講師が同日のYouTubeで扱ったオランダ病(ダッチ・ディジーズ)を軸に、ナイジェリアと日本を並べた回。人口が多いほど多様な強い産業が必要になるのに、日本は戦える産業を減らしながら金を薄く撒いている――この診断から、現金滞留・ガバナンス改革・人材の閉鎖性まで話が伸びた。
この回の終盤、話題は日本の構造問題に移った。きっかけは、講師(マイキー氏)が同日に自身のYouTubeで扱ったというオランダ病(ダッチ・ディジーズ)である。小国は基本的に一つの産業だけで成り立つことがある。人口1,000万人弱のフィンランドやデンマークがそうだ。しかしある程度お金が潤って強くなってくると為替が上がってしまい、その結果として自分たちの産業能力が弱くなる。だから新しい産業を作らなければならない。それを作らなかったのがオランダだった――というのが講師の説明である。
そして講師は、この病がいま最も深刻なのは日本ではないかと述べた。論理はこうだ。人口が多くなればなるほど、多様な産業を強化しなければならない。それなのに満遍なく金をばらまくということをやっている時点で、強い産業が強くなくなってしまう。日本は自動車がむちゃくちゃ強く、これで人口1,000万人か2,000万人であれば国民は超金持ちになれる。しかし1億人いるということは、その分だけ産業が必要になる。
その対照として持ち出されたのがナイジェリアだった。人口2.3億人(講師の発言)を抱え、財政収支の8割が石油である。だが労働人口のうち石油関連は1%しかいない。格差が生まれているのは、石油以外の新しい産業がナイジェリアに生まれていないからだ、と。日本はかつて鉄、自動車、半導体、造船、化学と多様化することで人口に見合った産業数を持っていた。それがどんどん消えていくと、人口に対して数が合わなくなる。
この枠組みは、中国にも適用された。中国はいくら頑張っても人口が多すぎるので、産業の数が絶対に合わない。だからあれほど必死になり、すべての産業を取ってやろうとする、というのが講師の見立てである。インドネシア、バングラデシュ、ブラジルのように人口が多い国が経済成長するという話も、結局は強い産業がいくつ生まれるかで裕福になるかどうかが決まる。なかなか生まれないから格差が残る。日本もどんどん産業が弱くなっているから格差が生まれている、と説明がつく。だから優遇する産業と優遇しない産業をしっかり切り分けて金を振り分けないと大変なことになる、というのが講師の結論だった。
「資本主義は、どうやってうまく金を使うかというゲームをしているだけではないか」――議論の途中で出たこの一文が、この回の後半を貫いている。オランダ病は資源収入を新しい産業に転換できなかった話であり、日本の現金滞留は稼いだ利益を次の産業に転換できていない話である。どちらも「入ってきた金を、次の稼ぐ力に変換する回路が詰まっている」という同じ形をしている。だからこの回では、産業政策の話とコーポレートガバナンスの話と、人材を取れない話が、一本の線で並んで語られている。
講師の説明は簡潔だった。小国は基本的に一つの産業だけで成り立つということが起きる。人口1,000万人弱のフィンランドやデンマークもそうだ。しかしこれは、小国である程度お金が潤ってきて強くなってくると、自分たちの為替が上がってしまう。その結果として自分たちの産業能力が弱くなるから、新しい産業を作らなければならない。それを作らなかったのがオランダだった。これがオランダ病(ダッチ・ディジーズ、Dutch disease)と呼ばれるようになった――。
オランダ病という語は1977年に『The Economist』誌が造語したもので、1959年のフローニンゲン(Groningen)ガス田の発見後にオランダの製造業が衰退したことを指す。定義としては、特定部門(典型的には天然資源)の急成長と、製造業や農業といった他部門の衰退とのあいだに見られる因果関係を指す。
