「話が抽象的すぎる」という感想は、たいてい誤用である。ズームの倍率を変える操作(マクロ/ミクロ)と、情報の性質を変える操作(抽象/具体)は、まったく別の軸だ。この二軸を混ぜたまま数字を見ると、うまくいっている事業に追加投資して詰む。
この日のセッションは前半と後半で性格がはっきり分かれている。前半は前田氏によるマックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の続きで、そこから派生した「意味妥当性と因果関連性」をめぐる質疑が続いた(この前半部分は別レポートに分けた)。後半は、YouTube視聴者から届いた質問を起点に、講師が受講者へ投げた一つの問いから始まる。「僕や前田さんの話が抽象的だと思ったことがある人、手を挙げてください」。
手が挙がったのを見て、講師はそこに認識のズレがあると指摘した。彼の主張はこうだ。多くの人が「抽象的」と呼んでいるものは、実際には「マクロ的」である。マクロ/ミクロは視点の広さ・範囲・規模の軸であり、対象そのものは変えずに引きの絵にするか寄りの絵にするかを決める。対して抽象/具体は情報の性質の軸であり、色・形・名前といったディテールを削ぎ落として「要するに何か」という概念にまとめるか、逆に固有の細部へ降りるかを決める。焦点が「範囲と規模」なのか「密度と性質」なのかで、まったく別の操作なのだ、と。
この整理が実務に効いてくるのは、数字の扱いにおいてである。講師は「数字は元々抽象概念だ」と言い切った。象一頭とりんご一個をどちらも「1」と書けるのは、大きさも生物種も色も違うものから共通項だけを抜き出す抽象化を、すでに一度通しているからだ。にもかかわらず我々は「具体的な数字を出してください」と言い、数字が出た瞬間にそれを具体だと信じてしまう。前田氏もこれを補強し、「数字にしてくださいと言っている時点で、抽象が分かっていない」と述べた。
ここから話は事業判断へ落ちる。広告に100万円を投じて300万円儲かったから次は150万円、という判断を講師は「要因を理解せずに金を運用しているのと同じ」と切り捨てる。コロナ禍でマスクが売れた事業者に対しても、売れた理由が品質なのか、他社が欠品したからなのか、単に買える店がそこしかなかったからなのかは、売上という具体的な数字の中には書かれていない。一度抽象へ戻し、需要曲線という削ぎ落とされたモデルの上でその数字が何に対応しているかを確かめて初めて、その数字は具体的な数字と呼べる。だから講師は「うまくいっている事業だが、投資は一旦止めてください」と平気で言う、と語った。
「抽象的だから意味がない」と言う人は、同じ口で「具体性がほしい」と言う。だがりんごとバナナとぶどうを「果物」という概念にまとめる作業を経ないと、「果物の中でもこういうものがある」という具体には降りられない。抽象を拒む態度は、具体を追求するきっかけを自分で潰している――これがこの回の骨格である。
本題に入る前の近況報告が、そのまま後半の伏線になっていた。講師のもとに面談へ来た30代前半の男性の話である。この人物は木を紙の薄さまで加工する技術を使ったカードゲームを開発しており、講師が公開しているGRAIモデルのAIフレームワーク「3Dか」に食いついてきた。なぜあれを三次元・三進法で作ったのかを問うてきたという。
講師はカードの仕様を聞いた段階で、それが三進法で設計されていることを言い当てた。根拠として挙げたのが情報理論である。自然数の底として最も効率的なのは自然対数の底で、その値におよそ2.718。自然数の中でこれに最も近いのが3だから、三進法の情報表現が最も効率が高い――という筋道だ。加えて素粒子論に触れ、標準模型のクォークが三世代・三色という構造を持つことも、3という数字との相性として挙げた。英語ではternaryと言う、とも補足している。
枚数が144枚であることについては、相手側から二つの説明があった。一つは音響学的なもので、宇宙と最も調和する周波数が144Hzだという主張。もう一つは幾何学的なもので、正五角形の内角108度・外角72度から円を分割する関係値として144度が出てくる、というものだった。ただし講師はここで反論している。幾何学的な対称性と比較のしやすさで言えば、計算上・理論上いちばん良いのは六進法だ。それならカードのコンセプトに合うのは三進法ではなく六進法ではないか、と。相手は一発で理解して「作り直します」と答えたという。
