休憩を挟んだ後半は、マーシャル論から一転して実技になった。前回の講義で扱ったマクロ/ミクロ・抽象/具体の二軸を、参加者が課題として提出していたのだが、前田氏の講評は厳しい。「あそこに上がっていたもののうち、僕には基本的にミクロ具体のものしか見えなかった」。視点を変える必要があるのではないか、という指摘である。
そこでマイキー氏が題材を替えた。前回のパン屋よりも規模が大きく、参加者の記憶に新しい二つの事例――EVの普及と、IT革命。この二つで四象限を上から順に埋め直していく実演が、このパートの中身である。ここで扱うのは軸の説明ではなく、軸をどう使うかという運用である。
実演から出てきた結論はきわめて実務的だった。ほとんどの人はノウハウコレクターになっている。どうすればエネルギー密度を上げられるか、どうすれば部品点数を減らせるか、どうすればギガプレスで生産性が上がるか――皆が求めているのはミクロ具体の情報ばかりである。だがその緑色の象限だけを持っていて、EVを作って市場で勝てるか。無理である。そして厳しい定義がここで置かれる。ノウハウコレクターとは情報の遅い人のことだ、と。
逆に先行者利益がどこで生まれるかもはっきりする。先人たちはマクロ抽象から落とし込んでいる。皆が話し始めた時点で、話題はもうノウハウ層に降りきっている。だから会話に参加できた時点で、すでに遅い。
「どうやったら売れるんだろう」しか考えていないと、そこがメインになればなるほど、どんどん情報が遅れていく。――マイキー氏。値上げできず利益率が下がるのは、周りがやり始めたから同じことをやっているからであり、そこを変えるには発想の入口そのものを上に移すしかない。
前田氏はまず、前回の講義の意図をもう一度考えてみるといい、と促した。前回の話は重要だったが、そこに関して本当に落とし込めているかどうかが疑問だ、と。アウトプットしていただくこと自体はきわめて重要でそれを否定するつもりはない、と断ったうえで、提出物にはミクロ具体のものしか見えなかった、と述べている。
さらに前田氏は順序についても注意した。最初からマクロ抽象へ行くのはかなり難しい。まずミクロのものを見て、ミクロ具体を挙げてから一度抽象化していく。この順でやらないとかなり難しい。いきなり四象限でバンバン分けようとするのは、難易度の高いことをやろうとしている、と見えた、と。
ここで渡辺氏が、マクロの難しさを人間という概念で説明した。人間という概念はマクロである。だが我々はそれを当たり前に使い、大学でも学問でも必ず「人間は」「人間存在とは」という語が出てくる。しかし人間存在はきわめて難しい。AIと人間の違いは何ですかと問われて説明できるか。人間の限界はどこですかと問われて説明できるか。つまり我々は人間概念を当たり前に使っているが、扱えていない。
渡辺氏の指摘は容赦がない。我々が人間概念だと思って使っているものは、たいてい自分の延長か、自分のコピー品か、せいぜい日本人である。違う文化を知らなければ、日本人という文化すら知らない。自分が経験してきた空間、自分の価値判断、自分の生活というミクロで具体的なものを、人間という枠に無理やり当てはめて「人間とは」と言っている可能性がほぼ高い。これに反論できる人はほぼいないはずだ、と。当たり前に使えているからこそ、概念は難しい。
実演はEVから始まった。以下は、参加者との応答を通じて実際に埋まっていった内容である(軸そのものの定義は前回の講義で扱われているため、ここでは埋め方だけを追う)。
社会全体の方向性・本質
SDGs、カーボンニュートラル社会。参加者から即座にSDGsが出て、マイキー氏がカーボンニュートラル社会と補った。
この層は、ダボス会議やヨーロッパの動向を見ていればおおむね掴める、というのがマイキー氏の実務的な補足だった。
統計・外部要因・制度・実態データ
炭素税。各国によるガソリン車の規制・販売禁止。一定の排出量を超える車はこの国では売ってはいけない、という規制。充電ネットワークの整備状況。投資がどれだけ流入しそうか。
