この回の中心は、講師(マイキー氏)が翌日のメディア取材のために整理していたという一つの実話である。ある日本の美容系スタートアップから「どうやったら韓国に勝てますか」という相談を受け、彼は「絶対に無理です」と答えた。大手であればまだ話は別だが、新興企業が韓国のコスメティック・美容に勝つことは何があってもできない、という言い方をしている。
参加者から即座に「国が後ろで応援しているから」という答えが出るが、講師はそれだけではない、と切り返す。彼が挙げた要素は三つ、すなわち国のバックアップ、企業、文化づくりである。そして議論の大半は、この三つ目――文化づくりの部分に費やされた。日本の経営者はマーケティング・商品開発・製造モデルを考えるが、韓国が圧倒的に勝ったのは「美しいとは何か」を定義する哲学と社会の枠組みそのものを、何十年もかけて変更していった点にある、というのがこの回で最も強い主張である。
議論は具体的なところから入る。日本と韓国の大手化粧品企業の決算はいずれも苦戦しており、伸びているのは韓国のインディーズブランド/スタートアップだけである。それを可能にしているのが、コスマックスや韓国コルマーといったODM/OEM企業――講師の言葉では「化粧品のTSMC」であり「共有キッチン」――のエコシステムだった。自社工場を持たなくても、レシピを流し込むだけでシャネルやロレアルと同等品質の製品が作れる。そこにK-POPやドラマという媒介者が乗り、消費者の「なりたい顔」が更新され続ける循環ができあがっている。
後半では、参加者の渡辺氏がこの構図に別の角度から光を当てる。ここで消費されている美は芸術的な美ではなく記号としての美であり、人はそれを身につけることで社会的な排除――氏の表現では「暴力」――を回避しているのだ、という読みである。単なるファッションの問題ではなく、社会的地位の承認の問題だという指摘は、産業分析としての講義に一段深い層を加えている。
この回を貫いているのは、「勝負はどの階層で行われているのか」という問いである。日本側は商品の階層(成分・品質・効能)で戦おうとし、韓国側は欲望の階層(何を美しいと感じるか、誰のようになりたいか)で先に土俵を作ってしまった。だから機能で勝っても勝負にならない。講師が「この薬を使うと5歳若く見える、なんてどうでもいい」と言い切るのは、その階層の違いを指している。同じ日の講義前半で扱われたエンベデッドネス理論(別レポート)の言葉を借りれば、韓国は消費者を自国の美の基準に「埋め込む」側に回っているということでもある。
講師は翌日に予定されていた取材の話から本題に入った。軽く話したところ非常に食いつかれた内容がある、という前置きで紹介されたのが、この美容系スタートアップとのやり取りである。相談内容は「どうやったら韓国に勝てますか」という、彼の言い方では「一番難題な質問」だった。
結論は「絶対に無理です」。ただし彼はここで条件を切っている。資生堂のような大手であればまだ話は分かるが、新興企業が韓国のコスメティックや美容に勝つのは何があっても無理だ、という言い方である。この条件づけは重要で、この回の議論全体が「大企業対大企業」ではなく「スタートアップが参入できるかどうか」を軸に組み立てられていることを示している。
参加者から「国が後ろで応援しているから」という答えが出ると、講師は「その通りなんですけど、それだけじゃない」と返し、三点を挙げた。第一に国のバックアップ、第二に企業、第三に文化づくりである。別の参加者(ほんま氏)が「もうエコシステムが圧倒的にちがいます」と補足し、講義はそのエコシステムの解剖へ進んでいく。
講師が第一に挙げた「国のバックアップ」は事実として確認できる。韓国政府は2019年に「未来化粧品産業育成方針」を策定し、2021年には「K-Beauty革新総合戦略」を発表している。中堅・中小企業と化粧品専門流通企業を対象に、英国・フランス・ドイツ・イタリア・スペイン・オランダ・カタール・オマーン・ブラジル・メキシコ・オーストラリアといった新興輸出先で広報ポップアップストアの運営や展示ブース設置の費用を支援する事業も走っている。
一方で、K-ビューティーの強さを「国策ではない」と読む見方も有力である。東洋経済オンラインは、脱中国依存後の輸出急拡大の主因を国策ではなく企業群が形成した圧倒的なエコシステムに置く記事を出している。国の支援は事実として存在するが、それを勝因の第一に置くかどうかは分析者によって割れる、という点は押さえておきたい。この回の講師の見立ては「国+企業+文化の三点セット」であり、国だけを主因とする単純な国策論ではない。
