勉強会の後半、書籍プロジェクトの話が一段落したところで、講師は「スタートアップとユニコーン企業の裏側」という主題に切り替えた。出発点にある問いは、日本のユニコーン企業数がなぜ少ないのかである。ただし答えの方向は、日本の産業力や起業家精神といった話ではなかった。米国や中国でユニコーンが増え続けるのは、金融の仕組みと契約の技術によって指数関数的に増える構造になっているからだ――というのが講師の主張である。
説明は三層に分かれていた。第一層は評価額そのものの作り方で、未上場企業の価値算定に用いられる三つのアプローチと、そこで何を分母に選ぶかという裁量の話である。第二層は契約条項で、残余財産分配優先権、希薄化防止条項、IPOラチェットといった、投資家の取り分を先に固定する仕組みが扱われた。第三層は会計で、未上場では独自の利益定義が可能であることと、それが上場申請時に露見する構造が説明された。
そして最後に、講師自身が過去にこの設計側に立った経験を語った。売上が乏しい企業の評価額を引き上げるために、まず海外の主要メディアで特集を組ませ、次に指標を売上からユーザー数へ差し替え、評価を出す査定会社を選び、セカンダリー市場で一般の買い手に売り抜けさせた――という内容である。本人はこれを「詐欺と言われるやり方かもしれない」と自ら述べたうえで、投資家を保護するための依頼だったと位置づけた。
上場企業の時価総額は、株価と発行済株式数の積としてリアルタイムに算出される。値動きがあり、市場全体の需給が反映される。ところが未上場企業にはチャートがない。ではどこで価値が決まるのか。講師の答えは明快で、資金調達ラウンドでほとんど決まる、というものだった。いくらの評価でいくら調達したか。それが評価額として通用する。
その調達ラウンドで用いられる算定手法は三つある。順に説明された。
| 手法 | 説明と、講義内で示された論点 |
|---|---|
| コストアプローチ | 今のサービスをゼロから作り直した場合にいくらかかるか、という発想で価値を出す。IT企業は箱よりブランドと仕組みが本体であるため、本来はほとんど使われない。ただし、マーケティング費用やブランディング費用といった本来は費用である支出を「価値を構築するための投資」として算入する余地が生じる、という指摘があった。 |
| インカムアプローチ | 将来のキャッシュフローを現在価値に割り戻して算出する(DCF)。将来100億円になるという見積もりを、現在の価値に換算する。不動産で言えば、将来の家賃収入を先に見積もって外に出すやり方にあたる。講師は、赤字のユニコーンに適用するのは不適切であり、将来収入の見積もりを盛れてしまうため現実性に欠けると評した。 |
| マーケットアプローチ | 最も使われる手法。類似の上場企業や類似取引と比較して算定する。講師の比喩では「隣の家が高級住宅街だから、自分の家にも価値があると錯覚させる」やり方である。SNSサービスを運営しているなら、大手SNS企業の倍率を持ってきて自社に当てはめる。比較対象の選定そのものが結果を決める。 |
マーケットアプローチが最も強い裁量を生むのは、比較の基準に何を使うかを選べるためである。講師はこれを「分母を何にするか」という問題として整理した。企業価値は売上の何倍、という形で示すのが標準だが、売上が1億円しかなければ大きな数字にはならない。そこで売上ではなく別の指標を持ってくる。
示された階段は次のとおりである。売上が乏しければユーザー数を分母にする。ユーザー数が1万人しかいなければ、ユーザー数の成長率を分母にする。5,000人が1万人になったなら成長率は2倍であり、成長率という指標の上では大きな数字が出る。同席した投資実務の経験者からも、成長率を3年平均で見るか直近で見るかによって結果が全く違う、という補足が入った。日本の経営者は米国企業を参照したがるため、倍率の高い米国企業を比較対象に持ってきた、とも語られている。
講師は「アメリカが1位、2位が中国、その後にドイツ、韓国と続き、日本は韓国・ブラジルより低く17位」、また別の箇所で「アメリカに1,000何百社、中国が600社、韓国も50社以上、日本は10社ない」と述べた。公開されている集計と突き合わせると、一致する部分と食い違う部分がある。
2026年3月時点で世界のユニコーン企業は1,300社超、累計評価額は4兆ドル超とされる。国別では米国が単独で世界の半数以上(約650〜780社)、次いで中国が約170〜280社、インドが約70〜90社と続く。日本については経済産業省調査で8社、別の集計で9社・世界12位とされている。
