STUDY REPORT / 2026年4月度 勉強会

冷たい社会とカーストの設計
――制度ロジックの源泉としての宗教と植民地統治

制度理論・第2回/同質化の対外的な強さ、埋め込み、そして「制度を設計した側」の視点

EXECUTIVE SUMMARY

同質化は外圧に強い――だから設計する側は同質化を使う

冷たい/熱い
レヴィ=ストロースの社会二分法
宗教
制度ロジックの最大の源泉(講師)
casta
カーストの語源はポルトガル語
1871年
英領インドの国勢調査による類型固定
士農工商
日本における住み分けの装置
課題の固定
インド人経営者の強さの説明仮説

前半で扱った同質化の議論を、講師は次の論点に引き継いだ。制度には制度ロジックというものがあり、ロジックが違う者同士が出会うと対立が起こりやすい。しかし同質化を壊すには、まさにそのロジックが違うところから人を連れてこなければならない。そして制度ロジックの中でもっとも大きな影響を持つのは宗教である――この宣言から、この回の後半が始まる。講師は「宗教の理解がなくて、果たしてビジネス的に勝てますか」とまで言い切った。

渡辺氏がこれを受けて提示したのは、宗教を先に定義するのは難しいが、私たちが当たり前だと思っている多くのことは、実は長い時間をかけて培われてきたものだ、という視点だった。家族の形が文化圏ごとに違うこと、父親中心の核家族もあれば母親中心の文化もあること、長男が他の兄弟に対して特別な位置を占めること――これらは他の民族では違う。規制だと思っていないところが実は規制であり、組織を作り上げているものだと思っていないものが実は組織の構成要素になっている。無意識のレベルで自分たちを作っているものを一つずつ解いていくと、制度の強さが見えてくる。渡辺氏はこの回を通じて、宗教を「その社会が何を問題とし、何を乗り越えてきたか、その歴史そのものが日常的な常識にまで掘り下げられたもの」と定義した。

ここから議論はレヴィ=ストロースの冷たい社会/熱い社会へ、そしてインドのカースト制度と植民地統治の設計論へと展開する。この回でもっとも重要な転換は、同質化を「壊すべきもの」としてだけでなく「外圧に対する防壁」として捉え直した点だった。渡辺氏によれば、同質化した冷たい社会は外から敵が来たときに極めて強い。逆にデカップリングすれば、外敵が来たときに裏切り者が出る。組織の強さは、その文化や社会がどういう困難を、どういう地政学的条件のもとで乗り越えてきたかによって決まる。だから、ここで同質化が働くべきなのかそうでないのかは、歴史を見なければ判断できない。

そして最終的な問いは、インドと日本に向かう。カーストは身分制度ではなく、一人ひとりの人生における課題が違うという価値観であり、それを階層の引き剥がしに用いたのがヨーロッパの植民地統治だった、というのが渡辺氏の主張である。この見立てが正しいとすれば、インド人経営者の世界的な強さは、課題が固定されているがゆえのコミットの深さと、異なる層と交渉し続けることで鍛えられたコミュニケーション能力に由来することになる。日本が士農工商を失って得たものと失ったものも、同じ枠組みで論じられた。

セッションを貫く1本の線:制度は「自然にそうなった」ものではなく、誰かが設計して埋め込んだ結果である場合がある。埋め込まれた側はそれを常識として生きるため、設計の痕跡は見えない。制度理論を使うとは、その痕跡を掘り返し、自分が今どちらの側に立っているかを知ることである。
PART 0

宗教という補助線を引く前に

この論点は、質疑応答の流れの中から自然に生まれた。参加者が「講義中の同質化を意識的に壊す時間を設けても、結局そのグループ内の同質化に戻ってしまうのではないか」と問い、講師が「戻る。だから他業界から人を入れるしかない」と答え、渡辺氏がその「他業界」の中身としてアカデミズムを提案した。その延長線上で講師が「別途やろうと思っているのだが」と前置きしつつ持ち出したのが、制度ロジックという概念だった。

制度ロジックが違う組織同士は対立しやすい。だからこそ、同質化を壊すためにはロジックが違うところから連れてこなければならない。そして、その制度ロジックの中で最大の影響を持つものは宗教である。講師はこの接続を提示したうえで、渡辺氏に振った。以降のセクションは、その応答を再構成したものである。

