本レポートの概要
この日の勉強会は、本題のパーパス講義が始まるまでの約30分間、雑談として進んだ。話題は出張の段取りや出版記念講演の話から始まり、やがて講師自身の会社員時代――商社勤務時代の働き方へと流れ込んだ。本人は終始これを笑い話として語っているが、内容を制度の側から読み直すと、報酬設計と人の行動がどうずれるかについての、きわめて具体的なケーススタディになっている。
骨格はこうである。彼は自分の労力の3割しか投じていないと自己認識しながら、部門売上の7割を担っていた。利益率でも他の営業より倍近く取っていた。出来高で計算すれば給与は6倍から7倍になっていいはずだが、等級制度には天井があり、全項目で最高評価を取ってもそこ止まりだった。しかもそれ以上を払うと社長の給与を超えてしまう。だから上司に「その分もらえますか」と聞き、「無理だ」と返されたところで、「では、やる必要がないですよね」と結論した。以後、彼は公然とサボることを宣言した。
この論理は制度設計の観点からは反論が難しい。追加の努力に対して追加の報酬が発生しない仕組みのもとでは、追加の努力を投じないことが個人にとっての最適解になる。実際、10か国で新規顧客を開拓した対価が年4万円――1か国あたり4千円――だったという挿話は、この構造を露骨に示している。彼はそれを「二度とやらない」と即断した。
もう一つの軸は、本業の外側に別の収益源を持っていたことである。会社員として働きながら自作のシステムで物販のような事業を回し、1か月の収益が本業の年収を超えていた。30歳のときにはそのシステムを売却している。本業の給与が生活の必要条件でなくなった時点で、会社の評価制度は彼に対するレバーとして機能しなくなった。昇進しないでくれと願い、自己評価を全項目Fで提出したのは、その帰結である。
冒頭の雑談 ―― 出張、宮崎、そしてメディア向け講演会
本題に入る前、しばらく段取りの話が続いた。土曜日に大阪へ行き、夜に戻り、そこからまた海外との打ち合わせが入っているという移動のスケジュール。宮崎まで車で3時間半かかるという話。PR担当の鈴木という人物も宮崎に来ると聞いて、「マイキーさんが行くなら行こうかな」と言い始めたらしい、という伝聞。参加者の一人が「こちらにも鈴木さんを呼んでください」と頼み、この勉強会のオンライン会議に招くという話がその場でまとまった。コラボ動画が公開された時期の流れで、他のメンバーも呼ぼうかという展開になっている。
次に出版記念の講演会の話が出た。実施はするらしいが、形式はメディア向けで、大きなホテルを借りてテレビ局やメディア関係者を呼び出す構成になるという。会員は無料招待の枠で入れるという説明もあった。ただし講師本人は、この企画について「自分には決定権がない」と繰り返した。しかも決定権どころか意思もない、その辺りはすべてPRと自社が決めたことに従業員として動くだけだ、と。参加者が笑うと、彼はさらに「言われたことをこなすだけの作業員だ」と続けた。
この自己規定は冗談めかして語られているが、後に続く会社員時代の話と同じ構えを持っている。組織の意思決定に対して自分の意思を接続しない。与えられた役割の範囲だけを見て動く。違いは、当時それが彼にとって有利だったのに対し、今は不利に働いている点である。参加者からは、勝手に話を決め、勝手に事業を大きくし、勝手に売上を上げてコストを削減してくる「素晴らしい会社員を持ちましたね」という揶揄が飛んだ。
年間目標を3か月で達成し、残りの自由を要求する
話は自然と、期初の目標設定をめぐる攻防に移った。講師の手口はこうである。今期の売上計画が示されたら、それを3か月で達成してしまう。年間目標を早期に消化したうえで、「あとは何もしなくていいですよね」と交渉に入る。年間目標は達成したのだから、残りは自由でいいはずだ、という理屈である。
参加者の一人が、「でも大抵は自由にならないじゃないですか」と指摘した。年間目標を達成したところで、追加の仕事が降ってくる。講師の返答は即答だった。「だからブラック企業と呼んでいるんです」。別の参加者も、期が始まった時点で今期の数字はすでに立っていて本来は何もしなくていいはずなのに、追加で降ってくると同意した。
