この回の最後のセッションで、マイキー氏は参加者に問いを投げた。「今後ビジネスをやっていく上で、インサイトとニーズの違い、これを説明できる方はどれぐらいいらっしゃいますか。例え話をつけてみてください」。そもそもここを狙っていかないとプレゼンテーションはできない、交渉もできない、いい商品も作れない、という前置き付きである。参加者からは「ニーズは顕在化しているもので、インサイトはまだ顕在化されていないもの」という答えが出た。方向としては正しいが、マイキー氏はそこからキャズム理論やハイプサイクルの各フェーズを持ち出して「その黎明期の立ち上がりはインサイトですかニーズですか」「復活期はどちらですか」と畳みかけ、参加者の答えが止まったところで定義に入っていった。
ニーズとは、消費者が明確に感じている欲求や必要性である。今解決しなければならない課題として現れ、消費者自身が自覚している。バッテリーが長持ちするスマートフォンが欲しい、移動中でも快適に仕事ができるパソコンが欲しい。目に見える形で表現される。これに対してインサイトは、消費者の心理や行動の背景にあるもの、表面に見えない本音や深層心理である。マイキー氏の言い方では、ニーズは「欲しい・欲しくない」であり、インサイトは「なぜそう思うのか」という価値観に触れるものである。そして「大抵の人のプレゼンテーションと営業トークはニーズしか攻めていない」。
ここでマイキー氏は、参加者の上野氏が進めている税理士事務所の事業改革を教材にした。会計事務所は記録屋であり、集計と記録しかしてこなかった。しかし顧客が本当に求めているのは記録ではなく業績向上である。数字を理解した上で予算を組みたい。だがそれを税理士や会計士に言うことはない。「税理士・会計士と言っている時点で、できることの範囲を自分たちで制限をかけている」。だからフリーキャッシュフローを含むファイナンスの領域を提示できれば、それだけで差別化になり、アップセルも新規顧客獲得もしやすくなる。これがインサイトに触れるということである、というのが実演だった。
そしてマイキー氏はこの区別の実務的な帰結を明示した。ニーズを埋めるだけなら、より良いサービスが出てきた瞬間に顧客は切り替える。顧客はあなたのサービスに勝手に限界値を設定している。パン屋だと思われていれば米は作れないと思われている。しかし顧客はパンを食べたい日もあれば米を食べたい日もある。インサイトに触れ続けることによってはじめて長期的な関係が築ける。事例として、日清のカップヌードルリフィルにおける環境意識、Got Milk?キャンペーンにおける「牛乳がないと困る瞬間」、スバルにおける「家族を守りたい」、そして失敗例としてニューコークとGoogleグラスが挙げられた。
この回で最も踏み込んだのは、質疑応答で出た「インサイトはこちらから与えて作り出せるのか」という問いへの答えである。マイキー氏は即座に肯定した。「テクニシャンは作り出してあげるんですよ」。ただしバチクソに難しいので、あえてその話はしなかった、と。さらに自分は基本的に作り出すタイプであり、プレゼンの中で仮想インサイトを作り出すのがうまいので何でも売れる、と述べた。前田氏はこれを受けて、2年前にAIがハイプサイクルの幻滅期に入ると予測したのになぜ入らなかったのかを説明した。ニーズで収まっていたものを、幻滅期に入る前にそのままインサイトにすり替えることができたからである。実際にそれがあったわけではなく、そう思い込ませて環境を作り出した。「洗脳を作り出したということに他ならない」という言い方まで出ている。
インサイトは「見つけるもの」として語られるのが通例だが、この回ではその手前と先が扱われている。手前には「読み違えると一気に落ちる」というリスクがあり(ニューコーク、Googleグラス)、先には「無いものを作り出せる」という操作性がある(仮想インサイト、AIハイプサイクルの回避)。掘り起こす・読み違える・作り出す。この三つを分けて扱ったことが、この回の固有の論点である。
講義の合間、マイキー氏は運営上の決定を告げた。勉強会終了後に設けられていたアフターズーム(Zoom終了後の自由な延長セッション)を、これまでの形では廃止するというものである。
理由は簡潔だった。「改善が見られないのであれば、政策は変更すべきである」。出るのは自由で、出てくれて構わない。ただし救済措置はもう一切しない。「好きにやります。僕がいたら僕は好きに喋るし、渡辺さんも好きに喋るし、前田さんも好きに喋るし、上野さんも好きに喋る。入りたかったらバンバン入ってきてください」。マイキー氏は「喋れないやつは一生喋れないし、プレゼンできないやつは一生プレゼンできないと決めつけてやります。伸びるやつは勝手に伸びればいい。もうそっちのほうが早い」とまで述べている。
