最上級の格付けを持つ一企業の社債が、その企業を課税できる政府の国債より低い利回りで取引される。理屈のうえではありえないこの現象を、市場は「主権リスクの警告」と呼んできた。このセッションは、その定説を歴史事例まで遡って検証したうえで、需給という別の説明を置き直す。
この日の講義は、前回まで扱っていた任天堂の資本構成の話を出発点にして、一段階抽象度を上げるところから始まった。任天堂は株主資本コストだけを負い、負債コストをほとんど負っていない。加重平均資本コスト(WACC)は資本構成の加重平均で決まるから、負債の比率を上げたほうがWACCは下がる。ROICとWACCの差が広がれば、そこに株式の評価が生まれる――ここまでは前回の復習である。ではその「負債」に付く利率、すなわち社債の利回りはどう決まっているのか。講義はそこから、国債と社債の関係へ入っていく。
国債と社債の序列は、教科書的にはきわめて単純だ。国が潰れるのと会社が潰れるのでは、会社が潰れるほうがはるかに起きやすい。国には国債を追加発行する選択肢があり、自国通貨建てであれば通貨を発行する選択肢もあり、そして何より課税権がある。企業は誰にも税を課せない。国は最後の局面で企業を犠牲にして自分を守ることができるが、その逆はない。だから社債にはリスクプレミアムが乗り、国債より高い利回りで取引される。国債はリスクフリーレートの基準であり、社債の利回りは常にそれを上回る。これが順序である。
ところが、その順序が逆転する銘柄が実在する。米国では Microsoft の社債が、同年限の米国債より低い利回りで取引される場面が出てきた。講義ではこれを「ネガティブスプレッド」と呼び、専門用語としてはソブリン・コーポレート逆転(sovereign–corporate inversion)に相当すると説明された。そして市場のコラムニストや一部の経済学者は、この現象を「米国のデフォルト確率が上がっている証拠」として書く。だがマイキー氏の結論は明快で、その読み方は嘘である、と切って捨てた。
否定の根拠は二段構えになっている。第一に、逆転が主権リスクのシグナルだとする研究には、通貨と残存年限という条件変数の統制に穴がある。国と企業が同じ通貨で同じ残存期間の債務を発行し、しかも同じ時期に「生まれた」ケースでしか、その理論はきれいには成り立たない。国と企業の寿命が同じであることは原理的にありえない以上、単純にデータを引っ張ってきて「利回りが逆転したから危ない」と言うのは、前提の吟味を飛ばしている。第二に、逆転はもっと素直に需給で説明できる。インデックス連動の債券運用が巨大化し、利回りの水準にかかわらず組み入れ比率どおりに買い続ける主体が増えた。加えて年金基金と保険会社は、対国債スプレッドとは別の指標――金利リスクへのエクスポージャーの調整――を優先して超高格付けの社債を買う。その需要が、Microsoft のような銘柄の利回りを構造的に押し下げている。
価格の異常は、まず「対象の信用が悪化した」と読まれる。だが同じ価格は「買い手の性質が変わった」でも説明できる。どちらの説明を採るかは、データの外にある構造――誰が、どんなルールで、何を買っているか――を見に行かないと決められない。数字が語っているように見えるものの大半は、実は数字の外側で決まっている。
この日の議論が単なる債券の話に留まらないのは、この構図が後半のデータ分析論とそのまま接続するからである。ひとつの指標を見て結論を出すのではなく、その指標がなぜその値になったのかを分解する。逆転現象という一つの観測に対して、主権リスク説と需給説という二つの説明を並べ、どちらが条件を満たすかを検討する。講義の後段で語られる「因数分解」「クロスチェック」「反証データを先に用意する」という作法は、この債券の事例で先に実演されていた。
議論の入口は参加者への質問だった。負債コストと株主資本コストでは、どちらが高くつくか。答えは株主資本コストである。株主は残余請求権者であり、倒産時には債権者より後ろに並ぶ。その分だけ高いリターンを要求する。加えて支払利息は損金算入できるが、配当はできない。税効果を含めれば、負債は株式より安い資金である。
任天堂はその安い資金をほとんど使っていない。株主資本コストだけを負い、負債コストを負わない構成になっているため、加重平均資本コストは高止まりする。ここで負債の比率を上げればWACCは下がり、投下資本利益率との差(スプレッド)が広がって、そこに株式の評価余地が生まれる――これが前回までの流れとして再確認された。
