講義本編に入る前の40分間、講師が一日かけて調べ上げた中国のAI研究基盤の話が続いた。数字の一つひとつが、日本から見える景色とあまりに違っていた。
この回は、マルクス『資本論』の連続講義の一コマとして予定されていた。ところが定刻前の雑談が、そのまま40分間の中国AI論に流れ込んだ。きっかけは前日に発表されたMicrosoft・NVIDIA・Anthropicの三者提携である。講師はこれを「AI業界がバカおもしろい」と評したうえで、なぜ従来仲の悪かった当事者同士が突然手を組んだのかという問いを立て、その答えを「それだけ中国が強いから」という一点に置いた。
そこから講師は、その日一日、面談をこなしながら並行して調べていたという中国の大学のデータを次々に出していく。清華大学のAI特許数がアイビーリーグ主要校を上回っていること、AI研究論文の被引用数上位100件で単独首位であること、大学内に300の研究所を抱えていること、学生が大学内で設計した光電融合チップがNVIDIAのA100を超えるエネルギー効率を出していること、そして中国のSTEM教育を受けた卒業生が毎年500万人規模で出てくること。個々の数字は断片的だが、講師はそれらを「腹いっぱいになるレベル」と表現し、日本の上場企業がつくる資料より中国の大学生の論文のほうが水準が高い、という所感まで述べている。
興味深いのは、講師がこの優位を制度や資金だけで説明していない点である。中国の学生は遊ぶ金がなく16人部屋で勉強していること、地域から代表として送り出され「水路をつくる」「農業問題を解決する」といった具体的な使命を背負っていること、そして何より彼らが助け合うネットワークを持っていること。講師は自身の米国留学時代の実感として「日本人は孤立している。優秀さは同じでも、彼らはどう助け合うかを知っている」と述べ、優位の源泉を人的ネットワークの構造に見ている。
締めくくりは日本の評価制度への批判だった。伊藤穰一氏がデジタル庁の事務方トップに起用されかけて外された件を引き、「あの人より優秀な日本人を連れてきてみろ」「メンツだけで潰した」と語る。ここには重要な事実関係の食い違いがあり、本レポートでは公開記録と並べて明示した。
優位は「一人あたりの優秀さ」ではなく「人数 × 密度 × 横断性 × 助け合いの回路」で決まる。中国の数字が示しているのは天才の存在ではなく、天才が生まれる確率を制度で押し上げたエコシステムであり、日本が負けているのは能力ではなく回路のほうだ、というのが講師の見立てである。
定刻前の雑談は、講師が面談で「一人殺した」という物騒な言い回しから始まった。中身は物騒ではない。講師は「意思決定の遅い人が苦手」だと言い、「ちょっと考えます」「検討します」と口にする相手を信用していないと述べる。Zoomを切ろうとしたら「ちょっと待ってください」と言われたので、そこから淡々と詰めたという。結果としてその相手は入会し、講師は「講義に出てきた瞬間に公開処刑する」と笑っていた。この一連が単なる冗談ではないのは、後半のベンチャーキャピタルの評価基準の話――創業者に求められるのは学習能力と適合力である――と正確に対応しているからである。
次に出てきたのがゲームの話で、ドラゴンクエストIIのキャラクター名を全部社会風刺的な名前にして冒険しているという。3では弾かれる名前だがここでは通るらしい、という細部まで含めて、講師の「面白いかどうか」を判断軸に置く性格がよく出ている。
そして交渉の話。パソコンが充電できたりできなかったりする不調で、面談中に2回落ちたという。そのパソコンは元値17万円のものを11万円で買ったもので、家電量販店で「相手の店員がぶち切れるまで」値切ったのだという。「帰ってくれと言われてからが勝負」で、最後にSDカードまでもらって帰る。同席者がドバイでの類似のエピソード――新車を買うついでに店のチョコレートを全員分持ち帰った、アイス店で「ガリガリ君がない」とクレームを入れてアイスを半額にさせた――を持ち出し、講師は「面白くなっちゃうから」やっただけだと答えている。
「流れるようにやるから、どういうことと言っている間に持って帰る」という交渉の描写は、後半で語られる「アナログデータは足で稼ぐ」という主張の実演になっている。値切りもガリガリ君も、机上のデータからは絶対に出てこない一次情報の取り方であり、講師の主張はこの雑談段階ですでに始まっている。