参加者の上田氏が「前回自分がやったのが影響しているのでしょうか」と気にすると、マイキー氏は明確に否定した。「全然関係ないです。むしろよくやってくれていたなと思ったので」。むしろ理由は逆で、前回や前々回のアフターズームが「くそおもろかった」からだという。外部から入ってきた参加者との会話が面白かった。「それでいい。なぜかというと、それが一番面白いから」。前田氏も同意し、方針が確定した。
後半の質疑応答で、マイキー氏はこの決定をインサイトの言葉で説明し直している。「アフタートーク、アフターズーム自体も、自分のニーズを埋めるだけの話なんですよ。または相手のニーズを埋めようとする作業だけなんです。だから前田さんがインサイトの部分を切りに行くんですよ」。つまり、話しやすくなるための場を用意するという発想そのものがニーズ側の設計であり、それでは会話が広がらない、というのが廃止の理論的な根拠である。運営判断と講義内容が同じ枠組みで説明されている。
なおマイキー氏はこの直前、休憩を取る理由として「2日間ご飯を食べていないので、ちょっと飯を頼みたい」と述べている。「何を食べればいいのかも分からないから、食べなくてもよくなってきたかもしれない。飯って一番困らないですか。何を食っていいか分からないですよ、何も食いたくないときって」。この間、参加者に話題を続けるよう促し、そこにマイキー氏が飛び込んでプラスするという運び方をしていた。
マイキー氏はいきなり定義から入らなかった。まず参加者に「インサイトとニーズの違いを、例え話をつけて説明できますか」と問い、「そもそもここを狙っていかないとプレゼンできないっすよ。または交渉できないっす。またはいい商品作れないっす」と前置きした。
参加者から「ニーズはもう顕在化しているもので、インサイトはまだ顕在化されていないというイメージかな」という答えが出る。マイキー氏はこれを受けて、いきなり具体的な理論へ質問を移した。「ジェフリー・ムーアとエベレット・M・ロジャーズのキャズム理論とイノベーター理論は、インサイトですか、それともニーズですか。キャズムを超えるということはどういうこと?」。
参加者が「本質を見抜くこと」と答えると、マイキー氏は「本質って何ですか」と重ねた。答えに詰まったところで、さらに畳みかける。「黎明期から成長期に変わっていくところは、インサイトですか、ニーズですか」「ハイプサイクルの復活期はインサイトですか、ニーズですか。それによってサービス自体をどのように変革させるかというところが変わってくるわけなんですよ」。参加者が「(黎明期の立ち上がりは)ニーズだと思います」と答え、「では復活期はインサイト」と続いたところで、マイキー氏は「それを言語化してみてください。簡単でいいので。正解ないんで大丈夫ですよ」と促した。
マイキー氏は定義を教える前に、既知の理論(キャズム、イノベーター理論、ハイプサイクル)の各フェーズを「どちら側の話か」と分類させている。分類できないということは、その理論を使えていないということである。答えられなかった参加者に対して「正解ないんで大丈夫ですよ」「言ってくれただけでありがたいです」と繰り返しフォローを入れている点も含めて、意図的な設計である。この後マイキー氏は「インサイトとニーズが知りたいのか、イノベーションと模倣のタイミングが知りたいのか、どちらですか」と選択を委ね、参加者が前者を選んだことでこのセッションが始まった。
ジェフリー・A・ムーアは1991年の著書『Crossing the Chasm(キャズム)』でこの枠組みを提示した。これは社会学者エベレット・M・ロジャーズが1962年に発表した『Diffusion of Innovations(イノベーションの普及)』のイノベーション普及理論を精緻化したものであり、ムーアは各セグメント間の移行が滑らかではなく複数の断絶を含むこと、そのうち最大のものがアーリーアダプターとアーリーマジョリティの間にあることを論じた。これが「キャズム(深い溝)」である。文字起こし上の人名の乱れは音声認識によるもので、正しくはGeoffrey Moore と Everett M. Rogers である。
ハイプサイクル(Hype Cycle)はガートナー社が新興技術の期待値の推移を示すために用いる図であり、黎明期・「過度な期待」のピーク期・幻滅期・啓発期・生産性の安定期という段階を持つ。講義中の「復活期」は啓発期(Slope of Enlightenment)を指していると考えられる。
