支配にも導入価格があり、維持費があり、代替わりの費用がある。前田氏はウェーバーの支配類型を需給グラフの上に載せ、値札とねばり強さで測り直した。抽象語の講義に見えて、実際には原価計算だった。
この日の前半は「社会のコスト」という表題で始まった。経済学で余剰といえば社会全体の豊かさの尺度だが、ウェーバーの視点に置き直すと別のものが見えてくる、というのが講師の出発点である。ウェーバーが余剰として見ていたのは、貴族・官僚・聖職者といった非生産階級を支えている費用だった。彼らは社会に関与しているが、何かを生み出しているわけではない。それでも社会が彼らを養い続けるのは、支配構造の維持にそれが必要だからである。豊かさの余りではなく、支配の必要経費として余剰を読む――ここから講義全体が動き出す。
続いて提示されたのが、この回の中心装置である需給グラフの読み替えだった。右下がりの需要曲線には正当性を、右上がりの供給曲線には暴力(=合理性)を置く。縦軸は支配のコスト、つまり価格。そして横軸には、数量ではなくレジリエンスを置く。交点が支配の導入価格になり、消費者余剰にあたる面積が正当性の強さ、生産者余剰にあたる面積が暴力の強さ、その総和が支配の強さを表す。前回までの回で扱った「暴力はコストが高いが折れない、正当性はコストが安いが続かない」という定性的な整理が、ここで一枚の図の上に載せ直された。
そこから講師は費用を三つに分けていく。導入コスト、維持コスト、そして支配者が交代するときにかかる移動コストである。三つ目に「支配のキャズム」という名前が与えられたのがこの回の特徴で、二代目から三代目へ、あるいは政権から政権へ渡るときの谷を越えられるかどうかが、その支配形態の寿命を決めるという整理になっている。カリスマ的支配の移動コストが最大になるのはここに理由がある。カリスマは属人的であり、その人が消えると継承の仕組みそのものが失われ、争いが起きて費用が跳ね上がる。だからカリスマ的支配は必ず合理的支配か伝統的支配へ移さなければならない、一時的にしか成立しないものである、と講師は言い切った。
最後に、この枠組みが現代企業に接続される。NVIDIAやM7、TSMCやPalantirを当てはめてみると非常によくできている、というのが講師の言い分だった。正当性と暴力の二つを使いこなして社会的な支配構造を生み出す仕組み、それがエコシステムである。売上や利益だけを見るより、その企業の継続性と本当の価値がよく見える、と。
講義前の時間は、書籍出版プロジェクトのチーム編成をめぐるやりとりから始まった。前田氏が事前に提出した構成資料についてマイキー氏が「あれだけでもインパクトが全然変わる」と評価し、ただしまだ叩き台であること、ここから十二週間かけてグループ内に仕掛けていく必要があることが確認される。マイキー氏はこれをインターナルマーケティング、つまり社内向けマーケティングと呼んだ。聞き慣れない言葉だがブランディングの基盤であり、組織内に情報の対称性を作り出すための手順だという位置づけである。チームビルディングという語についても、きちんと定義を答えられる人はほとんどいない、という指摘が渡辺氏から出ていた。
設計上の難所として挙げられたのは、今回のチームがボランティアで動く点だった。会社組織であれば社員は金銭とインセンティブで縛れるが、ここでは金で縛れない。したがって非金銭的なインセンティブ設計がすべてになる。ボランティア活動が続かない理由はほぼここにある、というのが共通認識だった。参加者からは、役割とその役割に対する周囲の承認、マイキー氏からの個別講義や相談機会といった形の報酬が提案されている。別の参加者は、背景も地域も文化も異なるメンバーが混ざり合うことで生まれるケミストリーそのものが将来のスティッキネス(粘着性)になる、という言い方でこの実験への期待を述べた。
話題は組織の中間層に移る。新しく入った参加者のアンケートには「今後こうしたい」という前向きな記述が多いのに、中間の層からは反省文しか出てこない。しかも毎回同じことを書いている――というのがマイキー氏の観察だった。ここから、伸びている新規層には「マイキークラブの歩き方」というオンボーディング施策を用意して徹底的に伸ばし、真ん中で滞留している層はいったん無視するという方針が示される。外資系のように一定割合が毎年いなくなる構造がここにはないため、半年から一年の猶予でどれだけ変わるかに振り切る、と。
