この回の後半、マイキー氏はリカードとマルサスの争点を現代へ引き継ぐ形で、経済学の教科書が当たり前のように並べている「需要と供給」という対の立て方そのものを解体した。需要と供給は表裏一体の均衡概念として教えられるが、実際には両者を刺激する場所がまったく違う。供給は金さえあればいくらでも増やせる。工場を建て、設備投資をすればよい。しかし需要はそうはいかない。人間の感情が入るからである。欲しい・欲しくないがあり、買える・買えないがある。だから「需要と供給が対比している」という刷り込みは、きれいに見える方程式にすぎない、というのがマイキー氏の主張である。
マイキー氏はこれを、遠藤氏との一問一答で丁寧に展開した。仮に7000兆円を持っていればiPhoneはいくらでも作れる。しかし世界人口は80億人であり、供給側の数字はそもそも需要側と噛み合わない。かつての中国も同じ構図だった。世界中の誰よりも作れるようになったが、中国の人々にそれを購入する金があったかといえばなかった。だから外で売っていた。供給ベースは企業と金融機関である程度なんとかなる。金を借りて設備投資をすればよい。しかし需要の部分は、実質賃金がどう上がっていくかという政策的な問題になるので、政府が考えなければならない。したがって需給のバランスを取るには、企業と国民と政治のコミュニケーションが必要になる、という結論に至る。
そしてここでマイキー氏は、自身が打ち合わせで常に使ってきたという第三の軸を提示した。ポテンシャルである。「どこかの経済学者もみんな需要と供給の話をしますけど、僕の中だと需要と供給とポテンシャルという3軸で考えないと、そもそもビジネスは成り立たないと思っている」。ポテンシャルとは将来の可能性、発展性、発達性が見込めるかどうかである。需要があってもポテンシャルがなければ意味がない。逆に、ポテンシャルは存在しないところから作り出すこともできる。200年前、日本からアメリカへ8〜9時間で行けるとは誰も想像していなかった。北海道と沖縄の人間が電話できるとも思っていなかった。そのポテンシャルに気づかせること、あるいは作り出すこと。それに必要なのがプレゼンテーションである、というのがマイキー氏の接続だった。
検証のために出された事例が鋭い。中国製EVはアメリカで需要があるか。ある。ではBYDの車はアメリカで売れるポテンシャルがあるか。ない。Nintendo Switch 2は北朝鮮で需要があるか。ゲームをしたい人はたくさんいる。ではポテンシャルはあるか。ない。海外の医療デバイスを日本に持ってくることには需要が非常にある。しかしポテンシャルはあるか。制度と既得権益が重なっているから広げられない。いずれも需要は存在するがポテンシャルが遮断されている例であり、「ほとんどの人は需要とポテンシャルをぐちゃぐちゃにしている」というマイキー氏の指摘を裏づける。
この枠組みの実践的な意味は、ブームへの反応の仕方に現れる。「今AIが流行っています、だから俺もAIをやるぜ、みたいなやつがいるじゃないですか。これはただ需要と供給しか見ていない人間です」。短期的に利益は出るかもしれないが、そのサービスを使ってもらうポテンシャル、購入してもらうポテンシャルをどう引き出すのかを設計していない。そしてポテンシャルがないのであれば、どうやってそれを作り出すのか、どうやって突破するのかを考えなければならない。ここが、需要と供給だけを見ている事業計画との決定的な差になる。
この回の講義は、リカードとマルサスの対比が成立しないという話から始まり、需要と供給の対比も成立しないという話に接続し、最後にニーズとインサイトの区別へ着地する。共通しているのは「二項で並べられているものが、本当に同じ次元にあるのかを疑え」という一貫した姿勢である。ポテンシャルという第三軸は、二項対立から抜け出すために置かれた楔である。
講義前の雑談は、マイキー氏がプレイ中のPlayStation 5のゲームの話から始まった。『Ghost of Tsushima』を終えて『Ghost of Yōtei』をやっているのだが、その主人公が女性キャラクターであり、参加者の藤川氏に驚くほど似ている、という話題である。参加者たちが実際にその場で画像を検索し、「目から下のあたりが似ている」「動いている姿が藤川さんだ」と口々に反応する、勉強会らしからぬ導入だった。当の藤川氏は「僕は普通に男ですけど、そんな中性的ですか」と苦笑している。
