肥沃な土地と痩せた土地の差から利潤が生まれる。この一点から穀物法論争、賃金生存費説、技術的失業までを一直線に引いた理論。そしてなぜそれが1850年代に統計と景気循環論へ譲り渡されたのか。
この回の講義は前田氏によるもので、前回のマルサスに続く古典派経済思想の第2回にあたる。冒頭で前田氏が置いた枠組みが、この日の全体を規定している。アダム・スミスは理論的な体系というより、自分が思っていることを体系化して見えるように叙述した人であり、道徳哲学と経済学が分離しないまま混在している。だから「学問」ではなく「派」と呼ぶことにした、という説明である。
これに対してリカードは逆方向に振り切れている。宗教観ではなくロジックだけで考えるため、理論としての体系は完成度が高い。ところがロジックだけで考えるということは、実証がない、ということでもある。学問としてはむしろこちらが現代のそれに近いが、その近さの中身は「歴史的検証が弱い」という弱点と表裏一体になっている。
そしてもう一つ、前田氏が最初に置いた補助線が重要だった。リカードは階級を地主・資本家・労働者の三つに分けたが、リカード自身がどこに属していたかといえば資本家である。したがって資本家の利益を最大にするにはどうすればよいか、という発想で見れば、リカードの理論は比較的見えやすくなる。この視点を持って読むと、穀物法論争での自由貿易支持、賃金生存費説、差額地代論のすべてが一本の線でつながる。
講義の後半、マイキー氏が介入して収穫逓減を会社とオフィスの例え話に置き換え、さらに過去に扱ったMR=MC(限界収入=限界費用)へ接続した。そこから議論は、1850年代を境に経済学が「1+1=2を求める作業」から「統計データによる景気循環論」へ移行したという転換点の説明へ進む。この移行の理由づけ――生産性は科学的に説明できるが分配は科学的に説明できないから社会が決めるものになる、そして株式市場が入ると感情が入って最大化の位置が分からなくなる――が、この回の最も密度の高い部分だった。
前田氏が最後に述べた一文がこの回の結論である。「どちらが正解でも不正解でもない。ただ、視点を知ることによって、なぜ生まれたかを知ることのほうが重要だ」。マルサスは宗教観が強く出た人、リカードは投資家の視点で理論を組んだ人。立場が違うからアプローチが変わり、アプローチが変わるから結論が変わる。並列に対照させて優劣を論じる読み方をやめ、なぜその立場からその理論が出てきたのかを問う読み方に切り替えることが、この講義の要求だった。
前田氏はこの日の講義を、古典派経済学の初回として位置づけながら、あえて「派」という言葉を使う理由から説明を始めた。古典派経済学といえばアダム・スミスから語られることが多い。しかし前田氏の見立てでは、スミスは理論的な体系を構築したというより、自分が思っていることをある意味で体系化されているように見せながら叙述した、という印象が強い。
そのうえで、前回扱ったマルサスとの対比が置かれる。マルサスには学問的なバックグラウンドもあるが、最も強く出ているのは宗教観だ、と前田氏は言う。これに対してリカードは、宗教観ではなくロジックだけで考える。その結果として、体系としては整うが実証が伴わない。学問としてはむしろリカードのほうが現代のそれに近いが、その近さは弱点でもある。
前田氏がスミスの問題点として挙げたのは、道徳哲学と経済学が分離していないことだった。すべてが混在した状態になっているため、ある程度体系化されて見えても、実際にはいろいろなものが混ざり込んでいる。仕分けられているというより、観念的なものが混ざったままになっている。したがって学問的な体系としては弱い部分がある、という評価である。これが、この回でスミスを「学問」として扱わなかった理由だった。
前田氏の指摘は学史上の一般的な評価と整合する。アダム・スミスは『国富論』(1776年)に先立って『道徳感情論』(1759年)を著しており、グラスゴー大学では道徳哲学の教授だった。当時の道徳哲学は自然神学・倫理学・法学・経済学(statecraft)を包含する科目であり、経済学が独立した学問領域として分化していく前段階にある。
いわゆる「アダム・スミス問題」――『道徳感情論』の共感(sympathy)と『国富論』の自愛心(self-love)の関係をどう整合させるか――は19世紀のドイツ歴史学派以来、長く論争されてきた。前田氏の言う「分離していない」という指摘は、この論争が存在すること自体によって裏づけられる。
