STUDY REPORT / 2025年9月度 勉強会
戦後日本が世界に対して持っていた優位は識字率だった。だがそれは「マニュアル化できる」という優位であり、0から1を作る能力ではなかった。加工貿易、半導体潰し、MBAを「外国かぶれ」と呼んだ30年。そして最後に、なぜ日本は叩かれると折れ、中国は折れないのかという問いが、家族社会学によって解かれる。
このセッションの後半は、日本企業論から日本人論へと重心を移していく。出発点は、なぜ戦後の日本があれほど急速に復興できたのかという問いだった。マイキー氏の答えは意外なところから来る。日本人が世界で唯一圧倒的に強かったスキルは識字率だ、というのである。戦後の日本では6〜7割が文字を書け読めたのに対し、海外にそれほど識字率の高い国はなかった。そして識字率が高いということは、マニュアル化できるということである。マニュアル化できれば人の行動を一定にできる。日本が優れていたのはこの点だった。
これは日本を持ち上げる話に見えて、実際には限定条件つきの評価である。識字率が高く、それでいて戦後復興期だから安く雇える。人件費が安く、スキルがあり、人口ボーナスがある。この三条件が揃っていたから国内需要が広がった。加えて加工貿易――海外で作られたものを加工してより良いものにして売る――という形が成立した。良いものを作ったが人件費は安い。それは売れる。しかし今の日本には人口ボーナスがなく、スキルは相対的に高くなく、給与は高い。ならば戦略を変えなければならないことは自明である。それを変えずに来たのがこの30年だ、という論理構成だった。
ここでマイキー氏が加えた挑発的な指摘は、日本は0から1を作ったわけではなく1から10を作ったのだ、というものである。自動車もパソコンも海外が作った。日本はそれよりも良いものを作った。他が作ったものを模倣し、コピーし、カスタマイズし、より使いやすくしていった。それは今の中国がやっていることと同じである、と。それなら日本も同じことをやればいいのだが、自分たちで0から1を作ったと思っている人が多いから、そうならない。
もう一つの軸が、産業のレベルが上がったという認識である。日本のバブルと高度成長は産業革命のおこぼれだった。大量生産と加工がその中身である。しかし1990年代に起きたのはIT革命であり、有形資産ベースから無形資産へ移行した。有形資産のやり方で経営して無形資産がうまくいくはずがない。次に来るのはAI革命であり、またマネジメントが変わる。それにもかかわらず日本人がやっている経営は、いまだに産業革命時代のものである、と。
そして最後に、渡辺氏が家族社会学の視点から、日本と中国の粘り強さの差を説明する。日本は長子相続であり、次男や三男を犠牲にしてでも長男を守る。どんなに弱かろうと周りが支えるシステムを作ろうとする。対して中国は均分相続であり、子どもたち全員に均等に分配したうえで、その分配分をどれだけ増やしたか減らしたかを一族の中で競わせる。だから一人ひとりが力をつけざるをえず、組織が弱くなりようがない。中国人は敵であっても握手しに行くが、日本人は絶対にしない。なぜならそれをしないことが周囲から承認され、自分が正当な相続者であることを伝えることになるからである。
日本の成功は、外部から与えられた条件(識字率・人口ボーナス・安い人件費・固定為替・中国の不在・朝鮮特需)が奇跡的に重なった結果であり、自力ではなかった。だからその条件が消えたとき、依拠すべき能力が残らなかった。さらに悪いことに、日本の組織には「外から来るものを受け入れ、叩かれても粘る」設計が最初から組み込まれていない。それは経営技術の問題ではなく、相続という無意識の形式から来ている――このセッションは、産業論から始まって文化人類学的な深度まで降りていった。
マイキー氏は参加者に問いを投げた。戦後、日本がバブルまで到達できたとき、日本人が唯一残していた、世界で優れていたスキルとは何か。答えは識字率だった。
戦後の日本では6〜7割程度が文字を書け読めた。当時の海外にはそれほど識字率の高い国はなかった。では識字率が高いと何ができるのか。マニュアル化しやすいのである。マニュアル化できるということは、人の行動を一定にできるということだ。これが日本の優位だった。当時世界中がなかったスキルを日本は持っていた。「日本人は優秀だった」と言われた実体は、この読み書き能力である。
なぜそれが可能だったのかという問いには、渡辺氏が寺子屋の存在を挙げた。日本は19世紀から読み書きを徹底して教えてきた。だから世界の中で細かいマニュアルを作れたのが日本だった、と。
