前半で組み上がった三層のマトリクスに対し、渡辺氏が投げた一言が議論の方向を変えた。多くの人がこの図に唐突さを感じるのは、宗教的定義と市場的定義のあいだに本来入るべき政治的定義が抜けているからではないか、という指摘である。国家は法律によって「何をするのが正しいか」を定め、共同体や親子や家族はこうあるべきだという枠組みを示す。それが宗教と市場のあいだのクッションになる、というのが渡辺氏の見立てだった。
渡辺氏はその具体例として、正月にカレンダーを配る風習の起源を挙げた。それは中国の政治から始まったものであり、農業で立国している国にとって、いつ種を蒔くかは必要条件になる。それを誤れば国全体の富が傾く。だから暦を配る。この暦を配るという行為が、国家のイデオロギーに人々を帰属させることになり、同時に「感覚として管理できる人たちが政治の中枢にいる」という説得性を生み、実際に栽培の効率が上がることで国家への信頼が上がる。企業がやっているカレンダー配布は、それを真似ただけだ、というのが渡辺氏の説明である。
ここから議論は「押し付けられた規範は維持できない」という論点を経て、日本社会のあり方をめぐる正面からの意見対立へ進む。ある参加者が、日本人が納得して契約しているというのは一部の人の話であり、大多数はサイレントマジョリティとして無関心であり「お上がちゃんとやってくれる」という農耕民族的な考え方でやっている、と述べた。これは日本独自のアイデンティティであってこれでよく、解除する必要はないと思う、と続けたのに対し、マイキー氏は「解除しなかった結果が今の経済状況ではないか」と応じ、短いながら緊張感のあるやり取りが交わされた。
後半は、その日本の弱さを具体的に特定する議論になる。マイキー氏の断定は明確だった。日本が韓国や中国の企業に勝てないのは非市場戦略の弱さであり、良い製品はいくらでも作れる。無形資産のほうが価値を持つ時代に、非市場戦略こそが無形戦略であり、そこが圧倒的に弱い。日本製鉄がUSスチールを買収できたのは、その部分を切り替えたからだ――という整理である。参加者からもロビー活動の実務についての具体的な証言が寄せられ、議論は最後にパナソニックや日産といった企業の「内向きの宗教的定義」の話へ着地した。
「ルールフォロワーだからこそ、やらなければならないことがある」――日本はルールメーカーになれていない。ならばルールが作られる場に入り込む努力が要る。良い製品を作れば市場で勝てるという前提そのものが、すでに成立していない。この認識が、この日の後半を貫いている。
渡辺氏の指摘は、図の完成度を褒めるためではなく、その図がなぜ人によっては唐突に見えるのかを説明するために出された。宗教的定義と市場的定義という二列だけが並んでいると、そのあいだの跳躍が大きすぎる。本来ここには政治的定義が入るはずで、それを入れていないから唐突に感じられるのではないか、というのがその主旨である。
渡辺氏が挙げた具体例はこうだ。政治であれば、それに対して法律がこうしますよ、あるいはうちは農業において立国していますよ、うちはこういう国の産業でこう立脚していますよ、ここに価値がありますよ、これが我々の都です、と示すことになる。これは国家における市場定義であり、国家における理想と規範の定義でもある。そしてそれは法律において発布される。
宗教的定義(普遍的な価値観)/政治的定義(国家が定める枠組み)/市場的定義(企業が提示する価値)――この三段になると、企業の価値提案が「宗教から直接移植されたもの」ではなく、「国家が敷いた枠組みの上に載ったもの」として見えてくる。だからこそ、その枠組み自体に働きかける行為=非市場戦略が戦略の一部として立ち上がる。渡辺氏の指摘は、後半の議論全体の入り口になっている。
ただしマイキー氏は、この列を入れるとさらに分かりやすくなる人と、逆に分かりにくくなる人がいるだろう、という留保も述べている。前田氏はこれに対し、政治的な部分を含めることで非市場戦略の重要性が明確に見えてくるのではないかと応じ、議論はそのまま非市場戦略へ流れていった。
