値上げしても客が離れない商品は、どう設計されるのか。パン屋という最小単位からプラットフォーマー、スターバックス、そして「バズってしまった」中小企業の事例まで、囲い込み戦略を経営基盤の問題として扱った回の記録。
この日の講義に入る前の雑談は、結果として本編の主題を先取りしていた。主宰者はその日の面談の話から始める。相手は女性の医師で、極めて優秀な人物だったという。その娘が中学二年生で、休み時間も授業中もずっと主宰者のYouTubeを見ており、しかもそれを友達に拡散しているらしい。政治や経済に関心を持つ友人が多い環境だ、という。面談の三分の二は途中から帰宅した本人との会話に費やされ、最後は母親が上位コースへの申し込みを即決した。
その中学生は小学校時代に三年間オーストラリアで過ごし、帰国後は毎週、外国人向けにプレゼンテーションを行う会に参加して、大人に混じって発表しフィードバックを受けているという。主宰者の評価は率直だった。小学生の頃から海外でプレゼンをやってきた子は、中学生の時点でそのへんの大人より圧倒的に上手い。
もう一つ、同じ日の事業相談の話も出た。Googleが開催していたプレゼンテーションの大会で優勝し、日本のスタートアップを売却した三十代半ばの経営者である。英語でプレゼンして売却を実現し、資金調達もすべてプレゼンで通してきた人物だが、主宰者の見立てでは、マイキークラブ内の何人かのほうが上手いという。その経営者もまた「日本人が日本語を分かっていない、人前で喋れない人間が多すぎる」という問題意識を持ち、プレゼンテーションを通じて中小企業に伝えていきたいという使命感を語ったという。当初はスキル講座を構想していたが、主宰者がロジックで一つずつ説明していくと、点と点が繋がって発想が全部変わった、と言って帰っていったそうだ。
その後、話は面談相手の苗字から高橋名人の話題へ流れ、ハドソン時代の逸話や『高橋名人の冒険島』のファミコン版とスーパーファミコン版の出来の差まで脱線した。学生の参加者が増えていることに触れ、「学生が大人を全員ぶち殺してほしい」という言い方で、若い参加者への期待が語られている。
前半の講義で価格弾力性という道具立てが揃ったあと、主宰者が投げた問いは実務的だった。「では、価格弾力性の低い商品はどうやって作るのか」。参加者からはブランド、差別化、ストーリーテリング、エコシステム、リソースといった答えが次々に出たが、主宰者が正解としたのは経営基盤という一語だった。エコシステムも文化づくりもリソースも、すべて経営基盤の中に含まれる。個別の施策を先に考えるのではなく、それらを載せる土台の話をしている、という整理である。
この主張を最も鮮明にしたのがパン屋の対比だった。弾力性の高いパン屋は、近所のスーパーより10円安いから来る客をターゲットにする。そうなると調達は大量仕入れによる原価圧縮になり、オペレーションは徹底した自動化とマニュアル化になる。パン職人ではなくパート・アルバイトでも均一に焼けるオーブンを導入する。これはポーターの言うコストリーダーシップそのものであり、顧客より効率と回転率を優先する低コスト基盤である。ただしこの道を進むと完全競争に巻き込まれ、最終的に利益が出なくなる。
対して弾力性の低いパン屋は、この店でしか食べられないパンがあるから遠方からでも来る客をターゲットにする。近所の友人がレーズンパンを嫌いだから作らない、という発想は、マクロとミクロを取り違えている。世界的な需要で見ればレーズンパンもカレーパンも人気商品であり、遠方から来る客なら50円でも100円でも高くても払う。そのために必要なのが、技術と資産とリソース(例として「インドの職人にカレーを作らせる」といった調達)、そして「24時間低温長時間発酵」のような語れるプロセス=ブランドストーリーであり、価格ではなく体験で広がる顧客接点である。
主宰者はまず、マーシャルの視点と現代の視点の違いを、観察者と設計者の対比として置いた。マーシャルの入り口は「市場をどのように観察するか」だった。これに対して現代の経済学・経営学の視点は「経営基盤によって何を作り出せるか」に定義されており、性質としては戦略的設計者である。価格弾力性という同じ概念が、観察の対象から設計の対象へ移った。
