この回の前半は、経済思想史の連続講義が「重商主義 → スミス → マルサス・リカード → J.S.ミル」と進んできたその次に、いきなりマルクスへ飛ばず、あえて弁証法という遠回りを選んだ理由の説明から始まる。講師である前田氏の言い分ははっきりしている。マルクスの理論は弁証法を中核に据えて組み立てられているので、そこを飛ばして『資本論』に入ると、必ず前提の部分で読者はつまずく。だから寄り道に見えても、ここを先に通しておきたい、という判断である。
そのうえで提示されるのが、この講義最大の論点だ。ソクラテス、ヘーゲル、マルクスは、いずれも「弁証法」という同じ看板を掲げている。にもかかわらず、三人がやっていることの中身はまったく違う。なぜ同じ言葉で語られてしまうのか。この問いを立てたことが、講義全体の切れ味を決めている。
前田氏の整理では、三者を分けるのは「何を優先するか」である。ソクラテスは対話を優先し、対話によって自分たちが何を分かっていないのかを炙り出す。ヘーゲルは思考を優先し、考えたことが行動として現実化していくと見る。マルクスはこれを逆さまにして行動を優先し、行動したことに対して後から理解や思考が伴ってくると見る。同じ「矛盾を扱う技術」でも、矛盾がどこに宿るかについての見立てが三者三様なのだ。
ここに渡辺氏がカントという補助線を引く。カントにおける弁証法は「批判理論」として理解されており、それは良いものと悪いものを選び直す選別作業だ、というのが渡辺氏の説明である。鉱石のサンプルを炎で溶かせば、見た目が同じ石でも中に含まれる貴金属の量が分かる。歴史とはその強い炎であって、人間の国家・立場・戦争・騙し合いといった雑多なものを焼き尽くしたあとに、純粋なものが残る。ヘーゲルはその残ったものに人間の本質への方向を見ようとした――この比喩が、抽象的だった三者の対比を一気に具体的にした。
「矛盾は解消すべき欠陥ではなく、次の発展を起動させる装置である」。前田氏が最初に置いた前提がこれだった。物事に対して明快な答えが一発で出ることのほうが、むしろ稀である。問題に向き合えば必ず矛盾が出てくる。だとすれば、矛盾が出てこない状態というのは、次の発展に進めない状態を意味する。ソクラテスもヘーゲルもマルクスも、この一点だけは共有している。分かれるのは、その矛盾を「対話で炙り出す」のか「思考で統合する」のか「闘争で突破する」のか、という手つきの部分だけだ。
講義冒頭、前田氏は自分でも「少し系統が違うように見えるかもしれない」と断っている。これまでの流れは重商主義から重農主義、マルサス、リカード、J.S.ミルと進んできた。その次に来るのが順当にはマルクスなのだが、マルクスをやるにはかなりの前提を先に処理しなければならない、とずっと考えていたという。その前提の一つが弁証法だった。
理由は二つ述べられている。第一に、弁証法はマルクスの理論において多用されるどころか中核をなす考え方の一つであること。第二に――そしてこちらが講義の後半に効いてくるのだが――弁証法は過去の哲学書の中だけの話ではなく、現代でも形を変えて使われ続けている手法だということ。前田氏はこの二点目を強調し、だから遠回りに見えても価値があると位置づけた。
もう一つ、前田氏が講義の締めくくりで述べた理由がある。経済理論というのは、どうしても前の理論を受けて成立している。マルクスは革命家というイメージが先行するが、実態は哲学者であり理論家である。その理論が後のケインズやミルトン・フリードマンにまで影響を与えているのだから、考え方や方向性だけでも押さえておかないと、後続の人たちが何を訴えているのかが見えてこない。つまり弁証法は、マルクス一人のための前提ではなく、その先の経済学全体を読むための前提として置かれている。
前田氏は講義の途中と最後の二度にわたって、「僕がちゃんと理解できているとは言わない」「これで話すのは結構乱暴かなと自分でも思っている部分はある」と留保をつけている。そのうえで、誤解を招く箇所や修正すべき箇所、もう少し足したほうがいい箇所があれば指摘してほしいと参加者に投げている。弁証法をどこで切り取るかは非常に難しい、しかしこの流れだけは伝えておかないといけない――という判断で構成されたパートである。
三者のうち最初に置かれたのがソクラテスである。前田氏はこの人物について、問答法と無知の知という二つを重視した人物として紹介する。いろいろ質問を重ねていったうえで、あなたはどこが分かっていないのか、何が理解できていないのかを明らかにしていく。その「何が分かっていないのかが明らかになった状態」が無知の知である、という説明だ。