これは情報科学で radix economy(基数経済性)と呼ばれる古典的な議論である。ある数を表現するのに必要な桁数と基数の積をコストとみなすと、コストを最小化する基数は自然対数の底 e(約2.71828)となり、整数の基数に限れば3が最も経済的で、2と4がそれに続く。したがって「三進法が整数基数の中で最も効率的」という講師の結論そのものは、確立された結果と一致する。
ただし二点、発言と一般的な理解にズレがある。第一に、文字起こしでは e の値が「2.7218」と述べられている箇所があるが、正しくは2.71828…である(別の箇所では2.718と正しく述べられており、単なる言い間違いと見られる)。第二に、この radix economy の議論は「桁数×基数」という特定のコスト定義に依存しており、これをもって e が万能の最適基数だと主張するのは過大評価だという批判も専門家から出ている。三進法の優位は理論上の一つの尺度の話であって、実装コストや誤り耐性まで含めた総合的な優位ではない。
フィボナッチ数列で144が第12項にあたるという点は正しい(1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34, 55, 89, 144)。正五角形の内角108度・外角72度も幾何学的事実であり、144度・72度・108度・36度はいずれも黄金比が現れるペンローズ・タイリングの菱形の角度として実際に登場する。
一方で「144Hzが宇宙と最も調和する周波数」という主張には科学的根拠が確認できない。地球・電離層の空洞共振(シューマン共振)の実測値は約7.83Hz、14.3Hz、20.8Hz、27.3Hz、33.8Hzであって、144Hzはそこに含まれない。144Hzや528Hzといった「宇宙の周波数」の類は、いわゆるソルフェジオ周波数と同系統の、実証を欠いた言説として批判されている。なおこの144Hzの話は面談相手の主張であり、講師自身も「そこよりも幾何学の話だった」と重心を移していた点は公平に付記しておく。
この人物は稼ぐ能力は高いものの全資金をカードゲーム開発に投じて貯金が2万円しかない、という状態だった。講師は入会条件として、六進法で作り直したカードがマイキークラブのトレーニングで実用性を持つなら入会金を免除する、実用性がなければ払え、という取引を提示している。「お金を使うのはすごく大事だが、お金をいつでも使える準備をするのも同じくらい大事だ」という助言も添えられた。この「金を使う能力」と「使える状態を保つ能力」の分離は、後半の投資判断の議論と同じ構造をしている。
もう一つの近況は、週末に自宅マンションの会議室で行われたプレゼン合宿である。ここで報告されたのは二つ。一つは、うまく話せなかった参加者に「ゴキブリ先生」の写真を見せて街頭でニックネームを付けさせる、達成するまで帰れない形式の街頭インタビューを課したところ、56人目で外国人が「コックローチ」と答えて帰還できた、というエピソード。もう一つは、教え方そのものの設計についてである。
合宿の1日目、参加者は全員が堂々巡りに入って何も作れなかった。講師によればこれは意図的に仕込んだフラグで、あえて失敗させ、2日目に一つの条件を加えたところ一気にスムーズに作れるようになったという。「全部正しいことを教えることによって作れないものが、あえて失敗させることによってできた」「教科書はステップだけ教えるが、ああいう引っかけ方はしない」という言い方をしている。順番を入れ替え、情報を一つ加えるだけで理解度が跳ね上がる、という主張である。
講師はこの街頭インタビューの結果を「確率1.8%」とし、そこから「80億人の人口の中で1億人くらいは、あの写真を見てコックローチと答える傾向がある」と述べた。参加者からその場で「1億人は多くないですか」という疑問が出ている。
算術だけ確認すると、80億人の1.8%は約1億4,400万人であり、講師の言う「1億人ぐらい」より多い。ただしより本質的な問題は数の大小ではない。56人に1人という比率は、特定の場所・時間帯・写真・質問文という条件下で得られた1回の標本頻度であり、これを世界人口へ外挿する根拠にはならない。これは奇しくも、この回のもう一方の講義で扱われた「限定的に取られたデータを因果と呼べるのか」という論点そのものにあたる。場を沸かせるための誇張として語られた文脈であり、統計的主張として受け取るべきではない。