前田氏はリカード理論に入る前に、当時のイギリスで何が起きていたかを整理した。都市の人口が増加すると、農業生産に従事する人口が減り、工業生産に従事する人口が増える。人口は一時的に増えるが、そうすると食べ物の生産が追いつかない。結果として貧困が生じてくる。
そこに救貧法などの福祉制度の問題(前回扱った論点)が重なり、さらに穀物法という制度が重なってくる。前回、渡辺氏が扱った部分でもある。こうしたものが複合して、経済状況が良くない方向へ向かい、地主と労働者の対立が繰り返し表面化していく。この状況が、リカードの理論が答えようとした問いの前提にあった。
リカード理論の背景として前田氏が最初に置いたのが、階級の三分割である。地主、資本家、労働者。そしてリカード自身は資本家である。ということは、資本家の利益を第一に考えたい人だ、ということになる。資本家の利益を最大限にするにはどうすればよいかという発想で見ると、リカードの理論は比較的見えやすくなる、というのが前田氏の読み方の指針だった。
| 階級 | 手元に入る所得 | リカード理論での扱い |
|---|---|---|
| 地主 | 地代(rent) | 人口増加を前提とすると利潤が増え続ける。富が集中する構造にある。自由貿易に反対する側であり、穀物法論争では最大の障害となった。 |
| 資本家 | 経営する企業の利潤(profit) | リカード自身が属する階級。この階級への分配をいかに増やすかが理論の目的関数になっている。 |
| 労働者 | 労働の対価としての賃金(wage) | 賃金は生活費によって決まる。生活費が下がれば賃金も下がる。したがって食料コストの引き下げは資本家の利益と直結する。 |
デヴィッド・リカード(1772-1823)は、ロンドンの証券仲買人の家に生まれ、自身も株式仲買人として巨額の資産を築いた。前田氏の言う「資本家」という位置づけは、経歴としても正確である。1799年にアダム・スミスの『国富論』を読んだことが経済学研究の契機とされる。
主著『経済学および課税の原理』(On the Principles of Political Economy and Taxation)は1817年に初版が刊行され、第2版・第3版と続き、1821年の第3版が最終改訂となった。差額地代論と収穫逓減の考え方は、この著作で定式化されている。
前田氏がここで明確に述べたのは、リカードの理論が穀物法論争の理論的武装として立ち上げられた側面がある、ということだった。なぜなら、穀物法を撤廃することが資本家の利益になると考えたからである。
穀物法論争の中身は単純に見える。主食である穀物について、高い国産を取るか、安い海外産を取るか。国の方針としては、高い国産を選び続けた。すると何が起こるか。一部の地主と一部の資本家の富は拡大し続けたが、国全体としては疲弊し続ける。それでも「我慢していればそのうち自分たちに機会が巡ってくる、だからこのまま頑張り続けよう」というのが国の方針だった。
リカードの主張はそこを否定する。安い海外産を受け入れて広く回したほうがよいのではないか、という立場である。ただし前田氏はここで一つの留保をつけた。安い海外産を受け入れることは、実は投資家の利益には直接には結びついていなかった。地主の利益のほうが大きかった。しかしそれだけでなく、国家そのものについても食料不足という現実が起きている。だから理論をそこに結びつけるべきだ、という考え方をしている、と説明された。
安い海外産を入れるということは、自由貿易を積極的に進めたいということである。そのために持ち出された概念が二つある。ひとつはリカードを代表する概念として知られる比較優位。もうひとつが差額地代論であり、これは現代の経済学でいう限界理論――限界収入や限界費用――の先駆けにあたる考え方である。前田氏は、比較優位についてはリカードを代表する理論なので本来やるべきだが、貿易理論としてまとめて別回で扱うと述べ、この日は差額地代論と収穫逓減に集中する構成を選んだ。
穀物法(Corn Laws)は、ナポレオン戦争後の穀物価格下落を受けて1815年にイギリスで制定された穀物輸入規制である。前田氏が「回転層で30年以上かかっている」と述べた点は正確で、廃止は1846年、実に31年後だった。