ここでのポイントは、ソクラテスの弁証法が正解を見つけるためのものではないという点にある。対話をすることによって問題をきちんと炙り出し、認識する。目的は正解の獲得ではなく、自分たちの中の問題点を浮き上がらせることのほうにある。だからソクラテスのスタンスは、言ってしまえば「問題を探し続ける」ことになる。
前田氏はこれを登山の比喩で説明した。山がたくさんあるとして、どの山から登ろうか、自分たちにはこれだけの装備がある、これだけの体力がある、いま見たときにどの山を登るのがいいのか――そういう条件を加味しながら探し続けるイメージだ、と。まだ登り始めてすらいない段階、どの山に向かうかを決める段階の作業である。
後半のディスカッションで参加者の一人がこの部分を要約し直している。ソクラテスはまず問いかけがあって、正義とは何か、勇気とは何かといった問いを投げ、相手が答え、その答えを深掘りしていくことによって矛盾が明らかになる。そこで「自分が知っていると思っていたことが実は分かっていない」という無知の知に至る。だから問いかけそのものが重要なのだ、という整理である。
ソクラテスの問答法は原語ではエレンコス(elenchus/反駁)と呼ばれる。相手の主張を受け入れたうえで、そこから導かれる帰結が相手自身の別の信念と矛盾することを示し、当初の主張を撤回させる形式をとる。「無知の知」として日本語で流通している表現は、プラトン『ソクラテスの弁明』に描かれたデルフォイの神託のエピソードに由来し、厳密には「知らないということを知っている」という自覚を指す。
なお、ソクラテス本人は著作を一切残していない。我々が「ソクラテスの弁証法」として参照しているものは、すべてプラトンやクセノフォンら弟子の記述を経由した像である。前田氏が三者を並べたとき、ソクラテスだけが「本人の書いたテキストを直接読めない」という条件下にある点は、この後のヘーゲル・マルクスとの比較で意識しておくと精度が上がる。照合済み
エレンコスの手続きも定式化されている。回答者が「自分はこの件について賢いから知っている」として何らかの主張を述べる。ソクラテスは問いを重ね、その主張の明確化・限定・拡張を引き出し、関連する事柄についてさらに意見を求める。そのうえで、当初の主張が、後から回答者自身が認めた事柄と論理的に矛盾することを示す――回答者はそれを認めないわけにいかなくなる。これが「エレンコス(putting to the test/refutation、吟味・反駁)」の形式である。
「無知の知」の典拠については、一点だけ注意が要る。デルフォイの神託のエピソードは、プラトンとクセノフォンそれぞれの『ソクラテスの弁明』以外には現れない。しかも両者で神託の内容が食い違う。プラトン版では「ソクラテスより賢い者はいない」だが、クセノフォン版では巫女が告げたのは賢さではなく、「ソクラテスより寛大な者、正しい者、思慮深い者はいない」である。つまり「無知の知」という日本語で流通している像は、二つある伝承のうちプラトン版に依拠している。ソクラテスだけが本人のテキストを持たないという条件は、こういう形で具体的に効いてくる。
二番目がヘーゲルである。前田氏はこの人物のイメージを一言で「思考優先」とまとめた。自分の考えたことが行動に反映され、それが現実化されていく、という意味である。
そのうえで、ヘーゲルの名で有名な三段階が提示される。まず「正」がある。最初の意見、主張、アイデアといったものだ。次にそれに対立する批判的な意見が出てくる。これが「反」である。ここで両者が対立し、矛盾が生じる。そして、この二つを対立させたまま終わらせるのではなく、矛盾を解消したうえで新しいアイデアが出てくる。これが「合」であり、アウフヘーベンと呼ばれる、という説明だった。
ソクラテスとの違いは、再び登山の比喩で示される。ソクラテスがどの山に登るかを探し続ける段階だとすれば、ヘーゲルは地図を見て、その山を登るときにどの道がいいのかという最適ルートを探している段階にあたる。最適ルートが見つかったら、実際に登る。考えることが先に来て、行動がそれに従う構造が、この比喩にきれいに収まっている。
ここは通説と原典が最も大きくずれる箇所なので、講師の説明を否定するためではなく、教科書的整理と原典の距離として記録しておく。
