STUDY REPORT / 全4本中 1本目
なぜ日本のブルーオーシャン戦略は「隙間探し」になったのか。境界線(バウンダリー)の再定義とサーチの幅、そしてキム&モボルニュが2023年に打ち出した第3の理論までを、講義とQ&Aから再構成する。
この回の主題は、日本で流通しているブルーオーシャン戦略の理解が、原典の主張とかなりずれている、という指摘から始まった。マイキー氏の見立てはこうだ。原典が言っているのは「業界の境界線(バウンダリー)を引き直して、これまで顧客ではなかった非顧客を顧客に変える」ことであり、市場そのものを外側に広げる話である。ところが日本で広まった解説は、既存市場の内側をセグメントで細かく割り、誰もやっていない小さな隙間を探す「隙間産業」の話にすり替わっている。
なぜそうなるのか。マイキー氏はこれを能力の問題ではなく、サーチの範囲=知の広がりの制約として説明した。情報も行動範囲も人間関係も限られている状態では、外側に境界を広げるという発想そのものが取り出せない。だから内側を細分化する説明のほうが「人に落とし込みやすい」。伝わりやすさを優先した結果、理論の中核が抜け落ちたまま定着した、という構図である。原典を読まずに要約解説だけを見て、その解説をさらに要約した動画が回る──という情報の劣化連鎖も指摘された。
後半では、同じ著者たちが2023年に打ち出した新しい枠組みが紹介された。従来のイノベーション論は破壊的創造(ディスラプション)を前提に、既存産業を壊して新しい産業が生まれるサイクルを描いてきた。だが彼らの新著は、誰のシェアも奪わず既存産業も壊さずに、純粋にゼロからプラスを作る「非破壊的創造」を提示している。マイキー氏は、その背景に「産業が潰れても次の産業が人間を吸収する」という前提が崩れつつある現実──代替がロボットとAIになり、雇用が戻ってこない可能性──があると読み解いた。
そして、この新しい境界線の引き直しはAIには担えない、というのがこの回で最も踏み込んだ主張である。理由として挙げられたのは倫理である。AIに問えば倫理の言語しか返ってこない。認知バイアス、認知の壁、恐怖心といったフィルターを承知のうえで「振り切る」判断は人間側のリソースにしか存在しない。ゆえに、これからは人間的リソースの価値が上がる、という結論に接続された。
セッションを貫く1本の線
「ブルーオーシャンは見つけるものではなく作るもの。そして作る前提になるのはサーチの幅であり、サーチの幅は情報・人間関係・行動範囲という個人のリソースで決まる」。理論の話に見えて、終始これは自分の認知の境界線をどこまで押し広げられるかという実践の話だった。リソースのない人間にブルーオーシャンは作れない、という前田氏の締めがそれを言い切っている。
冒頭は、ブルーオーシャン戦略の「間違った伝わり方」がどこで起きているか、という話から入った。マイキー氏の観察では、多くの解説者は原典に当たっていない。10人ほどの経由を通ったあとの話を聞き、それをもとに判断して解説を書く。その解説がYouTubeなどで回り、なんとなく薄く広まる。原典への参照が切れたまま二次・三次情報が自己増殖していく、という指摘である。
ここで重要なのは、これを「解説者が怠惰だから」で片づけていない点だ。マイキー氏は根本的な理由があると言う。イノベーションの大前提は知を広げることだが、日本はそもそも知を広げにくい環境にあり、情報の限定性が高い。だから伝達の段階で、聞き手が飲み込める形に縮小変換されてしまう。誤読は個人の不注意ではなく、環境が生む構造的な現象として提示された。
📌 Claude補足 ― 原典の書誌情報
出典:https://www.blueoceanstrategy.com/books/ / https://www.insead.edu/faculty-research/publications/books/beyond-disruption-innovate-and-achieve-growth-without
