マーシャルの有名な比喩「紙を切っているのは上刃か下刃か」を、講師は刃ではなく留め具のほうへ引き寄せて読み替えた。二つが対立したままでは何も動かない。動かすのは、二つを噛み合わせている第三の点である。
この回の中心講義は、マーシャルの理論解説ではなく思考法の講義として組み立てられた。講師(マイキー氏)は冒頭で「マーシャルをすごく分かりやすくすると、矛盾したものや対立したものを不必要とか否定するものではないよ、という考え方だ」と述べ、二項対立を統合するバランス感覚をどう身につけるか、という問題に議論を置き換えた。
その入口として引かれたのが、前回すでに出ていたハサミの比喩である。物を作る大変さ(労働コスト)が価値を決めるのか、それとも人がどれだけその商品を欲しいかという気持ちが決めるのか。この論争に対するマーシャルの応答が「髪を切るのに上の刃で切っているのか下の刃で切っているのか争っていてもアホらしい」という比喩だった、と講師は紹介した。
ただしこの回の核心は、その先にある。講師は参加者に「ハサミで切るとき、上の刃で切っていますか、下の刃で切っていますか」と問い、「意識したことがない」という答えを引き出したうえで、視線を刃から支点へ移した。ハサミには中心に支える部分があり、そこを中心に動かすからハサミとして作用する。ならば需要と供給も同じで、留め具に当たる何かがあるから噛み合う。その留め具は何なのかを考えればいい――そして需給の場合、それがたまたま時間だっただけだ、というのが講師の説明である。
ここから議論は、経済学から離れて個人の意思決定に降りてくる。今まで自分が「これは興味があるが、これは興味がない」「これは必要だが、これは必要ない」と切り分けてきたのは、その時点で留め具が見えていなかったからではないか。だから後になって「これをやっておけばよかった」という後悔が残る。留め具の発想がないから、矛盾するものを最初から排除してしまう。
AとBが完全なトレードオフに見えるとき、問うべきは「AかBか」ではなく「AとBが共存できるようになるCは何か」である。Cを見つけられる人は、必要/不要というフィルターを持たないので意思決定が速い。逆にCの発想がない人は、こだわりを持ち始め、白か黒かでリサーチをかけ、結果として自己洗脳に至る。
講師の説明は、前回までに扱われた価値論争の復習から入った。価値は生産にかかるコストで決まるという立場と、需要する側の欲望の強さで決まるという立場が対立していた。マーシャルはこの論争そのものを「くだらない」と切って捨てた、というのが講師の要約である。
マーシャルの原典は『経済学原理』(初版1890年)第5編第3章第7節にあり、「価値が効用に支配されるのか生産費に支配されるのかを論じるのは、一枚の紙を切っているのがハサミの上刃か下刃かを論じるのと同じくらい理に合わない」という趣旨で書かれている。マーシャルはさらに、一方の刃を固定して他方を動かして切る場合には「不注意な省略として」後者が切っていると言ってもよいが、厳密には正確でない、と補足している。
講師は「髪を切るのに」と述べたが、原典は「紙(a piece of paper)」である。比喩の趣旨は変わらないが、原典を引くときの表現としては差がある。
より重要な差はもう一点ある。原典の比喩に「留め具(支点)」という要素は登場しない。マーシャルは「どちらの刃も必要だ」と言っているのであって、「両者を噛み合わせる第三の点を探せ」とは言っていない。この読み替えは講師による拡張である。ただし、講師が留め具の正体として挙げた「時間」は、マーシャルが第5編で実際に用いた鍵概念であり、短期では需要側(効用)が、長期では供給側(生産費)が価格をより強く規定するという原典の枠組みと整合する。拡張ではあるが、原典から外れた拡張ではない。
講師はこの構図を、そのまま古いものと新しいものの関係に重ねた。古いものが全部いらなくて新しいものが全部必要なのか、という話ではない。共存していくものであり、共存がなければ文化は生まれない。理論と現実の対立も同じで、理論が正しい派と現実が正しい派が対立したままでは何も動かない。
抽象論のままでは動かないので、講師はトレードオフの典型例を持ち出した。洋服は安ければ品質が良くないことが多く、高ければ品質が高い。安かろう悪かろう、高かろう良かろう。この関係を外した日本のメーカーとして参加者から挙がったのがユニクロである。
講師の読みでは、ユニクロが導入した第三の要素は素材開発だった。独自の素材を低コストで大量生産することによってヒートテックのような製品が成立し、コットンが手に入りにくい時期には別の材料で同等の品質を作った。低価格と高品質という矛盾を、価格でも品質でもない軸に振り切ることで両立させた、という説明である。
安さと品質はトレードオフだ、と前提を固定する。どちらを取るかの配分だけを議論する。結果として、業界の常識の範囲内でしか差がつかない。
素材そのものを自社の変数にする。すると安さと品質は対立しなくなる。トレードオフの前提自体が組み替わる。
もう一つの事例が1990年代のデルである。在庫コストを下げたいが、下げすぎると供給ができなくなる。供給を確保しようとすれば在庫コストがかかる。この二律背反に対してデルが置いたのが、中間業者の排除と、生産計画・販売予測を部品メーカーへリアルタイムに共有する仕組みだった、と講師は説明した。どれくらい発注するか、どれくらい売る見込みかを可視化することで、在庫コストを下げながらスピードを確保するという中間地点を作った、という読みである。
