テイラー主義に真正面から対抗したメアリー・パーカー・フォレットの組織論を、対立の扱い方・循環反応・普及を阻んだバイアスの三層から読み解いた回。
前半の雑談から後半の講義まで、この回は一本の線でつながっている。冒頭でマイキー氏が語ったのは、PR会社経由でメディアに露出する際に「こだわりを捨てて全部イエスと言う」という自身の方針だった。相手が動きやすい導線をこちらで作ってしまえば、交渉なしに採用率は上がる。実際この5月6月の採用率は100%だったという。ここで語られているのは自己表現ではなく、環境に自分を合わせるという徹底した適応の姿勢である。
これを受けて中川氏が、AI時代のリーダーシップで重要なのはアジリティとアダプタビリティの二つだと指摘した。環境変化の速度が上がるほど、自分を固定した人間から環境とズレていく。だから毎日学ぶ文化が要る。ここまでが前段で、後段の前田氏の講義に入ると、同じ話が理論の言葉に置き換わる。
前田氏が扱ったのはメアリー・パーカー・フォレットである。人はサボるという前提から徹底管理を導いたテイラーの科学的管理法に対し、フォレットは協働する力の総量こそが組織の能力だと考えた。そして対立を悪いものとみなさず、対立こそ組織を動かすエンジンだと位置づけた。対立がない組織はエンジンのない組織であり、それは平穏なのではなく問題を認識できていないだけだ、という診断である。
最も強い命題が「命令は人ではなく状況が下す」だった。人が人に出す強制としての命令は、権威や地位や腕力を背景にする以上、覚悟と力さえあれば対抗できる。しかし必要性に迫られて動く状況の命令には、対抗手段そのものがない。だから影響力としては状況のほうが強い。この一文が、前段のアダプタビリティの話と正確に接続する。
こだわりを捨てて相手の動線に合わせるという実務の作法と、命令ではなく状況が人を動かすという百年前の理論は、同じことを別の角度から言っている。どちらも「自分の意志で人を動かす」発想を捨て、「動かざるを得ない状況をどう設計するか」に関心を移している。
マイキー氏が最初に説明したのは、PR会社を通じたメディア露出の構造である。専門分野を一つに絞って「自分はこれが語れます」と投げると、メディア側の関心が別テーマに向いている期間は一切通らない。ラーメンが得意ですと名乗った相手にメディアがチョコレートを探していれば、営業がどれだけ頑張っても決まらない。これは営業力の問題ではなく、こだわりを持った側が自分で通路を狭めているのだという見立てだった。
そこで氏が取った方法は、依頼を選ばないことだった。どの媒体がどんな記事を探していても全部受ける。そうするとPR会社にとって最も持っていきやすい素材になり、優先順位が自動的に上がる。PR会社は案件数が増えて単価を上げられ、自分は新しい知識が入り、インタビュー映像に字幕を付けて動画化すれば撮影が一本減る。誰も損をしない循環になる、という説明である。だから「無理を言ってください」と先に伝えておく。
この方針の根拠として、PR会社の担当者から聞いたという成功パターンが紹介された。PRで成功するのはこだわりのない人であり、これしか喋れませんという人は突破できない。音楽の世界でも、売れるまでは市場に合わせた曲を作り、ヒットしてから自分の色を出すという順番がある。市場の色に合わせれば企画はいくらでも通る、というのが結論だった。
参加者から「一つのことを深めてから広げるのが定石ではないか、手広くやると浅くならないか」という疑問が出た。これに対する回答は「質ではなく量でいい。量をいっぱいやった人間が質を語れ」だった。深さは量の後からついてくるという順序の主張であり、価値判断としては講師の見解である。一点集中で専門性を築く戦略を否定する立場ではなく、順番の話として受け取るのが妥当だろう。
もう一つ語られたのが、対極のスキルを両方持つという発想である。インターネット広告が誰にも知られていない時期にいち早く参入し、ネットが普及し始めると逆にアナログの営業や講演に軸を移した。海外で5万円の講演会に700人が集まり、1時間で3,500万円になった例が挙げられた。周囲が騒ぎ始めたら反対側の準備をしておく、という逆張りの型である。
いまAIが思考の代行をしている以上、アナログを思考品にするほうが勝つ、という読みもここから出てくる。AIに偏ると人との接し方が弱くなる。逆に、AIで調べた内容を自分の言葉として自然に噛みながら話せれば、AI利用と気づかれない。喋りがうまい人と文章がうまい人は普通どちらかに偏るが、両方を持てばどちらに転んでも勝てる、という整理だった。
中川氏が挙げた二語は、経営学では区別して使われる。アジリティ(機敏性)は既存の資源や体制のまま素早く向きを変える能力、アダプタビリティ(適応性)は資源や自己認識そのものを環境に合わせて作り変える能力を指すのが一般的な用法である。前者は速度、後者は可塑性の話であり、講義中の「PDCAを速く回す」がアジリティ、「自分を固定しない」がアダプタビリティに対応する。