渡辺氏が挙げた例は、身近すぎて誰も由来を考えないものだった。なぜ正月にカレンダーを配るのか。渡辺氏によれば、これは中国の政治から始まっている。当時の中国には、天文学を理解している人々が政治団体の中にいた。農業で立国している国にとっては、いつ種を蒔くかといったことが必要条件になる。それができなければ国全体の富が傾いてしまう。だから暦を配る。いつ頃種を蒔き、いつ頃肥料をやり、いつ頃こうする、と。
渡辺氏は、この配布行為が持つ三重の機能を指摘した。第一に、それを配ることが人々を国家のイデオロギーに帰属させることになる。第二に、国家における富をどうやって生み出すかを感覚として管理できる人々が政治の中枢にいる、という説得性になる。第三に、その通りにやることで実際に栽培の効率が上がり、それがまた国家に対する信頼を上げる。これが正月にカレンダーを配ることの始まりであり、企業はそれを真似しただけだ、というのが渡辺氏の結論である。
暦の頒布が国家権力と結びついていたという構図自体は、歴史的に確認できる裏取り済。中国の暦は王朝ごとに繰り返し改暦され、現存する最古の体系的な暦の記録は前漢の太初暦(紀元前104年施行)に遡る。皇帝が暦を定めて頒布し、周辺国がそれを受け入れること(正朔を奉ずる)が服属の意味を持ったという構造は、東アジアの国際秩序を論じる際の基本的な論点である。現代中国でも、中国科学院紫金山天文台が農暦の計算を担い、2017年には「農暦的編算和頒行」という国家標準が施行されている。
ただし、日本企業が年末にカレンダーを配る商慣行が、直接この中国の頒暦制度に由来するという因果関係までは、今回の調査では確認できなかった。日本側の直接的な系譜としては、明治5年(1872年)3月に文部省のもとで頒暦商社が設立され、江戸期の暦師を集めて明治6年用の暦を主要都市で販売する官許の頒暦体制が作られた経緯が確認できる。したがって渡辺氏の指摘は、「暦の管理は国家権力の機能である」という構造の説明としては妥当だが、現代日本の企業カレンダー配布への直接の系譜としては要確認としておくのが正確である。発言を書き換えず、この差分をそのまま記録しておく。
渡辺氏はここから教育論へ展開した。何をするのが正しいかということを、我々は法律に刷り込まれている。あるいは家族はこうあるべきというところに納得性を持っている。そしてその納得性は、国の役人だけではなく、親がそれを再生産していくことによって維持される。国家において、兵隊であるとか官僚であるとか、そういった役割をすぐに果たす人間として再生産されることを教育という――これが渡辺氏の定義だった。
そして渡辺氏は、この社会の枠組みという観点から考えれば、我々が普段接しているものであり、日々無意識に教育されてきたものであり、そしてそれが本来教育と呼ばれているものだ、と締めくくった。
参加者からの質問――ブランドがあると「ブランドだからそうだよね」と無意識に思ってしまうが、それは気づかないうちに当たり前になっているということか――に対して、渡辺氏が答えた内容が、この日の議論の中でも特に密度が高い。
渡辺氏は、気づかないうちに当たり前になっているというより、それを一つの型にすることで相互作用が起こるのだ、と訂正した。一方通行ではありえない。それに対してそれが正しい、あるいはそうであるほうが合理的だと納得していく。そういう相互作用の結果として、この法律を守ったほうが自分の利益が守れる、自分の発言権が守られる、自分の尊厳が保たれる、という再生産が起こる。それがなければ、押し付けられた法律を我々は絶対に守らない。国家にそこまで強力な暴力システムはないからだ。だから我々は納得しているはずなのである。
渡辺氏はさらに踏み込む。納得したうえで、我々は何らかの物語を自分に作っている。何らかの色眼鏡をかけて、自分たちは他の国の人とは違うとか、自分たちは特別な能力を持った民族だと思いたかったりする。これも全部その中から作り上げたものであり、自分の評価を高めたいとか、自分が価値ある存在だと思いたいとか、自分は社会的に意味ある人生を送っているということと合致する。だからこれは一方的なものではありえない。
ブランドや制度が「押し付け」に見えたとき、それは維持されない――という命題は、企業文化にもそのまま当てはまる。理念やバリューが浸透しない組織では、それを守ることが従業員自身の利益・発言権・尊厳とどう結びつくのかが設計されていない。渡辺氏の議論は宗教社会学の文脈で語られているが、実装の話として読むと、規範を機能させるには「守った側に何が返るか」の設計が要る、という指摘になる。