参加者が集まり始めたところで、講師が「AnthropicがMicrosoftと契約しましたね」と切り出す。同席者が「そこまでまだ……わからなくなってきましたね」と応じ、講師は「わからなくなってきた。めっちゃおもろい」と返す。ここで講師が指摘したのは、NVIDIAとAnthropicがもともと極めて仲が悪く、これまで一切の絡みがなかったという事実である。その両者が組んだ理由を、講師は「それだけ中国が強い」ことに求めた。「ジェンスン・ファンが明白に言っている」とも述べている。
同席者はここから、短期的にはAWSにとってもAnthropicとの関係強化にメリットが大きいのではないかと問い、講師は「でかいと思います」と同意している。
2025年11月18日、Microsoft・NVIDIA・Anthropicが戦略提携を発表した。Anthropicは最低300億ドル分のAzureコンピュート購入をコミットし、追加で最大1ギガワット規模の計算能力を契約する。出資はMicrosoftが最大50億ドル、NVIDIAが最大100億ドル(合計150億ドル)で、これによりAnthropicの評価額は約3,500億ドル規模とされた。2025年9月時点の1,830億ドルからおよそ倍増している。この提携でClaudeは、Microsoft・Amazon・Googleという三大クラウドすべてで利用可能な唯一のフロンティアモデルとなった。
「NVIDIAとAnthropicは仲が悪かった」という講師の発言は、公開記録とよく一致する。2025年6月、ジェンスン・ファンはVivaTechで、ダリオ・アモデイの発言について「ほとんどすべてに同意しない」と述べた。アモデイが「AIが今後5年で失業率を最大20%押し上げうる」と警告したのに対し、ファンは「AIははるかに多くの、より良い仕事を生む」と反論している。ファンはさらにAnthropicの姿勢を「AIは危険すぎるから自分たちだけがやるべき、という主張だ」と批判し、8月にはアモデイがファンの描写を「あからさまな歪曲だ」と反論した。Anthropic側がNVIDIAの対中チップ輸出をめぐって問題提起した経緯もある。したがって講師の「一切絡みがなかった」という認識は正確で、11月の提携がなぜ「わからなくなってきた」と評されたのかも文脈上納得できる。
ただし、この提携の理由を「中国の圧力」に一元化する点は講師の解釈であり、当事者の公式発表はモデル最適化とクラウド供給の相互補完を理由に挙げている。中国要因は複数ある動機の一つと見るのが妥当である。
講師が「前田さん、ここ調べておいてください」と名指しで挙げたのが Sapient Intelligence(サピエント・インテリジェンス)という企業である。シンガポールを拠点とするが、メンバーは全員清華大学の出身だという。講師が強調したのは推論性能で、「HRM」と呼ばれる新しい技術がエッジコンピューティングで使えること、そしてトレーニングサンプルが圧倒的に少ないのに圧倒的な数字を出していることを挙げた。「トレーニングデータだけで言えばAnthropicより高い」とまで述べている。
ここで講師が繰り返したのは、アプローチの違いである。「アメリカみたいに札束でバカみたいにデータを集めてトレーニングさせるのではなく、人工知能なんだからと脳科学からちゃんと入って設計している。だからラーニングスピードが圧倒的に速い、少ないサンプルで」。同席者はこれを「基本的な枠組みから作るのは中国のこれまでの大学と同じ。まず重工業から作って、それから軽工業へ橋渡しする。中国は根本から始めるところがある」と受けている。
Sapient Intelligenceはシンガポール拠点のAIスタートアップで、創業者兼CEOはGuan Wang。2025年6月にarXivで公開されたHRM(階層的推論モデル)は、人間の脳が「遅く熟慮的な計画」と「速く直観的な計算」という別々のシステムを使うことに着想を得たアーキテクチャである。パラメータ数はわずか2,700万で、事前学習もChain-of-Thoughtデータも使わずに、約1,000件の訓練サンプルだけで難解な数独や大規模迷路の最短経路探索においてほぼ完璧な性能を達成したと報告されている。2025年7月にオープンソース化された。