📌 Claude補足:制度ロジックという概念の位置づけ

「制度ロジック(institutional logics)」は Roger Friedland と Robert R. Alford が1991年の論考「Bringing Society Back In」で提示し、その後 Patricia H. Thornton と William Ocasio が発展させた概念で、社会には市場・国家・家族・宗教・専門職などの複数の制度秩序があり、それぞれが独自の組織原理と正当化の論理を持つとする。したがって講師が「制度ロジックの中で最大の影響を持つのは宗教」と述べたのは、この枠組みが並列に扱う複数のロジックのうち、宗教に特別な重みを置く立場を取ったことになる。理論の標準的な記述では宗教は複数のロジックの一つであり、序列は付けられていないため、これは講師の見解として区別しておく必要がある。

PART 1

冷たい社会と熱い社会――同質化は外圧に対して強い

渡辺氏が持ち出したのは、レヴィ=ストロースによる冷たい社会と熱い社会という二分法だった。冷たい社会は同質化(アイソモーフィズム)が起きていて、大きな問題が起こっても組織内部でコントロールしてしまう。これはこれで一つのメリットで、破綻しない。外部に対して強い。外から敵がやってきたとき、この同質化がなければ一気に終わる。「同質化は悪い」とよく言われるが、外圧に対しては極めて強い、というのが渡辺氏の要点である。

逆に、同質化を意図的に逆行させる、つまりデカップリングをやろうとしている最中に外敵が来たらどうなるか。裏切り者が出る。だから、ここでアイソモーフィズムが働くべきなのか、そうでないのかは、その組織がどういう特質と条件を持ち、どういう地政学的条件のもとで何を乗り越えてきたかを見なければ判断できない。冷たい社会が長らく強かったのは、外敵に対して強かったからである。しかもここでいう外敵とは多民族だけでなく、自然環境、その地方特有の獣、病原菌なども含まれる。一見すると動的でない、活発でない、競争的でない社会であっても、そこには強い合理性がある。

冷たい社会の強み

内部で問題を処理し、破綻しない。外部からの攻撃・自然環境・疫病といった外圧に対して極めて強い。閉鎖性が防壁として機能する。

冷たい社会の限界(現代)

グローバル化した現在、閉鎖社会は脆い。通貨まで受け入れないなら別だが、通貨と市場を無視できない以上、閉鎖の外部にある責任を負わざるを得ない(渡辺氏)。

📌 Claude補足:レヴィ=ストロースの原典と、講義での用法のずれ

冷たい社会(sociétés froides)と熱い社会(sociétés chaudes)は、フランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロースが1962年の著作『野生の思考』(La Pensée sauvage)で提示した対概念である。原典では、冷たい社会は無文字の小規模社会で、贈与の循環によって財が交換される平等主義的な社会とされ、時計のような機械にたとえられる。同じ動きを繰り返し、エネルギーの損失が小さく、エントロピーをほとんど生まない。対する熱い社会は資本主義的な近代西欧文明で、蒸気機関のような熱力学的機械にたとえられ、大量のエネルギーを使ってエントロピーを生み、その作動は資本家と労働者のような階級差に依存している。

ここで注意が必要なのは、原典の対概念は「歴史をどう扱うか(変化を内部に取り込むか、打ち消すか)」の区別であり、「外圧に強いかどうか」の区別ではないという点である。渡辺氏の用法は原典の枠組みを組織論に転用した拡張であり、レヴィ=ストロース自身がそう論じたわけではない。着想として有用だが、出典上の主張として扱うべきではない。

PART 2

宗教とは、歴史が常識にまで沈み込んだもの

渡辺氏の宗教の定義は、信仰の体系としてのそれではない。ある社会が何を問題とし、何を乗り越えてきたか。その歴史そのものが、日常的な常識のレベルにまで掘り下げられたもの――それを宗教と呼んでいる。だからその民族の歴史を見なければ、その民族の課題は見えてこない。企業についても同じで、この企業が直面している課題がどこにあるかを考えるうえで、この視点はどちらの方向にも使えなければならない。

ここから、埋め込み(エンベデッドネス)の議論が出てくる。私たちは自分が何に埋め込まれているかを自覚できない。しかし埋め込まれていることによって得ている力もある。渡辺氏は「日本人には日本人の強みがあるのだから、それをどう使いこなせるかを考えなければならない」と述べつつ、同時に「今の資本主義、この設計された競争においては日本人はすごく弱い」とも言った。両方を並べて提示している点が重要である。

