合宿直後の集中セッションで読み込まれた約100本のリーダーシップ論文。その分類作業と、そこから導かれた「評価制度を切り替えなければ人は変わらない」という主張を再構成する。
この日のセッションは、講義が始まる前の雑談として立ち上がった。前夜から当日にかけて9時間ぶっ通しで女性向けプログラムの設計に取り組み、その過程でリーダーシップ関連の論文を100本規模で読み込んだ、という報告が出発点である。読んだ結果として提示されたのは、「求められている領域のほとんどで女性のスコアが高い」という、本人自身が驚いたと述べる結論だった。
特徴的なのは、結論よりも先に手続きが語られたことである。論文をそのまま読むのではなく、まず著者の性別で三つに仕分けた。男性が書いた女性論文、女性が書いた女性論文、男女共著の女性論文である。女性研究者の書いたものにはバイアスが含まれると述べる一方で、男性が書いたものも同様に信用していないと明言し、最もニュートラルに近いのは男女共著、とりわけ女性が主著者で男性がフォローに回っている構成のものだ、という見立てを示した。理論の記述よりもデータを抽出している論文を優先して読んだ、という読み方の設計も併せて語られている。
スコアの内訳は明快だった。男性が上回ったのは戦略的視点と技術専門性の二つだけで、チームビルディング、ケア、誠実性、堅牢性、意思決定スピード、レジリエンス、人間関係構築、大胆なリーダーシップ、外部からの人材獲得、そして強力なコミュニケーションといった残りの評価軸では、いずれも女性のスコアが上だった。そこから「スコア的に見ると男性は戦略以外に向いていない」という、やや挑発的な言い方が出てくる。
そしてこの発見は、そのまま評価制度の話に接続される。レジリエンスと誠実性で女性が高いという事実は、環境が変化したときに適応しやすいという意味であり、時代のスピードが上がるほど評価制度は書き換え続けなければならない、という主張につながった。日本企業の多くはコンサルティング会社が作った評価制度をそのまま転用しており、業界や自社の方向性に合わせて設計しているとは到底思えない――ここが、この日のセッションで最も強い言葉が使われた箇所である。
この回は、本編のゲスト登壇までの約30分がまるごと雑談に充てられている。切り出しは「家で喋る時は講義の100倍濃い」という軽口で、そこから多言語の話に流れた。いま話せるのは2.5カ国語だが10代の頃は5カ国語を話していた、0.5はスペイン語で現地に戻らないと戻ってこない、文字はまったく読めない――という自己申告に対し、参加者側からスペイン語とイタリア語、ポルトガル語の距離感の話が返る。ポルトガル語とスペイン語の違いは標準語と大阪弁くらいだ、という比喩が出て、言語ごとに人格が変わる(英語だと極端にアグレッシブになる)という観察で締められた。
合宿明けの疲労の話も長い。合宿が始まる前に48時間寝ておらず、合宿中に4時間だけ寝て、終了後にさらに6時間しゃべり続け、参加者が全員落ちた後にゲームを始めた、という報告が出る。食事についても、集中すると空腹を感じなくなり、3日間で摂取カロリーが1000キロカロリー程度、2日間食べないことも普通にある、と語られた。ジムで肋骨が出ていることを指摘された、という具体的なエピソードまで含めて、この回のトーンを決めている。
ゲスト登壇の直前には、来年1月のダボス会議に一緒に行こうという話が進んでいることも明かされた。登壇するベンチャーキャピタリストは毎年参加しているという。土曜日の講演の打ち合わせ、寺の名前の確認といった実務的なやり取りも、この時間帯に挟まっている。
セッション中、「脳が人間のエネルギーを一番使うというのは本当か」という質問に対し、医療の専門家である参加者から「体全体のエネルギー消費のうち一定割合が脳」「エネルギーが足りない状況では脳が最後まで守られる」「理論的には体が動かなくなってから最後に頭が動かなくなる」という回答があった。公開されている生理学の標準的な数値では、脳は体重の約2%にすぎないが全身の酸素消費量の約20%、グルコース消費量の約25%を占めるとされる(Physiological Reviews, 2019 ほか)。飢餓時に脳が優先的に燃料供給を受けるという点も一致しており、その際は肝臓が脂肪を酸化して生成するケトン体が補助燃料として使われる。発言内容は公開データと整合している。
ただし「9時間勉強したから特別にエネルギーを使う」という部分については注意が必要である。安静時と認知課題実行時で脳のエネルギー消費が劇的に増えるわけではない、というのが神経科学側の一般的な理解であり、極端な低カロリー状態の説明を脳の消費だけで完結させるのは飛躍がある。要確認
世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)2026は、2026年1月19日から23日にかけてスイス・ダボスで開催された。第56回にあたり、テーマは「A Spirit of Dialogue」。政府・企業・市民社会・学術界から約3,000名のリーダーが集まり、「分断された世界における協調」「新たな成長源の解放」「人への投資」「イノベーションの責任ある展開」「地球の限界内での繁栄」の5テーマが軸となった。発言時点(2025年9月)では「来年1月」の未来形の話だったが、開催そのものは予定どおり実施されている。
