サーチの話から派生した質問が、この日もう一つの中心テーマを開いた。日本で使われる「ブランディング」はほとんどの場合プロモーションの言い換えであり、両者を混同したまま外に出ると淘汰される、という指摘である。そこから学習効率と継続の話まで一続きで展開された部分を再構成する。
発端は、ブランドがなぜ定着しないのかという参加者の問いだった。有名になれば信頼されると思っていたが、期待して入ってきた人が実物に触れて「思ったより違う」と離脱していく。それは意味付けの作り込みが弱いからではないか、という趣旨である。講師はこれに対し、そもそも言葉の使い方が混ざっていると応じた。ほとんどの人が「ブランディング」と呼んでいるものは、実際にはプロモーションである。
この区別が立つと、話は単純になる。プロモーションは知ってもらう行為であり、ブランディングは知ってもらった上で判断してもらう行為である。中身がないままプロモーションだけを回せば、判断の結果は当然マイナスになる。講師はこれを「ディスブランディング」と呼び、リソースを最大限に生かす努力をした上でなければブランディングをしてはいけない、と言い切った。
後半は、ではどの段階で外に出すのかという実務の話へ移り、身内からのフィードバックの重要性、そのフィードバックに乗るバイアスの扱い、さらに「一度売れた人がなぜ消えるのか」という継続の話を経て、学習効率の議論へ流れていく。テーマは移っていくが、根にあるのは「積み上げていない状態で外に出ても持たない」という一貫した主張である。
ブランディングとは、現在の完成度を見せることではなく成長の兆しを見せることである。したがってブランディングが機能する前提には、成長し続けられる中身と、その中身を積み上げるだけの学習がなければならない。順序を逆にした瞬間、プロモーションは自分を殺す道具に変わる。
講師はまず、マーケティングを学ぶなら確実に押さえておかなければならない枠組みとしてSTPを挙げた。セグメンテーション、ターゲティング、ポジショニングの三段である。そしてもう一階層として4P、すなわちプロダクト(製品)、プライス(価格)、プレイス(流通)、プロモーションを置いた。この場ではプレイスがすぐに出てこない場面もあり、講師が補いながら確認する形になっている。
ここで重要なのは、プロモーションは4Pの中の一要素にすぎないという位置づけである。マーケティング全体でもなければ、ブランディングでもない。日本語の会話では三つが混ざって使われることが多く、そのせいで議論が噛み合わなくなる、というのが講師の指摘だった。
4P(マーケティング・ミックス)は、E・ジェローム・マッカーシーが1960年の著書『Basic Marketing: A Managerial Approach』で提示した枠組みである。STPはフィリップ・コトラーによって体系化され、標的市場を定めてから4Pを設計するという順序が定着した。講義で「二つの階層」と説明されたのは、STPで戦う場所を決め、4Pで打ち手を組むという上下関係を指している。
なお、STP分析はこの勉強会で約1年前にも扱われていると参加者から指摘があった。
講師の整理では、日本で語られるブランディングは「有名になること」「人からどう思われるかを考えること」「どう綺麗に見られているかを考えること」に集約されている。これは学術的な定義とは違う、というのが出発点である。
この人は今後成長して何かを起こすかもしれない、この製品はいずれ何かを変えるかもしれない、という期待を持たせること。自分の持っているリソースを人に見せ、判断してもらう行為である。したがって製品や本人が今後成長していく前提が要る。
判断してもらうために、まず知ってもらう行為。ブランディングの前工程にあたる。ここだけを切り出して回すと、中身の評価が先に確定してしまう。
講師はこの構造を極端な例で説明した。性格が非常に悪く、人として終わっている状態で全員に知られたらどうなるか。嫌われるか、すぐに見限られる。逆に、今は見た目がよくなくても、健康に気を使い、運動し、美容にも時間をかけ、性格も良くなってきている——その兆しが見える段階で知ってもらえば、人は応援したくなる。差は現在地ではなく傾きにある、という説明である。
講師は過去の登壇後に受けた質問を引き合いに出した。「最先端のプロモーションとブランディングとマーケティングの話を期待していたのに、なぜ話してくれなかったのか」と問われ、「中身のない人間を外に出して何の意味があるのか教えてください」「そもそもマーケティングで一番重要なのは営業だが、あなたは営業ができるのか」と質問で返した、というエピソードである。
