この日の講義は、前回扱った功利主義を踏まえて「なぜミルなのか」から始まった。講師の説明が最初に置いた前提は明快である。ミルは古典派経済学の集大成的な位置にいる人物であり、その思想の根っこに功利主義がある。だから功利主義を外して経済学だけを取り出しても、この人が何を言いたかったのかは見えてこない。次回に扱う『経済学原理』への橋渡しとして、まず功利主義の側から入る、という構成である。
ただし講義の中身は、ベンサムとミルの定義を並べて終わるものではなかった。中心にあったのは、ミルという個人の伝記的事実――父ジェームズ・ミルとベンサム、リカードという三人の「偉大な人たち」に囲まれ、高速アウトプットを要求され続け、二十歳で鬱に陥ったという経験――が、そのまま理論の形を決めたという読み方である。講師は「なぜわざわざこんなことを言うか」と何度も断りを入れながら、伝記を語った。理由は明確で、この経験を通さないと「なぜこの人がここに行き着いたのか」が説明できないからだ。
そこから導かれた命題が「0は掛け算にならない」だった。功利主義は個人の幸福の総和で社会を評価する。ところが、その総和を計算する当のベンサムの周囲で、身近な人間の幸福がゼロになっていた。ゼロはいくら足しても掛けてもゼロである。個人を無視したままでは功利主義そのものが成立しない――ミルの出発点をここに置いたのが、この回の骨格である。
後半は受講者との議論に移り、アダム・スミスからリカード・マルサスへ、そして分配と循環にフォーカスが移りすぎた結果として失われた「富とは何か」という問いに、ミルが人的資本と定常状態という形で戻ってきたという読解が提示された。さらに議論は囲い込み(エンクロージャー)とコモンズの喪失に及び、そこから「一つの産業が強くなりすぎると他が死ぬ」という構造が、現代の韓国財閥、中国の産業政策の振り子、日本の分配の行き詰まりへと接続されていった。
理論は、それを作った人間の失敗から生まれる。ベンサムが快楽と苦痛の計算で社会を設計しようとしたその隣で、その理論の教育を受けた少年が幸福を失っていた。ミルの仕事は、この矛盾を理論の内部に組み込み直す作業だった。そして現代では、その理論が想定した対象と、実際にそれを使っている層が入れ替わっている。理論の正しさと、理論が誰に届くかは、まったく別の問題である。
講義の冒頭で講師が置いた問いは「なぜそんな回りくどいことをやるのか」だった。ミルは古典派経済学のなかで、ある意味で最も集大成的な位置にいる。アダム・スミス、リカード、マルサスと続いてきた系譜の終着点であり、同時に次に来るマルクスへの入口でもある。マルクスはリカードやミルの理論を、受け入れた部分と批判的に扱った部分に分けて自分の体系を組み立てている。だからミルが見えていないと、マルクスが何に反応して何を言おうとしているのかが分からなくなる。
加えてミルという人物は、学際的な広がりが異常に大きい。論理学、経済学、政治学、倫理学、そして女性の権利論まで、複数の領域にまたがって仕事をしている。すべてを一つずつ潰していけば脇道が多くなりすぎるため、この回では功利主義という一点に絞り、次回の『経済学原理』へつなぐ、という進め方が宣言された。
講師は「左が古く、右が新しい」として『論理学体系』『経済学原理』『自由論』の三点を並べ、その後に功利主義そのものを論じたものが来る、と説明した。刊行年を確認すると、この順序は正確である。『論理学体系(A System of Logic)』1843年、『経済学原理(Principles of Political Economy)』1848年、『自由論(On Liberty)』1859年、そして『功利主義(Utilitarianism)』は1861年にFraser's Magazine誌に連載され1863年に単行本化された。さらに『女性の隷従(The Subjection of Women)』1869年、『自伝(Autobiography)』1873年(没年)と続く。