渡辺氏は、Appleを使っている人がそこに喜びを感じており、その中に神話性が出てくると述べ、これはどちらが原因でどちらが結果かという因果関係ではなく、対話の中から生まれてきたものにすぎない、と付け加えた。規範(ノーム)というと強制的に押し付けられたものだと思いがちだが、本当にそうか。強制的に押し付けられたものであれば、それを維持できない。だから納得できるように設計されているし、その通りにやることで紛争や衝突が何らかの形で解決へ導かれているはずである。解決へ導かれているからこそ説得力を持ち、親はそれに対して子に価値を持つ。理想・規範・イデオロギーがないと、親は子に対して何の価値も持たない――渡辺氏はこう述べて、この論点を閉じた。
ここで参加者の一人(山口氏)が挙手し、渡辺氏の議論に正面から異を唱えた。この日で最も緊張感のあるやり取りである。
山口氏の主張はこうだった。日本という国において、契約して納得しているというのは日本人の一部の方だと思う。日本の国家の経緯を見ると、幕藩体制など、基本的にはごく一部の人間がこの国の政治を取り仕切ってきたという時代が何百年も続いてきた。要はサイレントマジョリティであり、大多数の方は無関心である。「お上がちゃんとやってくれる」という農耕民族的な考え方でやっている。それがこの国の現状ではないか。
渡辺氏は途中で「話が飛んでいるので、聞いている人には分からないと思う。ポイントを絞って話してほしい」と介入し、山口氏は論点を整理し直した。そのうえで山口氏は、これは日本の独自性・日本民族のアイデンティティとしてこれでよいのであって、解除する必要はないと思う、と述べた。
日本の大多数は無関心なサイレントマジョリティであり、お上任せの農耕民族的な考え方をしている。ただしこれは日本の独自性・アイデンティティであって、これでよい。解除する必要はない。
今後どうなるかはまた別の話であり、別の見方をすれば別の評価がありうる。ただし今の尺度で言えば、このままでは良くはならないと思う。
解除しなかった結果が今の経済状況であり、みんな苦しんでいる。このままいって日本は良くなるのか。良くならないなら解除しなければならない。
本来は政治がやるべきことを国民が一生懸命やっている、というのが今の資本主義下の現実である。一部の人がやっているから自分たちはやらなくていい、ではなく、一部の人がやっているのだから自分たちもやらなければならない、という考え方をどう持つかのほうが大事である。
やり取りの中で、マイキー氏が「やっていない人とやっている人はどちらが多いと思うか」と問い、山口氏が「99%やっていないと思う」と答え、マイキー氏が「ですよね。じゃあ変えなきゃいけないですよね」と返す場面があった。山口氏は「それは否定はしません」と応じ、対立点は「現状認識」ではなく「それを変えるべきかどうか」の一点に絞られた形になった。
ここで交わされたのは、日本社会のあり方をめぐる価値判断を含む議論である。本レポートは両者の主張をそれぞれの見解として併記するにとどめ、いずれが正しいかの判定は行わない。なお、「日本人が無関心である」「農耕民族的である」といった特徴づけは、この場での山口氏の見解として述べられたものであり、実証的な裏づけを伴って提示されたものではない点は明記しておく。国民の政治参加意識に関する国際比較データは複数存在するが、この日の議論ではそれらは参照されていない。
マイキー氏は、この対立を「今はいい環境だ」と受けたうえで、卓越化と排除の議論を国家レベルへ拡張した。難解な現代アート、複雑な作法を伴う茶道、歴史的背景を持つヴィンテージワイン――これらを解釈するには知識が必要であり、知識を要求することは持たない者を排除するシステムとして働く。日本に卓越した強さを作るのであれば、排除システムが必要だ、というのがマイキー氏の主張だった。ただし日本国民全員に必要なわけではない。できる人とできない人の排除が必要である、と。
この語について参加者から「区分という言い方のほうが適切ではないか」という異議が出たが、マイキー氏は「排除のメカニズムという理論があり、学術的には区分ではなく排除と表現するのでそう言った」と説明し、参加者も納得した。