研究チームには清華大学のほか、北京大学、UCバークレー、ケンブリッジ大学、アルバータ大学の研究者、さらにGoogle DeepMind・DeepSeek・Anthropic・xAI の出身者が含まれる。したがって「メンバー全員が清華大学」という講師の発言は誇張で、正確には「清華大学を含む複数機関の混成チーム」である。要確認
「トレーニングデータだけで言えばAnthropicより高い」という比較についても注意が必要である。HRMが優れているのは「訓練サンプル効率」であり、数独・迷路といった構造化された推論タスクでの評価である。汎用的な言語能力でClaudeを上回るという主張ではない。ベンチマークの土俵が異なる比較なので、この点は分けて理解する必要がある。なおSapientはその後HRM-Textを発表し、最大1,000分の1のトークン数で訓練する言語モデルとして「LLM独占への挑戦」を掲げている。
同席者が「Cambricon(寒武紀)だけを見ていてもすごい」と述べ、講師も同意している。講師は「サピエントは推論が強い」と、両社の得意領域を分けて捉えていた。
寒武紀は2025年通年で売上65億元、純利益20.6億元を計上し、2016年の創業以来はじめて通年黒字化した。2025年上半期の売上は28.8億元(約4.04億ドル)で前年同期比4,348%増という異常な伸びである。主要顧客はByteDanceとされ、思元590チップを約20万個発注したと報じられている。2026年は出荷50万台(2025年推計11.6万台)を目標としているが、SMICの生産能力が制約になるとの見方もある。講師が2025年11月時点で「Cambricon だけを見てもすごい」と評した判断は、その後の決算で裏づけられた形である。
ここから講師は、清華大学に絞った数字を並べていく。まずAI特許数について、「ハーバード、プリンストン、カルテック、スタンフォード、MIT、カリフォルニア大学よりも清華大学のほうがパテントが多い」と述べ、「もう勝てない」と評した。さらに「中国は20年間でAI特許を5,000件獲得している。これは世界全体の半分を占めるが、そのうち900が2024年に出ている」と続ける。
論文についても、「最新のAI研究論文の被引用数上位100件のうち、単独で最も多いのは清華大学の論文」だと述べている。そして比較対象として、スタンフォード大学のHAI(Human-Centered AI研究所)がまとめているAIレポートに触れ、「そこより精度が高い」と評した。
この数字の出所はほぼ確実に、2025年11月18日付のBloombergの特集記事である(勉強会の前日)。同記事によれば、清華大学は2005年から2024年末までにAI・機械学習関連の特許を4,986件取得しており、これはMIT・スタンフォード・プリンストン・ハーバードの4校合計を上回る。年間ベースでもこの4校合計を上回っており、2024年単年では900件超を取得した。また、被引用数上位100件のAI研究論文のうち、清華大学が最多を占めるという記述もある。講師の「20年間で5,000」「そのうち900が2024年」「引用数トップ100でAI1位」という発言は、いずれもこの記事の数字とよく一致している。
一方で、講師が言及していない重要な反証が同じ記事にある。特許の「影響力」ではハーバードとMITが一貫して清華大学を上回っている。Stanford HAIのAI Index 2025によれば、注目すべきAIモデルの数は米国40件に対し中国15件である。つまり量では中国が圧倒しているが、質・影響力の指標では依然として米国が優位という構図であり、講師の「もう勝てない」という結論は量的指標に強く依存している。
「中国が世界全体の半分」という点は、対象を絞ればむしろ控えめな数字である。WIPOの生成AI特許ランドスケープ報告によれば、2014〜2023年に出願された生成AI特許約54,000件のうち中国が38,000件超、すなわち約70%を占め、米国(6,276件)の約6倍である。ただしこれは生成AI分野に限った数字で、AI全体では比率が異なる。要確認