前田氏はまずテイラーの科学的管理法の前提を確認した。人はサボる。だから徹底的に管理し、サボる余地を潰し、休む時間を削り、体力を使わせれば効率が上がる。効率化という言葉の中身は、この人間観の上に成立している。
フォレットの出発点はここと真逆である。彼女が置いたのはパワー・ウィズ、すなわち協働の力だった。管理する側が抜け道を潰していくのではなく、そこにいる人たちが協力関係に入ることで、その場にある能力の最大化が目指せるのではないか。同じ組織を見ていても、抑え込む対象として見るか、引き出す対象として見るかで設計がまるごと変わる。
メアリー・パーカー・フォレット(1868-1933)はアメリカの社会活動家・経営思想家。主著は『The New State』(1918年)と『Creative Experience』(1924年)で、後者で循環的な権力論を展開した。パワー・オーバー(支配する力)に対するパワー・ウィズ(ともにある力)、対立を統合によって解く発想、そして「law of the situation(状況の法則)」はいずれも彼女の用語である。フレデリック・W・テイラーの『科学的管理法の原理』は1911年刊で、フォレットの主著はその十数年後にあたる。
フォレットのもう一つの核心が対立の扱いだった。対立がない組織は、動かすエネルギーがない組織である。つまり動かない組織である。ここでいう対立は喧嘩ではなく、AとBで意見や立場が違うという状態を指す。その差異をどう処理するかに、三つの型がある。
| アプローチ | 起きること | 評価 |
|---|---|---|
| 支配(domination) | 片方が勝ち、片方が負ける。得をするのは片方だけ | 最悪のやり方 |
| 妥協(compromise) | 互いに一歩ずつ下がる。両方が損をし、両方がモヤモヤを残す | 最も現実的で最も多い |
| 統合(integration) | 矛盾する二つを重ねたうえで、問題そのものを検討し、双方が納得できる第三の答えを出す | 最も理想的 |
統合について前田氏は、これは弁証法とほぼ同じ構造だと説明した。Aに対して明らかに矛盾するBをぶつけ、その矛盾を解消できないものとして放置せず、重ね合わせるところから解決策を見出す。妥協が痛み分けであるのに対し、統合は両者の要求の根にある必要を取り出して作り直す作業になる。
フォレット自身は『Creative Experience』で、妥協を主張する者は個人を放棄している、個人の全一性は統合によってのみ保たれる、という趣旨を述べている。妥協が「中途半端だから劣る」のではなく、「各人が自分の一部を差し出すことを前提にしている点で劣る」という論理であり、講義中の「両方が損をしてモヤモヤする」という説明はこの含意と整合する。
ここから講義の中心命題に入る。人を動かすエンジンは二つある。一つは命令で、指示されたから動く。もう一つは状況で、環境がそうさせるから動かざるを得ない。フォレットはこの二つを並べて、後者のほうが強いと言った。
背後にあるのは権威、地位、社会的な強制力、場合によっては単純な腕力である。強制である以上、その人に覚悟と力があれば対抗できるし、抵抗の余地が残る。
背後にあるのは事実であり、機能的な必要性である。必要だから動く。必要に迫られている以上、対抗する手段そのものが存在しない。
前田氏はここでノルマとKPIを対比させた。ノルマは強制的にこれをクリアしてくださいという指示であり、命令の側に立つ。KPIはニュアンスとしては必要性から設計するもので、状況の側に近い。同じ数値目標でも、どちらの原理で置かれているかで人の動き方が変わる、という補助線である。
人が出す強制力も命令と呼ばれ、自分たちが動かざるを得ない状況も命令と呼ばれる。同じ言葉でありながら、能動と受動で意味が入れ替わる。この二重性に気づかないまま「命令するな」「指示待ちをやめろ」と言っても議論はかみ合わない。
もう一つ紹介されたのが循環である。口論が殴り合いになり、いったん落ち着いたように見えても後になってまた広がっていく。悪い連鎖はエスカレートする性質を持ち、放っておいても良くならない。だからどこかで意図的に断ち切る必要がある。
断ち切ったあとに何が起きるか。すれ違いが解消されれば協力関係ができ、協力関係ができれば良好なループが回り始める。不信感が信頼に変われば好循環が生まれる。悪いものは悪いまま続き、良いものは良いまま続くというのが前提だからこそ、転換点を人為的に作らなければならない、という話である。
フォレットの circular response(循環反応)は、刺激と反応を一方向の因果ではなく相互作用として捉える考え方で、『Creative Experience』の中心概念のひとつ。A の行為が B を変え、変わった B がさらに A を変えるため、両者の関係は始まった時点の関係とは別物になっている。講義で語られた「悪循環・好循環」はこの概念を実務的に言い換えたものと理解できる。