ここで参加者が直近のトランプ政権によるカーボンニュートラル逆行を挙げたが、マイキー氏は「今その話ではなく、EVが流行った時の話」と差し戻している。時点を混ぜないという運用上の注意である。
価値提供の定義
自動車は走るスマホである。OSのアップデートによって自動車がどんどん進化していく。事故のない世界を作る。
参加者から自動運転が挙がり、レベル3程度までしか実現していない当時としてはかなり抽象的だった、と整理された。
技術・ノウハウ
エネルギー密度。バッテリー容量。モーターの出力。テスラがやった部品点数の削減。生産ラインそのものを変えてしまうギガプレスの技術。太陽光の導入によるエネルギー効率の改善。ソフトウェアの充実。
四象限が埋まったところで、マイキー氏が全体に問いを投げた。この緑色のところ――ミクロ具体だけを持っていて、EVを作れると思いますか。市場で勝てると思いますか。答えは、無理である。しかし皆が求めているのはこれなのだ、と。
ギガプレス(Giga Press)はイタリアのIDRA社が製造する大型ダイカストマシンで、テスラがModel Yのリアアンダーボディを一体成形するために導入したことで知られる。数十点の部品と溶接工程を1回の鋳造に置き換えることで、部品点数・工程数・工場面積を大幅に削減する。ミクロ具体の象限に置かれる技術例としては適切である。
ただし注意すべきは、この技術単体が競争優位を作ったわけではない点である。一体成形は修理性の低下という副作用を伴い、事故時の修理費・保険料上昇が指摘されてきた。技術ノウハウは上位象限の方向性と結びついて初めて意味を持つ、というこの回の主張を裏側から補強する事例と読める。
もう一つの事例としてIT革命が取り上げられた。まず社会全体で抽象的な概念・本質は何だったか。参加者から「仕事の効率化」が出て、マイキー氏はそれを認めつつ、より本質的なポイントを二つ挙げた。
情報の非対称性の解消
世界中の情報が直接取れるようになる。かつては海外のニュースを見るのにテレビというフィルターを通す必要があったが、英語が読めれば直接取れる状態になった。これはテレビという仲介を無効化している。
仲介業者の消滅/24時間365日つながる経済圏
ビデオ屋は店員が働いている時間しか借りられなかった。図書館も同じで、開いている時間しか情報が得られなかった。それが常時接続に置き換わる。
普及率と実態データ
ブロードバンドの普及率。インターネットのカバー率。パソコンの普及率。Wi-Fiの整備。ECサイトの市場規模――店に行かなくても買い物ができるという変化。
価値提供の定義
データドリブンな組織運営。透明性が上がり膨大な情報が入ってくるので、勘よりも数字で判断しやすくなる、という状態を提供する。
そしてスピード。今まで2時間かかっていたものを10分で終わらせる。スピードこそが競争優位性であるという傾向がここで生まれる。
技術・サービス・体制
PCのレンタル会社。一人一台のパソコン。メール。PayPal。Web会議の活用。IoT。
さらに具体化すれば、エンジニアをどれだけ育てるか。ITを勉強する、プログラミングを勉強する、というレベルのノウハウ。
マイキー氏はここで自ら留保を付けている。これはあくまで自分の意見であり、本質は他にもある。ただ自分がパッと出して一番分かりやすいものとしてこれを挙げた、と。また、当初の「仲介業者は消滅する」という概念について、結局仲介業者は潰れなかったとも述べている。マクロ抽象で立てた仮説がそのまま現実になるとは限らない、という留保がここに置かれていることは重要である。
情報の非対称性(asymmetric information)は、取引の当事者間で保有する情報量に差がある状態を指す用語で、ジョージ・アカロフの1970年の論文「レモン市場」を起点とし、スペンス、スティグリッツとともに2001年のノーベル経済学賞の対象となった枠組みである。
ただしこの回での用法は、厳密な意味――売り手と買い手の情報格差が市場の失敗を生む――ではなく、より広く「情報へのアクセス格差」の意味で使われている。マイキー氏自身が中間業者の排除と24時間アクセスという文脈で説明している通りである。学術用語としての定義と、この回での使われ方には幅があることに注意されたい。
