「1日5冊」という単純きわまりない数字を、なぜ個人ではなくチームに置いたのか。その一点から、KPIという言葉の使われ方そのものが問い直された回。
この回は約84分、ほぼ全編が質疑応答で構成されている。講師(マイキー氏)が一方的に講義するのではなく、参加者からの質問に答えるかたちで論点が芋づる式に引き出されていく。テーマとして掲げられていたのは進行中の出版プロジェクトの実行フェーズだが、実際に時間が割かれたのは、そこで使われている「1日5冊」という数字がなぜその形をしているのかという一点だった。
議論の中心にあるのは、KPIという語の用法である。講師の立場は明確で、KPIとはシステムの状態を測るための指標であり、個人の働きぶりを測るための指標ではない。したがって個人に割り当てた時点で、それはKPIではなくノルマに変質する。この区別が、この回のほぼすべての論点の出発点になっている。前日3月15日の回で扱われた「ノルマとKPIはどこが違うか」という枠組みを引き継ぎつつ、今回はそれを誰に対して設定するのかという配置の問題へと展開させている。
そこから派生して、いくつかの反直感的な帰結が示された。KPIを上回る成果を出した人物は称賛の対象ではなく調整の対象になること。達成感は動機づけとして有用ではなく、むしろ継続の敵として扱われること。パーセンテージ型のKPIが目標値を上回った場合、それは喜ぶべきことではなく分析すべき異常であること。いずれも、KPIを「頑張りを測る道具」ではなく「システムの挙動を読み取るセンサー」と定義したときに、自然に出てくる結論である。
後半では、参加者から「KPIを1つに絞ることと、幅広く探索することはどう両立するのか」という問いが出され、KPIは固定された目標ではなく環境に応じて更新され続ける物差しであり、その更新のためにこそ探索が要る、という接続が示された。KPIと知の探索は対立しない、というのがこの回の締めくくりにあたる論点である。
この回で語られるKPIは、書籍を書店で購入する取り組みを対象にしている。書店POSを経由してベストセラーランキングに影響を与えうる性質を持つ手法であり、本レポートはその実行方法を再現できる粒度では記述しない。何をどの店舗でいつ、といった手順は扱わず、あくまで「KPI設計の題材として何が語られたか」に限定する。
ランキングの人為的形成については、読者に売れ行きの実態を誤認させる、書店・取次・集計側が対策を講じている、著者と出版社の信用を毀損しうる、といった批判が業界内外に存在する。本レポートはこの手法を推奨しない。KPI論として読める部分のみを取り出している。
この回でもっとも踏み込んだ主張が出たのは、営業の現場を持つ参加者からの質問に答える場面だった。質問は素直なものである。営業の世界ではKPIが個人単位で設定されることが多い。訪問件数を一人あたり何件、という形である。しかしそれがうまく機能している例をあまり見たことがない、という実感が添えられていた。
これに対する講師の応答は、機能していないのではなく、そもそもKPIとして設定されていない、というものだった。理由は定義から導かれる。KPIとは、システムをどう回すかを測るための指標である。システムを測る指標を、なぜ個人に割り当てるのか。個人に配ってしまえば、そこから返ってくるのは個人の能力の測定結果でしかなく、システムがどこで詰まっているかは見えない。「個人に設定している時点でKPIをわかっていない」「それはノルマです」という言い方で、講師はこの区別を強く打ち出している。
この主張の背景として、TOC(制約条件の理論)が引き合いに出された。TOCの原典である『ザ・ゴール』は、工場を舞台にした小説の形式をとりながら、問題を発見し、解決し、また次の問題を発見する、という循環を扱う。講師が指摘したのは、この本が最初からチームを前提として書かれている、という点である。全体の流れのどこが制約になっているかを探すという発想そのものが、個人単位の測定とは相容れない。
『ザ・ゴール』は物理学者エリヤフ・ゴールドラットが1984年に発表したビジネス小説で、制約条件の理論(Theory of Constraints, TOC)を製造現場の物語として提示したもの。日本語版はダイヤモンド社から2001年5月に刊行され、原著から17年遅れての翻訳となった。日本語版も68万部超のベストセラーとされる。
