ベネズエラの構造解説を終えたところで、マイキー氏が参加者に投げた問いは意外なものだった。「戦争のこの攻撃の動きを見てみてください。今年のノーベル平和賞を取ったのは誰ですか」。答えはマチャド、ベネズエラの野党指導者である。そのマチャドがトランプ大統領に応援を求めた。ではアメリカは2025年のあいだに何回、他国を攻撃したか。
マイキー氏が列挙したのは、カリブ海でのベネズエラ関連の作戦、ソマリアでのISとアル・シャバブへの空爆、イエメンでのフーシ派の船舶攻撃阻止、そしてイランの核開発施設。そのうえでマイキー氏が指摘したのは、トランプ大統領がノーベル平和賞を欲しがって騒いでいた期間には、まったく攻撃していないという点だった。そして受賞がマチャドに行くと決まった瞬間、12月にシリアとナイジェリアを攻撃した。参加者からは「もう1年見てみましょう、と言われましたもんね」という応答があり、マイキー氏は「今回のもプロレスなのかどうか、どこまでが演出なのか、そこら辺が見どころ」と述べた。
そして中川氏が呼び水になった発言が、この回の後半をまとめる一本の線になる。「ペトロダラーを侵す者は、フセイン、カダフィ、そして今回ですね」。アメリカのドルが強い理由はペトロダラーにある。それがあるから世界で唯一いちばん強い通貨として今でも健在なのであり、そこに触ってきたのが今回だ、という見立てである。ただし中川氏はすぐに続けた――こんなことをしたら習近平とプーチンは北叟笑む、と。
この日の後半は、そこから連鎖の話になっていく。中南米はアメリカの領土だと世界に明示してしまった以上、ウクライナは自分たちの元だ、台湾は自分たちの内政だ、という論法に言い訳がつかなくなる。そして中国の論法では、台湾が中国のものであるなら、台湾に属する尖閣諸島も中国のものになる。その次に来るのは琉球である、と。話はさらにTSMC熊本への人材移転、日本の実質賃金の低下、そしてアフリカの資源争奪へと広がっていった。
この回の後半を貫いているのは「前例」という概念である。一つの国が力によって現状を変えたとき、その行為は他の国にとって正当化の材料になる。中川氏とマイキー氏が繰り返し述べたのは、今回の作戦が資源やカルテルの問題である以上に、力による現状変更の言い訳を世界中に配ってしまったという点だった。経済合理性で考えれば台湾侵攻は自国にも跳ね返るはずなのに、その計算とは別の論理で動く可能性がある――だから読めない、というのがこの日の結論である。
マイキー氏がまず参加者に確認させたのは、2025年のノーベル平和賞受賞者がベネズエラの野党指導者マチャドであるという事実だった。この時点で、ベネズエラという国が単なる資源国ではなく、米国の政治的関心の焦点にあったことが分かる。そのマチャドがトランプ大統領に応援を求めた、というのがマイキー氏の説明である。
次にマイキー氏が並べたのが、2025年中の米国の対外攻撃だった。まずカリブ海でベネズエラ関連の作戦があった。次にソマリアで、ISとアル・シャバブに対する空爆。次にイエメンで、フーシ派による船舶への攻撃を阻止する作戦。そしてイランで、核開発を理由とした施設への攻撃。イスラエルとの連携があったこの案件を挙げたうえで、マイキー氏は決定的な一言を置いた――「この期間、まったく攻撃していないんですよ、トランプさん」。ノーベル平和賞を取りたくてずっと騒いでいた期間のことである。
そして受賞がマチャドに決まった瞬間、12月にシリアとナイジェリアを攻撃した。参加者は「もう1年見てみましょう、と言われましたもんね」と応じた。マイキー氏は「今回のもプロレスなのかどうなのか、どこまでが演出なのか、そこら辺が見どころ」と述べ、さらに具体的な観察点を挙げた。マチャドにはやらせずにロドリゲス副大統領に任せるのか、あるいはその前に国務長官に一度統治させるのか。副大統領も国民の手前、米国に立てついている建前だが、そこがプロレスなのかどうか。今後の動向が非常に興味深い、と。