講師が指摘した「数値化的なものから概念化へ移っていく」という思考の移動は、この年表と整合している。自然科学の方法論を扱った論理学から出発し、経済学で分配と成長を論じ、政治学で自由の条件を定め、最後に倫理そのものを主題化した。順序が逆でないことに意味がある、という読み方は、書誌事実の裏付けを持つ。
講師はまず功利主義の前提を最小限に確認した。快楽――気持ちがいい、楽になる、喜ばしい――は追求し、嫌なことは回避する。この二つはどちらも同じ方向のプラスとして働くので、意味としては一緒になる。だからベンサムの発想は、飴と鞭をきちんと使い分けましょう、というものになる。
ここから特徴の比較に入る。ベンサムの功利主義は、個人と全体を比べたときに全体のほうが尊重されやすい傾向を持つ。裏を返せば、個人の尊厳が軽視される方向に働く。対してミルは基本的にこれと真逆で、まず個人を尊重する。個人が育てば結果として全体も生きる、という順序である。個人の尊厳は最優先で考える。
快楽に質の差はない。どれだけ量が多いかで評価する。すべての快楽を同じレベルのものとして扱う。
人間は常に快楽を求め苦痛を避けるシンプルな存在。いわば「快楽を計算する機械」として扱い、データを取る。
一人ひとりにあまり期待を置けない。だから法律や制度で人をコントロールするしかない。社会の透明性を維持し、飴と鞭を使いこなすことが人々の理性を維持する手段になる。
自由は幸せを増やすための道具である。だから必要なら政府が制限してもよい。
快楽の質には違いがある。知的で高級な快楽と単純な快楽では価値が異なる。ただしその質の評価は各々の価値観によって変わる。
人間は成長する存在である。教育や文化によってより高いものを感じ取れるようになれば、その分だけ快楽を楽しめるようになる。
一人ひとりが重要。社会参加の意識と能力を高めることで社会全体を良くする。ただし法律や飴と鞭の重要性を否定しているわけではない。
自由そのものが大事。他人の自由を侵してはいけないが、同時に社会の成長につながるかどうかで制限の可否を区分けする。
講師がこの整理に添えた注記が重要である。量と質という切り分け方は、「どういう言い方が分かりやすいか」というキャッチコピーの選択であって、二人をそこまでくっきり分けられるかというと視点をずっと追っていかなければならない、と本人が明言している。つまり量/質の対比は入口であって結論ではない。
もう一段深いレベルで語られた差は、時間軸である。ベンサムは短期的思考が強かったと言われ、短期的な利益の達成や数値目標の達成に重きを置いていた。ミルは長期的な価値を重視する。顧客との信頼関係、ブランド価値の向上、従業員の成長といった長期投資に相当するものを重視した。効率性なのか成長性なのか、という対比である。そしてビジネスにおいては両方の考え方が必要である、という穏当な結論が置かれた。
講義中で言及された言葉は、『功利主義』第2章の一節である。原文は「満足した豚であるよりも不満足な人間であるほうがよく、満足した愚か者であるよりも不満足なソクラテスであるほうがよい」という構造を持つ。つまり「豚/人間」と「愚者/ソクラテス」という二段構えの対比であって、「豚とソクラテス」を直接並べたものではない。
ただし講師がこの言葉に付けた但し書き――「これはあくまで質に差がありますよ、特に肉体と精神だと精神のほうに優位性がありますよ、ということを表しているにすぎない」――は、この一節の文脈上の役割として妥当である。ミルはこの直後に、両方を経験した人の判断を基準にすべきだという議論を続けており、快楽の序列を外から押し付ける主張ではない。
この回で最も時間を割いて語られたのが、ミルに影響を与えた三人と、その教育の帰結である。ジェームズ・ミルは実父。東インド会社に勤めた人物で、敬虔なプロテスタントでありながら差別的な感情も強い人だった、と講師は評した。にもかかわらず本人は、理性と感情では理性を重んじて論理的に考えましょう、という立場を取っている。つまり非常に自己矛盾の強い人である。