ヘーゲル自身は「テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼ(正・反・合)」という三語の組み合わせを自らの方法の呼称として用いていない。この三語の定式はヨハン・ゴットリープ・フィヒテに由来し、シェリングを経由して、19世紀ドイツの哲学史家ハインリヒ・モーリッツ・チャリベウス(Heinrich Moritz Chalybäus, 1796–1862)がヘーゲル弁証法を「テーゼ―アンチテーゼ―ジンテーゼの三幅対」として特徴づけたことで、ヘーゲルの方法として広く定着した。研究者のグスタフ・ミュラーはこの帰属を「稚拙な読解(inept reading)」の産物と評しており、英語圏では "the Hegel legend" として繰り返し論じられてきた。
ヘーゲル自身の三分節は、日本語では即自(an sich)/対自(für sich)/即かつ対自(an und für sich)として訳されるものであり、英語圏の整理では abstract → negative → concrete と表現されることが多い。ヘーゲルはむしろ、フィヒテ流の「総合的・反定立的」な概念操作を厳しく批判した側であった。加えて、彼は自分の方法を「弁証法」と呼ぶ以前に、「総合的とも分析的とも呼べない体系の方法」と記述していた時期がある。
興味深いのは、この誤帰属がマルクスおよびイギリスのヘーゲル学派による通俗化を通じて広まり、日本の哲学受容の際にもそのまま輸入されたと指摘されている点だ。つまり、我々が「ヘーゲルの正反合」として学ぶものは、実質的にはマルクス以降の読み方を経由したヘーゲル像である。この回でマルクスの手前に弁証法を置いた前田氏の構成は、図らずもその受容史の順番をなぞっていることになる。
前田氏は講義の中盤で、アウフヘーベンを辞書で調べると三つに分かれる、と指摘している。文字起こしでは音声認識の乱れで語が判然としないが、標準的な整理は①廃棄する(否定する)②保存する(契機として保つ)③高める(より高い段階で生かす)の三義である。ドイツ語の aufheben という日常語が、「拾い上げる」「取っておく」「取り消す」という互いに矛盾する意味を一語で持っていることを、ヘーゲルが哲学用語として意図的に利用した。
前田氏が「同じ単語であっても日本語で見ると随分意味合いが変わってくる」「これが正しいと言わない、ただニュアンスとして近い言葉はこういうものがある」と慎重に留保したのは妥当な扱い方である。日本語の定訳「止揚」は③の側面を強く出した訳語であり、①の廃棄のニュアンスは訳の中でかなり薄まっている。三者の主張が食い違って見える理由の一部は、この訳語の選択によって生じているという前田氏の指摘は、思想史を読むうえで実用的な注意点である。
三番目がマルクスである。前田氏の要約は端的で、「基本、行動が先」。ヘーゲルの考え方は素晴らしいと思うけれども視点は逆ですよ――そういう展開の仕方をする、というのが前田氏の説明だった。まず行動があり、行動したことに対して理解や思考が後から伴ってくる。行動が支配的な意味を持ち、思考は従属的な意味を持つ。
そのうえで前田氏は、ヘーゲルのフレームにマルクスの主張を無理に当てはめるとどうなるかを提示している。ただし、「マルクスの提示の仕方に、ヘーゲルのような明確な三段構えのものはあまりないと思っている」という留保つきだ。当てはめの結果はこうなる。テーゼの時点ですでに対立が起こっている。矛盾がすでに存在している。アンチテーゼにあたるのは実際の闘争や対立である。そして闘争を経て、それまでの価値観が打倒され、新しい仕組みや政府が生まれる。
まとめれば――最初に問題が発生し、問題があるからこそ対立と闘争が生まれ、そこから新しいシステムや社会が誕生する。対立や闘争そのものが、次の社会を生み出す原動力になるという構図だ。
なぜマルクスがこう考えたのか。前田氏はこの点を『資本論』に接続する。実行部隊が強いということは労働者のほうが強いはずだ、という方向に理論が展開していく。だが現実の社会はそれが逆転しているように見える。なぜか――その問いこそがマルクスの出発点になる、という筋道である。
考えたことや理解したことが行動に反映され、現実化していく。思考という段階が支配的な意味を持ち、行動がそれに伴う。
登山でいえば、地図を広げて最適ルートを検討している段階。ルートが決まってから登り始める。
まず行動し、行動したことに対して理解や思考が後から伴ってくる。行動が支配的な意味を持ち、思考は従属的な位置に置かれる。
だから、実行部隊である労働者のほうが本来は強いはずだ、という理論展開に接続していく。