この論争はリカードとマルサスの直接対決という形をとった。マルサスが1815年に『外国穀物の輸入制限政策に関する一意見の根拠』を発表したのに対し、リカードは同年『穀物の低価格が資本の利潤に及ぼす影響についての試論』を発表し、地主階級を除くすべての階級が農産物の自由貿易から利益を得ると論じた。前田氏の説明する構図と一致する。
マルサス側の懸念は、廃止が農業者に与える打撃だけでなく、輸入穀物に依存するようになったイギリスに対して外国が供給を妨害する可能性にもあった。廃止を実現したのは反穀物法同盟(Anti-Corn Law League)という中産階級主導の全国的な運動であり、スミスとリカードの理論を論拠として用いた。
ここが講義の中心である。前田氏の説明を順に追う。
肥沃な土地と痩せた土地が二つあったとして、最初にどちらが耕作に使われるか。当然、肥沃な土地から使われる。そして収穫量は肥沃な土地のほうが多く、痩せた土地のほうが少ない。ここまでは自明である。
問題は次だ。痩せた土地と肥沃な土地では、収穫コストが逆転する。物を作りにくいところのほうが、同じ量を作るにしてもコストがかかる。前田氏はここで具体的な数字を置いた。肥沃な土地なら100万円で100トンできるとして、痩せた土地は100万円で10トンしかできないとする。すると、肥沃な土地では1トンあたり1万円のコストで済むのに、痩せた土地では1トンあたり10万円のコストがかかる。
そしてこの差額が地代である、というのがリカードの答えだった。なぜなら、痩せた土地で作ろうと肥沃な土地で作ろうと、できあがった商品の価格は同じだからである。同じ価格で売れる以上、コストの差はそのまま利益になる。より肥沃な土地を持っている者のほうが儲かるシステムになっている。
前田氏がここで置いた最も重要な命題がこれである。商品の値段の基準は、一番悪い土地で作られた商品のコストから決まる。極端に言えば、痩せた一番悪い土地で作られた商品の価格において利益がゼロだとすると、良い土地であればあるほど、同じ商品でも利益が高くなっていく。
この構造が人口増加と結びつくと何が起きるか。人口が増えれば増えるほど、より痩せた土地まで耕作に入れざるを得なくなる。より痩せた土地が限界地になるということは、その土地のコストが価格の基準になるということであり、価格が上がる。そして肥沃な土地との差は広がる。つまり人口が増え続ける限り、地主の利潤は増え続ける。
だからこそ、と前田氏は続ける。地主にとっては穀物価格を上げることが有利であり、それはこの差を広げることを意味する。地主は自由貿易に反対するし、地主は力を持ち続ける。穀物法論争が30年以上かかったのは、その最初の力がそれだけ強かったからだ、という説明で締めくくられた。
土地を拡大していくと、国全体としての収穫率はどんどん下がっていく。収穫率が下がり続けるということは、いずれどこかで頭打ちになるということである。そんなことを続けていて、本当に食料自給は賄えるのか。これがリカードが提起した穀物法論争の問題点の一つだった、と前田氏は整理した。地代論は分配の理論であると同時に、食料安全保障の警告でもあった。
前田氏は続けて収穫逓減の説明に入った。人口が増加していくと収穫効率が低下していく。差額地代論と収穫逓減は密接に関わっており、土地がどんどん広がっていくことによって収穫率が下がるという先ほどの説明が、実は収穫逓減の理論そのものである。そして頭打ちになる。
具体化するとこうなる。人が2人増加したときに、食料は1人分しか増加しない、という事態が生じる。土地の質が悪くなるために増加分がどんどん減っていく。これで賄えるか。賄えないので、食料生産に限界が来て、人口増加にも限界が来る。さらにこの二つから考えると、有効な土地が減り続けるために土地の価格は上がり続ける。当時は人口が増え続けていたので、人口増加が一つの前提として置かれている。前田氏はここで、前回わざわざマルサスの人口論を先に扱った理由がここにある、と述べた。そして「そこも本当にそうですか」ということも含めて懐疑的に見なければならない、と付け加えている。
