本レポートの概要|投資家視点と組織文化
この回のレポートは全4本に分割しています。本ファイルはその3本目、テーマは「投資家視点と組織文化」です。
シティバンク出身のファンドマネージャーとの会話として、PE/VC実務におけるレジリエンス強化策が紹介される。13週間キャッシュフロー管理やLBOローンの柔軟化、固定費の削減、調達先のマルチソーシングに加えて、機械的ではなく人為的なコミュニケーションが徹底されるべきだとされる。経営陣のコミュニケーション能力が不足する場合、リード投資家が能力の高い人材を送り込む例としてGoogleのエリック・シュミットが挙げられる。
渡辺氏はここで議論の前提を問い直す。未来を予測する行為は未来の可能性を自ら削減していることになり、リスクを一元論で捉える限界が指摘される。コミュニケーションを量子的な「もつれ」として捉える視点から、秩序と監視の中にあるコントロールパワーと、そこから外れていくプロテアンパワーという対概念が示され、流動性をどう確保するかという政治的な論点にまで議論が及ぶ。
続いてマイキー氏が自身のコミュニティ運営を題材に、問題が起きた瞬間に湧いてくる2種類の攻撃パターン――金銭にまつわる攻撃と異性トラブルにまつわる攻撃――を説明する。対策は攻撃者を排除することではなく、情報の透明性を担保しそうした状況自体を作らないことにあるとされ、渡辺氏はこれをヒエラルキーからネットワークへの転換の実験だと位置づける。
13週間キャッシュフローとダウンサイドプロテクション——投資側から見たレジリエンス
続いて、シティバンク出身のファンドマネージャーとの会話が紹介された。 プライベートエクイティやベンチャーキャピタルの投資ファンドでは、レジリエンスという語よりも 危機管理、具体的にはBCP(事業継続計画)とダウンサイドプロテクションという言い方をする。 そしてこの二つを両立させるバリューアップ体系を、組織構造として作らなければならないと語られたという。
投資先企業のポートフォリオのレジリエンス強化として挙げられた具体項目は、次の通りである。
| 施策 | 内容 |
|---|---|
| 13週間キャッシュフロー管理 | 13週間単位のキャッシュフローを厳格に管理する。PE/ターンアラウンド実務における標準的な短期資金繰り管理単位 |
| LBOローンの柔軟化 | 買収ローンの構造をどう柔軟化するか。コベナンツや返済条件の設計 |
| 固定費の削減 | 変動費比率が上がると、売上が減速したときに構造的に減益しやすくなる。この感応度を設計として管理する |
| マルチソーシング/可変化 | 調達先を複数化し、コスト構造を可変にすることでショック耐性を上げる |
| 人為的コミュニケーション | 新しいポートフォリオを組む際、機械的ではなく人為的なコミュニケーションを徹底的に行う |
ここでの主張は、ファイナンスに詳しいだけでは足りない、というものだった。 学術的な知識ももちろん必要だが、それ以上に、人を成長曲線に載せるためにはコミュニケーションの相互関係が絶対的に必要になる。 スタートアップの立ち上げ段階や、事業ポートフォリオをこれから組んでいく前提の局面では特にそうで、 事業ポートフォリオを組むこと自体がコミュニケーションなしには失敗するし、資金の使い方もコミュニケーションを取らなければ失敗する。
万が一、経営陣のコミュニケーション能力が不足している場合は、 リード投資家として、コミュニケーション能力が極めて高い人材を送り込む必要がある。 その典型例として挙げられたのが、Google におけるエリック・シュミットである。
セッション内で一度「カール・シュミット」と発話され直後に「エリック・シュミット」と訂正されていました。 正しくは Eric Schmidt です(Carl Schmitt はドイツの政治法学者で全く別人)。
シュミットは2001年、創業者ラリー・ペイジ/セルゲイ・ブリンの若い経営体制に対して、 投資家であるクライナー・パーキンスとセコイア・キャピタルの強い要請により CEO として招聘されました。 いわゆる "adult supervision"(大人の監督)と呼ばれる構図で、 技術者主導のスタートアップに対外コミュニケーションと組織運営の能力を補完する典型例として繰り返し引用されます。 本セッションで語られた「リード投資家がコミュニケーション能力の高い人材を送り込む」という処方箋そのものです。
未来を予測することは、未来の可能性を自ら削減することである——渡辺氏の視点
渡辺氏から、議論の前提そのものを問い直す視点が提示された。 コミュニケーションは静的にも動的にも極めて重要な問題である。なぜなら我々は、自分たちの未来を 「可能な未来」に落とし込みたいと考えているからだ。しかし可能なものに対して未来を予測するという行為は、 ある意味で未来の可能性を自分で削減していることになってしまう。 その結果、豊かなリターンも見返りも求められないというジレンマが生じる。
ではそれに対する投資をどう考えるか。動的なものを選ばざるを得ない、というのが合理的な判断になる。 そして無駄に対してどこまでコミットできるかを考えるとき、 我々は投資というリターン軸とは違った軸を持つべきではないか、という提起がなされた。 投資可能性ではなく、自分たちの成長可能性をどのように作るか。それをどう文化にできるか。 自分たちが今作っている合理性を意識化すること自体が、実は極めて難しい。
一元論と多元論、そしてリスクの捉えどころのなさ