この論点は説得力があるが、数字の根拠はセッションで語られたほど確立していない。江戸時代の識字率については学術的に高低を判断できないという指摘があり、寺子屋(手習所)の数と識字率を直接関係づけることには問題があるとされている。文部省が明治期に実施した自署率調査によれば、識字率は最大でも男子50〜60%、女子30%前後と推定されており、明治20年代半ばまで識字人口層は江戸末期とあまり変わらなかったという分析もある。インターネット上で流通する「江戸後期に80%」といった数字は、学術的な裏づけを欠く場合が多い。要確認
一方で、戦後直後の日本の識字水準が国際的に見て高かったこと自体は、大規模な実証調査によって裏づけられている。GHQ/SCAPの民間情報教育局(CIE)の指示により1948年8月に実施された「日本人の読み書き能力調査」は、全国270か所405会場で16,820人を対象とした無作為抽出調査であり、日本の調査史上でも画期的な大規模標本調査だった。この調査は日本語表記の簡略化を正当化する目的があったとされるが、結果はむしろ日本人の非識字率が極めて低いことを示し、当初の政策意図を裏切ったことで知られている。
つまり「戦後の日本の識字水準は国際的に高かった」という結論は支持できるが、「6〜7割が書けて読めた」という数字は、むしろ実態を過小に見積もっている可能性がある。発言では6〜7割とされたが、1948年調査が示したのはそれよりはるかに高い水準であり、この点は食い違っている。いずれにせよ、マイキー氏の論旨――識字率がマニュアル化能力を通じて生産性の優位に転化した――という因果の筋自体は、日本的生産システム論としても妥当性がある。
読み書きができれば、作業手順を文書として配布し、同じ品質を再現できる。これは大量生産型の工業社会において決定的な優位になる。トヨタ生産方式に代表される標準作業や、現場での改善活動が成立した前提条件も、全員が読み書きできるという事実の上にある。逆に言えば、この優位は「決められたことを正確に実行する」領域でのみ機能する。何を作るかを決める領域、つまり0から1の領域には転用できない。
識字率に加えて、日本にはもう一つの武器があった。加工貿易である。資源がない日本は、海外で作られたものを加工してもっと良いものを作り、それを売った。しかも人件費が安かった。良いものを安く作れば売れる、という単純な構図である。
マイキー氏はここで、日本の高度成長の性格を明確に位置づけた。日本のバブルと高度成長は産業革命のおこぼれである。19世紀にイギリスで起きた産業革命の延長線上で、削り、加工し、作っていったのが日本の高度成長期だった。自動車もパソコンも、そもそも海外が作ったものである。日本はそれよりも良いものを作った。つまり0から1を作ったのではなく、1から10を作ったのだ、と。
そのためにやっていたことは、今の中国とまったく同じである。他が作ってきたものを模倣し、コピーし、より良いものを作ろう、もっとカスタマイズしよう、もっと使いやすいものを作ろうとやっていった。それを今、中国がやっている。ならば日本も同じことをやればいいのだが、日本は自分たちで0から1を作ったと思っている人が多いから、そうならない――ここがマイキー氏の批判の核心だった。
| 時期 | 産業のレイヤー | 資産の性質 | 必要な経営能力 | 日本の対応 |
|---|---|---|---|---|
| 〜1980年代 | 産業革命の延長(大量生産・加工) | 有形資産 | 標準化・原価低減・品質改善 | 圧倒的に適合した |
| 1990年代〜 | IT革命(デジタル化) | 無形資産 | プレゼンテーション・ピッチ・ミッションビジョン | 有形資産型の経営を継続した |
| 2020年代〜 | AI革命 | 無形資産+データ | マネジメント様式そのものの再設計 | いまだ産業革命時代の経営を続けている |
マイキー氏はこの移行について具体的な指摘も加えた。ITというものを世界中に広げ、デジタル化を進めようとしたとき、まず必要になるのは何か。それは伝え方である。新しい産業を作るのだから、人にどう伝えるかが問われる。大量生産の延長線上で凝り固まった頭ではなく、無形の世界、ITの世界だと認識したとき、必要になるのはプレゼンテーションやピッチ、そしてミッション・ビジョンといったものである、と。
財務についても同様の転換があったと指摘された。昔はファイナンスと財務は似ていた。守りの部分として、どれだけお金を貯めるかという話である。しかし1990年以降のグローバル化以降、ファイナンスは攻めのものへと変わった。ファイナンスと財務の考え方が乖離していったのに、日本では会計士が扱っているのは当時のままのものであり、70年代80年代から積み上げてきたものの延長線上をそのまま使い、それを職業にしている状態になっている、と。
マイキー氏は「自社株買いの上手さも指標で表せる。COSRという指標がある」と述べたが、この略称に該当する確立した財務指標を、本レポート作成時点で特定できなかった。要確認 音声認識の誤りである可能性もある。
