「現実/理想」を横軸、「主観/客観」を縦軸に取った一枚の図が持ち込まれた。人はなぜギャップを埋めずに埋めたふりをするのか。その仮想的な埋め合わせを、作者は「マイナスの理念」と名づけた。
この回の前半は、講師が資料を配って解説する通常の講義ではなかった。受講生の一人がDiscordに投稿した自作の分析図を、本人に画面共有させて解説させ、参加者が順に突っつき、最後に講師が構造的に解体するという構成をとった。図そのものの完成度よりも、「作れる人と作れない人の差はどこにあるのか」「作った図をどう運用可能なツールに落とすのか」が焦点である。
持ち込まれた図は、横軸に「現実―理想」、縦軸に「主観―客観」を置いた四象限である。作者はまず理想を「今のままではダメ」が強い状態、現実をそれが薄まった状態と定義し、主観を「今のままで良い」が強い状態、客観をそれが失われた状態と定義した。この定義のもとでは、現状と理念は必ず対角線上に離れて配置され、両者の距離がそのままギャップになる。
この図の独創は、ギャップを埋める行動だけでなく、ギャップを埋めたことにしてしまう行動を三つに分類した点にある。理念そのものを薄める、明日やる自分という架空の現状を置く、そして逆方向のベクトルを持つ理念を持ち出して元の理念を打ち消す。三つ目が作者の言う「マイナスの理念」で、講師も後にこれを高く評価した。
講師の添削は図の書き方には向かわず、運用に向かった。主観で立てた理念は自分にとって楽な方向へ落ち着くのに対し、客観を入れた理念は難易度が上がるが成長になる。ならばこの図は、外部の意見を取り込む前後で理念がどれだけ動き、現状との距離がどう変化したかを測る「思考の拡大の可視化ツール」として使うのが最も有効だ、というのが結論だった。
この回で繰り返し出てくるのは「アウトプットした時点が、その人の現在の限界値である」という見方である。図を出せたこと自体が現在地を示し、他人の指摘を受けて次回同じ説明をやり直したときの精度の差が、その間に起きたパラダイムシフトの大きさを外から見えるようにする。図の正しさではなく、図が更新される速度が測定対象になっている。
本題に入る前の雑談は二つの話題で占められた。一つは、講師が近く参戦させると予告した高校生「アミル」の話である。彼女は小学生のとき習い事を九つ掛け持ちしていたが、理由を尋ねると「何かを学びたいのではなく、時間管理の仕方を覚えないと、大人のように時間がないと言い訳する人間になってしまうから」と答えたという。学校と塾と習い事をこなし、宿題は移動中の車内で片づけ、睡眠は一日二、三時間。その状態で誰よりも数字を出したという証言に、講師は「フリーな時間を与えたらとんでもないことになる」と評した。九歳の頃から外国人経営者に英語で事業計画をプレゼンさせ、却下されたら翌日には作り直して持ってこさせていたという。
参加者からは、日本でもアメリカでも、この種の突出した十代は社会に潰されるという話が続いた。講師自身、米国でギフテッド教育を受けた当時のメンバーは「みんな潰された」と述べている。
もう一つは、参加者からの直球の問いだった。年末年始の回を欠席していたため確認したい、なぜ本を売ろうとしているのか、その根っこの部分の話が一度も出ていないのが気になる、と。講師の回答は「言われたからです」だった。本を出したいと言ったことも、YouTubeをやりたいと言ったこともなく、他人に言われたことを断るのが面倒だからイエスと言ってきた、という説明である。
ただし受け身とも違う。やると決まれば出版の勉強をし、YouTubeならアルゴリズムとアナリティクスを勉強する。日本になかった「マイクロインフルエンサーシング」という考え方を試す場としてYouTubeを回しており、書籍も同様に、チームビルディングや組織論を実際に載せたときにどれだけ効果が出るかを見るための社会実験の商材として位置づけている、と述べた。
