市場を「社会から独立した装置」ではなく「社会の一部品」として置き直したとき、価格理論はどう書き換わるか。
この日の講義は、需要と供給という見慣れた枠組みをいったん脇に置くところから始まった。経済学の標準的な説明では、価格は消費と生産の交点として決まり、市場はそれ自体で完結した計算装置として扱われる。ところがウェーバーの視点に立つと、市場は社会から独立した装置ではなく、社会という大きな構造のなかに埋め込まれた一部品にすぎない。部品である以上、価格は市場内部の論理だけでは決まらず、外側にある支配関係や社会関係の影響を受ける。講師はここを出発点に置いた。
そこから導かれるのが、慣習価格と市場価格という二つの価格体制である。市場価格は市場合理性が高く、需給の変化に応じてよく動く。対して慣習価格は市場合理性が低く、社会的な力によって固定されているため動きが小さい。そして講師が強調したのは、私たちの直感とは逆に、規模と影響範囲で見れば慣習価格の側のほうが大きいという点だった。市場が独立して社会を動かしているように見えるのは近代以降の見え方であって、ウェーバーが見ていた世界の構図はむしろ反対だった。
この整理の実務的な意味は、価格が計算可能かどうかという論点に現れる。支配力が価格をコントロールできるということは、価格決定に計算以外の要素が入り込むということである。したがって支配力の強い領域では価格は安定し、弾力性は小さくなる。逆に支配が揺らげば価格は不安定になる。講師はここから、価格弾力性を「社会のエントロピー」の指標として読むという自作のモデルを提示した。ハイパーインフレーションが支配の崩壊局面で起きるのは偶然ではない、という読み方である。
最初に提示されたのは、市場のポジションについての二つの見方だった。ひとつは、社会という集団・組織のなかに他のパーツと並んで市場という部品が置かれているという見方。もうひとつは、市場が社会から完全に独立した完成品として存在しているという見方である。現代の私たちが無意識に採用しているのは後者で、巨大な市場が社会の外側にあり、そこでの変動が社会に波及していくというイメージを持っている。
ウェーバーの視点は前者に立つ、というのが講師の整理だった。市場が社会の部品であるなら、価格は市場以外の要素からも影響を受ける。社会関係、システム、支配の関係――こうしたものを見ずに価格を理解することはできない。ここで補助線として持ち出されたのが埋め込み理論である。講師は以前グラノヴェッターの理論を扱っているが、ウェーバーを読む文脈ではむしろカール・ポランニーの埋め込み理論のほうが関わりが大きい、と位置づけた。
ポランニーの『大転換』は1944年刊(邦訳は1975年)。前近代の経済は社会関係のなかに「埋め込まれて」いたが、自己調整的市場を掲げる近代ではその関係が反転したという議論で知られる。一方グラノヴェッターは1985年の論文「Economic Action and Social Structure: The Problem of Embeddedness」でこの概念を経済社会学の中心に据え直し、米国社会学会の理論部門賞を受けている。講義で「ウェーバーを読むならポランニー側」と整理されたのは、グラノヴェッターがネットワーク論として埋め込みを再定義したのに対し、ポランニーが社会全体の制度配置として扱っているためと理解すると筋が通る。
講師は理解の入口として二つの価格体制を置いた。市場価格は言葉のままイメージしやすい。問題は慣習価格のほうで、これは物理でいう慣性の法則のイメージで捉えるとよい、という補助線が示された。動いているものは動き続け、止まっているものは止まり続ける。社会的な力で固定された価格は、外からの力が加わらないかぎりその状態を保つ。
| 観点 | 慣習価格 | 市場価格 |
|---|---|---|
| 市場合理性 | 低い | 高い |
| 決定の主因 | 社会的な影響・支配関係 | 需給という市場内部の論理 |
| 価格変化の幅 | 小さい | 大きい |
| 価格弾力性 | 小さい | 大きい |
| 計算可能性 | 低い(計算外の要素が入る) | 高い |
ここで講師が繰り返したのは、影響力が強いのは社会か市場かという問いである。普通に考えれば社会だろう、と。そして規模で見ても、慣習価格が及ぼす影響の範囲のほうが実は大きい。市場価格は目立つし数字にもなるが、社会の全体像のなかでは一部にすぎない。だからこそ、市場価格があるのにあえて慣習価格に注目する意味がある、という順序で話が進んだ。