自社株買いの巧拙を評価する考え方自体は実在する。買い戻した株式の取得単価とその後の株価を比較して、買い戻しが株主価値を創出したか毀損したかを測る「buyback ROI」や「buyback effectiveness」といったアプローチが、機関投資家や一部の運用会社によって用いられている。要点は、企業価値に対して割安なときに買い戻せば残存株主の価値が増え、割高なときに買い戻せば毀損するという単純な原理にある。日本ではこの観点からの評価がほとんど行われてこなかったという指摘は、実務感覚として妥当である。
マイキー氏はEVを例に、この転換が現在進行形であることを示した。日本の自動車メーカーのKPIを見れば、いまだに製造業を引きずっている。一方で海外のEVメーカーがやっているのはSDV(ソフトウェア・デファインド・ビークル)である。ハードが主でソフトが従だったものが、ソフトが主でハードが従になる。それがEVであり、ならばKPIも変わってくるはずだ、と。EVの戦いはソフトウェアの戦いであり、だからこそテスラは中国市場でソフトウェアの需要を無視した結果、BYDやXPengに押されることになった――という位置づけである。
参加者の一人から「今日の話を聞くと、結局日本の高度経済成長というのは幸運が重なった、運という面があるのではないか」という感想が出た。マイキー氏の答えは即座だった。だから「奇跡の復興」と言われているのだ、と。海外の論文を見れば分かるが、日本の復興は奇跡だとする論文が多い。
その内訳が具体的に列挙された。まず朝鮮戦争による特需があった。次に人口ボーナスがあった。識字率が高く、上には何も申さず、ただ単に実行する人たちがいた。それに対して安価な労働力で海外に輸出してきた。しかしその後は何もない、というのがマイキー氏の総括である。今はイエスマンしかものを考えない社員ばかりになってしまった、と。
中川氏はここに三つの外部要因を加えた。第一に朝鮮特需。第二に1ドル360円の時代だったため外貨を極めて稼ぎやすかったこと。第三に中国がいなかったことである。1988年の天安門事件まで中国は世界に出てきていなかった。天安門事件が終わって鄧小平が「黒い猫でも白い猫でもネズミを取るのがいい猫だ」と言い、急に経済を回してきた。人件費が安く、そこそこ真面目に働き、圧倒的な人数の若者がいた。それで製造業を持っていかれた。1990年代後半から2000年代にかけての中国の成長である。
中川氏の整理はこう続く。鉄のカーテンが1988年から90年にかけて溶け、ナトーがやや力を注ぎ、日本の360円もプラザ合意で円高にさせられ、そこに中国が出てきたのでとどめが刺された、と。ただし当時の日本の実質平均成長率は10%を超えていた。今の中国でもできていないような成長であるならば、それは奇跡だろう、という結論である。
日本の高度経済成長期と、外部から与えられた成長条件の年表
出典:Claude作図。実質GDP成長率は高度経済成長期(1955〜73年頃)の年平均が約10%とされる公表水準に基づく代表値であり、各年の実測値ではない
発言では「1988年の天安門事件まで中国は世界に出てきていなかった」「天安門事件が終わって鄧小平が黒猫白猫と言い出した」とされたが、年代と因果の順序の両方に事実との食い違いがある。
まず年代について、六四天安門事件は1989年6月4日の出来事であり、1988年ではない。次に因果関係について、「白い猫でも黒い猫でもネズミを捕るのが良い猫である」という白猫黒猫論は、鄧小平が1960年代から用いていた表現であり、天安門事件後に初めて出てきたものではない。
さらに重要なのは、天安門事件は改革開放を加速させたのではなく、いったん減速させたという点である。事件により改革派の趙紫陽総書記が失脚し、西側諸国による経済制裁が行われた結果、鄧小平の改革開放路線にはブレーキがかかり、保守派の発言力が強まった。この流れを再び反転させたのが、1992年春に鄧小平が中国南部を視察して行った一連の談話、いわゆる南巡講話である。中国経済が本格的に離陸するのはこの南巡講話以降であり、「1990年代後半から2000年代の中国の成長」という中川氏の時間感覚は、この南巡講話を起点とすればむしろ整合する。
なお、プラザ合意は1985年9月であり、天安門事件よりも先行している。中川氏が挙げた「プラザ合意による円高」「中国の台頭」の順序自体は正しい。また高度経済成長期の実質成長率が年平均10%程度であったという点は、公表されている統計と一致しており、発言は正確である。
