この回の後半は、一人の参加者——日本CFO協会のブログに4年間連載しているという立場の講師——が持ち込んだ主張によって方向が決まった。彼女の主張は一文で言える。現代のCFOには、埋め込み理論と弱い紐帯の理論の両方が必要であり、これは二者択一ではない。
論理はこうである。CFOが予算のストーリーを書くためには、組織の内部にどっぷり埋め込まれていなければならない。全部を知っていないとストーリーが書けないからである。しかし埋め込みが過剰になると、組織の硬直化と身内の論理による閉鎖が起こる。だからこそ、あえて弱い紐帯が要る。投資家、CVC、ベンチャーキャピタルといった外部と弱く繋がり続けることで、イノベーションの種を吸い上げて自社の競争力に変換する。
そしてこの二つを同時に扱う行為こそがオーケストレーションであり、それがダイナミック・ケイパビリティの核心だ、というのが彼女の到達点だった。オーケストラでは、ここはバイオリンを強く、ここはピアノを、というように役割を分けて強弱をつける。全ての楽器が同じ音量で同時に鳴っても音楽にならない。ネットワークの密度と広がりを自在に操る力がオーケストレーションであり、それを持てる唯一のポジションがCFOだ、と彼女は述べた。
議論はそこから、この二刀流が日本企業でなぜ成立しにくいのかへ移り、実例としてパワー半導体業界の再編——当時進行中だったデンソーによるローム買収提案——が検討される。さらにAIがこの二刀流のどこまでを代替できるかという問いが出され、「AIには倫理があるから、倫理のない人間が勝つ」という主宰者の挑発的な応答と、「AIは戦争を判断できない」という講師の応答が並んだ。後半は地政学的な話題——トランプ大統領の交渉術、イランをめぐる領土回復主義——に展開している。
講師はまず、CFOという職能が置かれた環境の変化から話を始めた。1970年代とは違い、現在は極めて予測困難な時代である。それに伴ってCFOの役割も、金庫番・係数管理から、非財務情報の重要性の高まりを含む本質的に別のものへ変わってきている。
彼女の主張の核心は、この変容を解き明かす鍵の在処にあった。CFOが大好きな会計学の中に鍵はない。むしろ社会学のネットワーク理論の中にある。 そこで必要になるのが、この日の講義で扱われた二つの理論——グラノヴェッターの埋め込み理論(エンベデッドネス)と、弱い紐帯の強さの理論(SWT)である。
組織内部のストーリー、特に予算のストーリー。CFOは全てを知っていなければならず、そのためには組織に深く埋め込まれている必要がある。営業の事情も開発の事情も知らずに数字を組むことはできない。
外部からのイノベーションの種。投資家、CVC(コーポレート・ベンチャー・キャピタル)、ベンチャーキャピタルといった組織外の結節点との関係。これを維持することで、外部の動きを自社の競争力に変換できる。
講師の言葉では「エンベデッドネスとSWTの両方が必要であり、それがまさにパラドックスである」。この二つは性質上、互いに相手を打ち消し合う。内に深く入るほど外から遠ざかり、外へ広げるほど内部の細部を失う。だから両立が難しく、難しいからこそ役割として設計する価値がある。
講師が明確に警告したのがオーバーエンベデッドネス(過剰埋め込み)である。埋め込みが過剰になると、組織の硬直化、あるいは身内の論理による閉鎖リスクが生じる。だから「あえて」弱い紐帯の理論が必要になる、という構成である。彼女はこれを「過剰埋め込みのパラドックスがあるからこそ」と表現した。
ここで出てきた指摘が、この回の実務的な収穫だった。構造的空隙は組織の中にも必ずある。講師が挙げた例は、営業と開発である。「想像してみてください。結構、溝はありますよね、それなりに」——この溝が、組織内部の構造的空隙にあたる。
CFOがそこで果たすべきなのは、全社の「財務」という共通言語を使ってこの隙間を繋ぐブリッジ機能である。部門ごとに異なる論理と語彙で動いている集団を、数字という一つの言語に翻訳して接続する。同時に、外部——投資家、監査法人、ベンチャーキャピタル——という別の構造的空隙もまたぎ続けなければならない。内側の橋と外側の橋を、同一人物が同時に架ける。
議論の到達点が、指揮者の比喩だった。講師はオーケストレーションという語がダイナミック・ケイパビリティのキーワードであると述べ、経営学者デビッド・ティースの議論を参照した。
