このセッションは、前段の講義で出た一つの問いから始まっている。「学問は価値判断を排除できないが、介入させてはいけない」という矛盾をどう扱えばいいのか、という問いである。講師の前田氏はそれを「矛盾点を認識するためのツール」と表現していた。ここでマイキー氏が話を引き取り、矛盾は解消するものではなく、抱え続けるものであるという主張を、経営・投資・個人の行動に一気に展開した。
マイキー氏の出発点は、人は矛盾を嫌う、という観察である。しかし矛盾には二種類ある。数式的・学問的な完成度の高いものにおける矛盾と、自己の感情が作り出している矛盾だ。前者は解消しようとする努力そのものが新しい知を生むが、後者は好き嫌いを矛盾と言い張っているだけで、何も生まない。矛盾が完全に解消され、すべてが理路整然と正解に到達してしまったら、そこで人は思考も学問も探究も停止する。割り切れない何かが残っているからこそ、探究を止められない――これがマイキー氏の中核的な立場である。
ここに前田氏が方法論上の区別を差し込んだ。矛盾とアンビバレンス(両価性)は全く違う。アンビバレンスはぶつかり合っても何も生み出さない。しかし矛盾はきちんと見つけて解消しようとする過程で新しいアイデアを生む。定立と反定立があり、それをアウフヘーベンすることで新たな段階が生まれる、という弁証法の構図である。さらに渡辺氏が「矛盾をコストの省略として考えたらどうか」という角度を持ち込んだ。葛藤する精神的対立にはコストがかかる。私たちはそれを減らしたい。だから矛盾を抱え続けることを、そのコストを自分で払い続ける問題として受け止めれば理解しやすい、という提案である。
後半は、この矛盾論が意思決定の技法に変換される。世界は二極化しており、アメリカ経済は良くなるという人と不況が来るという人、中国経済は最強だという人と国内経済は死んでいるという人、AIはさらに大きくなるという人とAIバブルは崩壊するという人が同時に存在する。マイキー氏は、こうした二極化局面では期待値の最大化というアプローチ自体が適切ではなく、最大の後悔を最小化するほうが重要だと述べ、ロバスト意思決定、ミニマックス・リグレット、バーベル戦略といった名前を挙げた。矛盾を抱えることと、両端に賭けを置くことは、同じ構えの二つの表現である。
矛盾を解消したい欲求は、感情のコストを下げたいという欲求である。しかしそのコストを払い続けた先にしか、他社が真似できない構造は生まれない。圧倒的な品質と圧倒的なコスト削減を同時に突き詰めるから模倣困難になるのであって、どちらかに寄せた瞬間、その企業は誰でも到達できる場所に降りる。個人の学習も投資も同じ構造で説明できる、というのがこの回の骨格である。
マイキー氏はまず、人が「矛盾だ」と言うときの中身を二つに割った。一つは、数式的・学問的な完成度の高いものが内包する矛盾。もう一つは、自己の感情が作り出している矛盾である。後者は、これまで自分が培ってきたものに対して非合理的なことを矛盾と呼んだり、単に自分の好き嫌いを矛盾だと言い張っているだけのケースを指す。この二つは全く別物であり、人が口にする「矛盾」の多くは後者だ、というのがマイキー氏の見立てである。
そのうえで、矛盾を消すこと自体がよくない、と述べた。高い次元でどうやって統合させるかによって知は進化する。もし矛盾が完全に解消され、すべてが理路整然と正解に到達してしまったら、何も生まれなくなる。すなわち人は思考も学問も問いも停止してしまう。どうしても割り切れない何かが残っているからこそ、探究を止めることができない――マイキー氏はこう述べ、矛盾に対して否定的な態度を取る人を「学がない人」と表現した。逆に、否定するのではなく矛盾と矛盾を統合していいものを作ろうと考えるのが、知が進化する一つの過程だと言う。
ここでマイキー氏は、しばしば引かれる言い回しを持ち出した。答えの出ない事態、どうしようもない矛盾の中に居残り続ける能力こそが本当のケーパビリティではないか、という意見がある、と。矛盾を作り出し、それにどう向き合い、矛盾と矛盾を抱え続けることによって脳が鍛えられる。それが学問に対する真理だと思っている、という言い方である。