もう一つの決定的な要因として、1990年前後の半導体潰しが挙げられた。日本は半導体で世界においてぶっちぎりだったが、それを徹底的に潰された。OSも潰され、TRONも潰された。あれだけ素晴らしいOSがあったのに――というのが中川氏の言である。
マイキー氏はここに、潰された後に何が起きたかという視点を加えた。半導体潰しの時期にちょうどASMLがアメリカと組み始めて製造装置を作り始めた。そのASMLはもともとフィリップスから出てきた会社である。TSMCのメイン株主ももともとフィリップスだった。そこから台湾企業がどんどん強くなっていく流れになった、と。
日米半導体協定:1986年7月に日米政府間で最終合意され、同年9月2日に締結された。米国は日本市場の閉鎖性を理由に対日輸出が増えないと主張し、通商法スーパー301条の発動を交渉上の圧力として用いた。協定の内容は、日本政府による外国製半導体の活用奨励、対米輸出6品目のコストと価格の監視、米商務省によるダンピング調査の中断、第三国市場向け3品目の価格監視など5点からなり、期間は5年とされた。加えて秘密裏に交わされたサイドレターでは、外国製半導体のシェアを5年以内に20%以上にするという数値目標が設定されていた。
TRON:1989年、スーパー301条に基づき、TRONが「不公正な貿易慣行」として名指しで批判された。日本政府がTRONを公共調達などで優先的に採用しようとする動きが問題視されたものである。中川氏の「TRONも潰された」という表現は、この経緯を指している。
ASMLとTSMCの出自:マイキー氏の指摘は正確である。ASMLは1984年、フィリップスとASMインターナショナルの合弁会社として設立された。フィリップスがフォトリソグラフィ技術を提供し、両社が50対50で出資する形だった。TSMCは1987年2月21日に設立され、フィリップスは半導体技術の移転と特許ライセンス供与、約5,800万ドルの出資と引き換えに、初期出資比率27.5%を取得している。台湾政府と並ぶ最大の外国株主だった。
興味深いのはその後で、フィリップスは1995年のASML上場時に約50%を保有していたが2007年までに全株を売却し、TSMCについても2007年から16%相当の売却を始めて2000年代後半に完全に手放している。つまり日本の半導体が潰された時期に生まれた二つの会社は、いずれも欧州企業の出資で立ち上がり、その欧州企業自身は果実を取り切る前に降りていた。この事実は、産業の勝敗が技術力だけでなく、誰がどこまで持ち続けるかによって決まることを示している。
日本の半導体が政治的に潰されたという物語は、しばしば被害者意識として語られる。だがセッションで示された構図はより冷徹である。潰された空白に、オランダの装置メーカーと台湾のファウンドリが入った。同じ圧力が今度は中国に向けられている。そのとき空白に入るのは誰か――という問いが、後半の議論につながっていく。
グローバル経済への転換点で欧米が何をしたか。マイキー氏の答えは明確である。1970年代、80年代、90年代にかけてグローバル化社会に入っていく過程で、欧米で圧倒的に増えたのはビジネススクールだった。MBAを取る人が20年間で5倍に増えた、と。
中国についても同様の指摘がなされた。中国で最も増えたのも同じくMBA(中国ではEMBAという呼び方をされることが多い)である。アメリカに人を大量に派遣し、アメリカの手法を取り入れて自分たちのビジネススクールを作っていった。しかも彼らの場合は、そこに敵対国である民主主義の政治の勉強まで入れる。
対して日本は、グローバル化に遅れを取ったのは自分たちに問題があるという事実を認めずにドアを閉めた。世界標準の経営が世界では確立されていくなかで、失われた30年と言われるのは、ただ自分たちの余韻に浸っていただけである――というのがマイキー氏の総括だった。さらに追い打ちとして、当時の日本でMBAを取ると何と呼ばれたかという問いが投げられる。外国かぶれ扱いされる人がたくさんいたのである。そういう社会だったから30年間も放置され、いま慌てても、30年間無視してきた分だけ反動は大きい、と。
米国におけるMBA学位授与数の推移
出典:Claude作図。米国のMBA学位授与数は1960年に4,643件、1970年に21,599件、1981年に54,000件超、1983年に約63,000件と報じられている数値に基づく
米国のMBA学位授与数は、1960年の4,643件から1970年には21,599件へと約4.7倍に増加し、1981年には54,000件を超え、1983年には約63,000件に達したと報じられている。つまり1960年から1970年の10年間だけで約4.7倍、1960年から1983年の23年間では約13.6倍という伸びである。