マーケティングもプロモーションも、結局はその商品に込められたスキル、個人に込められたスキルである、というのが講師の立場だった。ただしこの「まず中身を作れ」という順序論は、市場に出して学ぶことを重視する立場(リーン・スタートアップ的発想)とは緊張関係にある。実際、直後の質疑でその論点が正面から出ることになる。
講師は自分自身を例に挙げ、経済・経営・金融をやってきてリソースが溜まった段階で少しずつ外に出てきていると述べた。逆に、入会1か月で経済も金融も学び始めたばかりの人が「有名になりたい」とそのまま外に出たらどうなるか、と問い返している。そしてこの日の理論に接続する形で、サーチができていない人間ほど外に出たがる、サーチができている人は外に出すタイミングの適正がわかっている、と述べた。人が盲目になるのは金が欲しいからだ、という付言もあった。
PART 2ここで参加者から、実務的な反論に近い質問が入った。まだ分からないからこそ小さく試すという段階があるはずで、Amazonの創業期はロゴもウェブサイトも整っていなかった。出しながら変えていく時期には、そもそもブランディングを考えていないフェーズがあるのではないか、という問いである。
講師はこれを肯定した。むしろそういう会社のほうがよい、とした上で、順序を明確にした。まず身内から始める。理由は単純で、身内は正しいフィードバックをくれるからである。市場が広がれば広がるほど、返ってくる反応は大雑把になり、バイアスだらけになる。クッキーを作って身内に食べさせれば「うまい」「まずい」がはっきり返ってくるが、いきなり全国展開すると細かい検証も改善もできなくなる。
この例として、OpenAIがChatGPTを公開する前に、関係の近い企業へ配って相当なテストを行っていたことが挙げられた。世に出していい状態まで作り込んでから公開したからこそ、あの出方になった、という整理である。つまりテスト段階ではプロモーションもブランディングもしない。セグメントもターゲットも狭く絞って探索し、出来上がったものを大々的にプロモーションして、そこで初めてブランドを判断してもらう。この段階を踏める、という結論だった。
講師は、ChatGPTがどんどん進化していくという印象を利用者側が刷り込まれていったこと自体が、OpenAIのブランディングが上がり続けている状態だと述べた。Anthropicについても同じだろう、とも。ここでも軸は「完成度」ではなく「成長の傾き」に置かれている。
ChatGPTの一般公開は2022年11月30日。これに先行して、基盤となるGPT-3.5系モデルはAPIを通じて開発者や提携企業に提供され、2022年初頭からInstructGPT系の改良が段階的に公開されていた。「限られた相手に配ってテストした」という講義の説明は、クローズドなアルファ/ベータ提供という実務慣行としては一般的なものである。ただし具体的に「仲の良い企業に分配して試験を行った」という形での公開情報は確認できなかった。要確認
これに対して、上司に気を遣ってまずいクッキーも「おいしい」と言ってしまうパターンがあるのではないか、という質問が続いた。関係性が近いほどバイアスがかかるのなら、まともな情報にならないのではないか、という論点である。
前田氏の回答は、データの取り方を分けて考えるというものだった。まずデータを取らなければ何も始まらない。そのうえで、どんなデータを取るのかの設計が重要になる。総合評価としての「おいしい」ではなく、クリームの滑らかさがよいのか、味の濃厚さがよいのか、どういう表現にすると分かりやすいのか、といった深掘りであれば、相手が誰であっても使える。正確な評価値を出すという目的では身内は弱いが、データをカテゴリー化するという目的ではむしろ身近な人のほうがやりやすい、という整理である。
講師からのアドバイスは一言だった。「周りに性格の悪いやつだけ置いてください」。
PART 3次の質問は、STP理論に従わず、何も勉強していない状態でいきなり「有名になりたい」と出ていき、ぶつかった壁を改善し続けるやり方のほうが強いのではないか、というものだった。AIで作られたプレゼン資料が一定水準で揃ってしまい、かえってつまらなくなっている状況を踏まえた問いである。
講師は、そのパターンで成功した例は確かにあると認めた。ただし大抵は死んでいくと続けた。中身がないからで、その後に努力できた人だけが残る。