そこから話題は翌日に控えた日米首脳会談に移る。マイキー氏は高市首相について「今回すごく頑張っているなと思っていて、女性リーダーシップのトレンドが来るんじゃねえかなと、すげえ楽しみにしている」と述べた。前任者がトランプ大統領に名前も覚えられていなかったのに対し、高市氏はかなり良い関係を築けているという評価である。理由として、もともとアメリカで学び、女性議員のアシスタントを務めていた経歴があるためコミュニケーション能力がしっかりしていること、そして20年ほど前から言っていることがあまり変わっていないことを挙げた。「政策はやりづらそうですけど、まあでも頑張っていただきたい」という言葉で締めている。
「女性リーダーシップのトレンドが来るのではないか」という発言は、まさにこの回の後半で扱われるポテンシャルの話そのものである。現時点で需要が顕在化しているわけではない。しかし条件が揃えば発展しうる余地がある。マイキー氏がここで見ているのは需要でも供給でもなく、可能性の側である。雑談として流された発言だが、講義の枠組みを先取りしている。
この勉強会は2025年10月27日開催であり、会話中の「明日」は10月28日を指す。実際に2025年10月28日、高市早苗首相は迎賓館赤坂離宮でトランプ大統領との初の日米首脳会談を行った。会談では日米が「黄金時代」を築くことを確認し、その後両首脳は横須賀に寄港していた米空母ジョージ・ワシントンを訪問している。またこの会談で高市首相は、ロシア極東のサハリン2からの撤退は困難であることを伝えた(首相官邸・外務省発表、日本経済新聞・時事通信報道)。
なお高市氏の米国での経歴については補足を要する。高市氏は1987年、松下政経塾のスポンサーにより米国民主党下院議員パトリシア・シュローダー氏の事務所でコングレッショナル・フェローを務めた。発言中の「女性議員のアシスタント」はこれを指すと考えられるが、「元々アメリカでずっと勉強していて」という部分は正確ではない。神戸大学卒業後、松下政経塾を経てのフェローシップであり、滞米期間は限定的である。要確認
講義の後、遠藤氏が手を挙げた。「需要と供給ってまさに対比しているものかと思ったんですけど、そうじゃないよ、というところまでは分かったんです。そこの重要なところが分からなかったので、もう一回話してもらってもいいですか」。この質問に対するマイキー氏の応答が、この節のすべてである。
マイキー氏はまず供給から入った。供給は増やそうと思えばいくらでも増やせる。金を使って工場をたくさん作れば増やせるからである。「仮に7000兆円持っていたら、iPhoneもいくらでも作れるし、土地も買って作ればいい」。どんどん増やせる。しかし需要はそうではない。作ったからといって需要が生まれるわけではない。7000兆円分のiPhoneを作ったとして、世界人口は何人か。80億人である。数字がまったく間に合わない。しかもiPhoneが嫌いな人もいるし、ガラケーが好きな人もいる。
供給量はある程度無制限に増やせる。金を使えばよいからである。企業と金融機関の間で完結する。借りて設備投資をすればそれで終わる。
制約:資金調達力
欲しい・欲しくないがある。買える・買えないがある。だから金額の問題に還元できない。実質賃金がどう上がるかという政策の問題になる。
制約:感情と購買力
「需要と供給が対比しているのは、すごくきれいに見せる方程式のように見えるんですけど、本質的には需要を上げるのと供給を上げるのは全く違う政策ですよ、という話です」。マイキー氏はここで念を押した。刺激する場所が違うのだから、同じ枠で語ってはいけない。供給を刺激するなら投資と産業である。需要を高めるなら購入ベースが必要になり、そうなると政府の政策が必要になってくる。リカードが政府はいる/いらないという話になるのはまさにここだ、とマイキー氏は加えている。