講師は続けて、「まだ未完成品だが」と断りつつ、清華大学内で設計されたAIチップの話をした。名称は「アクセル」と呼ばれ、エネルギー効率がかなり良く、「A100は超えている」という。参加者が「汎用型GPUということか、ASICではなく」と問うと、講師は「そうです。ただASICっぽくなってしまっている。並列計算がまだできない。単体だけでエネルギー効率が改善されていて、これを大学内の学生が作っている」と答えた。
講師が「アクセル」と呼んだのは、清華大学の戴瓊海(Dai Qionghai)院士と喬飛(Qiao Fei)副研究員のチームが開発した ACCEL(全アナログ光電融合計算チップ)と考えられる。2023年10月にNatureに「All-analog photoelectronic chip for high-speed vision tasks」として発表されたものである。
性能は、ImageNetを含む知的視覚タスクで同一精度において既存の高性能GPU比で演算能力3,000倍、エネルギー効率400万倍と報告されている。システムのエネルギー効率は74.8 peta-OPS/W、計算速度は4.6 peta-OPS/s(うち99%は光学的に実装)である。
ここで講師発言と食い違う重要な点がある。ACCELは汎用GPUではない。光アナログ計算と電子アナログ計算をワンチップに統合した専用の視覚タスク向けアーキテクチャで、デジタル演算ユニットに依存しない設計である。講師自身も「ASICっぽくなってしまっている」「並列計算がまだできない」と述べており、体感としては正しく捉えている。ただし「汎用型GPU」という言葉で受け取ると誤解する。また、講師が「学生が作った」と述べた点も、正確には院士級の教授が率いる研究室の成果であり、学生単独の作品ではない。要確認
講師が最も強調したのが人数である。「アメリカの卒業生でSTEM教育を受けたのが約80万人。中国は毎年500万人を超えているらしい。だからもうどう考えても勝てない。これは桁が違う」。
米国の約80万人という数字は各種統計とよく一致する。2020年時点で米国の理工系学士号授与数は90万人弱である。一方、中国の「500万人」は上限寄りの推計である。CSET(ジョージタウン大学)などの集計では中国の年間STEM卒業生は約357万人とされることが多く、米国の4〜5倍という水準になる。500万人という数字は、専科(短期高等教育)を含めた広義の集計と考えられる。要確認
博士レベルではさらに差が開く。2025年時点で中国は年間77,000人超のSTEM博士を輩出し、米国は約40,000人である。ただし米国は留学生・高技能移民の吸引力で労働力を補強しており、単純な卒業生数だけで優劣は決まらない、という留保も各報告に併記されている。
講師は清華大学に300の研究所があると述べ、世界ランキングでは「人工知能、工学、コンピューターサイエンス、材料科学、物理科学、環境科学が世界1位」だと語った。さらに通信についても「光データでやっている。大学が光でやっている」と述べ、「このペースだと10年でアイビーリーグは抜かれるのではないか。オックスフォード、ハーバード、清華大学という並びになるかもしれない。というか、もうすでに実質的にはなっている」と結論している。
「6分野すべて世界1位」という発言は、ランキング体系によって成否が分かれる。US News の2025年版学問分野別ランキングでは、清華大学はコンピューターサイエンスと人工知能で世界1位である。CSRankingsでも清華大学が長年首位だったカーネギーメロン大学を抜いてコンピューターサイエンス首位に立った。一方、QS世界大学ランキング(分野別)2025では清華大学のトップ10入りは6分野で、材料科学は6位である。したがって「AI・CSでは複数の主要ランキングで1位」は正しいが、「6分野すべて1位」は特定の指標体系に限った話であり、一般化はできない。要確認
数字の話が一巡したところで、中国の大学に詳しい参加者が加わり、議論は人の側に移る。参加者は「ほぼ中国の決援エリートが入っている。数学オリンピックなら普通に入れるくらいの層。中国は基本的に文系大学が多いので、そこで理系に相当な金を注ぎ込んでいる」と述べた。