マイキー氏の「20年間で5倍」という発言は、増加のスピードとしてはむしろ控えめであり、実際にはより急峻な伸びだった。ただし起点の年をどこに置くかで倍率は大きく変わるため、この差は数字の誤りというより、参照した期間の違いによるものと考えられる。要確認 いずれにせよ「グローバル化に向けて欧米が経営教育を急拡大させた」という論旨は、データによって明確に支持される。
なおMBAという学位そのものの起源は、1908年にハーバード大学経営大学院が開設した課程にさかのぼる。中国におけるMBA教育は1991年に正式に始まり、EMBA課程は2002年に導入された。中国がアメリカの手法を取り込んで自国のビジネススクールを構築していったというマイキー氏の描写は、この時期に対応している。
参加者から核心的な問いが出た。中国も半導体で同じように潰されているのに、なぜ中国はやられてもやり返すのか。何がそんなに違うのか、構造の違いなのか、それとも何か別のものなのか。
マイキー氏の答えは端的だった。日本は防御力ゼロだからである。中国はこれだけアメリカに嫌がらせをされていて、いまアメリカが中国にやっていることは、当時アメリカが日本にやっていたことよりもきついくらいである。それにもかかわらず、日本はそれで意気消沈してしまった。中国は「関係ない、アメリカなんか自分たちは超えるんだ」と本気でアメリカを潰しにかかろうとするくらい頑張っている。その忍耐力がなかった、と。
参加者からは、日本はアメリカがダメだったら困ったなとなってしまい、他に売ればいいという発想がなかったのではないか、中国はBRICSに向かおうとする、という応答があった。マイキー氏はこれに人口の観点を加える。中国はあれだけの人口がいるので、その中で弱肉強食にさらされればとんでもない化け物が生まれてくるのは当たり前である。インドも同じで、10億人の中で競争させられて勝ってくる人間は、日本で勝つより10倍以上難しい。前回の勉強会で中川氏が指摘したとおり、ファーウェイの研究者は11万人いる。化け物のように頭のいい人間が11万人もいる会社にどうやって勝つのか、という問いである。
ファーウェイの2024年年次報告書によれば、2024年12月31日時点でR&Dに従事する従業員は113,000人で、全従業員の約54.1%を占める。「研究者が11万人」という発言は、公開データとほぼ一致している。
同社は2024年にR&Dへ1,797億元を投じており、これは年間売上高の20.8%にあたる。過去10年間の累計R&D投資は1兆2,490億元に達し、保有する有効特許は15万件を超える。2024年の売上高は約1,180億ドルで、増収ながら利益は減少した。米国の輸出規制下にありながらR&D比率を20%超に維持している点が、この企業の特異性を示している。
圧倒的な人口母数から生まれる競争淘汰、負けを認めない忍耐力、輸出先を分散させる発想(BRICSなど)、そして敵国の政治制度まで学習の対象にする実利主義。技術を持っていかれても、次を作りにいく。
叩かれたときに立ち上がる防御力と反発力。売り先をアメリカ以外に切り替える発想。そして「自分たちに問題がある」という認識を受け入れる姿勢。半導体を潰されたとき、日本は意気消沈して終わった。
中川氏はここで、実務的で微妙な論点を持ち出した。ファーウェイ側から見れば、アメリカにこれだけ叩かれているため、日本の部分は日本で伸ばしたい。なぜなら日本にはサプライチェーンが数多くあり、彼らにとって魅力的だからである。だからもっと日本の人とうまくやっていきたいと考えており、日本の大学の研究室にもかなり寄付をしている。だから今こそファーウェイとうまくやったほうが、日本の大学にも日本企業にもいいのではないか、と。ソニーをはじめ、大きな声では言われないがファーウェイのサプライチェーンに入っている企業はたくさんある。これだけ叩かれても日本にきちんと発注しており、研究所もある。もし自社がサプライチェーンの会社であれば、一緒にやっていくのは得策だと思う、と。
マイキー氏は同意しつつ、「YouTubeで最も荒れる内容ですね、今の内容」と笑った。そのうえで、自分は何人かは関係ないと思っている、合理的だと思ったら何人であろうが付き合えばいい、と述べている。
中川氏はさらに具体例を加えた。ファーウェイはUCバークレーにも高額の寄付をしている。優秀な人材がいるところには大きな寄付をして、そこから人材を取りたいという意図がある。日本でも様々な大学に加え、中学校や高校にもIT教育を無料でボランティアのような形で行っている。九州の学校などでは、心ある校長であれば最先端のことを中高生に教えてあげたいと考えて受け入れてくれる。ただし多くの教師は断ってしまう。コロナ禍の際にも様々な病院にマスクを送ったりしたが、ほとぼりが冷めるとその恩を忘れたかのように冷たい態度を取る、と。マイキー氏はこれを「もったいない、マジでもったいない」と評した。小中学生がファーウェイの社員から直接教えてもらえるなら、それほど得なことはない、と。
