「何回も書かないと覚えない」を、方法論として分解する
レポート作成方法
復習の回数
内容を絵に変換した量
必ず考えること
示された評価
指摘された現象
市場構造と資金調達の議論を終えた後、話題は学習の方法論そのものへ移った。この転換は唐突ではない。前半で示された結論——海外までリサーチできる人とできない人の間に圧倒的な差が生まれる——を実行するには、大量の情報を実際に頭に入れる必要があるからである。方法がなければ結論は絵に描いた餅で終わる。
提示された方法論の中心は、手書きである。講師は毎週出しているYouTubeのレポートを、全て自分で書き起こしている。その後にAIで清書させるのは、誤字脱字が多く漢字変換が間違うためであり、清書させて正しい文字にしているだけで、内容自体は全て手で書いている。理由は明快で、頭の中に入れるなら自分で文字を書かないと無理だからである。書かなければ情報は抜ける。
この主張には強い留保が付けられている。パッと読んで覚えられるなら、その人は天才である。学生ならまだ理解できるが、大人になってそれができているなら本当に頭がいい。しかし大人がただ講義を聞いて、メモして、理解できたというのは、多分嘘だと思っている——これが最も鋭い指摘だった。そして「そんなに頭がいいなら、逆に喋ってほしい」とまで言われた。講師自身は毎回必ず2回も3回も復習している。
具体例として挙げられたのが、名古屋のメンバーであるアミル氏の学習法である。彼女は講義内容が全くわからなかったため、全てを絵にした。自分の手で図に変換し、画用紙いっぱいに全部絵として書き込んで、それでやっと理解できたという。ここから導かれる基準は明確である。彼女より頭がいいなら聞いて覚えればいいが、そうでないなら、それ以上のことをやらないと頭に入らない。
後半は、学習から表現へと話が広がる。話が下手で喋れないという人は、まず文章を書くべきである。そして書きっぱなしにせず、一度見直す。自分の文章を読むと、絶望的に下手なのがよくわかる。喋りが下手な人は文章も下手であり、そもそも文章が書けない人は喋れない。自分の中に文章のパターンやストックがない限り、それを口から出すことはできない。
きっかけ——「これ完全にAIだろう」という文章
学習法の話が始まったきっかけは、前テーマ(VCのリサーチ不在)からの流れだった。ネットで調べてAIで検索してデューデリジェンスレポートですと出されても評価しようがない、という話に続けて、身内のアウトプットにも同じ問題があるという指摘がなされた。
マイキークラブのアウトプットを見ていても、グラフを作るのはAIでいいと思うし、出さないよりはマシだが、「この文章、完全にAIだろう」というものがちょこちょこある。そして頭の中に入れるなら自分で文字を書かないと無理である、と結論づけられた。あるいはその人が本当に天才か、そのどちらかだ、と。
手書きと書き起こし——講師自身がやっていること
方法論の具体例として、講師自身の作業が開示された。毎月・毎週出しているYouTubeのレポートは、全て自分で書き起こしている。その後にAIで清書させるが、それは誤字脱字が非常に多いことと、漢字の変換が大量に間違うためである。清書させて正しい文字に直しているだけで、内容は全て手書きで書いている。
理由として繰り返されたのは、書かないと抜けるということである。「どんどん頭が腐ってきている」「自分も頭が悪くなっている」という自己認識の上で、とにかく文字起こしをして覚える、そうしないと情報が抜ける、と語られた。年齢や能力の低下を前提にした上での方法論である点が重要である。
手書きと学習効果の関係については、著名な研究とその後の反証の両方がある。Mueller & Oppenheimer(2014)"The Pen Is Mightier Than the Keyboard"(Psychological Science, 25(6), 1159-1168)は、3つの実験でノートPCでメモを取った学生が概念問題で手書き群より成績が劣ることを示した。メカニズムとして、PC入力者は講義を逐語的に転記する傾向があり、情報を処理して自分の言葉で再構成しないことが学習に不利だと説明された。裏取り済
ただし後続の直接的な追試では、この効果は一貫して再現されていない。手書き優位の傾向を示すデータもあるが、概念的想起において群間で有意差が出なかった研究もあり、メタ分析ベースでは統計的に有意でないという結論も報告されている。したがって「手書きが科学的に優位」と断定するのは現時点では言い過ぎである。要確認