ノーベル平和賞――2025年のノーベル平和賞は、ベネズエラの野党指導者マリア・コリナ・マチャドに授与された。発表は2025年10月10日。授賞理由は「ベネズエラ国民の民主的権利を促進する不断の活動と、独裁から民主主義への公正で平和的な移行を求める闘い」である。マチャドは2024年の大統領選で野党の統一候補となる立場にあったが政権に立候補を阻まれ、エドムンド・ゴンサレス・ウルティア氏を支援した経緯がある。受賞発表時点では脅迫を受けて潜伏していた。マチャドが受賞メダルをトランプ大統領に献呈した(トランプ大統領が受け取った)という報道は確認できる。マイキー氏の「トランプに応援を求めた」という表現は、この関係を指していると考えられる。
2025年の攻撃――2025年中にトランプ政権が軍事攻撃を実施した国は7か国と集計されている。ソマリアは2月からISの拠点に対する作戦が始まり、年間130回を超える攻撃が行われた。イエメンでは3月から5月にかけて、紅海の商船とイスラエルを標的にしたフーシ派に対して数百回の攻撃。イランの核施設への攻撃も実施された。そして12月には、19日開始の対シリア報復作戦「Hawkeye Strike」(シリアでのIS銃撃犯による米国人3名の殺害への報復)と、12月25日のナイジェリア北西部でのイスラム国系組織ラクラワに対する攻撃(ナイジェリア政府の支援・指導のもとで実施)が確認できる。マイキー氏が挙げた国名と、12月にシリアとナイジェリアを攻撃したという指摘は、いずれも報道と一致する。
ただし因果関係は講師の見立てである――「ノーベル平和賞を狙っていた期間は攻撃を止めていた」という解釈について、時系列上そのような空白期間が存在することは確認できる。しかしそれが受賞を意識した意図的な自制であったかどうかを裏づける一次情報は見当たらない。要確認 攻撃の有無は作戦上の必要性や現地情勢にも左右されるため、相関を因果と読むのは慎重であるべきである。マイキー氏自身も「プロレスなのかどうなのか」と留保を付けている。
マイキー氏がもう一つ指摘したのが、今回の作戦と1989年のパナマ侵攻――ジャストコーズ作戦との相似だった。マヌエル・ノリエガをあの時に捕まえた方法と同じであり、論法も一緒である。しかも「なんなら日も一緒ですよ」とマイキー氏は述べた。参加者は「レーガン政権ですよね」と応じ、マイキー氏は「1990年と一緒ですよね」と返している。
論法とは何か。当時の米国は、パナマの独裁者を麻薬密輸の罪で米国へ連行して裁判にかける、という名目で軍事作戦を実行した。今回もマドゥロ大統領を麻薬テロリズムの被疑者として拘束し、ニューヨークの連邦地裁で裁く。国家元首を刑事被告人として扱うことで、政権打倒ではなく法執行だという建て付けを取る。この構造が完全に同じである、というのがマイキー氏の指摘だった。
そして中川氏(と思われる参加者)がもう一段の読みを提示した。36年前にパナマの側を制圧したのはパパ・ブッシュ(ジョージ・H・W・ブッシュ)である。パパ・ブッシュ一派はトランプ大統領と仲が悪く、力で抑えつけるやり方をかなり非難している。ならば「あなたたちも同じことを36年前にやっていませんか」ということを明示的に言うために、わざと同じ日にしたのではないか――そう解説している人もいる、という紹介だった。
| 項目 | 1989〜90年 パナマ | 2026年 ベネズエラ |
|---|---|---|
| 作戦名 | ジャストコーズ作戦(Operation Just Cause) | Absolute Resolve |
| 対象人物 | マヌエル・ノリエガ(パナマ軍最高司令官・事実上の最高権力者) | ニコラス・マドゥロ(大統領) |
| 名目 | 米国民の保護、民主的選挙過程の保護、麻薬取引での訴追のための身柄確保、パナマ運河条約の保全 | 麻薬テロリズム、コカイン密輸、破壊装置所持での訴追 |
| 米大統領 | ジョージ・H・W・ブッシュ | ドナルド・トランプ |
| 侵攻開始 | 1989年12月20日 | 2026年1月3日未明 |
| 身柄確保 | 1990年1月3日(バチカン大使館で投降) | 2026年1月3日(急襲により拘束) |
| その後 | 米国へ移送され麻薬取引で有罪。作戦終了は1月12日 | ニューヨーク南部地区連邦地裁で訴追。1月5日にロドリゲス副大統領が暫定大統領に |