マイキー氏はこの議論を経済的な観点へ広げた。自分たちはこういう独自路線で行きます、というやり方は人口の小さい国なら成り立つ。しかし人口が多くなると、いくつもの産業を持たなければならず、持ってしまうと、うまくいく産業とうまくいかない産業を切り分けて排除していくシステムが必要になる。それができているのがヨーロッパの北欧であり、その生産性の高さの正体だ、というのがマイキー氏の見立てである。
逆に、中国のような国はそれを全部できるようにしてしまおうとしている。それは人口がいるからだ。しかし人口が減少していくということは、勝てる分野とそうでない分野をしっかり区別しないで政策を打つとまずいことになる、ということを意味する。それは日本が証明しているし、アメリカも、イギリスも同じだ、とマイキー氏は述べた。
参加者から「人口が一定以上というのは、どれくらいの規模か」という質問が出た。マイキー氏の答えは、生産性の高い国で人口1億人以上でトップ10に入っているのはアメリカ以外に存在せず、ほとんどのところは3000万人前後である、というものだった。
この数値は公開データで確認できるため、突き合わせておく裏取り済。日本生産性本部「労働生産性の国際比較2025」によれば、2024年の日本の一人当たり労働生産性は98,344ドル(935万円)でOECD加盟38カ国中29位、時間当たり労働生産性は60.1ドル(5,720円)で38カ国中28位である。主要先進7カ国では最下位が続いている。一人当たりで見ると、日本はニュージーランド(100,533ドル)やスロバキア(97,612ドル)とほぼ同水準にある。
時間当たり労働生産性の上位は、1位アイルランド(154.9ドル)、2位ノルウェー(136.7ドル)、3位ルクセンブルクである。ここで発言との食い違いが出る。アイルランドの人口は約530万人、ノルウェーは約560万人、ルクセンブルクは約70万人であり、いずれも「3000万人前後」よりはるかに小さい。したがって「上位国はほとんど3000万人前後」という発言は、実際にはもう一桁小さい規模を指すべきだった可能性が高い。
一方で、「人口1億人以上で上位に入るのはアメリカのみ」という主張の骨格は、データと整合的である。人口1億人を超えるOECD加盟国は日本、アメリカ、メキシコに限られ、このうち生産性上位に位置するのはアメリカだけである。つまり「人口規模が大きいと生産性上位に入りにくい」という論旨自体は支持されるが、上位国の具体的な人口規模については発言が過大である。この差分の理由は各自で確認されたい。
マイキー氏は、市場的定義をさらに掘り下げる際の第一の分岐として、有形商材か無形商材かを挙げた。この違いによってアプローチ方法が変わり、置く比重が変わる。何を5に置き、何を3に置き、何を2に置くのか、という配分の問題である。
その理由の説明が興味深い。人は基本的にお金で判断し、物の価値をすべて金額と結びつける。いくらだったか、高いか安いか、いい経験ができたか。映画も同じで、面白い映画を見れば1800円は安かったと言い、つまらない映画を見れば1800円を無駄にしたと言う。同じ2〜3時間の体験なのに、である。そして無形商材のほうが、この妥当性が作りにくい。有形のほうが納得性がある。物が届いており、人はその物を保持することによって優越感が増すからだ。
第二の論点は会計である。マイキー氏は、いま使われている会計の枠組みが20世紀初頭にできあがったものを未だに使っているから問題だ、という話を以前にもしたと述べたうえで、TSR、PBR、PER、ROI、ROEといった指標は全部いじれてしまうと指摘した。数字自体が、無形資産ではなく有形資産を前提として作られている。これによっていろいろなバイアスがかかってしまっているのではないか、というのが本人の問題意識である。
マイキー氏は具体例として、無形資産は不良在庫にならないので資産に置けない、と述べた。有形資産を持てば、所持しているということでバランスシートに反映される。持っているか持っていないかによって、すでに企業の戦略も大きく変わっている。したがって、有形と無形で分けたうえで議論したほうがいいのではないか、というのがこの日の提案だった。ただしこれを今やると時間がかかりすぎるとして、詳細は別の回に持ち越されている。