講師は自身の留学経験から、対照的な観察を出す。「僕がアメリカにいたときにずっと一緒にいたインド人や中国人は、金を持っている連中だった。アメリカに行けるということは。どちらかというと舐められたくないという気持ちのほうが大きくてずっとやっていた。特に中国人は馬鹿にされていたので、そいつらを見返すために引きこもってずっと勉強しているような連中ばかりだった」。
参加者はさらに国内組の実情を補足する。「彼らは純粋で、ほぼ遊ばない。遊ぶ金がないのと、人数がぎっしりなので競争が当たり前。16人部屋で机が2つ、これが普通です」。そして動機についても、「地域から選出されて来ている人が結構いる。水路を作る、この地域の農業問題を解決する、水質問題を解決するといった具体的な目標で来ている」と述べた。
資金力のある家庭出身。動機は「舐められたくない」「見返したい」という対抗心。行き先はジョンズ・ホプキンズ大学が多く、台湾勢はデュークが多いという観察も出た。米国の仕組みを理解して本国に持ち帰るパターン。
16人部屋・机2つという居住環境。遊ぶ資金がなく競争が常態。動機は地域や家族から託された具体的な課題解決。清華大学の理念(義和団事件の賠償金を原資とする設立経緯)に由来する「国恥を雪ぐ」というメッセージが効いているという指摘。
参加者が触れた「義和団事変の賠償金で作られた」という指摘は正確である。セオドア・ルーズベルト大統領は1908年から1909年にかけて議会の承認を得て、義和団事件の賠償金のうち約1,080万〜1,160万ドル分を減免し、その資金を中国人学生の米国留学奨学金に充てることを条件とした。北京の清華学堂はこの庚子賠款奨学金プログラムの公式予備校として1911年4月29日に開校し、1929年に清華大学となった。プログラムは1909年から1929年まで運用され、1,200名超を米国128大学に送り出している。分野は工学・理学・行政学が重視された。
つまり清華大学は、その出自からして「米国から学んだものを本国に持ち帰る」ための装置として設計されている。参加者が指摘した「アメリカから学んだものを持ち帰った人物の伝記を国が丁寧に報道する」という文化は、この設立理念と一貫している。
参加者は、中国が「アメリカで学んだものを全部持ち帰った人物」の伝記を大量に報道してきたと述べ、原子爆弾の開発者を例に挙げた。「我々の先輩たちはアメリカでこういうことを学んできて、一人で原爆の技術を持ち帰った、という人物紹介をしている」。講師は「アメリカからは泥棒扱いされている人ですけど」と受け、モリス・チャン(張忠謀)がテキサス・インスツルメンツで学んだあとTSMCを作り、その後トランプに叩かれたという例と並べた。
会話中の人名は音声上不明瞭だが、文脈からは銭学森(Qian Xuesen)を指していると読める。銭学森は1935年に渡米してMITで航空工学を学び、1936年にカリフォルニア工科大学に移ってセオドア・フォン・カルマンに師事した。1949年にカルテックのジェット推進研究所(JPL)所長となったが、マッカーシズム期に共産主義シンパと疑われて国外退去となり、帰国後「中国ロケット工学の父」となった。つまり銭学森はミサイル・ロケットの人物であり、原子爆弾ではない。
中国最初の原子爆弾開発を主導したのは鄧稼先(Deng Jiaxian)で、西南聯合大学を卒業後に渡米し、1950年にパデュー大学で物理学博士号を取得している。1986年に中国政府が公式に「原爆の父」と位置づけた人物である。したがって「アメリカで学んで原爆技術を持ち帰った」という物語構造は事実として成立するが、その主語は銭学森ではなく鄧稼先である。なお銭学森がマンハッタン計画に参加したという記述が一部に流布しているが、これは信頼性が低く、慎重に扱うべきである。要確認
講師が論文を読んで最も印象に残ったこととして挙げたのが、「AIだけをやっていない」という点である。「自分の得意分野だけでやっていない。何かしらの学問を横断させてやっている。自分の得意分野だけ先行していますという感じじゃない」。Sapientの創業メンバー2名についても、1人は金融畑で、2人ともミシガンで育ったあと清華大学に行ったという経歴を挙げ、「アメリカの金融の仕組みをちゃんと理解して中国に持ち帰って作ったんだなという感じがした」と述べている。