(出典:ジェトロ「K-ビューティーの軌跡と展望」、MarkeZine「世界3位以内を目指す韓国コスメ産業」、東洋経済オンライン「脱中国依存→輸出急拡大 韓国『Kビューティー』強さの秘密は国策ではない⁉」)
講師はまず日韓の大手を並べた。日本には資生堂と花王があり、韓国にはアモーレパシフィックとLG(LG生活健康)がある。そのうえで売上と利益がどうなっているかを問う。資生堂は売上高は上がったが営業利益は73%減、純損失108億円を出した。理由として彼が挙げたのは「中国市場の構造改革にかなり金を突っ込んだから」である。韓国のアモーレパシフィックは売上高が20%減、営業利益も36%減。LGも同様に落ちている、と述べた。
そのうえで彼が示したのがこの回の起点となる非対称である。大手が苦戦するなかで、唯一むちゃくちゃ伸びているのが韓国のスタートアップ、インディーズブランドだということだ。具体名としてはAPRが挙げられ、売上高でLGの3分の1くらいまで成長している、これはスタートアップとしては化け物だ、と評された。輸出面でも、中国市場は落ちているが韓国の化粧品輸出は非常に強く、美容商品に関しては世界トップ3に入った――ドイツを抜き、アメリカ・フランスに次ぐ位置だ、と説明されている。
資生堂の2024年12月期は、売上高9,905億8,600万円(前期比1.8%増)、コア営業利益363億5,900万円(8.7%減)、営業利益75億7,500万円(73.1%減)、当期損失108億1,300万円である。発言にあった「売上は上がった/営業利益73%減/純損失108億円」は、この期の公表値と正確に一致する。数字の記憶は極めて正確である。
ただし赤字の要因は発言と異なる。108億円の最終赤字の直接の原因は、2021年に売却した「ベアミネラル」など化粧品3ブランドの売却対価が回収不能になる可能性が生じたことによる引当金128億円の計上である。中国・トラベルリテール事業の減収は売上面の逆風として実在するが、最終赤字そのものを説明するのは引当金である。「中国市場の構造改革に金を突っ込んだから」という説明は、公開データとはずれている。この差の理由は自分で確認したい。
(出典:資生堂2024年12月期決算短信、日本経済新聞、WWDJAPAN、FASHIONSNAP)
アモーレパシフィックの2024年連結決算は売上高3兆8,851億ウォン、営業利益2,205億ウォンである。同社は2026年度の売上高見通しを4兆4,000億ウォン、営業利益率10%以上を目標として掲げている。直近では「アモーレは増収増益、LG生活健康は減益ながら黒字転換」という対照的な報じられ方をしており、「アモーレ▲20%/LGも同様に減」という並列は、直近時点では成り立たない。LG生活健康は直近四半期で売上高1兆5,766億ウォン(7.1%減)、営業利益1,078億ウォン(24.3%減)と減益だが、前四半期の営業赤字からは黒字転換している。
講義で参照された「20%減/36%減」がどの期のどの区分(連結か国内か、四半期か通期か)を指すかは特定できなかった 要確認。ただし議論の骨格――大手が構造転換に苦しむ一方でインディーズが伸びる――という非対称そのものは、後述のAPRの数字によってむしろ強く裏づけられる。(出典:AFPBB、KOREA WAVE)
APR(主力ブランド「メディキューブ」)の2025年売上高は1兆5,273億ウォン(約1,624億円)で前年比111%増、連結営業利益は3,654億ウォン(約388億円)で198%増と過去最高を更新した。メディキューブ単体の年間化粧品売上高は1兆ウォンに到達している。
さらに象徴的なのは時価総額である。APRは15兆8,925億ウォン(約1兆7,480億円)に達し、LG生活健康の3兆8,868億ウォン(約4,275億円)を大きく上回った。2024年10月に上場したばかりの企業が、数十年にわたり業界を二分してきたアモーレパシフィックとLG生活健康を時価総額で抜き、資生堂の時価総額も超えている。2025年第2四半期の営業利益率は25.8%で、LG生活健康の5.5%を大きく引き離す。
つまり「LGの3分の1まで成長した」という発言は、売上規模の比較としてはおおむね妥当だが(LG生活健康の年商規模に対して概ね4分の1前後)、収益性と市場評価の面では発言よりはるかに先へ行っている。講師の「スタートアップとしては化け物」という評価は、数字で見ると控えめですらある。(出典:日本経済新聞、KOREA WAVE、KORIT)