メカニズムは講義中の説明とほぼ一致する。成長部門の収入が増えると、その国の通貨が外貨に対して強くなる。すると他の輸出品は外国から見て割高になり、輸入品は安くなる。結果としてそれらの部門の競争力が失われる。実際、天然ガス輸出による新たな富はギルダーの急激な増価を招き、オランダの他の輸出品の競争力を奪い、1960〜70年代の工業生産の顕著な鈍化につながった。講師の「為替が上がるから産業能力が弱くなる」という説明は、この機序を正確に捉えている。
ただし、講義中の「新しい産業を作らなかったのがオランダだった」という因果の置き方は、標準的な説明とは強調点がずれる。オランダ病の中核は資源収入そのものが為替を通じて他部門を圧迫するという自動的なメカニズムであり、「作らなかった」という怠慢の問題として説明されるのは一般的ではない要確認。また、オランダはその後の政策転換(ワッセナー合意など)を経て製造業とサービス業を再建しており、現在まで病んだままの国として語られているわけではない。この点も押さえておくべきだろう。
講師が興味深いのは、この枠組みを資源国ではない日本に当てはめたことである。ロジックは為替経路ではなく、産業の数と人口の対応関係に置き換えられている。日本は自動車が極めて強い。これで人口が1,000万人か2,000万人であれば、国民はものすごく金持ちになれる。だが1億人いる以上、その分だけ産業が必要になる。日本はかつて鉄、自動車、半導体、造船、化学と多様化することで、人口に見合った産業の数を持っていた。それがいまどんどん消えていっているから、人口に数が合わなくなる。
これは類推であって、オランダ病の適用ではない。オランダ病は資源収入による通貨高が他部門を圧迫する現象であり、日本はその前提条件(資源輸出による通貨高)を満たしていない。むしろ日本は近年、円安の側にある。したがって「日本がオランダ病だ」という言い方は、厳密には成立しない。
ただし、講師が実際に語っている中身――人口規模に対して国際競争力のある産業の数が足りていないという問題――は、オランダ病とは独立に成立しうる論点である。この二つを分けて受け取るのが正確な読み方だろう。オランダ病という名前は、この論点を印象づけるためのラベルとして使われている。
講師が最も分かりやすい事例として挙げたのがナイジェリアだった。講義中の説明はこうである。ナイジェリアは人口2.3億人いる。財政の収支の8割が石油である。しかし労働人口は石油関連に関しては1%しかいない。格差が生まれているのはなぜかといえば、ナイジェリアに石油以外の新しい産業が生まれていないからだ、と。
人口について。2026年年央のナイジェリアの人口は約2億4,243万人と推計されている。講義中の「2.3億人」は、講義時点(2025年12月)としてはやや控えめだが、桁として妥当な数字である。
石油の比重について。ここに明確な食い違いがある。公開データによれば、石油・ガスは輸出収入の90%超を占めるが、政府歳入に占める割合は約50%であり、GDPへの寄与は約10%にとどまる。講義中の「財政の収支の8割が石油」という数字は、政府歳入ベースでは過大であり、輸出収入ベース(90%超)とも一致しない要確認。輸出収入と財政収入が混同されている可能性が高い。
雇用について。石油部門の雇用比率を単独で示す統計は今回の調査では見つからなかった要確認。ただしナイジェリアの労働力構成は農林漁業が26.1%、小売・卸売・宿泊が23.4%、製造・鉱業・採石が12.8%であり、石油部門が雇用を吸収していないという講師の指摘の方向自体は妥当である。石油がGDPの約10%しか占めないのに輸出の90%超を占めるという構造は、まさに「収入は入るが雇用は生まない」という状態を示している。
したがって講師の議論の骨格――収入源が一つに偏り、それが雇用を生まないことが格差の源泉になる――は、公開データによって支持される。ただし個別の数値、特に「財政の8割」は引用せず、自分で確認したうえで使うべきである。
この論理は、そのまま人口大国一般に展開された。中国はいくら頑張っても人口が多すぎるので、産業の数が絶対に合わない。だから彼らは必死に、すべての産業を取ってやろうとする。インドネシア、バングラデシュ、ブラジルのように「人口が多いところが経済成長する」と言われてきた国々についても、結局は強い産業がいくつ生まれるかによってその国が裕福になるかどうかが決まる。なかなか生まれないから格差があるという状態になってしまう。
