この回の後半、話は人物論から方法論へ移った。マーシャルとシジウィックが実際に何をやったのかを一文で言うなら、こうなる。まず矛盾を見つける。対立している要因を特定する。そのうえで、何を加えればお互いの主張が両方とも正しくなるかを考える。AかBかではなく、AもBも必要だよね、という状態を作る。マイキー氏の要約である。
この構図を最も端的に示すのが、渡辺氏が持ち出したハサミの比喩だった。両手を叩いて音が鳴ったとき、右手と左手のどちらが鳴ったのか。ハサミで紙を切ったとき、上の刃と下の刃のどちらが切ったのか。マーシャルはこの問いを、価値は生産費で決まるのか効用で決まるのかという当時の論争にそのまま重ねた。答えは、どちらでもない。両方の刃が常に関与している。
ただし比喩だけでは論争は終わらない。決着させるためにマーシャルが持ち込んだ第三の軸が時間である。短期では消費者の満足度が価格に大きく影響する。長期では設備投資が効いてきて生産コストが価格を決める。時間という概念を入れれば、生産費説も効用説も両方とも成立してしまう。矛盾していた二つの主張が、条件を分けることで両方正しくなる。
そしてマイキー氏はこの構造を経営学に接続した。マイケル・ポーターのSCP型の戦略論(外部環境の構造が企業の行動と成果を決める)と、RBV=リソース・ベースト・ビュー(内部の人材やリソースこそが優位性の源泉である)の対立も、同じ形をしている。結論は同じで、両方必要である。片方だけを信じている人は、ハサミが噛み合っていないだけだ。
矛盾が生まれるのは、限られた情報を頭の中だけで整理しているからかもしれない。マーシャルやシジウィックは、何かを一つ加えれば矛盾は解けると信じた人たちだった。――マイキー氏。だから彼らは矛盾を避けず、あえて矛盾する二つの命題を並べてから、解消する軸を探した。
マイキー氏はシジウィックを「批判的思考の第一人者」と紹介した。かなりの懐疑論者で、人のことを指摘しまくる人物だったという。ただしその指摘の総体を見ると、論争になりうる印象をすべて否定していった人だと捉えればいい、という位置づけだった。
シジウィックが常識と理性の間に見抜いた矛盾は、幸福論の内部にある。個人の幸福と、全体の幸福が一致していないではないか、という問題である。これをどうやってハサミのように挟むか。個人と全体の幸福論を挟んだときに、これが一番幸せだよね、という状態、あるいは幸せへ向かう傾向に乗る状態を解こうと考えた。それがシジウィックである、というのがマイキー氏の説明だった。
そのうえでマーシャルについては、彼のリサーチの本質は「人間がより良くなるために何が必要なのか」であり、それはAでもBでもない、と述べている。Aという主張とBという主張、テーゼとアンチテーゼがあるとき、ジンテーゼは何なのか。統合したうえで、お互いが作用するようなものは何なのか。この問いの立て方そのものが、マーシャルの方法だった。
「マーシャルの入り口はこういうところでいい。AかBかではなく、AとBに何かしらの条件を加えることでお互い必要じゃないか、という心の広い人だと思ってください。理論に関しては平和主義者。」――ただし同じ系譜のシジウィックは懐疑論者であり、性格は正反対に近い。この対比自体が、両者の役割分担を示している。
渡辺氏はまず、禅の公案でいう隻手の音声に近い問いを出した。両手をパンと叩いたとき、右手と左手のどちらが鳴ったのか。同じことをマーシャルは需要と供給について言っている。ハサミの二枚の刃のうち、どちら側が切ったのですか、と。
渡辺氏の読みでは、これも一見すると矛盾である。この矛盾をどう説明するかというところで、マーシャルは時間概念を使うことによって「どちらでもない」を合理的に説明する方法にたどり着いた。行動や行為、現象を説明することに対する彼なりの理解の形である。