今回のセッションで最も再現性が高いのは、結論そのものではなく論文の仕分け方である。女性リーダーシップというテーマは、書き手の立場がそのまま結論に影響しやすい領域だ。だからまず、男性著者による女性論文、女性著者による女性論文、男女共著の女性論文という三つのカテゴリに分けた。そのうえで、女性研究者の書いたものにはバイアスが多く含まれる、と述べる。ただしこれは女性研究者だけを疑うという話ではなく、男性が書いたものも同様に信用していない、という対称的な留保がすぐに続く。
最もニュートラルに近いと判断されたのは男女共著で、しかも女性が主著者、男性がフォローという構成のものだった。加えて、理論的な記述よりもデータを抽出している論文を優先した、という選別基準が明かされている。理論も重要だが、この領域では立場が結論に混入しやすいため、数字を出している論文の方が判断材料になる、という考え方である。
セッションの中では、この作業が可能になったきっかけとして、大学で教える立場の参加者の存在が挙げられている。自分たちが持っていない目線を持っていたから視野が広がった、という言い方で、資料提供ではなく問いの立て方に対する謝意が繰り返し述べられた。
読み込みの結果として提示されたスコアの分布は、次のようなものだった。戦略に関しては男性の方が高い。技術専門性も男性が上。しかしそれ以外の評価軸――チームビルディング、ケア、誠実性、堅牢性、意思決定のスピード、レジリエンス、人間関係の構築、大胆なリーダーシップの発揮、外部から人材を引っ張ってくる頻度、強力なコミュニケーション――では、いずれも女性のスコアが上回った。
意外だったポイントとして名指しされたのが「大胆なリーダーシップ」である。攻めた意思決定を取るのはむしろ女性の方がスコアが高い。ここから、企業内に変革を起こす局面――ダイナミック・ケーパビリティが問われる場面――では女性の力が絶対的に必要になる、という推論が導かれた。
この発言内容は、リーダーシップ開発コンサルティング会社 Zenger Folkman が実施した360度評価データの分析結果と極めて高い一致を示す。同社が Harvard Business Review 2019年6月号で公表した「Research: Women Score Higher Than Men in Most Leadership Skills」によれば、頻繁に測定されるコンピテンシーの84%で女性が男性より高く評価された。女性が特に高評価だったのは、イニシアチブを取る、レジリエンスをもって行動する、自己開発を実践する、結果を出しに行く、高い誠実性と正直さを示す、といった項目である。
そして男性が上回ったのは二つだけ――「develops strategic perspective(戦略的視点の構築)」と「technical or professional expertise(技術的・専門的知見)」である。セッション中の「唯一男性に負けているのは、まず戦略的視点、もう一つが技術専門性」という発言と、項目名まで一致している。参照元がこの研究である可能性が高い。
ただし、母集団については食い違いがある。発言では「Fortune 500 や S&P といったところのデータ」とされたが、Zenger Folkman のデータは特定の指数構成企業に限定したものではなく、多数の企業から集められた360度評価(上司・同僚・部下による評価)の集合体である。この差は結論を左右するものではないが、サンプルの性質としては押さえておきたい。要確認
スコアの話は、そのまま資本市場の話に接続される。女性リーダーの比率が高い企業ほど楽観視を防ぐ傾向が強くなる、という研究に言及があった。男性の方が楽観的で、女性の方がシビアあるいは誠実である。誠実性が高まると開示情報の正確性が増し、その結果として投資家に対して情報が正確に届きやすくなる、という因果の筋が語られた。
その傍証として持ち出されたのが、以前の回でも触れたという銀行の事例である。女性取締役が多い銀行ほど罰金が少ない、という話だ。誠実性という同じ変数が、開示の正確性にも、コンプライアンス違反の少なさにも効いている、という読み方である。
この主張には実証研究の裏付けがある。ロンドン大学シティ校 Bayes Business School(旧 Cass)の Barbara Casu ら4名による研究「Gender Diversity and Bank Misconduct」(Journal of Corporate Finance, 2020)は、欧州の大手銀行の取締役会構成と、2008年の金融危機以降に米国政府から科された罰金の記録を突き合わせた。結論は、女性取締役の比率が高い銀行ほど罰金の件数も金額も少ない、というものである。
