エグゼクティブサマリー
コントロール
本編の講義は、極めて明快な宣言から始まる。負債を「金額の資金調達手段」として数字だけで語ること、そして「負債=借金」と等号で結ぶこと。この二つの理解に、講師は真っ向から反対する立場を取った。代わりに提示されたのが「負債とは未来を利用する道具であり、信頼を生み出す道具である」という定義である。未来への意識と信頼への意識がなければ、そもそも負債は使えない、と。
この定義には裏づけがある。財務諸表を構成する各項目の中で、負債だけが「時間をコントロールする機能」を持っている。資産にも純資産にもこの機能はない。だからこそ負債は借金と同義ではなく、借金は負債という大きな集合の一部にすぎない。前受金も、サブスクリプションの入会金も、退職給付債務も、すべて負債である。この認識を持てるかどうかで、ビジネスモデルの設計思想がまるで変わってくる。
講義は続いて、負債を二つの軸で分類する。第一の軸が流動性と固定性、第二の軸が有利子と無利子である。前者はキャッシュの動きの速さを意味し、後者は利用コストの有無を意味する。ここで最も重要な指摘が置かれた。この二軸から導かれるリスクの向きは、負債を負う側と負わせる側――つまり企業と投資家――で完全に反転するというのだ。企業にとって流動性が高いことはリスクが高いことを意味するが、投資家にとって流動性が高いことは資金が早く戻ってくることを意味し、リスクは低くなる。負債の設計とは、この反転を前提に、どこで折り合いをつけるかを決める交渉なのである。
後半では、返済コストの管理手法としてコールオプションとプットオプションが登場する。ここに補足が入り、これらの手法は短期的にはプレミアム費用の分だけむしろコストを押し上げるという重要な注意が加えられた。さらに参加者からの質問を契機に、時間割引率とハードルレートをめぐる日米の設計思想の差へと議論は展開していく。この最後の部分が、この日のセッションの中でも特に実務的な示唆に富んでいる。
負債を「いくら借りているか」という残高の問題として見るかぎり、設計の余地は生まれない。負債を「いつ・どれだけの時間を先取りするか」という時間の問題として見た瞬間に、期間・利子・担保・オプションのすべてが設計変数になる。この視点の転換こそが、講義全体を通して繰り返し提示されたものである。
負債の意義――未来を利用し、信頼を生み出す道具
講師はまず、世の中の一般的な負債観に対する自身の立場を明示するところから始めた。負債を金額の資金調達手段としてのみ扱う見方、そして負債と借金を同一視する言い方。この二つに対して「ほぼ反対」だという。では負債とは何か。答えは「未来を利用する道具」であり、同時に「信頼を生み出す道具」である。したがって、未来への意識と信頼への意識を持たない主体は、そもそも負債という道具を扱えない。
なぜそう言えるのか。根拠として示されたのが、財務諸表における負債の固有性である。財務諸表を構成する項目のうち、負債だけが時間をコントロールする機能を持っている。この機能は他のどの項目にもない。だからこそ、負債と借金は等号で結べない。借金はあくまで負債という集合の中の一部分にすぎないのだ。
負債 = 借金 という理解。正しくは 借金 ⊂ 負債 である。前受金も、サブスクの入会金も、退職給付債務も負債であり、これらは借金ではない。
講義の終盤で、講師は自らの立場をさらに強い言葉で表現している。負債は本来悪いものとして書かれることが多いが、むしろ負債をうまく使えない組織は、ビジネスの考え方そのもの、ファイナンスの考え方そのものを持っていないのではないか、と。加えて、資産は純資産と負債の合計であるという会計の基本恒等式に触れ、負債もまた資産の中に含まれるのだという確認がなされた。M&Aについても同じ枠組みで説明される。M&Aは事業拡大のスピードを上げる手段であり、それはつまり「時間をお金で買う方法」である。負債で時間を先取りするという発想と、M&Aで時間を買うという発想は、同じ思考の延長線上にある。
講義中で「もっと詳しい概念やイメージを知りたい場合に」と推薦された書籍は、人類学者デヴィッド・グレーバー(David Graeber)の Debt: The First 5,000 Years(Melville House, 2011年刊)。邦題は『負債論――貨幣と暴力の5000年』。