任天堂の2025年3月期決算短信によれば、連結の自己資本比率は80.2%(個別で81.8%)。日本の上場企業全体の平均が概ね40%台前半であることを踏まえると、突出して高い水準にある。負債による資金調達をほぼ行っていない企業の典型例であり、講義で「株主資本コストだけを負っている」と説明された状態と整合する。裏取り済
なお、この自己資本比率の高さが「なぜ生まれ、なぜ抜けられないのか」という論点は、この日の後半で前田氏が別の角度から掘り下げている。本レポートでは扱わない。
そして次の質問が置かれた。では、その社債にはどの程度の利率が付くのか。国債と比べて何パーセント高いのか。ここで議論は企業から国へ、ミクロからマクロへ移る。
参加者への問いは、国が潰れるのと会社が潰れるのでは、どちらのリスクが高いか、というものだった。会社である。ではその理由は何か。講義は、国が債務超過に近づいたときに取れる選択肢を数え上げていく。
ひとつは国債の追加発行である。既存の債務を新規の債務で借り換える。ふたつめは通貨の発行である。自国通貨建ての債務であれば、名目上の返済は理論的には常に可能になる。そして三つめが課税権だ。国は民間から強制的に資源を吸い上げることができる。講義中の表現を借りれば、国は自分を守るために会社を生贄にすることができる。企業側には、それに相当する手段が何ひとつない。他者に税を課すことも、通貨を刷ることもできない。
国債と社債の利回り差は、財務内容の優劣から自動的に出てくるものではない。国が持つ追加発行・通貨発行・課税という三つの逃げ道と、企業が持つゼロ本の逃げ道との差が、信用スプレッドの正体である。したがって「企業のバランスシートのほうが健全だから企業のほうが安全だ」という論法は、比較の軸を取り違えている。
だから序列は「社債の利回り>国債の利回り」となる。投資家から見れば国債の利回りは低く、社債の利回りは高い。この差が信用スプレッドである。
ここで実務的な示唆がひとつ挟まれた。株式市場を見るとき、多くの人は株価の値上がり率と配当利回りを見る。だが同時に見るべきなのは、その企業の社債発行である。社債には適格機関投資家向けの発行と一般向けの発行の二系統があり、インデックス連動の資金は主に前者の市場に流れ込む。発行条件と発行比率の動きは、株価が反応する前に企業の資金調達環境の変化を映すことがある。
この「株を見るときに債券を見る」という視点は、後段のインデックス需要の議論への伏線になっている。株式のインデックス化ばかりが語られるが、債券市場でも同じことが起きており、そちらのほうが価格形成への影響が直接的だからである。
参加者への問いが続く。もし社債の利回りが国債を下回ったら、専門家はそれをどういうリスクとして語るか。会場からは「国より安全」という答えが出た。市場の標準的な解釈は、そこから一歩進む。企業のほうが安全に見えるということは、国のデフォルト可能性が相対的に高く見積もられている、と読むのである。これがネガティブスプレッドという呼び方の由来であり、学術的にはソブリン・コーポレート逆転と呼ばれる。
そして具体名が挙げられた。米国でこれが起きているのは Microsoft である。Microsoft の社債利回りが米国債の利回りを下回っている――だから米国自体が危ないのではないか。そう捉える専門家も投資家もいる。だが、と講義は結論を先に置いた。それは嘘である。
2025年の米国クレジット市場では、最上級格付けの社債と同年限米国債のスプレッドが実質ゼロ、あるいはマイナスに沈む場面が繰り返し観測された。報道ベースでは、Microsoft の2040年償還債と2040年償還の米国債がともに5.11%で、クレジットスプレッドが事実上消滅した例が挙げられている。同種の現象は Johnson & Johnson の2029年債でも起きており、対国債スプレッドは6ベーシスポイント程度まで圧縮された。裏取り済
また IMF は、米国債が伝統的に享受してきた「コンビニエンス・イールド」(安全資産・高流動性であることによる利回りの割引)が、現代において初めてマイナスに転じたと指摘している。つまり講義で語られた逆転は、Microsoft という個別銘柄の特殊事情ではなく、AAA級クレジット全体にまたがる構造変化の一断面として観測されている。発言との差 講義では Microsoft 一社の話として提示されたが、公開情報では複数銘柄に広がった現象である。
講義中、前提として「米国債はトリプルAを全部外された」という言及があった。これは事実である。