韓国の化粧品輸出額は2021年にフランス・米国に次ぐ世界3位となり、2024年には102億ドル(対米輸出17億100万ドルで初めてフランスを抜き米国市場の最大輸入元に)、2025年には114億ドルで米国を抜き世界2位、貿易黒字も初めて100億ドルを突破した。首位はフランス(243億ドル)である。講義の「トップ3に入った」は正しいが、やや古い時点の順位を指している。(出典:ジェトロ、ヒフコNEWS、BigGoファイナンス)
ではなぜ韓国のスタートアップだけが伸びるのか。講師はまず日本型のモデルを描く。資生堂や花王は自社工場で大量生産し、百貨店や薬局に卸すオフライン中心・対面販売重視のモデルである。これは確かに安定するが、在庫を持たなければならないビジネスモデルであり、新製品投入時には最初に数万個の在庫を抱える。時代の流れが変わればその在庫をどう捌くかまで考えなければならず、この構造がトレンド変化への反応を鈍らせる、というのが彼の診断である。
これに対して韓国側の中核にあるのがODM/OEMだ。講師が名前を挙げたのはコスマックスと韓国コルマーである。彼はこれを二段階の比喩で説明した。第一に「言ってしまうとファウンドリーです、TSMCみたいなもの」。設計されたものを製造する場所である。第二に、より具体的な比喩として「料理でいえば、世界最高の設備を揃えてシェフも揃えている共有キッチン」。ブランド側は「こんな料理を作りたい」というレシピを送るだけでよく、自分で包丁を握らなくてもプロの味が出せる。
なぜプロの味になるのか。コスマックスと韓国コルマーはシャネルやロレアルの製造も受けている世界トップ企業だからである。したがって小さなブランドであっても、中身はブランド品と同等レベルの技術で作れる。講師の表現では「一流のシェフがスタンバっているので、あなたが具材さえ持ってくればうちらは作ってあげます。あなたはレストランのオーナーになってください」という状態であり、これがインディーズブランドが次々に生まれる最大の理由だと位置づけられた。
さらにODM(Original Design Manufacturing)はOEMより一歩踏み込む。独特なコンセプトを一緒に考え、SNSでの見せ方やファンとの交流のプランニングまで立て、流行の傾向を把握しているため新規商品の準備が早い。講師はここで日本のスタートアップに問いを向ける。あなたがいま化粧品を作ろうとしたとき、資生堂が作ってくれると思いますか、花王が作ってくれると思いますか、と。ほんま氏は「もうロットがやばすぎて、スタートアップだと誰も手が出せない」と応じた。そのうえで講師はもう一段重ねる。マーケティングまで一緒に手伝ってくれる相手が日本にいますか、と。
| 比較軸 | 日本の大手型モデル | 韓国のODM連動型モデル |
|---|---|---|
| 製造 | 自社工場で大量生産 | コスマックス/韓国コルマー等に製造委託 |
| 販路 | 百貨店・薬局中心のオフライン、対面販売重視 | SNS起点+輸出。オンラインで一気に広げる |
| 在庫 | 新製品投入時に数万個単位の在庫を抱える | 自社工場を持たないため在庫負担が軽い |
| トレンド反応 | 在庫の消化を考える必要があり反応が鈍る | 短期トレンドに即座に製品を合わせられる |
| スタートアップ参入 | ロットの壁で事実上参入不可(ほんま氏の指摘) | アイデアと設計だけで世界水準の製品が作れる |
| マーケティング | 自前。コンセプトもSNSも自社で分離して考える | ODM側がコンセプト・SNS・流行分析まで併走 |
コスマックス(COSMAX)は1992年設立の化粧品OEM/ODM企業で、グループ売上高は2023年時点で約3,000億円。中国・米国・タイ・インドネシアなどに工場・研究所を持つ上場企業である。韓国コルマー(Kolmar Korea)とは年間売上高2兆ウォン(約2,200億円)超をめぐるトップ争いを繰り広げており、売上全体では韓国コルマーが上回るが、化粧品部門に限ればコスマックスが業界1位とされる。コスマックス、韓国コルマー、コスメカコリアの大手3社で韓国国内化粧品市場シェアの約4割を占める。
なお、コスマックスは日本国内(茨城県)にマザー工場を建設しており、「知られざる化粧品の巨人」として日本市場にも進出している。講師が挙げた「日本にこのエコシステムはない」という指摘は、日本企業が持っていないという意味では正しいが、韓国のODM企業そのものが日本国内に拠点を作りつつあるという補助線を引くと、参入の選択肢は講義時点よりやや広がっている可能性がある。(出典:週刊粧業オンライン、東洋経済オンライン、ジェトロ、AFPBB)