本題の入り口は、経営学や学問一般に対する「抽象的だから意味がない」という批判だった。講師はこれを「意味が分かっていない人の言い方」だと述べ、前田氏に「僕の話は抽象的に見えていますか」と直接尋ねている。前田氏の答えは「かなり具体的にやっていると思っている」だった。そのうえで前田氏は、いくつかの抽象的な理念や背景がまずあり、そこから抽出してきた部分を具体的に見せるという手順を踏んでいる、と自分の作法を説明した。
講師の説明は、比喩から入る。あなたのサービスを一本の木だと思ってください、と。しかしその木の周りにはたくさんの木があるのだから、それは森である。「木を見て森を見ず」という言い回しはよく使われるが、講師が事業面談で実際に見ているのは、木を見て森を無視している状態、そもそも森が存在しないことになっている状態だという。ではその木が良い木かどうかをどう判定するのか。参加者から「他の木との比較」という答えが出ると、講師はそれを受けて、比較が必要なら森を先に見なければならない、と話を進めた。
自分の木がすでに良い木であると勝手に決めつけた結果、その木しか見えていない。これは前半の講義で扱った意味妥当性と因果関連性の両方を、事業の捉え方において否定していることになる――というのが講師の指摘だった。自分の観測地点の中だけでデータを集め、そこに納得のいく物語を付けて終わる態度への批判である。
ここで講師は自身のコミュニティに入会してくる人の傾向にも触れた。プレゼンを見て「もっと深く勉強しなければ」と思って面談に来る人は、木しか見ていなかったことに気づいた人である。逆に面談に申し込んでこない人は「俺は木しか見ない、森なんか知ったことじゃない」という立場の人だ、と。「木を磨くことは必要だが森を見ることは必要ない」と考える人が日本には多い、というのが講師の見立てである。
「学問は経営に必要ない」という立場への批判は、この日の講師の見解として述べられたものである。反対の側にも成立する議論はある。経営学の知見が個別企業の意思決定にどれだけ移転可能かは実務家と研究者の間で長く争われてきた論点であり、現場の暗黙知や試行錯誤の速度を重視する立場も存在する。ここでは講師の主張として記録し、判定は保留する。
比喩の次に、講師は定義を並べた。マクロ的とは、いま目の前にあるものを全体像としてズームアウトすることである。一つの事象を追うのではなく、大きなシステムや傾向を捉える。焦点は範囲と規模、つまり大きいか小さいかだ。対義語はミクロ的である。
抽象的とは、特性を抽出して本質や共通点を見ることである。色・形・名前といった具体的なディテールを削ぎ落とし、「要するに何か」という概念にまとめる作業だ。焦点は密度と性質、つまり具体性か概念かである。対義語は具体的である。共通しているのは「細かいことにこだわらない」という点だけで、何を見ようとしているかが根本的に違う、というのが講師の整理だった。
| マクロ/ミクロ | 抽象/具体 | |
|---|---|---|
| 軸の性質 | 視点の広さ | 情報の性質 |
| 焦点 | 範囲と規模(大きいか小さいか) | 密度と性質(具体性か概念か) |
| 操作 | 視点を引いて全体を俯瞰する/寄って個別を見る | 削ぎ落としてエッセンスだけ取り出す/細部へ降りる |
| 得られるもの | 全体の流れと構造を掴む | 共通の法則や定義を見つける |
| 例 | 一つの事業 → 業界全体 → 市場シェア | りんご・バナナ・ぶどう → 果物 |
この整理を使うと、前田氏の講義がどちらなのかという問いに答えが出る。参加者からは「マクロ的」という答えが返り、講師も同意した。では人々が「抽象的だ」と言うときに何が起きているのか。講師の診断は、歴史的なものを話されると人はそれを抽象的だと表現に変えてしまう、というものだった。時間差が、マクロをアタマの中で抽象へすり替えている。