そして日本である。産業がどんどん弱くなっているから格差が生まれている、と説明がつく。みんな平等で裕福だったのが、どんどん格差が生まれてくる。だからこそ産業の改革において、優遇する産業と優遇しない産業をしっかり切り分けて金を振り分けないと大変なことになる――これが講師の政策提言だった。満遍なく撒くという発想が、産業の数を減らす方向に働いている、という診断である。
ここから議論は、産業論から資本配分論へ移った。参加者から出た「資本主義はどうやってうまく金を使うかというゲームをしているだけではないか」という整理を受けて、講師が挙げたのが二つの現金の滞留である。一つは70歳前後の高齢層が個人金融資産を持っていること。もう一つは、任天堂のように内部留保を積み上げている企業群である。
参加者は、株主・資本家の側からの圧力が必要だと述べた。NVIDIAですら現金を持ちすぎたために、どれだけ金を使うのかというところに集中させられる。ああいうコーポレートガバナンスが日本にももっと必要ではないか、と。
日本とアメリカでは経済規模が7倍違う。大手企業をトップ10で比べればとんでもない差がある。それなのに、アメリカ企業が持っている現金は日本の大手企業の2倍しかない。その分、アメリカ企業はお金を使っているということである。
さらに中小企業について。アメリカの中小企業の合計よりも、日本の中小企業のほうが現金を多く持っている。つまり日本は「現金をうまく使えません」ということを声高に主張しているようなものではないか、というのが講師の指摘だった。
講師が挙げた具体的な比較(日米の大手企業の現金保有が2倍以内、日本の中小企業合計がアメリカの中小企業合計を上回る)については、今回の調査で該当する出典を特定できなかった。数字の正確性は確認できていない。
ただし周辺のデータからは、複数の異なる読み方が可能であることが分かる。日本企業の現金・預金は過去10年で115兆円増加し、手元流動性の増加額は113兆円に達している。この点では「現金が積み上がっている」という指摘は裏付けられる。実質無借金企業の割合も、日本は2017年度に51.7%に達しているのに対しアメリカは18.3%(2017年)と、大きな差がある。借金をせずに現金で持つという行動様式の違いは、データとして確認できる。
他方で、これに対する反論も存在する。内部留保と手元流動性は必ずしも連動しておらず、「内部留保=現預金の貯め込み」という見方は正しくない、という指摘がある。内部留保は資産側に現金として現れるだけでなく、設備投資などにも使われているためである。さらに、日本企業が保有する純現金(手元流動性から有利子負債を差し引いたもの)は大きくなく、アメリカ企業はもちろん韓国・香港・台湾などのアジア企業と比べても少ない傾向があるという分析もある。
つまり「日本企業は現金を溜め込んでいる」という命題は、グロスの現預金で見るか、ネットの純現金で見るか、無借金企業の比率で見るかによって結論が変わる。講師の主張はグロス寄りの見方に立っており、ネットで見る立場からは反論されうる。この論点を扱うときは、どの指標を見ているかを明示するのが誠実である。
参加者から具体的な制度の話が出た。来年コーポレートガバナンス・コードが変わる。現金保有残高が多いと説明を求められることになるので、来年は変わっていく。政府もそんなに不用意にずっと置いておかず、どんどんお金を使っていきなさいということである。ただしこれが無駄なM&Aに向かうと、今度はアクティビストから「無駄なM&Aをするな」と叩かれることになるので、いい方向に変わっていってほしい。任天堂もやはり相当言われると思う、と。
講師はこれに対して、金の使い方が下手なのは事実なので、いきなりやれと言われても、また無駄なM&Aをやりまくって外に食われるのではないかという懸念を示した。ただしいい傾向としてMBOが非常に増えており、上場企業の数が減ってきていると評価している。