二つの実演を終えて、マイキー氏が診断を下した。ほとんどの人はノウハウコレクターになっている。世界のトレンドがEVやSDGsやカーボンニュートラルという方向に向かう、ということをまず掴むことが重要なのに、そこを飛ばして技術やノウハウだけを集めている。
そして順序を示した。マクロ抽象で方向性を掴む。マクロ具体でルールとデータを掴む。ミクロ抽象で価値提供の定義を作る。そのうえで初めて、それを達成するために何が必要かというノウハウが生まれてくる。今の自分たちの技術で何があるのか、何が足りないのか、何を手に入れた方がいいのかが見えるのは、上の三つが埋まってからである。
会話が始まるのはノウハウの層である。先人たちが何をやっているかというと、マクロ抽象から落とし込んでいる。だから先行者利益が生まれる。逆に言えば、周りと同じ会話に参加できている時点で、その情報はもう遅い。――マイキー氏
この診断は、価格の話にそのまま接続する。マイキー氏は、多くの企業が価格を上げられず利益率が下がっているのは、弾力性の高い製品を作っているからであり、その理由は「周りがやり始めたからやっている」からだ、と述べた。だから発想を変えないと、ずっと「どうやったら売れるんだろう」しか考えないことになる。そしてそこがメインになればなるほど、情報がどんどん遅れていく。リサーチをきちんと落とし込んで基盤を固めることが、値上げしても客が離れない商品を作る一つのきっかけになる、というのが結びだった。
では上の象限をどう埋めるのか。マイキー氏の答えは身も蓋もない。統一を取りに行くために外国人の友達をたくさん作る。いろいろな業界を調べまくって、自分でカテゴリーを作ってみる。この反復運動をやりまくれば、データの選別ができるようになり、いろいろなサービスに転換できるようになる。前回のパン屋、今回のEVとIT。次は自分の業界でやってみてください、というのが宿題の出し方だった。
ここで参加者(小島氏)から、前回に続いての提起があった。「これは四象限というより、連続変数のスケーリングに見えてしまう」。ある一定のマクロができたところで、次のマクロが浮かんでくる。だとすれば四象限ではなく連続変数ではないか、という指摘である。
マイキー氏はこれを正面から受け止めた。「そういう捉え方の方が合っているかもしれない」。自分には四象限に見えているが、一般の人が理解するには小島氏の表現の方が合っているかもしれない、と。前田氏も、理想形としては四象限、実態としては連続変数の方がおそらく正しい、と応じている。
ではどこで区切られるのか。マイキー氏の答えが興味深い。情報のリーチの拡がりだけである。世界中でやり取りしている人なら四象限で分かる。かなり外国のことを勉強してきた人なら分かる。だが一般の人がそれを広げるためには、外部との接触以外にありえない。だから区切りの位置は、その人の人間関係の広さ、情報を獲得できる範囲の広さで決まる。連続変数かもしれないが、目的としているのは自分の思いつく範囲以外、自分の視野以外の視点を持つことである、と。
マイキー氏の整理:小島氏が言っているのは現象の話である。人の思考が実際にそうなってしまっている、という記述。前田氏が言っているのはそれをどう理想の側へ持っていくかという話で、ちゃんと区切って情報を精査したうえでどう繋げていくかが大事だ、と。両方とも正しく、必要である。この回の前半で扱った「AかBかではない」という方法が、そのまま会議の中で使われている。
そして解決策は「やりまくるしかない」。参加者から「ごちゃごちゃでいい」という発言が出たときには、マイキー氏は明確に否定した。ごちゃごちゃは良くない。ごちゃごちゃの状態をやりまくって整理していく癖をつけなければいけない、と。
渡辺氏はこの往復を、四象限の使い道という形でまとめた。連続的だと言うこともできるが、自分の感覚や自分のリソースをどう突き離して考えるか、あるいは正反対の理解にある連続の中で、それがマクロになっているかどうかをチェックするリストは必要である。そういう意味で四象限はチェックリストとして機能する、と。自分をまったく違うフィールドに置いてみたときの自分をどれだけ想像できるか、という問いも添えられた。