講師の「チームを前提に書かれている」という読みは、TOCの基本発想と整合する。TOCは工程全体のスループットを制約工程(ボトルネック)が規定すると考えるため、測定対象は個々の作業者ではなく工程の連なりになる。個別最適が全体最適を損なうという論点は、TOCの中心的な主張の一つである。
この延長で、講師は自身が組織を見るときの視点を述べている。各チームのリーダーごとにやり方が異なっていても統一しない。むしろ複数のやり方が並走している状態を維持したいという。理由は、問題が起きたときに対処の選択肢が増えるからである。同じKPIを掲げていても、そこに至る経路が複数あれば、状況が変わったときにどの経路へ寄せるかを選べる。統一してしまうと、その選択肢自体が消える。
ここでも視線の向き先はシステムである。個人が何冊買ったかではなく、どのやり方がどういう条件下で機能したか。それを比較できる状態に保つために、あえて足並みを揃えすぎない領域を残している、という設計になっている。
「1日5冊」というKPIに対して、自分の判断でそれ以上の数を積み上げて報告する参加者が現れていた。これについて、その動きを抑えるのもリーダーシップの役割かという質問が出た。講師の答えは、抑えるのが正しい、である。
その理由づけに使われたのが、組織を機械として見る比喩だった。組織を構成する人はパーツである。パーツには相互に噛み合う設計がある。そこで、軽自動車にF1のエンジンを積んだらどうなるかという問いが投げられる。出力だけを上げれば、ボディがそれに耐えられない。数字だけを個別に押し上げようとすると、これと同じことが組織で起きる。
短期的な合計は増える。ただし、その水準が新しい期待値になり、達成できないチームとの差が広がる。個人差が組織の設計に持ち込まれ、システムとしての読み取りが難しくなる。
合計は伸びない。しかし各チームの出力が揃うため、条件を変えたときに何が効いたのかが読める。数字が「センサー」として機能し続ける。
この文脈で、講師は自分がなぜ「ノルマ」という語をこの取り組みで使わなかったのかを参加者に問い返している。参加者から返ってきた答えは的確だった。ノルマと言えば、5冊を超えた分だけ上乗せで評価される構造になってしまう。ノルマは下限であり、上限ではない。だから上限を意味させたい場面ではノルマという語を避け、「1日5冊です」とだけ言い切る形をとった、という説明である。
関連して、パーセンテージ型のKPIについての質問も出た。営業現場で商談化率30%といった目標を設定した場合、34%まで上がったらそれは良いことなのか、それとも30%へ戻すべき異常なのか、という問いである。講師の回答は、良し悪しではなく差分の使い道に向いていた。34%を出せるチームと25%にとどまるチームが同時に存在するなら、その34%は「上振れ」ではなく「移転可能なノウハウ」である。上のチームに下のチームを教育させ、平均が引き上がるなら、そのときはじめてKPI自体を上方修正できないかを検討する。
つまり上振れは、単体では意味を持たない。他の単位と比較したときにはじめて情報になる。ここでも一貫して、数字は個人の成果ではなくシステムの読み取り材料として扱われている。
参加者から、KPIには達成感も大切ではないか、という趣旨の意見が出た。これに対して講師は、はっきりと逆の立場をとっている。達成感は持たせないほうがよい。理由は、KPIが継続を前提とする指標だからである。達成感はゴールに到達した感覚であり、一度そこに触れると、そこで終わりうる。継続させたい行為に対して終着点の感覚を与えるのは、設計として矛盾している。
代わりに置かれるのが「日常化」である。特別な達成ではなく、当たり前に反復される状態にまで水準を落とし込む。ここは前日の回や既存の組織設計の議論とも通じるが、今回は動機づけの側から同じ結論に到達している点が特徴的だった。
医療に携わる参加者から、感覚として近いものがある、という応答があった。完全に治って終わる、を繰り返すよりも、8割くらいの状態でずっと生き延びている、という形のほうが望ましく思える場面がある、という趣旨である。これを受けて講師が持ち出したのが、野球の比喩だった。
この主張は、価値判断が分かれうる論点である。実際の球団運営やスポーツ評価においては、突出した得点力そのものが戦略的資産として扱われる場面も多く、「ばらつきの小ささが常に優位」とは限らない。ここで述べられているのは、あくまでKPIという物差しを当てたときの評価であり、選手としての優劣一般の話ではない。講師自身も「KPIの視点から考えたら」という限定をつけて話している。