ベンサムは功利主義と法学の人であり、思考としては論理性が高い。自分が観察してきた中で現実がそれとそぐわないと感じ、それを現実的に生かしたいと考えたからこそ、逆に論理を追求した。リカードは基本的に投資家であり、自分たち投資家の利益を最大化するために経済という側面を理論的に考えて提示した。
人間性より論理性を重んじる。そしてこの三人が教員となって、一人の少年を教え続けた。
少年に要求されたのは「高速アウトプット」だった。教えられたらすぐに自分の意見を言う。教えられたものをそのまま出すのではなく、自分のアイデアを加えて問題を指摘したりアイデアをブラッシュアップしたりする。それを常にやらされ続ける。ミル自身のIQは180程度あったのではないかと言われている人物であり、それだけの頭脳の持ち主が「こんなことをやってられない」と鬱になるほど、教育によるプレッシャーを与え続けられた。
講師はここでベンサムの自己矛盾を指摘する。気持ちを高めたりポジティブな感情を抱かせたりする方向にどう設計するかがベンサムの課題だったにもかかわらず、その身近な人間はマイナス感情に陥らされている。理論と実践が正反対を向いていた。
ミル自身の言葉として紹介されたのが「父の教育は自分を推論する機械にした」という一節である。感情的なものが撤廃されてしまった結果、鬱に陥った。そのあと彼は読書や詩を読み始め、それによって人間性が回復し、徐々に鬱から回復していく。そこから人間性の重要さを認識するところに、この人の理論が始まっている。
ミルは『自伝』の一章を「わが精神史の危機(A Crisis in My Mental History)」に充てており、1826年、二十歳のときの精神的破綻を自ら記述している。当時のロンドン討論協会では、彼は「作られた人間(a made man)」「特定の曲を奏でるようにセットされた知的機械」として好奇の目で見られていた、という記述も残る。ミル自身がこの時期の自分を「単なる推論機械(a mere reasoning machine)」と表現したことも伝記に記録されている。講師の紹介した表現は、この自己評価とほぼ一致する。
回復のきっかけについても、詩――とりわけワーズワースの詩――と読書が挙げられるのが定説であり、講師の説明と食い違わない。なおIQ180という数値は、キャサリン・コックスによる歴史上の人物の推定IQ研究に由来する推計値であり、当時の実測ではない。数値そのものは幅を持って受け取るべきである要確認
この経験がミルに与えたものとして講師が提示したのが、功利主義の問題点を自分の身体で体験してしまった、という事実である。そしてその問題点を一言で表したのが「0は掛け算にならない」だった。
功利主義は個人の幸福の総和で考える。にもかかわらず、一人ひとりの幸福がゼロになったらどうするのか。いくら足しても掛けてもゼロはゼロである。つまり個人を無視したままでは、この功利主義は成り立たない。
この命題は、ミルの周囲にいた「偉大な人たち」の失敗を至近距離で目撃したという状況とセットで語られた。周りに偉大な人たちがいても、その偉大な人たちの身近な失敗例を直に見ている。だから人間性は重要だ、という結論に行き着かざるを得なかった。
ではその幸福はどこに存在するのか。ミルはまず理性と道徳感情を重視する。この部分をきちんと重視して育てないと、そもそも幸福の話ができない。だから視点の変化として、社会から個人へ、まず重視する対象を一度切り替える。個人が育てば、それがちゃんと社会に還元される。そのためのシステムを作りましょう、という順序になる。
講師はここでベンサムとミルのニュアンスの差を、道具のたとえで整理した。ベンサムの場合は飴と鞭を使って人を操る道具のような印象を与えるところがある。対してミルが目指したのは、功利主義を「人を育てて結果として社会を盛り上げるツール」にすることだった。同じ功利主義でも、人に対して使うのか、人が使うのかが違う。