その設計者の代表として名前が挙がったのが、NVIDIA、Meta、Googleといったプラットフォーム企業である。彼らはスイッチングコストをやたらと高く設計することで、値段を上げてもサービスを変えても、結果としてみんなが使わざるを得ない状態をつくった。広告費がどんどん上がっても、人は広告費を払い続ける。この仕組みが彼らの成長の源泉である。逆に言えば、弾力性の意味を分かっていない人間がプラットフォームを作ろうとしても、もっと安いものが出てきた瞬間に人は離れる。
プライシングをサービスの観点で言い換えれば、これは囲い込み戦略がどれだけできているかという問題になる。囲い込みができていれば弾力性が下がり、価格を上げてもその商品を使い続ける顧客が残る。
講義では、囲い込みの心理的・行動経済学的アプローチとして「パンをパンとして売るのではなく、顧客が解決したい課題として届ける」というジョブ理論が紹介され、その提唱者としてクリステンセンの名が挙げられた。そして「人はドリルが欲しいのではなく、穴を開けたいのだ」という言葉がその説明に使われた。ジョブ理論(Jobs to Be Done)がクレイトン・クリステンセンの理論であるという点は正しい(『ジョブ理論』2016年、ミルクシェイクの事例で知られる)。一方「ドリルではなく穴」という格言そのものの出所は、マーケティング論のセオドア・レビットで、『マーケティング発想法』(原著1968年、邦訳1971年)で紹介されたものである。両者は発想として連続しているが、別人の別理論である。引用の際は分けて扱ったほうがよい。
そして主宰者は、この課題発見の深さがそのまま弾力性の低さに転化する、と述べる。顧客の課題を深く掴めば掴むほど弾力性は下がり、値上げしても「いいサービスだ」と受け取られる。問題は、そこにどうやって気づくか、どうやって戦略的に発見するか、そしてどうやって参入障壁を高くするかである。参入障壁を高くするために必要なのがリソースであり、ストーリーであり、ブランディングである。
ではその状態をどう作るのか。答えは二つ挙げられた。一つは基盤。もう一つは、身近な顧客のフィードバックによる改善サイクルを商品に組み込むことである。改善し尽くしてから世に出し、みんなが使い始め、便利だと認識された段階で値上げする。Netflixがその例として挙げられた。値上げしても会員が増え続けている、と。
Netflixの有料会員数は2024年末時点で3億200万人に達した。同社は2025年1月に米国などで料金を改定し、その後も値上げを継続している。日本では2015年9月の参入以降、2024年10月までの改定で料金が約1.5倍になった。要確認 ただしNetflixは2025年第1四半期から会員数の四半期開示を取りやめており、「値上げ後も会員が増え続けている」ことを直近の公表数字で継続的に確認することは現状できない。値上げが通っている根拠としては売上・利益の推移で見る必要がある。
参加者からの質問をきっかけに、この日もっとも具体的な事例分析が展開された。ブランドや価値を作った会社が大きくなりすぎ、経費を削って作り直すという話をよく聞くが、それは大きくなって脱線したものを、もう一度身近な顧客の意見を聞いて作り直しているということか、という問いである。例として挙がったのがスターバックスだった。もともとサードプレイスとして成立していたのに、モバイルオーダーが増えて本来の文化が崩れてきており、いま店舗を閉じて元の形に戻そうとしている、と。
主宰者はこれを「超正しい」と評価し、構造を解説した。スターバックスが売っていたのはコーヒーではなく空間だった。第三の家、つまり家のように落ち着いてコーヒーが飲める場所こそが付加価値であり、注文から受け取りまでの待ち時間すら体験の一部だった。だからあれだけ高いコーヒーでも文句を言わずに買う。ところがモバイルオーダーとドライブスルーを入れたことで、この体験提供が消えた。一時的に売上は上がり、ドライブスルー店舗を大幅に増やした。しかし結果として「サードプレイスとしての場所」であることが忘れられ、売上が落ちていった。
椅子に座る、そこで仕事をする、待ち時間まで含めた体験に価値があった。だから値上げを繰り返しても受け入れられた。価格弾力性が低い状態である。