したがって、「日本は10社に届かない」という講師の認識は公開データとほぼ一致する一方、「中国600社」は過大であり(世界全体で1,300社超という総数と整合しない)、「日本は17位」も公開集計の12位とはずれる。米国の総数として挙げられた「1,000何百社」は、世界全体の数値と混同されている可能性がある。国別集計は調査機関ごとに定義と時点が異なるため幅が出るが、中国の桁については差が大きい。なお日本政府は「スタートアップ育成5か年計画」でユニコーン100社という目標を掲げている。
講師が「投資家なら絶対に見るべき」と繰り返したのがタームシート、すなわち投資契約の条件書である。ここで起きているのは、投資家が高い評価額を認める代わりに、自分たちのリターンを守る優先権を確保するという交換である。評価額の高さそのものが、投資家にとっての条件交渉の材料になっている、という構造が説明された。
契約書に「1x」「1.3x」「2x」「3x」といった表記が現れる。これは投資額の何倍までを他の株主に優先して回収できるかを示す倍率である。講師の例示では、評価額10億ドルの企業に1億ドルを出資した投資家が3xの条項を持っている場合、会社が3億ドル以下で売却されたとしても、その投資家は3億ドルまでを優先して受け取る。実質的に元本の3倍が保証される形になる。
この構造の帰結は、創業者と従業員の側に現れる。優先権を持つ投資家に売却額が吸い込まれるため、株式を持っていても手元に何も残らない事態が起こりうる。講師は具体例として、10億ドル超の評価額を持ちながら最終的に4億ドル程度でブラックベリーに売却された企業を挙げ、売却益はすべて優先権を持つ株主に渡り、従業員と経営者にはほとんど何も入らなかったと述べた。
講師が名前を挙げた企業は Good Technology である。公開情報を確認したところ、ブラックベリーは2015年に同社を4億2,500万ドルの現金で買収し、同年11月2日に完了している。「4億ドルぐらい」という発言は正確である。同社は買収前に10億ドル超の評価を受けていた。
一方、従業員の受取額については食い違いがある。報道によれば、従業員が保有していた普通株の評価は1株44セントで、前年水準の約10分の1に落ちていた。これに対し投資家と経営陣が保有していた優先株は1株約3ドルと、およそ7倍の開きがあった。つまり従業員側の受取が「1円も入らなかった」わけではなく、正確には普通株が優先株の約7分の1まで切り下げられたという状態である。優先権の存在が普通株主に不利に働いたという骨子は成立するが、ゼロという表現は事実より強い。
なお、この事例では利益を得た株主の一人が、報われなかった同僚のために自らの受取分を提供すると申し出たことも報じられている。優先権の設計が社内で正当性を欠くものと受け止められたことの傍証である。
次に説明されたのがアンチダイリューション(希薄化防止条項)である。100円で株を買った投資家が、次の調達ラウンドで株価が80円に下がった場合、後から入った投資家のほうが有利になる。これを補正するための条項である。
その中でも最も強い形がフルラチェットだと説明された。仮に100円で買った株が次に50円で発行された場合、先行して投資した側の持株比率を、下がった価格に合わせて調整する――実質的に持分を2倍にするような契約が結べる。講師はこれを「基本的に企業を破壊する」条項だと評した。既存の株主や従業員の持分が大きく削られるためである。それでも経営者がこれを受け入れるのは、条項を認めることと引き換えに高い評価額を付けてもらう流れを作るためだ、というのが説明の要点だった。
三つ目に挙げられたのがIPOラチェットである。上場時の公開価格が一定水準を下回った場合に、投資家へ最低限のリターンを保証する仕組みを指す。未上場時にどれだけ高い評価を受けていても、上場時にその水準を実現できなければ、既存株主の希薄化によって外部投資家の損失を穴埋めする構造になる。結果として、ユニコーンという看板が維持される。
三層目は会計である。上場企業は公的な会計基準(GAAP)に基づいて財務指標を公表しなければならないが、未上場企業は独自の定義を作ることができる。講師の説明では、通常であれば売上から差し引くべき費用を「例外だから無視する」という調整が可能になる。
最もよく使われる例として挙げられたのが株式報酬費用(SBC)だった。社員に給与の一部を株式で支払っている場合、現金は出ていかないので利益が出ているように見える。数字の上ではそのとおりである。しかし新株を発行するのだから既存株主の持分は薄まる。つまり株主がコストを負担しているのに、損益計算の上ではコストが増えず利益が出ているように見せられる。この構造を講師は「化粧の仕方」と表現した。