講師はさらに、清華大学の周囲に中国国有のベンチャーキャピタルが「張り付き状態」でいて、大学生がいつでも資金調達できるエコシステムができていると指摘し、これを「80年代のアメリカみたい」と評した。「学生が教授と一緒にシリコンバレー銀行を作ったのと同じように、清華大学の中にベンチャーキャピタルが学生を引き込んでいる」。大学生でありながらエコシステムを理解し、金融知識も持っている、という点を講師は繰り返している。
講師は日本について、「日本の東大生が勝てるとは思えない」と述べる。理由は能力ではない。「優秀さは同じだとしても、孤立しているんですよ、日本人って。彼らはネットワークを作るし、しかもどうやって助け合うかを知っている。日本人は絶対に助け合わない。足を引っ張るだけ」。
ここで講師が持ち出したのが、ある日本企業が実施したというインターンの逸話である。中国の優秀な学生200人、インドの優秀な学生200人、日本の優秀な学生200人、計600人を集めて問題解決能力のインターンを行い、600人全員にランキングをつけたところ、日本人が150位以内に一人も入れなかった、というものである。
「600人インターンで日本人が150位以内ゼロ」という具体的な事例は、企業名が伏せられていることもあり、公開情報からの確認ができなかった。数字としては強い印象を残すが、出所不明の逸話として扱うべきである。ただし、この逸話が支えようとしている論点――日本の若手が国際的な競争環境で相対的に劣位にある、という主張――については、国際数学オリンピックの成績や国際共著論文比率など、より確認可能な代替指標で検証する価値がある。要確認
参加者が「日本でそういう方向性を持って学んだ人を取り上げているかというと、ピンとこない」と述べたのを受けて、講師は伊藤穰一氏の件を持ち出した。「デジタル庁のときに伊藤穰一さんが長官になれたときに、まさに伊藤穰一なんか日本のアインシュタインですよ。あれが、人間関係が悪いとか言って外しちゃうくらいですから」「メンツだけで潰しましたからね」「あの人より優秀な日本人を連れてきてみろ、絶対にいないから、というくらいのレベルなのに、あれを落とすんですもん」。講師はまた「別にそれだけ優秀だったら犯罪者だろうが何だろうが僕は関係ないと思う」とも述べている。
ここは公開記録との食い違いが最も大きい箇所である。2021年8月、デジタル庁の事務方トップである「デジタル監」(事務次官級の特別職)に伊藤穰一氏を起用する方向で進んでいると各メディアが報じた。しかし同年8月18日、この人事は見送られた。理由として報じられたのは「人間関係」でもメンツでもなく、伊藤氏がジェフリー・エプスタインの性犯罪歴を知りながら、MITメディアラボおよび自身のファンドへの資金提供を受け入れていたとされる問題である。伊藤氏は2019年9月、この問題を受けてMITメディアラボ所長を辞任している。デジタル監には代わって石倉洋子氏が就任した。
講師が「MITメディアラボの所長」と評価した点は事実である(在任2011〜2019年)。しかし「人間関係が悪いという理由で外された」という説明は、公開されている経緯と一致しない。この差が生じた理由は本人に確認する価値がある。
なお講師の「優秀なら犯罪者でも関係ない」という立場は、明確に講師個人の価値判断である。対立する見方として、公職の任命では能力だけでなく被害者への配慮・組織の信頼性・ガバナンス上の説明責任が問われるべきだ、という立場があり、2021年の見送りはその立場からの判断だったと解釈できる。Business Insider Japanなどは当時、この件を「世界とズレる日本の人権感覚」という別角度から論じており、講師の「日本はメンツで潰した」という評価とは正反対の読み方も存在する。両論を併記しておく。
参加者はこれに対し、「日本の国体に関わる問題なのかもしれない。明治時代は実際に犯罪者を国家事業に引き入れている」と述べ、講師は「評価制度がちょっとバグっているんじゃないか」と締めた。この「バグ」という語は、この回の後半で「AI後に最も強いのはバグのある人間だ」という中心的な主張として再登場することになる。