前田氏はさらに、連続変数として扱うのであれば、以前AIの回で作ったGRAIモデルのフレームワークの要素を入れなければ完成しない、と指摘している。小島氏が言っていることは、それを入れて初めて完結する、と。ここは本セッションでは展開されず、示唆にとどまった。要確認
マイキー氏:この作業はChatGPTでは無理である。壁打ち相手が同化してしまうと、これは出てこない。ある程度のことをChatGPTでやるなら、圧倒的な質問力がないと出せない。――AIを否定しているのではなく、上位象限を埋める作業は問いの質に完全に依存する、という指摘である。
終盤、話題が創業者論に移った。マイキー氏と参加者の間で、日本に呼ぶなら誰か――ウォズニアックかラリー・ペイジか――という話が前日にあったという。そこから、Googleを語るには三人の名前を出さなければいけない、という指摘が出た。ラリー・ペイジ、セルゲイ・ブリン、そしてエリック・シュミットである。
マイキー氏の指摘は名前当てクイズではない。この三人で見なければならない理由は、どういう経営体制にしたのかを見ていないことになるからだ、と。Googleはこの三人体制になることで何が強化されたのか。二人体制と三人体制で何が違ったのか。そこを見ないと、そもそも精度が分からない。名前を知っているだけでは中身がスカスカである、と。シュミットが途中から入って三人体制になった、という経緯も補足された。
セッション中、マイキー氏は「Googleの最長CEOはおそらくあと1〜2年でサンダー・ピチャイになる」と述べた。公開情報で確認すると、この時点ですでにピチャイが最長である。
エリック・シュミットのCEO在任は2001年から2011年までの約10年。サンダー・ピチャイは2015年8月にGoogleのCEOに就任し、2019年12月にはアルファベットのCEOも兼務している。2026年2月時点で在任は約10年半に達しており、シュミットの在任期間をすでに上回っている。「あと1〜2年で」という発言の前提は、公開データと食い違う。
なおラリー・ペイジのCEO在任は1998年〜2001年と2011年〜2015年の二期に分かれており、通算では約7年。三人体制(ペイジ=製品、ブリン=技術、シュミット=経営)は2001年から2011年まで続き、当時「大人の監督(adult supervision)」と呼ばれた構図である。二人体制と三人体制の違いを見よ、という指摘の対象はこの期間にあたる。
講義後、参加者(なほ氏)から、本編がスペインのプロサッカーチームで練習させられているような密度だったので、そのあと日本に帰ってきて小学校の運動場で一緒に練習しませんか、という趣旨でアフターZoomの案内があった。一人30秒のアウトプットで、話し方のテンプレートも用意される。前回は53名が参加し、本編で発言しない人も多く話したという。
もう一件、2月21日から2泊3日でプレゼン合宿が行われるという告知があった。この回で扱った「値上げしても客が離れない商品を作る三つ目の経路=ストーリーテリングとプレゼン」に直結する、という位置づけである。締切は当初「今週の金曜日」とされたが、マイキー氏が自社セミナーを週末に追加で打つ予定があるとのことで、来週いっぱいまで延びる可能性が示された。ただし当日の参加者には今週中の決断が求められている。「意思決定の遅い人がたくさんいる」というのが理由だった。
また今週金曜には、小山氏によるベストセラーまでのマーケティング手法の講義が予定されており、マイキー氏自身の書籍がその実験台になる。組織とリーダーシップ理論をはじめ、これまでマイキークラブの講義で扱ってきた内容を全部使って実際にどうなるかを見る、という趣旨である。予算は約1億円が用意されており、これを2,000万円以下に抑えられれば残りを寄付活動に回す、という話もあった。「0円になるかもしれないし、何百万になるかもしれない。皆さん次第です」というのが、この日の締めくくりだった。