| 格付会社 | 格下げ時期 | 格下げ後 | 備考 |
|---|---|---|---|
| S&P Global Ratings | 2011年8月 | AA+ | 債務上限問題を受けた初の格下げ |
| Fitch Ratings | 2023年8月 | AA+ | 財政運営の悪化を理由に |
| Moody's Ratings | 2025年5月16日 | Aa1 | 最後に残っていた最上位格が失われた |
出典:各社発表および国内報道(Claude が WebSearch で確認)。3社すべてが最上位格から引き下げたのは2025年5月が初。
Microsoft は主要格付会社から最上位格を維持している数少ない事業会社のひとつである。したがって、格付けの表面だけを並べれば「格付けの高い企業」対「格下げされた国」という構図になり、逆転はむしろ自然に見えてしまう。この見え方の説得力こそが、誤読を広げる原因になっている。
ここで講義は、逆転を主権リスクとして読む場合の理論装置を整理した。まず出てきたのがクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)である。会場で「CDSが分からない人」に挙手を求めたところ相当数の手が挙がり、マイキー氏は苦笑しながら、これは債権に対する保険だと説明し直した。リーマンショック時、住宅ローン担保証券にリスクを感じた側が保険を掛けた。掛けた側は、対象が壊れれば儲かる。それがCDSである。
この保険を、企業ではなく国家主体(ソブリン)向けに掛けたものがソブリンCDSである。政府や財務省が発行する債券、自国通貨建て・外貨建ての債務を対象とする。国債と社債の信用力の序列が逆転する局面では、企業CDSのスプレッドよりソブリンCDSのスプレッドのほうが拡大する、という現象が理屈のうえでは対応する。
国内企業の格付けは、原則としてその国のソブリン格付けを上限とする、という慣行的な制約。国の信用状況と企業の信用状況の関係が天井として設定され、企業単体の財務がいくら健全でも、その国の格付けを超えられない。この天井が破られる/機能不全に陥ることが、欧州債務危機の局面で実際に問題になった。近年は多くの格付会社がソブリン・シーリングを緩和・例外化しており、Microsoft のような多国籍企業はその例外の側にいる。
そして講義は、逆転の局面で企業側に何が起きるかを補足した。優良企業ほど、海外への売上分散が進み、外貨建てキャッシュフローが伸びる傾向が出る。自国が危ないかもしれないから、海外の売上で担保しておこう、海外のキャッシュフローを増やしておこう――そういう防衛行動が観測される。市場はそれを「本国から資本が逃げているシグナル」として読む。この読み筋自体は、理屈としては筋が通っている。だからこそ厄介なのだ、というのが講義の趣旨だった。
講義では、欧州の銀行に対するストレステストの結果が傍証として挙げられた。国債利回りの上昇が銀行のファンディングコストを押し上げる傾向があり、資金調達が厳しくなるシグナルになる、という分析である。
講義では「2015年に欧州銀行のストレステストが実際に行われ、ソブリンリスクとの関係が分析された」と述べられた。EBA(欧州銀行監督機構)のEU全域ストレステストが実施されたのは2011年・2014年・2016年・2018年・2021年・2023年・2025年であり、2015年は「透明性演習(transparency exercise)」の年である。発言との差
ただし、この2015年の透明性演習ではEU域内銀行のソブリン・エクスポージャー(国債保有)のデータが2014年12月末・2015年6月末時点で公表されており、国債利回りと銀行の資金調達コストの関係を分析する材料そのものは2015年に出ている。したがって「2015年に欧州銀行のソブリンリスクに関するデータ公表と分析があった」という趣旨は成立するが、「ストレステスト」という呼称は正確ではない。この差は、講義の論旨(国債利回り上昇が銀行の調達を締め上げる)を否定するものではない。趣旨は整合
ここから講義は、過去20年間に逆転が起きた局面を列挙していく。定説を否定するために、まず定説を支える事例を全部並べてみせる、という順序である。
ロシア国債の利回りが30〜40%台にあった時期、社債の平均利回りは15〜20%だったとされた。国債のほうが高いという、明確な逆転である。背景としてアジア通貨危機が挙げられた。