マーシャルは『経済学原理』(1890)でこう書いている。「価値が効用によって支配されるのか生産費によって支配されるのかを論じるのは、一枚の紙を切ったのがハサミの上の刃なのか下の刃なのかを論じるのと同じくらい理にかなっていない」。さらに「一方の刃を止めて他方を動かして切るとき、我々は雑に、切ったのは後者だと言うことができる。だがその言明は厳密には正しくない」と続く。
つまり短期/長期のどちらか一方が支配的に見える局面はあるが、それは「片方の刃を止めている」だけであって、原理的には常に両方が関与している――という含意まで含めて原典に書かれている。渡辺氏・マイキー氏の説明は原典の趣旨と一致する。
なお文字起こし上、マイキー氏の発言に「需要と供給の十字架」という語が現れるが、これは音声認識上の揺れであり、内容は同じハサミ(scissors)の比喩を指している。本レポートでは「ハサミ」に統一した。
マイキー氏は、この論争の中身を歴史の順で整理した。古典派の立場は、価格は働いた人の量――投じられた労働・コスト――で決まる、というものだった。アダム・スミス以来、供給側が価値を決めるという発想である。その後に出てきたのが、いやそうではなく、消費者が感じる満足度こそが重要ではないか、という主張だった。ジェヴォンズの名が挙がっている。
古典派・労働価値説の系譜。生産に投じられたコストと労働量が価格を規定する。アダム・スミス、リカードの流れ。
ハサミで言えば「下の刃」。
限界効用の系譜。消費者が感じる満足度が価格を規定する。ジェヴォンズら。
ハサミで言えば「上の刃」。
コストが大事なのか満足度が大事なのかという論争に対して、マーシャルは時間という概念を入れれば決着がつくのではないか、と考えた。マイキー氏の説明はこうである。短期で言えば、顧客の需要、消費者の満足度が価格に大きな影響を与える。それに比べて長期では設備投資も必要になってきて、最終的には供給コストで価格が決まってくる。つまり時間を軸にすれば、需要と供給の両方を同時に扱える。
| 時間軸 | 価格を主に決めるもの | 働くメカニズム |
|---|---|---|
| 短期 | 需要側(消費者の満足度) | 設備は動かせない。手元の供給量が固定されているため、買い手の評価がそのまま価格に出る |
| 長期 | 供給側(生産コスト) | 設備投資が可能になり、生産能力が需要に合わせて調整される。生産費が価格の基準になる |
ここでマイキー氏が付け加えた注意が実務的に効く。これはどちらが正しいかの話ではなく、産業によって順番が変わる、ということである。長期的に設備投資を積み上げていって需要を埋め、満足度を上げていく道筋もあれば、最初に満足度を上げていって、儲かってきたら設備投資が追いついて供給自体を支配していく道筋もある。この二つを両方考えればいい、というのが結論だった。
渡辺氏はこの構図を、マーシャルの理論設計の「力強さ」として捉えている。内部経済と外部経済、産業収穫といった要素を、規模や寿命といった時間論の中にそれぞれ配置し、矛盾を全部当てはめることによって理論にしてしまう。短期的な市場であれば効用が勝つ。だが長期で見れば供給サイドの枠組みが効いてくる。一見矛盾する両者がどこで折り合うのかを理解させる、その配列の設計に力がある、と。
渡辺氏はさらに、マーシャルがオーガニゼーション=組織という概念を思想の中に大きく持ち込んでいることを指摘し、それが組織論や人的資本の議論に繋がっていると述べた。
マーシャルは『経済学原理』で、生産規模の増大から生じる経済性を二つに分類している。「産業全般の発展に依存するもの」と、「その産業に従事する個々の企業の資源、組織、経営の効率に依存するもの」。前者を外部経済、後者を内部経済と呼んだ。渡辺氏の言及する「内部経済と外部経済であったり産業収穫だったり」という要素はこれに当たる。
この分類は現在も産業集積・クラスター論の出発点として引用され続けており、「マーシャル的外部経済」という語で現代の産業空間論にも受け継がれている。時間軸に加えて規模の軸でも矛盾を割り当てた、という渡辺氏の読みは、この分類を指している。
