この回で扱われたこと
この日の勉強会の後半は、講師の書籍の発売を控えたプロジェクトの説明に充てられた。表面上は本を売るという話だが、講師も進行役も繰り返し「これは組織論の実験である」と位置づけている。売る・買うという話ではなく、自分のところに取り入れられるものは何かという視点で聞いてほしい、という前置きから始まった。
この回でもっとも学ぶところが多いのは、実は買い回りの手順ではない。二つの設計、すなわち出版社との交渉をどう組み立てたかと、金銭的な契約が存在しない集団をどう統制するかという設計である。前者では、講師は相手個人の社内評価を交換材料に据えるという方法をとった。後者では、メンバーに自己判断を禁じ、KPIを一つに絞り、情報の開示を意図的に遅らせるという設計をとっている。
講師自身の言葉では、この組織は「会社を作る組織の100倍ぐらい難しい」。理由は明快で、金銭的な契約がないからである。契約がない集団をそれでも機能させられるなら、それはノウハウになる。だから最後まで参加した人には生の数字をすべて開示する、というのが講師の提示した交換条件だった。
この回を貫く一本の線
講師が一貫して使っているのは、「相手にとって断れない構造を先に作る」という手順である。出版社の担当者に対しては、協力すればその人自身のキャリアが上がる形にした。参加者に対しては、協力すればふだん見られない生の数字と設計の種明かしが見られる形にした。どちらも、こちらの要求を通すために相手の利益を先に設計している。頼み込むのではなく、断ると相手が損をする配置に持っていく。この一点が、交渉の話と組織の話の両方を貫いている。
始まる前の10分に出ていたこと
この日の会は、雑談ではなく統制の話から始まっている。講師はまず、何人かに依頼したリーダーの発言について「僕が依頼している以上、リーダーが言っていることは僕が言っているのと同じだと思ってほしい。リーダーの発言は僕の責任で動いている」と述べた。そのうえで、その場その場で自分の役割を果たさないまま意見を言うのは非常に危険だ、と釘を刺している。
続いて、参加者から出ていた提案について、はっきりと制止が入った。積極的に寄付をしよう、図書館に寄贈していこう、という趣旨の意見が出ていたという。講師の回答は、図書館への寄贈は基本的に完全にNGである、というものだった。理由は二つ挙げられている。第一に、それが適切かどうかを検証したのか。善意であることと、それが適切であることは別の話であり、やることでマイナスになる場合がある。第二に、こちらが言わないことには言わない理由がある。事実性が確認できていないうちに次々と発信するのは、混乱の原因になる。
この二点は、この回の後半で語られる「メンバーは自己主張しないでほしい」という指示と同じ構造をしている。善意の提案が全体最適を壊しうる、という前提が最初から置かれていた。
名簿が出せない、という実務の詰まり
会の序盤は、参加者からの質問で予定外の実務対応に入っている。ロールは取得したがチーム分けが分からない、という声である。事情は次のようなものだった。事務局側に名簿の提出を求めたところ、個人情報を理由に断られた。その結果、運営側でも誰が誰か把握できない状態が生じた。さらに、参加者のディスコード上の表示名と申し込み時の氏名の乖離が激しく、照合ができない。
講師の対応は速かった。個人名を出したくないという数名を除外して残りを出せ、それも嫌なら該当者だけディスコード名で出せ、と伝えたという。この場面で講師は、「あなたの個人情報のどこに価値があるのか、分かりやすく説明してください」という言い方をしている。著名な経営者のクレジットカード情報なら欲しいかもしれないが、と続けたうえで、一般の参加者の氏名にそこまでの価値があるのかという問いを投げた。
会の終盤では、この話が別の角度から蒸し返されている。運営の不便という以上に、名前が一致していないこと自体が本人の機会損失になっている、という指摘である。自分の名刺と、この場で言っていることが一致しない状態になる。だから一貫した名乗りを持つべきで、それは本名でなくてもよい。あるニックネームで一貫して呼ばれている参加者の例が挙げられ、一貫性さえあれば認知は成立する、と説明された。
📌 Claude補足|運営の便宜と個人情報保護は、どちらも正当な要求である
この場面は、講師の主張と、名簿提出を拒んだ側の主張のどちらにも根拠がある。日本の個人情報保護法では、あらかじめ本人の同意を得ずに個人データを第三者に提供することは原則として認められておらず、事務局側が慎重になること自体は法令上の理由がある。運営効率の観点から「価値がない情報だから出せ」という論法は、法令が保護しているのが情報の経済的価値ではなく本人の同意である以上、そのままでは通らない。
実務上の解としては、講師自身が示した「ディスコード名だけで出す」という代替案のほうが筋がよい。照合に必要な最小限の識別子だけを扱う形になるためである。この回でこの論点が二度出てきたことは、無償の組織で最初に詰まるのが本人確認であるという事実を示している。