マイキー氏はこの後、「無形資産のほうが価値が出てきていて、体感的に非市場戦略こそ無形戦略なのだ」と述べて二つの論点を接続している。ロビー活動も、政治的な信頼関係も、ルール形成への関与も、バランスシートには一切載らない。載らないから測れず、測れないから投資判断の対象にならず、結果として日本企業はそこに資源を割かない――という筋道である。会計の話と非市場戦略の話は、この一点で繋がっている。
前田氏が「政治的な部分を含めると非市場戦略の重要性がよく理解できる」と述べたのを受けて、マイキー氏は明確な断定を置いた。結局のところ、非市場戦略が強いところが勝っている。そして日本の最大の問題は、非市場戦略の弱さである。日本が韓国や中国の企業に勝てないのは非市場戦略の弱さであり、それは間違いない。日本のほうがいい製品を作れるものはいくらでもある。ではなぜ勝てないのか。商品だけで、市場戦略だけで勝とうとすること自体が、そもそも今の世の中では成立していない。
マイキー氏はここで日本製鉄によるUSスチール買収を挙げ、それを切り替えたからできたのだと述べた。同様に、韓国の現代自動車や起亜がアメリカ市場に入れたのも、中国が同じことをやっているのも、非市場戦略を政治的な観点から実行しているからである。日本はそれを政治的な観点からではなく市場的な観点から攻めようとすることで失敗している、というのがマイキー氏の整理だった。
非市場戦略(nonmarket strategy)という概念は、スタンフォード大学の経済学者 David P. Baron が1995年に『California Management Review』誌に発表した論文「Integrated Strategy: Market and Nonmarket Components」で定式化されたものである裏取り済。Baron の定義では、市場環境とは企業と他者の相互作用が市場や私的合意によって媒介される領域であり、非市場環境とは公的制度によって媒介される領域を指す。市場戦略が経済的パフォーマンスの改善によって価値を創造する行動パターンであるのに対し、非市場戦略は非市場環境における行動によって企業全体のパフォーマンスを改善する行動パターンである。Baron の主張の核心は、企業環境は市場と非市場の両成分から構成されており、戦略策定はその両方を統合しなければならない、そして非市場戦略の目的の一つは企業の市場環境そのものを形づくることにある、という点にある。マイキー氏の議論は、この枠組みをそのまま日本企業論に適用したものと読める。
日本製鉄によるUSスチール買収については、マイキー氏の説明を裏づける事実関係が確認できた裏取り済。買収は2025年6月18日に完了し、USスチールは日鉄の完全子会社となった。買収額は約141億ドル(約2兆円)。バイデン大統領は2025年1月3日に買収中止命令を出していたが、政権交代後の4月にトランプ大統領がCFIUSに再審査を指示し、6月13日に買収を認める大統領令を発表した経緯がある。決着の条件として、日鉄は2028年までに総額約110億ドルをUSスチールに投資することで米政府と合意し、さらに米政府に黄金株(拒否権付き種類株式)を渡した。米政府はUSスチールの独立取締役1人の選任権や一定事項の同意権を持つ。国内生産や雇用の維持に関する国家安全保障協定(NSA)も締結されている。
つまりこの案件は、価格や事業シナジーという市場的要素だけで決着したのではなく、拒否権の付与と投資約束という非市場的な譲歩によって成立している。マイキー氏の「非市場戦略に切り替えたからできた」という説明は、事実関係と整合している。
参加者の一人が、日本において非市場戦略はほとんど知られておらず、そういう職種が日本にはない、外資系にはあるかもしれない、と述べた。逆に「お上に相談して、お上が言うことが正しいのだ」という形で、天下の宝刀のようにお上が正しいのだからこうするべきだという思考停止に置かれている。それが戦後の80年間ずっと続いてきた、というのがその参加者の見立てだった。ヨーロッパやEUはルール作りがうまい。自動車についてもルール作りがうまく、そのルールが変わると「ヨーロッパのルールが変わったらしい」とお上経由で情報が来て、日本企業はそこでも思考停止である、と。
