この日の後半は、講義というより即興の設計作業だった。前田氏が「価値は理想・規範・イデオロギーを総括したものであり、それは文化・宗教・学問によって形成される」と述べた直後、マイキー氏が「では、これを経営者に分かりやすく説明し、行動に落とし込むにはどうするか」と問い、その場で参加者にExcelを開かせてマトリクスを組み立て始めた。縦軸に理想(Ideal)・規範(Norm)・イデオロギー(Ideology)の三層を置き、横軸に宗教的定義・市場的定義・機能と役割の三列を置く。合計九つのマスを埋めていくという作業である。
この図の狙いは明快だ。宗教は、人間を長期にわたって行動させ続ける仕組みとして人類が持っている最も洗練された装置である。マイキー氏の言い方では「宗教が一番最強のアイデアルとノームとイデオロギーを持っている」。であれば、その構造をそのまま商品設計に移し替えればよい。前田氏が「宗教を勉強しないと価値は理解できない」と言ったことの実務的な意味は、まさにここにある、というのがマイキー氏の読み替えだった。
作業が進むにつれ、議論は価格の正当性という論点へ向かう。マイキー氏は参加者に「あなたのサービスの価格は、何をもってその価格なのか、全部説明できるか」と問い、できないという答えを引き出した。人件費・家賃・材料費といった原価の説明は、顧客にとって何の関係もない。相手に関係のない要素で価格を説明している以上、それは主観にすぎない。ならば主観であることを認めたうえで、その主観をどう妥当化するか。その答えとして提示されたのが、数字ではなくストーリーである。
議論の後半では、その妥当化を支える二つの装置が扱われた。一つは儀式化。Appleのアンボクシング、Netflixのオープニング、名刺の渡し方、中国の家電の開封体験といった具体例が並び、消費行動を儀式にすることで商品が特別なものになり、依存性が高まるという構図が示された。もう一つは卓越化と排除。現代アート、茶道、ヴィンテージワインのように、解釈するために知識が必要なものは、知識を持たない者を排除するシステムとして機能し、それが内部の人間にとっての優越感を構成する。この論点でマイキー氏はダグラス・ホルトの文化的ブランディングとハーレーダビッドソンの事例を引いた。
「人が繰り返し金を払い続ける仕組みは、宗教がすでに完成させている」――理想(到達すべき状態)を提示して誘引し、規範(日々の行動指示)を与えて拘束し、イデオロギー(それが正しいと説明する体系)で正当化する。この三段構えが揃ったときにだけ、サービスは永続的に続く。マイキー氏の即興の図は、この三段構えを商品設計のチェックリストに変換したものである。
マイキー氏がこの図を思いついた経緯は、本人の言葉としてそのまま記録に残っている。前田氏の話をヒアリングしていて、「理想・規範・イデオロギー」という言葉が出た瞬間に、その構成要素に対する定義、市場に対する定義、そしてそれに対する機能と役割を縦横のマトリクスで表せば分かりやすいのではないか、と考えたという。そして参加者に「誰か僕の代わりにExcelを開いてちょっと書いてくれませんか」と依頼し、口頭で指示を出しながら図を作っていった。
本人はこの作業中、繰り返し「今これ憶測でやっているので、もしかしたら途中で崩れるかもしれない」「頭の中でバグっているかもしれない」と留保を付けている。つまりこの図は完成された理論の提示ではなく、公開の場で行われた思考の実演である。後に参加者から「即興で作ったと思えないぐらい優秀」と評されたのに対し、マイキー氏は「聞いていた前提が違ったからできたと思う」と応じた。多くの人は前田氏の言ったことをそのまま理解しようとして分からなくなる。自分は落とし込むために、宗教と市場で定義を分けたうえで何がイコールなのかを考えただけにすぎない、というのが本人の説明だった。
抽象度の高い概念を実務に接続するときの型が、ここに露出している。(1)抽象概念の構成要素を三つに固定する、(2)その構成要素が最も純度高く現れている既存領域(ここでは宗教)を持ってくる、(3)自分の領域(市場)と並べて対応表を作る、(4)両者に共通する機能を第三列として抽出する。この四手順は、他の理論を実務へ落とすときにも再利用できる。
組み上がった図の全体像を、講義中に埋められた語をそのまま配置して整理すると次のようになる。縦の三層が価値の構成要素であり、横の三列が読み方の視点である。
