理論講義の後に続いた長い対話。リーダー論、金をかけない発想、依存の使い方、そして米中首脳会談をめぐる予測まで。
密度依存モデルの質疑が一段落したあと、セッションは理論の講義から離れ、マイキー氏と渡辺氏を中心とした長い対話に移った。表面上は雑談だが、扱われている主題は一貫している。こだわりを持たないことが、なぜ強さになるのかである。
入口は渡辺氏の指摘だった。マイキー氏の「どっちに転んでもいいじゃん」という発想は、仏教の空の考え方に通じるところがある、というものである。渡辺氏はこれを、不確実なものにどう対応するかを前提とする用語として空がある、と整理し、現実が脳内でハックされて固定化されているとき、その固定化されたところまで遡ることで前提を全部壊せる、そこから再構築できるのが強みになる、と展開した。マイキー氏はこの解釈を受け入れ、自分は哲学も価値観もこだわりも排除している、そのうえで生まれる空間こそが最も重要だと応じた。渡辺氏はこれを「排除システム」と名づけ、こだわり――政治的なもの、美学、価値、文化的なもの――を全部持ち込むからこそ場が成立しなくなるのだ、と分析した。
その方法論が具体的な場面に降りてくる。前日のプロダクトマネジメント講義でマイキー氏が話した内容が「リーダーは誰でもいい」だった。目的さえ押さえて自分が何を提供できるかを考えるなら、リーダーが誰かで自分のやることは変わらない。監督が変わるとパフォーマンスが落ちるのは一流ぶっている選手であって、本物は自分の役割が分かっているから誰の下でも変わらない、という論である。そして各リーダーが求めているものを全部達成すれば交渉は通る、というきわめて実務的な帰結が導かれる。
次に提示されたのは、金をかけないほうが面白いという主張である。予算を使ってよいと言った瞬間にアイデアが出てくることへの違和感から始まり、2週間のアメリカ横断を10万円で済ませた話、学生時代に太った友人と痩せた友人の間に座ってランチ代を払わなかった話、カードゲームがない田舎で画用紙から自作した話へと続く。渡辺氏はこれを、経験を痛みとして蓄積しているからできることだと解釈し、マイキー氏は他人の失敗が一番面白く「俺はこうならないぞ」を蓄積できる、それを続ければ普通にレジリエンスが上がる、と応じた。
そして議論はこの日の理論に戻る。完全競争に巻き込まれるのなら、周りがやっていることと逆を張れば終わりではないか。認知が及ばないところや正当性がないところはプレゼンテーションで補えばよい――マイキー氏の出した答えは、この日学んだ密度依存モデルへの、身も蓋もない実践的回答だった。重要なのは今すぐやることではなく、切り替えられる能力を蓄積しているかどうかである、という留保が添えられている。
最後に話題は地政学へ移る。マイキー氏は5月14日の米中首脳会談を「歴史的転換点になるかもしれない」と予告し、中国優勢という見立てを示した。渡辺氏はこれを、中国は覇権を取りたがっておらず、覇権国であることの負荷をアメリカに深くかけ続ける戦略だと分析した。エネルギーの話題では欧州のジェット燃料在庫の逼迫が取り上げられている。
こだわり・価値観・哲学・感情・依存――それらを意図的に排除して距離を取ることで、どの環境にも入っていける状態を作る。それは処世術ではなく、この日学んだ密度依存モデルへの回答でもある。全員が同じ条件で同じことをする完全競争のなかで残るのは、逆に張れる自由を手放していない者だけだ、という構図になっている。
渡辺氏が持ち出したのは、マイキー氏の思考様式と仏教の空との重なりだった。週末に考えていたことだと前置きしたうえで、無規定な層をどのように対峙するか、それをどう限定化するか、不確実なところにどう対応するか――それを想定しないこと自体ができないことだから、どう対応するかを前提とする用語として空がある、というのが渡辺氏の整理である。