ここで講師が持ち出したのが、算数の問題である。りんごが1個あり、もう1個来た。りんごは何個か。2個。みかんが1個あり、もう1個来た。みかんは何個か。2個。ではりんごが1個、みかんが1個来た。りんごは何個か。1個。同じ状況で、果物は何個か。2個。この最後の問いに答えられなくなる人が、抽象性と具体性を理解できていない人だ、と講師は言う。「りんご」と「果物」が同じ対象の別のレイヤーの名前であることが掴めていれば、問いに応じてレイヤーを切り替えられるはずだ、という趣旨である。
「森を見て木を見る」と言われれば、ほとんどの人が意味を掴む。順序も違和感なく受け入れられる。
同じことを「マクロとミクロ」に置き換えた瞬間、人は分からなくなる、と講師は指摘した。名詞化された専門語が理解を遮断している。
講師が繰り返し使ったのは「分別」という語である。「マクロ的に喋っていますが抽象的ではないですよ」「これはミクロ的な話をしていますが具体性は言っていません」「これは具体的に喋っていますがミクロ的には喋っていません」。この四通りの言い分けができるかどうかで、情報の整理精度が変わる。分別できていない人は、すべてを大雑把に判断してしまうので情報が混線する、という主張だ。
講師はここでアウトプットの話につなげた。頭の整理とは分別のことであり、分別しないとアウトプットにならない。四つのカテゴリーに切り分けたうえで綺麗に伝えられることが「アウトプットの綺麗さ」だ、と定義している。アウトプットしていない人はミクロ的なものと具体的なものが絡まったままなので、行動パターンの詳細を作れず、結果として具体性が生まれない。「アウトプットになっていないよ」といつも言っているのはこの意味だ、という説明だった。
なお別のセッションで扱われた「プレゼンテーション」との接続も、この日に一言だけ示されている。合宿の告知に絡めて、講師は「抽象化・具体化ができないとメタファーが作れないので、プレゼンテーションはできない」と述べた。比喩は具体から共通項を抜き、別の具体へ差し戻す往復運動なので、この二軸の操作そのものである、という含意である。
この回でいちばん反響のあった論点が、数字の扱いだった。前田氏がまず口火を切っている。「数字ってよく具体的に数字にしてくださいと言われますけど、数字は元々抽象概念です。だから具体的に数字にしてくださいと言っている時点で、元々抽象が分かっていない」。
質疑でこの点を掘り下げた参加者に対し、講師は象とりんごの例で答えた。象が1頭、りんごが1個。どちらも「1」と書く。しかし大きさは違う。動物と植物で違う。色も違う。では何が共通しているのか。共通しているのは、それらから固有の性質をすべて削ぎ落として「一つ」という概念だけを残した、その抽象化の結果である。「数字化するには、何かで一回抽象化しないと絶対にできない」。したがって数字を単純に具体的だと考えている時点で、前提が狂っている――というのが講師の結論だった。
ではなぜ講師自身は事業相談で「具体的な数字を出してください」と指示するのか。この問いに対する答えは率直だった。相手が具体と抽象を分かっていないので、そう指示しておけば具体的な数字だと思い込んで出してくれる。「その辺はバイアスを使って、理解しながら人に指示を出しています」。指示の言葉と、指示の背後にある設計が別物であることを、講師は隠さなかった。
抽象化がいかに情報を削っているかを示すために、講師は需要曲線を例に出した。縦軸が価格、横軸が数量。この二つの数値関係に集約させた時点で、それは完全な抽象化である。ではパンを買った人の理由は何か。お腹が空いたのか、自分へのご褒美なのか。これは具体である。仮に「お腹が空いた」が500円、「自分へのご褒美」が300円だった場合、金額だけを見ればお腹が空いたほうに需要があったように見える。しかし単価は低くても人数の多い層のほうが全体のパイが大きい、という状況はありうる。そのとき抽象と具体は逆転する。
具体的な数字を出したうえで、いったん抽象化して、本当にこの数字が具体的な数字なのかを見直さなければならない。出ている数字だけで判断すること自体が、入口で分析を間違えている。抽象化しないと見えないものがある、というのが前田氏の言っていることの意味だ――という整理で締めた。