マイキー氏はこれを受けて、ルールメーカーになる人たちはもう決まっている、欧米だ、と応じた。そのうえで、日本は非市場戦略においてルールフォロワーだからこそ、やらなければならないことがたくさんあるはずだと述べた。ルールメーカーになろうと頑張っているのが今の中国だが、なかなか受け入れられない部分もあり、彼らはどんどん自分たちの帝国を作っていっている。それでも中国があれだけやってもアメリカの牙城は崩せず、ヨーロッパも崩せない。日本はそもそもルールを作らずルールフォロワーの側なのだから、だからこそ非市場戦略が大事であり、この点で韓国がものすごくうまく立ち回っているのではないか、というのがマイキー氏の結論だった。
ここで参加者の一人から、具体的な証言が寄せられた。知人のコンサルタントに、非市場戦略というかロビー活動をきわめて熱心にやっている人がいる。上場企業を含めてほとんどの企業がそのコンサル会社に依頼している。その人が何をしているかというと、これは政府を通さなければならないとか、政令を変えなければならないとか、補助金がもらえそうだと思うと、議員会館に足しげく通い、政策あるいは法令を書いてくれそうな議員と面談し、説得し、会食をする。それを専門にやって補助金を取ったりしている、という。逆に、ほとんどの企業はそれをしないので、もらえる補助金がなかなか取れないということがあるのではないか、と述べられた。
さらにその参加者は、海外の政府に食い込むロビー活動という面では、日本にはそれをできる経営者もいないと述べた。東南アジア方面では財閥に地道に通ってロビー活動をしている人が自分の周りにもいるが、そういう人が大勢いるかというと、いないだろうと考えている。韓国のロビー活動や中国のロビー活動をしている人を見ると、押しの強さ、絶対に負けない強さがまったく違うので、これは勝てないと思って見ている、と締めくくった。
マイキー氏はこれに同意し、中国側の交渉スタイルについて「断られていることが分かっていても帰らない」「イエスと言うまで帰らないスタンス」だという知人の体感を紹介した。言語が堪能でなくてもどんどん突っ込んでくる、その押しの強さがポイントになるのではないか、というのがマイキー氏の受け止めである。
セッション終盤、参加者の一人が鋭い指摘を出した。「宗教を学べば経営が分かる」と言われる通り、今日の宗教的定義と市場的定義の比較は非常に分かりやすかった。ただ、宗教は信者を増やすことが組織としての一つの目的であり、史上最も成功した組織はキリスト教だとよく言われる。一方で日本の場合は、この市場的定義が外に向いているというより、社内向けが多いのではないか――という指摘である。
その参加者は具体例として、稲盛系や松下系といった、組織そのものが宗教のようになっているケースを挙げた。パナソニックについても、中途採用の人が何か提案しても「幸之助さんだったらそんなことは言わないよね」という形で叩かれる話をよく聞く、と述べた。つまり宗教的定義が外ではなく中に向いてしまい、それが組織の硬直化を招いているのではないか。それは日本の強さではなく弱さではないか、と。
マイキー氏は同意し、日産も同様だと応じた。社内政治に集中している感じが非常に強い、と。そしてマイキー氏は自身の会社員時代を振り返り、「知ったこっちゃねえよ」というタイプは大体干されていくと述べたうえで、日本の会社で干されることの価値のほうが自分は強いと思っている、そういう人ほど独立したらどうかと思う、と続けた。参加者も、それで独立してうまくいった人も結構いる、と応じている。
この二つの論点は、この日の議論の中で明示的には接続されなかったが、構造としては繋がっている。宗教的定義が社内に向いているということは、その企業のイデオロギー(正当化の体系)が外部の意思決定者に対して機能しないということである。ロビー活動も国際交渉も、自社の存在意義を社外の言語で語れることが前提になる。創業者の言葉でしか正当化を語れない組織は、その言語が通じない相手と交渉する手段を持たない。