続けて渡辺氏は、この方法論の中身を分解した。現実というものが脳内でハックされて固定化されて見えているとき、その固定化されたところまでもう一度遡ることで、前提を全部壊すことができる。そして作られた制度に対して、あるいは自分たちの見てきた世界観というものを、どう再構築できるか。それが強みになる、と。人間は感覚を固めてしまう習慣を持っているので、その直感をどう疑うか、埋め込まれている社会的な前提や認知をどう疑うかという方法論になるのだ、という説明である。
マイキー氏はこれを肯定した。自分は哲学も排除しているし価値観も排除している、こだわりも排除している状態で、そこが一番重要な空間だと思っている、と。渡辺氏は「排除システムこそが、どうでもいいとか、面白いというところに純粋に到達できる錬金術を作っている」と評し、さらに踏み込んだ。こだわりというのは政治的なもの、社会的なもの、美学、価値、文化的なものを持ち込むことである。それをみなごちゃ混ぜにして持ち込むからこそ、その場が成立しなくなる。マイキー氏はそれを巧みに全部排除している――という分析である。
渡辺氏:「どうでもいい」というのは、簡単な言葉で言ってすごく難しい。その実現のためにどれくらい努力しているのかというところが感じられる。
マイキー氏:それは生存だった気がする。幼少期に金がなくボロボロの団地に住まわされ、明日飯が食えるかも謎という状態で生きてきたので、それくらいの排除能力はいまだに持っている。いつどこで自分の事業がダメになるか、自分の需要がなくなるのかは時間の問題で必ず来る。だから何にも依存せずに生きるというのをどれだけ突き詰めるかが、最強に生きられる能力だと思っている。
マイキー氏が前日のプロダクトマネジメント講義で話した内容が、ここで紹介された。「リーダーは誰でもどうでもよくない?」という問いかけである。
論旨はこうである。企業にいてリーダーがいる状況で、リーダーが誰だろうが自分のやることは変わらないはずだ。目的だけを押さえて、そこに対して自分が何をいちばんできるかを考えるのなら、モチベーションは要らない。「私はこのリーダーだからパフォーマンスが出ます」「私はこのリーダーだからパフォーマンスが出ません」というのは論外である。超一流ではなく一流ぶっているサッカー選手は、監督が変わるとパフォーマンスが落ちる。しかしクリスティアーノ・ロナウドは監督が誰だろうがパフォーマンスが落ちない。彼は自分の役割が分かっているからだ。レブロン・ジェームズも同じである。すなわち、自分が誰の下でやろうが、そのチームの方向性に対して何が提供できるかを分かっている人間は、リーダーが誰かは関係ない。
会社員時代にも、プロジェクトリーダーについて「このリーダーは合う、このリーダーは合わない」という会話が必ず出てきた。しかし会社のリーダーがこういう方向性に持っていきたいと言うなら、それをやればいい、それを提供すればいい。そしてこれができるようになると何が起きるか――そのリーダーに対する交渉能力が上がる、というのがマイキー氏の主張の核心である。
各チームにリーダーがおり、それぞれに方向性がある。前田氏には前田氏の方向性があり、自分には自分の方向性がある。各リーダーが何を求めているかは捉え方が違うかもしれないが、マイキー氏が求めているものは一つしかない――「面白いかどうかだけ」である。
だから、面白いことをちゃんとやってくれるなら全部イエスと言う。自分の評価基準は常に面白いかどうかだけだと言っている。そして各リーダーが求めているものを全部達成すれば、交渉は通る。だからどんなリーダーシップであろうが、どんなスタイルであろうが関係ない――というのが、マイキー氏が講義で伝えた言葉である。
もう一つマイキー氏が「面白くない」と感じたポイントとして挙げたのが、予算の話だった。今回いろいろ予算を使っていいという話をした瞬間にアイデアがポンポン出てきた。予算を使わないとアイデアが出てこないのか、金を使わないと人生は面白くないのか、と思ったという。自分はずっと金がない人生だったから、お金がなくてもできたことがたくさんあった、というのがその背景である。