もう一点、方法論として重要な指摘があった。因果関係に近づけることは、因果関係そのものではなく相関性の高さである。前段の講義で前田氏が「因果関係は証明ではなく追求である」と述べたのと同じ地点に、マイキー氏は別ルートで到達している。
マイキー氏が「ケーパビリティ」という語で言及した概念は、詩人ジョン・キーツが1817年の弟宛の書簡で用いたネガティブ・ケイパビリティ(negative capability)に由来する。キーツはシェイクスピアの資質を指して、「事実や理由に苛立って手を伸ばすことなく、不確実さ・神秘・疑いの中に留まっていられる状態」と説明した。20世紀に入って精神分析家のウィルフレッド・ビオンがこれを臨床の態度として再定義し、近年は組織論・医療・教育の文脈で「拙速に答えを出さずに宙吊りに耐える力」として広く参照されている。なお、経営学でいう「ダイナミック・ケイパビリティ」(デイヴィッド・ティース)とは別系統の概念であり、混同しないよう注意が必要である。
マイキー氏の展開を受けて、前田氏が方法論上の区別を持ち込んだ。矛盾と言っても、意味のないものもある、という指摘である。
単に全く違うものが並んでいる状態。ぶつかり合っても何も生み出さない。
好き嫌い、快不快が同時にあるだけで、そこから第三の何かが出てくる構造を持たない。
きちんと見つけて解消しようとすることで新たなアイデアが生まれるもの。
定立(テーゼ)があり、反定立(アンチテーゼ)があり、それをアウフヘーベンすることで新たな段階が生まれる、という構造を持つ。
前田氏はこの区別を、矛盾を「見つけ出すためのツール」として位置づけている。矛盾を回避したい人が多いが、大事なのは、意味のある矛盾と意味のない矛盾を仕分けたうえで、意味のあるほうを抱えることだ、という整理である。
ここに渡辺氏が第三の角度を加えた。矛盾をコストの省略として考えたらどうか、という提案である。葛藤する精神的対立にはコストがかかる。私たちはそのコストを減らしたい。だから矛盾を受け入れるということを、「そのコストを自分で払い続ける」という問題として受け止めれば理解しやすいのではないか、と述べた。前田氏はこの言い換えを高く評価し、「その言葉は自分も出てこなかった」と応じている。
マイキー氏が「コストをかけること自体が悪だと思っている人もいる」と付け足すと、渡辺氏はさらに踏み込んだ。感情的に、結局は自分をすっきりした側に置きたい。そこに私たちの感情コストが強く働いている。そのコストを支払い続けることに、私たちは価値を感じていない。コストを払い続けることで得られるものと、コストをかけないことで失うものの非対称性が見えれば、態度は変わるはずだ、という指摘である。
アウフヘーベン(Aufheben、止揚)は、ドイツ語で「持ち上げる」「保存する」「廃棄する」という三つの意味を同時に持つ語で、ヘーゲルがこの多義性を利用して弁証法の運動を表す術語とした。ただし、しばしば教科書的に語られる「テーゼ→アンチテーゼ→ジンテーゼ」という三段の図式は、ヘーゲル自身の用語法ではない。この定式化はヨハン・ゴットリープ・フィヒテを経由し、ハインリヒ・モーリッツ・シャリベウスによって19世紀に整理されたものが広まったとされ、ヘーゲル研究者からは「ヘーゲルに帰属させるのは誤り」と繰り返し指摘されている。講義中に前田氏が用いた「定立と反定立からアウフヘーベンによって新たな段階が生まれる」という説明は、この通俗的定式に沿ったものである点を記録しておく。
マイキー氏は、矛盾を抱えることの実例として、現代経営学でもっとも有名な理論の一つを挙げた。両利きの経営、すなわち知の深化と知の探索である。
| 軸 | 内容(マイキー氏の説明) | 片方に寄った場合の帰結 |
|---|---|---|
| 知の深化 | 効率性、改善、ミスをなくすこと、短期的利益。 | 知の探索が遅れ、イノベーションが起きなくなる。 |
| 知の探索 | 失敗、実験、非効率性、長期的投資。 | 知の深化ができず、結果としてサービスが仕上がらないので金にならない。 |
この二つを両方回さなければならない、というところで経営者は矛盾に苦しむ。しかし大抵の人は矛盾を解消したいがために深化だけに入り、探索が遅れる。逆に探索だけを続ける人は、金にならないと文句を言う。マイキー氏の観察では、この二つに人は分かれてしまう。深化に寄る理由は「金が欲しいから」、探索をしない理由は「勉強したくないから」である。