| 宗教的定義 | 市場的定義(マーケティング含む) | 機能と役割 | |
|---|---|---|---|
| 理想 (Ideal) | 救済・天国・悟り。信者が到達したほうがよい究極の状態。苦しみの世界、地獄という世界から逃れること | 解決された未来。美・健康・富・効率性・環境の調和など、消費者が求めているものの到達点 | アトラクション(誘引)。相手に欠落感を自覚させ、そこから回復するビジョンを思い描かせる |
| 規範 (Norm) | 戒律・儀式・礼拝。理想を達成するために日々実践すべき具体的な行動指示 | 使用法・使用の容易さ・購買行動までの流れ・マナー。製品の購入、定期的なメンテナンス、コミュニティへの参加、推奨されるライフスタイル | バインディング(拘束)。行動パターンを組み込み、高頻度の接触によって依存性を生む |
| イデオロギー (Ideology) | 教義・神学・聖典。なぜその理想が正しく、なぜその規範に従うべきかを正当化する理論体系 | 世界観・エビデンス・ブランド。科学的根拠、データ、伝統、文化、価値を正当化する物語 | レジティマシー(正当化)。それが当たり前の状態になり、疑う対象ですらなくなる |
参加者からの質問を受けてマイキー氏が明確にしたのは、この三列のうち第三列は独立した内容を持つのではなく、左二列に共通する機能を抜き出したものだという点である。本人の言い方では、「宗教的定義と市場的定義の役割と機能がイコールですって話」になる。したがって実質的な内容は左二列の六マスであり、第三列はその対応関係を保証するラベルとして働く。
前田氏はセッション終盤で、この三層に別の言葉を当てることも提案した。理想を「目的」、規範を「標準」、イデオロギーを「日常」と読み替えると、もう少しイメージが掴みやすくなるのではないか、という提案である。マイキー氏はこれに同意した。到達点、そこへ向かう手順の標準形、そしてそれが当たり前になった状態、という時間軸の並びになる。
マイキー氏は図の説明を、最も素朴な問いから始めた。なぜ人が宗教に行くのか。キリスト教であれば死んだ後に天国に行ける、別の宗教であれば成仏できる。地獄に落ちたくない、死にたくない、しかし死んだ後に何かしらのメリットがある――その定義を提示することで、宗教に人が来る。これが理想の層である。
次に、その天国に行くためには毎週のように教会に行かなければならない、食事の前に祈らなければならない、聖書に沿って自分の人生を組み立てなければならない、といったルールが課される。ルールを守ることで理想に到達できる、という構造だ。これが規範の層である。そしてそれを学ぶために聖書や神学や聖典が必要になる。これがイデオロギーの層であり、神学の体系化や聖書の普及、啓蒙活動といった営みがここに対応する。
マイキー氏は自身のアメリカでの体験にも触れ、水曜日と日曜日に礼拝に行くことによって、周囲の人々は天国に行けると信じていたと述べた。一回教会に行けば天国に行けるというものではなく、反復が前提になっている。この反復性こそが、規範の層の本質である。
マイキー氏が規範の層について付け加えた指摘。どんなにアンチでも、これを使わないと困るよね、これがあると何かがあるかもしれないよね、という期待値を作るところが規範の役割である。教義に完全に同意していなくても行動には参加する――この層が広いほど、システムは強靭になる。
市場の列への変換は、対応が一対一で進む。顧客の問題を解決することで対価をもらう以上、商品そのものが救済策である。病気になったら医者に救済してほしい、ビジネスが行き詰まったらコンサルタントに頼みたい、頭が悪いと感じたら学校や大学の先生に教えてもらいたい。これらはすべて救済の要求であり、それに応えるものとして理想の層が置かれる。マイキー氏の整理では、この層に入るのは「解決された未来」であり、美・健康・富・効率性・環境の調和といった、消費者が求めているものの到達点である。
規範の層は、使用法と使用の容易さ、そして購買行動までの流れである。ここでマイキー氏が挙げた論点は鋭い。「これですごく解決できますよ、あなたはこれから頭が良くなりますよ」と言われても、その教科書がむちゃくちゃ難しすぎたり、むちゃくちゃ使いにくかったりしたら、使い続けない。だから使いやすさが決定的に重要になる。理想がどれほど魅力的でも、規範の層が重いとシステムは回らない。ここでマイキー氏はキャズムに言及し、規範の設計がキャズムを超える条件になると述べた。