本書の中心的な主張は、標準的な経済学の教科書が「物々交換 → 貨幣 → 信用」という順序を前提とするのに対し、歴史的にはむしろ負債と信用のほうが貨幣や物々交換に先行して現れたとするものである。負債を単なる金融技術ではなく、婚姻・奴隷制・法・宗教・戦争・国家といった社会制度と結びついた関係性として捉え直す。講義の「負債は信頼を生み出す道具」という定義は、この系譜に直結している。
なお著者は2020年に59歳で死去している。本セッション後半で別の参加者が「グレーバーも言っているが、市場の成立とは国家が戦争するための準備である」と述べる場面があり、この文脈も同書の議論に由来する。
二つの分類軸――流動性と固定性、有利子と無利子
第一の軸:キャッシュの動きが速いか、遅いか
負債を分類する際、最初に出てくるのが流動性と固定性である。会計基準では1年基準などの形式的なルールで線が引かれるが、講師はより本質的な見方として「キャッシュフローとして見た場合に動きが速いか遅いか」という基準を提示した。流動性とはキャッシュの動きが速いこと、固定性とは遅いことである。動きが速いということは、資金を動かせる期間が短いということでもある。会計上の記載には基準が必要だが、ファイナンスとして考えるならこの見方のほうが適切ではないか、というのが講師の主張だった。
ここから導かれるのがリスクの方向である。動きが速く期間が短い流動性負債はリスクが高く、動きが遅く期間が長い固定性負債はリスクが低い。ただしこれは、負債を負う側――利用者側の視点である。
投資家の視点に立つと、この関係は逆転する。流動性が高い負債は、預けた金が早く戻ってくるからリスクが低い。固定性が高い負債は、なかなか戻ってこないからリスクが高い。「さっさと返ってくるのと、なかなか返ってこないの、どちらが安心か」という講師の問いかけが、この反転を最も端的に表している。
第二の軸:利子が発生するか、しないか
もう一つの軸が有利子か無利子かである。先に資金を引き出したことに対して利用料が必要かどうか、という単純な区分だが、ここでも視点によって評価が反転する。利用者にとっては当然、利子があるほうがコストは高い。逆に投資家にとっては、利子があるほうがリターンが確保されるためリスクは低くなる。すべての負債に利子が発生するわけではない、という確認が丁寧になされている。
利用者(負債を負う側)の視点
流動性が高い = 返済期限が近い = リスクが高い
固定性が高い = 返済期限が遠い = リスクが低い
有利子 = コストが高い/無利子 = コストが低い
投資家(負債を負わせる側)の視点
流動性が高い = 資金が早く戻る = リスクが低い
固定性が高い = 資金が長く拘束される = リスクが高い
有利子 = リターンが確保される/無利子 = 見返りがない
この反転を踏まえたうえで、講師は交渉の本質を述べる。負債はある程度相手がいる話であり、コミュニケーションを取らなければならない。だから相手の立場を踏まえたうえで、どういう戦略が取れるかを見ていく必要がある。立場が逆になる以上、どこでバランスを取るのかという視点が決定的に重要になる。
コストが高いほうが、実は借りやすい
次に提示されたのが、一見すると直感に反する傾向である。コストが大きいときには動きが速く、リスクは上がりやすい。しかし同時に、コストを払ったほうが実は負債は利用しやすい。言い換えれば、高い金利のほうが金は借りやすく、低い金利のほうが借りにくい。加えて、このコストの中には「信頼」も含まれる。信頼が大きいほうが金は借りやすい。ただし、利子が低いことが必ずしも信頼の高さを意味するわけではなく、金融の仕組みを使って利率をコントロールしている場合もある。これはあくまで一般的傾向として理解しておけばよい、という留保が付された。
4象限で見る負債の使い分け――退職金、前受金、そしてAmazon
二つの軸を組み合わせると、負債は四つの型に分かれる。講師はこのうち三つについて、具体的な検討を加えた。
| 無利子 | 有利子 | |
|---|---|---|
| 固定性 (長期) |
利用者にとって最も有利な形 長期間、利子なしで借りられる。リスクもコストも最低。しかし投資家側にメリットがないため、通常は成立しない。「それをやるなら株式に変えてくれ」と言われる。 例外的に成立する仕組み=退職金 |
現実に最も多い形 長期借入・社債など。利子を極力低く抑えることが設計目標になる。企業の信頼を上げる、あるいはオプションを組み合わせて金利をコントロールする、といった手法が使われる。 |