議論はさらに、優秀な若手の性質へと広がった。マイキー氏は、30代・20代の優秀な人は大体アウトローだと述べ、わけの分からないことをやってきてそれが当たるが、後から見ると意外と理にかなっていることが多い、と語った。参加者が「昔の日本はそういうのが多かったのでしょうね」と応じたのに対し、マイキー氏は「パクって加工することで成り立ったのが日本のバブルだ」と述べ、しかし明治期のイノベーションも欧州の考え方の模倣から始まっていること、当時は逆説的な考え方をする人が非常に多かったことを挙げた。同じように、今すでに遅れているのなら、逆説的な考え方が必要なのではないか、というのがマイキー氏の問題提起である。
マイキー氏は最後に、昔からそういうことをやろうとした人は叩かれる文化の中にいたが、押し通した人が結局強かったと述べ、イーロン・マスクがずっと詐欺扱いされてきたことを例に挙げた。もちろん逆説的なアプローチでは失敗する人のほうが多いが、その中でうまくいった人が芽を出している。そしてそういう人たちは無形資産を作るのがきわめてうまい、という参加者の指摘に強く同意している。むしろそういう人たちは一般の人の気持ちが分からないので、有形の商材を作るほうが難しいのではないか、ゼロイチが特別にうまいのだろう、というのがマイキー氏の見立てだった。
セッションの最後に、マイキー氏から二つの相場に関する着眼点が共有された。いずれも本編のテーマとは直接関係しないが、参加者への申し送りとして記録しておく。あわせて、2026年の数百に及ぶ金融機関の予測をすべてデータでまとめており、翌日までにグループへ投げる、という宣言もなされている。
マイキー氏は、2026年はグレッグ・アベルがかなり出てくる可能性があるので見ておいてほしい、と述べた。自身は2023年頃からYouTubeでアベルの話をしており、来ると話していたという。ウォーレン・バフェットから3800億ドルの現金を渡される仕様であり、バークシャー自体が内部構成をかなり変えている状況にある。アベルはバフェットよりロジカルだが、バフェットは神格化されているのに対しアベルにはそれほどの影響力がないため、株価が落ちる可能性がある。それをどうロジックでかわすかがポイントになるのではないか、というのがマイキー氏の見立てだった。
手法の違いについては、バフェットは会社を買収しても比較的放置するタイプで議決権を取りに行かないが、アベルはどんどん入っていくタイプだ、と述べている。3800億ドルは50兆円であり、これをどう使っていくかが焦点になる。マイキー氏の予測では、アベルが最も得意な分野はエネルギー業界であり、バークシャー・ハサウェイ・エナジーではこの10年間、アベル主導でとんでもないM&Aをやってきている。データセンター需要でサーバー企業は伸びているがエネルギー業界はまだそこまで伸びていないので、アベルが入ることで一気に加速する可能性がある、というのがその読みである。
一方で弱みが出る可能性がある事業部として、保険事業が挙げられた。バークシャーには「隠れた天才」と言われるアジット・ジェインという人物がおり、保険がきわめて強いが、アベルと非常に仲が悪いと言われている。そのためポートフォリオが組めないのではないかという話がウォール街で出ている、という指摘だった。
この勉強会は2026年1月3日の収録であり、その後の8か月で状況が動いているため、現時点で確認できる事実を記録しておく裏取り済。
現金水準:バークシャーの現金(鉄道部門の現金を除き、支払予定の財務省証券を控除したベース)は2026年3月31日時点で3,802億ドルと、2025年12月末から3.0%増加していた。マイキー氏が言及した「3800億ドル」という数字はこの水準と一致する。その後、6月30日時点では現金および財務省証券が3,647億ドルへ4%減少し、3年以上ぶりに前四半期比で減少した。
グレッグ・アベル:2026年1月にCEOに就任し、バフェットは会長として残った。アベルは4〜6月期に235億ドルの株式を購入し売却は37億ドルにとどめ、差引で約200億ドルを投じた。主なものとしてアルファベットへの100億ドルの投資、Taylor Morrison Home Corporation の約68億ドルでの買収がある。マイキー氏が予測した「エネルギー業界への集中」という形では、少なくともこの半年間は現れていない。この差の理由は各自で確認されたい。