マイキー氏は歴史的な事例に切り替えた。かつて中国では工場をたくさん作り、大量に物を作っていた。供給力はすごい。では中国の人々にはそれを購入する金があったか。遠藤氏が「なかったんで、外で売っていたということですよね」と応じ、マイキー氏が「そうですね。そういう時代もありました」と確認した。需要と供給がその地域で噛み合っていない状態である。
リカードの考え方であれば、設備投資をしていけばよい。実際、中国は世界中で誰よりも作れるようになった。しかし、需要の部分で中国の人々が豊かになっていかなければ、いくら地元で大量に作っても買う人はいない。では買う人を作り上げるにはどうしたらいいか。政策的に実質賃金がどう上がっていくのかを、政府自体が考えていかなければならない。供給ベースは企業と金融機関である程度なんとかなってしまう。ここに需給の非対称がある。
マイキー氏の指摘した「中国は作れるが買えない」という構図は、統計に明確に現れている。世界銀行データによれば、中国の家計最終消費支出(家計+対家計非営利団体)はGDPの39.57%(2023年、前年2022年の37.78%から上昇)である。これに対して米国は67.93%(2024年)、155カ国の世界平均は63.62%である。中国の家計消費比率は世界平均を24ポイント近く下回っており、投資主導型の経済構造を反映している。
なお、中国の「最終消費支出」全体(家計+政府)で見ると2024年時点でGDPの約56.6%になる。マイキー氏が念頭に置いているのは家計側の購買力であり、その意味では39.6%という数字のほうが実態に近い。「地元で大量に作っても買う人はいない」という発言は、統計的に裏づけられる。
マイキー氏はここから制度論へ踏み込んだ。需要と供給のバランスをしっかり取ろうと考えるのであれば、企業と政策のコミュニケーションが必要になる。さらに言えば、企業と国民と政治というその三者のコミュニケーションがないと、需要と供給のバランスはそもそも成り立たない。「本来はね」という留保を付けた上で、マイキー氏は現代の特殊性を指摘した。
「本来は成り立たなかったんですが、それを無視したとしても成り立つような現代になってしまったのが今なんです。だから感じないんですよ。昔は成り立たなかったんです。土地も制限されている。生産量も制限されている。国民の富も制限されている。制約がある状態だったから、政府と企業と供給側と需要側のバランスが成り立たなかった。だからこういう議論が出てくるんですよ。そもそも時代背景として」
遠藤氏が「それはイギリスのリカードやマルサスがいた時代ということですか」と確認すると、マイキー氏は「その質問はしていなくて」と切り返し、昔の人々には「購入する消費者」という流れがそこまでなかったこと、飯を食うのもやっとで、戦争で金を使いまくっていたことを説明した。需要も供給もバランスが取れていなかったから飢餓があった時代である。今の日本に飢餓はない。物が溢れ返っている。昔はパンも取り合い、iPhoneもパソコンも取り合いだった。しかし今は生産性が確立し、ある程度のものは大量生産できる時代になった。「誰も不足を意識しなくて物が供給される時代になりました。じゃあ200年前はどうだったのかという話なんです。話が変わってくるんですよ、それって」。
この文脈でマイキー氏は「北朝鮮だってもう20年前に飢饉が終わっているわけなんですよ」「あれはメディア誘導です」と述べている。事実関係を分けて整理する必要がある。
いわゆる「苦難の行軍」と呼ばれる大規模飢饉は1994年から1998年にかけて発生し、最大で300万人が死亡したと推計されている。1998年以降は状況が改善し、餓死は稀になった。この点では「大量餓死という意味での飢饉は終わっている」という発言は成立する。
ただし、慢性的な食料不安は継続している。1990年代に公的配給制度(PDS)が崩壊して以降、食料不安は慢性的な問題であり続けており、国連の『世界の食料安全保障と栄養の現状』2022年版では北朝鮮国民の40%が栄養不良と報告されている。不作、食料価格の上昇、コロナ禍による国境閉鎖、制限的な政策により、近年の食料不安は1990年代の飢饉以来最悪の水準にあるという指摘もある。「飢饉は終わった」と「食料事情は改善した」は別の話であり、後者は成立しない。