マイキー氏はニーズから定義した。ニーズとは、消費者や購入者が明確に感じている欲求や必要性を指す。具体的には、今解決しなければならない問題や課題として現れることが多い。消費者自身が自覚しているものである。「あなたこういうことで困っていますよね」と言われて、消費者自身がすでに気づいている状態。商品やサービスに対する具体的な欲求や期待が表に出る場所であり、目に見える形で表現される。
例として挙げられたのは、手軽に料理ができること、スマートフォンのバッテリーが長持ちすること、移動中でも快適に仕事ができるパソコンが欲しいこと。マイキー氏は製品開発の側でも例を挙げた。ボタンの配置を変える、スマートフォンの表面を変える、タッチのやり方を変える。これらもニーズへの応答である。
インサイトはこれと質的に異なる。消費者が持っている心理や行動の背景にあるもの、表面に見えない部分である。本音であり、深層心理である。消費者自身が実は気づいていなかった隠れた本音や動機である。マイキー氏の要約はこうだ。「ニーズというのは欲しい・欲しくないなんですよ。なんですけど、このインサイトは『なぜそう思うのか』という、この価値観とかに触れていくものがインサイトなんですよ」。
消費者がすでに自覚している。具体的な欲求として明確化できる。「これが欲しい」「これが必要だ」と要求してくる。
目に見える形で表現される。だから聞けば取れる。
埋まった瞬間に、関係は終わる
消費者が自覚していない。言語化できていない。なぜそれが欲しいのか、どんな感情に基づいて欲しいのか。
洞察力と質問力がなければ届かない。気づかせてあげる、あるいはこちらが気づいてあげる領域。
触れ続ければ、関係は続く
そしてマイキー氏の批判が来る。「大抵の人のプレゼンテーションの営業トークはニーズしか攻めていないです。こういうもの欲しいですよね、こういうことで困っていますよね、みたいな」。
マイキー氏は、参加者の上田氏が現在進めている事業改革を教材にした。上田氏は税理士事務所に所属しており、マイキー氏から助言を受けて自分の職域の改革に取り組んでいる。「上田さんがやっていることは今、ニーズとインサイトのどちら?」という問いに、上田氏は「今現状やっているのは多分ニーズしかできていない。僕がアドバイスされたサービスを加えるのがインサイト」と答えた。マイキー氏はこれを肯定し、業界の抱えている問題から説明するよう促した。
上田氏の説明はこうである。税理士事務所・会計事務所は、マイキー氏がよく言う「過去帳屋さん」であり、記録や集計といった過去のものしかやってこなかった。今後はファイナンス、つまり未来のことを予測する領域が必要になる。それによってキャッシュフローの適正化、どこに投資するかを考えていかなければならない。
マイキー氏はこれを構造として言い直した。会計事務所は基本的に記録屋である。だから相手の会社がどうなろうと関係ない。受注さえできてしまえばよい。しかし上野氏(上田氏)の顧客が本当に思っているのは「記録してほしい」ことか。違う。業績を上げたいのである。業績を上げたくて、数字をしっかり把握したいがために頼んでいる。ということはインサイトになるものは売上アップである。数字を理解した上で予算を組みたい。
「それを税理士や会計士に言うのかという話なんです。もう税理士・会計士と言っている時点で、できることの範囲を自分たちで制限をかけているんですよ。でも本当に彼らがなぜ上田さんに仕事をお願いするのかというのは、記録してほしいわけじゃなくて、記録した上でどういうものを導き出して自分の会社を成長させるのかという、このインサイトの部分があるわけじゃないですか。これを税理士も会計士も触れないわけなんです。または触れてくれたとしても、そこに対して的確なアドバイスというものは税理士・会計士から出てこないわけなんです」
マイキー氏が上田氏に助言したのは、フリーキャッシュフローをきちんと提示するサービスを作ることである。「今、会社の経営をやったときにFCFのところをしっかりと出してくれている人がどれぐらいいますかという話なんです。いないわけじゃないですか。ということは、その核心的なところに税理士も会計士の業界も触れていないのが日本の状況です」。
マイキー氏はこれを差別化戦略として説明した。数字を使ってどう資金を使うのか、人件費をどう払うのか、どう資金をセーブするのか。これもファイナンスである。そこを可視化させてあげるだけでも差別化になり、顧客はそれによってインサイトの部分がくすぐられる。結果としてそういうプレゼンテーションを新規顧客や既存顧客に対して行えば、アップセルもできるし新規顧客も取りやすくなる。これがインサイトに触れるプレゼンテーションである。