ミルが言う「精神」には定義がある、と講師は説明した。知性、道徳、そして美を感じる心。この領域を非常に重視する。なぜわざわざ精神という言い方をするかというと、幸せの質の差として、精神によるものと肉体が感じるものではどちらが質が高いかという問いに、ミルは精神が感じるもののほうが高いと答えるからである。だから嬉しい・楽しいというよりも、知性や道徳や美的感覚を刺激するもの、それを精神と位置づけている。
教育の目的も二つに整理された。一つは人格の形成。もう一つは内発的動機づけ、つまり自分からモチベーションを上げていくこと。外から与えられる飴と鞭ではなく、内側から立ち上がる動機を教育の目標に据える。ここでベンサムとの対比が最も鮮明になる。
ただし講師は、両者が最終的に行きたい方向はそこまで違っていない、と繰り返し釘を刺した。違うのは視点である。ベンサムは一人ひとりにあまり期待を置かないから飴と鞭でコントロールする。ミルは一人ひとりが重要だから社会参加の意識と能力を高める。そしてミルは法律や飴と鞭の重要性を否定しているわけでは決してない。
そのうえで、本当に重要なこととして個人の人間性の尊重が置かれ、そこから『自由論』の中心命題である他者危害原理が導入された。人を傷つけない限り、基本的に人々は自由である。講師はこれを「ロボット三原則に近いもの」と説明し、他人を傷つけない限り個人の自由な行動と言論に制限は受けない、という形でドグマとして展開されていると位置づけた。そしてもう一つ、機会の公平性――いろいろな人がちゃんと参加できる機会を与えるためにどういう仕組みを作るか――が並置された。
危害原理(harm principle)は『自由論』(1859年)第1章で提示される。文明社会の成員に対し、その意志に反して正当に権力を行使できる唯一の目的は、他者への危害を防ぐことである、という定式である。本人自身の身体的・道徳的な善は、干渉の十分な理由にはならない。
講師が並置した「機会の公平性」については、『経済学原理』第5編の政府の役割論と、後年の『女性の隷従』における教育・職業機会の議論に対応する。ミルは自由放任を原則としながら、教育や相続、労働者の交渉力といった領域では政府の介入を積極的に論じており、「自由主義=個人が好きにやること」ではない、という講師の注意書きは、テキストに即している。
この回の独自性が最も高いのが、この論点である。講師は自身の見立てとして「かなりアイロニックだ」と前置きしたうえで、次のように整理した。
ベンサムの理論は、基本的に強者向けに作られている。上位層・トップにいる人がどう幸せになるかがメインになっており、だから政府が制限してもいいという上目線の理論に固まっている。
ところが実際に短期的思考をしているのは弱者のほうが多い。逆にミルは全体を長期線で見て、下を救い上げるような考え方を投入しているにもかかわらず、ミル的な考え方を持っているのは富裕層や勝ち組ばかりである。社会構造がこの二人の理論に対して真逆になっている。
そして「実際に勝っているのはどちらの考え方か」という問いに、講師はミルのほうがはまっている、と答えた。長期の価値、信頼関係、ブランド、人の成長に投資する側が勝つ。にもかかわらず、その考え方が最も必要な層には落とし込まれていない。これがこの二人の理論をめぐる最大の皮肉である、という締めくくりだった。
この指摘は、単なる思想史の整理ではなく、勉強会に参加している側への当てこすりを含んでいる。長期投資の理屈を知っているかどうかではなく、それを実際に使える位置にいるかどうかが問われている、という含みである。理論の正しさと、理論が誰の手元に届くかは別問題だ、という論点は、この後の産業政策や民主主義の議論にもそのまま引き継がれていく。
「ベンサム=強者向け/ミル=弱者救済」という対応づけ、およびその現実における逆転という図式は、標準的な思想史の教科書には見られない読み方であり、講師自身も「僕の感覚で言うと」「僕思ってます」と繰り返し留保を置いている。学説として確立された分類ではなく、講師の実務的な観察に基づく仮説として受け取るのが適切である要確認