マイキー氏は、自分は打ち合わせで必ず「需要と供給とポテンシャル」という言い方をすると述べた。渡辺氏も前田氏も上野氏も、それを聞いてきているという。「どこかの経済学者もみんな需要と供給の話をしますけど、僕の中だと需要と供給とポテンシャルという、この3軸で考えないと、そもそもビジネスは成り立たないと思っているわけです」。そしてこれが限界効用や限界費用、MR=MCの話に繋がってくる、と接続を予告した。
ポテンシャルとは何か。マイキー氏が参加者に問うたところ、「需要の潜在的なもの」という答えが返った。マイキー氏はこれを肯定した上で言い換えている。「将来可能性のあるとか、発展性とか発達性の見込めるという意味なんですよ」。
欲しい・欲しくない、買える・買えない。人間の感情と購買力が入る。政府の政策と実質賃金に強く依存する。
作れる量。資金と設備投資の関数。企業と金融機関の間でほぼ完結する。金があれば増やせる。
将来の可能性・発展性・発達性。今は存在しなくても、条件が揃えば立ち上がる余地。制度・利権・認知が遮断しうる。
重要なのは、ポテンシャルが「ないところから始まる」という性質である。マイキー氏はこう説明した。「200年前、日本からアメリカに8時間9時間で行けるなんて誰も想像していなかったんです。北海道と沖縄の人間が電話できるなんて思っていなかったわけなんです」。では、このポテンシャルに気づかせてあげる、あるいはポテンシャルを作り出すのに必要なものは何か。参加者から「技術の発展」という答えが出たが、マイキー氏の答えは違った。「それがプレゼンテーションでしょ」。
「何かを突破して、ポテンシャルというものをどんどん作り出さなければいけない。だからそれが必要なのがプレゼンテーションになってくるんですよ」。技術は手段であって、ポテンシャルを社会に認知させ、市場として立ち上げるのは言語の仕事だという整理である。この論点は、同じ回の後半で「ニーズではなくインサイトに触れるプレゼンテーション」という形でさらに掘り下げられる。
マイキー氏は具体的な批判に移った。「需要と供給で、だからバカなやつがよくビジネスをやって、今AIが流行っています、だから俺もAIをやるぜ、みたいなやついるじゃないですか。これはただ需要と供給しか見ていない人間です。重要なことはポテンシャルなんですよ」。そのサービスを使ってもらうポテンシャルをどう引き出すのか。購入してもらうためにどう引き出すのか。需要と供給とポテンシャルという3軸で分けなければいけない、と繰り返した。
ただしマイキー氏は、ブームに乗ること自体を否定してはいない。「ブームだからといって乗るのは別に悪いことではないんですけど、短期的なものだとしたら利益は出るかもしれない。でもやっぱりポテンシャルというものをしっかりと考えてやらなければいけない。ポテンシャルがないのであれば、それをどうやって作り出してあげるのか、また突破するのか」。乗ること自体ではなく、乗った先に何を設計しているかが問われている。
マイキー氏はここから、参加者への質問形式で三つの事例を検証した。いずれも「需要は確かにある。しかしポテンシャルはない」という構造を持つ。
「中国のEVはアメリカで需要がありますか、ありませんか」。参加者は「あると思います」と答えた。マイキー氏も肯定する。EVの需要はある。「ではBYDの車はアメリカで売れるポテンシャルはありますか」。参加者は「ない」と答えた。「ですよね。じゃあ、それをどうやって突破するかを考えなければいけないわけでしょ」。需要の有無とポテンシャルの有無は独立している、ということを示す最も分かりやすい例である。
BYDをはじめとする中国製EVは、事実上米国市場から締め出されている。2024年5月14日、米国は通商法301条に基づき中国製EVに100%の関税を課すことを発表した。さらに輸入車と自動車部品全般に対する通商拡大法232条による25%の国家安全保障関税が加わり、中国製EVにかかる合計関税は125%を超える水準となっている。