オーケストラの譜面を見てください、と彼女は言う。ここはバイオリンを強く、ここはピアノ、ここは別の楽器、というように、曲のなかで役割を分けて強弱をつけていく。打楽器も弦楽器も全部が同じところから同じ音量でスタートすることはない。バランスを取り、ここは強く、ここは弱く、と配分していく。その配分の仕事がCFOにある。
そしてこの比喩は、ネットワーク理論の語彙に翻訳できる。彼女の定式化は「ネットワークの密度と広がり、その疎密を自由に操る力がオーケストレーションであり、すなわちダイナミック・ケイパビリティである」というものだった。密度=ボンディング、広がり=ブリッジング。どちらを強め、どちらを緩めるかを、局面ごとに設計する。
彼女はさらに、CFOを「資本の合理性と、社会の人間関係——この二つを同時に維持する唯一のポジション」と位置づけた。ただし直後に、これはCFOに限った話ではないとも付け加えている。CEOでも、部長でも、課長でも、一般社員でも同じである、と。
この「両方必要だ」という主張に対して、主宰者が用語を提示した。アンビデクステリティ・マネジメント(両利きの経営)である。彼はこれを参加者にメモするよう促し、「いろいろなところで引用されている言葉だ」と述べた。日本語の議論では深化と探索という対で語られる。
用語の出典を確認した。深化(exploitation)と探索(exploration)の対は、ジェームズ・マーチが1991年の論文で定式化したものである。マーチの整理では、深化はほぼ確実で即時のリターンをもたらすのに対し、探索は不確実で将来のリターンしか約束しないため、両者のバランスを取ることが本質的に難しい。この両立能力を組織能力として捉えたのがアンビデクステリティであり、オライリーとタッシュマンらによって「ダイナミック・ケイパビリティとしての両利き」という形で議論が接続されている。
オーケストレーションについては、デビッド・ティースの2007年の論文 "Explicating dynamic capabilities: the nature and microfoundations of (sustainable) enterprise performance"(Strategic Management Journal)が主要な出典である。そこでは、経営幹部が新旧の資産をオーケストレーション(編成)し統合することで、慣性と経路依存を克服して機会を捉える能力が、ダイナミック・ケイパビリティの中核だとされる。asset orchestration という語は「資源と能力の探索・選択・構成」を指す。講師が述べた「密度と広がりを自由に操る力がオーケストレーションである」という定式化は、ティースの原義そのままというより、それをネットワーク理論の語彙へ翻訳した講師独自の接続である点に注意したい。
主宰者はここで、講義パートの担当講師が先に触れていた論点——経営学者の入山章栄氏の指摘——を引き取った。日本人の問題は探索が弱いことである。深化ばかりしていて探索をしていない。主宰者自身も同意見だと述べ、「深化は日本人はすごいと思うが、探索が弱いと言われている。もう少し世界観を広げましょう、というのが日本人の課題」とまとめた。
ただし彼は、ここで一方向の処方を出さなかった。探索ばかりやっていると今度は深化が弱くなる。だからそのバランスをどう取るかを考えなければならない、と付け加えている。要確認——入山氏の主張として語られた内容は複数の著作・講演に散在するため、特定の出典への帰属は本レポートでは確定していない。
参加者の一人が「トヨタの社長が変わったのも、そういうことがあるのか」と問うた。主宰者の回答は、内部と外部の両方を立てる人事だったという読み方ができる、というものだった。自身のYouTubeで扱った内容だとして、内部の担当と外部の担当を分けて据えた構図に言及し、「ある意味そういう捉え方もできる」と述べている。要確認——人事の具体的な構成については発言が断片的で、本レポートでは講師の見立てとしてのみ記録する。
続けて主宰者は、より強い調子でこう述べた。「さっさとやらないと日本の車メーカーは総崩れになる可能性がある」。加えて「日本はあまりにもカーメーカーが多すぎる」。ここから議論はパワー半導体へ移る。