アルゼンチンの国債利回りが40%を超えていた時期、ドル建ての社債利回りは20%台だった。海外収入比率の高い企業がアルゼンチンで増えていき、結果として国内景気がさらに悪化する、という循環が起きた。
10年国債利回りが概ね6〜7%だった時期に、大手企業の社債は4〜6.5%程度で取引されていた。大手企業ほど海外のキャッシュが厚くなり、国債より安全と見なされていった。
ギリシャ国債の利回りが15%から20%へ上昇した局面が語られた。そしてこの時期の象徴的な動きとして、売上の大半を海外で稼いでいたコカ・コーラ系のボトラーが本社をスイスへ再編した件が挙げられた。企業の脱出が、国への不安をさらに煽る形になった。
大規模イベントに向けた調達が膨らみ、国債利回りが15%まで上昇した一方で、企業の平均はドル建てで10%程度だった。国が格下げを受け、財政懸念が広がるなかで逆転現象が発生した。
図1:講義で挙げられた逆転事例の利回り水準(%)。数値は講義中に語られた概数をClaudeが図示したもので、レンジで語られた箇所は中央値を採用。厳密な市場データではなく、講義の論旨を可視化するための作図。
ギリシャ国債の利回り:講義では「15%が20%になった」と語られた。実際には2011年中に10年債利回りが15〜20%台へ上昇し、その後さらに悪化して2012年3月には40%超(一部データでは48%近辺)という史上最高水準に達している。したがって講義の数値は2011年時点の水準としては妥当だが、危機のピークははるかに上だった。発言は危機の初期段階の数値
企業名:講義では「コカ・コーラ」がギリシャに本社を置いていた、という趣旨で語られた。正確にはCoca-Cola HBC(Coca-Cola Hellenic Bottling Company)というボトリング会社であり、コカ・コーラ本体ではない。同社は2012年10月に本社機能のスイス移転と主要上場市場のロンドン移管を発表し、2013年に完了した。アテネ市場の時価総額最大の上場企業が抜けたことになる。趣旨は裏取り済
海外売上比率:講義では「売上の90%が海外」とされた。報道ベースでは約95%が国外収益である。わずかな差 いずれにせよ「本国依存が極端に低い企業が最初に出ていった」という構図は成立する。
並べられた5つの事例は、どれも「国の信用が実際に毀損した局面」で起きている。つまり、逆転が主権リスクのシグナルになりうるという主張には、それなりの実証的裏付けがある。講義がこの後に問題にするのは、その裏付けが「米国とMicrosoftの現在」にも当てはまるのか、という一点である。
ここが講義の転換点である。マイキー氏は、逆転を主権リスクと結びつける研究には穴がある、と指摘した。あくまで現象レベルの相関にすぎない、という留保付きで、専門家に叩かれる覚悟で言う、という前置きも添えられた。
穴は条件変数にある。逆転が主権リスクを示すという理論が厳密に成り立つのは、国と企業が同じ通貨で、同じ残存年限の債務を発行しているケースに限られる。さらに突き詰めれば、国と企業が同じ時期に「生まれた」ときにのみ、比較の土俵が揃う。だが国家と企業が同じ寿命を持つことは原理的にありえない。にもかかわらず、専門家はそこを無視してデータを引っ張り、「Microsoftの社債より米国債の利回りのほうが高いから危ない」と結論づけている。
「AとBの価格が逆転した」という観測を意味のある比較にするには、AとBが同じ条件のもとに置かれていなければならない。通貨が違えば為替とインフレ期待が混入し、年限が違えば期間構造が混入し、発行時期が違えばその時々の市場環境が混入する。これらを統制せずに逆転だけを取り出せば、混入要因のどれかが動いただけの現象を、信用の話として読んでしまう。
そのうえで、そもそもの理屈の非対称性が再確認された。企業に課税できるのは政府である。政府より企業のほうがデフォルトする可能性が高い。さらに社債は国債と比べて流動性が低い。流動性が低い資産には流動性プレミアム(=より高い利回り)が要求されるはずである。理論的な要素をすべて数え上げると、社債の利回りが国債を下回るのはやはりおかしい。おかしいはずのものが起きているなら、理論の外側に原因がある。
ここでマイキー氏が示した数字が、Microsoft の財務状態だった。現金でおよそ1,000億ドルを持ち、長期負債は400億ドル。長期負債の2.5倍の現金がある。財務状況は健全である。一方、米国はどれだけの債務を抱えているか――「30兆」という数字が挙げられた。