マイキー氏はこの発想の背後にヘーゲルの歴史観を置いた。歴史に一つの目的や完成があるとすれば、これまで出てきて必要とされたものはすべて必要だった、という考え方である。どれが必要でどれが不要か、という判断は、何かを動かすとか装置のスイッチを入れるといった局所的な場面では成立する。だが人類という大きな枠、あるいは歴史という長い時間軸から見れば、すべてが完成のために必要なパーツになる。それを直接受け取って経済学に応用したのがマーシャルだ、と。
渡辺氏はこれを受けて、条件が違い、乗り越えようとした問題も違うが、それをアウフヘーベンしてきたのだから、それも別の形でのアウフヘーベンの材料になる、とまとめた。そう見ることで「否定は存在しない」という形になるのが、マーシャルの基本的な姿勢である、と。そして一つの時間軸あるいは空間軸を取ることによって矛盾した存在が矛盾しなくなる、という体験そのものが、マクロ視点にしていくことと繋がっている、と付け加えている。
「矛盾を生み出すということは、限られた情報を頭の中で整理しているから矛盾になる可能性がある。この人たちは、自分たちが知識を入れて何かを加えることで、それは解決できるよね、ということを信じた人たちだ。」――つまり矛盾は世界の性質ではなく、多くの場合こちらの情報量の不足である、という立場が取られている。
マイキー氏は、この構造は経営学の教科書の最初に出てくる対立とまったく同じだ、と言う。マイケル・ポーターのSCP理論では、差別化戦略によって完全競争から逃れられると考える。それに対してRBV=リソース・ベースト・ビューは、アイデアも大事だが、それよりも人材やリソースが大事だと主張する。結果はどうなったか。両方大事である。必要なものは必要で、不要なものはない。お互いの理論が正しく、両方できたら最強ではないか。シジウィックやマーシャルがやったのと同じことが、経営学でも起きている。
市場構造が企業の行動を決め、行動が成果を決めるという枠組み。外部環境が出発点。ポーターのファイブフォースや差別化戦略がここに接続する。
持続的な競争優位は、模倣困難な内部資源とケイパビリティから生まれるとする枠組み。内部資源が出発点。
発言では「SCP理論はマイケル・ポーターが言ったこと」とされているが、公開されている整理では、SCPパラダイム(構造 – 行動 – 成果)は産業組織論の枠組みとして先行しており、ポーターの競争戦略論やダイヤモンド・モデルはその前提の上に構築されたものとされる。ポーターはSCPを経営戦略に応用して普及させた人物であり、パラダイムそのものの提唱者ではない。
RBV側については、Wernerfelt が 1984年に Strategic Management Journal で "A resource-based view of the firm" を発表し、Barney の 1991年論文 "Firm Resources and Sustained Competitive Advantage" がRBV確立の転換点として広く引用されている。RBVは1980年代を支配したポジショニング学派への反動として登場した、という位置づけも文献上確認できる。「対立する二つが後に両方必要とされた」という発言の骨格は、この経緯と整合する。
マイキー氏がこのパートを締めた言葉が、この回全体の要約になっている。マーシャルにとって経済学とは、あくまで道具にすぎない。何のための道具か。人間の幸福度を特定し、実際に向上させる手段としての道具である。ただそれだけの話だ、と。
そしてこれはビジネスにそのまま落とし込める。「俺はA派だ、B派だ」ではなく、いいとこ取りをする。あるいはAもBも大事だと考える。頭の中にありませんか、という問いかけがあった。ノウハウは必要だけど抽象化はいらない。ミクロ経済は必要だけどマクロ経済は必要ない。そう思っているとしたら、それはハサミが噛み合っていないから必要ないように見えているだけだ。何かの軸を入れることで両方必要だという考え方に切り替える。マーシャルはそれを学問を通してやった。今まで対立していたものを一つにまとめてしまう。その方がプラスに働く。お互いに噛み合っていても仕方がない、と。