マイキー氏の整理はきわめてシンプルだ。ブルーオーシャン戦略を大雑把に言えば「ライバルのいないところに行こう」である。問題は、そこから先の解き方が二通りに分かれることにある。ひとつは、業界の境界線そのものをどう突破し、新しく引き直すかを考える方向。もうひとつは、既存の境界の内側でセグメンテーションを極限まで細かくし、まだ誰も手をつけていない隙間を探す方向である。
グローバル企業が取るのは前者だという。境界を外へ広げるからこそ、そこにはまだ誰も入ってきていない。結果として「誰もいない市場」になる。一方、外に広げられない前提に置かれた側は後者に流れる。セグメントを刻み、その中で「やっていないことはないかな」と探す。マイキー氏はこれを、境界を突破するのではなく境界の中に隙間がないかを探す隙間産業的な解釈と呼び、日本で広まったのはこちらだと断じた。
市場を細分化 → 空白セグメントを発見 → そこに入る。
前提:市場の外枠は動かせない。
行き着く先:小さなニッチの奪い合い。境界線は最初から与件のまま。
業界の境界線そのものを引き直す → これまで非顧客だった層を顧客に変える。
前提:外枠は自分で動かすもの。
行き着く先:市場自体の拡張。競争が意味を失う。
事業相談の現場でも同じことが起きているという。ブルーオーシャン戦略とは本来「これまで顧客ではなかった層をどうやって顧客にするか」を考える営みなのに、ほとんどの相談は今いる客の話で終わる。自分の顧客の外側にあるものを考えない。境界線が最初から狭く設定されている状態である。
📌 Claude補足 ― 原典側の用語との対応
原典では、市場境界を引き直す手法として Six Paths Framework(6つのパス)、既存の競争要因を組み替える手法として ERRC グリッド(Eliminate/Reduce/Raise/Create) が提示されている。この回で繰り返し出てきた「境界線の再定義」は Six Paths、後段のQ&Aで出た「ERRCを繰り返して到達した企業」は ERRC グリッドに対応する。また「非顧客(noncustomers)」は原典の中心概念で、三層(もうすぐ去る層/拒否している層/未開拓層)に分類される。文字起こしで語られた内容は、この非顧客論と正確に重なる。
この回でマイキー氏がとくに強い言葉で指摘したのが、日本のビジネス会話における語彙の偏りである。「ニーズ」という言葉は頻繁に出てくるのに、「インサイト」という言葉がそもそも会話に登場しない。これは単語の流行り廃りの問題ではなく、狭い境界の中で戦おうとしている状態の副産物だという。
ニーズは、既存の顧客が既に言語化できている欲求である。それを聞いて満たすだけなら、境界線は一歩も動かない。対してインサイトは、顧客自身がまだ言語化していない前提や違和感の側にある。前田氏はこの回の終盤で、ブルーオーシャン戦略とは「実は市場や顧客を見つけることではなく、顧客のインサイトを見つける/作り出すことだ」と定義し直している。市場を探しに行くのではなく、インサイトを掘った結果として市場が立ち上がる、という順番である。
実務への落とし方
参加者からの質問に対するマイキー氏の返答は具体的だった。「受け入れられない」という違和感が出たときに、その前提は何だろうと掘る。すると自分の事業についても「そういえばこれはなぜこうなっているんだっけ」という問いが立ち、自分の認知の幅から抜けられる。違和感を潰すのではなく、違和感を入り口として扱う、というやり方である。
ここからが、この回の情報価値が最も高い部分である。マイキー氏いわく、前田氏が扱っている内容は初版とその普及期のブルーオーシャン戦略であり、2023年以降にキム&モボルニュはこれを再定義している。強く打ち出されているのは、破壊的創造(ディスラプション)ではない方向だ。
論理はこうだ。これまでは「いらないもの」が多すぎたので、何かを作ることは必然的に何かを壊すことだった。しかし、ある程度のものが行き渡った現在、壊すべき対象は減ってきている。ならばもう破壊から入る必要はないのではないか。次の段階は、誰のシェアも奪わず、既存産業も壊さず、純粋にゼロからプラスを生む市場を作ることだ、という提案である。マイキー氏は、従来のブルーオーシャン戦略は市場全体で見れば「何かをぶっ壊す=削減」の側面を持っていたが、新しい枠組みはそこではなく、もう一度境界線を引き直すことに主眼があると説明した。