ここからがこの回の理論的な核心である。講師は、韓国のすごさは製造の話にとどまらないと言う。20年をかけて「美の標準化」を行い、世界基準の美を作ったのが韓国だ、というのが主張である。
その前提として彼が置くのは、美は普遍ではないという認識だ。自分たちが美人だと思う顔が世界から見てもそう見えるとは限らない。だから、その基準そのものを時間をかけて浸透させ、顔を作る作業をしてきたのが韓国だ、と述べる。具体的には黄金比率や、垂直三等分・水平五等分といったフェイシャルプロポーションの考え方、鼻の幅、顔の比率、鼻の長さ、対称性、透明感といった要素をすべてデータ化し、世界的に流行する顔とは何かを何年もかけて学者を入れて研究してきた、という説明である。そしてそのアウトプットとして最初に現れるのが韓国芸能、K-POPだ、と接続される。
以下、美容医療・美容整形に関する言及が続くが、本レポートはあくまで産業構造と市場戦略の記録である。特定の施術や美容法を推奨するものではなく、健康上・医学上の助言も一切含まない。また、講義中には「日本人の美意識」「韓国人のやり方」といった国民性に関わる表現が現れるが、これらは講師および参加者個人の見解として記録するものであり、特定の国や民族の性質に関する一般化としては扱わない。
講師が次に持ち出したのは、加工アプリの話である。人が自撮りアプリを選ぶのは、自分の顔より綺麗に映るからだ。あれは理想的な鼻のサイズ、理想的な顔の大きさをアルゴリズムで計算し、自分ではない自分を出してくれている。ここで彼は一つの観察を置く。加工された自分と現実の自分の乖離が、そもそも美容整形への欲求を高めるのだ、と。
そして韓国の美容整形はそこまで考えて作られている、という見立てが続く。日本人の場合は加工写真と実物のギャップが大きいことが多いが、韓国の芸能人やK-POPアイドルの加工写真は実物とほとんど変わらない、と彼は言う(ほんま氏が「ウィンターは最高です」と応じる場面がある)。乖離が少ない状態が作られている。つまりカメラに映っているもの自体に黄金比への近づけ方が組み込まれており、韓国政府は20年以上にわたって美の標準化を国家のソフトパワーとして投資してきた。リアルの技術を高めるのが美容外科、デジタル空間の理想形を作るのが美の標準化――この二層で韓国の美は構成されている、という整理である。
ここで理論が導入される。ルネ・ジラールのミメティック・デザイア(模倣的欲望)である。講師の説明では、ジラールは人が何かを欲望するとき、それは直接的ではなく必ず他者を介した三角形の構造で成り立っていると論じた。人は自分の欲望が内面から来たと思い込んでいるが、そうではない。欲望とは、自分があって、誰かに影響されて、それが欲しくなるものである。
主体が対象を欲するとき、その欲望は直接生まれるのではなく、媒介者(モデル)を経由して生まれる。周りが金持ちになっていたから自分も金持ちになりたい、という形。講師はこれを「Facebook的な構造そのもの」と表現した。
主体=消費者、媒介者=インフルエンサー/ドラマの主役/俳優/K-POP、対象=理想の自分(なりたい顔)。この三点を線でつないでいるのが韓国の芸能とコスメティックの循環である、というのが講師の読み。
この三角形は一度回って終わりではない。理想の自分になったら、その人がまた主体になる。時代背景が変われば「なりたい顔」も変わる。なりたい顔が変わればそれに応じた美容整形やコスメティックがまた出てくる。この循環がすでに設計されている、というのが講師の見立てである。彼は韓国のスタートアップとの打ち合わせで「そこまで考えていますよ」という話をされた、と付け加えた。
そしてもう一つ、ジラールの議論には「模倣の身分化」がある。模倣すればするほど周りとの差が縮まる。自分だけがヴィトンのバッグを持っていても、周りが持ち始めれば価値がなくなり、次はシャネルへ行く。この差異の消滅と再生産が消費のサイクルを作っており、そのサイクルの媒介者の位置にエンターテインメントを置いているのが韓国だ、という整理で節が閉じられる。
ルネ・ジラール(René Girard)は人類学・文学批評の領域で知られる思想家で、「模倣的欲望(mimetic desire)」の理論を提唱した。欲望の三角形は主体(sujet)・対象(objet)・媒体/媒介者(médiateur, モデル)の三要素で構成される。媒介者は主体と対象のあいだに立つ第三者であり、モデルの欲望を主体に伝達し、模倣の対象となる。