具体例として語られたのがアメリカ横断だった。経営者メンバーで行った旅で、ロサンゼルスからニューヨークまで、レンタカー代・ガソリン代・食事代込み(航空券別)で2週間、10万円だったという。普通に考えれば3,000〜4,000ドルはかかる。そのなかでどうセービングしてどう楽しむかを考えるほうが面白かった、という主張である。いい飯を食おうと頑張って金を使って払うよりも、人に奢ってもらったほうがいい、と。
学生時代の話も続く。金がなかったので、太った友人と痩せた友人を作り、ランチのときにその真ん中に座る。太った友人には「お前はダイエットしろ」、痩せた友人には「お前は食えないだろう」と言って飯をもらうだけで自分のランチになるので、ランチ代を払ったことがない、という。
さらに高校時代。音楽が好きだったが、通っていた高校は音楽を聴くことが禁止だった。渡辺氏が「どれだけ人間を道具化するかということですからね」と応じたその環境のなかで、では何をしたか。スペイン語話者の友人ができたので、自分たちで言語を作り、それで会話して先生にバレないようにするという楽しみ方をした。耳から覚えなければならないので、耳で楽しむことにもなる。ある程度会話できるところまで作ったという。またカードゲームがやりたくなったが、コンビニが一軒しかないような田舎で売っていない。そこで科学室や理科室から画用紙を持ってきて均等に切り、学校の先生・生徒・関係者全員をカードにして、それぞれの特性を設定し、校長先生が出たら一発で負けといったルールを作って遊んだ。金がかかっていない、というのがオチである。
渡辺氏はこれを、簡単そうに語っているが実は経験や外との関わりを痛みとして蓄積しているからできることだ、と解釈した。マイキー氏は基本的に失敗を集めており、人の失敗や問題を放っておかずに自分の痛みとして蓄積している。だからこの判断ができるのだ、と。
マイキー氏はこれに、他人の失敗は一番面白く「俺はこうならないぞ」をすごく蓄積できる、そうならないためにはと考えていけば普通にレジリエンスが上がる、と応じた。渡辺氏は、普通の人はそれを放っておくか、他人の失敗を笑ったり感情に転換したりしてしまうが、マイキー氏はそれを一つの痛みとして蓄積している、その違いだと述べ、感情的なものを意識的に排除しているからデータとして持ち込めるのだと結んだ。
話題は依存の扱い方へ移る。マイキー氏の主張は、依存を避けるのではなく徹底的に利用するほうが大事だ、というものである。常に脱却できるレベルまで持っていったうえで、そこに居続けて吸収できるだけ吸収しつつ、自分はここ、そっちはそっちと分けられる。そうすればどこにでも顔を出せる状態を常に作っておける。
渡辺氏はこれを、自分を没入させず客観的な距離を常に持っておくということであり、それぞれの業界に自分がどれだけ依存しているかを客観的に見るということだ、と整理した。
ただしマイキー氏は、最初は没入していいと補足している。そこに対して全部をちゃんと知っていくために、まず没入する。ある程度没入して7割8割を取り込めた、ポテンシャルが見えた、という状態になったときに、それを使って別のフィールドでどう活かすかを考え、依存度を落とす。自分たちは天才ではないので、没頭しないと得られない部分がある。ある程度取れた段階で距離感が重要になり、いつでも入って戻ってこられる状態をいくつも作っておけば、いろいろなところで展開できる――という手順である。
渡辺氏はこれを方法論として言い直した。それを価値観として自分のなかで方法論あるいは一つの理論として掘り下げるということであり、掘り下げないとその依存は自覚できない。どういう思考法でこの問題がこのソリューションにたどり着いたのかを言語化できると、今度は横展開が始まる。多くの人は深くするだけで横展開を始めないところにジレンマがある、という指摘である。マイキー氏は、自分の講義でやった内容を外部のエッセイなどで使ってくれる例を挙げ、環境の使い方のうまさだと評価した。