では矛盾から知恵を出した例は何か。マイキー氏は日本企業ではトヨタだろうと述べた。在庫を減らせ、しかし欠品させるな。生産性を上げろ、しかし人は増やすな。普通に考えればめちゃくちゃ矛盾している。トヨタはこの矛盾を解消できない極限状態に自分を追い込むことで、現場の真理のようなものを作った。それがかんばん方式であり改善方式である、というのがマイキー氏の理解である。矛盾を問題として受け入れ、妥協せずに誰も思いつかなかったシステムを作ろうと考える。それがトヨタの考え方であり、1970年代を軸に世界的企業になっていった理由は、まさに矛盾から知恵を出すことをどう考えるかにあった、と述べた。
マイキー氏はこれを一般化する。矛盾を解消しようとするときに、人は単純化しようとする罠に入る。コストを選ぶのか品質を選ぶのか。コストを選べばブランドが壊れ、ブランドを選べばコストが上がる。しかし圧倒的な品質と圧倒的なコスト削減という矛盾を突き詰めるからこそ、他者が真似できないビジネスモデルが生まれる。矛盾を解消していないことが、次の競争優位を生む真理である。したがって「人は矛盾を嫌います」と言った瞬間に、競争優位の真理そのものが生まれなくなる、という論理である。
知の探索(exploration)と知の深化(exploitation)の対比は、ジェームズ・G・マーチの論文 "Exploration and Exploitation in Organizational Learning"(Organization Science 第2巻、71–87頁、1991年)が出発点である。マーチは exploration に「探索・変異・リスクテイク・実験・遊び・柔軟性・発見・革新」を、exploitation に「洗練・選択・生産・効率・実行」を割り当てた。マイキー氏の説明はこの原典の語彙とほぼ一致している。この論文はGoogle Scholarで2万件を超える引用を持つ。日本では入山章栄による紹介を通じて「両利きの経営」の名で普及した。
トヨタ生産方式については、大野耐一が体系化した「ジャストインタイム」と「自働化」の二本柱がよく知られる。かんばんは工程間の情報伝達手段であり、在庫削減と欠品防止を同時に成立させるための仕組みである。マイキー氏の言う「1970年代に世界的企業になった」という時期認識については、トヨタが北米で本格的に評価を高めたのは1973年の第一次石油危機以降であり、TPSが国際的に注目を集めたのは1980年代(MITのIMVP調査から『リーン生産方式が世界の自動車産業をこう変える』が1990年に刊行)である。時期の幅としてはおおむね妥当だが、「日記に」という文字起こし上の語は判読できなかった要確認。
マイキー氏は、この矛盾論を個人の行動選択に落とし込んだ。以前の講義で扱った枠組みとして、ナイス・トゥ・ハブとニード・トゥ・ハブのどちらが重要か、という問いを再提示している。
ほとんどの人はナイス・トゥ・ハブの選択肢を取る。すなわち自分にとって都合のいい情報だけを取り続け、自分にとって都合のいいスキルだけを手に入れようとする。一方ニード・トゥ・ハブとは、自分の感情はどうでもよく、それがあったときに必要なのか必要でないのかを追求した結果、最終的に必要になるもののことである。それが分かっているなら、そのスキルを追求し続けるはずだ、という論理だ。
ここでマイキー氏は、その場の参加者に問いを投げた。「今後ビジネスをやっているときに、コミュニケーションは大事ですか、大事じゃないですか」。参加者が「大事」と答えると、すかさず切り返す。「なぜ喋らない?」
コミュニケーションが大事だと答えながら発言しない。これこそまさに、自分自身が矛盾していて、それを認めたくない状態である。恥ずかしい思いをするかもしれない、間違ったことを言って怒られるかもしれない、変なことを言われるかもしれない――そういう状態になったとしても、ニード・トゥ・ハブなら手に入れるはずだ。人は基本的に感情で判断している。自分が矛盾していることに対して矛盾だと感じていない人が、行動できない人であり、矛盾を追求しない人である。だから前田氏が言った「感情はどうでもいい」という状態まで持っていったほうが、むしろ合理的だ、というのがマイキー氏の結論である。