リーダーとは、舵をどちらに切るかを個人に先立って言える人

この文脈で出てきたのが、リーダーシップの定義だった。組織全体にはハンドルがあり、開放的な社会・組織であるか、閉鎖的な組織であるかは、その時期とその時の問題によって実際に切り替えられている。それを個人に先立って言える人がリーダーである。個人には分からないので、リーダーに従わされているだけに思うかもしれない。しかし個人はリーダーを選んでいるし、そのリーダーだからこそ正しく導いてもらったのだ、と渡辺氏は言う。何となく過ごしていても、必ず誰かのリーダーに従っているはずであり、そのリーダーに対しては妥当性をもって「ついていきたい」という動機が働いているはずである。

価値判断が分かれる主張(渡辺氏の見解として明示):「個人はリーダーを選んでいるし、そのリーダーだから正しく導いてもらった」という定式化は、結果として生じた服従を事後的に正当化する構造を含む。実際には、リーダーの選択可能性が制度的に閉ざされている状況(世襲、独裁、選択肢のない組織)は多数存在し、その場合この説明は成立しない。渡辺氏自身も「政治レベルでいけばそれくらい難しい」として、知識人がリーダーシップに失敗して殺されたり民衆から批判されたりした歴史を挙げており、正当性が常に得られるとは考えていない。
ここから導かれた実務的な結論:他人のリーダーの真似はできない。リーダーは組織の舵取りであり、この組織の舵取りは自分である。だから他人のやり方は実は参考にならない。それを意識してやる人がリーダーであり、制度理論をミクロなレベルで自覚的に使える人である。(渡辺氏)
PART 3

カーストは誰が作ったのか――制度設計としての植民地統治

質疑の中で、参加者からインドのカースト制度についての問いが出た。仏教があったところにカーストが入ったのはなぜか、という問いである。渡辺氏の回答は、この回でもっとも密度の高い部分になった。

まず整理として、いま「カースト」と呼ばれているものの価値意識そのものは、ヒンドゥー教が元々持っているヴァルナである。この価値観はきわめて古く、仏教化されても消えない部分があった。インドで仏教が支配的だった時期は非常に短く、7世紀には衰退している。その後、イスラム教やペルシャ系の征服王朝ができ、14世紀あたりからヨーロッパが入ってくる。大航海時代にポルトガルが入り、イギリスが入る。ここで統治者は「インド人をどうやって統治するか」という問題に直面し、分割統治や、彼らの価値観に順じた形での組織化を行った。

渡辺氏によれば、「カースト」という言葉自体はポルトガルから来ており、インドの現地に対して有効だったから使われた。そしてそれは、支配者が支配しやすくするために作られたものである。ただし、なぜそれが人々の中に入り込めたのかという参加者の問いに対しては、5000年かけて作ってきた家族意識のような価値観があり、そのほうが人々にとって合理的だったからだ、と答えている。法律というのは、外から入れたものを内側で「合理的だ」と思ってもらえなければ機能しない。支配者が勝手に作っただけの法律は支持されない、というのが渡辺氏の見立てだった。

📌 Claude補足:語源と制度化の担い手について、発言と公開データの食い違い

語源について:発言どおり、英語の caste はポルトガル語・スペイン語の casta(血統・家系の意)に由来する。この語は中世からイベリア半島の諸言語に存在し、英語でこの意味を持つ綴りの初出は1613年とされる。ポルトガル人は1498年に海路でインドに到達した最初のヨーロッパ人で、彼らが現地の内婚的・世襲的な社会集団にこの語を適用した。「カースト」は南アジアの言語には存在しない外来の語であり、現地の概念はヴァルナ(サンスクリット語で「色」)とジャーティ(「生まれの集団」)である。ここまでは渡辺氏の説明と一致する。

食い違うのは「誰が制度として固定したか」である。渡辺氏は「ポルトガルによって作られた」「ポルトガルは法律として作った」と述べているが、公開されている歴史記述では、ポルトガルが供給したのは主として語彙であり、多様な集団を単一の序列化された行政カテゴリーへ統合・固定したのはイギリス植民地政府だとされる。とりわけ1871年に開始された英領インドの国勢調査が、住民に職業と出生に基づく「カースト」への自己分類を強い、それまで流動的だった諸概念を一つの語に統合したことが決定的だったと指摘されている。渡辺氏自身も「14世紀あたりからヨーロッパが入ってくる、ポルトガルが入ってきてイギリスが入ってくる」と述べており、イギリスの関与を排除してはいないが、制度化の主体をポルトガルに帰した点は、公開データの記述とずれる。発言を書き換えず、差として記録する。