ただし本セッションで語られているのは「手書きという筆記具の問題」というより、逐語転記ではなく自分の頭を通して再構成するという点にある。この論点はMueller & Oppenheimerが提示したメカニズムと同じであり、追試で揺らいでいるのは「手書きvsタイピング」の比較であって、「再構成すると定着する」という原理そのものではない。
絵にする——名古屋メンバーの事例
本セッションで最も具体的な学習事例として共有されたのが、名古屋のメンバーであるアミル氏の方法である。回答として提出された文章の中では、習い事を非常に多くやっていたことなどが書かれていたが、肝心の勉強方法について場で共有されたのは次の内容だった。
彼女は講師の言っている内容が全くわからなかった。そこで、全てを絵にした。自分の手で図に変換し、画用紙いっぱいに全部を絵として書き込んだ。「もうこれは何だ」というような状態で全部書いていき、それでやっと理解できたという。
そして「そんなに頭がいいなら、逆に喋ってほしい」と付け加えられた。理解したと言うなら、それを言語化して人に説明できるはずだ、という含意である。この論点は後半の「文章が書けない人は喋れない」につながっていく。
情報を図や絵に変換する学習法は、認知心理学ではデュアルコーディング理論(Allan Paivio)で説明される。言語情報と視覚情報は別々の経路で符号化されるため、両方で処理された情報は想起の手がかりが二重になり、記憶に残りやすいとされる。また自分で図を描く行為は生成効果(generation effect)——与えられた情報より自分で生成した情報の方が記憶に残る——にも該当する。裏取り済
近年では、学習者自身が説明図を描く「drawing to learn」の研究も進んでおり、完成した図を見せられるより、自分で描いた方が理解と保持に有利という結果が複数報告されている。アミル氏の方法は、この二つの原理を同時に使っていることになる。
復習を2〜3回——講師自身の実践
方法論の三本目が復習である。講師は「自分だって2回も3回も復習している」「毎回勉強したら必ず復習する」「ずっと何回も何回も」と述べた。これは他者への要求ではなく、自分自身の実践として語られた点が重い。
締めくくりでも「本当に、何回も書かないと覚えない」と繰り返され、最後の挨拶でも「今日のホールドアップ問題もちゃんと手書きで書いて覚えてください。手書きで書かないと本当に頭に入らない」と念を押されている。
復習の効果については、エビングハウスの忘却曲線(1885年)が最も広く引用される。記憶は時間とともに急速に失われ、20分後に約42%、1日後に約67%を忘れるとされる。逆に言えば、学習後24時間以内に10分間復習すると記憶はほぼ100%に戻り、1週間以内なら5分、1か月以内なら2〜4分の復習で復活するという整理が一般に紹介されている。裏取り済
重要な留保がある。エビングハウスの実験は「無意味な音節」を対象にしたものであり、意味のある内容や感情を伴う出来事の忘却速度はこれよりずっと緩やかである。したがって数字をそのまま実務の学習に当てはめるのは適切でない。復習タイミングの目安(当日→翌日→1週間後→1か月後)についても、広く流通している実践的ガイドラインではあるが、エビングハウスの原論文が直接示した数値ではない。要確認
文章が書けない人は、喋れない
セッションの終盤、参加者から学習法の議論を受けた提案が出された。話が下手で喋れないという人は、文章を書くべきであるという指摘である。
手順は二段階になっている。まず文章を書く。そして書きっぱなしにせず、一度見直す。自分の文章を読んでいると、あまりにも絶望的に下手なのがよくわかる。喋りが下手な人は、文章も下手なのである。
そして実態として、書きっぱなしで出している人がほとんどである、と指摘された。見ていない。それを読んだときに読みやすいかどうかを含めて、自分で検証していない人が非常に多い。人に文章を出す前には、ちゃんと自分で見てからでないとダメである。
この文脈でもう一度AIの話が戻ってくる。AIは基本、文章が下手である。相当注意して使っているが全然直っていない。だからそこは自分でちゃんとやらなければならない。喋れない、苦手だと言っている人は、まず文章を書いてみてはどうか、というのが結論だった。