前田氏の「視点が逆」という説明は、マルクス自身の言葉遣いと整合する。マルクスは『資本論』第二版あとがきで、ヘーゲルにあっては弁証法が頭で立っているので、それをひっくり返して足で立たせなければならない、という趣旨の比喩を用いた。前田氏の「ヘーゲルの考え方は素晴らしいが視点は逆」という整理は、この有名な比喩をそのまま日本語に落としたものと読める。
『資本論』第1巻の刊行は1867年。マルクスは1883年に死去し、第2巻・第3巻はエンゲルスがマルクスの遺した草稿から編集して、それぞれ1885年・1894年に刊行した。これらの刊行年は確認済みである。照合済み
編集の実態も付記しておく価値がある。エンゲルスが用いた草稿には、刊行時点で30年近く前に書かれたものも含まれていた。つまり第2巻・第3巻は、マルクス自身が完成させて世に問うたテキストではなく、遺稿からの再構成である。前田氏がヘーゲル・マルクスを「本人のテキストを直接読める」側に置いたとき、その前提が完全に当てはまるのは第1巻までだ、ということになる。ソクラテスほど極端ではないにせよ、マルクスの側にも「編集者を経由した像」という要素は残っている。
前田氏の講義を受けて、渡辺氏が思想史の側から補足を入れた。この補足が、三者の並列を「歴史の流れ」として繋ぎ直す役割を果たしている。
渡辺氏の出発点は、この弁証法という思考が哲学の歩みとして中心的に受け継がれてきたという事実である。ゼノン、ソクラテス、プラトン、そしてカントとヘーゲル、マルクスまで、全部つながってくる問題圏がある。しかも渡辺氏は、これを前回の講義で扱った「自由」の問題と接続する。矛盾の解消ということが、自由と連続して語られてきたのではないか、という見立てである。
ソクラテスとプラトンであれば、対話を通して市民の権利や市民の生き方を問う。そこには自由の認識や自由の獲得という権利の問題があり、また「勇気とは何か」といった生き方の問題がある。対話を通じて、本当の勇気とは単に戦争で勇敢であることだけなのか、と問いを深めていく。
渡辺氏が最も強く印象づけたのは、カントの弁証法についての説明だった。カントにおいてこれは批判理論として言われている、というのが渡辺氏の整理である。批判とは何かというと、良きものと悪しきものを選び直す選別作業だ、と。
そのうえで、カントが用いたという炎の比喩が紹介される。鉱石のサンプルがあるとする。それを炎で溶かすことによって、どれだけ貴金属が含まれているかを熱でもって知ることができる。目の前にあるいろいろな雑多な問題を、強い火によって焼く。すると、見た目は全部同じような鉱石でも、炎がすべてを明らかにしてくれる。
渡辺氏はここから一気にヘーゲルへ跳ぶ。歴史というのは、この強い炎なのだ、と。それによって人間のさまざまな国家や立場の違いが、戦争や騙し合いといった形で炎に焼かれる。そして焼かれた後に純粋なものが出てくる。それが人間の向かっていく方向なのではないか――歴史からエッセンスを取り戻してくるというのが、ヘーゲルの考え方である。
そしてマルクスへ。焼き尽くされた後に残る人間の本質に向かって、我々が洗練され、試されていく。そこで生産と、それに対する経済をどうコントロールするかというマルクスの議論に入る。生産者が自己認識や労働というものを自己表現として達成し、単に労働させられているのではなく、労働によって歴史を作っていくのだと自覚する。人間の本質に近づく。この文脈でこそ弁証法が使われている、というのが渡辺氏の結論だった。
矛盾の解消という営みは、単なる論理操作ではない。対話には必ず二者がいる。賛成と反対、受益者と負担者。二つのものを対峙させることで、お互いの問題点が浮かび上がってくる。それをある意味で解決していく思想が弁証法である――この定義に立つと、弁証法は「自由をどう獲得するか」という主題と地続きになる。渡辺氏はそのうえで「あんまり複雑にしないようにこれぐらいにしておきます」と、意図的に議論を畳んでいる。
カントの三批判書は『純粋理性批判』(1781年、第二版1787年)、『実践理性批判』(1788年)、『判断力批判』(1790年)。ここでの Kritik は「非難」ではなく「吟味・限界画定」の意であり、渡辺氏の「選別作業」という説明はこの語感を的確に日本語にしている。