商社時代の具体的な手順も語られた。翌期の目標は、成長率3〜5%、良いところで10%という範囲で概ね予測がつく。4月から始まる期なら、1月の時点でその見込み分を受注しておく。1か月のあいだに動いて全部受注してしまえば、2月と3月が丸ごと空く。空いた時間は自分の好きなことに使う。売上は達成しているし、「俺の数字を超えられるならやってみろ」という状態を期初に作ってしまう。新規事業や販路開拓を一つ二つやることになっても、それも先に終わらせておく。そして次の期の分まで見込みを立てて仕掛けておき、また2か月空ける。
もう一点、参加者から出た指摘も鋭い。大企業では売上を上げすぎると逆に迷惑になるので「範囲内に収めろ」と言われることがある、というものだ。翌期の目標が実績に連動して引き上げられる仕組みの下では、期中に出しすぎることは将来の自分への負債になる。講師自身も、2位との差がついても意図的に全開にはしなかったと述べている。
3割の労力で7割の売上 ―― 天井のある報酬制度という前提
ここから話は制度そのものに入る。上司から「みんなすごくやっているのに、お前は6〜7割で仕事をしている」と指摘された。講師の返答は「7割じゃないです、3割です」だった。そのうえで彼は交渉に入る。3割ということは、あと3倍は上げられる。では、僕の給料は3倍になりますか。
答えは当然「無理だ」である。給与は会社の制度で決まっており、そこは動かせない。そこで彼は結論する。「では、やる必要がないですよね」。やる必要がないから、やらない理由がある。だから僕はサボります――これを公然と上司に告げていたという。
数字の整理はこうである。3割の労力で、一人で部門売上の7割を上げている。2位の営業とは何倍もの差がついている。しかも彼が扱っていた案件は利益率が高く、他の営業の倍ほどの利益率を取っていた。出来高で素直に計算すれば、給与は6倍から7倍もらってよい計算になる。2位の営業は社内等級では彼より何段階も上だった。その人物の給与に売上倍率や利益率倍率を掛ければ、3倍程度の水準になる。
ところがそれをやると、社長の給与を超えてしまう。だから払えない。払えないのなら、やる意味を説明してほしい。説明できないのなら、公認でサボっていいという状態のはずだ――これが彼の立論である。参加者からは「理屈上は正しい」「そういう給与制度にすればいいだけの話」という反応が返った。
参加者の一人が、「仮にそのとき社長の給料を超えてもいいからやってくれと言われたら、やっていたのか」と尋ねた。講師の答えは「別にいいっすよ」。つまり彼が止まっていたのは意欲の問題ではなく、制度が用意していた上限の問題だった。ただし商社である以上そうはいかない。これが銀行や、調達部門の歩合制、フルコミッションの会社であれば話は変わる、と彼は補足した。上げた利益のうちの何割かをボーナスで還元する仕組みなら、理屈上は青天井になるからである。
大企業や商社はフルコミッションではなく、等級ごとに上限が細かく設定されている。全項目オールSでもここまで、という最高水準が決まっている。天井が決まっていて、すでに天井に達しているのなら、これ以上やる必要はない。参加者も「もう天井行っている以上、これ以上やらなくていいですよね」と納得した。
ただし、講師が語った「3割の労力で売上の7割」「利益率は他の倍」という数値はすべて本人の自己申告であり、外部から検証できるものではない。本レポートでは発言としてそのまま記録する。
自己評価をオールFにする ―― 昇進を避けるという最適化
次に語られたのは、さらに徹底した話だった。彼は給料を上げてほしくなかったので、人事考課の自己評価を全項目Fで提出していた。数十項目に自己評価と上司評価を並べる形式のシートで、すべて最低評価を付けた。当然、上司からは「お前、Fはないだろう」と言われる。だが「別にサボっているので」と返していた。参加者が「一生懸命仕事に取り組めたか、でF」と笑い、「それはFだね」という応酬になった。商社のなかでも前代未聞の回答だっただろう、というのが場の総括である。