理論そのものへの批判として、前田氏は三点を挙げた。人間の性質について楽観的すぎること、権力の非対称性が大きい場面では成り立たないこと、実践方法が不足していることである。ただし検証手法自体が確立されていない時代の議論であり、ここまで言及していること自体が相当に先駆的だという留保も同時に置かれた。
より重く語られたのは、理論の中身とは無関係な普及の障害だった。第一に、時代がテイラー主義を主流としていたこと。テイラーとフォレットはコインの裏表のような関係にあり、一方が持ち上がれば他方は抑えられる。第二に、ジェンダーバイアス。当時は理論は女性が作るものではないという見方が現実に存在した。第三に、アカデミズムの内と外の問題。フォレットは大学ではなく実践の場で理論を組み立てた人であり、理論は大学で作るものだという枠組みからは、それだけで弾かれた。
前田氏はこの部分について、普段は評価の背景まではやらないと断ったうえで扱った。趣旨は「当時の人に理解力がなかった」ではない。私たちは分かっているつもりで常にバイアスをかけて物を見ており、今から見てどれだけ先進的でも、当時の人は気づけない。問題がない状態はありえず、問題が見えないのは自分がバイアスをかけているからだ、という反転がこのパートの結論である。
埋もれていたフォレットを引き上げたのがピーター・ドラッカーである。ドラッカーが本心から尊敬し、理論の軸に据えたのがフォレットの議論だった。だから順序として、ドラッカーのマネジメントを考えるならフォレットを先に学ぶほうがいい、というのが今回この人物を取り上げた理由だった。
そこから導かれるマネジメントの定義が二つ示された。一つ、マネジメントとは統合の技術である。対立するものをまとめて新たなアイデアを出すことがその役割になる。二つ、マネジメントを機能させるには対立と信頼の両方が要る。異なる意見や立場が存在することが前提で、そのなかで信頼が抱かれなければ有効な循環には入らない。この二つを押さえてから市販の解説書を読むと、少しずれているという感覚が出てくるはずだ、というのが個人的見解として添えられた。
ドラッカーがフォレットを高く評価したことは記録として残っている。1995年にハーバード・ビジネス・スクール出版局から出た論集の書名が『Mary Parker Follett: Prophet of Management(マネジメントの預言者)』で、ドラッカー自身が序文にあたる論考を寄せ、ロザベス・モス・カンターらも解説を担当している。この書名自体がドラッカーの評語に由来する。講義の「ドラッカーが再評価した」という説明は裏付けられる。
前田氏は、答えはイエスだが人によって返ってくる答えは違うだろうと応じた。マイキー氏自身は、自由な選択肢を持てるのは環境に押されているからであって、悪い方向へ押された人には修正のための命令が要る、その時点で自由度は消える、と整理した。自由な発想も、命令して従わせたほうが生産性は上がるという結論になる。前田氏は『風姿花伝』にも、自由な意思を持つ者に発想は浮かばず、徹底的に型にはめてからでなければ創造性は出ないと書かれている、と補足した。
マイキー氏は発想力の問題だと見た。転用先が思いつかないなら、宿題を出し続けるしかない。そのうえで具体策として、揉め事の中に放り込むことを挙げた。勝てるか負けるか分からない状況に置かれて初めて準備というアイデアが生まれる。すべてが順調に運んでいる状態は議論が生まれていない状態であり、その分だけ発想の機会を失っている。長崎氏は「同じように揉め事の中に放り込む」と応じた。
マイキー氏はそう考えると述べた。すべてが同意で進む場に新しいアイデアは出ない。テーゼに対してアンチテーゼがあるから、相手はどう返すだろうかという読み合いが生まれる。例として、つまらない授業をどう壊して自由時間にするか、長い説教をどう短くするかを考えた経験が挙げられ、それ自体がアンチテーゼだと説明された。嫌われることをやるほど反発を受け、その分アイデアが出る。途中でどれだけ叩かれても最終的に通ればいい、という立場である。
マイキー氏は、小学校最後の週に生徒がメニューを選ぶ機会があった際、多数がカレーを推すなかで一人エビフライを推し、1対39から一人ずつ切り崩して通した。自分はエビアレルギーで食べられないため、当日はコンビニ弁当を食べるという結果を作るための選択だった。給食を食べたくないという課題を、メニュー投票という制度を使って解いた例として語られた。
前田氏は、対立がないのは問題を認識していないからだと答えた。感情の問題ではなく、問題が出てくれば必ず意見の食い違いが生じる。それが対立の正体であり、喧嘩をしろという話ではない。立場が違えばアプローチが違い、その違いを取り込んで方法論をどう最適化するかが論点になる。対立がない状態は問題が分かっていない状態であり、これが最も危ない。快適に過ごせてはいるが、その先どうなるのか、という問いが返された。