リスクを一元論で考えることの限界も指摘された。リスクというものはある意味で捉えようがないからこそ多元的なものになる。 だからこそ「未来の未知」という言い方をする。 そして、それに対する問題をどう解決するかは、流動性をどう確保するかという問いに帰着する。 今我々が考えている未来とは、ある意味で流動性が制限された未来についてしか語っていない。 その流動性をどう確保するかが、政治的判断や建設的判断のところに出てくるのではないか、という論点である。
エンタングルメントとコントロールパワー
さらに議論は、コミュニケーションをエンタングルメント(量子的なもつれ)として捉える視点へ進んだ。 我々が今考えている世界や秩序、自分のポジションは、一つの整理された枠組みの中にあるのではなく、 どういうもつれの中にあるのかという量子論的な感覚で捉えるべきではないか。
ここで提示された対概念がコントロールパワーとプロテアンパワーである。 秩序立って静的であればあるほど、それは秩序と監視の中に入り、コントロール可能なものになる。 それは自由であるとか、力が及んでいるということを認める一つの同一性になる。 その同一性からどうやって外れていくかというのがプロテアンパワーであり、 歴史の偶発性(historical contingency)をどう掘り起こすかという政治的な学びになる。
ただし、コントロールパワーを手放すことは自我の崩壊に等しいものがあるため、極めて難しい。 我々自身がコントロールパワーによって教育されてきたからである。 だからこそ、物理モデルや歴史モデルをたくさん見ることによって、 「流れる」という感覚を身につけるしかないのではないか、という結論が示された。
我々が作っているシステムそのものが、極めて人間都合というか、結果重視の静的なモデルでしかない。 動的なモデルは、おそらく監視の及ばない世界である。 先にカオス(Chaotic)という話が出たが、そもそもリスク管理ができない世界を想定しなければならない。 そうすると動的な世界のリスク管理は極めて困難であり、実験でしかないのではないか。
ここで語られた「コントロールパワー/プロテアンパワー」の対は、 国際政治学における Peter J. Katzenstein と Lucia A. Seybert の編著 Protean Power: Exploring the Uncertain and Unexpected in World Politics(Cambridge University Press, 2018) で提示された概念枠組みと一致します。セッション内で出典への言及なし・照合は Claude 側の判断
同書は、リスク(計算可能な確率分布)を前提とする従来の「コントロールパワー」に対し、 真の不確実性(ナイト流の uncertainty)の下で予期せぬ実践から立ち上がる力を「プロテアンパワー」と呼びます。 本セッションの Cynefin の Complex/Chaotic 領域の議論と、理論的にはほぼ同じ問題圏を扱っています。
なお終盤で言及された反脆弱性(Antifragility)は、 ナシーム・ニコラス・タレブが Antifragile: Things That Gain from Disorder(2012年)で提示した概念で、 「衝撃で壊れない(=レジリエント/頑健)」を超えて「衝撃によってむしろ強くなる」性質を指します。 レジリエンスは原状復帰、反脆弱性は上振れ——この区別が、次回の講義予告につながっています。
組織は内部から壊れる——コミュニティ運営における「予想できる反応」
ここでマイキー氏が、自身のコミュニティを題材にした極めて自己言及的な例を出した。 仮に自分のコミュニティで何か問題が起きた、やらかしたという状態になったとき、 ある程度コミュニケーションが取れていた場合は、レジリエンス(回復)は早いはずである。 しかしそれは自分一人では無理であり、会員からのフィードバックも必要になる。 それに対して準備ができているかどうかが重要になる。
問題は、何も起きていない状態から突然何かが起きた瞬間に、 ウジ虫のように問題を主張する連中が湧いてくることである。 「今なら弱っているから、あいつに意見を言えるぞ」という状態が作られ、 「実は私はこうでした」「私はこう思っていました」と後付けで言い出す人間が必ず出てくる。
あらかじめ想定される二つの攻撃パターン
万が一、自分が実は全く資産を持っていない人物だった場合、「マイキーに騙された」と言って暴れる者が出る。
言っていることとやっていることが違うじゃないか、という形で「もう信用できません」と言い出す者が出る。
発信者が資産を持っていようがいまいが、私生活がどうであろうが、この講義でやっている内容は何も変わらない。 にもかかわらず、その判断ができない状態が内部から発生する。 一つの約束を破った瞬間に、その人物の意見すべてが信用できないという飛躍が起きる。 これは必ず起きる。
だからこそ情報の透明性をしっかり担保し、それを構成員に認知させることが必要になる。 トップと下層のコミュニケーションを徹底的に取り、オープン化する。 対策は「そういう人を排除する」ではなく「そういう状況を作らない」側にある。
これを受けて渡辺氏は、そうしたテストは収拾こそ大変だが一つの実験になり、忘れがたい記憶として教材になると応じた。 さらに、我々が普段依拠しているヒエラルキーに依拠するものを、 どうやってネットワークへ横に転換できるかという実験でもあり、 その価値観は「お金という縦のヒエラルキーにどれだけ我々が囚われているか」という認知の歪みを訂正する材料になる、と展開した。
マイキー氏はこれを情報リテラシーの問題に接続する。 講師陣が講義で提供している知識に対して、何か問題が起きたときにそこを突いてくる人間は、 そもそも情報の価値を理解していない。 人は感情で動き、感情で判断するからこそ、レジリエンス強化にはコミュニケーションとオープン性の両方が要る、という結論である。