参加者からは、YouTubeで最初は伸びなかった人が続けるうちに表情もトークも洗練され、コアなファンがつく例もあるのでは、という反論が出た。これに対する講師の答えは「そういう例だけが我々の目に入っているだけだ」である。ネットビジネスの塾を複数経験した参加者からも、ほとんどの人が一発で終わるか、一発すら出せずに消えていく、アフィリエイトで大きく稼いでいた人がトラック運転手をしている例もざらにある、という補足が入った。
この一連のやり取りは、成功例だけを観測して法則を導く生存者バイアスの話である。講師は具体例としてYouTuberのヒカル氏を挙げ、今から同じことを始めても同じ規模にはならない、と述べた。当初は面白さで入ってきた視聴者が、次第に「この人は頭がいい」と気づいていく。本人が相当勉強しているからで、そういう成長段階のある人間は残る。逆に売れたことで振り返ってしまった人は、ブロックバスターと同じように死んでいく、という言い方がされた。
「金を持てば余裕が生まれて集中できるのではないか」という追加の問いに対しては、今努力できない人間が金を持って努力できるとは思わないという回答だった。余裕ができてきちんと学習し続ける人だけがネット業界でも生き残っている。講師が帰国してから見てきた範囲では、当時ネット業界で目立っていた人たちのほとんどが消えており、共通点は学習していなかったことだという。ネタ切れになっていく、という表現が使われた。
そして例として持ち出されたのがウォーレン・バフェットである。投資の世界で天下を取ってなお、1日に1〜2冊の本を読むほど努力している。「バフェットがやっていて、我々がやらない意味が分からない」というのが講師の言い分だった。
バフェットが1日の大半を読書に費やしていることはよく知られており、「1日500ページ読め」という助言や、勤務時間の約80%を読書と思索に充てているという記述が複数の伝記・インタビューに残る。ただし読む対象の中心は書籍よりも企業の年次報告書や業界紙とされることが多く、「1日1〜2冊の本を読む」という形の記述で裏取りできる一次情報は確認できなかった。読書量が極めて多いという骨格は正しいが、冊数の形で語られた数値は裏取りできていない。要確認
話は自然に学習論へ移った。講師が最初に置いたのは、本を読む人ほど読んでいない本の多さを知っているという逆説である。参加者の中で最も読書量が多いとされる渡辺氏に「読んでいない本のほうが多いか」と尋ねれば、「500年生きても足りない。古代の著者だけで足りない」という答えが返ってくる、というやり取りが実際に交わされた。
そして、特定の分野に絞り続けると必ず他の分野へ行かざるを得なくなる、という構造が説明された。物理学をやっていても天文学や哲学、当時の政治情勢が全部関わってくる。著者の伝記まで見ることになり、そこから人種や親の育ちにまで話が広がる。一つの物事を掘り下げるというのは、広がりしかない、という表現だった。
新規の学びは基本的に書籍からで、その後は引用をたどる。論文には引用があるので、引用に飛べと講師は言う。引用元を見ると、また分からないことが出てきて、また飛ばされる。永遠に時間が足りない、という応答が返された。
幅広い情報にあたるときAIを使うかという問いに対し、渡辺氏は「使うが、劣化する」と答えた。用途は忘れたことを思い出すときに限る、という。人は必ず忘れるから、すでに勉強したことを調べ直すために使う。新規の学びは書籍からで、そこから引用で広げていく。前レポートで講師が述べた「AIに要約させて分かった気になるのはサーチではない」という主張と同じ方向を向いている。
講師が強調したのは、学問はすべて積み重ねであり、続けていると処理能力が上がるという点だった。同じ主題を覚えるのに若い人が1時間で済むところ、50歳なら3時間かかるかもしれない。しかしその3時間は短縮されていく。2時間、1時間、30分と減っていく。若いうちに多くやっておけば、その減り方がさらに速くなる。
自身の例として、毎日起きるニュースはほぼすべて自分にとって未知の情報だが、処理が速い、と述べた。過去のものを見てきたからである。漫画を1巻から読んでいれば登場人物の処理が一瞬で済むが、80巻から読み始めれば全員知らない人になって時間がかかる、という比喩が使われた。だから歴史を遡れ、という結論になる。最初は面倒だが、後から頭に入るスピードが上がる。
そして学習効率を良くする方法は、学習しまくった人間にしか語れない、という言い方で締められた。
Q&A