ただし一点、通説として補足しておくべき差がある。カント自身は『純粋理性批判』の「超越論的弁証論」において、弁証法(Dialektik)をむしろ理性が陥る仮象を暴く場所として扱っており、ヘーゲルのような「矛盾を通じて発展する」肯定的な方法としては位置づけていない。カントにとって二律背反(アンチノミー)は理性の限界の証拠であり、ヘーゲルはそれを限界ではなく前進の原動力へと読み替えた。この読み替えこそがヘーゲルの独自性だとされる。渡辺氏の説明は歴史の連続性を示すことに重心があり、この断絶には触れていない。照合済み
刊行年および超越論的弁証論の位置づけは、いずれも確認できた。三批判書の刊行年は『純粋理性批判』1781年(第二版1787年)、『実践理性批判』1788年、『判断力批判』1790年である。そして超越論的弁証論について、カント自身が弁証法(Dialektik)を「仮象の論理学(a logic of illusion)」と規定している。この一句が、上に述べた断絶をもっとも短く言い表している。
超越論的弁証論の標的は、感覚が開示する世界の彼方にある「超越的な」世界について知識を得ようとする哲学的試みであり、カントはそれを、悟性のカテゴリーを直観形式の地平を超えた対象に適用しようとしたために生じる仮象だと論じた。超越論的理念として挙げられるのは三つ――思考する主体(魂)、全体としての世界(時空の総体)、あらゆる存在者の存在者(神)である。なお『実践理性批判』にも「弁証論」の部が置かれており、そこでも実践理性の判断に生じる仮象の提示と解消という役割を担っている。カントにおいて弁証法は一貫して「仮象を暴く場所」であり、発展の原動力ではない。渡辺氏の「選別作業」という説明は、この語感を正確に日本語にしている一方で、ヘーゲルによる読み替えが起きた地点までは踏み込んでいない、と整理できる。
| 論点 | ソクラテス | ヘーゲル | マルクス |
|---|---|---|---|
| 優先されるもの | 対話 | 思考 | 行動 |
| 矛盾の扱い | 対話によって炙り出し、認識する | 思考によって統合し、新しいアイデアへ高める | 闘争によって突破し、旧体制を打倒する |
| 目的 | 正解ではなく、問題点の明確化 | より高次の総合(アウフヘーベン) | 新しいシステム・社会の誕生 |
| 登山の比喩 | どの山に登るかを、条件を加味しながら探し続ける | 地図を見て最適ルートを決めてから登る | 登ってから、登ったことの意味が分かる |
| キーワード | 問答法/無知の知 | 正・反・合/アウフヘーベン | 唯物論/階級闘争 |
| 共通する前提 | 矛盾は欠陥ではなく、次の発展の起点である。矛盾が出てこない状態は、発展が止まった状態を意味する。 | ||
前田氏はこの問いに対して、言語的な理解から入ることを提案している。「合」や「止揚」と日本語で書かれるものは、ドイツ語ではアウフヘーベンという一語だが、その一語が三つの異なる意味を抱え込んでいる。同じ単語であっても、どの意味を視点として選ぶかによって、それぞれの主張の見え方が変わってくる――これが、三者が同じ看板を掲げながら中身が違って見える理由の一つだ、という説明である。
この年表を眺めると、講義の構成が持っていた意味が見えてくる。フィヒテの『全知識学の基礎』(1794年)で「正・反・合」の三語が出そろい、ヘーゲルの『精神現象学』(1807年)が続く。だがヘーゲル自身はこの三語を自分の方法の名としては使っていない。チャリベウスの著作(1837年頃)でヘーゲル弁証法が三幅対として要約され、これが定着したあと、マルクスの『資本論』(1867年)が刊行される。「正・反・合=ヘーゲル」という等式が成立したのは、ヘーゲル自身の著作より約30年後であり、マルクスの主著より前である。前田氏が三者を並べたとき、実際に共有されていたのは「ヘーゲルの方法」そのものではなく、その時代に流通していた「ヘーゲルの要約」だった可能性が高い。
講義の終盤、前田氏は「これはあくまで僕の解釈であり、僕が独断で言っていることです」と明示したうえで、弁証法が現代の経営理論の中に生き残っていると指摘する。挙げられたのは二つだった。
一つ目がSECIモデルである。前田氏の説明で重要なのは、形式知化というのがただ単に会話をする・会議をすることではない、という点だ。きちんと議論をしてディスカッションしないと、新しいアイデアもイノベーションも生まれない。つまりSECIモデルは、必ず対立する場面、戦う場面が出てくることを想定して組まれている。だから弁証法的なのだ、という論理である。