「5000年前から」という年代について:要確認 インダス文明の成立は紀元前3300年頃、ヴェーダ時代の開始は紀元前1500年頃、ヴァルナの記述が現れるリグ・ヴェーダの成立は紀元前1200年頃とされるのが一般的な年代観で、「5000年」はインダス文明の起点に近いが、ヴァルナの価値観そのものの年代としては幅を持って受け取るべき数字である。

印パ分割も、憎悪を生むように設計された

参加者から、インド人とパキスタン人が職場で激しく対立する経験が語られると、渡辺氏はこれも制度設計の産物だと応じた。インドとパキスタンを分割させたのはイギリスであり、混在していた二つの価値観の民族をはっきり分け、差別するような法律を作り、しかも憎しみ合うような設計をした制度を作ったからこそ、対立が表面化するに至った。それ以前、インドとパキスタンの混在地帯はずっと平和にやっていた。なぜ近代になって突然対立が激化したのかという問題は、この制度に帰着する、というのが渡辺氏の説明である。背景としては、イギリスがロシアとグレート・ゲームを行っており、住み分けを作ることでイギリスの言うことを聞きやすい国を作る必要があった、という指摘も添えられた。

渡辺氏が最後に置いた一般則:植民地政策とは、その民族の歴史を見て、どういう法則で彼らが納得するのかを把握し、自分たちが向かせたい方向と彼らが持っている合理性とを一致させたところに成立する。だから、数百年経つと人々は「もともと憎み合っていたかのように」思う。私たちの記憶はせいぜい100年以内なので、それ以前に平和にやっていたことを忘れてしまう。
PART 4

日本における同じ構造――士農工商とGHQ

渡辺氏はこの枠組みを日本に折り返した。日本人にとっても、身分階級としての士農工商は価値観として入りやすかった。日本人も一枚岩ではなく、いろいろな種族と価値観を持つ人たちがいた。そこに対してこういう分け方をすることが合理的だと、みんなが納得した。もし日本が植民地化されていたら同じことをされたはずだ、とも述べている。

そして、住み分けにはデメリットだけでなく価値もあった、というのが渡辺氏の踏み込んだ主張である。分けられていたからこそ、そこに一つの洗練が生まれた。混ざればいいものもできるが、同質化も進む。日本が士農工商を失って何が起こったかというと、圧倒的な同調圧力が生まれた。目に見える社会的な格差が生まれないことによって、かえって同調圧力が強まってしまった、という見立てである。

対立する見方の併記:身分制の解体が同調圧力を生んだという因果は、渡辺氏の解釈であり、実証された定説ではない。日本の同調圧力については、村落共同体の相互監視、近代の国民国家形成、高度成長期の企業共同体、教育制度など複数の説明が並立しており、単一の要因に帰す議論は慎重に扱う必要がある。また「分けられていたことに価値があった」という評価は、身分制が現に課した不利益(移動の自由の制限、被差別身分の固定)を軽く見るものだという批判が当然に成り立つ。本レポートはこれを渡辺氏の見解として記録し、支持も否定もしない。

同じ視点は戦後にも向けられた。GHQが日本を研究したうえで政策を打ったことは事実であり、その意識は今も国民の中から抜け出せていないのではないか、という問いが参加者から出て、渡辺氏は「植民地化された国民は全部持っていると思う、未だに」と応じた。イラン、中東、トルコ、ギリシャなども同様であり、それが内乱の火種になる場合もある、と補足している。

PART 5

なぜインド人経営者は強いのか――課題が固定されることの力

質疑の後半、参加者からインド人経営者の多さについての問いが出た。サンダー・ピチャイをはじめ、米国大企業のトップにインド出身者が目立つのはカーストの上位層だからか、という問いである。渡辺氏の回答は、カーストの上下ではなく、カーストの構造そのものに理由を求めるものだった。

カーストによって教えられる勉強も文学も全く違う。なぜなら、その人の人生における課題が違うからである。同じインド人だから、同じ市場にいる者同士だから競争する、というのではない。この人生における自分の課題はこれだ、と決められているのがヴァルナ本来の意味である。だから下層なら下層なりに、やらなければならないことが決まっている。逆に、自分のビジョンではないことに手を出すのはダメなのだ、と渡辺氏は言う。