相手の昇進を交換材料にする
この回でもっとも具体的な交渉の記録が、出版社との打ち合わせの報告である。講師はこの日の昼、担当編集者を呼んで40分間の交渉を行い、二つの成果を持ち帰ったと述べた。初期の刷り部数を1万1,500部まで引き上げさせたこと、そして通常は社外に出さない社内データを提出させたことである。
交渉の組み立ては、次のように語られた。まず講師は、担当者の社内での位置づけを持ち出している。編集部にはいくつかの部があり、優秀な人材は別の部に集まっている、自分の担当は評判の芳しくない部だと聞いている、と面と向かって伝えた。そのうえで、自分が協力してその人の交渉力が上がるように手伝う、と提案する。交渉力が上がれば他の著者を担当するときにも仕事がやりやすくなり、本人のキャリアアップにつながる、という筋書きである。
次に、こちら側の準備を全部見せた。どういう仕組みを作り、どういう組織を作り、どういう流れを設計しているか。他の著者でこのアプローチをした人がいるかと尋ね、いないという答えを引き出した。さらに、使える現金だけで2億5,000万円を用意してあり、それを投じる準備もできている、と提示した。そのうえで「それでも情報を渋りますか」と問うている。
締めくくりの論理はこうだった。これだけの仕組みと組織と予算を用意して、あなたのキャリアアップのためにもこのチームは成功する必要がある。今回を逃せば二度とこのチャンスはない。だから協力してもらうために、まず社外に出せない社内データを全部こちらに寄越してほしい。出せる分だけでいい――講師によれば、相手はこれを受け入れた。
この交渉の構造
ここで交換されているのは、金銭でも部数でもない。担当者個人の社内評価である。講師が持ち出したのは、「この案件が成功すれば、あなたは社内で名の通ったプロデューサーになる第一歩を踏み出す」という将来価値だった。相手にとって、断ることのコストが「今の状態が続く」ではなく「一度きりの機会を逃す」に変わっている。これが成立するのは、こちら側が先に、成功が実際に起こりうると信じさせる材料――組織・設計・予算――を出しているからである。順序が逆だと、単なる要求になる。
講師はこの交渉を「これが営業です」と表現した。うまくいけばあなたのキャリアアップにつながる、と言われれば、やらざるを得ない。同席していた出版支援の実務者からも、他の著者の案件を横断して見ているが、この形は見たことがないという評が出ている。
📌 Claude補足|書籍の刊行事実そのものは裏づけが取れなかった
要確認本セクションで扱った部数(1万1,500部から2万部へ、3か月で5万部までのロードマップ、最終目標10万部)、予算2億5,000万円、担当編集者の所属部署に関する評価は、いずれも勉強会での講師の発言によるものである。刊行日として言及された2026年3月4日を含め、これらを公開情報で裏づけることはできなかった。数字はすべて発言の記録として扱っており、確認された事実ではない。
なお、一般論として出版流通の仕組みは発言と整合する。印刷から店頭に並ぶまでにおおむね3週間程度を要するため、初期在庫が薄いと売り切れてから補充までに空白が生じる。だから発売前の段階で増刷を決めさせたい、という講師の判断は、この時間差から出てくる合理的なものである。
お金の契約がない組織は、なぜ100倍難しいのか
講師はこの企画の目的を、部数でも見込み客リストでもないと繰り返した。「リストはどうでもいい」とまで言っている。目的は、参加者に組織論を体験させることである。とくに経営者と、管理職の立場にある参加者に向けて。
難易度の説明は明快だった。会社の組織は金銭的な契約で成り立っている。給与という対価があるから指示が通る。ところがこの企画の組織には、その契約がない。それでもどうやって機能させるのか。だから普通の組織の100倍難しい、というのが講師の説明である。裏を返せば、ほとんどの人は会社という場で「お金で契約を取っている」だけであり、それは非常に楽なことなのだ、とも述べている。
そのうえで講師は、この難しい条件で機能させられたなら、それは再現可能なノウハウになると位置づけた。組織の作り方、リーダーシップの張り方、予算の抑え方、プレゼンテーションの効き方。それらを全部証明する、と宣言している。プレゼンで買わせられなかったら全員でバカにしてもらって構わない、という言い方までしている。
金銭契約のある組織
指示に従う理由が対価として最初から用意されている。従わない場合の不利益も制度として存在する。統制のコストは、給与という形であらかじめ支払われている。講師の表現では「めっちゃ楽」。
金銭契約のない組織
従う理由を別のところから調達しなければならない。この企画では、参加そのものが学習機会であること、最後まで残れば生の数字と設計の種明かしが見られること、そして講師個人に無理を聞いてもらえること、の三つが対価として設計されている。