日付の一致は事実である。ただし一致するのは侵攻日ではなく投降日だった。ジャストコーズ作戦の侵攻開始は1989年12月20日である。主要な軍事行動は5日で終わり、ノリエガはバチカン大使館に逃げ込んだのち1990年1月3日に投降した。作戦全体の終了は1月12日である。
一方、マドゥロ大統領が拘束されたのは2026年1月3日。したがってノリエガ投降のちょうど36年後の同じ日にあたる。マイキー氏の「なんなら日も一緒」「36年前」という指摘は、投降日を基準にすれば正確である。ただし侵攻開始日で比較すると12月20日と1月3日で一致しないため、どの日を基準に取るかで「一致」の意味が変わる点は明記しておく。
大統領についての補正――会話の中で参加者から「レーガン政権ですよね、あの時」という発言があったが、これは誤りである。ジャストコーズ作戦を命じたのはジョージ・H・W・ブッシュ大統領であり、レーガン政権は1989年1月に終わっている。会話の後段では「パパ・ブッシュ」と正しく訂正されており、参加者間で認識は修正されている。
作戦の名目も相似している――ジャストコーズ作戦の4つの目的の一つに「ノリエガを拘束し、麻薬取引で裁判を受けさせるために米国へ連行すること」が明記されている。もう一つに「パナマ運河条約の一体性を守ること」がある。運河という要衝と麻薬という訴追理由が組み合わさっている点まで含めて、今回との構造的類似は指摘に値する。
マイキー氏が中川氏に「今回のこれはどう見えているか」と振ったのに対する答えが、この日で最も凝縮された一言だった。「ペトロダラーを侵す者は、フセイン、カダフィ、そして今回ですね」。
中川氏の論旨はこうである。アメリカのドルが強い理由はペトロダラーにある。それがあるからこそ、世界で唯一いちばん強い通貨として今も健在なのだ。そこに触ってきたのが今回の一件である。だからそんなことをしたらどうなるか分かっているだろう、という文脈で読める――というのが中川氏の見立てだった。
ペトロダラー体制――1974年、米国はサウジアラビアとのあいだで、サウジの石油をドル建てで価格付けし取引する見返りに、経済援助・軍事的保護・米国製兵器へのアクセスを提供するという戦略的な合意に至った。この取り決めは2016年まで機密扱いだった。石油という世界最大の商品がドル建てで決済されることが、ドルの基軸通貨としての地位を支える柱の一つになったとされる。
フセインとカダフィ――2000年、サダム・フセインは国連の石油食糧交換計画のもとでイラクの石油販売をドルからユーロへ切り替えると宣言した。2003年に米国はイラクに侵攻し、政権が倒れた後、イラクの石油販売はドル建てに戻った。ムアンマル・カダフィは、汎アフリカの金本位ディナールを石油を含む貿易に使うことを提唱していた。2011年、米国を含むNATO軍がリビア内戦に介入し、カダフィは殺害された。中川氏が挙げた二つの事例は、事実関係としては上記の経緯を指している。
ただし因果としては証明されていない要確認――「石油をドル以外で売ろうとした指導者を米国が自動的に打倒する」という説明は、相関を並べたものであって因果法則として証明されたものではない、というのが学術的な評価である。イラク侵攻の動機については大量破壊兵器の主張、対テロ政策、地域戦略など複数の説明が競合しており、リビア介入についても人道的介入の枠組みが前面に立っていた。パターンとして検討に値するという評価と、決定的な因果関係が立証されているという評価は別物である。本レポートではこれを中川氏の見解として記録し、事実認定としては扱わない。なおベネズエラについても、原油の非ドル建て決済への動きが介入の主因であったことを示す一次情報は確認できていない。
中川氏はペトロダラーの指摘に続けて、しかしこれは習近平とプーチンが北叟笑むだろう、と述べた。理由は明快である。ちょろっとした声明を出しつつ、内心では喜ぶ。なぜなら「ウクライナは自分たちの元だ」「台湾は自分たちの内政のことだ」という主張に対して、多国家の中で力が勝つのだということを世界に明示してしまったからである。「中南米はお宅の領土ですね」と認めることになれば、同じ理屈が向こうにも使える。だから彼ら二人は北叟笑んでいるはずだ、と。