アジット・ジェイン:保険部門担当の副会長として留任している。そしてジェイン自身が東京海上ホールディングスの2.5%の株式取得をまとめている。マイキー氏が言及した「アベルとジェインの不仲によりポートフォリオが組めない可能性」については、少なくとも公表されている案件の動きからは、その懸念が顕在化しているとは読み取れない。発言と公開情報のあいだにこの食い違いがあるため、そのまま記録しておく。
もう一つの着眼点は中国である。マイキー氏は、光ファイバー系の次世代光モジュール関連の企業をチェックしておくとよいと述べた。アメリカで言えばコヒレントのような会社にあたる。世界の株式投資ファンドのパフォーマンス上位20のうち13が中国であり、それらの中国ファンドが共通で保有している企業がいくつかある、というのがその根拠だった。
具体名として挙がったのがEoptolink(イオプトリンク)とInnolight(イノライト)である。Innolight はコヒレントのライバル企業のような位置づけで、主要顧客はバイトダンス、アリババ、Google、Amazon、Microsoft、Meta。株価は200%程度上昇しており、中国のトップクラスのファンドのほとんどが組み入れている、と述べられた。マイキー氏は、年末の講義で扱った「ピック&ショベル・ビジネス」のリサーチ手法にかなり引っかかってくる会社だと位置づけている。
背景として、中国から資金が流出したことを受け、中国の当局が海外の適格投資家に対する条件を緩和する2年計画を出しており、そこから資金を一気に流入させようとしている。同時に今のファンドのリターンが非常に大きく、あるファンドは今年リターン200%を超えた。それを餌に海外資金を呼び込む構図であり、オンショアとオフショアの取引を一体化させる動きも進んでいる。以前に触れた香港上場の論点がここに紐づいてくる、というのがマイキー氏の説明だった。不動産と通信が来れば伝送システムが必要になり、そうなると電気から光へ変換する光モジュールが効いてくる。その世界トップ技術を持ち、世界シェアもトップレベルなのが Innolight である、と締めくくられた。
指摘された二社の市場地位を確認した裏取り済。Zhongji Innolight(中際旭創、300308.SZ)はデータセンター向け光トランシーバー市場で売上シェア約27%と世界首位にあり、北米クラウド大手向けの800Gおよび初期の1.6Tモジュール供給で優位な割当を確保していることがその牽引役になっている。第2位がCoherent(COHR)のトランシーバー売上で約17%、それに続くのがEoptolink(300502.SZ)である。
800Gに絞ると、InnoLight と Eoptolink の二社でNVIDIA向け800G光モジュール発注の60%を占め、残る40%をコヒレントを含む米系ベンダーが分け合う構図になっている。800G全体では Innolight が40〜55%のシェアを持つ。
業績面では、Innolight の2025年上半期売上は147.89億人民元(前年同期比+36.95%)、純利益39.95億人民元(同+69.4%)。Eoptolink は売上104.37億人民元(同+282.64%)、純利益39.42億人民元(同+355.68%)と、極端な伸びを記録している。マイキー氏が「株価が200%程度上がっている」と述べた点については、業績の伸び自体がその水準を大きく超えていることが確認できた。なおマイキー氏は Innolight を「コヒレントのライバル企業」と表現したが、シェアで見れば Innolight が首位でコヒレントが2位であり、追う側と追われる側は逆である点は付記しておく。
一方で、この分野には非市場的なリスクが存在する。米国FCCが中国製トランシーバーの禁止を提案しており、これが実現した場合の勝者と敗者を分析する論考が出ている。皮肉なことに、この日の主題である非市場戦略が、まさにこの銘柄群の最大の変数になっている。
なお、マイキー氏はこの日、本来は地政学の講義(北極海と台湾のミサイル射程距離によるシミュレーション)を予定していたが、前田氏の話が面白かったため別の機会に回すと述べている。