| 流動性 (短期) |
リスクは高いがコストは低い 顧客から先に金を受け取ってから商品・サービスを準備する形。前受金、サブスクの入会金など。利用者にとっては安心して使える。 これを目一杯使って成長したのがAmazon |
短期借入など。リスクもコストも高いため、つなぎ的な用途が中心になる。(講義では明示的には扱われず) |
成立しないはずの型が、なぜ退職金では成立するのか
固定かつ無利子という組み合わせは、利用者にとって理想的である。返済期間が10年、20年、50年、100年と長ければ長いほど借りたくなるし、利子がなければなおさらだ。リスクが低いうえにコストも低い。だが投資家側にメリットがないため、この形は通常成立しない。「それをやるくらいなら株式に転換してくれ」と言われるのが当然の反応である。
ただし、世の中の仕組みの中で一つだけ、これが成立するものがある。退職金だ、と講師は指摘した。従業員が長期にわたって資金を企業に預け、利子は付かない。企業から見れば、極めて長期の無利子負債である。
「固定かつ無利子の負債」という位置づけは、ファイナンスの直感としては的確だが、会計上の取り扱いには一点の留保が必要である。日本基準・IFRSいずれにおいても、退職給付債務は将来の給付見込額を割引率で現在価値に割り引いて計上され、時の経過に応じて利息費用が発生する。損益計算書上は退職給付費用の一部として利息費用が認識される。
したがって「従業員に利子を支払わない」という意味では無利子だが、「企業のコストがゼロ」という意味ではない。割引率は長期国債利回りを基礎に設定されるため、金利環境が変われば債務額そのものが変動する点にも注意したい。講義の趣旨(キャッシュアウトが極めて遠く、実質的に長期の資金源として機能する)は成立するが、「無利子」という表現をそのまま会計処理の理解に持ち込まないほうがよい。
前受金モデルと、自己資本比率の落とし穴
実際に多く使われる型として最初に挙げられたのが、流動性が高く無利子という組み合わせである。顧客から金をもらってから商品を準備する形であり、具体例としては前受金やサブスクリプションの入会金が挙げられた。先に金を受け取り、それから商品やサービスを提供する。これも紛れもなく負債である。「入会金もサブスクも全部負債なんですよ」という指摘は、負債=借金という思い込みを崩すための実例として機能している。
ここから講師は、自己資本比率という指標への批判へと踏み込む。自己資本比率が高いことを単純に喜んでいる企業は、こうしたシステムを設計に組み込んでいるかどうかを問われていない。本来、この仕組みを使えば投資効率は大幅に改善し、投資そのものがしやすくなる。このシステムを目一杯使って成長したのがAmazonである、と名指しで例示された。
講義で言及されたAmazonの構造は、財務の世界ではネガティブ・ワーキングキャピタル(マイナスの運転資本)と呼ばれる。顧客からは即時に代金を回収する一方、仕入先への支払いサイトは長く設定されているため、売上が伸びるほど手元現金が積み上がる。この現金を無利子の運転資金として設備投資に回すことで、外部からの有利子調達に頼らずに成長を加速させることができる。
同種の構造は、会費先取り型の会員制小売や、年額前払いのSaaS事業にも見られる。いずれも貸借対照表上は「契約負債(前受収益)」という負債項目として現れるため、負債の絶対額だけを見て安全性を評価すると、実際にはキャッシュ創出力が最も強い企業を最も危険だと誤読しかねない。講義の「自己資本比率が高いことを単純に喜ぶな」という指摘は、この誤読への警告として読める。
期間を延ばすと、なぜリスクが下がるのか
もう一つの実践型が、固定性を保ったまま利子を極力低く抑える設計である。利子を下げる方法としては、企業の信頼を上げるという正攻法のほかに、プットオプションやコールオプションを組み合わせて金利をコントロールする手法がある、と説明された。
ここで返済コストの意味が定義し直される。この文脈でのコストとは、1か月あたりに返済する金額を指す。100万円を借りて1年で返す場合、1年で100万円を用意しなければならない。同じ100万円を100年で返すなら、年1万円ずつでよい。期間が長いほど1回あたりの返済額は減り、その分だけリスクは抑えられる。単純な算術だが、「負債を残高で見るのではなく期間で見る」という講義全体の主張を最も分かりやすく示す例になっている。