マイキー氏はこの構図をもう一度、経営の言葉で言い直した。大抵の人はいい品質のものを作ろう、いいサービスを作ろう、でもコストは削減しよう、と言う。これは矛盾している。いいものを作るなら人数が必要ではないか。いいブランドを作るならコストがかかるだろう。それをどうやって突き詰めるかにたどり着くことが、ビジネスでは大事である。そしてその合理性に至るには、まず自分自身がその矛盾をどう捉えているか、自分の行動のどこが矛盾しているかを客観視できているかどうかにかかっている、と述べた。
この話の流れの中で、マイキー氏は勉強会内の具体的な状況に踏み込んだ。「渡辺さんの話が難しい」と言う人がいることについて、率直な意見として述べられたのが次の主張である。
量をやっていない者が質を語るな。 渡辺氏の話が難しいのではなく、聞き手の側が量をこなしていないだけである。質を語りたいならまず量をやれ。なぜなら、量をやらないと質は語れないからだ。映画を100本見た人が「この映画は良かった」と言えば理解できるが、2本しか見ていない人が「この映画は良かった」と言っても信用できない。同じように、人の話が難しい・分からない・自分には合っていない、というのは量をやった人間にだけ言える資格だ、というのがマイキー氏の立場である。
そのうえで、量をやっている自分たちには難易度の感覚が伝わるので、渡辺氏が「難しい」と言えば本当に難しいのだと思う。しかし量をやっていない人が難しいと言っても、それは「お前がバカだからではないか」で片付けてしまう、と述べた。これに対して当の渡辺氏本人が「それは矛盾ですよ」「その発言自体が矛盾よ」と応じ、場は笑いに変わっている。
渡辺氏はこの論点を、学習の構造の話として引き取った。前田氏がずっとやってきたのは、哲学があって社会学があって、それに対する問題克服、問題解決が必ずある、という積み上げである。いきなり飛ぼうとすると難しいから、前田氏はすぐに前提の話から始める。マイキー氏も同様に歴史から始め、言葉の定義から入る。「難しい」と言えている地点の量的な部分、それを下支えしていた概念や言葉、そこにある問題を人間がどう克服してきたのかが紐解ければ、分かるようになる。ところが、いきなり言葉を端的に理解したい・説明したいという優先順位が強くなると、その焦りが「分からない」「難しい」という言葉に結びつくのではないか、という整理である。
「量をやっていない者が質を語るな」は、マイキー氏個人の学習観として述べられたものである。対立する見方として、教える側の説明設計(前提の明示、抽象度の階段、例示の量)が理解可能性を大きく左右するという立場が、教育学・認知科学では標準的である。すなわち「分からない」は必ずしも受け手の投入量不足だけに帰責されない。本レポートは発言をそのまま記録し、この対立を併記する。
ここからマイキー氏は、矛盾論を意思決定の技法へと変換する。出発点は、世界中が二極化しているという観察である。メディアの報道もそうなっている、と例が並べられた。
| 論点 | 一方の極 | もう一方の極 |
|---|---|---|
| アメリカ経済 | 良くなる | 不況の話も大量に出る |
| 中国経済 | 最強である | 国内経済は死んでいる |
| AI | 来年さらに大きくなる | AIバブル自体が崩壊する |
マイキー氏はこれを「メディア報道の二極化理論」と呼び、そのうえで従来の経済学・金融理論の限界を指摘した。私たちが教えられてきた学問は期待値の最大化というアプローチだけであり、これが期待効用理論の限界である。しかし二極化している段階では、期待値を最大化すること自体がそもそも適切ではないのではないか。それよりも、最大の後悔をどれだけ最小化するかのほうが重要だ、というのがマイキー氏の提案である。
マイキー氏はこれを「ロバスト意思決定」という語で説明した。起こりそうな未来を予想して最適化するのではなく、どんな未来が来たとしてもある程度の成果が出るような戦略を探求するほうが合理的ではないかという考え方である。言ってしまえば柔軟性の話になる。ゲーム理論でいうミニマックス・リグレット(後悔をどれだけ小さくするかを意思決定基準に持つ)と同じ発想だ、と補足された。