イデオロギーの層は、世界観・エビデンス・ブランドである。科学的根拠、データ、伝統、文化、そしてそれらを正当化する物語。マイキー氏はここでブランディングという語を当てている。歴史があること、ブランド品であること、そういったものが安心性を作り上げ、製品に対するイデオロギーの構築になる。
マイキー氏はこの三層を機能の側から言い直した。どうやって人に注目していてもらうのか。どうやって人を依存させるのか。どうやってそれが当たり前のものになっていくのか。この三段階が揃うことによって、サービスは永続的に続く。逆に言えば、どれか一つが欠けているサービスは、どこかで人が離れる。
マイキー氏はこの図を、意図的に「依存性を高める」「囲い込み」といった強い語で説明している。これは商品設計を宗教のアナロジーで説明する以上、避けられない帰結でもある。ただしここで語られているのはマイキー氏の見解としての設計論であり、その倫理的な妥当性については講義中に別途の検討はなされていない。反復購買を促す設計と、消費者の判断能力を損なう設計の線引きをどこに置くかは、この図の外側で各自が引くべき問題として残る。
参加者からの質問をきっかけに、議論は最も実務的な地点へ降りた。ある参加者が「価値とこの図の要素がいまいち繋がらない」と質問し、マイキー氏はそれを受けて質問者に逆に問いを投げた。サービスをやっているとして、その価格は何をもってその価格なのか、全部説明できるか。質問者は「できない」と答えた。
マイキー氏の畳みかけはこうである。人件費、家賃、材料費といったものを挙げるとして、それは相手に関係があるか。ない。ならば価格の説明はどうやってするのか。つまり、いま言っている価値というものは、すべて主観でやっている。
ここでマイキー氏は、主観であること自体は否定しないと明言した。問題は、その主観をどう妥当化するかである。納得してもらえる金額であるという状態をどう作るか。マイキー氏が例に挙げたのは、美容クリニックが市販の化粧品をそのまま施術に使ったら誰も買わないが、「この成分はブラジルでしか採れず、イタリアで広く使われていて、アメリカでFDAの認可も通っている」という説明が付くと価値があるように感じられる、という構図だった。参加者が「それはデータですよね」と応じたのに対し、マイキー氏は「ストーリーですよね、今の」と訂正している。
「もうすでにこれも主観なんですけど、主観を妥当化させるために必要なのは数字じゃなくてストーリーです」――マイキー氏。価格の正当性を原価の内訳で説明しようとする限り、それは相手にとって無関係な情報の羅列にしかならない。到達点(理想)、そこへ至る行動(規範)、それを裏づける物語(イデオロギー)の三点が揃ったときに初めて、金額に妥当性が生まれる。
マイキー氏はこの構造をBtoBの提案にも展開した。あなたの会社はこのままいくと死にます(欠落感の自覚)、過去に同じケースで潰れた会社がたくさんあります(裏づけ)、では何をすればいいのか、毎日勉強しましょう、うちのコミュニティに入ってください(行動指示)、うちのコミュニティにはこういう人がいて、こういう学問があって、こういう資料がある(正当化)――という順序である。プレゼンテーションで「遅刻したら救済しろ」といつも言っているのはまさにこれだ、とマイキー氏は自身の指導内容と接続した。
ここでマイキー氏は、人が理想を持つ理由にも触れている。自分に何の問題もなければ商品は買わない。自分が完璧な人間で永遠の命と永遠の健康を持っているなら、何も買う必要がない。だからこそ人は、いつまでも若くありたい、いつまでも元気でありたいと理想を持ち、筋トレをし、美容グッズを買う。欠落感と理想はセットで機能する。
前田氏が図の機能の列を見て、規範の層にある「高頻度・依存性」がイデオロギーへ繋がるイメージになるのではないかと指摘したところから、儀式化の議論が始まった。前田氏はイデオロギーの層に「囲い込み」という語を入れてもよいのではないかと提案し、規範の層にある儀式を英語ではリチュアル(ritual)と呼ぶと補足した。そして、宗教において価値を感じさせる最も強力な手段は儀式だと言われている、と述べた。
マイキー氏はこれを市場に移し替えた。市場も同様に、消費行動を儀式化することによって、その商品が特別だという状態を作れる。使えば使うほど人は慣れてくる。パソコンも最初はすごく使いにくいが、あるときから急に使いやすくなる。ゲームも最初は難しいが、どんどん操作できるようになってその世界に沼っていく。この儀式化そのものが依存性を増していく。