なお思想史の側から言えば、ベンサムはむしろ選挙権の拡大、法典編纂、監獄改革といった急進的改革の推進者であり、当時の既得権層と対立した人物として理解されるのが通例である。講師の言う「強者向け」は、理論が上から社会を設計する構造を指しているのであって、ベンサムの政治的立場を指すものではないと読むべきだろう。
質疑の後半で、受講者の一人が提示した読解が議論の質を一段引き上げた。要旨はこうである。富とは何か、どうやって生み出されるのかを分析したのがアダム・スミスだとして、それを引き継いだリカードとマルサスは、生み出したものを地主・資本家・労働者にどう分配し循環させるかに関心を移した。そうすると本来アダム・スミスが問題にしていた「国家における富とは何か」という問いが失われていく。彼らが重視したのは経済の循環を破綻させないことであり、最も恐れたのは利潤率が最低限になること――利潤がほぼゼロと同等になる定常状態である。
ところがミルにしてみれば、この定常状態はそこまで避ける必要がない。アダム・スミスが富と言ったものは、利潤率が下がった状態でも成立する。物的資本だけでなく人的資本があるからだ。利潤率が下がった定常状態でも人的資本を育てることは可能であり、そこに「質」の問題が出てくる。それまで物的資本は量の問題だったが、社会を支えてきたのは人的資本であり、社会の力は共感のようなものである、というアダム・スミスの問題意識に帰ってくる。人的資本と物的資本の双方が相互依存的に成長する必要がある、という点にこそ長期の目線がある。
そしてこの読解は、ミルがコモンズを大事にしたという指摘に接続された。イギリスでコモンズがどう失われたかを示す言葉として挙げられたのが「羊が農民を食い殺す」である。羊毛が儲かるので農地や共有地を囲い込んで空き地をなくす。羊を増やすほど羊毛の原材料が採れ、工場に送って織物ができ、輸出にもいい。しかし社会的な共有資本はどんどんなくなり、特定の一業種だけが短期的に潤む一方で、長期的に国をバランスよく成長させることに対しては羊が人を食っている。
この比喩の出典はトマス・モア『ユートピア』(1516年)第1巻である。原文は「あなた方の羊は、以前はあれほど従順でおとなしく、わずかしか食べなかったのに、いまや大変な大食らいで獰猛になり、人間そのものを食い尽くし飲み込んでしまう」という長い表現であり、「羊が人を食う(sheep devour men)」という簡潔な形は後世の縮約である。ミルより300年以上前、第一次囲い込みの時代の告発である点は押さえておく価値がある。
講師は「囲い込みの結果としてプアロー(貧民法)ができた」と説明したが、時系列はやや複雑である。第一次囲い込み(15〜16世紀、牧羊目的)に対応するのが1601年のエリザベス救貧法であり、第二次囲い込み(18〜19世紀の議会囲い込み、穀物増産目的)に対応するのが1834年の新救貧法である。ミルが生きたのは後者の時代であり、彼が直面したコモンズ問題は1601年の救貧法よりも議会囲い込みのほうに近い。講師の説明は大枠として妥当だが、二つの囲い込みが一本の線として語られている点は補正しておきたい。
「ミルが名誉革命の理由になるほど地主が困窮した」という発言もあったが、名誉革命(1688年)と囲い込みの因果関係は歴史学的に確立されたものではない要確認
『経済学原理』第4編第6章の表題は文字通り「定常状態について(Of the Stationary State)」であり、そこでミルは資本と人口の定常状態を「一部の著述家に恐れられているが、それ自体は望ましくないものではない」と評価している。定常状態を破滅ではなく、量的拡大から人間的な改善へ軸足を移す機会として肯定的に描いた点で、リカード・マルサスと明確に異なる。受講者が提示した読解は、テキストに正確に対応している。