コーヒーだけなら、より安いチェーンでよい。ドライブスルーならコンビニの100円コーヒーでよい。体験が抜けた瞬間に代替可能になり、弾力性が跳ね上がる。
主宰者はこれを「目先の金を追ってしまった」と要約した。売上が上がるからといってそちらへシフトするのは、即断即決として危険性が高い。中国での低価格チェーンとの競争で苦戦した背景にも同じ構造がある、という指摘が続いた。会話の中では、参加者から具体的な競合名(ラッキンコーヒー)が挙げられている。
2024年にブライアン・ニコルCEOのもとで打ち出された再建策が「Back to Starbucks」で、店内体験の改善、座席の増設、提供の迅速化を柱にサードプレイスの地位回復を目指している。2025年9月には北米で400〜500店舗の閉鎖と非小売部門の人員削減が発表された。参加者は「いま店舗を全部閉めて一から作り直している」と述べたが、公開情報では全店閉鎖ではなく、環境改善や収益改善が見込めない店舗に限った閉鎖である。中国市場については、2025年11月3日、スターバックスが中国事業運営会社の株式6割を博裕資本(ボーユー・キャピタル)に約40億ドル(約6,200億円)で売却し合弁化すると発表した。競合のラッキンコーヒーは2025年6月時点で中国国内に2万2,000店超を展開して店舗数でスターバックスを上回り、価格帯はスターバックスより約3割安い。2025年7月にはニューヨークへ初出店している。「中国の安いコーヒーに負けた」という会話中の表現は、店舗数と価格帯の事実関係としては裏づけられる。
主宰者はさらに、同じ構造が米国の外食にも見られると付け加えた。ハンバーガーチェーンの価格が大きく上がっても受け入れられているのは、空間と体験を売っているからだ、という説明である。要確認(米国ファストフード各社の価格上昇率と来店客数の関係については、本レポートでは個別の裏取りを行っていない。)
議論の最後で扱われたのは、機能性ウェア「リライブ」の事例だった。参加者からの問いは、もともと価格弾力性が低い商品として伸びたが、ライバルが増え、大手小売からも破壊的な価格のモデルが出てきている。今後は機能でもコストでもなく、文化をどう売るかという話になるのか、というものである。
主宰者の答えは意外なものだった。商品自体は非常に良い。しかしバズらせてしまったこと自体が負けだ、と。もっと固めて固めて、地道な作業で広げていけばよかった。バズによって短期間で規模が跳ね上がった商品は、その後必ず落ちる。会話の中では創業者本人にも同じ指摘をし、12月の会食では「バズらせることはもう考えなくていい。丁寧に、海外で展開する」という助言をしたことが語られた。丁寧にというのはガバナンス中心という意味か、という参加者の確認に対して、主宰者は肯定している。
図1:リライブ関連の売上規模として言及・報道されている数値の並置。出典が異なる数値を同一軸に並べた比較図であり、時系列の正確な推移ではない。Claude作図。
会話では「年商800万しかなかったのが300億になっちゃった」と述べられた。公開情報を確認すると、創業者の著書タイトルは『地方の小さな会社のリライブシャツがなぜ100億円も売れたのか』であり、報道では創業期の年商が700万円、2021年の年間売上が1億8,000万円、Forbes JAPANの記事では単月平均売上13億円で今期目標200億円と報じられている。発言の「800万」は公開情報の「700万円」と近いが一致せず、「300億」に至っては、確認できた最大の数字(今期目標200億円)を上回る。この差の理由は本レポートでは特定できなかった。要確認 決算期の違い、グループ連結か単体か、あるいは会話上の概算かのいずれかである可能性が高い。なお会話中で言及された社名についても、公開情報上の運営会社は別名義である。数字を引用する際は一次情報での確認を推奨する。
ここから議論は一般化される。バズっただけで一生分の資金を稼げるケースは例外であり、通常はバズが終われば死んでいく。なぜ死ぬのかといえば、弾力性が高い状態のまま市場に出してしまっているからである。参加者からは、ファッション業界の多くがこの型ではないか、という指摘が出た。トレンドを作って弾力性が低いふりをしているが、トレンドが終われば半額でも要らない状態になる。一方で、ヴィトンやエルメス、あるいは価格帯を下げればパタゴニアのように、文化を売っているブランドは落ちない。