📌 Claude補足 ― 用語の重要な訂正
文字起こしには「非破壊的価値喪失」「新用喪失」「新しい雇用を喪失しましょう」といった表記が現れるが、これは音声認識の誤変換とみられ、原著の主張は真逆である。
出典:https://www.insead.edu/faculty-research/publications/books/beyond-disruption-innovate-and-achieve-growth-without / https://ssir.org/books/excerpts/entry/nondisruptive_creation
キム&モボルニュ 3部作と理論の重心の移動
単位:刊行年/Claude作図(書誌情報はblueoceanstrategy.com公式サイトに基づく)
マイキー氏は、この転換の背景を雇用の側から説明した。これまでは、ある産業が潰れても次の産業が生まれ、そこにまた人間が必要とされる、という繰り返しだった。どの仕事にも人間が要るという前提があったからだ。ところが今は、人間の代わりにロボットやAIを使えばよい局面が増えている。新しい市場ができても、そこで必要になるのがロボットなら、そもそも話が変わる。ロボットで十分なら保険料を払う必要すらない、という例まで挙げられた。
そうなると、産業を潰しながらコンパクトになっていく過程で「食えない人間」が増える。だから、破壊せずに新しい市場と新しい雇用を積み増していく方向を、研究者側は社会的責務として打ち出さざるを得ない──というのがマイキー氏の読みである。同氏自身は「優秀な者だけが仕事に就き、あとはベーシックインカムでよい」という私見も述べており、理論の建前と自身の本音を分けて提示していた。
参加者の率直な違和感
「非破壊的創造は、限られた新しい場を作っていこうというメッセージに読める。既存ビジネスに活用するのはかなり難しく、めちゃくちゃ限られたところにしか当てはまらない理論なのでは」という質問が出た。実際、原著で挙げられる事例(グラミン銀行など)は社会課題型に偏りがちで、この違和感は理論の性格を正確に突いている。
📌 Claude補足 ― グラミン銀行が事例に選ばれる理由
グラミン銀行(バングラデシュ、ムハマド・ユヌス創設)は、既存の商業銀行から融資を受けられなかった無担保・零細層に少額融資を提供した。既存銀行の顧客を奪ったのではなく、それまで金融サービスの外側にいた層をまるごと市場に加えた点が「非破壊的創造」の典型例として引かれる。参加者が指摘した「社会貢献寄りの事例ばかり」という印象は的外れではなく、非破壊的創造は未開拓の非顧客プールが大きい領域ほど成立しやすいという制約を持つ。この制約自体を理解しておくことが、実務転用の可否判断になる。
新しい枠組みでもうひとつ強調されたのが、人間的リソースの価値である。マイキー氏の説明はこうだ。境界線を広げる(=振り切る)ことには限界がある。ルールがあり、いろいろな圧力がかかった状態では、人が引ける線には限度がある。ならば、それら全部を突っぱねた段階でもう一度定義し直せばよいのだが、この「再定義」はAIにはできないという。
理由として挙げられたのが倫理である。AIには倫理があるので、聞いても倫理の言葉しか返ってこない。つまり、既存の枠組みを前提とした常識的な答えに収束する。しかし境界線の再定義とは、その常識をいったん脇に置いて振り切ることであり、その判断は人間側にしか残っていない。認知バイアス・認知の壁・恐怖心は常に働いているので、それを突破することを前提に置け、というのが新しいブルーオーシャン戦略の中身だと整理された。
📌 Claude補足 ― この主張の位置づけ 要確認
『Beyond Disruption』の中核は「非破壊的創造」の概念と実践フレームであり、「境界線の再定義はAIには不可能」という命題が原著に明示されているかどうかは、公開されている書誌・要約からは確認できなかった。マイキー氏自身も講義中に「これは前田さんの話ではなく僕が今知識として加えただけ」と明言しており、原著の主張と本人の解釈が混在している可能性がある。ここは原著(第2部以降)に当たって確認する価値が高い箇所。