より極端な例として挙げられたのが WeWork である。講師によれば、同社はマーケティング費用(顧客を集める金)、一般管理費(会社を運営する金)、デザイン・開発費、家賃・光熱費といった費目を「コミュニティ作りのための支出だから」という理由で計上する費用に入れなかったという。
これをラーメン屋に置き換えるとどうなるか。麺の代金、スープの代金、家賃、アルバイト代、宣伝費――これらはすべて最高のラーメンを作るための投資なのだから、費用から除けば大幅な黒字になる、と言っているのと同じである。未上場でGAAPに縛られないからこそ成立する主張である。ただしこれには限界がある。上場しようとすれば公的な基準に従って財務指標を公表しなければならず、そこで魔法が解ける。
講師が挙げた費目は公開情報と一致する。WeWork が用いていた独自指標「コミュニティ調整後EBITDA(community-adjusted EBITDA)」は、通常のEBITDAが除外する利息・税・減価償却に加えて、賃料、マーケティング費用、一般管理費、さらに開発・デザイン費までを差し引いていた。講師の説明はこの内容を正確に再現している。
一方、結末の記述には食い違いがある。講師は「上場する時に470億と評価されたのがバレた瞬間に1か月で70%下落した」と述べたが、実際には上場は行われていない。2019年8月14日にS-1(上場申請書)が提出された時点の想定評価額は約470億ドル。その内容が公になると評価は急落し、9月初旬には200億ドルを下回り、さらに数日後には当初の8割減にあたる100億ドル規模でのIPOも検討されたと報じられ、最終的にIPOそのものが延期・撤回された。CEOは辞任している。同社は2016〜2019年の間に累計30億ドル近い損失を計上しており、2019年上半期だけで6億9,000万ドルの損失だった。
つまり「上場後に株価が70%下がった」のではなく、上場申請によって情報が開示された結果、上場する前に評価が8割方消えたというのが正確な経緯である。講師の主張の骨子――GAAPに乗せた瞬間に魔法が解ける――はむしろこの事実によってより強く裏づけられる。数字の下落率と、それが起きた場所(上場後の株式市場か、上場前の評価か)が異なる点を記録しておく。
講師はこの流れから、米国のユニコーン企業のうち上場している企業がごく一部にとどまっている点に触れ、「残りの企業はなぜ上場したくないのか」と問いかけた。答えは、上場すれば公的基準に従わざるを得ず、これまで積み上げてきた調整が使えなくなるからだ、という主張である。具体的な社数として「2026年に上場しているのは約30社から40社」という数字が挙げられたが、この数値については公開集計での裏づけが取れなかった。要確認
財務と契約の技術を実際に通すのは、最終的にはプレゼンテーションである、と講師は述べた。今は赤字だが必ず儲かる、という物語を作る行為。これを講師はリアリティ・ディストーション(現実歪曲)と呼んだ。
技術的な核として説明されたのが貢献利益(コントリビューション・マージン)である。売上から変動費だけを引いた金額で、商品を一つ売るごとに手元にいくら残るかを示す。ここでは固定費――家賃、広告、研究開発――が計算から外れる。
レモネードの例で説明された。1杯100円で売り、砂糖とレモンの原価が40円なら、1杯あたり60円が残る。これを100万杯売れば大きな利益になる、という話の作り方である。スタートアップの主張はこの形をとる。本部のシステム費や開発費、広告費が大きいので現在は赤字だが、商品1つあたりの利益は黒字である。だから購入者が1,000万人になれば固定費など誤差になり、爆発的な利益が出る、と。
講師は、売上が伸びないならユーザー数を囲い込み、それも足りないなら成長率を囲い込む、そして市場に対する見せ方によって資金調達を進める――この一連の発想をブリッツスケーリングと呼び、提唱者としてリード・ホフマンの名を挙げた。質より量を外に出すことで人が魅力を感じてしまう構造であり、現在の集客文化やインフルエンサー・マーケティングの土台にもなっている、という位置づけである。
そして問いを一つ置いた。100万ダウンロードを達成したアプリがあるとして、1年後に何人が使っているのか。研究開発や内部リソースに資金を投じなければ、集めた登録者はほとんど消える。集客だけのビジネスが長続きしないのはここに理由がある、という指摘だった。
ブリッツスケーリング(Blitzscaling)は、LinkedIn 共同創業者のリード・ホフマンとクリス・イェが2018年の同名書で提示した概念である。定義は「不確実性の下で、効率よりもスピードを優先すること」であり、無駄とリスクを承知のうえで受け入れ、市場を競合より先に押さえることを目的とする。ホフマン自身の表現では「大規模な、通常はグローバルな市場に向けて企業を急速に構築し、スケールにおける先行者になること」を指す。