では、意図せずバズってしまった場合はどうするか。数を絞ってバズを抑えにかかるべきか、という質問に対する答えはこうだった。バズは事故である。しかし基盤さえ整えていれば、バズっても対応できる。だから絶対的に入口に作るべきは、商品の段階でリソースを固めておくことである。設計の時点で、何をこの会社に取り入れなければいけないのか、そのボトルネックの手当てを準備しておかなければならない。
Q. 価格弾力性とは何か。
A. 参加者の答えは「価格を上げたときに客が離れてしまうものが弾力性が高い、上げても離れないのが低い」。主宰者はこれを是とした。弾力性が高い商品は10円上げただけで客が離れる。他でも買えるからである。低い商品はパン屋なら50円上げても離れない。ここでしか買えないからである。
Q. では、価格弾力性の低い商品はどうやって作るのか。
A. 参加者からはブランド、差別化、ストーリーテリング、マクロ的視点、エコシステム、リソースといった答えが出た。主宰者が正解としたのは経営基盤である。エコシステムも文化づくりもリソースも、すべて経営基盤の中に含まれる。
Q. 最初の講義では生活必需品の弾力性が低いという話だったが、プロダクトアウトはむしろ逆に感じる。両方とも弾力性が低いということか。
A. 時代の流れの中で、どういう商品を作れば弾力性の低い商品になるのかという段階の話をしている、というのが答え。いまは点ではなく流れの話をしている、と主宰者は補足した。マーケットイン商品は弾力性が高くなりかねず、プロダクトアウト製品は弾力性が低くなる、という対応づけがこの議論の前提になっている。
Q. サービスを提供している場合、「人」もリソースとして弾力性に当てはまるか。
A. 当てはまる。人もリソースである、というのが主宰者の答えだった。
Q. ビジネス系スクールが売れなくなっているなかで、このコミュニティが10万円値上げしたら売れるか、売れないか。
A. 参加者の答えは「売れます」。主宰者はこれを是とし、これが弾力性の話だと確認した。顧客満足度をどう上げるかという戦略の話ではないか、という別の参加者の答えに対しては、いまは満足度の話をしておらず純粋に弾力性の話である、と切り分けた。満足度は後から人が判断するもので間接的には関係するが、論点はそこではない、と。
Q. ブランドや価値を作った会社が大きくなりすぎ、経費を削ってまた一から作り直すという話を聞く。脱線したものを、身近な顧客の意見を聞いて作り直しているという理解でよいか。スターバックスがサードプレイスから離れてしまった例のように。
A. その理解は正しい、と主宰者。スターバックスはサードプレイスという空間を売っていたが、モバイルオーダーとドライブスルーで売上を伸ばした結果、体験提供が消え、サードプレイスとして忘れられて売上が落ちた。目先の金を追った結果である。
Q. スターバックスは場所提供と需要を分けていただけだと思っていたが、そうではないのか。
A. 買いに行くという行為と、作っているところを見る待ち時間も含めた体験がセットで価値になっていた。ドライブスルーを入れることでその価値提供が全部消えた、というのが主宰者の説明である。
Q. リライブは元々弾力性の低い商品だったが競合が増えている。今後展開するなら、機能でもコストでもなく文化をどう売るかという話になるのか。
A. 商品自体は非常に良いが、バズらせてしまったことが負けだ、というのが主宰者の見立て。もっと固めて地道に広げるべきだった。助言としては、バズを狙わず、丁寧に海外展開する方向を勧めたという。ガバナンス中心という理解でよいか、という確認には肯定で応じた。
Q. 意図せずバズってしまった場合、売る数を抑えるなどしてバズを抑えにかからないといけないのか。
A. バズは事故だと思っている、というのが答え。ただし基盤さえ整えていれば、バズっても対応できる。だから入口の商品設計の段階でリソースを固め、ボトルネックの手当てを準備しておくことが決定的に重要である。