この議論は、安全保障上の懸念と経済合理性が正面から衝突する領域にある。セッションでは経済合理性の側から一貫して語られており、安全保障上の観点――技術流出、サプライチェーン依存、大学への影響力行使に関する各国の規制動向――には触れられていない。読み手としては、両者を切り分けて評価する必要がある論点として押さえておきたい。実際に米国、豪州、英国などでは、ファーウェイの通信インフラ参入制限や大学研究への資金提供に対する規制が導入されている。要確認
セッションの最後、渡辺氏が家族社会学の視点から、この日本と中国の差を説明した。これがこの回でもっとも射程の長い議論になった。
日本人は長子相続である。中国は必ず子どもたちがいたら全員に均等に分配する。均等に分配したうえで、その一族がどれだけ増やしたか、どれだけ減らしたかを競い合う。対して日本の場合は、次男や三男を犠牲にしてでも長男を守る。どのような相続の形をとるかということと、その組織や家族のあり方は連続的に相関しており、何を守るべきかを一つにまとめようとする。そうすると、継承するものがどんなに弱かろうと周りが支えるという、そういうシステムを作ろうとする。
中国のように分割相続で分配に分かれる場合は、一人ひとりが分配を受けたうえで自分たちの力をつけなければならない。そういうところから組織というものを考えるので、ある意味それが弱くなりようがない。ここが決定的な差である、と渡辺氏は説明した。
| 日本(長子相続) | 中国(均分相続) | アラブ(能力継承) | |
|---|---|---|---|
| 継承の基準 | 長男であること(生得的地位) | 全員に均等分配 | 最も優秀な男子(長子とは限らない) |
| 継承後の力学 | 継承者がどんなに弱くても周囲が支える | 分配後、増やしたか減らしたかを競い合う | 継承者が家族全員に責任を持つ |
| 組織への含意 | 弱い中心を守る設計。個の強化は後回し | 個々が強くならざるをえない。組織が弱くなりようがない | 能力主義。ただし全員の祝福を前提とする |
| 外部との関係 | 正当性の証明を外部との接続に求める | 敵であっても握手する。ネットワークを資源として扱う | 神託を受けた者として、全員の承認を得る |
この構造から、行動様式の違いが導かれる。中国は家族の中で減らす者が出ることを前提としたうえで、ネットワークを強くする。家族の人的ネットワークやリソースがどれだけ強いかをかなり意識しており、だから彼らは敵であっても握手しようとする。中国人の粘り強さは筋金入りで、親の敵でもこちらから握手しに行く。日本人は絶対にそれをしない。なぜなら日本人は、それをしないことが周囲から承認されることであり、同時に自分が正当な相続者であることを伝えることになるからである。だから中国人にとって「生涯の敵対者」というものは存在しない――これが渡辺氏の結論だった。
この整理を受けて、参加者から「中国が兄弟で分配するということは、裏切ることも前提として含まれるということであり、一子相伝と比べると圧倒的にレジリエンスが強いのではないか」という応答があり、渡辺氏は肯定した。
渡辺氏はさらに、日本人が外から来たものに対してコンプレックスを抱く理由についても、民俗学の概念を持ち出した。折口信夫という文学者が唱えた「まれびと」という思想がある。日本人は外部に対して特有のコンプレックスを抱くが、それを受け入れる姿勢は、祝いや祭りという形式によって媒介される。この形式を使うことで日本は外との関わりを持ち、外のものを受け入れる。逆に言えば、その設計が内部にも外部から来る人にも欠けている場合、日本人はそれをなかなか受け入れない。家族システムや日本人の精神構造という観点から見れば、そうした法則性が見えるのではないか、と。
折口信夫(1887〜1953)は国文学者・民俗学者・歌人で、釈迢空の号でも知られる。柳田國男と並ぶ日本民俗学の創始者の一人である。「まれびと(客人・稀人)」は折口の中心概念で、海の彼方の常世国から定期的に来訪し、祝福をもたらして去っていく神を指す。この来訪神の観念が、日本の祭祀や芸能の起源にあるとする説である。渡辺氏が「外から来るものを祝いや祭りという形式で受け入れる」と述べたのは、この折口の枠組みに正確に対応している。折口が三島由紀夫らに影響を与えたという指摘も、実際に三島が折口に師事した時期があったことから、一定の裏づけがある。