マイキー氏はこれを引き取り、今回の前例が台湾有事とウクライナ侵攻を早めるという指摘があること、そして「もう言い訳がつかなくなった」ことを強調した。モンロー主義を掲げながら南北アメリカは自分たちの領域だと言うのであれば、では中国大陸と台湾は同じ国なのだ、ウクライナはもともとロシアだったのだ、という論法に言い返せなくなる。言い訳を作らせてしまったので、侵攻が進む可能性はある、と。
マイキー氏が示した中国側の論理の組み立ては、日本にとって直接的な意味を持つものだった。中国の中では、尖閣諸島は中国のものではなく台湾のものであると位置づけられている。したがって「台湾は中国のものである。だから台湾に属する尖閣諸島も中国のものである」という論法が成立する。つまり台湾統一が実現した場合、尖閣は自動的に付随することになる。だからまず行かれるのは尖閣だろう、というのがマイキー氏の見立てだった。
そして中川氏が「琉球もそうです」と応じ、マイキー氏も肯定した。次に来るのは間違いなく琉球――つまり沖縄だろう、と。参加者からは「北方領土のほうも怪しげな人がいる」という指摘も出て、そちらも同じ構図に置かれた。
参加者の一人は、30年前の1995年か96年頃に上海へ旅行に行った際、たまたま知り合った現地の人と日本と中国の情報交換をしていたら、「沖縄って実は中国のものなんだよ」と普通に言われてショックを受けた記憶がある、と述べた。その頃から教育が行き届いていたのだと感じた、今はそれがより理論化されているのだろう、と。マイキー氏も、自分がアメリカの高校にいた時に中国人から普通に「沖縄って中国のものだからね」と言われた経験を持つと応じている。
中川氏がここで置いた留保が重要である。経済合理性で言えば、台湾侵攻をしても自国に跳ね返ってくるだけである。それでも起こりうるのは、経済合理性では考えられない行動を取る指導者が現実に存在しているからだ、というのが中川氏の論旨だった。中川氏はトランプ大統領の行動をその例として挙げ、習近平氏についても、経済合理性ではないところ――力の誇示のため――にそれをしてくる可能性はあるのではないか、と述べた。
これは投資家にとって扱いの難しい前提である。経済モデルは経済合理性を仮定して組まれているため、その仮定が外れる局面ではモデルそのものが機能しない。前半の理念型の議論に引きつけて言えば、経済合理的な主体という理念型と現実の指導者のあいだのギャップが、どこまで開きうるかという問題になる。
参加者からは、日本としてはいかに米軍にそばにいてもらうように見せるか、見せ続けるかというところが焦点になる、という整理が出された。マイキー氏は「そういう意味でのプロレスですね」と応じた。そして、トランプ大統領が高市首相に対して怒ったという話があるらしい、と紹介した。余計なことを言うな、習近平を怒らせるな、俺たちは守れないぞと言ったらしい、と。ただしマイキー氏はすぐに情報源の弱さを明示している。ウォール・ストリート・ジャーナルの中国人記者がそう書いたと、あるYouTuberが言っていたという伝聞であり、信憑性は分からない、日本の記事が出ていない、と。参加者からは、WSJの中にも中国人記者がいてそういう発言をすることはあるらしい、ただ同紙は共和党寄りのメディアであるという点は踏まえる必要がある、という補足が加えられた。
国際社会の反応 裏取り済――2026年1月3日の作戦に対する国際的な反応は割れた。アフリカ・アジア・中南米の多くの国から非難が集まった一方、欧州・北米、とくにNATO加盟国の多くは支持を表明している。ロシア、中国、イラン、ブラジル、キューバはベネズエラの主権と領土保全の侵害であるとして非難した。国連のグテーレス事務総長は「危険な前例(dangerous precedent)」を作るものだと警告している。安全保障理事会はコロンビアの要請により緊急会合を開催した。
「国連が台湾有事とウクライナ侵攻を早めるとはっきり言っている」という発言について要確認――国連事務総長が発したのは「危険な前例」という一般的な警告であり、台湾有事やウクライナ侵攻を名指しして「早める」と述べた発言は確認できなかった。台湾・ウクライナへの波及可能性を論じているのは、主として分析機関や識者による評価である。主権規範の弱体化により他国が同様の口実で域外行動を正当化しうる、という論点自体は複数の分析で提起されているが、国連の公式見解として扱うのは正確ではない。
