前半のNVIDIAの話は、後半で全員の事業の話に折り返される。講師が参加者に繰り返し問うたのは一点だけだった。いま自分の売上が立っている経路への依存度はどれくらいか。そしてそれが来年通用しなくなると仮定したとき、ジェンスン・ファンと同じ動きができるか。
ここで重要なのは順番である。取引先を失うかもしれないと思ったとき、引き止めに行くのは誰でもやる。差がつくのは、引き止まらなかった場合の第二・第三の販路を、結果が確定する前に押さえてあるかどうかだ。押さえてあれば交渉に余裕が生まれるし、失っても代替がある。講師の言葉では、これは「予想が当たらなくてもプラス、当たっても機会損失が抑えられる」という一石二鳥の設計になる。
この発想を、講師は国単位でも適用してみせた。中国は対米輸出が減ることを前提に東南アジア・南米・アフリカでのプレゼンスを上げ、結果として対米依存度を下げながら全体の貿易黒字を拡大した。一方の日本はどうか。米国向けが止まればどうなるか、中国向けが止まればどうなるか。参加者からは「さよなら」「他に分散するしかない」という答えが返り、講師は「では日本のメーカーはそれをやっているか」と重ねた。答えは、やっていない側だった。自動車を例に取れば、中南米やアフリカでの販売増は中国勢に持っていかれている。
さらに為替でも同じ構図が示される。円安で輸出業が好調なときこそ、輸入側のプレゼンスをどう強くするかを考える。そうすれば円高に振れても総裁される。広告依存のB2C事業なら、広告が回らなくなる前にBのルートを作っておく。すべて同じ話だ、というのが講師の一貫した主張である。
そして後半、参加者との対話は「なぜ多くの人はそれをやらないのか」という問いに移る。講師の答えは、多くの人が現状を楽観的に見すぎているからだ、というものだった。楽観であれば二の手・三の手を打つ動機が生まれない。そしてその楽観は性格の問題ではなく、知識量の問題である。知識がないから感情で楽観を埋め、知識があれば合理性で埋める。リスク許容度は、この差から生まれる。
講師はまず、ジェンスン・ファンの営業スタイルを一般化する問いを投げた。「自分の会社に例えてみてください」。参加者の一人は当初「中国が焦って買いに走るための揺さぶりでは」と交渉戦術として読んだが、講師は「もっと自分の事業に置き換えて」と差し戻す。そこで出てきたのが「顧客を引き止める」「他に売り手を見つける」という二つの当たり前の答えだった。
講師が指摘したのは、その当たり前をいつやるかである。取引が失われてから「どうしよう」と考えるのが場当たり的な経営者で、失うかもしれないと感じた時点で、確定していようがいまいが関係なく販路を確保しておくのが優秀な経営者である。ここで初めて、交渉に余裕が生まれる。
具体例としてシャンプーが挙げられた。広告が回らなくなるかもしれないと感じたとき、SNS、経営者仲間の販売力、リアル店舗、セレクトショップ、他国での販売、新製品による別セグメントへのリーチ――販路を高度化しておく。両方うまくいけば一石二鳥にも三鳥にもなる。講師はこれを「レジリエンス」と呼んだ。
講師が説明した構造は、金融でいうオプションの購入に近い。第二販路の開拓は今すぐ利益を生まないコスト(プレミアム)だが、主要販路が失われたときにだけ価値を発揮する。したがって「効率が悪い」という評価軸で測ると必ず切り捨てられるが、それは損失発生時の価値をゼロと見積もっているためである。組織論の文脈では、単一の最適化を追うと外部環境の変化に脆くなる構造は「効率性とレジリエンスのトレードオフ」として広く議論されており、講師の指摘はこの系譜に接続できる。
この回のタイトルにある「シナリオプランニング」は、勉強会のなかで理論名として詳しく解説されたわけではない。しかし講師が実演していたのは、まさにこの手法の骨格である。単一の予測を当てにいくのではなく、複数の未来を並べて、それぞれで何が起きるかを先に考え、どのシナリオでも致命傷にならない手を今のうちに打っておく。「中国が買う場合」と「買わない場合」を並べ、後者でも売上が立つ経路を先に作っておいたジェンスン・ファンの動きは、その典型例として読める。
ピエール・ワック(Pierre Wack, 1922–1997)はフランス出身の石油会社幹部で、民間企業においてシナリオプランニングを最初に体系的に用いた人物とされる。1968年にRoyal Dutch Shellのロンドン本社に新設されたGroup Planning部門に参加し、石油産業の長期的な不確実性を検討する任務を負った。