講師の整理はこうだった。いまアメリカと日本で上場企業の数が同じである。これはおかしい。先進国はどんどん上場企業の数を減らしているのに、日本だけが増え続けてきた。それがやっとマイナスに転じたところである。今年(2025年)は54社上場数が減った。来年、2026年に500社ほど減ってくれれば、日本の株はトヨタやソニーを含めて上がるのではないか、と。安いし、これだけ現金を持っているのだから、どんどんMBOされていくのではないか。「いらない会社は今日さっさと消えろ、じゃなきゃ日経平均なんか買いたくない」――というのが講師の率直な期待だった。
上場企業数について。2025年末の東京証券取引所の上場企業数は3,782社で、前年比60社減となり2年連続の減少となった。講義中の「今年54社上場数が減った」という数字は、講義が2025年12月5日時点であることを考えれば、年末までの確定値(60社減)に対する当時の暫定値と読むのが自然である。方向としても水準としても、大きな誤りはない。
2025年の上場廃止企業数は過去最多の125社に上る見込みとされ、前年から31社増えた。理由別では「他社による買収」が49社と最多、「支配株主などによる買収」27社、「MBO」26社、「完全子会社化」17社と続く。またMBOの実施を発表した企業数は2025年11月末時点で28社と、前年の18社を大幅に上回って年間過去最多を更新した。「MBOがむちゃくちゃ増えている」という講師の指摘は、正確である。上場企業数の減少はIPO件数の減少(前年比21社減)と上場廃止の増加の双方が効いている。
日米の上場企業数比較について。2025年末時点で、NYSEとNasdaqに上場する国内事業会社は3,657社(外国企業1,515社を除く)である。日本取引所グループの上場企業数は3,930社(前年比30社減)、東証単体では3,782社。「アメリカと日本で上場企業の数が同じ」という講師の指摘は、事業会社ベースで見ればおおむね正確である。経済規模の差を考えれば、この一致は確かに異例といえる。
コーポレートガバナンス・コードについて。講義中に「来年変わる」と述べられた改訂は、実際に2026年7月21日から施行された。ただし改訂の主眼は、講師や参加者が述べた「現金保有残高」ではなく、政策保有株式に関する要件の強化にある。上場会社が政策保有株式として上場株式を保有する場合、毎年、取締役会で個別に保有目的の適切性や、保有に伴う便益・リスクが資本コストに見合っているかを具体的に精査し、検証内容を開示すべきとされた。加えて、取引縮減を示唆して売却を妨げる「売らせない圧力」の禁止と経済合理性の検証が、補充原則から原則へ格上げされている。また有価証券報告書の定時株主総会前開示が原則として新設された。
つまり「資本コストに見合っているかを検証・開示させる」という枠組み自体は導入されたが、現金保有残高そのものを名指しで規律する条項として整理されているわけではない要確認。今回の改訂は「コードの実質化」を掲げ、コード自体の構造を大幅に見直した点でこれまでの改訂とは性格が異なるとされる。参加者の予測は方向としては当たったが、力点は政策保有株式にあった、というのが2026年8月時点での事実である。
産業の数と資本配分の話に続いて出たのが、人材を取れないという問題である。きっかけは、アメリカのビッグテックが超高学歴でなければ入れなくなり、かつてのアメリカンドリーム的な話ではなくなってきた、という参加者の観察だった。講師は、だからこそ日本の会社がアメリカから人材を引っ張ってくるのが最も合理的ではないかと述べた。
だがその直後、自分でそれを否定している。合理性はあるが、多分無理だろう。「日本語ができないから」という断り文句がしょっちゅう来るからである。その結果、アメリカで溢れ返った人材は韓国や中国がどんどん奪っていくことになる。
講師はここで、インドの人材で同じことが起きたと指摘した。インドの人材をアメリカが買い取っていき、次に韓国と中国が出ていった。日本も初めは人気だったが、やたらと断りまくり、給料の面でアメリカに抜かれ、他にも抜かれて、いまは見向きもされない。「いつものパターン」である、と。
講師の指摘は具体的だった。日本企業は日本語ネイティブくらいのレベルを求める。ちゃんと喋れる人でも、ほとんど落ちてしまう。しかし、たまに外国人で日本語が非常にうまい人がいるが、自分たちはあれほど英語を喋れない。