尖閣・琉球をめぐる中国側の主張について要確認――尖閣諸島は日本が有効に支配しており、日本政府は領有権をめぐる問題は存在しないとの立場を取っている。中国側が「台湾に付属する島嶼」という論理構成を用いてきたことは、中国政府の公式主張として一定の記録がある。琉球(沖縄)については、2013年に人民日報が琉球の帰属は「未解決の懸案」であるとする論考を掲載して物議を醸した経緯があるが、これが中国政府の一貫した公式立場であるかについては見解が分かれる。本レポートでは講義中の発言として記録するにとどめる。
トランプ大統領と高市首相をめぐる伝聞要確認――マイキー氏自身が「信憑性が分からない」「日本の記事が出ていない」と明示的に断っている伝聞である。本レポートでも裏取りできない伝聞として扱い、事実としては記載しない。
台湾有事の話から、議論は自然にTSMCの熊本工場へ移った。参加者が共有したのは、TSMCの人たちが密かに家族連れで転勤してきているらしい、という情報である。最初は独身寮だけだったのが、最近は家族も来るようになり、住居が足りなくなって福岡のほうにも住み始めているという。
マイキー氏はこれを歓迎する立場を取った。台湾の優秀な人が日本で働いてくれるのは全然ありだ、と。参加者も、台湾が空っぽになってこちらに来てくれるならエンジニアが大事なのでウェルカムだ、と応じた。
参加者から、熊本でノードを作ると言い始めたのはそういう流れも踏まえてのことか、という問いが出た。マイキー氏はここで別の要因を挙げた。米国の製造工場の建設が遅れているのである。第1工場は稼働に至ったが、第2工場がまったく進んでいない。その点で熊本は予定通り進んでいる、と。マイキー氏はここで日本人の特性についてひとこと加えた――「日本人の必殺技は予定通りやること。予定を組むまでが長いが、予定を組んだら本当に期日通りにやってくる人たちだ」。
第3工場については、見送りになったという情報が共有された。ただし第2工場の流れについては、米国より遅く立ち上がったのに米国より早い、というのがマイキー氏の評価だった。参加者からは、台湾が占領された場合に米国と日本での生産で必要最低限のものは継続していくという構想があるのではないか、という読みが出され、マイキー氏は「もちろんです。テクノロジートランスファーしてきていますので」と肯定した。技術が移転されるということは人材も移転されるということだ、というのがマイキー氏の指摘である。
参加者が熊本に行った際の体験も共有された。居酒屋の周りに台湾人が多く、レンタカーを借りようとしても中国・台湾の決済アプリが使えるようになっていて、台湾人向けにいろいろカスタマイズされているのを感じた、と。マイキー氏は「TSMCの社員はすごい優秀で、日本にとってはいい」「めちゃめちゃいい」と応じた。
そして話題はマイクロンの広島工場に及ぶ。そちらにもTSMCの人材が入ってきているという。ただしマイキー氏はここで日本企業の問題を指摘した。日本の企業はあまり採りたがらない。理由は給料が合わないことと、日本語がパーフェクトでないことである。マイキー氏はこれを「本当にめんどくさい」と評した。完璧な日本語を求めておきながら、しかも給料を出さないので誰も行きたがらない、と。マイクロンは外資系なのでそれなりの給料が出る。参加者は「HBMもありますし」「メモリーの重要化もある」と応じ、広島工場でHBMを作っているのかという問いに対しては、一部らしいという伝聞が共有された。マイキー氏は、今後日本が国産サーバーをやっていくのであれば絶対に必要になってくる、と述べている。
そして最後にマイキー氏が置いたのが、この節でいちばん重い一言だった。「台湾の優秀な人たちが日本に入ってきたら、日本の人材はほぼ負けますよ」。しかもめちゃくちゃ元気で声も大きく、言語も堪能である、と。