二つ目がアンラーニングだ。こちらは戦う方向ではないが、ソクラテスが対話の中で分からないところをはっきりさせていったこと――あのイメージに近い部分がある、と前田氏は見ている。既存の知識を「知っているつもり」から引き剥がす作業として、無知の知と重なるという整理である。
そのうえでの結論はこうだ。弁証法という考え方は、次の新しいものを生み出すイノベーションにつながっている。ということは、この考え方が分かっているだけで、イノベーションがどういう流れで起きるのかが比較的分かりやすくなるツールになるのではないか。この一文が、後半のマイキー氏による経営学パートへの橋渡しになった。
SECIモデルは、共同化(Socialization)・表出化(Externalization)・連結化(Combination)・内面化(Internalization)の四象限で知識創造プロセスを描くフレームで、野中郁次郎氏が1990年に原型を示し、竹内弘高氏との共著『The Knowledge-Creating Company』(1995年、邦訳『知識創造企業』)で世界的に知られるようになった。
前田氏の「これはあくまで僕の解釈」という留保は謙虚だが、実はこの接続は野中氏自身の言明とかなり近い。野中氏は知識創造理論を論じる際に、暗黙知と形式知という相反する二項の相互変換を軸に据えており、後年の論考ではこれを明示的に弁証法的なプロセスとして説明している。「議論・ディスカッションがないと表出化は起きない」という前田氏の読みも、SECIの表出化フェーズが対話と共同思考を要件とする点と整合する。したがってこの接続は独断ではなく、理論の側の設計意図に沿った読み方である。
アンラーニングについては、既存の知識・価値観を意図的に棄却して学び直すプロセスを指す組織学習の概念で、弁証法の語彙でいえばアウフヘーベンの「廃棄」の側面に対応する。前田氏がこれをソクラテスの側に寄せたのは、正解の獲得ではなく前提の解体という点で無知の知に近いという判断であり、筋が通っている。
講義の締めくくりで、前田氏自身が投げた問いである。弁証法をどこで切り取るかは非常に難しいと感じているが、この流れだけはマルクスに行く前に伝えておかないといけないと思った、という前置きつきだった。以下のQ2以降が、これに対する応答にあたる。
回答者は前田氏の整理を自分の言葉で言い直したうえで、大枠としてはその流れで合っていると述べた。ソクラテスはまず問いかけがあり、正義とは何か・勇気とは何かという問いを投げ、相手の答えを深掘りすることで矛盾が明らかになり、無知の知に至る。それをヘーゲルが自分のやり方で定立・反定立の形に組み替え、さらにマルクスがヘーゲルを踏まえて「自分はこう考える」という反を立てて自分の弁証法を作り上げていく。この「作り上げられていく」大まかな流れをまず理解できたのが良かった、というコメントだった。なお同じ参加者は「僕はヘーゲルに個人的トラウマがあるので難しくて」と付け加えている。
渡辺氏は「あまりこれは複雑にしないほうがいい」として、前田氏がシンプル化した言葉を覚えて帰るのがよいと述べた。持ち帰るべき一語は「矛盾の解消」。さまざまな社会問題、生き方の問題、自己の問題――そういうものを矛盾として捉え、言語と対話を通して扱う。対話には必ず二者がいるので、賛成と反対、受益者と負担者といった二つを対峙させることで問題点が出てくる。それを解決していく思想が弁証法である、という要約である。
カントにおいてこれは批判理論と言われている、というのが渡辺氏の説明である。良きものと悪しきものを選び直す選別作業として見ている。カントは炎の比喩を出しており、鉱石のサンプルを炎で溶かすことで貴金属の量を知ることができるように、目の前の雑多な問題を強い火で焼く。見た目は同じ鉱石でも炎がすべてを明らかにしてくれる。そしてヘーゲルにおいては、この強い炎が「歴史」にあたる、という接続だった。
唯物論をやる予定である、と講義中に予告されている。弁証法と唯物論の二つが、マルクスに入るうえで多用される前提だという判断による。さらに議論の終盤では、この日の議論を踏まえて「やっぱりマックス・ウェーバーをやったほうがいいのかとも思っている」という発言もあった。
セッション終盤の雑談で明かされた事情である。この流れでやることについて事前に渡辺氏らに相談したところ、「やめたほうがいい」と言われたという。前田氏の答えは「おっしゃっている意味が分かるので、だから逆にやってみたほうが面白いかなと思った、そこだけです」だった。止められたこと自体をアンチテーゼとして受け取り、実行してみせたという点で、この日の主題を講師自身が実演した形になっている。