したがって原義は資源配分の戦略であり、講義内で語られたような「見せ方によって投資家をごまかす手法」ではない。ただし、効率を犠牲にしてスピードを取るという原則は、短期の損益ではなく成長率を評価軸に置くことを要求するため、成長率を根拠とした評価が広がる下地を作った――という因果は成立しうる。学術側でもブリッツスケーリングには功罪の両面から検証が加えられている。講義内の用法は「理論の名を借りた批判的な再解釈」であり、原典の主張とは方向が異なる点を区別しておくのが安全である。
あわせて、講師が引用した「リアリティ・ディストーション(現実歪曲空間)」という語は、1981年にアップルのバド・トリブルが、マッキントッシュ開発チーム内でスティーブ・ジョブズの説得力を説明するために用いたのが初出である。語源は『スタートレック』で、他者の心の中に仮想の現実を作り出す異星人の能力を指していた。もともとは称賛と当惑が入り混じった言葉であり、詐術を意味する語ではない。
最後に説明されたのが、評価額の書き換えである。100万株を300円で買った時点では1億円の規模だが、その株が300円で取引された事実そのものが評価額の根拠として採用され、保有株全体がその価格で評価し直される。講師はこれをマークアップと呼んだ。市場全体の需給に基づく価格形成ではなく、特定の関係者の間だけで行われる価格演出がいくらでも成立する、という指摘である。
同席した実務経験者からは、顧客生涯価値(LTV)を根拠なく引き延ばし、あたかもそれが永遠に続くかのように提示する手口も補足された。また、無料サービス期間の利用者を課金顧客のように見せかけ、デューデリジェンスを困難にする例にも触れられている。この場面では実在する上場企業の社名が複数挙がったが、講師自身が「口外しないでほしい」と述べたため、本レポートでは社名を記載しない。
講師は最後に、自身が過去にこの設計側に立った経験を語った。10年ほど前、33歳頃の話だという。関与した企業は事業自体は良いものだったが、内部の人間によって混乱していた。そこで投資家の資金を保護するため、評価額を引き上げる設計を依頼された、という前置きがなされている。
手順として語られたのは三段である。第一に、大手の経済メディアで特集が組まれるよう働きかけ、認知の基盤を作った。第二に、売上高が乏しかったため、評価の根拠をユーザー数の側へ移した。第三に、評価額を出す査定会社を選定した。ここで講師は特定の監査法人系ファームの名を挙げ、本社ではなくブランチを使ったと述べたうえで、その理由を「最もプレゼンテーションで通しやすかったから」と説明した。こうして高い評価額が出たところで、セカンダリー市場の買い手――プロではない投資家や一般の公募――が買い、既存の投資家は回収できた、という顛末である。
議論の後半は、日本の資金供給構造へ移った。海外のVCはタームシートを出す速度が圧倒的に速く、トップ層はミーティング終了の数時間後に条件を提示してくる。日本ではありえない、という比較が示された。一方で、日本のスタートアップが海外VCの厳しい条項によって創業者・従業員が何も得られなくなった事例は、あまり聞かないという指摘もあった。理由として挙げられたのは、案件規模が小さくて海外VCが入ってこないこと、日本の経営者が株式を出したがらないこと、そして間接金融が強いために銀行のデットで賄われてきたことである。
講師は日本のVCについて「質の悪い投資家だと思っている」と述べ、その理由をファンドの期限に求めた。日本のVCは10年から12年といった償還期限を持つため、どこかで現金を確保したくなり、上場かM&Aかを迫ることになる。結果として、経営者の判断ではなくVC側の事情で上場せざるを得なくなる。調達先が少ないことがこの傾向を強めている、という整理である。大学ファンドについても、運用の実態やポートフォリオ構成への強い批判が述べられたが、これらは個別の運用主体に対する講師の評価であり、公開データによる検証は行っていない。要確認
会話は、マイキークラブ関係の企業にプライベート・エクイティを付ける構想へと展開したが、そこで最大の障害として挙げられたのは資金ではなく言語だった。事業を正確に理解している人間が英語を話せない、という問題である。「日本語でさえ通じていないのに、英語になったら終わる」という言葉が繰り返され、まず日本語を勉強するところから始めなければならない、という結論に至っている。この日の冒頭で扱われた伝達の破断点の話が、ここで国際的な資金調達の文脈に接続された形になった。