BYDの米国での事業は電気バスなど商用車が中心であり、乗用車については米国投入のスケジュールが存在しない。なお、BYDのタイ工場やハンガリー工場で製造された車両は、実質的変更の原産地規則を満たせば301条の100%関税の対象外となりうるが、それでも最恵国待遇の2.5%に加えて追加関税が課される。
つまり「需要はあるがポテンシャルがない」という診断は正確である。そしてこの遮断は市場ではなく制度が作っているという点が、この事例の要点になる。
「Nintendo Switch 2 は北朝鮮で需要はありますか。ゲームをしたい人たちはどれぐらいいますか。いっぱいいるでしょ」。参加者は「規制されているのでポテンシャルはないと思います」と答えた。マイキー氏は肯定し、「じゃあそれをどうやって突破するのかという。だから結局、需要と供給は分かるんですけど、ポテンシャルのところが」と、話を接続した。前例と同じく、遮断しているのは市場の論理ではなく制度である。
これは以前の回でも扱った例としてマイキー氏が引いたものである。「外国から医療デバイスを持ってくるのに、需要はむちゃくちゃあります。でも日本でもポテンシャルがありませんというのは何かというと、制度でしょという。日本でそれを広げるポテンシャルはありませんという。なぜかというと、利権だったり既得権益が重なっているから無理ですと。で、それをどうやって突破しますかという話なんです、一企業自体は」。
そしてマイキー氏は投資家の視点を加えた。「ポテンシャルがあるところに投資をしたいわけじゃないですか。需要があってもポテンシャルがなければ意味がないと。で、ほとんどの人は需要とポテンシャルをぐちゃぐちゃにしているんですよ」。投資判断において、需要の存在は必要条件ではあっても十分条件ではない。参入経路が制度的に閉じているなら、需要は永久に売上に変換されない。
| 事例 | 需要 | 供給 | ポテンシャル | 遮断しているもの |
|---|---|---|---|---|
| 中国製EVの米国市場 | あり | 過剰なほどあり | ほぼゼロ | 301条100%+232条25%の関税 |
| Nintendo Switch 2 の北朝鮮市場 | あり(潜在的にかなり大きい) | あり | ほぼゼロ | 体制による情報・輸入規制 |
| 海外医療デバイスの日本市場 | 非常に大きい | あり | 低い | 承認制度と既得権益 |
| ブームに乗るAI事業 | あり(一時的) | 参入容易 | 設計されていない | 差別化と継続利用の設計不在 |
三つとも、遮断しているのは価格でも品質でもなく制度である。需給の枠組みは価格で調整される世界を前提にしているが、制度による遮断は価格では動かない。ポテンシャルという軸を独立に立てる実務的な意味は、この「価格では動かない障壁」を分析対象として可視化できる点にある。そして企業がやるべきは、需要を測ることではなく、その障壁をどう突破するかの設計である。
マイキー氏の説明を受けて、渡辺氏は「初めて聞く方にも分かりやすい説明だなと思って、すごく驚いていました」と述べた上で、次のように整理した。時代背景であるとか、抑制という問題を考えなくても、結局需要と供給の問題をこうやって因数分解して考えることによって、ポテンシャルという言葉の大事さがここで出てくる、と。
渡辺氏はさらに評価を加えた。「当時であればこれを僕たちは文化として考えていたり、いろんな社会情勢として考えますけども、これを一つの市場から出てくるという現代モデルで見るというところが、単なる歴史の話ではなくて、今のこの現実にどうやって活かせるか。そこに結びつけているのはすごいなと思います」。さらに「一企業が乗り越える問題が、この二人の理論をどうやって使いこなすか、どうやって理解するかにかかってくるということになる」とも述べている。
前田氏は、マルサスは現状分析でありリカードはそれをどう突破するかを話しているのではないか、という自身の読み方を出した。マイキー氏はこれを否定せず、「これもただ思いつきで喋っているだけなので」と受けている。