PART 5この対話の途中で、マイキー氏はこの日の理論講義に自分から戻っている。組織の密度依存の話をして、最終的に完全競争に巻き込まれるという話を前田講師がしていた。ならば答えは簡単ではないか、というのがマイキー氏の切り出しだった。
周りがやっていることと逆張りをすれば終わりではないか。認知が及ばないところ、正当性がないところは、プレゼンテーションで補えばいい。周りがこうやっているのなら、うちは逆をやろうかなというのを視野に入れる。すごく簡単な話ではないか。
ただし重要な留保が添えられている。今すぐやらなくていい。しかしその能力を蓄積しているかしていないかが問題で、いざというときに「はい、切り替えます」という状況を作っておく準備が大事だ――というものである。渡辺氏はこれを受け、それによって初めて自発的なものになりブランドになる、と応じた。
ここで注意しておくべきは、この「逆張り」の位置づけである。密度依存モデルは、正当性効果と競争効果のどちらが優位かが密度で決まると説明する理論だった。マイキー氏の回答は、正当性の不足を市場の密度に頼らずプレゼンテーションで自力調達する、という提案になっている。これは別レポートで扱った斎藤氏の「非市場戦略で正当性を先に作れば理論の範疇外になるのでは」という問いと、実質的に同じ構造を持つ。理論を否定しているのではなく、理論が外生変数として扱っている正当性を内生化する提案だと読むのが正確である。
マイキー氏はさらに、この論理を投資の文脈にも短く接続している。株で儲けている人がマイキークラブにはたくさんいるが、自分がいなくなったらどうするのかということを考えているか、と。フレンドリー転換やセクターローテーションといったところまで見抜けないと含み損になる、という指摘である。これも同じく、他者への依存を使い切りつつ脱却可能な状態を保っておけという、この日の一貫した主題の変奏になっている。
PART 6対話の終盤、マイキー氏は中国について、この20年間で依存度をどんどん減少させてきたのが天才的にうまかったと評価したうえで、参加者に予告した。5月14日と15日は本当に歴史的転換点になるかもしれないから、ぜひ見ておいてほしい。習近平とトランプの会談である、と。
マイキー氏の見立ては中国優勢だった。中国は基本的に時間稼ぎが戦略であり、アメリカが小麦や大豆を買えと言えば買いますよと言いつつ、半導体の輸出規制はどうするのかという話に戻していく。しかも立場が逆転しており、世界平和を言うならむしろ中国の立ち回りのほうが世界平和ではないか、中国が戦争をやめようと言い、トランプがいやいやと言う状態になっている、という認識である。
そのうえでマイキー氏が「両刃の剣を出してきたら面白い」として挙げたシナリオが、AI(ミュートス)を核兵器の代わりの交渉材料として使ってくるというものだった。今まで作ってあげたエコシステムとシステムを全部ぶっ潰せるぞ、ある程度攻撃できるぞ、という選択肢である。それをやってきたらトランプは振り切っているという状態になる。核の脅威ではなくAIの脅威が交渉材料の武器になれば、みな開発を思い切り加速させるだろう、とも述べた。
米中の圧倒的な違いは選挙があるかないかだ、というのがマイキー氏の整理である。アメリカは中間選挙に向けて市場のご機嫌取りをしなければならないのに対し、習近平には関係がない。長期政権を考えたときにやはり中国のほうが有利で、一党独裁状態の長期的な権力は強いと感じる。ただしもちろん民主主義には反する、という留保が付されている。
渡辺氏の分析はやや異なる角度からのものだった。ケネディとフルシチョフのときはミサイル格差をどう埋めるかという問題があり、それに対する合意があった。しかし今回は中国のほうが勝っているところがあり、中国は覇権を取りたくない。覇権であること、世界の警察であることがどれだけ負荷のかかることかを加速させていくのが中国のやり方であり、逆に中国はどんどん下手に出てアメリカにどうぞと道を譲ることによって、降りられない階段を作る――というのが中国の交渉の妙味だ、という読みである。したがってトランプ側が譲歩しているつもりでも中国は譲歩と見ない可能性がある、両者の思惑は違う、と渡辺氏は述べた。