主宰者は、勉強会の当日時点で最も話題になっている案件として、デンソーがロームを買収するかどうかという件を挙げた。彼が述べた金額は1.3兆円である。背景として、中国がパワー半導体に大きく資金を投入しており、車載側でもBYDなどが自前で手がけ始めていることを指摘した。
主宰者の見立ては明確だった。中国と張り合って絶対に勝てないのは価格である。仮に統合が実現すれば多様な製品は作れるようになるが、価格帯では勝てない。それでも彼は買収に賛成の立場を取った。理由は、日本のパワー半導体が小規模な事業体に分散しすぎているからである。
さらに主宰者は、統合が起きた場合の副作用にも触れた。ロームはパワー半導体だけでなくアナログ半導体にも強いため、統合が進むと特定の自動車メーカーや産業機器メーカーが調達面で不利になる可能性がある。それも含めたうえで、なお統合したほうがよいというのが彼の立場だった。
別の講師の見解も求められた。彼女の回答は、デンソーはトヨタだけを相手にしているわけではなく世界中のカーメーカーに供給しているため、すでに探索の側もやっている。ロームの顧客が海外へ広がるのであれば統合は良い、というものだった。加えて彼女は「余計な人間関係のゴタゴタがないことを祈る。自分が社長になるはずだったのに連結に入って社長になれなくなった、といった変なメンツの話がないことを祈る」と述べており、この論点はこの後のAIの議論に直結する。
主宰者はもう一点、ロームが当時赤字であること、そして三菱電機と東芝が相対的に元気でないのに対しデンソーは資金を持っているため投資余力がある、という理由も挙げている。加えて、BYDやテスラが垂直統合型であるのに対し日本は分業型であるという構造差に触れ、デンソーがパワー半導体以外にアナログ半導体なども垂直統合し始めている段階にあると述べた。
買収提案について。 日本経済新聞の特報によれば、デンソーがロームに買収を提案したことが判明したのは2026年3月6日で、TOBにより全株取得を目指す1.3兆円規模の内容だった。勉強会は3月20日であり、主宰者が語った「1.3兆円」「買収するかしないか」という状況認識は報道と一致している。両社は2024年9月にアナログ半導体分野などでの提携を発表し、2025年にはデンソーがロームに出資して株式の5%弱を取得していた。
その後どうなったか(2026年9月時点)。 主宰者の「デンソーがロームを買収したほうがトヨタのためになる」という見立ては実現しなかった。ロームは2026年3月27日、東芝デバイス&ストレージの半導体事業および三菱電機のパワーデバイス事業との事業・経営統合に向けた基本合意書を締結。デンソーは2026年4月28日、ロームの特別委員会から賛同を得られなかったとして買収提案を取り下げた。撤回後も両社は人的交流と共創活動の継続で合意しており、アナログ半導体を中心に自動車・産業機器向けで連携を深めるとされている。3社連合については、2026年4月時点で大株主ファンドの意向を含む課題が残ると報じられている。
3社連合という構図について。 主宰者は勉強会時点で「デンソー自体が三菱電機と東芝とロームで3社連合を作り、デンソー自体は富士電機とやっている」と述べているが、実際に3社連合を組んだのはローム・東芝デバイス&ストレージ・三菱電機であり、デンソーはその外側にいる。この点は発言と公開情報が食い違っている。ただし3社統合の基本合意は勉強会の1週間後であり、当日時点では確定情報がなかった可能性が高い。
シェアの数字について。 Yole Groupの2025年パワー半導体メーカー売上高ランキングでは、首位がインフィニオン、日本勢は三菱電機(4位)、富士電機(5位)、東芝(6位)、ローム(8位)、ルネサス(14位)の5社がトップ20入りしている。上位20社の国・地域別内訳は米国6社、日本5社、中国5社、欧州4社。日本勢5社の売上高を合算してもインフィニオンに追いつかない規模と報じられている。この順位関係は主宰者の主張(分散しすぎている・統合が必要)の方向と整合するが、「三菱電機4%」「インフィニオン15〜20%」という具体的なシェア率は今回の検索では裏付けが取れなかった要確認。
参加者から本質的な問いが出た。AIが入ってきたことで、探索の側はAIがかなりやってくれるようになった。一方でアルゴリズムがあることによってエコーチェンバーが起こりやすくなり、逆に強い紐帯のほうが伸びるのではないか。そうなったとき、人間に最後に残る仕事は何か。