その流れで、新しく入会した六十歳前後の女性の話が出た。アクセンチュア出身で日本のトイザらス展開に関わり、その後デロイトなど外資系コンサルを渡り歩いた人物だという。コンサル業界に嫌気がさして現在は独立しており、最近の若手についての見方も一致した、とマイキー氏は語っている。女性が強くなるほど国は良くなる、無能な男性は排除したい、という持論もここで繰り返された。
講師はまず、経済学における余剰の一般的な定義を確認する。余剰は社会全体の豊かさを表す、というのが標準的な説明である。しかし本当にそれだけの捉え方でよいのか、と問いが立てられる。ウェーバーの示す余剰は、貴族・官僚・聖職者といった非生産階級――社会には関わっているが何も生み出さない層――を支えるためのコストとして読める、というのが講師の解釈だった。そしてそれは無駄ではない。支配構造の維持のために必要な支出なのである。
この読み替えは、同じ言葉に二つの意味を重ねる操作になっている。余剰は一方で社会維持のための資本であり、他方で非生産階級を養う費用である。豊かさの指標が、そのまま支配の維持費の指標にもなる。ここで押さえておきたいのは、講師自身がこの内容について「かなり僕の解釈が入っています」と繰り返し断っていることである。ウェーバーの原典の要約ではなく、原典を素材にした再構成として提示されている。
もうひとつ読み替えられたのが死荷重である。経済学では、社会資本を十分に使えなかった部分、つまり無駄として扱われる。しかし講師はこれを「社会が失った資本」だけでなく「社会の柔軟性」として読むよう提案した。論理はこうである。余剰が大きいほど社会は平等に近づく。ところが完全に均一で平等な状態は、一見すると基盤が強く見えて、実は柔軟性を失いやすい。逆に平等性がある程度失われるほど、社会の柔軟性は出やすくなる。これがレジリエンスの源泉になる。ただしこれはあくまで程度の問題であり、行き過ぎればやはり駄目になる、という留保が二度繰り返された。
講義の中核は一枚のグラフだった。よく見る需要曲線と供給曲線の図を用意し、右下がりの青い線を正当性、右上がりの赤い線を暴力(合理性)とする。この二つは支配にどちらも必要で、片方だけでは成立しない。二つが均衡する点が支配の価格、すなわち支配を導入するときにかかるコストである。維持費はまた別に立てる。
読み替えの妙は軸の置き方にある。縦軸は価格=支配のコストでよいとして、横軸には数量ではなくレジリエンスが置かれた。したがってこの図では、支配の均衡点が「いくらかかるか」と「どれだけ折れないか」の組み合わせとして表現される。さらに余剰の解釈も引き継がれる。消費者余剰にあたる部分は正当性の強さ、生産者余剰にあたる部分は暴力の強さ、そしてその総和が支配の強さを表す。需給分析の道具立てをそのまま持ち込みながら、中身をすべて政治的な量に入れ替えた形である。
この図があると、支配類型ごとの性質を一つの表に落とせる。講師はカリスマ的・合理的・伝統的の順で並べたが、ウェーバー自身が通常提示する順序はカリスマ的・伝統的・合理的である。現代人の感覚では前者の順のほうがイメージしやすいから入れ替えた、という断りが入っていた。
| 支配類型 | 価格弾力性(支配側の決定権) | 維持コスト | 移動コスト |
|---|---|---|---|
| カリスマ的 | 高い(支配が安定せず不安定) | 講師も判断を保留 | 最大。属人的で継承の仕組みが残らない |
| 合理的 | 初期は高い(体制が弱くコントロールが効かない) | 高い。暴力の割合が大きいため | 最小。政権や経営が安定しやすい |
| 伝統的 | 低い(支配側が価格決定権を握る) | 低い。正当性の割合が大きいため | 高くなりがち。正当性の引き継ぎ方が難しい |
ここで注意しておきたいのは、講師がカリスマ的支配の維持コストについて「低いのかどうか分からない」と明確に判断を留保した点である。三類型すべてに整った答えを与えなかったこと自体が、この枠組みが完成品ではなく作業中の道具として提示されていることを示している。
次に示されたのが費用構造の核心である。導入コストと維持コストは逆相関する。高い費用をかけて導入した支配は、その後の維持費が安くなる。逆に安く導入した支配は、維持に金がかかり続ける。講師はこの論点について、ウェーバーだけでなくマキャヴェッリを読むとかなりしっかり言及されている、と参照先を示した。