ジラールはさらに、模倣的欲望が社会に広がると集団的暴力や供犠、宗教の成立にまで影響すると論じ、そこから生じる対立を解消する機構として「スケープゴート」の概念を導入した。講義中に渡辺氏が「暴力の問題である」と述べたのは、ジラールの理論体系ではむしろ本筋の延長にある。講師の説明はジラールの三要素の枠組みに正確に沿っている。
講師はさらに、韓国の美容産業は政治学的・経済学的に見れば国際関係論のネオリベラリズムの枠組みを戦略に組み込んでいる、と述べた。文化や価値観は多様であり、それが市場で交換可能になったときにのみ価値が発揮される、という考え方である。だから韓国製品は東南アジアや中東に行けばハラール認証を取得して接点を作り、西洋市場向けにはグルーミングの文脈でリブランディングする。現地の宗教や社会規範との衝突を避ける形で製品を差し込む。ヨーロッパに持っていくなら現地リサーチから始め、その市場に侵入しやすい形を設計する。個人の喜びに見えるものが、実は美の標準化に当てはめられるよう誘導されている状態だ、というのが講師のまとめである。
後半の議論では、参加者から具体的な事例が次々に出た。ここは講義のなかで最も生々しい部分である。
前田氏は、日本の上場化粧品会社の友人が台湾に進出したときの話を紹介した。韓国は国が全面的に化粧品会社をバックアップしており、関税の話はもちろんだが、何よりも配るサンプルの量が桁違いだという。「あんなにサンプルを配られたらもう絶対勝てない」と言って台湾から撤収した、という顛末である。「あんなに作ってどうするんだ」というくらい作るが、サンプルは国が出してくれているのだという話だった。
講師はドバイでの経験を挙げた。ドバイ国際空港が大型モニターを導入する際、日本メーカーと韓国メーカーで検討していた。韓国側は「そんなところに置いてもらえるなら無償で提供します」と申し出た。対して日本側は見積書を出し、それがとんでもない金額だった。結果として韓国が選ばれ、LGやサムスンのモニターが空港中に並ぶことになった。「なんで日本人は金ばかり請求していくんだ」と言われた、という。韓国側に聞けば、「ただでそこに置かせてもらう時点で戦略なんだ」という答えが返ってくる。
同じ構造の事例が続く。ヨーロッパで韓国車が流行った理由は、レンタカーを赤字で出していたからである。韓国メーカーは評判が良くなかったが、安いからみんなが借りる。借りてみたら乗りやすいとなり、値段を上げても選ばれるようになった。東南アジアでは、日本のドラマは有料ケーブルで流れていたため富裕層しか見られなかったのに対し、韓国は一般放送で無償提供した。それでも成立したのはスポンサーがいたからである。自分たちが費用を出す代わりに、携帯電話も化粧品もファッションも自社製品をドラマに反映させる。スポンサー費が入るのでケーブル料金を取らなくても儲かり、しかも無償のフリー放送のほうが浸透する。
サンプル、モニター、レンタカー、無料放送――いずれも直接の取引で利益を取ることを放棄し、代わりに「置かれている状態」「使われている状態」を先に確保している。PART 4の言葉に接続すれば、これは媒介者の位置を取りに行く投資である。製品を売る前に、まず「見えている」「触れている」状態を作る。ドラマにスポンサーとして製品を差し込むモデルは、この二つ――無償提供と媒介者の獲得――を同時に達成している点で最も洗練されている。
参加者の一人が、韓国ドラマ『冬のソナタ』の売り込みを「非市場戦略」として目の当たりにした経験を語った。初めは日本のテレビ局が絶対に受け入れないという頑なな対応だったが、何か月も続けるうちに関係が築かれ、最終的にはテレビ局の中に韓国系のスタッフまで入るようになっていった、という話である。
事実関係としては、『冬のソナタ』は2002年に韓国KBSで放送され、日本では2003年4月〜9月にNHK BS2で放送された。反響を受けて年末に再放送され、NHK総合の土曜夜11時枠へ進出、最終回は20%を超える視聴率を記録している。「冬ソナ現象」と呼ばれ、日本における韓流ブームの起点とされる。参加者の証言する時期・経緯と、公開されている放送史は整合する。(出典:Wikipedia「冬のソナタ」、キネマ旬報WEB ほか)