対比としてアメリカが挙げられた。アメリカは完璧な英語を求めない。多様性の中でいろいろな外国人がいるからである。例として出されたのがアーノルド・シュワルツェネッガーで、発音は決してうまくないが主演俳優になっている。初期の頃は台詞の少ない役ばかりだった――つまり言語能力の不足を配役の設計で吸収した。それでもキャリアは成立した。
この完璧主義は、PART 3で見た現金の滞留と同じ形をしている。使えるはずのリソースを、条件を満たさないという理由で使わずに置いておく。人材でも資本でも、日本側の行動様式は同じである、というのがこの議論の含意だろう。
なお講師は、この議論の別の局面で、日本人のアウトプット能力の低さを繰り返し指摘している。どこへ行ってもこのアウトプット能力の低さは際立っている、と。参加者が「日本には空気を読む文化があるが、空気をAIに読んでくれというのは無理な話なので、アメリカや中国にAIで勝てないのではないか」と述べたのに対しては、講師は明確に否定した。日本人に空気を読む能力があるというなら、この場の空気を読んでいたら発言するはずである。「空気を読む」と言いながら、実際には自己都合で情報を捉えているだけだ、というのが反論だった。講師はこれを「日本人病」と呼んでいる。
この回で語られたエピソードの中で、最も短く、最も実務的だったのがこれである。講師が11月13日の講演会に出た際、主催側が「マイキーさんが2026年の最先端のマーケティングを教えてくれる」と煽っていたという。講演が終わったあと、3人組が来て「今回のプレゼンで最先端のマーケティングを教えてくれなかったのですが、いま教えてもらっていいですか」と尋ねた。
「営業をめちゃくちゃ強化して、どんなマーケティングにも耐えられるような営業能力をつけるのが2026年の主流です」。そして「営業ができないんだったらマーケティングとか考えないでください」と付け加えた。相手は非常に不機嫌になったという。
理屈は単純である。営業をしやすくするためにマーケティングがある。営業がすべてで、その流れを作るのがマーケティングだ。だから営業を最強にしておけばどんな市場でもはまるので、2026年の主流は営業を徹底的に強化することによって、どんな新しいマーケティングにも対応できる能力をつけることになる。営業能力を鍛えれば、マーケティングの力は後からついてくる。
渡辺氏はここに「営業というのは相手との言語を見つけるということですからね」と補助線を引いた。講師が言う営業は、売り込みの技術ではなく、相手の言語体系に入っていく能力を指している。この点を押さえると、この回の他の論点――暗黙知の形式知化、言語外の意思疎通は不可能であること、AIとのコミュニケーションの取り方の違い――とすべてつながる。
講師はさらに、なぜ相手が不機嫌になったのかを自分で説明している。営業ができないからである。ほとんどの人のマーケティングは、営業ができないために代わりの手段を見つけようとしているだけだ、と。しかし世界最強の企業はみんな営業が超強い。参加者からは「小山氏も同じことを言っている――営業ができないマーケターは信用するな、優秀なマーケターはそもそも営業ができる」という補強があった。講師によれば高橋博士も同じことを言っており、最後は営業で何とかして売っている、というのが共通の見解だという。
「2026年の最先端マーケティングは営業の強化である」という主張は、マーケティング理論の学説上の位置づけを持つものではなく、講師個人の実務的な見解である。ただし、この主張が指している構造――マーケティングを営業の代替として使う組織は、そもそも営業ができない組織である――は、検証可能な形に落とせる。自社のマーケティング施策が、営業プロセスのどの摩擦を減らすために設計されているかを説明できるかどうか、である。説明できないなら、それは営業の代替として使われている可能性が高い。
なお、講義中に言及された小山氏および高橋博士の発言内容については、一次情報を確認できなかったため、講師による紹介としてそのまま記載している。