この説明の直後、マイキー氏が割って入る。「収穫逓減を皆が理解しているのであれば、例え話で分かりやすく教えてもらえると。いや、なんか反応を見たときに理解していないんじゃないかと思ったので、ちょっと皆さんに質問してみました」。ここから講義は一時中断し、理論そのものではなく「理論をどう自分に引き寄せるか」という方法論のセッションに切り替わる。この転換自体が、この回で最も実務的な価値を持つ部分になった。
マイキー氏の介入は明快だった。土地だと遠く感じて分かりづらいなら、会社で想像してみてください、と。
従業員が5人いる会社があり、みんなで一生懸命働いて仕事を分担している。成果を出したいと思ったら従業員をどうするか。増やす。最初は人が増えるほど仕事が進んで成果も上がる。では、もっと増えていったらどんな問題が起きるか。
参加者から「頭打ちが来るので、それほど思ったより収益が出なくなる」という答えが出る。マイキー氏はここで「頭打ちとは何でしょう」と押し返し、抽象度を下げるよう促した。もっと物理的に考えていい、と。10人や20人なら成果が出るが、50人や100人になったときにオフィスの限界が来る。机の数が足りない。狭すぎて仕事がしにくくなる。
そしてもう一段。今までは5人や10人だったから仕事の分担ができたが、人数が多くなると誰が何をやるかで揉め始める。みんながこれをやりたいと言いすぎて、会議も進まず、何をやっていいか分からない状態になる。オフィスが永遠に広がっていくならいいし、需要がそのままあればいいが、どこかで必ず頭打ちが来る。机の数、椅子の数、そして統制が取れなくなること。結果として生産性が落ちる。
マイキー氏は理解の確認を取ったうえで、同じ構造をもう一度、より具体的な農業の話として説明し直した。トウモロコシを育てる畑がある。最初は広い土地で、肥料も水もたっぷり使う。トウモロコシが育つ。もっと育てたいから人を増やして種を植えていく。すると収穫は増えていく。ところが途中から人数が増えすぎると、土地が狭いという状態になる。狭い土地で作業しにくくなると、作物は育ちにくくなる。すると生産性が落ちる。
マイキー氏がここで示した方法論は明示的だった。参加者は土地を持っていないし農業もやっていない。持っていない段階で頭の中で考えても理解できるわけがない。であれば、自分にとって身近なものは何かをまず想像する。会社を持っている、あるいは会社で働いている。前田氏の言葉をそこに置き換えたらどういう問題が起きるかを想像できれば、理論は分かる。言っていることが直接分からないなら、間接的に分かるところに置き換えたうえで考える、という手順である。
マイキー氏は、収穫逓減の理解が取れたことを確認したうえで、過去に扱った内容へ接続した。限界収入と限界費用が等しくなる点(MR=MC)で利潤が最大になる、という方程式である。以前レモネードの例で説明した計算式が、今日の前田氏の差額地代・収穫逓減の話とつながる、という指摘だった。
接続の論理は次のようになる。人を増やすほど追加1人あたりの産出(限界生産物)は減っていく。それに伴って追加1単位を作るためのコスト(限界費用)は増えていく。一方で、売れる価格が一定であれば追加1単位の収入(限界収入)は変わらない。したがってどこかで限界費用が限界収入を上回る点が来る。その手前が利潤の最大点である。差額地代論で言えば「一番悪い土地で作られた商品の価格において利益がゼロ」という限界地の概念が、これに正確に対応している。
マイキー氏は接続できた人がどれくらいいるかを確認し、できていない人については、過去に配った資料をもう一度、前田氏の言葉を思い出しながら見返してほしい、と指示した。そのうえで「今、企業とか日本の企業を見ていると、多分これも分かっていないところが多いのかな」「ハードルレートが理解できていない投資の仕方をしているかなという風に見える」という観察を付け加えている。
ハードルレート(hurdle rate)は、投資案件を実行する最低限の要求収益率であり、通常は加重平均資本コスト(WACC)にリスクプレミアムを加えて設定される。マイキー氏がこれを限界理論と結びつけたのは、両者が同じ論理構造を持つためである。
限界理論が「追加1単位の便益が追加1単位の費用を下回る手前でやめる」と言うのに対し、ハードルレートは「追加1件の投資の期待収益が資本コストを下回る案件はやらない」と言う。どちらも「どこでやめるか」を決める規律である。売上や規模の絶対額を最大化しようとする発想は、この規律を持たない状態にあたる。