マイキー氏は、ケネディのときのピッグス湾事件のように「トランプの政策は大失敗だ」と突いてこないかと期待しつつ、中国はやらないだろうと予測した。渡辺氏も同意し、そこが中国の価値観の違うところであり上手なところだ、アメリカのメンツを絶対に潰さない、中国自身もメンツを潰されることに最も敏感な国だから、そこでうまい取引になるだろう、と応じた。結論として渡辺氏は「全然破綻しないような、つまらない交渉になると思う」と述べ、マイキー氏も「何も起きずに、妥当な小麦を買って半導体輸出規制を緩めて終わるのではないか、その程度で終わると思う」と同調している。
この勉強会は2026年5月11日に行われ、3日後の首脳会談が話題になった。公開情報で実際の結果を確認した。
トランプ大統領は5月14日から15日にかけて北京を訪問し、習近平国家主席との首脳会談に臨んだ。現職の米大統領による訪中は約10年ぶりである。議題は貿易と安全保障で、台湾・イラン・AI、関税、レアアースが取り上げられた。両首脳は2日間の首脳会談の冒頭に2時間15分会談している。
結果について。首脳会談は購入合意、二つの新たな二国間委員会、そして双方が「建設的な戦略的安定」と呼ぶものへの共通のコミットメントを生んだが、主要な争点について実質的な合意は発表されずに終了した。中国外務省はこれを「歴史的」と評し、習主席が秋に訪米すると発表した。
評価。「破綻しないつまらない交渉になる」「小麦を買って半導体輸出規制を緩めて終わる程度」という両氏の予測は、方向性としては当たっている。購入合意が成立し、実質的な突破はなかったという結末は、その見立てとほぼ一致する。またマイキー氏が期待したAIを交渉材料として振りかざす展開も起きていない。
一方で予測から外れた点もある。第一に、実際の首脳会談で最大の争点となったのは台湾であり、習主席はトランプ大統領に対し、台湾問題を誤って扱えば「衝突や対立を招き、関係全体を重大な危険に晒す」と警告している。トランプ大統領自身もFOXのインタビューで、台湾が習主席にとって「最も重要な」問題だったと述べた。両氏の議論では台湾はまったく論点に上がっていない。第二に、両氏は中国優勢という見立てを共有していたが、会談が「安定を生んだが長続きはしない」という評価が主流であり、どちらが勝ったかという判定は公開情報からは定まらない。
会談の話に続き、エネルギーの話題が出た。マイキー氏は世界中のSPR(戦略石油備蓄)が枯渇していくなかで中国は石油だけで大量に保有していると述べ、アメリカも在庫が減っており、ヨーロッパは非常に厳しい状況だと指摘した。
そして備蓄日数の読み方について注意を促した。30日間の備蓄があると言っても、30日間担保されるわけではない。備蓄しているタンクは下のほうの20%程度がもう使えない。またポンプで押し出す石油の運用システムは20日分がないと基本的に稼働しなくなる。IEAやOECDがそう言っている。だから30日の備蓄があるということは、運用システムを稼働させるための20日というのがデッドラインとされていて、これを切ってくるとまずい状態になる。備蓄30日イコール30日持つではない、という説明である。
とりわけヨーロッパで危ないのはジェット燃料だという。ルフトハンザは夏に2万という数字が出ている、と述べた後、航空セクターのハブであるアムステルダム・ロッテルダム・アントワープ(ARA)で貯蔵されている在庫がかなり著しく減っており、思ったより痛い状況だ、と現状を説明した。マイキー氏自身、今年の9月から11月にヨーロッパへ行かなければならないが航空チケットが高すぎて迷っている、と付け加えている。
マイキー氏は「中国は3013億バレル持っている、石油だけで」と述べたが、この数字は公開データと桁が大きく異なる。