ここからマイキー氏は、この考え方を実務――特に参加者に多い経営者向け――に落とした。次回以降、前田氏がエラスティシティ(弾力性)を扱う予定であることを前置きしたうえで、その前段として「値上げしても客が離れない商品をどう設計するか」という問いを立てている。理論としての価格弾力性そのものの精密な解説は次回以降の講義に委ねられており、本レポートでも先取りはしない。
マイキー氏の整理では、値段を上げても需要が落ちない商品と、上げると買われなくなる商品の差は、その企業が価格の支配力を持っているかどうかに帰着する。生活必需品――水や電力――は値段が上がっても使い続けられる。宝石や高級車は、400万円の車が500万円になれば購入を考え直す人が出る。酒やタバコは課税しても買われ続けるが、映画館に課税すれば行かなくなる。だから政策側も、どこに課税するかをこの性質で判断している。
関税で仕入れが上がり、パンの値段を100円上げたら客が来なくなった。マイキー氏の読みでは、それは「あなたの商品の弾力性が高かった」ということであり、言い換えれば提供していた価値が美味しさや品質ではなく、価格の魅力でしかなかったという状態を意味する。値上げできないという事実そのものが、価値提供の中身を診断している。
| 経路 | 中身 | マイキー氏の評価 | |
|---|---|---|---|
| ① | 代替不可能な独自価値 | 誰にも真似できないデザイン、特許、このサービスはここしかできないという状態。iPhoneのOSなどが例に挙がった | 天才かリソースがなければ作れない。多くの企業には無い |
| ② | エコシステムによるロックイン | AからBへ乗り換えると非常に面倒なことが起きる状態。スイッチングコストを積み上げる。NVIDIAが例に挙がった | 似たようなことを皆がやっているため、唯一無二のサービスが無く、多くの企業には作れない |
| ③ | ブランドの感情的価値 | ここにいることで満足度が増す、という状態を作る。手法はコミュニティ形成、限定性の演出、ストーリーテリングの三つ | 最も手っ取り早いのはここ。①②が無い企業が現実に取れる唯一の経路 |
③をさらに絞り込むと、その場で価値を認識させられるのはストーリーテリングによるプレゼンテーションだ、というのがマイキー氏の主張だった。他のものは使いながら価値が伝わっていく。家電量販店でドライヤーを使い、ヘアアイロンを試し、テレビを見ても、「素晴らしい、すぐ買おう」にはならない。人は考える。それを一気にひっくり返す方法がストーリーテリングである、と。
「①②が無い企業は③しかない」「一番手っ取り早いのはストーリーテリング」という結論は、マイキー氏の見解として明示的に受け取るべきものである。対立する見方も当然ありうる。たとえば模倣困難性を長期の研究開発や工程知識の蓄積で作る道、あるいは流通網・立地・規制対応といった構造的な参入障壁で作る道は、ここでは選択肢として展開されていない。またストーリーテリングによる価格支配力は、体験が期待を裏切った時点で急速に失われうるという意味で、①②より脆い。この回の議論は、経営者が「明日から着手できる順序」を基準に並べたものと読むのが妥当である。
NVIDIAのスイッチングコストは、GPUハードウェア単体ではなくCUDAを中心とするソフトウェア資産の蓄積に由来するとされ、エコシステム型ロックインの典型例として広く引用される。この点で発言の例示は妥当である。ただし同社を巡っては、2026年1月末から2月初にかけて、OpenAIへの最大1,000億ドル投資が実質的に止まっているという報道が出ており(発表から5か月経っても契約は署名されず資金も動いていない)、ジェンスン・ファンCEO自身がこの投資は拘束力のないものだったと述べている。冒頭の雑談でマイキー氏が触れた「NVIDIAが1,000億ドルの投資であまり交渉がうまくいっていないみたい」という言及は、この報道と符合する。