相続形態から社会構造を説明するアプローチについては、フランスの歴史人口学者エマニュエル・トッドの家族システム論が代表的である。トッドは世界の家族類型を、親子の同居関係(自由か権威か)と兄弟間の相続(平等か不平等か)という2軸で分類し、日本を「直系家族(権威主義家族)」、中国を「外婚制共同体家族」に位置づけた。直系家族は長子が親と同居し家産を継承する不平等相続を特徴とし、共同体家族は兄弟間の平等相続を特徴とする。トッドはこの家族類型が、その社会の政治イデオロギーや近代化の経路を規定すると論じている。渡辺氏の議論は、トッドの類型論とほぼ同じ構造を、日中の組織文化の差の説明に応用したものと読める。
なお中国の均分相続については、諸子均分という慣行として歴史的に定着していたことが知られている。これが土地の細分化と、それを補うための宗族ネットワークの強化につながったという説明は、中国社会史における標準的な議論と整合している。
マイキー氏が「アラブは逆で、優秀な男が家を全部継ぐ。長子とは関係なく優秀かどうかで決める」と補足すると、渡辺氏はこれを承けて説明を加えた。ベドウィンとして生きていけなくなるため、能力による継承にならざるをえない。その代わり、継承者は家族全員に対して責任を持つ。そして逆に、全員の祝福を受ける。この「祝福を受ける」という形が重要で、日本のように長子以外を排除する形ではなく、すべての者の承認を得るという形になる。なぜなら、その相続を受ける者は神の託宣を受け入れるということであり、家族全体の祝福を受ける問題として、彼が預かったものであると見なされるからである。
渡辺氏の議論は、最後に日本企業の統治の問題へと帰ってくる。中国の場合、外部のものを入れずCEOは中国人であるが、その代わり一人ひとりが強くなれるように、そして組織をどうやって底上げできるかという点について綿密な設計がある。対して日本の場合は、長子相続や天皇といった権力ある存在とどう繋がるかという妥当性、正統性をどこに証明するかというところに、権力継承の焦点がある。
そして日本が繋がる相手として決めたのがアメリカだったが、アメリカは日本の親にはなれなかった。そもそも親になる存在ではないため、いくら尽くしても無駄でしかない。日本は自分たちのリソースやエネルギーを差し出す相手を間違えているとしか言えない。アメリカを親と見ているというだけで、感情論になっている。日本とアメリカの関係も、日本と中国の関係も、説明において感情論になっている。要するに家族としてしか見られていない――これが渡辺氏の指摘だった。
会社の状況も同じであり、そのフィロソフィーがそのまま引き継がれている、しかも無意識に引き継がれる、というやり取りがあった。権力を持つと絶対に手放したくないという傾向もある。渡辺氏はこれを「もう父親のふりをするんです」と表現した。やっていることはみんな父親である。彼が発揮している合理性とは、父親としての合理性でしかなく、だからその想像力を出られない。
結果として、組織の中に優秀な人がいても、その父親を乗り越えられるような人がいない、あるいは認められない。組織の設計自体が、父親の後に継ぐ者としての立場を見せたほうが最も得るものが大きいようにできている。あえて能力を示した途端に、排除される可能性が高くなる。この構造こそが、前半で議論された「何度も社長候補を外から引っ張ってきているが全員辞めている」という事例の説明になる、と参加者が指摘し、渡辺氏は「家族の関わり方から身につけている、何か奴隷根性のようなもの」と応じた。
そのとおりで、だから「奇跡の復興」と言われている。海外の論文を見れば分かるが、日本の復興は奇跡だとする論文が多い。朝鮮戦争の特需があり、人口ボーナスがあり、識字率が高く、上に何も申さずただ実行する人たちがいて、安価な労働力で海外に輸出してきた。しかしその後は何もない。今はイエスマンしかものを考えない社員ばかりになってしまった。(マイキー氏)
日本の復興の奇跡には、朝鮮特需に加えて1ドル360円の時代で外貨を極めて稼げたこと、そして中国がいなかったことがある。天安門事件まで中国は世界に出てきていなかった。事件後に鄧小平が黒い猫でも白い猫でもネズミを取るのがいい猫だと言い、急に経済を回してきた。人件費が安く、そこそこ真面目に働き、圧倒的な数の若者がいたので、製造業を持っていかれた。鉄のカーテンが溶け、プラザ合意で円高にさせられ、そこに中国が出てきてとどめが刺された。ただし当時の日本の実質平均成長率は10%を超えていた。今の中国でもできていないような成長なら、それは奇跡だろう。(中川氏)
中国人は負けん気がすごい。そして日本は防御力ゼロである。いまアメリカが中国にやっていることは、当時アメリカが日本にやっていたことよりもきついくらいだが、それでも中国は「関係ない、アメリカなんか超える」と本気でアメリカを潰しにかかろうとするくらい頑張っている。日本にはその忍耐力がなかった。加えて中国はあれだけの人口がいるので、その中で弱肉強食にさらされればとんでもない化け物が生まれてくるのは当たり前である。インドも同じで、10億人の中で勝ってくる人間は日本で勝つより10倍以上難しい。ファーウェイの研究者は11万人いる。その規模の頭脳集団にどうやって勝つのかという話である。(マイキー氏)