この流れで参加者から『マネーボール』の名が挙がり、講師も発想が同じであると認めた。資金力のない球団が、既存の評価軸ではなく別の指標で選手を選び直す物語である。何を測るかを変えることで勝ち方を変える、という点で、この回の主題と重なっている。
原作はマイケル・ルイスによるノンフィクション『マネー・ボール』(2003年、米国刊)。オークランド・アスレチックスのゼネラルマネージャー、ビリー・ビーンがセイバーメトリクスと呼ばれる統計的手法を用いて低予算で強豪チームを築いた経緯を扱う。2011年にベネット・ミラー監督、ブラッド・ピット主演で映画化された。講師が本編で「映画がある」と紹介したのはこの2011年版を指す。
KPIを一定に据え置くと、組織の関心は自然にある方向へ向かう、と講師は言う。数字が動かないなら、次に考えることはその数字をいかに楽に出すかである。誰がいつ担当するかを配分し、負荷を分散し、手順を型にする。参加者からも「分散する」「配分してコントロールする」という言葉が出て、講師はそれを肯定した。
ここで起きているのは、目標達成の努力ではなくシステムの構築である。そして、楽にできるようになれば余裕が生まれ、余裕が生まれてはじめて、より良い方法の探索や、水準そのものの引き上げが検討できるようになる。順序としては効率化が先、増加は後である。
| 段階 | 組織が向かう関心 | KPIの役割 |
|---|---|---|
| KPIを固定する | いかに負荷を下げて同じ数字を出すか | 探索の方向を1つに絞る制約条件 |
| 効率化が進む | チームごとに異なる型が生まれる | 型の違いを比較可能にする共通単位 |
| 余裕が出る | 型の移転、水準の見直し | 上方修正の判断材料 |
もしKPIが日々引き上げられていたらどうなるか。5冊が翌日10冊、その次に15冊となれば、やりやすさを追求する余地は消える。全員が達成そのものに追われ、システムは組み上がらない。KPIを動かさないことは、目標が低いことを意味しない。効率化のための時間を組織に与えるという意図的な設計である、というのが講師の説明だった。
もっとも、この論理には前提がある。固定されたKPIが「達成できて当たり前」の水準に置かれていること、そして固定されている期間が、型が生まれるだけの長さを持っていることである。水準が高すぎれば効率化ではなく消耗が起き、期間が短すぎれば型が定着しない。講師も「フェーズによってどんどん変えていったほうがいい」と述べており、固定は恒久的なものではなく、あくまで一つの局面での選択として語られている。
会の終盤、参加者から鋭い問いが出た。KPIは目的地を1つに絞れという話だった。しかし別の回では知の探索、つまり広く手を伸ばすことの重要性が語られている。この二つがうまく繋がらない、という質問である。
講師の答えは、KPIを「目標」ではなく「物差し」と捉え直すところから始まった。物差しは、それ自体が目的地なのではなく、いまの状態を測るための道具である。そして道具である以上、環境が変われば作り直さなければならない。では、いつ・どう作り直すかを判断する材料はどこから来るのか。外部を調べることからしか来ない。つまり探索は、KPIと競合する活動ではなく、KPIを更新するために必要な前工程である。
例として給与設定が挙げられた。適切な給与水準は時代によって違う。同業他社がいくら払っているか、初任給の平均はどうか、物価はどう動いているか。それらを調べなければ、水準は決められない。給与という物差しを環境に合わせ続けるためには、周囲を調べる能力が要る。KPIも同じ構造にある、という説明である。
講師はこの文脈で「ダイナミック・ケイパビリティ」に言及している。環境変化に応じて自社の資源配置を組み替える能力を指す経営学の概念で、デイビッド・ティースらによる1997年の論文で広く知られるようになった枠組みである。既存資源を効率的に使う能力(オーディナリー・ケイパビリティ)と区別され、変化する環境下での持続的優位の源泉として論じられる。KPIを固定して効率化を進めることと、その物差し自体を組み替え続けることは、この枠組みでは別々の能力として整理される。要確認 講師の説明とティースの定義の対応関係については、本レポートでは原典に当たっての照合まで行っていない。