マイキー氏は、この話を前回テーマだったサーチの議論に接続した。ブルーオーシャン戦略とは、全方位に広く探す「全身的サーチ」から、対象を絞り込む「求心的サーチ」へつなげていく動きであり、最終的には適切なルーティンとして組織に埋め込まないとブルーオーシャンにはならない、という整理である。探索が一発の思いつきで終わるのではなく、繰り返し回る仕組みになって初めて機能する、という点が強調された。
その具体例として挙がったのが、いまのハイパースケーラー各社の振る舞いである。相手を潰しにかかっていない。共存しようとしている中で、自分たちで境界線を広げている。これが非破壊的な拡張だという。中国のDeepSeekなども同じ文脈で言及された。ただしマイキー氏は、これは2023〜24年頃に出てきた話で今アメリカ企業がやっていることであり、「多分皆さんにとっては早すぎる内容」だと明確に線を引いた。まずやるべきは前田氏の言う境界線の再定義であり、サーチの幅が狭すぎるのでそこから突破するほうがよい、と。
順番を間違えるな
非破壊的創造は最終形であって出発点ではない。サーチの幅 → 境界線の再定義 → 非破壊的創造という順序で、自分がどの段階にいるかを見誤るな、というのがこのパートの実務的な含意である。
前田氏はこの回を「自分のところにリソースが何もない人にはブルーオーシャンは作れない、これは間違いない」と締めている。市場は見つけるものではなく作り出すもので、見つけると言ってもサーチがなければ見つけられない。そして見つけるべきは市場や顧客ではなく、顧客のインサイトである──という結論である。
では、個人がサーチの幅を広げるにはどうするか。マイキー氏が提示した方法はひとつだけだった。全部イエスと言う。やったことのないことを全部イエスと言ってみる。言われたこと、頼まれたことを全部イエスと言う。生産性は気にしてはいけない。サーチにはもともと金と時間がかかると言われているのだから、全部イエスでよい、と。
なぜ「全部イエス」が境界突破になるのか
マイキー氏の論理はこうだ。キャパシティは自分で決めている。全部イエスと言えばできなくなる。しかし、人に優秀だと思われたいと思っている時点でその人は無能である。全部やってみてキャパの限界を見たうえで、できた/できなかったを言えばいい。事前に自分で線を引くのをやめる、という話である。前田氏の「はいかイエスか喜んで」という言い回しも同じ趣旨として引かれた。
副作用として、これをやり続けると自分の本業が何か分からなくなる、とマイキー氏は言う。実際に本人も自分の本業を理解していない状態だと述べた。参加者から「一度イエスと言ってしまってから、どうしようとかなり考えることになりそう」というコメントが出たが、その負荷こそが認知の幅を押し広げる圧力になっている。
最後に語られたのが、職業や肩書きそのものがフィルターとして働くという指摘である。マーケターだと名乗れば、マーケティング以外のことは自分の領域外になる。投資家だと名乗れば経営はちょっと、となる。職人ですと言えばそれ以上のことはしない。肩書きは他人が貼るラベルであると同時に、自分が自分に引く境界線でもある。
マイキー氏が自らをフリーターと呼んでいるのは、まさにここに理由がある。自分に境界線を作らないため、基本的にイエスと言うため、という説明だった。理論の話として始まったこの回は、最終的に「あなたは自分にどんな境界線を引いているか」という個人の問題に着地している。
📌 Claude補足 ― 理論用語としての対応
この「肩書きが認知を制約する」という現象は、経営学では ドミナント・ロジック(dominant logic)やスキーマによる選択的注意として説明される。自分の役割定義に合う情報だけが認知に上がり、それ以外は雑音として処理される。原典側の言葉に引き直せば、これは「業界の境界線」ではなく「自分自身の境界線」に対する Six Paths の適用にあたる。講義の流れは、組織の境界線と個人の境界線を同じ構造の問題として扱っている点が一貫している。