公開情報によれば、中国の戦略石油在庫は2025年12月時点で約14億バレルである。内訳は政府管理分が約3億6,000万バレル、商業在庫が約10億バレルとされる。2026年時点でも中国は世界最大の緊急備蓄を持つが、その総量は13億バレル規模とされている。マイキー氏の挙げた3013億バレルは、この実数の200倍以上にあたる。参考までに、世界全体の原油確認埋蔵量が1.7兆バレル規模であることを踏まえると、一国の備蓄量として3013億バレルという数字は成立しない。
発言の数字が「301.3」を億単位ではなく別の単位で読んだ結果なのか、文字起こしの過程で生じたものなのかは判断できないため、ここでは発言を書き換えず、公開データとの食い違いとして記録する。なお中国が備蓄を積み増し続けており、世界最大の緊急備蓄保有国であるという発言の趣旨そのものは、公開データと整合している。中国は在庫データを公表していないため、これらの数字はいずれも輸入・輸出・精製データからの第三者推計である点も付記しておく。
マイキー氏が指摘した欧州のジェット燃料逼迫は、2026年時点の事実として確認できる。ARA(アムステルダム・ロッテルダム・アントワープ)製油ハブのジェット燃料在庫は2026年4月中旬に6年ぶりの低水準に落ち込み、ゴールドマン・サックスの報告では2020年3月以来の水準、3港合計で55万トン強とされた。5月18日時点ではさらに8〜10%減少している。原因はホルムズ海峡が再開しないことで、欧州北西部は通常ジェット燃料輸入の半分を同海峡経由で調達している。
ルフトハンザについて。マイキー氏の「夏に2万」という言及は、ルフトハンザが10月までの2万便を削減したことを指すと考えられる。ただしルフトハンザとブリュッセル航空は、他の供給業者との新規契約もあってジェット燃料不足の影響を小さく見積もっていると報じられている点は付記しておく。
閾値の数字について。マイキー氏は「20日がデッドライン」と述べたが、IEAが欧州のジェット燃料について示している臨界在庫水準は23日であり、この閾値を6月初頭に割り込むと予測されていた。発言の「20日」とは3日分の差がある。またタンクの下部20%程度が使用不能になるという指摘(いわゆるタンクボトム/デッドストック)については、業界慣行として語られることはあるものの、具体的な比率をIEAやOECDの公表資料で確認することができなかった要確認。備蓄日数をそのまま供給可能日数と読んではいけないという主張の趣旨自体は、23日閾値の存在によって裏づけられている。
マイキー氏は、米中会談が決裂したうえで互いの認識を確認し合うほうがむしろ平和なのではないかというシナリオを提示し、その先例としてレーガンとゴルバチョフの会談を挙げた。「ロシアも核をゼロにしようと言い、レーガンも核ゼロがいいとなったが、約束を破るから防衛産業は強くするぞとレーガンがSDI強化を言い始めた瞬間にロシアが激怒した。ただ互いに核を減らす気持ちはあったので、実際に核の生産量が初めて減った」という説明である。
この記述はおおむね史実と一致している。1986年10月11日から12日にかけてアイスランドのレイキャビクで行われたレーガン=ゴルバチョフ会談では、ゴルバチョフが戦略核の50%削減と欧州の中距離ミサイル全廃を提案し、両首脳は核兵器の廃絶に合意しかけ、2000年までに米ソの核兵器備蓄を全廃する合意に迫った。しかし最終段階で、ゴルバチョフがレーガンの戦略防衛構想(SDI、1983年3月発表)を研究室内での研究・試験に限定するよう求め、レーガンが実験室外での試験は必要だと主張したため、交渉は決裂した。
その後の展開もマイキー氏の説明どおりである。決裂にもかかわらず、そこで達成された進展は最終的に1987年の中距離核戦力(INF)全廃条約に結実した。ゴルバチョフ自身を含む多くの歴史家や政府関係者が、レイキャビク会談を冷戦の転換点と評価している。
なおマイキー氏はケネディとフルシチョフについても言及しているが、ピッグス湾事件(1961年4月)とその後のウィーン会談(1961年6月)の関係を指していると読める。この点については発言が断片的で、具体的な検証対象となる記述がないため、ここでは扱わない。