具体例として、ある局面が来ると分かったときに全額を張るかどうかが挙げられた。張らなければ資産を倍増する機会を逃す(機会損失が発生する)。しかし全額を張れば、外れたときに資産の大半を失う実損が生まれる。この両方の後悔のうち最大のものを最小化するにはどうするか。そこで出てくるのがバーベル戦略である。
バーベルが保てるのは、両サイドに同じ重さがあるからこそ中間地点で支えられるからである。同じように、自分の時間の割合をどう組むかが大事だ、とマイキー氏は述べた。何かに振り切ること、特化させることもすごく大事だが、不確実性が高いからこそ満遍なくいろいろなことに準備をしておくことが大事ではないか、という言い方である。満遍なく分散していれば、結果として大きな利益は取れないかもしれないが、最大の後悔は最小化できる。
この提案に対して渡辺氏が留保を加えた。不確実性が高いからこそ、逆に不確実なものに対する脆弱性の問題、つまりフラジリティの問題だと思う、というのである。私たちはすぐに結果を必要とする。結果を求めるあまり、ロバストネスを求めるあまり、状況対応や出てくる問題への対応力を失ってしまうところがある。それがミニマックス理論からすると逆転に働いてしまう、という指摘だった。
バーベル戦略はナシーム・ニコラス・タレブが『反脆弱性(Antifragile)』(2012年)で提示した配分の考え方である。片側に極端なリスク回避、もう片側に極端なリスクテイクを置き、中間のリスクにはほとんど晒されないようにする。典型例として「90%を極めて安全な資産に、10%を極めて投機的な賭けに」という配分が挙げられる。タレブの整理では、ロバスト(頑健)は衝撃に耐えて変わらないもの、アンチフラジャイル(反脆弱)は変動やストレスによってむしろ良くなるものであり、両者は区別される。この点で、マイキー氏が「ロバスト意思決定」と呼んだ枠組みと、渡辺氏が持ち出した「フラジリティ」はタレブの同じ体系の別部分を指している。
ミニマックス・リグレット(最大後悔最小化)は、不確実性下の意思決定基準としてアブラハム・ワルド(1950年)とレナード・サヴェッジ(1951年)に遡る古典的な基準である。各行動について「後から見て最良の選択と比べてどれだけ損したか(後悔)」を計算し、その最大値がもっとも小さい行動を選ぶ。マイキー氏の説明はこの定義と整合する。
ロバスト意思決定(Robust Decision Making, RDM)は、RANDコーポレーションが深い不確実性下の政策分析のために体系化した手法で、単一の最適解を求めるのではなく、多数の将来シナリオにわたって「そこそこ良い」性能を保つ戦略を探索する。マイキー氏の説明はこの定義とも整合する。
なお、マイキー氏が「金融理論の各シナリオはすでに期待値の最大化のアプローチだけ」と述べた点について付言すると、期待効用理論の限界を突く枠組みとしては、この他にプロスペクト理論(カーネマン=トヴェルスキー、1979年)、あいまい性回避を扱うマキシミン期待効用(ギルボア=シュマイドラー、1989年)などがあり、「期待値最大化しかない」という状況ではない。ただし実務の教科書レベルで期待値最大化が支配的だという指摘としては妥当である。
バーベル戦略の説明の途中、マイキー氏は場の参加者に対して別の角度から問いを投げている。今この場にいる人の中で、さきほど発言したい人はいたはずだ、と。しかしこうやって入って発言すると目立つ。自分の所属するコミュニティでも、町内会でも同じである。
そこでマイキー氏が言ったのは、結局のところ自分のことだ、という一点である。痛い人だと思われていたら、絶対に誘われないし、応援されないし、押されない。だが問題は、自分の発言や振る舞いが「この人は痛いな」と映っていることを、自分でちゃんと客観視できているかどうかだ、と述べた。
これは矛盾論の応用である。発言したい/目立ちたくない、という矛盾を抱えたまま、どちらにも決着をつけずに「発言しない」ほうへ流れる。そしてその選択が自分の中でどう見えているかを客観視できない。前段のコミュニケーションの問いかけと同じ構造が、ここでも繰り返されている。