この三つ目、「僕に無理を言ってください」という提示は、この回で二度繰り返された。リーダーにもそう伝えており、できるだけ無理は受けるつもりだという。協力してもらえばもらうほど、こちらからも頼みやすくなる、という相互性の設計である。地方への訪問についても、福岡・名古屋・大阪・東京・東北・北海道を回って挨拶したいと述べ、福岡については現地の参加者が全面的に手配してくれるので確実に行くと明言した。
自己判断を禁じるという統制
進行役から示された運用ルールの中核は、意外なほど単純である。メンバーは自己主張をしないでほしい、というものだった。
理由の説明はこうである。自分にとって良いことと、全体にとって良いことは別である。個々の判断が入ると統制が取れなくなり、結果としてデータにならない。ではなぜリーダーは判断してよいのか。リーダーとは事前に打ち合わせをしており、方針を踏まえたうえで動けることが確認できているからである。実際、リーダーの多くは日頃からコミュニケーションを取っている人から選ばれており、意思疎通の齟齬が少ないと見込める人を選んだ、と明言されている。
メンバーに求められるのは、リーダーの指示をいかに着実に実行するか、そして自分で実行できない場合にどう相談するかである。質疑では、指示について疑問があるときはメンバー同士で相談するよりリーダーに聞くべきか、という確認が出た。回答は明確で、メンバー同士で相談するとルールを把握しきれていない状態のまま話が進んでしまう、というものだった。
KPIを一つに絞る
この統制を成り立たせているのが、KPIの単純さである。1チームあたり、1日5冊。これだけ、と講師は言い切った。条件を増やせば増やすほど個々の判断が入り込み、統制が崩れる。だから条件をなくしてある、という設計である。進行役も同じことを繰り返した。「いろいろなことを考えて、これだったらこう、という条件を足して自分の判断を入れないでください」。何も考えなくていい、むしろ何も考えないでほしい、という指示にまで至っている。
組織の単位は21チーム、1チームあたりおよそ10名から15名。参加表明は250名ほど。さらにチーム内では2〜4人のバディを組み、互いの実行状況と漏れを確認し合う仕組みが置かれた。報告は原則としてリーダーが取りまとめてフォームに登録する形とし、これはリーダーの負担が増える代わりに集計のずれが減るという判断である。ただし進行役は、これが絶対ではなく、トライアンドエラーのための基準に過ぎないと断り、途中で変更を求めてよいと明言している。
買い回りという手段の設計と、その位置づけ
実行の中核に置かれたのが、実店舗での購入である。オンラインでも買えるのになぜ書店なのか、という問いに対する説明はこうだった。書店に足を運ぶ人は、そもそも本を買うという目的を持っている。そこでランキングに載り、平積みの位置を取れれば、表紙の印象や配置だけでも購入動機が変わる。実店舗の影響力はまだかなり強い、という前提が置かれていた。
設計上の要点として説明されたのは、購入冊数そのものよりも購入された店舗の数が効く、という点である。チェーン店のランキング集計では、同じ人が複数冊買っても1冊としてしかカウントされない。したがって同じ店で数を積んでも意味がなく、費用だけがかかる。分散させること、そして大型店より小規模店を優先することが指示された。小規模店のほうが購入者が少ないため、新たにアクセスされた店舗としてカウントされやすいからである。
逆に、大型店では買わないほうがよい場面があるとも説明された。平積みの残りが3冊程度まで減っている場合は購入を控えること。全部買ってしまうと一般の購入者が買えなくなるためで、大型店のほうが自然に売れる可能性が高いという判断が背景にある。
そのほか、購入時には記録が個人に紐づかない形をとること――現金決済を原則とし、ポイントカードやキャッシュレス決済を避けること――、同一店舗に一日に二度行かないこと、店頭で目立つ行動をとらないこと、レシートは店を出てから撮影すること、といった運用が指示された。購入した本は後日回収し、5月と9月の投資イベントのブースで配布して見込み客リストの取得に使う予定である、とも説明されている。
この手法の位置づけについて
組織的な買い回りによってランキングを形成する手法は、出版業界で以前から行われてきた実務である一方、書店ランキングの信頼性を損なう行為として批判もある。取次や書店チェーンは不自然な購入の検知を行っており、通販事業者も規約で不自然な購入行動を制限している。本セクションは勉強会で語られた内容の記録であり、実行を推奨するものではない。読者が自分の事業に取り入れる際は、対象となる事業者の規約や業界慣行を各自で確認されたい。