前田氏は次に賃金の理論に移った。生活費と賃金の関係である。生活費が決まってくると、それによって賃金が基本的に決まる。労働者にどのくらいコストがかかるかは、労働者の生活費用から算出される、という考え方である。
ということは、労働者の生活費を下げてやれば賃金が下がる。生活費を下げるには、労働者の食料コストを下げたほうがよい。食料コストが減れば賃金が下がる。賃金が下がれば資本家の利益は増えるのか、減るのか。増える。つまり積極的に生活費を下げることを考えたい。ということは、安い外国産を入れたほうがよい――ここで議論はPART 2の穀物法論争へ戻ってくる。
前田氏はここで、これがインフレの自動調整という側面も持つアイデアだと補足したうえで、重要な留保を置いた。「これはあくまで理論的にこれを前提として考えます、ということ。だから本当かどうか知りません」。理論の内部整合性と現実の妥当性を明確に分ける態度であり、この回でリカードの弱点として後述される点と対応している。
自由貿易の推進、安価な輸入穀物の受け入れ、賃金の低下、資本家利潤の拡大。この連鎖は倫理的な主張ではなく、階級的立場から導かれる利害の一貫性である。前田氏が冒頭に「リカードは資本家である」という補助線を置いた理由がここで明らかになる。理論の正しさを論じる前に、その理論が誰の目的関数を最大化しようとしているかを見る。これがこの講義の読解法だった。
前田氏は、賃金生存費説からすると富は調整され続けることになる、と補足した。労働者の生活費が増えすぎた場合も、減りすぎた場合も、どちらの方向にも調整が働く。一方で地主については、人口が増加するのを前提に考えているため利潤が増え続ける。だから人口についてもちゃんと考えなければならないし、収穫逓減によって肥沃な土地の価格が上がり続けるため、地主に富が集中してしまう。肥沃な土地であればあるほど誰もが欲しがる。利益が高いからである。
もう一つ、前田氏が取り上げたのがイノベーションに関する論点である。新技術が導入されたときにどういう影響が出るか。新技術が出たときには固定資本への投資が起きる。投資して新しい機械を導入する。すると何が起きるか。人がいらなくなって失業が起こる。これが短期的に生じることがある、とリカードは提唱している。
前田氏はここから結論を引いた。技術の進歩と社会的な幸福は、必ずしもつながっていない。リカード自身がそう述べている、という指摘である。
この論点は、リカードの著作の中でも特異な経緯を持つ。『経済学および課税の原理』の初版(1817年)にはこの章はなく、1821年の第3版で新たに追加された。しかも内容は、それまでリカード自身が採っていた立場からの転換だった。
それ以前のリカードは、機械の導入は生産性を高め、結果として労働者にも利益をもたらすという立場に立っていた。第3版の「機械について(On Machinery)」では、技術進歩が労働者階級にとって有害でありうることを認めた。自らの結論を公に撤回した形であり、当時としては論争を呼ぶ改訂だった。
この事実は、前田氏が後述する「リカードは演繹的な方法にしか研究していない」という評価に対する、興味深い反例でもある。前田氏自身、途中で一部の理論は観察結果から変更していると認めており、この章がまさにその一例にあたる。
前田氏がリカードの問題点として挙げたのは明確だった。理論的な演繹の方法にしか研究していない。ということは、歴史的な検証が基本的に弱いということである。途中で一部の理論は観察結果から変更しているが、それでもマルサスやマルクスと比較すると、歴史的な検証は圧倒的に弱いと言われている。
ただし前田氏は、それでもリカードは体系家としての意義を持つと評価した。理論で突き詰めて考えているため、経済学の体系というものを作っていった人だという言い方ができる。
そして前田氏は、なぜ前回にマルサスを先にやったのかを説明して講義を締めた。まさに人口の問題に先に言及しておいたほうがよいと考えたからであり、それを踏まえたうえでリカードに入るという順序だった。マルサスは理論もあるが宗教的な影響が比較的強く出ている人であり、リカードは投資家の視点として理論を組んでいる人である。立場が違うからアプローチが全く変わり、だから意見が変わる。この二人は並列に対照させて論じられることが非常に多いので、そういう視点を持つとなぜ違うのかが分かってくる。