1971年、ワックのチームは「産油国が供給を大幅に制限したら何が起きるか」というシナリオを経営委員会に提示した。これによりShellは、1970年代に起きた二度のオイルショックを、まったくの不意打ちとしてではなく、あらかじめ想定していた分岐の一つとして迎えることになった。
ピーター・シュワルツ(Peter Schwartz)は1980年代にShellのシナリオチームを率い、1987年にGlobal Business Network(GBN)を設立。1991年に刊行した『The Art of the Long View: Planning for the Future in an Uncertain World』(邦訳『シナリオ・プランニングの技法』)が、この手法を社外に広める決定的な一冊となった。
要点は、シナリオプランニングが「当てるための予測」ではないことである。目的は、複数の未来を組織の共通言語として先に用意し、どれが起きても意思決定が止まらない状態を作ることにある。この点で、講師が繰り返した「当たらなくてもプラス、当たっても機会損失が抑えられる」という説明は、手法の核心をそのまま言い当てている。
もっとも確からしい一つの未来を推定し、そこに資源を集中する。当たれば効率が高いが、外れたときの復旧コストが極めて大きい。講師が「バカな経営者」と呼んだ、失ってから慌てる形はここに近い。
複数の未来を並べ、それぞれで何が起きるかを事前に検討し、どの分岐でも致命傷を負わない手を先に打つ。短期の効率は落ちるが、外部環境の変化に対して事業が折れにくくなる。
講師は同じ論理を国単位に広げた。中国は対米輸出が止まるかもしれないという前提で動き、東南アジア、南米、アフリカでのプレゼンスを大きく上げた。結果として、対米依存度は下がったのに世界全体の貿易黒字は拡大した。参加者からも「国内製造を増やし、調達先を米国以外に振った」という整理が出ている。
一方の日本はどうか。米国向け輸出が止まればどうなるか、中国向けが止まればどうなるか。参加者の答えは「分散するしかない」だったが、実際にやっているかと問われれば「やっていない側」である。自動車を例にすれば、中南米やアフリカで販売台数が伸びているのは中国勢で、日本勢はタイやマレーシアでもシェアを削られている。米国向けも東南アジア向けも減っていく、という構図である。
為替でも同じ話になる、と講師は続けた。この回が行われた日、ドル円は159円まで進んでいた。輸出業は好調である。しかしそれが一生続くわけではなく、政策金利差が縮まればキャリートレードの巻き戻しで円高に振れやすくなる、というのが講師の当時の見立てだった。ならば輸出で儲かっている今こそ輸入側のプレゼンスを強くしておく。そうすれば輸出が減っても輸入が増えて相殺される。もし1ドル70円まで行ったら今の輸出業者はどうなるか、という問いかけも投げられている。
これは為替予測の話ではなく、ヘッジの設計の話である。「新しい事業を作る」「新しい販路を見つける」こと自体がヘッジになる。今の自分の事業にそのヘッジが組み込まれているか――それが問いだった。
参加者から「本業が調子いいときでないと新規に投資できないのでは」という現実的な疑問が出た。講師の返しは逆だった。本業が調子いいときにしか動けないのは、それまで本業以外を考えていないからにすぎない。ロードマップが引けていれば、本業の好不調に関わらずプロジェクトは進む。
実例として挙がったのがコロナ期である。飲食業を営む参加者は、助成金が出るからと店を休んだが、行政のペナルティを覚悟してでも営業を続けた店が周囲にあり、その店は借入をしてまで店舗数を増やし、コロナ明けの現在も順調で店舗数を伸ばしている、と振り返った。
講師自身も出資先の大阪の店舗に対して「営業しろ」と指示していた。理由は単純で、開いている店が少ないからこそ顧客を囲い込む好機だという判断である。補助金は受け取らず営業を続けた結果、営業時間中は満席が続き、1年後には大阪で店舗数1位になった。不動産価格も家賃も下がっていたため、心斎橋の10数名規模の物件を月8万円で借り、その契約が今も続いているという。
景気後退期に投資(特に研究開発・マーケティング・人材)を維持ないし拡大した企業が、回復局面で相対的に優位に立ちやすいという傾向は、Harvard Business Reviewをはじめ複数の景気循環研究で繰り返し報告されている論点である。ただし、この種の研究には生存者バイアス(借入で拡大して失敗した企業は事後の観察対象から消える)が伴う点にも留意が必要である。個別の店舗事例については当事者の証言であり、第三者情報での裏取りはできない要確認。