講師はこの節を、負債観の再確認で締めくくった。負債を「資金集め」という言い方で考えるのはよくない。相手にきちんと未来を見せて信頼感を作ることによって、動かせる金額そのものが変わってくる。日本では負債といえば銀行というイメージが強いが、社債などであれば投資家が入ってくる。投資家を納得させるには未来を見せなければならない。したがって負債とは、あくまで未来の設計図があったうえで、それをどうファイナンスに落とすかという手段の一つにすぎない。負債の利用には信頼と時間の管理が必要である――これが結論だった。一般的な会計・ファイナンスの書籍がよくないと考えるのは、そこ(金額の話)しか書かれていないからだ、とも述べている。
オプションによる返済コストの管理――そして短期では逆効果になる理由
ここで別の講師から補足が入る。負債のコストを下げる手段としてコールオプション・プットオプションが挙げられたが、これらは短期的にはむしろリスクになるという点を付け加えるべきだ、というものだった。理由はプレミアム価格の発生である。長期で見ればコストは下がる方向に働くが、短期で見ればプレミアム分を支払わなければならないため、返済コストは下がるどころか上がる傾向が出る。元の講師もこれを認め、マイクロソフトやAppleが米国債より低い利回りで起債できる場面があるのは、こうした組み合わせを使っているからだ、と応じている。
「オプションを使えば返済コストが下がる」という説明だけを持ち帰ると、実務では逆の結果になりかねない。プレミアムという確定コストを前払いして、将来の不確実性を減らす取引である以上、評価期間の取り方を誤れば結論は反転する。長期/短期の区別なしにこの手法を語ってはいけない、というのが補足の核心である。
そもそもコールとプットとは何か
ここで参加者に対して「コールオプションとプットオプションが分からない人はどれくらいいますか」という確認が入り、相当数が手を挙げた。これに対する反応は厳しいものだった。以前からクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)について何度も講義してきており、CDSを調べていれば必然的にプットオプション・コールオプションという言葉に突き当たるはずだ、というのである。「分からないなら、なぜ聞かない」「小学生の頃は分からない言葉があったら辞書で調べたでしょう」という叱責が続き、「リーマンショックの解説動画を180回見ておいてください」という半ば冗談めかした指示まで飛んだ。今週の月曜の講義でもソブリンCDSの話をしたばかりだ、という指摘もなされている。
そのうえで説明がなされる。コールオプションとは、特定の価格で買う権利を持つことである。株価が300円に上がったとしても250円で購入できる、という形の権利だ。プットオプションはその逆で、売る権利を指す。
この説明は、別の話題と接続される。イーロン・マスクの1兆ドル報酬をめぐる議論である。あの報酬パッケージの本質はコールオプションであり、行使価格は2025年9月2日時点の株価を基準に設定される。したがって株価が上がらなければ、そもそも得にならない。さらに、たとえば200円で買える権利を持っている状態で株価が1,000円になれば、保有株を売却して得た資金で5倍の株数を取得できる計算になる。この計算を細かく積み上げていくと1兆ドルには届かない、というのが自身の動画での主張だった、と説明された。コールオプションとプットオプションを理解していなければ、あの議論は理解できていないはずだ、という指摘である。
講義の後半で講師自身が明確に述べているとおり、コールオプション・プットオプションは返済コストを下げるために使うものではなく、将来の不確実性を減らして返済計画を安定させるための手段である。この整理は教科書的にも正しい。
講義で挙げられた具体例は二つ。第一に金利リスク。変動金利で借り入れている場合、将来金利が上昇すれば返済額は増える。この上昇を一定水準で止める権利を買っておけば、影響を抑えられる(実務では金利キャップと呼ばれる)。第二に為替リスク。ドル建てで借り入れている状態で円安ドル高が進めば、円換算の返済額は膨らむ。ドルを一定レートで売る権利(プット)を持っておけば、返済額を安定させられる。
いずれの場合も、権利の購入費用としてプレミアムが発生する。講義中の「保険料みたいなもの」という比喩が、この構造を最も正確に表している。保険料を払ったからといって短期的に得をするわけではないが、想定外の事態が起きたときに損失が限定される。それが本来の目的である。