『昆虫記』のジャン=アンリ・ファーブルとミルが友人だったという指摘も事実である。ミルは晩年をフランスのアヴィニョンで過ごし、生涯を通じて熱心な植物学者でもあった。ファーブルはミルから金銭的にも精神的にも支援を受けており、二人は昆虫採集と植物採集に一緒に出かけている。ミルが自然とコモンズを愛したという講師側の評価は、この伝記的事実によって裏づけられる。
議論はここから一気に現代へ飛ぶ。講師が引き取った論点は、当時のイギリスで羊毛が輸出産業として突出して強かった結果、他の産業が育たなかったという構造である。牧羊地を広げすぎて農産地がなくなり、食えないという状態が生まれ、産業自体が衰退していく。そこで分配のための制度が必要になった。この構造は「今で言うと韓国みたいなもの」であり、財閥だけが残っている状態に近い、と講師は言った。
だが、ここで経営学との矛盾が生じる。ビジネスがうまくいくのは結局のところ独占ないし寡占に向かうからであり、みんなその方向を目指して産業を作る。ところがそれをやると今度は独占禁止法に当たる。ではどこへ行けばいいのか、という板挟みになる。
独禁法はありだと思っている。独禁法があるからこそ、ルールの合間を突くような新しいアイデアが生まれ、そこからまた新しい産業やビジネスが生まれる。ある程度の規制をかけることで富の分配をある程度担保しておき、そのなかで新しいアイデアが出てビジネスに変わっていく。そしてその新しいビジネスもまた、寡占・独占へ向かう戦略を立てる。この繰り返しになる。
この振り子は国家戦略のレベルでも回っている、というのが次の論点である。大国になるには全産業を網羅しているのが最も強い。今のアメリカや中国がそれに近く、特に中国はほとんどの産業が世界最強レベルまで到達している。その中国自身が、IT産業が強くなりすぎた段階でアリババやテンセントを規制し、製造業を強くする方向に振った。結果としてITは五年ほど落ちた。そして製造業の生産性と生産量が過剰なところまで来た今、また中国製造2025のようにAIなど強い分野を強くして囲い込みに入ろうとしている。歴史も経済もビジネスも、このサイクルにすべて当てはまってしまう。だからどちらの理論も矛盾を含んでいることは間違いない。分配しすぎると死に、集中しすぎても死ぬ。
受講者から「以前扱ったコモンズの悲劇と、その解消が常にセットになっているということですね」という応答があり、講師も同意した。そのうえで日本については、分配しすぎた結果として金が返ってこない状態になっており、今は分配ではなく強くしていく時代になっている、という診断が示された。そして「こういう時に一番差が生まれる」――その転換に乗れるか乗れないかで差がつく、と付け加えられた。
戦略が国として切り替わる段階では必ず歪みが生まれ、誰かが得をして誰かが損をする。それをやるには選挙が必要になる。一つの産業だけを極端に強くする政策を取れば、おそらく政治家に票が入らなくなる。中国のような体制なら「やります」と言えばそれで決まるからスピードが速い。時代の転換期にこそ、民主主義の弱さが出てくる。
これに対し前田講師は、民主主義を維持してきたものを毀損している面もあると応じ、そこで社会的共通資本や関係資本が求められる、という方向に議論を戻した。何か破壊的な運動が起き、一つの資源から一つの資源へと移り、それが常態化してしまう――その循環に対して、社会的な資源をどう守るかという問いである。
「沢先生」として言及されたのは経済学者・宇沢弘文(1928–2014)と考えられる。宇沢が提唱した「社会的共通資本(social common capital)」は、自然環境・社会的インフラ・制度資本の三分類からなり、市場的基準で管理してはならない共有資産として定義される。この回の議論におけるコモンズの延長線上に正確に位置する概念である。
「ジェンロビンソン」として言及されたのは、資本蓄積論と不完全競争理論で知られるジョーン・ロビンソン(1903–1983)と考えられる。ケンブリッジ学派の中心人物であり、成長理論における資本と分配の関係を論じた。ただし文脈が短く、どの論点を指した言及かは特定できない要確認