マイキー氏はここから、ニーズだけを追う設計の構造的欠陥を説明した。「大抵の事業相談はニーズの話しかしないんですよ、すべて。ニーズの話はバカでもアホでもできるんですよ。こういう人が困っているから、こういうものを解決する。これはビジネスの根本の本質です。じゃあ完結しちゃったら、あなたのサービスを受ける意味ありますか、なんです」。
問題は、ニーズを埋めることで一時的に金は上がるが、顧客の側が「あなたのサービスの限界値」を勝手に決めてしまう点にある。マイキー氏の比喩がこれである。
「相手のお客さんが皆さんのサービスに対して限界値を勝手に決めている状態なんです。○○屋さん、パン屋さんと言っていたら、パンしか作らないだろうと思っていて、米を作るのは下手だろうと思い込んでいるわけなんですよ。でもそのお客さんは、パンも食べたい日もあれば米を食いたい日もあるわけなんですよ」
ここでマイキー氏はインサイトの実務的な効用を明示した。インサイトは感情と価値観の部分であり、会社自体の考え方や感情は売上が下がっても変化する。変化してくれるということは、そこに対して一生関わり続ける能力があるかどうかであり、それはインサイトに触るかどうかである。「ニーズを埋めて、ニーズが埋まっちゃったらおしまいでしょ、という話になってくるんですよ。ニーズで上田さん自体がやっているサービスよりもいいサービスが出てきたら、お客さんは切り替えちゃいます」。逆に、インサイトに触れている側と触れていない側があれば、顧客はインサイトに触れてくれるほうと契約し続ける。
マイキー氏は同じ構造を別の例で二回繰り返した。家事を効率化したいというサービス。短期的には成立する。しかしニーズの裏に何があるか。早く家事を終わらせて家族と一緒に過ごす時間が欲しい、という動機がある。そこまでサービスを提供できたら、依存性も生まれる。もう一つはブランド品である。品質がいいから購入している人がいる。しかしインサイトの部分が「自分のステータスを周囲に示したい」であった場合、それを示せるようなサービスや特権を与えれば、その人はブランドを使い続ける。
家電の例も同じである。時間が短縮できる、充電が早い、パンがすぐ焼ける。これはニーズである。しかしインサイトの部分は「それを短縮することで自分の時間を大切にしたい」である。家電製品に自分の時間を大切にするような付加価値を与えれば、そのサービスへの依存性が上がる。「気づいていないだけで、これをそのサービスの中にどう展開するかを考えなければいけない。だからこそ重要なことは、そこに気づかせてあげる、またこちらが気づいてあげる、言語化できていない部分。これが質問力になってくるんですよ」。
マイキー氏は「日清のカップヌードルのリフィルというものがある」と切り出し、参加者に問うた。カップヌードルの消費者のニーズは何か。「早く食事をしたい」である。では時代背景によってインサイトが変わったとき、つまり環境意識が高くなった場合、カップヌードルに何を加えればその人たちは買い続けるか。参加者が「カップの再利用」と答え、マイキー氏は「その通り」と応じた。
日清食品は「楽しく食べて、エコスタイル」をコンセプトに、「カップヌードル リフィル(詰め替え用)」および「カップヌードル シーフードヌードル リフィル(詰め替え用)」を2015年3月26日から関東地方1都9県のコンビニエンスストア・百貨店・バラエティストアおよび通信販売で発売した。専用マグカップも同年3月23日に3品が発売されている。コンパクトで省資源のリフィルを、洗って何度も使えるカップで食べることで、食事ごとに出るゴミの量を削減できるという設計である。その後、量販店にも販売が拡大され、チリトマトヌードルなどの品目も追加された。
したがって「環境意識の高まりというインサイトの変化に、カップの再利用で応えた」という講義中の読み解きは、メーカー自身が掲げたコンセプトと一致している。
マイキー氏はカリフォルニアの牛乳協会が展開した「Got Milk?」を挙げた。牛乳のニーズは「牛乳を飲みたい」「朝飲みたい」である。ではインサイトはどこを突いたか。「牛乳がないと困る瞬間は何なのかを突いたんですよ。だからシリアルと組んで、めちゃくちゃ売ったんすよ」。シリアルメーカーがあっても牛乳がなければ食べられない。特にアメリカでは朝食にシリアルばかり食べる。コーンフレークやチョコクリスピーは牛乳があってこそ食べられる。だから牛乳がないと困る時間帯を見出し、そこと一緒にキャンペーンを組むことで売れた、という説明である。