PART 1の空をめぐる議論から派生して、渡辺氏は科学史の話へ広がっている。フランシス・ベーコンのような人物が、社会や生活世界を科学で置き換えた。科学の始まりはそこから、脳内から始まる。そしてステートメントや制度を作ることが人間の救済になるというところが、科学がたどった道筋であり、それが400年前のことだ、と。渡辺氏は「フランシス・ベーコンは科学の目的は人類の救済とチャリティだと言っている。それが私たちにとってはESGだ」と述べた。
そこから議論は、業界というものも一つのフィールドを作るという意味では同士感であり意識感である、生存を最適化させるという意味ではどうやってサイクルを作り、いまの環境が自然であると誤認識させることで生存の個体を最大限に維持するか――それは市場の操作だ、という方向へ進む。渡辺氏の言葉では「ある意味、騙したほうがみんなを活かせる」というところまで来ているのが、いまの業界の状態ではないか、というものである。
渡辺氏は続けて、社会を政治的に再構成すること、衝突のコストを全部自然状態やこうした生態理論に持ってくると、すべて下げられる、人間の持った暴力性といったところはすべてゼロから構築したり、自分が責任を負う必要がなくなってしまう、と述べた。そのうえで「そこがすごく設計である」と指摘し、新たな論争のコストを下げていることだと結んでいる。
これは生態学的比喩を社会に適用することへの批判的な指摘である。組織を生態系になぞらえると、淘汰は自然現象として記述され、誰の責任でもなくなる。渡辺氏の警告はその点にあると読める。この見方は、生態学的モデルの説明力を評価する立場とは対立しうる。この日の前半で前田講師が密度依存モデルを有用な予測ツールとして提示したのに対し、渡辺氏の指摘は同じモデルのイデオロギー的機能に向けられている。両方の見方が併存していることを記録しておく。
渡辺氏はさらにカール・レーヴィットを引き、科学のシステムや近代のシステムはキリスト教的世界観にどう接続したかだけの問題であるという議論を紹介し、その接続環境をうまく活かした人がマックス・ウェーバーでありマルクスだった、と述べた。
フランシス・ベーコン(1561-1626)が「知は力なり」で知られ、帰納法による自然の探究を通じて人類の生活を改善することを科学の目的としたことは広く知られている。渡辺氏が引用した「科学の目的は人類の救済とチャリティ」という表現が、ベーコンのどの著作のどの箇所に対応するかは特定できなかったため、要確認として残す。ベーコンの著作にキリスト教的な慈愛(charity)と人類の物質的境遇の改善を科学の目的として結びつける議論があること自体は、思想史上の一般的理解と矛盾しない。
カール・レーヴィット(Karl Löwith, 1897-1973)はドイツの哲学者で、近代の歴史哲学がキリスト教的終末論の世俗化された形態であると論じたことで知られる。渡辺氏の紹介はこの主張の趣旨に対応している。ただし発言が断片的なため、特定の著作への帰属は行わない。
セッション最後は運営の連絡にあてられた。5月15日から17日の3日間にエキスポが開催されること、当日の懇親会は参加者以外も参加しやすいよう新橋駅前のカラオケ店で行うこと、全員が同じ部屋には入れなかったため同じフロアで25名の部屋と8〜10名程度の部屋に分かれること(マイキー氏は当初一堂に会する場を想定していたが、分かれているほうが面白いという前田氏の判断で決定)、翌日のZoomでエキスポ参加者向けの案内があること、宿泊については分散を避けて一箇所にまとめる方向で調整し、すでに宿を取っている参加者も含めて希望を聞くこと、などが確認された。また当日11時からリーダー会議を実施することも申し合わされている。
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