なお、この手法そのものについては既存レポート『数字で作る出版の売り方』でより詳しく扱っている。本レポートで記録したのは、その手法を250名規模の無償の集団で実行するための組織設計の側である。
情報を出さない理由を、あえて説明する
質疑の終盤で、実務的な質問が出た。本の代金は各自が立て替えて後から精算するのか、買った本はどこに送るのか。進行役の回答は、それは後から出す、というものだった。ただしそこで終わらず、なぜ今それを明確にしないのかという理由まで説明している。
説明はこうである。情報を出すのにも理由があり、出さないのにも理由がある。適正なタイミングで適正な情報を出すことが重要である。講師はこれを、以前の講義で使った表現で言い換えた。「情報の出したがりは露出狂だ」。露出狂は捕まる、というのがオチである。
同じ論理は、成果の開示についても適用されていた。協力した人には情報を後から開示する。なぜ後からか。理由は二つ挙げられている。第一に、参加を継続してほしいから。第二に、結果は後からしか示せないから。継続しなければ結果は出ないのだから、一人でも多くの人に続けてもらうことが重要になる、という説明である。そして、途中で離脱した人には共有しない。最後まで協力した人に対して失礼になるからだ、と条件が明示された。
開示の内容は、講師自身の言葉ではかなり踏み込んだものになっている。半年やり切れば、その場で数字を出す。場合によっては3か月目に中間の数字を出すかもしれない。入りと出の金の面をすべて透明化し、どれだけコストを下げられたのか、プレゼンテーションにどれだけの効果があったのかを、生の数字で見せる。そして設計の意図――なぜこれをやったのか――も含めて種明かしをする。それを見てもなお自分の経営スタイルに疑問を持たないなら、それはそれで末期だ、とまで述べている。
ここで設計されているもの
情報の開示タイミングが、そのまま参加のインセンティブとして機能している。先に出せば継続する理由が消え、出さなければ協力する理由が生まれない。だから「最後まで残った人にだけ、後から全部出す」という形になる。金銭的な契約がない組織で、講師が対価として設計したのはこの非対称な情報だった。PART 1 の交渉で担当編集者に提示した「あなたのキャリアが上がる」という将来価値と、構造は同じである。
プレゼンテーションと、外部のレバー
講師はこの企画を通じて証明したいものとして、プレゼンテーションの効果を繰り返し挙げた。ビジネスにおいてプレゼンと営業がもっとも重要だと言い続けてきた以上、それを数字で示す、という立て方である。過去の実績についても、あれは4割程度の力しか出していない、1時間で考えた内容だ、24時間考えればもっと作れる、といった言い方をしている。
もう一つ、外部のレバーとして紹介されたのがPR会社の存在である。講師は月70万円のコンサルティング費用を支払っており、それを安いと感じていると述べた。担当者の能力について、経済誌やウェブメディアへの掲載を次々に通してしまう、通常は載らない領域の記事まで通す、という評価が語られている。講師自身は、この能力を「悪の根源」と呼んで本人にも伝えたという。実体のない人物までメディアに出してしまえるだけの能力がある、という意味での評価である。マイキークラブで1月に話した内容が3月末から経済メディアに掲載され始める予定だ、とも述べられた。
📌 Claude補足|PR費用の水準について
要確認PR会社への月額70万円という金額、掲載予定のメディア名、担当者の実績に関する記述は、いずれも講師の発言による。第三者による裏づけは取れなかった。
一般論として、企業向けPRエージェンシーのリテーナー契約は月額数十万円から百万円超まで幅があり、70万円という水準は日本の市場で特異に高いわけでも安いわけでもない。ただし「掲載を確実に取れる」ことを対価とする契約は、報道機関の編集判断との関係で慎重に扱われるべき領域であり、記事広告(タイアップ)と編集記事の区別は読み手の側でも確認する必要がある。
質疑応答
持ち帰るべき課題
- 自分が誰かに協力を依頼する場面を一つ選び、相手が「断ると損をする」構造になっているかを検証する。なっていない場合、相手側にどんな将来価値を先に設計できるかを書き出す。PART 1 の交渉がその型である。
- 自分が関わっている組織のKPIを数えてみる。複数ある場合、それを一つに絞るとしたら何を残すか。条件を増やすほど個々の判断が入り込み統制が崩れる、という今回の設計思想を自分の組織に当てはめて考える。
- 金銭的な契約がない集団――地域活動、ボランティア、社内の有志プロジェクトなど――を一つ思い浮かべ、そこで「対価」として何が機能しているかを言語化する。今回の企画では、学習機会・情報の開示・依頼を聞いてもらえる関係、の三つが設計されていた。
- 「情報を出さない理由」を、自分の仕事で説明できるかを試す。出さない判断をしたときに、その理由を相手に伝えているか。伝えないまま出さないことと、理由を添えて出さないことの差を検証する。