ウェーバー『経済と社会』の価格論では、一般に市場での自由な価格形成と、統制経済における「統制価格(設定された価格)」との対比が論じられる。今回の講義で用いられた「慣習価格」という日本語がウェーバーの術語の定訳として一般化しているかどうかは、今回の調査では確認できなかった。講師自身が冒頭で「かなり意訳している」と述べていることからも、この対概念は原典の直訳ではなく講師の解釈による再構成として扱うのが安全である。原典に当たって確認したい人は、『経済と社会』の経済行為の社会学的基礎範疇の章を参照するのが近道になる。
次に示されたのは、支配と価格の関係を一方向ではなく双方向で見るという方法だった。支配が価格を決定するというメカニズムと、価格が支配を決定するというメカニズムを別々に立てる。講師はこれを、ウェーバーの類型論と同じ発想だと説明した。ひとつの現象を二つの方向から挟み込むことで、より適正に理解できる。だからわざわざ二つの価格に別々の意味合いを持たせて、双方向的な理解が成立するようにしている、という筋である。
この双方向性は、後半のQ&Aで「制度的なロックインか、思考的なロックインか」という区別として再登場する。制度を作って払わせるのが前者、物語を作って払いたくさせるのが後者である。今回の講義は制度の側に軸足を置いたものだった、と講師自身が整理している。
価格弾力性は、景気などの外部要因によって需要や価格がどれだけ動くかという変化量の指標である。慣習価格は弾力性が小さく、市場価格は大きい。ここまでは前節までの整理の延長だが、講師はここに一歩踏み込んで、支配力と価格弾力性は逆相関するという命題を置いた。支配が安定していれば価格は一定に保たれ、支配が不安定になれば価格は暴れ出す。
その最も分かりやすい実例として挙げられたのがハイパーインフレーションだった。第一次世界大戦後のドイツ、そしてジンバブエ・ドル。いずれも支配が不安定化する過程で価格の統制が失われた局面である。したがって弾力性は、需要側の性質を測る指標であると同時に、社会の不安定さを測る指標にもなる。講師はこの関係を自作のグラフとしてモデル化し、社会のエントロピーと価格弾力性が連動して変化していくイメージを提示した。
熱力学のエントロピーは孤立系で単調増加する状態量であり、経済現象に持ち込むときは比喩の域を出ない。ただし「秩序を維持するにはエネルギー(=支配のコスト)を投入し続けなければならない」という含意は、統制価格の維持コストという実務的な論点に接続できる。実際、価格統制は監視・罰則・配給といった行政コストを伴い、そのコストが払えなくなった時点で崩れる。比喩としての妥当性を問うより、支配の維持コストという観点に翻訳して使うほうが応用が利く。
抽象論として置かれた枠組みは、そのまま現代企業の分析に転用された。参加者から、需要曲線は連続的に変化するが、ある一線を超えると価格が急に跳ねるような閾値的な現象は現実にあるのか、という質問が出た。講師の答えは即座で、それがまさに今のNVIDIAだ、というものだった。
市場のメカニズムを直接見るよりも、国家の支配システムを企業に転用したものとして見たほうが、NVIDIAの動きは理解しやすい。支配体制をどう強化するか、支配の範囲をどう拡大するか、という視点で読むと、この企業が持っている合理性の高さが見えてくる。19世紀の大量生産・大量消費型の工場モデルを前提にした需要曲線では説明しきれない部分がそこにある、という整理である。
その理解でよい、というのが講師の応答だった。閉じた空間を仮定すると静的なモデルになり、ウェーバーの理念型を使った考え方にもつながる。支配とは経済をひとつの空間に閉じ込めることであり、閉じ込めた側が価格と数量の関係を操作できるという構図は熱力学の比喩とよく対応する。ただし支配は拡大していくものなので、拡大と静的モデルを同時に扱うと変数が増えすぎる。だからまず一度閉じた空間として理解する、という順序になる。
それがまさに現在のNVIDIAである、と講師は答えた。通常の需要曲線では説明しきれない部分があり、市場のメカニズムより支配システムの側から見たほうが理解しやすい。国家の支配の仕組みをうまく転用している企業として読むと、その合理性の高さが見えてくる。
講師は、弾力性という言葉よりもエントロピーという言い方のほうが入ってきやすい層がいるだろう、と応じた。理系の背景を持つ受講者にとっては、この訳し替えのほうが直感に近い。