ストーリー化と次回予告——記憶に残る形式に変換する
喋りの巧拙をめぐる議論から、記憶の構造の話へ展開した。参加者から、インパクトのある言葉やメッセージをストーリーとして聞いて覚えているのではないか、という観察が示された。
これに対して講師は、自分は学生時代から文才がなさすぎて添削を延々と食らい続けてきた人間だと前置きした上で、記憶力は人より確かにいいという自覚を述べた。そして方法として、全てをストーリーで考えていると明かした。
理由は単純である。事実そのものは面白くない。だからストーリーに切り替えて読んでいる。論文を読んでも面白くないので、ストーリーにして考えてしまう。理論であっても同じで、どういうストーリーが作れるかという形に変換する。
次回予告まで考える
さらに一段深い実践が共有された。ストーリーで考えた上で、常に意識しているのは次回予告まで考えることだという。「どうせまた次に何かやらかすんだから、人なんて」——だから次回予告はこうだろう、という見方で情報を追う。
この形式が有効な理由も述べられた。終わってしまったら、つまらない。ニュースは全てストーリーであり、常に「次回予告まるまる」という形を頭に入れている。そしてこの構造は、そのままプレゼンテーションの構造にもなる。
もう一つ、文章に関する指摘があった。人の文章を見ても話を聞いても、その人の中にインパクトの残っている言葉やメッセージ、喋るパターンが感じられないことがある。つまり文章に人間性が出ていない。その人がどういう人物なのかを想像しがたい。だからAI的な文章が出てくるのではないか、という指摘である。もう少し人間らしい文章を書いてもいい、という言葉で締められた。
AIの限界——課題を見失いやすくなる
最後に、AIそのものについての踏み込んだ観察が共有された。これは単なるAI批判ではなく、自分でAIを作ってみた経験からの気づきとして語られている。
確かにAIは進化に使える。新しい発見はしやすくなる、という側面は認められている。しかしその一方で、課題を見失いやすくなる。今まで自分が持っていた感覚が、なんとなく消えていくような感じがする。特に課題を見つけるときにそれを感じる、と述べられた。
だからその点はうまく気をつけながら使っている、と語られた。そうしないと本当に頭の中がおかしくなる、という表現まで使われている。これに対して、その側面はイノベーション全体にあるのではないか、という応答もあった。
ただし結論は明快である。文章は書けるようになっておいた方がいいし、喋れるようになった方がいい。これは間違いない、と締めくくられた。
「AIを使うと課題を見失う」という観察は、認知科学の文脈で議論されている論点と重なる。生成AIへの依存が批判的思考の機会を減らすという懸念(cognitive offloading/認知的外部化)については研究が進行中で、AIツールへの信頼度が高いほど批判的思考の実践頻度が下がるという相関を報告する調査も出ている。ただし因果関係の方向を特定した決定的な研究はまだないため、現時点では仮説段階として扱うのが妥当である。要確認
本セッションでの指摘が鋭いのは、「AIが間違える」という精度の問題ではなく、AIが正しく機能しているときにこそ失われるものを問題にしている点である。探索は広がるが、何を探索すべきかを決める感覚は自分の中で育てるしかない、という区別は実務的にも有用である。
本テーマに関する質疑応答
本テーマから持ち帰るべきこと
- ホールドアップ問題を手書きで書いて覚える。本セッションの締めくくりで繰り返し念を押された宿題。手書きでないと頭に入らない。
- アミル氏の回答内容を参照して実践する。特にアミル氏から回答をもらったメンバーは、彼女が書いている内容を参考にして自分の学習法に取り入れること。
- 講義内容を絵・図に変換してみる。理解できない部分ほど、自分の手で図にする。画用紙いっぱいになるまでやる。
- 復習を2〜3回、必ず行う。学習した当日中に1回目、以降も繰り返す。1回で覚えられる前提を捨てる。
- 文章を書き、必ず見直してから人に出す。書きっぱなしにしない。読みやすいかを自分で検証する。AIの出力もそのまま出さない。
- 情報を「次回予告」の形で追う癖をつける。ニュースも理論も、ストーリーに変換して次に何が起きるかまで考える。
- プレゼンは実際にやってみる。実際にやってみることが大事であり、次回のプレゼン参加者には終了後に徹底指導が入る予定。