Microsoft:FY2025(2025年6月末)時点で、現金及び現金同等物が302億ドル、短期投資が643億ドル、合計946億ドル。長期債務は402億ドル。講義の「現金1,000億ドル・長期負債400億ドル」はほぼ正確である。裏取り済
米国連邦債務:講義の「30兆ドル」に対し、実際には2025年8月に37兆ドルに到達している。2024年1月に34兆、7月に35兆、11月に36兆、そして2025年8月に37兆という推移で、1兆ドル刻みの増加ペースはパンデミック期を除けば最速である。発言と約7兆ドルの差
この差は論旨を強めこそすれ弱めない――財務健全性の対比という点では、実数のほうがより極端である。ただし数字を人に伝える立場としては、7兆ドルの誤差は看過できない大きさでもある。講義そのものが「数字を出す側の責任」を主題にしていることを踏まえれば、なおさら確認しておく価値がある。
図2:米国連邦債務残高の到達時期(兆ドル)。出典は各種報道(Claude が WebSearch で確認)。点線は講義中に言及された「30兆ドル」の水準。
では、理論の外側にある原因とは何か。講義が挙げたのは二つの買い手層である。
ここでも会場に問いが投げられた。アクティブファンドとインデックスファンドの違いが分からない人はどれくらいいるか。手が挙がったので、宿題として調べておくよう指示が出たうえで、要点だけが説明された。アクティブ運用は利益の最大化を目指して組み換えを行う。インデックス運用はルールが決まっており、それ以上のことはしない。だから利回りが上がろうが下がろうが、保有し続ける。
この性質が、社債の利回りに構造的な下押し圧力を生む。堅く運用する主体にとっては、Microsoft のような超高格付け企業の債券は、利回りが低くても買ったほうが堅い。高いものと低いものをバランスよく持って価格連動に合わせる、という運用設計のなかで、Microsoft の需要そのものが大きくなる。
さらに、スプレッドではなく利回りそのものを重視する運用が増えたことで、スプレッド自体が縮小する傾向が生まれる。金利上昇局面ではとくに利回りの絶対水準が意識され、結果としてスプレッドは縮み、社債利回りが国債利回りに近づいていく。米国の社債利回り全体が下がる傾向が出ているなかで、たまたま Microsoft のそれが国債を下回った――講義の説明はこの順序である。
この論点は、質疑を挟んだあとに補足として追加された。米国の年金基金と保険会社は、対米国債スプレッドとは異なる指標を重視するようになっている。彼らにとっての主要な管理対象は金利リスクへのエクスポージャーであり、その一部を減らすために、あえて超高格付け社債を買うという行動が取られる。年金・保険のデータを見ても、その傾向が出ている。つまり Microsoft の需要は、スプレッドの理屈とは別の動機からも押し上げられている。
投資家が米国の返済能力を疑い、国債を売って企業の債券に逃げる。逆転はその逃避の結果として現れる。であれば逆転は、国のファンダメンタルズが悪化した順に、広い銘柄で観測されるはずである。
買い手のルール(インデックス連動、金利リスク管理)が価格に対して非弾力的な需要を作り、特定の超高格付け銘柄に集中する。であれば逆転は、信用の質より「インデックスに組み入れられ、年金・保険が好んで持つ銘柄かどうか」に沿って現れる。
一般の債券投資家は、そもそも利回りをそこまで気にせず満期まで持つ層が多い。利回りが下がっても保有は続き、積み上がっていく。その結果として、米国債より社債の利回りが落ちてしまった――そういう状態にすぎない。価格の動向とインデックスファンドの値動き、資金流入度を見れば、これがおそらく妥当な説明である。そこまで説明せずに「米国自体が危ない」と言うのは、まず間違いである。これが講義の結論だった。
公開情報を突き合わせると、両説は競合するというより重なっている。IMF が指摘する「米国債のコンビニエンス・イールドがマイナスに転じた」という現象は、米国債が伝統的に持っていた安全資産・高流動性としての割増価値が剥落したことを意味しており、これは供給側(国債の発行増と信用の相対的低下)と需要側(AAA級社債への非弾力的な買い)の両方が同じ方向に効いた結果として説明できる。
したがって、講義が斥けたのは「逆転=米国のデフォルト確率上昇」という単線的な因果の主張であって、「国債の相対的な地位が変化している」という観測そのものではない。この区別は重要である。要確認 なお、両説の寄与度を定量的に分解した研究は、本レポート作成時点では確認できなかった。