もう一つ、探索の質についての話も出た。同じ調査でも一人で行うより誰かと組んだほうが広がる。さらに、その相手が自分と近い属性の人物より、距離のある相手であるほうが広がる。ここで講師は「相手との距離が遠いほうが、より広く考えられる」と述べている。この視点は、建物を正面からしか見ていない人は、その建物の形を知ったことにならない、という比喩で補強された。横から見る、上から見る、他の建物と比べる。そうしてはじめて対象の形が分かる、という趣旨である。
この「一つの正解を出さない」という姿勢は、講義そのものの運び方にも表れていた。参加者から「この理解で合っているか」と確認を求められた場面でも、講師は「そういう見方もある」という形で答えている。理由も明示されていた。これが正解ですと言い切ると、参加者は他の見方を探すのをやめてしまうからである。
そうなる。組織において人はパーツであり、噛み合いを無視して出力だけを上げると、軽自動車にF1のエンジンを積むのと同じことが起きる。足りない場合の底上げと同様、行きすぎを抑えることも組織を成り立たせる作業に含まれる。
(参加者の回答)ノルマと言えば5冊以上やった分だけ加算される構造になってしまうから。講師もこれを肯定し、上限側の調整が必要になる設計だからこそノルマという語を避け、「1日5冊です」とだけ言い切ったと説明した。
講師は逆の立場。KPIは継続することが前提の指標であり、達成感を持たせると、そこで終わってしまいかねない。重要なのは達成ではなく日常化である。
講師はこれを、KPIの視点で優れた選手はどちらかという問いに置き換えた。ホームランで得点を作る打者よりも、シングルヒットを高い打率で継続できる打者のほうが、KPIの視点では優れている。絶対的なパフォーマンスではなく、質が均一に担保されていること、ぶれが小さいことが重要になる。
その入り方は難しい。KPIとKGIは必ずしも上位・下位の関係にアップグレードされていくものではないため、全体の設計の話をしないと成立しない。今日は論点を絞ったほうが見えやすいだろう、として深入りを避けた。
まさにそう。資金のない球団が、資金に頼らず強いチームを作るために試行錯誤する話であり、機会があれば見てみるとよい。
その通り。これはパズルであり、それぞれのピースには形がある。全体としてどう嵌め込むかが問題であって、大きい小さいは問題ではない。小さいピースだと思っていても重要な位置を占めることはある。大きさや貢献度という見方をしてしまうと、KPIとしてもずれてしまう。
階層は置かない。KPIは単純にKPIとして運用する。ただし人によってスケジュールは異なるので、その差をどう調整するか、幅をどう考えるかがチーム内で重要になる。個々の行動の優先順位を書き出して調整するのは、その一環である。
その企業についても機能していないと見ている。まず個人で設定する時点で機能しない。KPIはシステムをうまく回すための指標であり、システムを回すのになぜ個人に設定するのか、という話になる。評価に結びつけようとするがゆえに個人単位になっているケースが多く、その時点でそれはノルマである。
ある。車の比喩で言えばリーダーシップが右輪、マネジメントが左輪、KPIはもっとも近い目的地にあたる。どこに行くか分からなければ、そもそも車を走らせようがない。何を測るべきかが定まらない局面では、KPIという形をとらないこともありうる。
そう。10冊買っても、それ自体には意味がない。5冊で止めたうえで、次に組織が何を考えるかのほうが重要になる。楽にやる方法を探し、分散し、システムを作る。その過程で機会が増えていく。
まずKPIはできるだけ少ないほうがよく、可能なら1つに絞るのが望ましい。目的地が多いと、どこへ向かえばよいか分からなくなる。KPIを羅列している組織は失敗する。そのうえで34%については、同時に25%にとどまるチームがあるなら、34%のノウハウを持つチームに他チームを教育させて全体を引き上げられないかを考える。それで平均が上がるなら、KPI自体を上げられないかという検討に進める。フェーズによって変えていくのがよい。
その段階で決めていかないと、ずれてしまう。ただし捉え方は複数あり、それが唯一の正解というわけではない。そういう見方もある、という答え方のほうが適切だと考えている。これが正解だと言い切ると、他の見方を探すことをしなくなってしまうため。
KPIはあくまで物差しであり、環境によって変えなければならないもの。その物差しを環境に合わせて適切に変えるためにリサーチが要る。給与設定と同じで、同業他社の水準、初任給の平均、物価などを調べなければ適切な数値は決められない。良い人材を適正なコストで得るために、その水準を変え続ける必要がある。だから探索する能力が必要になる。