なぜ昇進を避けたのか。理由は二つ挙げられた。ひとつは、昇進しないほうが部下を持たずに済んで楽だから。もうひとつが独特で、彼にとって楽しいのは部下に仕事を振ることではなく、上司に仕事を振ることだったからだという。しかも上司のほうが間違えずに正しい情報をくれる。営業もプレゼンも自分でできるし、売上も自分で取ってくるのだから、部長や課長には自分の雑用をしてもらったほうがチームの売上のためになる――そう上司にはっきり伝えており、相手も了解していたという。資料を集めておいてくださいと頼めば、了解と返ってくる関係だったと本人は語る。
10か国開拓して年4万円 ―― インセンティブの実効レートを測る
制度の壊れ方を最も端的に示したのが、新規市場開拓の挿話である。ある年、彼は新規市場開拓に力を入れ、10か国ほどで新たに顧客を作った。国内ではなく、別の国での新規顧客である。その成果が賞与に反映されますと言われて、実際に上がった額が年4万円だった。
その場で参加者が「1か国あたり1万6千円くらい狙えるなら誰かやるのでは」と計算しかけたが、講師が訂正した。10か国で4万円なのだから、1か国あたり4千円である。「誰が4千円でやるんだ」。彼の結論は「二度とやらない」だった。参加者からは「なかなか素晴らしい評価制度ですね」という皮肉が返った。
副業が本業の年収を月で超えるとき ―― 交渉力の源泉
ここまでの強気な立ち回りを支えていたものが、最後に明かされる。彼は会社員として働きながら、仕事の合間に自分でシステムを作り、物販のような事業を回していた。その収益が、1か月で本業の年収を超えていたという。25〜26歳ごろの話で、30歳のときにそのシステムを売却している。参加者から「会社の金で海外に行くためにいる、ということですね」と言われ、彼は肯定した。
本業の年収と同額が毎月自動的に入ってくるのなら、会社の給与は判断に影響しない。むしろ人が増えて若手の育成を任されるほうが面倒だ、と彼は言う。だから空いた時間は自分の勉強に充てていた。会社は楽で、楽しかった。9時始業なので8時58分に出社し、18時には退社して18時2分には帰宅していた。商社で残業を一度もしたことがない、という話に参加者は驚いていた。
没頭しない技術 ―― 相手のペースに合わせて手を抜く
話の終盤、テーマは働き方そのものに移った。ある参加者が、勉強会の実習で講師が短時間で成果を出すのを見て「徹底的にやったらどこまで行くのか分からない」と評した。講師の答えは意外なものだった。彼は意図的に仕事を分散させ、すべてを軽く触るだけにしている。そうすると相手のペースより少し速く、ちょうどいい塩梅になる。思いきり没頭したら恐ろしいことになると思うので、自分では絶対にやらない――という。
この「合わせる」という感覚は、別の参加者からも共有された。30分ほどで作ったレポートを次々に配っているだけなのに、周囲から「なぜこうなるんですか」と言われる、という話である。講師はここで重要な指摘をする。2〜3時間かけて作り込んでしまうと、内容が飛びすぎて相手がついてこられなくなる。だから適当に仕事をしておけばいい、というのが彼の結論だった。
質疑応答(この回・PART 0〜6に属するもの)
宿題・アクションアイテム
- 自分が属する組織の報酬関数を紙に書き出す。等級ごとの上限、賞与の算定式、目標超過分の扱いを具体的に確認し、「追加の努力1単位に対して増える金額」を実額で求める。
- 過去1年で自分が上げた成果のうち、賞与に実際に反映された増分を特定する。講師の「10か国で4万円」に相当する数字が自分にもないかを検証する。
- 翌期の目標が今期の実績に連動して引き上げられる仕組みになっているかを確認する。連動しているなら、期中に出しすぎることが将来の自分への負債になっていないかを検討する。
- 退出オプション(会社を辞めても成立する収入源)の有無が、自分の交渉可能な範囲をどう規定しているかを言語化する。なければ、それを作るコストと期間を見積もる。
- 投資対象の企業について、役員報酬・従業員報酬の制度に天井があるかを有価証券報告書と人的資本開示から確認し、上位人材の能力が制度によって抑制されていないかを評価軸に加える。