画の現地企業がそれに追随できる。NikeやAdidasといった欧米メーカーはこのサイクルに対応できず、その隙にローカルメーカーがシェアを伸ばした。つまり競争軸を「ブランド」から「更新速度」に移した、という読みである。
第二に、素材技術である。Nikeが環境・品質面で問題視された時期に、ANTAグループは窒素技術を用いた高密度の化合物をソール材に導入し、走行後の摩耗率や衝撃吸収率でNikeを上回る性能を打ち出した、と講師は説明した。ここでも競争軸が「ブランド」から「計測可能な性能」へと移されている。
出典:Nikeの中国事業縮小幅・直近四半期の減少率は公開報道(2026年)に基づく。ANTAのPUMA持分は2026年1月の取得発表による。作図:Claude
Nikeの中国事業について:2026年5月末時点で、Nikeの中国事業は2021年比で約30%縮小し、年間売上高は8年ぶりの低水準となった。直近四半期のGreater China売上は前年同期比12%減(為替中立ベースで通期13%減)、7四半期連続の減収である。中国国内では政府が後押しする「国潮(China Chic)」の流れと、新疆綿をめぐる不買運動が重なり、若年層がANTAやLi-Ning(李寧)へ移った。講師が名前を思い出せずに挙げた「リーンだかなんだか」は Li-Ning(李寧)で正しい。
「もうプーマも買った」という発言について:ここは公開情報と食い違う。ANTA Sports は2026年1月、Groupe Artémis から PUMAの29.06%を15億ユーロ(約18億ドル)で取得する契約を締結し、筆頭株主となった。ただしANTAはPUMAに対する公開買付(完全買収)を行う意図はないと明言しており、PUMAはドイツ上場企業として独立したガバナンス体制を維持する。取引のクロージングは規制当局の承認を前提に2026年末が見込まれている。つまり「買った」は正確には「筆頭株主になった(持分29%、手続きは進行中)」である。
窒素化合物による摩耗率・衝撃吸収率の優位:ANTAが独自の窒素系ミッドソール技術を製品に採用していることは同社が公表しているが、講義で語られた「500km走行後の摩耗率がNikeより低い」「衝撃吸収率がNikeより軽減された」といった具体的な比較数値は、第三者が検証した公開データとしては確認できなかった。要確認
もう一つの事例は、講師自身が相談を受けた韓国の健康サンダルメーカーである。各所とコラボし、米国でFDAの認可も取得していた企業の社長陣が渋谷に相談に来た。講師の回答は「日本では受け入れられない」だった。健康サンダルというカテゴリーのままでは、日本市場に入る余地がない。
ただし受け入れられる方法はある、というのがその先である。日本市場は基本的に何も受け入れないが、KPOPを使えば受け入れる。昨日まで無名でも、明日から有名になる。講師のアドバイスは、インフルエンサーとファッションの文脈から入るという方向だった。ここでも変えたのは商品ではなく、商品が置かれる文脈である。
ただし単発で終わる――「マーケティングは麻薬」
講師はこの手法の危うさも同時に述べている。参加者がG-DRAGONのバッグの例を挙げ、講師自身が過去に手がけた韓国系フェイスパックの事例に触れると、講師は「あのメーカーは終わった後に死にました」と答えた。瞬間的な売上は作れる。しかし規模だけ膨らんで二発目・三発目が続かなければ倒れる。「マーケティングは麻薬」という表現は、この文脈で出てきたものである。境界線の引き直しは一度きりのイベントではなく、継続しなければ意味がない。
この回でもっとも特徴的な議論がここである。境界線を知るにはどうすればいいか。講師は自分の合宿企画を例に出した。過去の合宿でスタンフォード監獄実験とインドのカースト制度を題材にしたことがあり、二回目の企画会議で講師は「牢獄の中にゴキブリと蜂を入れる」と提案した。理由は「そうすれば誰も牢獄に入りたがらないから、頑張るだろう」というものである。当然、倫理的に問題があると全員に止められた。
しかし講師の狙いはそこにあった。止められて初めて、どこまでなら許容されるのかが分かる。ゴキブリならダメで蛇ならいいのか、蜂は刺されて死ぬ可能性があるからダメなのか。極端な提案を一発打ち込むことで、境界線の位置が返答として返ってくる。だから境界線を知るにはリスクが必要であり、認知だけでは足りない、という論理である。
講師の言い方
「境界線を知るということは、怒られる前提とか批判を受ける前提じゃないと境界線は知れない」。突飛な質問や極端な提案をするのは、それがダメだと分かっているからではなく、「ではどこまでなら良いのか」を返してもらうためである。提案するのは自由であり、断られること自体が情報になる。
前田氏はこれを「境界線を最定義する、常に本当にそうなのかを見ていく姿勢」と受け取り、かつてのスターバックスがコーヒー屋という枠からサードプレイスという新しい線引きを作った例を挙げた。講師はこれに同意したうえで、コトラーのマーケティング理論でいうニッチの議論にも接続していると述べている。小回りとは、自分に引かれた境界線を常に見直すような細かいところからスタートする意識を、どれだけ持てるかである、と。
講義終盤、講師は「サービス化されているAIは最先端ではない。市場に出しても問題ないとされる線までを出しているに過ぎない。そこを1抜けたのがMythosだった」と述べ、さらに「防衛省が入ってくることで余計にラインが濃く引かれた」と説明した。公開情報と照らすと、事実関係は次のとおりである。