そのうえで、渡辺氏は現代の私たちとの対比を置いた。私たちは選択肢に晒されていることで軸がぶれる。こういう人生がいいな、と次々に思っているうちに、自分の中心軸を失う。軸を失った人間がインド人に勝てるわけがない、という結論だった。マイキー氏も、インドにはドアを開けるだけの仕事があり、それを4代続けている人がいる、手紙を出すだけの担当者が休んでいるから手紙が出せない、といった具体例を重ね、スペシャリストとして戦ったら勝てない、コミット力が違う、と応じた。同席した参加者からは、パキスタンの縫製工場でミシンの押さえ金を担当する人が生涯その仕事をしていた、という同種の経験も語られた。

渡辺氏が提示した因果の仮説:カースト制度があるからこそ、異なる層と交渉し対処する能力、つまりコミュニケーション能力が高く維持される。その能力を持ち込んだインド人が、格差社会であるアメリカで花開いた。カーストで鳴らされた人たちは、プレッシャーを受けながらも、社会制度が変わることでかえって変化しやすくなり、そこに強いモチベーションが生まれる。要確認(この因果関係は仮説であり、本レポートでは裏付けとなる実証研究を確認できていない。米国におけるインド系移民の高学歴選抜、1965年移民法以降の技能移民制度、英語教育の蓄積など、代替的な説明も広く論じられている。)
Q&A

質疑応答

宗教とは何か。ビジネスの議論にどう接続するのか。
宗教を先に定義するのは難しいが、私たちが考えているものの多くは長い時間をかけて培われてきたものだと捉えるとよい。家族の形が文化圏ごとに違うのも宗教による。規制だと思っていないところが実は規制であり、組織の構成要素だと思っていないものが実は構成要素になっている。無意識のレベルで作られているものを一つずつ解いていくと、制度や組織の強さが見えてくる。(渡辺氏)
何かに従っていないと人間はまとまらない、ということか。自分で選択しているつもりでも、根幹の部分が大きくて自覚できていないのでは。
組織全体にハンドルがあり、開放的な社会にするか閉鎖的な組織にするかは、その時期とその時の問題によって実際に切られている。それを個人に先立って言える人がリーダーである。個人には分からないので従わされているだけに思うかもしれないが、リーダーを選んでいるのも個人である。(渡辺氏)
引っ張る側に立ったとき、どう考えればよいか。他のリーダーを参考にできるか。
他人のリーダーの真似はできない。リーダーとは組織の舵取りであり、この組織の舵取りは自分である。だから実は参考にならない。それを意識してやる人がリーダーであり、制度理論をミクロレベルで自覚的に使える人である。行きたい方向とは、今どちらに舵を切るべきかという合理的な判断をプレゼンできるということ。(渡辺氏)
プレゼンとは、人が自覚していないことを自覚させて新しい価値観を受け付けさせることか。
もちろんそうだと思う。ただし政治の水準でいけば、それに失敗して死んだ人が多くいる。19世紀ロシアで、ヨーロッパに対してロシアが立ち行かなくなると見抜いた知識人がいた。状況と論理がよく分かり、客観的に組織を見られる人はたいてい知識人やアカデミズムの人である。しかしリーダーシップに失敗して殺されたり、追放されたり、民衆から批判された人はたくさんいる。全員を敵にまわすからである。だからプレゼンテーションは別のスキルとして必要になる。(渡辺氏)
インドで、仏教があったところになぜカーストが入ったのか。
その価値観を持っているのは元々ヒンドゥー教であり、ヴァルナは仏教化されても消えなかった。インドで仏教が支配的だった時期はごく短く、7世紀には衰退している。その後イスラム教やペルシャ系の征服王朝ができ、14世紀あたりからヨーロッパが入ってくる。「カースト」という語はポルトガルから来ており、統治に有効だったから使われた。支配者が支配しやすくするために作られたものである。(渡辺氏)
なぜそれが人々の中に入り込めたのか。
5000年かけて作ってきた家族意識のような価値観があり、そのほうが合理的だったから。輪廻転生の考え方や、日本人の無常観、自然=神とする八百万の考え方と同様のものが、インドではカーストとしてある。法律は、外から入れたものを内側で合理的だと思ってもらえなければ機能しない。支配者が勝手に作っただけの法律は支持されない。(渡辺氏)
それは身分制という意味ではないのか。
身分制ではない。人には生まれ持ったカルマがあり、それに対してその人の生き方・職業・価値観をどう合理化していくかという住み分けが行われる。社会で経済活動を行うにあたって、その人はヴァルナに従った生き方や価値観を持って社会に関わる。整理して関わり方を与えるのが本来の価値観であり、これを身分に持ってきたのはヨーロッパの国である。(渡辺氏)
カルマを自分の努力で変えるという考え方は人々の心の中になかったのか。
元々あった。変えようという気持ちはあった。ただし、ヒンドゥー教におけるカルマの変化と仏教におけるそれとは違う。それとは別に、ポルトガルは法律として作り、統治しやすくなるという動線を経済的に作った。(渡辺氏)
モディ首相もそれを理解して動いているのか。
もちろん。ヒンドゥー教徒とイスラム教徒をどう合体させるかを考え、それに対する制度をもう一度作ろうとしている人である。(渡辺氏)
インドとパキスタンはなぜあれほど仲が悪いのか。
分割させたのはイギリスであり、制度理論を使って、混在していた二つの価値観の民族をはっきり分け、差別する法律を作り、憎しみ合うような設計をした制度を作ったから。それ以前、混在地帯はずっと平和だった。なぜ近代になって突然対立が激化したのかという問題は、この制度に帰着する。イギリスはロシアとグレート・ゲームをしており、言うことを聞きやすい国を作る必要があった。(渡辺氏)
インド人経営者が多いのはカースト上位層で教育資金が大きいからか。国のバックアップはあるのか。
大きな転換点は1990年代前半。インド人コミュニティが米国で広がり、米国の教育を受け、アメリカンドリームが生まれた。インド側では人材が米国に流れること自体が社会問題として捉えられている。戻る人もいるが、たいてい引き抜かれる。米国では現地のインド人コミュニティが非常に強い。ドバイなどにも優秀なインド人が多数いるが、彼らも戻らない。仕送りという事情もある。(渡辺氏・マイキー氏)
アジア系(中国・台湾・韓国)は帰国する傾向があるのか。
自分の学生時代の知り合いの中国人はみんなアメリカにいる。台湾系はかなり戻っている。韓国系も戻っている人が多い。日本人で戻ってきた人として知っているのは、マイキークラブでアメリカにいた人たちくらい。(マイキー氏)
カーストによって教えられる勉強や文学も全く違うのか。
全然違う。なぜなら、その人の人生における課題が違うから。同じインド人だから、同じ市場にいる者同士だから競争する、というのではない。この人生における自分の課題はこれだと決められているのが本来のヴァルナである。下層なら下層なりにやるべきことが決まっており、逆に自分のビジョンではないことに手を出すのはダメだとされる。(渡辺氏)
HOMEWORK