三つ目の費用が移動コストである。二代目から三代目へ、ある政権から次の政権へ、支配の体制が入れ替わるときに発生する費用のことで、講師はこれを「支配のキャズム」と呼んだ。谷を越えられなければ次に行けない。したがって、この谷を越えるための費用が支配の移動コストそのものになる。
この物差しを当てると、三類型の評価は日常的な直感とかなり違ってくる。もっとも移動コストが高いのはカリスマ的支配である。属人的であるため、その人物が失われると次に送るシステムが継続できず、争いが起きて費用が異常に膨らむ。逆に移動コストが最小なのは合理的支配で、だからこそ政権や支配が安定しやすい。伝統的支配は合理的支配に比べれば移動コストが高くなりやすく、正当性をどう維持して渡すかの設計次第で難しさが大きく変わる。
ウェーバーの代表的な概念である脱魔術化が、ここではコスト操作として説明される。脱魔術化とは伝統的支配から合理的支配への移行であり、正当性から合理性へ、教義やイデオロギーからシステムへの移行である。そしてそれが行われる理由は、支配を次に渡すための費用を下げるためだ、と講師は言う。移動コストが下がるから継続しやすくなる。近代化を価値の進歩としてではなく、継承費用の削減として読む立場である。
興味深いのはその逆方向、再魔術化にも同じ論理が当てられたことである。合理的だったものをイデオロギーの側へ戻していくと、こちらは維持コストが安くなる。つまり、脱魔術化は移動コストを、再魔術化は維持コストを下げる。方向が逆でも、どちらもコスト最適化の手段として同じ平面に置かれている。企業が制度化を進める局面と、逆に理念や物語を前面に出す局面とを、思想の揺り戻しではなく費用配分の切り替えとして読めるようになる。
講義の締めくくりで、講師はこの枠組みを企業分析に接続した。NVIDIAやM7にこのシステムを当てはめてみると非常によくできているのが分かる、と。正当性と暴力の二つを使いこなすことで自分たちが社会的な支配構造を生み出す――これがエコシステムである。NVIDIAのエコシステムの支配構造がどれだけ強固か、TSMCの支配構造がどれだけ強固か。そしてPalantirも同様に強固なエコシステムを築いている、という見立てが示された。売上や利益だけで見るよりも、継続性とその企業が持つ価値が見えてくる、というのが投資への含意である。
質疑から派生して、この日もっとも長く議論されたのが「現代における非生産階級は誰か」という問いだった。参加者からの質問は二つ。グローバル化・資本主義化・デジタル化が進んだ現代において、ウェーバーのいう非生産階級――象徴的なインフラを支える人々――は具体的にどのセクターを指すのか。そして、その人々が消費する余剰の適正価格は言えるのか。
講師の答えは「今なくなりつつある」だった。だから逆に、それを作り出す方向性が必要になる。各国が自国第一主義を掲げているのは、まさにそれをどう生み出すかを模索している動きの一つだという読みが示される。そして例として出されたのが、K-POPカルチャーだった。
論理はこうである。市場はあまりにも合理化に進みすぎている。しかし社会には、合理性と関係のないところで人間の意識と熱狂を生み出す仕組みが必ず必要になる。ポップカルチャーが流行り、しかもオンラインではなくコンサートという実体験が増えているのは、その必要に応えているからだ、と。そのうえで講師は、韓国という国家がこれを国家戦略として設計していると見る。世界的な文化を作るという意識と、暴力と正当性の支配体制をどう使うかの設計が噛み合っている、という認識である。
宗教との類似性はさらに具体的に語られた。教祖が熱狂をそのまま伝えることには限界があるので、すり込みのシステムが要る。タイトルの作り方、イントロの作り方、そしてメインのフレーズをリフレインさせて頭に残す仕組み。ブランディングと同じ構造である。加えて、自分たちで広めてくれる信者が必要になる。そして試練――朝一番から六時間、八時間並んでグッズを買うような――を与えなければ熱狂は続かない。簡単に到達できると熱狂は冷める、というのが講師の説明だった。派生グループのツアー特典が乏しいと批判が出ているが、それでも行く層がいる以上それでよい、という例が挙がっている。