主宰者の応答は挑発的だった。深化もAIがある程度やるし、AIは両方のサポートに入る。ただしAIには倫理観がある。だから「倫理観のないやつが勝つ」。彼が例に挙げたのは、ある起業家のやっていることを生成AIに聞けば「やるな」と止められるだろう、という指摘だった。倫理観のない、ぶっ飛んだ発想を持つ人間が強くなる——深化の部分も含めて、と彼は述べた。
別の講師はやや異なる角度から応じた。AIは合理性も倫理も持っているが、戦争のことは判断できない。戦争はその場その場でルールが変わっていき、人間関係の恨みつらみ、憎しみの上に成り立っている。そこはAIには測れない。結局、社会の人間関係のところは人間がやらざるを得ない。
彼女はこれをM&Aに引きつけた。合理性で考えればこう進めるべきだ、という結論が出ても、実際には「あの会社には昔こんなことをされた」「自分は本来社長になるはずだった」といった人間関係の経緯があり、反対する人が出る。取締役会で反対が過半数を占めればその案件は進まない。人間関係を完全に抜きにしてはM&Aも経営も語れない以上、そこはAIには図り知れない、というのが彼女の結論である。先ほどの「余計なメンツの話がないことを祈る」という発言と、ここで論理が繋がる。
議論はそこから地政学へ移った。話の起点は前日の日米首脳会談で、トランプ大統領の切り返しが話題になった。攻撃の事前通告がなかったことを問われた際に「そちらも真珠湾のときに教えなかっただろう」と返した、というやりとりが紹介され、主宰者は「切り返しはさすがだ」と評した。講師は「歴史上アメリカ本土に攻撃を仕掛けたのはその一度だけなので、よほど記憶されている」と補足している。
続いて、イランをめぐる情勢について参加者から質問が出た。講師が持ち出した鍵語がレデンプティズム(領土回復主義)である。彼女の整理では、ロシアがウクライナに侵攻したのも、元々そこは自国の領土だった、歴史的に自分のものだった、という論理に基づく。同じ論理がアメリカとイランの関係にも当てはまる。イラン革命以前、アメリカとイランは非常に良好な関係にあった。だから「その状態に戻す」という主張になる。イランという国そのものが嫌なのではなく、現在の体制が嫌なのだ、という構図である。
講師は、この論理が中国と台湾にも同型で存在すると述べた。かつて自国の領土だったものを取り戻す——習近平、プーチン、トランプの三者は、根本において同じ考え方をしている、というのが彼女の見立てである。「前は自国の領土だった、前は非常に良かったではないか、だからその歴史を取り戻すのだ」という正論。それを外から見れば「世の中は変わったのだ」とも言えるが、その論理があるからこそバルト三国など旧ソビエト圏の国々が強く警戒している、と付け加えた。
ただし彼女は、トランプ政権のイラン政策については「現時点では大失敗に終わっている」と評価した。理由はイスラエル側の宗教的な憎しみが入り込んでしまったことで、それによってアメリカとイスラエルのあいだにずれが生じ始めているという分析である。また彼女は、宗教のトップを標的にしたことについて「日本の天皇陛下を突然殺すようなもの」と喩え、踏んではいけない一線を越えたのではないかと述べた。
中国が現時点で動かない理由について、主宰者は自身のYouTubeを見るよう促し、この場では答えを言わないと述べている。講師は軍の人事が混乱しており空いたポジションが埋まっていないため時間がかかるという見方、およびメンツの問題で他国のやり方に追随しないという見方を示した。
講師が用いた「レデンプティズム」は、英語の irredentism(イレデンティズム、未回収地回復主義)を指していると考えられる。19世紀イタリアの「イタリア・イレデンタ(未回収のイタリア)」運動に由来する語で、歴史的・民族的な根拠を主張して他国の領域を自国に編入しようとする思想を指す。ロシアのウクライナ侵攻、中国の台湾政策を同一の枠組みで説明する議論は国際政治学でも一般的である。ただし米国のイラン政策をイレデンティズムに含めるのは、自国領土の回復ではなく旧同盟体制の回復を指しているため、この語の標準的な用法からはやや外れる要確認。この日の地政学に関する発言は情勢の展開に左右されるため、本レポートでは勉強会当日(2026年3月20日)時点の講師の見解として記録するにとどめる。