その帰結として、講師は印税を拒否したことを明かした。著者が最低1%は受け取らなければならないルールがあるためその分は受け取るが、残りは全額拒否しているという。前に出るのもプレゼンも好きではないが、好き嫌いではなく「やれと言われたら全部やってみる」。肩書きがどうなろうと構わないし、明日やめろと言われればYouTubeもやめる、と続けた。マーケティングの専門家である協力者が連戦連勝であることに触れ、「こけたらこけたで相手の名前が傷つくから面白い、俺には関係ない」と出版記念講演の場で言い放ったという逸話も紹介された。
日本の商業出版における著者印税は一般に定価の5〜10%が相場で、契約上ゼロにはできないという業界慣行は広く語られている。ただし「最低1%は法律・ルールで決まっている」という点について、著作権法上そのような下限規定は存在せず、出版社ごとの契約実務の話と考えられる。発言の趣旨(印税をほぼ受け取っていない)と法的建て付けは切り分けて読む必要がある。要確認
作者の説明はまず軸の定義から始まった。横軸は現実と理想である。理想を「今のままではダメ」という認識が強い状態と置き、現実をそれが弱まった状態と置く。縦軸は主観と客観で、主観を「今のままで良いと思う」が強い状態、客観をそれが失われた状態と置く。
この定義を組み合わせると、現状は「今のままではダメが薄く、今のままで良いが強い」象限に、理念は「今のままで良いが薄く、今のままではダメが強い」象限に、それぞれ配置される。両者は対角線上に離れ、その距離がギャップになる。
重要なのは、現状から理念への移動が一足飛びではなく二段階を要する、という指摘である。作者はパソコン入力を例に取った。理念を「パソコンで入力する」と置いたとき、現状が「パソコンができない、手書きがいい」という主観にある人に、いきなりパソコンで入力しろと言っても動けない。まず「パソコンができなくてもいい」という自己認識を薄める作業があり、その上でできる状態へ持っていく。嫌いだと思っている人に嫌いなことをやらせる前に、嫌いという気持ちを薄める工程が要る、という順序である。
「なぜ人は正しいと分かっていることをやらないのか」ではなく、「やらないことを、どうやって自分に正当化しているのか」。図の主眼は動機の説明ではなく、不作為の構造の可視化にある。
作者は、人には現状維持の力が働くため、ギャップを仮想的に埋めてしまうと述べ、その手口を三つ挙げた。
「自分の周りにはパソコン入力をしている人が少ない」と置き換えると、理念そのものの水位が下がる。理念が下がればギャップも縮み、埋まったように感じられる。準拠集団の付け替えによる理念の希釈である。
「明日やる」「今度やる」と言って、いつかやっている自分を作り出し、その自分を現状の位置に据える。現状が理念側へずれた分だけギャップが小さく見え、いま行動しない理由が成立する。
逆方向のベクトルを持つ理念を新たに持ち出して、元の理念を打ち消す。パソコン入力に対して「停電になったら全部消えるが手書きなら消えない、だから手書きの方が優れている」を持ち出すのがこれにあたる。作者はこれを「マイナスの理念」と呼んだ。
作者はさらに、価値関連性と価値自由の両方を逆向きに使う例を挙げた。旅行したいという理念に対し、価値関連性として「温かいかどうか」を持ち出し、価値自由として気温という客観指標を持ち出す。旅行先が5度で家の中が27度なら、家にいる方が温かいという結論になり、何もしないことが正当化される。逆向きの理念は、主観だけでなく客観の装いもまとうことができる、という点がこの例の要点である。
「マイナスの理念」に近い既存概念として、レオン・フェスティンガーが1957年の『認知的不協和の理論』で提示した認知的不協和低減がある。行動を変えられないとき、人は認知の側を変えて不協和を解消するという枠組みで、第一・第三の経路はこれに重なる。第二の経路は行動経済学の現在バイアス(双曲割引)に近い。参加者の一人が「これはバイアスという言葉でもいいのでは」と述べたのは、この既存語彙を指していると読める。ただし作者の図の独自性は、三経路を一枚の座標平面上で同時に表現し、距離として測ろうとした点にある。