後半、議論は「なぜ多くの人は二の手を打たないのか」に移った。参加者の一人が「普通の人はリスク許容度が低すぎる、リスクを大きく見積もりすぎている」と指摘し、そこでプロスペクト理論の名前が出る。しかし講師は角度を変えた。多くの人はリスクを大きく見ているのではなく、現状を楽観的に見すぎているのだと。
楽観であれば、この状態がずっと続くと思えるので、二の手・三の手を打つのは無駄な作業になる。逆に現状をネガティブに捉えていれば、これがダメになったらどうするかを常に考えているはずである。そしてこの楽観・悲観は性格の話ではない。講師の言葉では、知識がないからこそ感情で楽観を埋め、知識があるほど合理性で埋めようとする。ゆえに知識が集積されればリスク許容度は上がる。物差しを一つしか持っていなければ「達成できているから大丈夫」で終わるが、三つ四つ持っていれば「一つは達成しているが他では全然ダメだ」と見えるので、埋めに行く動機が生まれる、という補足も参加者から出た。
この議論は、参加していた研究者との対話で一段深くなる。近代社会における「進歩」という観念そのものが人を不安から遠ざけ、成功の神話を延長させてしまう。自分の立っている場所が何かの延長線上にあるにすぎないと気づくには、批判的思考が要る――という論点である。そこで「孤独」という言葉が定義された。孤独とは、同じ現象を同じ物差しで見ている人がいなくなること。「この事業はこうすれば成功だ」という認識を共有できる相手がいなくなること。視点が高度化するほど、自分の立ち位置を測る影がなくなる。
講師はこれを自分の言葉に翻訳した。理想は楽観であり、現実は孤独である。なぜなら現実とは自分に足りないものを見つける作業だからだ。そして現実から理想へ橋を架ける手段は合理性しかなく、合理性に必要なのは知識と行動力である。
ここから、楽観のまま現実を見たくない人がどう行動するかが説明される。簡単なこと、みんながやっていること、楽そうなことにフォーカスし始める。日本人が最も避けたがるのは営業とプレゼンテーションであり、代わりに楽そうに見えるマーケティングで埋めようとする。しかしマーケティングは営業をしやすくするための流れであり、営業を強化しないマーケティングはギャンブルになる。理想の会社を求めるなら、営業とマーケティングだけでは足りず、組織の構造、リーダーシップ、多角展開、新規事業、資金調達までが必要になる。それを普通に考えられない状態こそが楽観だ、という結論である。
議論の途中で「プロスペクト理論ですね」という応答があった。プロスペクト理論はダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーが1979年に発表した意思決定理論で、人は同額の利得より損失を大きく感じ(損失回避)、損失局面ではむしろリスクを取りたがる、という非対称性を示した。この回で論じられた「リスクを過大に見積もる」傾向は損失回避の側面に対応するが、講師が提示したのはむしろ逆向きの論点、すなわち現状維持が続くという楽観そのものが、リスク評価の前提を歪めているという指摘であり、両者は同じ現象の別の面を見ている。
この回で語られた見通しのうち、検証可能なものを突き合わせる。
| 2026年2月時点の見立て | 2026年8月時点の事実 | 判定 |
|---|---|---|
| 政策金利差が縮まりキャリートレードが巻き戻されるため、今年は円高になる可能性のほうが高い | 円高は来なかった。7月下旬に一時163円台までドル高・円安が進み、8月は157〜159円台で推移。市場では年末165円前後、ドル指数次第で170円接近という見方も出ている | 外れ |
| 円高になれば輸出業は苦しくなるので、今のうちに輸入側を仕込むべき | 前提となる円高が来なかったため、この局面ではヘッジのコストだけが先行した形になる。ただし「1ドル70円」のような極端な水準を想定した準備という趣旨からすれば、シナリオの一つとしての位置づけは維持される | 前提が外れ/設計思想は無傷 |
| ジェンスン・ファンは中国で売れなかった場合の販路を先に確保している | 2026年8月期のNVIDIAは中国向けHopperがデータセンター売上の1%未満に落ちたが、全社売上は962億ドル(前年比+106%)と過去最高を更新した | 的中 |