ファーウェイ側から見れば、アメリカにこれだけ叩かれているため日本の部分は日本で伸ばしたい。日本には彼らにとって魅力的なサプライチェーンが数多くあるからである。だから日本の人ともっとうまくやっていきたいと考えており、日本の大学の研究室にもかなり寄付をしている。今こそファーウェイとうまくやったほうが、日本の大学にも日本企業にもいいのではないか。ソニーをはじめ、大きな声では言われないがファーウェイのサプライチェーンに入っている企業はたくさんある。これだけ叩かれても日本にきちんと発注しており、研究所もある。自社がサプライチェーンの会社であれば、一緒にやっていくのは得策だと思う。(中川氏)
同意する。ただしYouTubeで最も荒れる内容だとも思う。自分は何人かは関係ないと考えており、合理的だと思ったら何人であろうが付き合えばいいという立場である。(マイキー氏)
ファーウェイはUCバークレーにも高額の寄付をしている。優秀な人材のいるところに大きな寄付をして、そこから人材を取りたいという意図がある。日本でも大学に加え中学・高校にもIT教育を無料でボランティアのように行っており、心ある校長であれば受け入れてくれる。ただし多くの教師は断ってしまう。コロナ禍でも病院にマスクを送ったりしたが、ほとぼりが冷めると恩を忘れたかのように冷たい態度を取る。(中川氏)
これは家族社会学の見方をすれば、家族的な類型で説明できる。日本人は長子相続であり、中国は必ず子どもたち全員に均等に分配する。均等に分配したうえで、その一族がどれだけ増やしたか減らしたかを競い合う。日本の場合は、次男や三男を犠牲にしてでも長男を守る。相続の形と、組織や家族のあり方は連続的に相関しており、何を守るべきかを一つにまとめようとする。そうすると、継承するものがどんなに弱かろうと周りが支えるシステムを作ろうとする。中国のように分配に分かれる場合は、一人ひとりが自分の力をつけなければならないところから組織を考えるので、弱くなりようがない。家族は必ず無意識的な形を与えるものとして存在する。(渡辺氏)
折口信夫という文学者が唱えた「まれびと」という思想がある。日本人が外に対してどのようなコンプレックスを抱くか、そしてそれを受け入れる姿勢は、祝いや祭りという形式によって媒介される。この形式を使うことで日本は外との関わりを持ち、外のものを受け入れる。その設計が内部にも、外部から来る人に対しても欠けているとすれば、日本人はそれをなかなか受け入れない。折口は大江健三郎や三島由紀夫といった人々に影響を与えた人物で、彼らこそが日本人の将来を最も予測していた。日本の行き先がどう変わるかを、日本人の特質――外部のものに対する感受性――という観点から捉え、システム作りを提唱していた。(渡辺氏)
強い。家族の中で減らす者が出ることを前提としたうえで、ネットワークを強くする。家族の人的ネットワークやリソースがどれだけ強いかをかなり意識しており、だから彼らは敵であっても握手しようとする。中国人の粘り強さは筋金入りで、親の敵でもこちらから握手しに行く。日本人はそれを絶対にしない。なぜならそれをしないことが周囲から承認されることであり、自分が正当な相続者であることを伝えることになるからである。だから中国人にとって生涯の敵対者は存在しない。(渡辺氏)
アラブでは優秀な男子が家を全部継ぐ。長子かどうかは関係なく、優秀かどうかで決める。ベドウィンとして生きていけなくなるためである。その代わり継承者は家族全員に対して責任を持ち、逆に全員の祝福を受ける。祝福を受けるという形が、日本のように長子以外を排除する形ではなく、すべての者の承認を得るという形になる。その相続を受ける者は神の託宣を受け入れるということであり、家族全体の祝福を受ける問題として彼が預かったものだと見なされるからである。(渡辺氏)
そのとおりで、しかもこれは無意識に引き継がれる。力関係においてもそうである。その代わり権力を持つと、絶対に手放したくないというところもある。もう父親のふりをするのである。やっていることはみんな父親であり、彼が発揮している合理性とは父親としての合理性にすぎない。だからその想像力を出られない。結果として、組織の中に優秀な人がいてもその父親を乗り越えられる人がいない、あるいは認められない。組織の設計自体が、父親の後に継ぐ者としての立場を見せたほうが最も得るものが大きいようにできている。あえて能力を示した途端に排除される可能性が高くなる。これは家族の関わり方から身につけている、何か奴隷根性のようなものだと考えている。(渡辺氏)