TSMC熊本第2工場の実際の経緯――マイキー氏がこの日(2026年1月)に述べた「熊本は予定通り進んでいる」「米国より遅く立ち上がったのに米国より早い」という評価は、当時の報道と食い違う。2025年7月には米国投資を優先して熊本第2工場の建設を延期したとの報道が出ており、2025年12月には日本経済新聞が「熊本第2工場、消えゆく建機 着工1カ月半で先端品に衣替えへ」と報じている。現地では工事中断ではないかという受け止めも生じていた。TSMCの魏哲家CEOは6月時点で、熊本地域の交通渋滞を建設遅延の理由として挙げていた。子会社JASMの社長は「継続的に進行している」と説明していたが、少なくとも順調という状況ではなかった。
その後は講師の方向性が正しかった――ただし結果として、JASMは2026年3月24日に第2工場の本体工事に着手した。しかも当初計画の6nmから3nmプロセスの導入へ格上げされている。稼働予定は2027年12月、雇用は約1,700人、両工場合計の投資額は約3兆円規模とされる。つまり「熊本は前に進む」という講師の見立ては、その後の展開によって裏づけられた形になる。1月時点の「予定通り」という表現は当時の報道と合わないが、結論としては当たったという整理になる。
第3工場の見送りについて要確認――第3工場の建設見送りに関する確定的な公式情報は確認できなかった。第2工場の着工が遅れていた時期に計画の再検討が報じられていたが、第3工場の中止・見送りを明示する一次情報には行き当たっていない。
米国側の状況――TSMCはアリゾナへの投資を優先しており、既存の650億ドルに加えて少なくとも1,000億ドルの追加投資計画を発表している。したがって「米国が遅れているから熊本が相対的に早い」という因果は、投資配分の実態とは逆向きの可能性がある。米国の建設が遅れているという前提そのものを、投資判断に使う前に確認する必要がある。
人材の話から、議論は日本の賃金に移った。マイキー氏の指摘はこうである。日本の人件費は安い。だから、むしろ日本の産業を強くするのであれば人件費を上げないほうが日本は成長する。参加者は「すげえパラドックス」と応じた。マイキー氏は続けて、生産大国として勝ちたいのであれば格差社会を作る以外に道はない、と述べた。
その例として挙げられたのが中国である。農民工と戸籍の制度によって給料自体を無理やり抑え込んでいる。だからこそあれだけ生産が強い、と。参加者からは設備投資への補助金の規模も大きいという補足が加えられた。
そして賃金の実態についての議論になる。名目賃金が上がっても実質賃金は下がっている。ドルベースで見たら変わっていない。マイキー氏はここで極めて強い比較を持ち出した。日本の実質賃金は、経済制裁を受けたロシアより下がっている――戦争をしておらず平和主義だと言っている日本のほうが、世界中から経済制裁を受けているロシアのルーブルよりも価値が下がっている、と。参加者は「戦争していないのに下がっているんですよ」というマイキー氏の言い方に「なるほど」と応じている。
2025年時点では講師の指摘は正しかった――毎月勤労統計をもとにした集計では、2025年の日本の実質賃金は4年連続でマイナスとなった。したがって1月時点でマイキー氏が「実質賃金は下がっている」と述べたことは、直近の統計と整合している。
ただし2026年に入って局面が転換した――2026年に入り実質賃金はプラスに転じ、2026年5月時点で前年同月比+1.4%、5か月連続のプラスとなっている。日本経済研究センターの展望では、2025年度の▲0.31%から2026年度は+0.44%へのプラス転化が見込まれていた。「日本の実質賃金は下がり続ける」という前提でこの先を読むと、2026年の実態を取り逃す。ただし第一生命経済研究所は、原油価格の高騰により4月以降に再びマイナスへ転じるリスクを指摘しており、プラス基調が定着したと断ずるには早い。
「ロシアより下がっている」という比較要確認――この比較を裏づける公表データは確認できなかった。ロシアの実質賃金は制裁下でも軍需産業の拡大と労働力不足を背景に、統計上はむしろ上昇していると報じられている時期がある。またマイキー氏の発言は「実質賃金」と「ルーブルの価値」を同一の文脈で扱っており、賃金指数の話なのか為替換算の話なのかが混在している。ドル建てで見た日本の平均賃金が円安によって大きく目減りしたことは事実だが、それをロシアと直接比較した信頼できる出典には行き当たらなかった。数字を使う際は出典の特定が必要である。