作者は次に、理念が固定物ではないことを示した。理念は外部要因によって進化する。かつてはパソコンのキーボード入力が当たり前だったが、いまはスマートフォン入力が当たり前になり、さらに音声入力が出てきた。つまり自分が何もしなくても、理念が先へ動くことでギャップは勝手に広がっていく。だからこそ現状の自分を正しく認識するには、外部からの批判的な意見が必要になる。
その具体例として挙げられたのがスマートフォンの世代交代である。従来型の理念は「ボタンが操作しやすいスマートフォン」であり、BlackBerryはその理想に近いものだと自己認識していた。ところが「直感的な操作しやすさ、タッチスクリーンが良い」という新しい主観が現れ、同時にiPhoneが登場したことで、「大きな画面でボタンのない端末が使いやすい」という定義が成立した。客観的に見ても操作しやすさの評価軸が動き、従来型に留まっていた側は自動的にギャップを広げられた。さらに軸がタッチスクリーン前提の価値関連性に置き換わったことで「今までのは使いづらいよね」と批判され、ギャップは二重に拡大した。
理念の側が外部要因で移動するため、現状に留まるだけでギャップは拡大する。批判にさらされて初めてその拡大に気づく。
従来の軸での優位(ボタンの押しやすさ)が価値を失う。改善努力そのものが無効化され、距離ではなく次元が変わる。
初代iPhoneの発表は2007年1月、発売は同年6月。BlackBerryを擁するResearch In Motion社の端末出荷はその後も数年伸び続け、スマートフォン市場シェアのピークは2009年前後とされる。つまり評価軸が動いてから旧来型の数字が崩れるまでには数年の時差があった。図の言う「ギャップが勝手に広がる」局面と、それが業績として顕在化する局面はずれる、という点は補って読む価値がある。
図の後半は、同じ「旅行する」という行動でも、理念の立て方によって分析できるかどうかが変わることを示していた。
理念を「好きな乗り物に乗って旅行する」と置くと、価値関連性の側に好きな乗り物の順位が並ぶ。これは主観的な順位であり、内面的動機は他者から評価できない。新幹線が好きだから新幹線で行く、という行動は生まれるが、客観的動機が存在しないため分析ができない。しかも他者からだけでなく本人からも分析できない。デートで相手が飛行機の方が好きだと言えば優先順位は簡単に入れ替わり、後から振り返っても、なぜそれを選んだのか自分でも説明がつかない。
これに対し理念を「安い乗り物に乗って旅行する」と置くと、主観的にも安い順に並べられるし、客観的にも運賃という数字がある。飛行機より新幹線が安いという判断は、本人も他者も同じ根拠で検証でき、後から振り返ることもできる。
| 理念①「好きな乗り物」 | 理念②「安い乗り物」 | |
|---|---|---|
| 動機の性質 | 内面的・主観的 | 外部指標に接続された客観的動機 |
| 他者からの評価 | 不可能 | 可能 |
| 本人の振り返り | 不可能(なぜ選んだか説明できない) | 可能 |
| フィードバック | かからず「言いっぱなし」になる | 達成/未達が判定でき改善が回る |
| その場かぎり性 | 高い(他者の一言で順位が入れ替わる) | 低い |
作者はここから、目標設定の話へ接続した。人は「やります」と宣言するが、その動機が主観的な言葉だけでできている場合、本人にすら振り返りができないためフィードバックがかからず、言いっぱなしになる。指標や納期といった明確なものが目標になっていれば、意味妥当性と因果妥当性の両面から評価が可能になり、達成しやすい目標になる。