デルが1990年代に、中間流通を挟まない直販(ダイレクトモデル)と受注生産によって在庫回転を極端に高めた企業として広く知られていること、そのモデルがサプライチェーン教育の定番事例であることは一般に確立した事実である。
ただし、講師が述べた「生産計画や販売予測を部品メーカーに対してリアルタイムで全て可視化した」「それをお客さんに見えるようにした」という記述の細部については、今回の調査範囲で一次資料まで確認していない。枠組みとしての直販モデルは事実だが、可視化の範囲と対象(部品メーカー向けか顧客向けか)の記述は発言のままとし、断定しない。
講師はさらに、この「中間地点を見つける」視点はLVMHもやっている、と述べた。ただしこの日はLVMHの詳細には入らず、伝統とデジタルという二項に対してLVMHが何を三つ目のポイントとして置いたのか、という問いの形だけが提示された(詳細は別途、との扱い)。
ここから講義は、企業の話から個人の話へ転じる。講師は参加者に対し、これまで「これは自分が興味があるが、これは興味がない」と判断してきた経験があるか、そして「これをやっておけばよかった」という後悔があるかを順に問うた。挙手を確認したうえで、その二つを一つの構造として結びつけた。
当時の自分にとって必要でないと見えたのは、留め具に当たるものが分からなかったからである。だから結果としてハサミそのものを作ろうとせず、カッターで切ろうとしていた。上が必要か下が必要かを判断する段階で、自分の意思決定に留め具がなかった。だから排除するしかなかった。
講師はこれを「主観だけで判断している状態」と呼んだ。周囲は別のことを勧めるが、自分は今これを勉強したいのだからそれは要らない、という判断。仕事でも「私がやりたいのはこれであって、それは必要ない」という判断。後になって「あれが必要だった」と気づく。差は能力ではなく、留め具の発想があったかどうかにある、という整理である。
そこから導かれる帰結が、この回で最も実務に効く主張だった。AもBも共存できるためのCを見つけ出せる人は、意思決定が異常に速い。なぜならこだわりがないからである。「これは必要ではない」というカテゴリーが消えるので、経験するもの全てが自分にとってプラスになるという前提で考えられるようになる。逆にCを考えつかない人は、ビジネスのやり方や自分のスタイルにこだわりを持ち始める。
「マーシャルを体現するならノーと言わないこと」「こだわりをなくせ」という主張は、この回の講師の実践的な結論であり、マーシャル自身の主張ではない。対立する見方も成り立つ――何を捨てるかを決めることが戦略であるという立場(トレードオフの明確化を戦略の本質とみなす考え方)からは、「すべてにイエスと言う」は焦点の喪失として批判されうる。この回の講義は、そうした選択と集中の議論を否定するものではなく、選択する前の段階で選択肢を感情的に切り捨てていないかを問う趣旨と読むのが妥当である。
講義の後半で、講師は前回の別の論点――マクロとミクロ――をこの枠組みに接続した。事業に最も必要なリサーチは、白か黒かを決めることではない。白か黒かでリサーチをかけるのは自己洗脳であり、頭が硬くなるパターンである。全体から見るリサーチをやるなら、マクロとミクロのデータを取ることになるが、マクロとミクロはグラデーションでしかない。白か黒かという区分がそもそも存在しない。だからグラデーションの発想がないとリサーチができない、という論の運びである。
講師はここで、前回参加者が挙げた "cool head and warm heart" というマーシャルの言葉に触れ、「白か黒かではなくグラデーションの全体像を見るためにこの考え方が必要だ」と述べた(この言葉自体の背景は前回までの回で扱われているため、本レポートでは繰り返さない)。
これに対して参加者(本間氏)から、英国の経済学教育の現場感が補足された。この言葉は経済学の講義で最初にされる話であり、そこから始めて、学生が論文やレポートを書くときには「矛盾を克服するものとしてのグラデーションこそがアウトプットだ」という言い方をされる。矛盾を抱えたものでなければ学生のアウトプットにはならないし、方向性を補強する際にも、その矛盾をどう解決したかというところに各理論の整合性が出てくる。
現代は好き嫌いで自分の研究テーマを決めてしまうが、それはおうおうにして良いテーマ選びではない、と教育の現場では言われる。仮に既存の施設や制度であっても、「あなたがこの立場・この年齢、この経済的あるいは政治的なポジションの時代において、この経済学的な問題、政治学的な問題をどのように対処しますか」というところがアウトプットになってくる。
講師はこれを企業戦略に翻訳して締めた。アナログに強い企業がデジタル化に入っていってグラデーションを作ったように、デジタルが強いところはアナログを入れてグラデーションを作っていく。戦略も同じ構造だ、というまとめである。本間氏はこれに、それが文化としての豊かさにも方法論としての豊かさにもなる、と応じた。
講師が需給の留め具を「時間」としたのは、マーシャルの第5編の構成と符合する。マーシャルは市場期・短期・長期という時間区分を導入し、期間の長さによって需要側と供給側のどちらが価格をより強く規定するかが変わる、という形で二つの立場を統合した。したがって「どちらの刃か」を無意味にしているのは、原典においても実質的に時間である。この点で、講師の読み替えは原典の論理構造をなぞっている。