地中海の話が日本に折り返してきた後半戦。駅の階段、ホテルのロビー、店の配置から資本関係を読むという観察法。そして「中国を嫌うこと自体が合理的とは思えない」という、この日いちばん賛否の分かれた主張。
地中海の講義が終わったあと、話は日本に折り返した。ヨーロッパは南から中国が、北からロシアが来ている。日本も北からロシア、南から中国が来ている——構図としては似ているのではないか、という問いかけである。この接続の仕方自体は前半の地政学講義の応用問題だが、そこから先の議論が、この回でもっとも生々しい部分になった。
マイキー氏が挙げたのは、福岡と北海道の街並みだった。博多駅の内側の作り、2019年以降に建った新しいホテルのロビーと入口、そして北海道北部でロシア語の表示が増えていること。香港や深圳に行ったことがある人なら鳥肌が立つはずだ、しかし現地の人は何の違和感も感じていない、と。これは統計や契約ではなく観察と印象に基づく主張であり、本レポートではその性質を明示したうえで扱う。
この観察に理論的な骨格を与えたのが渡辺氏の応答である。最も恐ろしいのは無形の侵略であり、兵を全く送っていないところにそれが当たり前に機能してしまっていること、それ自体が最大の侵略である、と。見慣れてしまい、当たり前になり、やがてそれを使うことが合理的だと考えるようになる。そしてそれが正当性になる。前半の合理性・正当性の議論が、ここで街の風景に接続された。
そして最後に、議論はもっとも意見の分かれる場所に着地する。マイキー氏は「中国人を毛嫌いするよりも共存を考えたほうが合理的だと思う」「ファーウェイをもっと使えばいい、能力が高いのだから」と述べた。日本が組むことを拒否するから資本の力で買収されていく、組んで依存させたほうがいい、と。この主張は明確に賛否が分かれるものであり、本レポートでは講師の見解として帰属を明示し、対立する見方も併記する。
マイキー氏が福岡と北海道の話を出したとき、渡辺氏はこう応じた。「一番恐ろしい侵略は無形の侵略である。つまり、ここに対して共有地だということがあるからこそ、戦場や戦闘として何かがぶつかっているのではなく、兵を全く送っていないところで、それが当たり前に機能している。それが当たり前に機能しているということが、一番の侵略なのだ」と。
ここで渡辺氏は通説をひっくり返した。グローバル化が進んで空軍などの手段が増えたからシーパワーは弱まった、と言う人がいるが、実はそうではない。むしろ深刻化している。理由は相互依存の関係ができているからである。相互依存こそがシーパワーの本質だ、というのが渡辺氏の定式だった。
さらに、静的なモデルは通用しなくなっている、という指摘が続いた。EUも関わり、アメリカもその関与を手放そうとしている以上、状況は進行形で変わり続ける。だから地政学は静的なモデルから動的なモデルへ移らなければならない。ボトルネックがどこにあるか、チョークポイントがどこにあるかは、時代によってウェイトの置かれ方が変わる。地理だけを見ても分からず、どういう歴史的変遷を経てどこに重きが置かれてきたかを見る必要がある、と。
マイキー氏が提示したのは、理論ではなく観察の手順だった。海外で駅を見るとき、まず階段から見る。次に入っていって、切符売場のあたりからどういう店の配置をしていて、どういう作りになっているかを徹底的に見る。そうすると、その作り方だけで資本関係がどこにあるかが見える、と。
マイキー氏の主張は具体的だった。博多駅は新幹線の駅の中で内側だけが特別な形をしている。店の出店の仕方が違う。香港のMTRに乗って駅の作りとホームを見れば、気持ち悪いほど似ていることが分かる。そして2019年以降にできた新しいホテルの入口とロビーを見てほしい、20軒ほど見たが違和感がある、と。
参加者からは、1年ほど前に同じ観点を教わって実際に見ていたという報告があった。新築のホテルや高層マンションに入ったときのロビー周りの作りが、これまでの日本のものとかなり違う。天神ビッグバンで建ったリッツ・カールトンなどは重厚なデザインで、深圳や上海の金融街の高層ビルのような作りをしている、と。また、ららぽーと福岡にEVの店舗ができ、市内にもう1か所BYDの店舗があって、Apple Storeのような白い洗練されたデザインで作られている、という観察も共有された。売ることよりも、目に触れる場所に目立つ形で置くことを優先しているように見える、と。
ザ・リッツ・カールトン福岡は2023年6月21日開業、福岡市中央区の旧大名小学校跡地に建設された「福岡大名ガーデンシティ」内にある。これは福岡市の再開発事業「天神ビッグバン」の一環で、天神駅を中心に半径500m圏内で約70棟の建て替えを見込む規制緩和プログラム(緩和期間は2026年度まで)である。事業者として報じられているのは積水ハウスなど国内のデベロッパーであり、この物件について中国資本の関与を示す公開情報は確認できなかった。
したがって「デザインが深圳や上海のものに似ている」という観察と、「そこに中国資本が入っている」という推論は、公開情報のうえでは直結しない。高層複合開発のデザインが国際的に同質化していることは、講義の前半で扱われたアイソモーフィズム(模倣的同型化)そのものの現れとしても説明できる。発言を書き換えず、観察と資本関係の推定は別の話である点だけを記録する。要確認福岡県の資金の流れ、および北海道北部でロシア語表示が増えているという指摘についても、裏付けとなる公開データを特定できなかった。
参加者から「福岡の海側の香椎エリアに高級マンションが多く、中国系の方がよく住むと聞く。中国は港を押さえるという話と関連があるのか」という質問が出た。マイキー氏の回答は慎重で、福岡自体がタワーマンションを港の方に集めているのが関連しているかは分からないとしつつ、一般論として「港を押さえに行くとなると、その周りに住宅街を作ってしまう」という中国のパターンを挙げた。物流としてすぐ入れる入口だから、という理屈である。参加者からは、福岡市自体が港と空港が近いことを売りにしている、という補足があった。