安い乗り物が誰にとっても正解だという主張ではない。参加者からその点への疑義が出て、講師と作者が「ブレ幅が少ない例として出した」と説明し直している。図が扱っているのは選択の正しさではなく、選択を後から検証できるかどうかである。
講師は図の書き方には手を入れず、いきなり運用の話に踏み込んだ。まず、この図が個人用か組織用かを確認し、作者が「個人の分析ツール」と答えると、組織でも使えると返した。自社をこうしたいという理念があり、そこに外部の意見を取り込んだ結果として別の理念が立ち上がる場面は、会社でも同じだからである。
そのうえで、講師は決定的な非対称性を指摘した。人は無意識に現状維持をするのだから、主観で立てた理念は基本的に自分にとって楽なものになる。逆に客観的な価値観を入れるということは、自分にとってハードなものを入れる可能性が高い。したがって、たどり着きやすいのは理念①だが、成長するのは理念②である。これは組織でも個人でも言える、と。
そこから講師は具体的な運用手順を提示した。現状(③)は固定したうえで、いま自分が持っている理念(①)と、一週間いろいろな人に話を聞いた後の理念(②)を並べる。①と③の距離、②と③の距離を比べれば、外部の客観を入れたことで自分の思考がどれだけ動いたかが数量的に見える。さらに、どちらが長期的に自分にとってプラスかを考える材料になる。この図は現在地の記述ではなく、思考の拡大幅を測るための道具として使えという指示である。
参加者から3次元化の提案が二つ出ていた(後述のQ&A)。講師は3次元化そのものには賛成しつつ、強い留保をつけた。理由は二つある。第一に、提案された「現状と理念の位置をZ軸に置く」案は成立しない。③は固定されている前提だからである。第二に、人は二次元で物事を考えているので三次元に持っていくのは非常に大変で、Z軸の選び方によっては結論が真逆になりうる。よってまず二次元で流れをフレームワークとして明確化し、その上で「この場合のZ軸は時間、この場合は感情」と場合分けできる形にしてから三次元へ進むべきだ、というのが講師の順序だった。
講師は「人によってはアウトプットの能力がその人の限界値」と述べ、いま図を出した段階が作者の現在地であるとした。そのうえで、今日の指摘を受けて次回同じ説明をしたときに、前提と全体を方程式のように整理して語れるようになっていれば、頭の中でパラダイムシフトが起きたことが外からも見える、と続けた。図の評価ではなく、図の更新速度を測っている。
議論の締めくくりとして、参加者の一人(渡辺氏)が図の位置づけを与えた。要約すると、この図は事物の動的な側面、すなわち「何のためにものは変化するのか」を捉える観念に、講義から自力でたどり着いたものだという評価である。ある意味を観察して数学の定理に行き着いたのと同じことをしている、と。
この観点では、図のギャップは哲学における生命や運動に置き換えられる。元々あるものが、その中に設計図も含んでいる。目に見えているものの上に設計図が二重に重ねられ、いまの状態に至った経緯と、これからどの目的に向かって変化するのかという距離が設定されることで、行動や動作が説明可能になる。生成変化を負うという図式である。
講師はこの整理に対し「運動という言葉がめちゃくちゃ良かった、その単語が出てこない」と応じ、動的に考えるなら確かに運動だと述べた。渡辺氏はさらに実践的な助言として、現状から理念までのステップ数が多すぎる(旅行の例では二段階、三段階、四段階が挟まっている)ため、ワンステップで結びつく粒度まで動機を細分化し、その変数を明らかにすれば、四象限はより整合性を持つと指摘した。
ここで言及されている「第一哲学」はアリストテレスの『形而上学』を指し、運動・変化を可能態から現実態への移行として説明する枠組みが中核にある。目的因を含む四原因説によって「何のために変化するのか」を扱う点が、渡辺氏の言う「設計図が二重に重ねられる」という表現に対応する。なお講義中には「周りテレス」という音声認識上の表記ゆれがあるが、アリストテレスを指すものと判断した。