ここでマイキー氏は自らこの節のメッセージを明示した。「このリカードとマルサスの理論、多分すごい難しい理論なんですよ。おそらく大抵の人は頭の中がぐちゃぐちゃになるので、なんとなくというところだけ覚えておけばいいんじゃないかな。むしろ大事なことで、一番僕がメッセージとして気づいてほしかったのは、需要と供給だけじゃないんだよというところ。そのポテンシャルというものが大事なんだよと。それはプレゼンテーションが大事なんだよと。じゃあ皆さんが今やっているビジネス、ほとんど需要と供給だけでやっているじゃんって。それを言いたかっただけです」。
マイキー氏の自己申告によれば、リカードとマルサスの理論そのものは覚えなくてよい。あの対比は、需要側と供給側が別の政策空間にあることを示すための導入である。そして本題は、その二軸だけでビジネスを設計している自分たちの手癖に気づくことである。歴史講義を「アンカリングを置く場所」として使うという設計であり、渡辺氏が「アンカリングするポイントは見事だ」と評したのはこの点を指している。
マイキー氏は3軸の話をMR=MC、すなわち限界収入と限界費用が一致するところで利潤が最大化されるという条件に接続した。この条件自体は標準的なミクロ経済学の命題であり、完全競争でも独占でも成立する利潤最大化の一階条件である。
ただし、この条件は「需要曲線が既に与えられている」ことを前提にしている。マイキー氏がポテンシャルという軸を独立に立てる理由は、まさにこの前提のところにある。需要曲線そのものが存在していない、あるいは制度的に遮断されている状況では、MR=MCという計算は始まらない。ポテンシャルの設計とは、限界分析に入る前段階で「そもそも曲線を引ける状態を作る」作業だと理解できる。この位置づけは講義中で明示的には述べられていないが、発言の流れから整合的に読み取れる解釈である。要確認
この節は、リカード的世界観を現代の企業活動へ写像する過程でマイキー氏が挟んだ区別である。WTOやFTA、グローバルサプライチェーン戦略、そしてDXによる生産性向上は、いずれも供給側と効率を重視するリカードの世界観に属する。そこでマイキー氏は「DXって効率、質を上げて生産性を上げましょうというもの」だと言った上で、ITとの違いを説明した。
ITとは、ざっくり言えば、たくさん処理しなければいけないものがあったときに、機械を入れることで8時間かかっていた仕事を2時間や3時間でできるようにするものである。導入としてはそこで終わる。しかし2時間にしたとしても、量は増えるが、一人当たりのスキルが上がったわけでも、そこに特別な何かがあるわけでもない。ただ量も処理できるようになりましただけである。では処理できるようになった上で、この品質を上げていきましょうというところに考えるのがDXである。
| IT | DX | |
|---|---|---|
| 目的 | 量の処理時間を減らす | 処理能力を前提に品質を上げる |
| 成果 | 8時間→2時間。処理量が増える | 生産性が上がり、付加価値がつく |
| 一人当たりのスキル | 変わらない | 上がる(ことを目指す) |
| マイキー氏の呼称 | 量的緩和 | 質的向上 |
マイキー氏はこの区別をリカードの世界観へ結び直した。「このDXの生産性の向上とか、これもまさに量が増えていって生産性がどんどん上がっていって、付加価値をつけていく。これもまさにリカード色になってくるわけですよ。なので会社とかは、どうやって効率的に作るのか、または分業するのかというところが最大の関心事としてある。それがリカードの考え方なんです。供給側とか効率重視というもの、これがリカードの世界観です」。
この区別が実務で効くのは、投資稟議の場面である。時間短縮しか設計していない施策をDXと呼んでいると、投資対効果の測り方も、組織への期待値も、ずれたまま進行する。DXと呼ぶなら「処理量が増えた後に何の品質を上げるのか」が設計に書かれていなければならない。そしてこの区別は、量を増やすこと(リカード側)と、それを買う力を作ること(マルサス側)が別の政策であるという、この回の全体構造とも対応している。