講義中に「もともとベトナムは美容商品を日本から輸入していたが、いま日本は17%で、それを全部韓国が取っていっている」という発言があった。公開データを見ると、2017年時点ですでに韓国が22%で首位、日本は13%で2位である(以下フランス、タイ、米国が各12%)。つまり「もともと日本が取っていた市場を韓国が奪った」という時系列は、少なくとも2017年以降のデータでは確認できない。2025年時点では韓国ブランドが約30%でトップ、ベトナム化粧品市場全体の90%が海外ブランドで占められている。
「日本17%」という数値も、2017年の13%とは一致しない 要確認。韓国がシェアを拡大し日本が相対的に押されているという趨勢自体は正しいが、出発点の描き方は公開データと異なる。(出典:ジェトロ「ベトナムにおける化粧品市場に関する調査」、JETRO 2017年調査)
参加者の澤氏から、この話は「場を生み出して習慣を植えつけ、そこから抜け出せなくする」システムに見える、という指摘が出た。これに答えたのが渡辺氏である。氏はまず、いま議論されている美が何であるかを切り分けた。芸術的な美なのか、記号としての美なのか。そしていま韓国が生み出しているのは記号の側だ、と述べる。
記号としての美とは、渡辺氏の説明では「消費可能な美」である。自分の社会的存在の妥当性やアイデンティティを飾るために、取ってつけることができる。顔面、コスメ、持ち物といった外部的なものにしか自分の存在意義を意味づけられなくなったとき、この記号が強く前に出てくる。そして記号を消費することによって、根本的な自己や自分の社会性という問題を回避できてしまう。
ここに氏は「暴力性」を見る。ある価値観のなかで自分をスタンダードな存在として位置づけられるということは、裏返せばそれができない人を排除できるということでもある。センスが違う、価値観が違う、と言って自分のコミュニティを作るための記号になる。本来の美への願望は孤独なものだが、記号を消費すれば、清潔感があるとか、ちゃんとしているとか、社会が最低限求めるものを大体クリアできてしまう。したがってこれは単なるファッションの問題ではなく、社会的暴力を回避するツールの問題である、というのが氏の結論だった。
氏はさらに、この構造をアドルノの文化産業論に接続した。欲望が「自分らしさ」から切り離されて管理されるということは、産業として欲望が市場化されたということである。そして私たちはその消費によって満足を得ている。韓国芸能はその一つの証拠であり、憧れられる存在に自分をどう重ねるかという「手っ取り早い商品」だ、と述べた。
講師の読みは「韓国は欲望の三角形を産業として設計した」という設計者側からの分析であり、渡辺氏の読みは「消費者はなぜそれを受け入れるのか」という消費者側からの分析である。前者は勝ち方の説明、後者は買われ方の説明であり、同じ現象の裏表になっている。なお、記号消費への批判的な読み(アドルノの文化産業論)と、消費者の選択を自律的なものと見る立場では評価が正反対になる。本レポートは渡辺氏の見解を氏の見解として記録するにとどめ、価値判断としては採らない。
ここで前田氏から質問が出た。ファッションの場合はオートクチュールがあってプレタポルテへ降りてきたが、美容の場合、韓国は庶民の「直したい」から始まったのか、それとも富裕層のゾーンから上から降りてきたのか、ベクトルが違うのではないか、という問いである。渡辺氏の答えは「ベクトルは違う」だった。本来の美はプロダクトアウトだが、マーケットインのほうが手っ取り早く手に入る。そして韓国のすごさは、それを「セレブの人たちはみんなそうなんだ」という位置に据えて持っていったところにある、という整理になった。渡辺氏はここで「結局それは権力なんです」と述べている。
前田氏はもう一つ、アイドルグループを抱える芸能プロダクションの社長から聞いた話を紹介した。日本人の投票では、整形した女の子は票が下がる。整形しておらず少しバランスが悪いほうが票が上がる。だから女の子には絶対に整形するなと言っているが、人気が出ていたのに整形した途端に人気が下がった例があった、という話である。「ナチュラルなものを受け入れるが人工的なものを受け入れないところがある」という社長の弁が紹介された。
これに対して講師は「いまの20代・30代が50代になったら、評価は変わっている」と応じ、前田氏も同意している。この点は、PART 4で述べられた「美の基準は時間をかけて作り替えられる」という主張と一貫している。なお、この一連のやり取りは特定の国の人々の美意識を本質的なものとして語るものではなく、世代とともに変動する評価軸の話として記録するのが妥当である。