質疑応答
米国ではアップサイド評価でオプション価値の追加リターンを織り込み、ハードルの上下やNPVの補正に反映させるが、日本では単純な計算にとどまっている。資本コスト部分はおおむね決まってくるものであり、ハードルレート=資本コスト+リスクプレミアムという構造を考えれば、差が出るのはリスクプレミアムの計算方式である。ここが違うから数字そのものが変わってくる。米国のほうがむしろ性格に応じた値が出る、ということになる。
「日本企業のハードルレートはおおむね8%固定」という発言について、この数値を直接裏づける公的な統計は確認できなかった。生命保険協会の調査では、資本コストを算出している企業の割合が2018年に43%、2019年に56%と報告されているが、具体的なハードルレートの平均値は示されていない。
ただし、8%という数字が日本の文脈で頻出することには背景がある。2014年の経済産業省「伊藤レポート」が、日本企業は最低限8%を上回るROEを目標とすべきだと提言したことで、8%が一種の基準値として広く参照されるようになった。ROEの目標値とハードルレート(投資判断の閾値)は本来まったく別の概念だが、実務上この二つが混同され、投資判断の閾値まで8%に丸め込まれている可能性は十分にある。
発言の「8%固定」が伊藤レポート由来の慣行を指しているのか、別の根拠に基づくのかはこの場では判断できない。数値そのものは要確認としつつ、「案件ごとにレートを変えない」という構造的指摘のほうが本質であるという読み方をしておきたい。
この分解自体は実務で広く使われるが、教科書的なWACC(加重平均資本コスト)とは概念が異なる点を押さえておきたい。WACCは企業全体の平均的な資金調達コストであり、案件固有のリスクは反映していない。ハードルレートは、そのWACCに案件固有のリスクプレミアム(新規事業の不確実性、地域リスク、技術リスクなど)を上乗せして設定される。
講義で指摘された日米差の核心は、まさにこの上乗せ部分にある。米国では案件ごとに上乗せ幅を変えるのが標準的だが、日本では全社一律の値を使い回す傾向がある。全社一律のレートを使うと、低リスク案件は過小評価され(本来は通るはずの案件が却下され)、高リスク案件は過大評価される(本来は通らない案件が通る)という、両方向の歪みが同時に起きる。これは実証研究でも繰り返し指摘されてきた問題である。
質疑の中で、特定の国内有名企業の加重平均資本コストの計算が「見た瞬間に頭が痛くなるほどひどい」と名指しで批判される場面があった。しかし具体的にどの数値のどこが問題なのかは説明されておらず、公開資料と突き合わせて検証することができなかった。
企業のWACC開示は、開示範囲・前提条件(無リスク金利の取り方、市場リスクプレミアムの推計方法、ベータの計測期間)によって数値が大きく変わりうる。批判の当否をここで判断することはできないため、発言は発言として記録し、判断は自分で開示資料を当たったうえで行うべき論点として残す。
宿題・アクションアイテム
- CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)を調べる。講義中に明示的に指示された宿題。CDSを追えばコールオプション・プットオプションに必ず突き当たる、というのが指示の趣旨である。リーマン・ショックの解説動画も併せて参照すること。
- コールオプション・プットオプションを、金利キャップと為替ヘッジの実例で理解する。権利そのものの定義ではなく、「プレミアムを払って何を安定させているのか」という目的から逆算して理解する。
- 自社または分析対象企業の負債を、流動/固定 × 有利子/無利子の4象限に分解してみる。特に前受金・契約負債がどれだけあるかを確認すると、キャッシュ創出構造が見えてくる。
- 名指しされた企業の加重平均資本コストの開示を実際に確認する。批判の当否を自分で判断するための作業。前提条件(無リスク金利、市場リスクプレミアム、ベータ)の取り方まで確認する。
- デヴィッド・グレーバー『負債論』を読む。講義中に推薦された書籍。負債を金融技術ではなく社会関係として捉える視点を得るため。
- 投資判断に使っているハードルレートが、案件ごとに変えられているかを確認する。全社一律の値を使い回していないか。使い回しているなら、リスクプレミアム部分をどう設計し直すかを検討する。