マイキー氏が最も具体的に語ったのがAppleの箱である。スティーブ・ジョブズがやったのは、精密に設計された箱を作り、デバイスに触れるまでの行為を礼拝のように演出することだった。単なる家電ではなく、一段上の段階に持っていくことによって、最初の依存性を高める儀式を作っている。これがAppleの箱の作り方だと言われている、というのがマイキー氏の説明である。
マイキー氏は後に、機能性だけを比較すればAndroidのほうが上だが、Appleは入り口が強い、と述べている。開封までの流れという体験の設計が、機能の差を上書きしている。
儀式化が価値の知覚を高めるという主張には、心理学の実証研究がある裏取り済。Kathleen D. Vohs、Yajin Wang、Francesca Gino、Michael I. Norton による論文「Rituals Enhance Consumption」(Psychological Science, 2013年, 24巻9号, 1714–1721頁)は、四つの実験によって、儀式的な行動が続く消費体験を増幅することを示した。対象はチョコレート、レモネード、さらにはニンジンにまで及んでいる。
主な知見は次の通り。儀式化された行動をとった参加者は、そうでない参加者に比べてチョコレートをより風味豊かで、より価値があり、より味わうに値すると評価した。無作為な身振りは儀式的な身振りほど消費を高めない。儀式と消費機会のあいだに遅延があると、楽しさはむしろ高まる。そして、自分で儀式を行った場合のほうが、他人が同じ儀式を行うのを見るだけの場合より効果が大きい。最後の点は重要で、儀式は観察させるのではなく参加させないと効かないということを意味する。
Appleのアンボクシングは、この研究を消費行動の文脈で説明する際の代表例としてしばしば引かれている。ただし、Appleが Vohs らの研究を参照して箱を設計したという事実関係が確認できるわけではなく、あくまで後から研究がその効果を説明しているという順序である点は区別しておきたい。
議論の中では、Appleのほかにいくつもの事例が挙げられた。参加者からはNetflixのオープニング演出が挙げられ、マイキー氏は「頭になかったが、そうかもしれない」と応じている。高級車の納車式や会員制クラブの入会手続きも、通過儀礼のような機能を持たせることで「あなたは選ばれた者です」という自覚を促す装置として言及された。物理的な機能にプラスして体験的な記憶を入れることで、そこに価値があるかのように入り口へ入っていく、という構図である。
マイキー氏は中国の家電の箱にも触れ、開封までの流れがめちゃめちゃ凝っていること、特に新規商材や新規商品において開封の流れが工夫されていることを指摘した。VRやARのグラス類は、実体としてはメガネやヘッドホンに近い製品だが、海外・アメリカのメーカーはこれをきわめて儀式的に作っており、開けているところから面白い、と述べている。
さらにマイキー氏は、コンサルティングファームや教育機関が作るメソッドやフレームワークも、この神格化の一種だと述べた。自分たちのフレームワークが唯一の解決方法だと提示し、たとえばSWOT分析のようにグリッドで分けることによって、いま抱えている問題に秩序を与えますと打ち出す。マイキー氏の解釈では、この秩序を与えられた時点ですでにイデオロギーの注入は始まっている。フレームワークを作ることによって、今までぐちゃぐちゃだった考え方を自分たちの型に流し込む――これがフレームワークの作り方のポイントだと、本人は述べている。
マイキー氏はこの発言を、まさに自分が即興で作った3×3のフレームワークについて説明している最中に行っている。「フレームワークは秩序を与えることでイデオロギーを注入する装置である」という説明は、この図自体にも当てはまる。この自己言及性を本人が意識していたかは記録からは判断できないが、フレームワークを受け取る側としては押さえておくべき視点である。
議論の後半、マイキー氏は価値を引き上げるもう一つの装置として卓越化を挙げた。最も分かりやすい例として挙がったのが、難解な現代アート、複雑な作法を伴う茶道、歴史的背景を持つヴィンテージワインである。これらを解釈するためには何が必要か。知識である。そして知識を要求するということはどういうことか――マイキー氏は「排除するシステムなんですよ」と言い切った。その知識を持たない人には理解ができないからである。