Mythos は Anthropic のモデルで、サイバー脆弱性の発見と修正に特に強い能力を持つとされる。ただし「防衛省が入ってきた」という表現は日本の防衛省と紛らわしく、実態とも異なる。関与しているのは米国防総省(DoD)であり、しかも協業ではなく対立である。Anthropicは自社モデルの国内監視用途や完全自律型兵器への利用を拒否し、米国防総省は同社をサプライチェーンリスクとして安全保障上のブラックリストに指定した。一方でNSA(国家安全保障局)は Mythos Preview を使用しており、Mythos は機密性の高い米政府システムの脆弱性を検証演習で発見したと報じられている。その後2026年6月に米政府は Mythos 5 を約100の企業・連邦機関へ提供することを許可した。
つまり「線が濃く引かれた」という講師の読み自体は、モデルの公開範囲が政府交渉によって規定されたという意味では成り立つが、その線を引いたのは協力関係ではなくブラックリスト化という敵対的な過程だった点が抜け落ちている。なお講師は「Anthropicのマーケティングは非常にうまい」とも評しているが、これは講師の解釈であり、同社の意図として確認できるものではない。要確認
議論は事業相談の実務に移る。講師が指摘したのは、相談に来る人の大半が「自分のできる範囲内」でしか考えていないという点である。瞬間的な売上を上げるのは簡単で、営業とプレゼンだけでもたいていの事業は数字が上がる。問題はそれを長期的に持たせられるかにある。
長期化に必要なのは、業界の専門性と、そこに別の専門性を掛け合わせたアプローチである。そして掛け合わせた結果として考えなければならないのがパッケージングの仕方だ、というのがこの部分の核心だった。医療機器が美容商品として見られる、というような変換ができるか。そういう見せ方を商品側に組み込めるかどうか。それができれば周りが真似できない差別化になる。「他の業界の人はそこまでリーチしていないが、自分たちはリーチしたからこれができた」というストーリーだけで勝てる、と講師は言う。
関連して、講師が別件のリサーチから得た所感が語られた。日本の技術系サービスの多くは POC(概念実証)で終わってしまう。技術そのものは良い。しかし重い。POCまでは製品を持っていけるイメージがついているが、そこからアニュアルコントラクト(年間契約)や長期契約に持っていくところで壁がある。講師の見立てでは、この移行にはかなりの非市場戦略が必要になる。
対比として挙げられたのが、欧州と米国である程度サービスを展開できている企業の強さだった。日本はルールが独特すぎるため、POC段階までは可能でも、そこから年間契約に持っていくハードルが高い。この構造自体を簡潔に説明するのが難しい、というのが講師の率直な感想だった。
業界を「見る」とはどういうことか
講師の定義は明快である。業界全体を把握しますというだけでは足りない。そこで使われている素材は何か、サプライチェーンはどうなっているかまで分かったうえで、自分が突破できるのはどこかを見極める。そしてそれを実践する能力があるかないか。そこまでできて初めて「小回りの利く会社」と呼べる。
ブルーオーシャンとは、引かれた境界線を再定義し、本当にそうなのかを常に見ていくことだと受け取りました。かつてのスターバックスがコーヒー屋からサードプレイスという新しい線引きを作ったような流れですか。(前田氏)
その捉え方で合っている。これはコトラー教授のマーケティング理論でいうニッチの議論にもつながっている。小回りという観点で言えば、自分に引かれた境界線を常に見直すような細かいところからスタートする意識を、どれだけ持てるかということ。
海苔巻きで先行していた小さな会社が、大手の参入で目立たなくなってしまった。これは負けたうちに入りますか。(参加者)
大手もやり始めたということは、境界線がそこに移動したということ。ならば境界線を再定義しなければならない。同じ構図でいま負け始めているのがNikeで、中国市場ではスピードのサイクルと素材技術の両方で線を引き直したANTAなどにシェアを奪われている。
この戦略は、プランのない人・先に動いてしまう人とは相性が悪いのではないですか。認知がないまま「とりあえず動こう」では死ぬ可能性が高いと思うのですが。(参加者)
やりながら知っていくパターンもあると思う。そのためにビジョンがある。動ける人の場合は高速に仮説検証を回せるかが要件になる。行動幅と知識幅が広がっていくかがポイントで、途中で諦める人には無理。ただ「未知の領域に出す」と言いながら、何も考えずに繰り返しているだけのケースも多い。検証するかしないかの差である。
よく分からないところに投げ出す、という方向性自体はどう評価しますか。(参加者)
方向性は良い。ただし「いま自分にとって一番関係のないところにリーチしていますか」という問いに何と答えるかのほうが大事。一回目はいいが、同じことを続けるなら「なぜやるのか」に答えられないと意味がない。相談に来る人は大体、自分のできる範囲内の話しか持ってこない。
業界の境界線というのは、業界の常識のことだと理解していいですか。(小島氏)
だいたいそれでいい。範囲としてここだよね、というもの。どの業界にも原則として常識があり、それが境界線になっている。それを壊せるか、あるいはどうやって広げる流れを作るかという話になる。
ソフトウェアなら楽でしょうが、医療業界は規制が厳しくて動かないのではないですか。(小島氏)
規制が多い分、変わらない。責任も伴うのでハードルが高く、機械を1台入れるだけでも大変で、企業も動いてくれない。だからこそプレゼンテーションで食い破るしかなく、リスクを取らなければ破れない領域になる。
先ほどの韓国のサンダルは比較的コモディティ寄りの商品に見えますが、どんなアドバイスをしたのですか。(参加者)
日本では受け入れられないと伝えた。ただし受け入れられる方法はある。日本市場は基本的に何も受け入れないが、KPOPを使えば受け入れる。昨日まで無名でも明日から有名になる。インフルエンサーとファッションの文脈から入る方向を提案した。ただし単発で終わるリスクは同時に伝えている。