聖職者としての背景を持ち、宗教観が理論に強く出ている。人口論と需要不足の理論。穀物法論争では保護貿易の側に立ち、輸入依存が外国からの供給妨害を招くリスクを懸念した。歴史的・現実的な観察を重視する傾向。
株式仲買人として資産を築いた資本家。ロジックの一貫性で理論を組み、体系としての完成度は高い。穀物法廃止=自由貿易を主張。労働価値説、差額地代論、セイの法則。演繹に偏り、歴史的検証は弱い。
マイキー氏がこの直後に「イノベーションのシュンペーターがリカードをかなり強く批判している」と述べた点は、学史上よく知られた論点にあたる。ヨーゼフ・シュンペーターはリカードの手法を「リカーディアン・ヴァイス(Ricardian Vice/リカード的悪徳)」と名づけて批判した。
その中身は、極度に単純化され、かつ変数が確定していないモデルから、広範な政策的結論を引き出してしまうことである。前田氏が「演繹の方法にしか研究していない」「歴史的検証が圧倒的に弱い」と述べた指摘と、シュンペーターの批判は同じ対象を指している。
興味深いことに、シュンペーターは同じ本の中でクレマン・ジュグラーを近代景気循環論の創始者として高く評価している。理論・統計・歴史分析を組み合わせた点が画期的だったという理由である。演繹一辺倒を批判し、統計と歴史を組み込んだ手法を称揚するという、シュンペーターの一貫した評価軸がここに表れている。
ここからマイキー氏が、前田氏の講義がどこに位置づけられるかを説明する長い接続に入る。この部分がこの回で最も密度が高い。
マイキー氏の整理はこうである。古典派の中に経済学原理と呼ばれるものがあり、これは19世紀の真ん中頃に生まれた考え方である。次はどちらが正しいのかという議論が進んでいき、答えが出ないから別の観点で考えましょう、というものが出来上がるのが19世紀中盤である。
ではその「別の観点」とは何か。マイキー氏の説明はこうだ。生産方法が上がるか下がるかは科学的に説明できる。ただし生産ではなく分配の法則自体は科学的に説明できない。だからこれは社会が分配するものだ、という理論が生まれてくる。これが古典派の次のレベルである。
ここまでの前田さんの理論は、バランスの話であり、最適化の理論だった。ただしそれは生産方法や需要の話であって、次に考えなければならないのは、その富をどう分配するのかという話になる。お金が最大化することが見えたら、そのお金をどうするか。民主主義の国はどう考えるか。国民に、投資家に、労働者に、どう分配するか。この分配という論点に入っていくのが古典派の展開であり、そこから政治学が一気に発展していく、という説明だった。
マイキー氏はここで決定的な論点を置いた。最大化を目指すということは、どうやって均衡を保つのかという理論を引っ張り出そうとする時代だった。ところが実際に分配方式をやると数字がぶれる。だから市場は常に均衡しないという話になり、理論が生まれてくる。
その理由として挙げられたのが、19世紀の鉄道ブームである。利益の最大化とは鉄道を引きまくることのはずだった。ところが利益の最大化ができなかった。なぜか。鉄道ブームによって株式市場が生まれることによって、市場自体に感情が入り始めた。そのため最大化の位置が分からなくなってしまう。金融恐慌のようなことが、19世紀には10年おきに起きていたと言われる。
最大化ができないのであれば、次はどのような循環になるのかを考える。そこで生まれてくるのが景気循環論であり、クレマン・ジュグラーのような人物の関心が広がっていった。ハイプサイクルのようなものの理論が、ここから入ってくる時代になる。そして僕らが今戦っている景気サイクルにどう対応するか、というのが現代の経営学や経済学になっている、という接続である。
マイキー氏はここで、この転換が何を意味するかを噛み砕いた。科学的説明をするということは、1+1=2を求める作業だった。方程式に近いことを、これは何なのかと求める作業だった。それが循環型に変わるということは、数字の流れが変わるということである。
そして「循環は計算式だと成り立たない。統計データなんです」という一文が置かれる。1+1=2は科学的に説明できるが、循環は1+1=2では説明できない。循環において重要なのは「2は今何なのか」である。2年前の1+1=2の2と、今の2は違う2である。去年と今年と来年ではサイズが全部違う。それが統計データという言い方になる。なぜかというと波があるから。マイキー氏はこれを、いつも言っている「1+1=2=無限」という表現に接続した。