「人件費を上げないほうが成長する」という主張について――これは講師の立場を示す規範的な主張であり、経済学的には評価が分かれる。低賃金による価格競争力の確保が輸出産業の成長につながるという見方(いわゆる低賃金モデル)と、賃金上昇が需要と生産性向上を促すという見方(高圧経済論・効率賃金仮説)は対立する。本レポートでは講師の見解として記録し、確立した経済法則としては扱わない。
この日の締めくくりで、マイキー氏が2026年に見ておくべき地域として挙げたのがアフリカだった。米国は前年からナイジェリアやソマリアでかなり激しくやり始めている。だからアフリカも動くし、南米も動く。アジアも台湾が動き始める、と。
参加者はナイジェリアについて、アフリカの中でいちばんの産油国であり天然ガスも持っているので、トランプ大統領が欲しがりそうだ、と応じた。アフリカにはダイヤモンドや金も掘ればありそうで、目をつけていそうな国だ、と。マイキー氏は「ナイジェリアは税収の9割が石油ですから」と述べ、だから産業が育たないのだと指摘した。参加者はレアアースの存在にも触れている。
マイキー氏の地政学的な整理はこうである。東アフリカの沿岸沿いはもう中国にやられている。だから西はアメリカとヨーロッパが取りに行かないとまずい。参加者からは、今かなり投資しているらしいという補足が入った。
そして日本の話になる。参加者が「石破さんも600億ドル投資するとか言って、日本ではすごく荒れた」と述べたのに対し、マイキー氏は「でも中国はその100倍出していますからね」と応じた。結局アフリカには資源があり、加えて若者が多い。マイキー氏はさらに、アフリカの人はすごく勤勉であり、勉強しないとそもそも食っていけないからだ、と述べた。
参加者からは、今日本に来ているアフリカ出身者には極めて優秀な人が多く、勤勉で何でも吸収しようという姿勢があり、体力もあるので衝撃を受けた、という体験が共有された。また、ケニアはアフリカの中でもとくに教育が発達しており、教育を受けたいと思ったらケニアに移民してくるほどなので優秀な人が多い、という情報も出された。マラソンが速いという話から体力の話になり、留学経験のある参加者からはアフリカ出身者は数学が異様に強いという観察も語られた。
ナイジェリアの「税収9割が石油」について要確認――この数字は輸出に関するものと混同されている可能性が高い。ナイジェリアの原油輸出は2024年第1四半期時点で総輸出の約80.8%を占めており、輸出依存という意味では9割に近い水準にある。しかし政府歳入に占める石油の比率はこれより大幅に低く、近年は非石油収入の拡大により比率が下がっている。2025年の原油輸出収入は前年比14.4%減の315.4億ドル、石油・ガス輸出全体では481.7億ドルへ増加している。「税収9割」という表現を数値として引用するのは避けるべきである。
日本の対アフリカ投資「600億ドル」について要確認――この金額は確認できなかった。TICAD9は2025年8月20日から22日にかけて横浜で開催され、石破首相が共同議長を務めた。アフリカ49か国から33名の首脳級が参加している。石破首相はここで「自由で公正なインド洋・アフリカ経済圏イニシアティブ」を発表した。一方、公的資金と民間資金を合わせて3年間で約300億ドルという投資表明は、2022年のTICAD8におけるものである。したがって講義中の「600億ドル」は、TICAD8の金額と混同されたか、別の文脈の数字である可能性が高い。
「中国はその100倍」について――この比較は成立しない。中国の一帯一路によるアフリカ向け投資は2025年に約6兆円(およそ400億ドル)に達し、地域別で最大となったと報じられている。日本の300億ドル規模の表明と比べても100倍にはならず、むしろ同じオーダーの範囲にある。中国のアフリカ投資が地域別最大になっているという趨勢の指摘は正しいが、倍率としての「100倍」は誇張である。
ケニアの教育について――ケニアは東アフリカにおける高等教育のハブとして機能しており、周辺国からの留学生を多く受け入れているのは事実である。ただし「教育を受けたいならケニアに移民する」という表現は、留学・進学の流れを指したものと理解するのが妥当である。