この語の選択については、参加者から異論が出た。ある参加者は「排除という言葉より、区分という言い方のほうが適切ではないか」と述べたのに対し、マイキー氏は「排除のメカニズムという理論があり、学術的に区分ではなく排除という表現をするので、そう言った」と説明した。参加者は納得し、議論は続行された。
マイキー氏の続きはこうである。そうすることによって、内部の人間にとっての優越感が構成される。そして重要なのは、メインストリームの文化に対抗するようなカウンターカルチャーやサブカルチャーのようなものが、最も強力な価値の源泉になると言われている、という点だ。
マイキー氏はここでダグラス・ホルトの名前を挙げ、文化的ブランディングという概念に触れた。事例として語られたのがハーレーダビッドソンである。アメリカがずっと抱えていた問題は個人の自由が失われていくことであり、その状況の中でハーレーが作ったのが「無法者の自由」を神格化するというビジョンだった。結果として、バイクに乗るときに革のジャケットを着るといった、ややアウトロー的な要素を取り込むことで絶対的な価値を持ち始めた。これが神格化となり、イデオロギーになっている。だから今なお売れ続けている、という説明である。そしてそれを否定する人たちは、そこから排除される。
ダグラス・ホルト『How Brands Become Icons: The Principles of Cultural Branding』は2004年刊である裏取り済。ホルトはアメリカの代表的なアイコンブランドの歴史分析に基づき、ハーレーダビッドソンについて「モーターサイクル・クラブが無法者のエートスを発明した」という節を設け、『乱暴者(The Wild One)』や『イージー・ライダー』といった映画作品が無法者の神話をハーレーに縫い付けていった経緯を辿っている。ホルトの主張は、アイコンブランドは「アイデンティティの神話」を作り出し、それが強力な象徴を通じて、急激な社会変動から生じる集合的な不安を鎮める、というものだ。そして、便益や情緒的関係に焦点を当てた従来型のブランディング戦略ではアイコンは作れず、より深い文化的な視座と固有の原理が必要になる、と説く。マイキー氏が語った内容は、この議論の骨格を正確に押さえている。
一方、「排除のメカニズム」「卓越化」という語彙の学術的な出どころとしては、ピエール・ブルデューの『ディスタンクシオン』(1979年)が主要な参照点になる裏取り済。ブルデューは、文化資本を多く持つ人々が何が趣味を構成するかを決定でき、資本量の少ない人々はその高低の区別を正当かつ自然なものとして受け入れる、と論じた。教育制度が支配階級の文化資本を「正統な文化」として承認し、それを持たない階級を排除するメカニズムとして働くという指摘もここに含まれる。さらにブルデューは、支配的な趣味の形式を受け入れること自体が「象徴的暴力」の一形態だとした。象徴的暴力とは、支配されている側が自分が支配されていると気づかない形の暴力であり、被支配者が支配の構造を「自然な差」として受け入れ、支配に積極的に協力してしまう状況を指す。
したがって、マイキー氏が「学術的には区分ではなく排除と表現する」と述べたのは妥当である。ただし講義中にブルデューの名前は出ていないため、参照元は本レポートで補ったものであることを付記しておく。
チャットに寄せられた質問が、議論の質を一段上げた。質問の趣旨は、カトリックは教会中心でプロテスタントは聖書中心だが、プロテスタントにも教会という場所は必要ではないか、というものである。
マイキー氏はこれを、宗教の話としてだけでなく市場の話として読み替えた。結論としては必要だと考える、と述べたうえで、これはオムニチャネルの話に繋がると指摘している。現在はデジタルだけで完結させようとするケースが多いが、実店舗も実はきわめて重要である。この図を見た時点で、実店舗の重要性が宗教的定義を見ることによって分かるという連動になるのではないか――質問者はそれをマイキー氏に聞こうと思っていた、と述べており、質問の意図とマイキー氏の読みが一致した形になった。特に規範の層にあたる部分をしっかり回していくとき、その基盤を作るのに実体のある場が必要になる、という捉え方ができる。営業拠点は必要だ、人の集まる場所が必要だ、というのがマイキー氏の答えだった。