この統計データが生まれることによって理論のモデル化が厳密になり、ここから経営学や経済学の理論がどんどん固まってくる時代の入り口になる。フレームワークやモデルは、この循環理論から生まれている。だからフレームワークにも、はまる時代とはまらない時代がある。経営戦略のフレームワークも同じである。循環理論は統計学によって作られているものだから、という説明だった。
クレマン・ジュグラー(1819-1905)はフランスの医師出身の経済学者。1862年に『フランス、イギリス、アメリカ合衆国における商業恐慌とその周期的回帰』を発表し、これが最初の景気循環論とされる。1889年に論文を加えて増補改訂された。ジュグラーが特定した7年から11年の周期は、後に「ジュグラー・サイクル」と呼ばれるようになった。
シュンペーターは、ジュグラーを近代景気循環論の創始者と位置づけ、理論・統計・歴史分析を組み合わせた点で画期的だったと評価した。古典派の景気循環をこのフランス人経済学者にちなんで命名したのもシュンペーターである。
ただし両者の説明は異なる。シュンペーターにとって古典的な景気循環は中規模の技術革新が駆動するものだが、ジュグラーにとって過熱の原因は、緩い信用に煽られた投機だった。マイキー氏が「株式市場が生まれることによって市場に感情が入り始め、最大化の位置が分からなくなった」と述べた説明は、ジュグラー本人の診断に近い。
講義の終盤、前田氏が次に出すのはおそらくジョン・スチュアート・ミルだろう、という予想が出された。ミルはリカードの父と親交が深く、リカードから強い影響を受けたと言われる。ただし、ミルを説明するにはベンサムを説明しなければならず、単独で説明するのは難しいのではないか、という論点が提示された。
これに渡辺氏が応じ、功利ベースで説明できると述べている。ベンサム自身が言っているのは、最大の数=最大の幸福であり、これを政策基準にしろ、理想郷を求めろ、という理論である。したがって功利という切り口であれば説明は可能だ、という回答だった。「法律と合理化ですからね」「ここは逆に僕たちは慣れ親しんでいるし、今の市場の前提になっているものなので、逆に僕たちの考えに近い」という評価も添えられている。
マイキー氏はさらに、統計が発展していくことで、ベンサム流の「最大化が最大の幸福である」という政策判断が接続してくると述べた。最大化を狙うためにどういう政策があれば最大化に近づくか。これは今の政策も同じで、来年これぐらいまでGDPを持っていくためにはこういう政策がいいのではないか、という発想がまさにそれである、という指摘だった。
ジェレミ・ベンサム(1748-1832)は功利主義の創始者で、「最大多数の最大幸福」を政策の判断基準とすべきだと主張した。法学者として、法体系を合理性の原理から再設計しようとした点が特徴である。渡辺氏の「法律と合理化ですからね」という指摘はこの性格を正確に捉えている。
ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)の父ジェームズ・ミルは、ベンサムの側近であると同時にリカードの親友でもあった。J.S.ミルは幼少期からベンサムとリカードの双方の思想圏で育てられており、講義中で語られた「リカードの父と親交が深く、リカードから影響を受けている」という説明は、正確には「ミルの父がリカードと親交が深かった」という関係である。要確認 文字起こしの音声からはどちらの父を指しているか判別が難しく、ここは元発言の意図を確認したほうがよい箇所である。
J.S.ミルの『経済学原理』(Principles of Political Economy)は1848年刊。マイキー氏が「19世紀の真ん中ぐらいに生まれた考え方」と述べた時期と一致する。この著作で、ミルは生産の法則は物理的な法則に支配されるが、分配の法則は人間の制度によって決まるという区別を打ち出した。マイキー氏が説明した「生産性の法則は科学的に説明できるが、分配の法則は科学的に説明できないから社会が決めるものだ」という整理は、まさにミルのこの命題そのものである。