効果量として、銀行間の女性比率の平均的な変化に対して罰金件数が0.27件分減少し、金額換算では年間およそ748万ドルの節約に相当すると推計されている。研究チームはさらに、単なるトークン的な1名ではなく3名以上の女性が取締役会にいると力学が変わる、という「クリティカル・マス」の存在を指摘している。メカニズムとしては、多様性そのものの効果というより、女性取締役の倫理性とリスク回避性向によるものだと分析されている。Harvard Business Review も2021年5月に「Banks with More Women on Their Boards Commit Less Fraud」として紹介した。発言内容は公開研究と整合している。
参加者から「評価制度の見直しが必要というのはどういう観点からか」と問われ、この日の主張が最も明確な形で提示された。曰く、レジリエンスと誠実性の領域で女性の評価が突出して高いにもかかわらず、日本企業の評価制度はコンサルティング会社が作ったものをそのまま転用しているように見える。業界特性や自社の方向性に合わせて設計されているとは一切思えない、という強い言い方である。
そこから導かれるのは、時代のスピードが速くなればなるほど評価制度は変化すべきだ、という命題だ。江戸時代の速度でビジネスをしているなら評価制度は据え置きでよい。しかしアナログからITへ、ITからDXへ、そしてAIへと環境が動くなかで、評価制度が動かなければ結局は人が変わらない。逆に、評価制度が頻繁に書き換わる環境では、その変化に適応する能力――つまりレジリエンス――が問われる。そしてそのレジリエンスのスコアが女性で高い、という最初の発見に戻ってくる。
過去の成功体験を測る物差しが残り続ける。物差しが変わらないので、その物差しで高得点を取る人材だけが残る。結果として、環境が変わっても人材構成が変わらない。「これまでやってきたことを一度切り捨てる」という判断が、そもそも評価対象にならない。
物差しが動く前提なので、適応力そのものが問われる。過去の実績が自動的には効かなくなるため、切り替えの速さが競争優位になる。この局面での適応スピードは女性リーダーの方が速い、というのが今回のデータからの読みである。
結論を出す前に、データが必ずずれるポイントが自ら挙げられている。最大の問題は男性と女性の絶対数が違うことだ。男性100人に対して女性が20人か30人という構成では、同数比較にならない。数千件規模のサンプルがあるためパーセンテージとしては取れているが、比較対象としては厳密ではない。したがって言えるのは「傾向がある」というところまでで、それ以上の断定はできない、という自己制約が置かれた。
もう一つ、日本のデータについては明確に「役に立たない」と切り捨てられている。理由は、現在の日本の評価制度の枠組みのなかで測られた女性リーダーシップのデータでは、比較対象として機能しないからだ。作りたいのは日本型の経営者ではなく、海外でも戦えるリーダーである。そうであれば、参照すべきは海外の進んだ環境で取られたデータの方だ、という考え方が示された。
また、25歳までは男性が数字で圧倒しており、25歳から60歳の区間で女性のリーダーシップスキルの伸びが圧倒的に速くなる、というデータにも言及がある。ただしこれについては「まだ信憑性が全部あるとは思っていないアウトプット」「真に受けないでほしい」と、繰り返し留保が付けられた。
Zenger Folkman の同じ360度評価データセットには、年齢に関する興味深い所見がある。女性が自己評価を行うと男性より辛口になり、特に25歳未満では自信(confidence)の自己評価スコアが男性より明確に低い。しかし40歳になると男女の自信スコアは収斂する、というものである。
発言中の「25歳までは男性が圧倒、25歳から60歳で女性の伸びが速い」という説明は、この自己評価データが元になっている可能性がある。ただし、この所見は「自己申告の自信」に関するものであり、「リーダーシップ能力そのものの成長速度」を直接測ったものではない。両者を同一視すると意味がずれるため、発言者自身が付けた「真に受けないでほしい」という留保は妥当である。要確認
参加者から、合宿前には女性陣の決断の速さを褒めていたのに、合宿本番では振るわなかったように見えた、その仮説検証はどうなっているのか、という鋭い質問が出た。これに対する回答は、この日のセッションの中で最も方法論的な部分である。
いくつもの仮説はある。男性側が精神的・環境的に見えない圧力をかけていた可能性もあるし、女性陣自身に積極性がなかった可能性もあるし、能力の問題だった可能性もある。しかしそれらは仮説にすぎず、どれが正しいと決めつけるわけにはいかない――そう明言された。決めつけられるのは結果だけで、「男性社会のグループになってしまった」という事実だけが残る。
そのうえで取られた方針は、原因の特定を諦めて設計に回る、というものだった。原因が特定できないなら、それらを全部取り払った状態のプログラムを作ればよい。具体案として、講師以外の男性を全員排除した女性のみのトレーニングを月に数回設ける、という構想が語られている。そこで変化が出なければ、初めて本人たちの問題だと言える、という論理である。前回のZoomを男女で分けた試みも、この一環として説明された。女性側からは男性側では出てこなかったデータが多数出たとされ、そのデータは男性には共有しない、と明言された。