ここで渡辺氏が、宗教史の側から重要な補正を加えた。プロテスタントにおいて、ある意味で教会にあたる部分は家族・家庭である。信仰に応える個人の生において、それが実現するということであるから、教会という一つの形ではなく、それを理解し、それを神の意思として、そしてそれを実現する社会的活動として、その拠点が個人であるという考え方をする。これが近代の個人主義と関わってくる。したがって、必要というよりもすでにできているのだ、というのが渡辺氏の答えである。
質問者がこれを受けて「プロテスタントの聖書主義は家庭主義とイコールという理解でよいか」と確認したのに対し、渡辺氏は「そうでよろしいと思います」と応じた。
マイキー氏の「実店舗は必要」と渡辺氏の「拠点はすでに個人である」は、対立ではなく階層の違いである。マイキー氏は事業者側から見た接点設計の話をしており、渡辺氏は信仰の側から見た拠点の所在を述べている。両者を重ねると、「場は必要だが、その場は必ずしも事業者が用意した建物である必要はなく、顧客の生活空間そのものが拠点になりうる」という設計上の示唆が出てくる。
マイキー氏は続けて、日本の宗教が寺を構えるのはなぜか、立地主義とは何かという論点を投げた。立地に構えてそこにプラットフォームを作るという思想だったはずだ、というのがマイキー氏の見立てである。これに対し参加者の一人が、幕末期にお布施をもらいながら活動していた僧侶の話をよく聞いていたと応じたが、渡辺氏は「それは全体を表現してはいない」と指摘し、参加者もマイキー氏もその指摘に同意した。立地主義が日本のあり方である、という点で議論は一致している。
アンボクシングと名刺の話題から派生して、参加者の一人が渡辺氏の名刺について話を振った。渡辺氏の名刺は一枚一枚異なっており、それを見たときにすごいと思った、その意図を聞かせてほしい、という依頼である。
渡辺氏の説明はこうだった。名刺を24種類作っており、それぞれの裏に古典の言葉が書かれている。相手と少し話をしたうえで、この人にはこの言葉を送ろうと決める。中国では、その国の文化や古典、ある人物を知っていること自体が強くリスペクトされる。だからその言葉があるだけで共通の意識が生まれ、同じ価値観や同じ出来事を共有しているということで一気に距離が近くなる。あるいは自分たちの文化をこんなふうにしてくれているのだ、という受け止め方をしてもらえる。渡辺氏は、この人にはこれ、と選んだうえで、あえて裏を表にして相手に渡す、と述べた。台湾を一緒に回った際に一人ひとりに違う名刺を渡していたのを隣で見ていた参加者から、何種類持っているのかと聞かれたのがこの話の発端だったという。
渡辺氏はさらに、この工夫の動機を率直に語った。一対一のその場で相手の興味を聞いたり、相手の好きなことを掘り下げて聞いたりすることには逆に苦手意識がある。だからこちらのルール、こちらの流れに持ってくる。自分の得意分野については「こういう言葉についてどう思いますか」と問える一節が書かれている。そういうものがあれば、お互いに話が膨らむのではないか、という自分なりの工夫だった。それがプレゼンテーションになっていればよい、というのが渡辺氏のまとめである。
この事例は、PART 5の儀式化とPART 6の卓越化の両方を同時に体現している。相手のために一枚を選ぶという行為が儀式であり、古典の一節を共有できるかどうかが知識による選別として働く。そして渡辺氏自身は、これを「自分の苦手をこちらの土俵に引き込むための設計」だと説明している。儀式化は必ずしも相手を囲い込むためだけの装置ではなく、自分の弱みを回避する構造としても機能しうる、という別の読み方がここに現れている。
マイキー氏も中国の名刺文化に触れ、折りたたみ式の名刺を挙げた。開くとそこにメールアドレスと電話番号が書かれている、という仕掛けで、20年以上前からあるものだが、見たときによくできていると感じたという。ただのカードを渡すのではなく、人に見せたくなるような名刺にする。渡辺氏はこれを補足して、中国ではディスプレイに気を配ると述べ、開くだけでなく、引いてみると形ができる、ずらしてみるといった仕掛けがあることを挙げた。渡辺氏はこれも一つの儀式のようなものだと位置づけ、さらに書体を選ぶことについても、人はそれぞれ書体に対する美意識を持っており、どの書体を好むかだけでその人のステータスが出てしまう、と述べている。