福岡はまだ入り混じっていて気づきにくいが、東南アジアには街全体が変わってしまった実例がある、というのがマイキー氏の説明である。カンボジア、ラオス、インドネシアの鉄道などは、見ただけで分かる、と。
カンボジアのシアヌークビルについては、参加者から「現地のカンボジア人が住んでいるのは一部だけで、カンボジア人最後のリゾートと言われている」という状況が共有された。ラオスのボーテンについても、中国のビル以外は2階建て程度の建物しかなく、完全に制覇されているという印象が語られた。
一帯一路の観点でポイントになるのがミャンマーである、という指摘から議論が展開した。現在ヤンゴンの開発は軍事独裁で止まっているが、そこで日本が頑張っている、とマイキー氏は述べた。ある政治家(名前は伏せられた)の関係者が資金周りを担当しており、コロナ前から話を聞いている、と。日本人からは嫌われている政治家だが、日本人に見えないところでそういう仕事をしている、という評価である。
中川氏からは、ミャンマー北部でレアメタルが産出し、中国がそれを狙っているという指摘があった。またミャンマー南西部に中国が港を作っており、そこからインド洋側へ抜けられるため地政学的に良い位置にある、と。現在の軍事政権を中国共産党がサポートしており(かつてはロシアが支援していた)、一般国民は軍事政権を嫌がっている、という状況説明も加えられた。港はすでにでき、ミャンマー国内を通って中国へ運べるパイプラインが建設中だという。マイキー氏はさらに「あの辺の港は海底ケーブルの陸揚げ地点でもある」と付け加えた。
言及されたミャンマー西部の港はチャウピュー(Kyaukphyu)である。ベンガル湾に面し、中国国有企業が73億ドルの深海港と27億ドルの工業団地を含む経済特区の建設で合意している。すでに稼働しているのは、中国雲南省の昆明へ至る15億ドルの原油パイプラインと並走する天然ガスパイプラインで、これによりマラッカ海峡を迂回してインド洋に直接アクセスできる点が中国にとっての戦略的価値とされる。中国ミャンマー経済回廊(CMEC)の背骨と位置づけられている。
ただし現状は講義の想定より厳しい。パイプラインと計画中の鉄道が通る一帯は反政府勢力の支配地域を含み、2026年2月には中国系のVPower発電所が戦闘激化に伴い解体・移転されたと報じられており、アラカン軍がチャウピューを制圧する可能性を中国側が織り込んだ動きだと分析されている。カチン州では、軍系の民兵が中国系のレアアース鉱山を保護しているという報道があり、レアメタルをめぐる中川氏の指摘は報道と整合する。要確認一方、この地域が海底ケーブルの陸揚げ地点であるという点については、本調査の範囲で裏付けを特定できなかった。
議論の最後、中川氏が「われわれは隣ですから、あまり表立って毛嫌いするよりは——アメリカは海を隔てて遠い国なので、隣組としてあまり事を荒立てないほうがいいように思う」と述べたのに対し、マイキー氏がこう応じた。
ファーウェイ=危険という等式について、マイキー氏と中川氏はともに「バックドアと言うが、WindowsにもmacOSにもあるのではないか」「むしろAppleが一番たちが悪いのではないか」と述べた。にもかかわらずファーウェイだけがバックドアだとされて米国から制裁を受け、日本もすぐに同じように制裁に追随した、という認識である。
マイキー氏の共存論の核は、道徳ではなく戦略として述べられている。向こうから「日本企業と組みたい」と言ってきているのだから、それに応じればいい。組まないから買収されていくのだ、と。変な正義感や妙なプライドがあって拒否するから、「ではいいよ、金の力で買ってやる」となり、日本企業が買収対象になって資本が移っていく。むしろサプライチェーンとして機能して向こうに依存させたほうがいい、と。「僕は日本を守りたいと思うんだったら」という前置きがついているのが、この主張の性格を示している。
中川氏とマイキー氏の間で、任正非(ファーウェイ創業者)の人物評が交わされた。父親が中国共産党から徹底的に弾圧され、本人も弾圧を嫌って共産党から最も遠い場所にいようとしてきた。ただテクノロジーが目立ちすぎるために中国の代表と見なされている、という見立てである。ジャック・マーも同様に、中国共産党に近いかというとそうではない、と。
そして経営思想の系譜として、稲盛和夫の名前が挙がった。中国の経営者には盛和塾に入っていた人が多く、任正非やジャック・マーの言うことは、ピーター・ティールやイーロン・マスクが言うことよりも日本人には分かりやすい、という主張である。任正非が学ぶ経営学は日本人が参考にすべきポイントだ、とも。
ファーウェイ(華為技術)は1987年、任正非が2万1000元の資本金で設立した。任正非は1944年生まれ、重慶建築工程学院で土木工学を学び、人民解放軍の工程兵部隊に所属したのち、1983年の部隊解体に伴い除隊している。講義では「創業何十年でわずか340年であそこまで行った」という発言があったが、これは音声上の言い間違いで、文脈からは「30〜40年」を指していると読める。2026年時点で創業39年である。
要確認任正非やジャック・マーが稲盛和夫および盛和塾から具体的な影響を受けたという点については、本調査の範囲で裏付けとなる公開情報を特定できなかった。「稲盛和夫が出家したらジャック・マーも仕事をやめて出家すると言うほど影響力があった」というエピソードも同様に確認できていない。中国で稲盛の経営思想が広く読まれてきたこと自体は知られているが、個々の経営者への影響関係については別途の裏取りが必要である。