宿題・アクションアイテム

  1. 自社・自業界において「規制だと思っていないが実は規制になっているもの」を3つ書き出す。就業規則や法令ではなく、誰も明文化していないのに全員が従っているものを探す。
  2. 投資対象・取引先の国について、その民族・社会が何を問題とし、何を乗り越えてきたかという歴史を1件調べる。渡辺氏の言う「民族の歴史を見なければ民族の課題は見えない」を実地で試す。
  3. 参加者の一人が来週インド人の友人と議論するとして「理論武装しておく」と述べた。カースト=身分制という理解と、ヴァルナ=課題の割り当てという理解のどちらが相手の自己認識に近いかを確認する。
  4. 自分の組織が今「冷たい社会」寄りか「熱い社会」寄りかを判定し、直面している主要な脅威が外圧なのか内部の硬直なのかを突き合わせる。
GLOSSARY

用語集

制度ロジック社会に並存する複数の制度秩序(市場・国家・家族・宗教・専門職など)がそれぞれ持つ組織原理と正当化の論理。講師は宗教を最大の源泉と位置づけた。
冷たい社会/熱い社会レヴィ=ストロース『野生の思考』(1962)の対概念。前者は変化を打ち消す無文字社会、後者は階級差を動力とする近代西欧社会。
埋め込み(エンベデッドネス)個人や組織が、自覚しないまま社会的・文化的な構造に組み込まれている状態。そこから得ている力も、そこに縛られる不自由も同時に生じる。
ヴァルナサンスクリット語で「色」。ヒンドゥー教における社会的カテゴリーの枠組み。渡辺氏は身分ではなく「人生の課題の割り当て」と説明した。
ジャーティ「生まれの集団」を意味する語。ヴァルナとは区別される、実際の内婚集団の単位。
casta(カスタ)ポルトガル語・スペイン語で血統・家系を意味する語。英語 caste の語源で、この意味での英語初出は1613年。
分割統治被支配集団を意図的に分断・対立させて統治コストを下げる植民地統治の手法。渡辺氏は印パ分割をその典型として挙げた。
グレート・ゲーム19世紀、中央アジアの覇権をめぐるイギリスとロシアの戦略的対立。渡辺氏はイギリスの南アジア統治の動機として言及した。