この抽象/具体の往復が最も実務的に効くのが、投資判断である。講師の言い分はこうだ。経営者は「今この事業がうまくいっています」とマウントを取ってくるが、本当にそうかを検証するには一度抽象へ持っていって分析するしかない。数字だけ見れば売上が絶好調に見えるが、抽象へ戻すと「それは要因じゃない」というケースが非常に多い。うまくいっていると思い込んだところに投資するのはリスクである。だから「うまくいっている事業だけど、投資は一回やめてください」と平気で言う、と。
広告の例はさらに直接的だった。広告に100万円回して300万円儲かった。だから次は150万円投じよう――これを無意識でやっている人は、具体性を一切求めずに金を運用しているのと同じであり、どこかで詰む。なぜなら、そもそもの要因を理解していないからだ。
参加者の一人との対話で、この論理はマスクの事例に落とされた。コロナ禍でマスクが売れた。これは事実である。だが顧客がそのマスクを選んだ理由が品質なのかどうかは、売上の数字のどこにも書かれていない。たまたま買えたから買っただけかもしれない。他メーカーが在庫切れだったからかもしれない。材質を評価して選んだのかもしれない。参加者は「そこはリサーチをかけないと絶対に分からない」と答えた。
ここから講師が導いたのが投資先の組み替えである。買ってくれていた理由が分かれば、そこを改善すればもっと買う人が増える。だからそこに投資したほうがいい。ここで出てくるのがR&Dである。売れているからもっと作ろう、という発想と、コロナから外れてもこのマスクを買ってもらうには何をするか、という発想は、投じる先がまったく違う。そして抽象へ戻した結果「マスク市場は終わる市場だ」と分かれば、投資は止めて別の分野へ回す判断になる。参加者はこれを「投入した分が全ロスになる、在庫を抱える」というリスクの言葉で言い換えた。
「売上が伸びた要因を特定せずに同じ施策へ再投資するな」という講師の主張は、マーケティング実務でいうアトリビューション分析および増分効果(incrementality)の問題と同じ構造をしている。広告を打たなくても発生していた売上を広告の成果として計上してしまうと、投資対効果を過大評価する。これを避けるために地域分割テストや実験計画による増分測定が使われる。講師は「データサイエンス」という語をこの文脈で用いていた。
また、需要曲線が価格と数量の二変数に情報を圧縮した抽象モデルであるという説明も、経済学の標準的な理解と一致する。購買動機の差異は需要曲線の形状や位置に織り込まれるが、曲線それ自体には現れない。
セッション終盤で三件の告知があった。翌週にマーケティングを専門とする小山氏が1時間半ほど登壇すること。PRを担当する鈴木氏を招く予定であること。講師はこの人物について、肩書きを作り替えてメディアに出せてしまうブランディングの使い手だと評した。そして、講師自身が登壇したイベントで接点のできたジェレミー・シュワルツ氏を招く可能性があること。やり取りは英語になる見込みだという。
公開情報で確認できる範囲では、Jeremy Schwartz氏は1963年生まれの英国の経営者で、2013年から2017年までThe Body ShopのCEOを務めた。それ以前にコカ・コーラでマーケティングディレクターを務めており、Coke Zeroの立ち上げに関与したとされる。ロレアルUKのマネージングディレクター、Pandoraの経営にも携わっている。「元ボディショップCEOでコカ・コーラのマーケティングをやっていた人」という講師の紹介は、公開されている経歴と一致する。
加えて、2月21日から予定されているプレゼン合宿の場所が決まったこと、申込は2月7日まで受け付けることが案内された。前回は昨年9月か10月に実施しており、今回はテクニック面も含めた別のやり方で教える、とのことだった。ダボス会議についてまとめた動画を撮ったので見ておくように、という案内もあった。
最後に講師が述べたのは、この日の質疑そのものについてである。言葉が分からないから質問できない、と言う人がいるが、分からないことを明らかにするのが質問なのだから、その言い分は成立していない。実際にこの日は複数の参加者が「言葉が分からない」という位置から質問したことで、話が展開し解像度が上がった、と評価している。前田氏の説明が足りなかったのではないかという指摘に対しても、前田氏自身が「僕が言っていることが足りないんじゃないかという指摘なので、すごくいい」「僕の表現力が足りない」と応じており、質問を歓迎する姿勢が両者から示された回だった。