「Got Milk?」は1993年、広告代理店Goodby Silverstein & Partnersがカリフォルニア牛乳加工業者協会(California Milk Processor Board, CMPB)のために制作したキャンペーンである。同年6月にジェフ・マニングがCMPBのエグゼクティブ・ディレクターとして雇われ、カリフォルニア州で低迷していた牛乳消費の回復を目指した。
代理店が採用したのは「欠乏戦略(deprivation strategy)」と呼ばれる手法で、牛乳と一緒に食べる食品を映しながら牛乳だけがない状態を見せるというものである。また消費戦略として、CMを流す時間帯に合う食品を合わせた(シリアルのCMは朝または深夜など)。牛乳の飲用の大半が家庭で行われていたためである。最初のスポットは1993年10月29日に放映され、デビュー作「Aaron Burr」ではピーナッツバターサンドを食べながらラジオのクイズ番組を聞く男性が登場する。クッキーやシリアルを前にして牛乳がない状況を描くこの「欠乏」の手法が、多くの視聴者に共感を生んだ。
「牛乳がないと困る瞬間を突いた」「シリアルと組んだ」という講義中の説明は、キャンペーンの実際の戦略と一致している。なおマイキー氏はキャンペーン名を「ガッドミルク」「ガッタミルク」と発音しているが、正しくは Got Milk? である。
スバルの消費者のニーズは「移動したい」である。しかしスバルが購入者に対して質問調査を行った結果、最も欲しかったのは「家族を守りたい」という心理的欲求だった。だからスバルは衝突安全性能を徹底的に重視して車を作り、大きく売れた、というのがマイキー氏の説明である。
スバル・オブ・アメリカと代理店Carmichael Lynchは2007年から2008年初頭にかけて、GfK、J.D. Power、Strategic Vision、Iceologyなどのシンジケート調査と自社の定量・定性調査を組み合わせた1年がかりの分析を行った。そこで判明したのは、非オーナーが同ブランドを検討しない最大の障壁が「感情的な関連性の欠如」であること、一方でスバルのオーナーは「安全」「どこへでも連れて行ってくれる」「頑丈」という明確なブランドイメージを持っていたことである。
この結果を受けて、スバルは2007年に「Love」キャンペーンを開始し、「Love. It's What Makes a Subaru a Subaru.」というタグラインに至った。その後、売上とシェアは3倍以上に伸びている。安全性の訴求において、スバルは次点の競合を20ポイント以上引き離し、歴史的に「安全の王者」であったボルボをも上回ったと報告されている。
「購入者調査を行った結果、家族を守りたいという心理的欲求があった」という発言の骨格は、実際の調査経緯と整合する。ただし正確には、調査で見出されたキーワードは「愛(love)」であり、安全性はそれを構成する要素の一つとして位置づけられた。またスバルの安全技術(アイサイト等)の強化はこのキャンペーンと並行して進んだものであり、「調査結果を受けて衝突安全性能を徹底的に重視して車を作った」という因果の順序については、講義の説明が単純化されている可能性がある。要確認
マイキー氏は失敗事例に移った。1980年代、コカ・コーラの競合はペプシである。ペプシのほうがコーラより甘い。ここでマイキー氏は参加者に「アメリカに住んでいて、コーラとペプシのどちらが甘いか」と問い、答えられなかった参加者に「もうアメリカに住んでいません」と冗談を飛ばしている。ペプシが急伸したとき、コカ・コーラはそれに対抗してもっと甘い「ニューコーク」を出した。結果は売れなかった。「なぜかというと、消費者がコカ・コーラに対して求めたのは甘いものではなくて、愛着だったんですよ。安定性を求めたんですよ」。売上が急落し、3か月間で元に戻してまた回復した、というのがマイキー氏の説明である。「こういうようにインサイト自体を間違えたりすると、一気に下がることもあるわけです」。
ニューコークは1985年4月23日に発売され、同年7月11日にコカ・コーラ・クラシックが復活した。発売から撤回までは79日である。マイキー氏の「3か月間で元に戻して」という表現は、79日=約2.6か月なのでおおむね正確である。ペプシのほうが甘いという点、そしてペプシ・チャレンジによる競争圧力が背景にあった点も事実に沿っている。
ただし「売上高がバコンと落ちた」という部分には食い違いがある。ニューコーク自体の売上は壊滅的ではなかったというのが現在の一般的な評価であり、コカ・コーラ社が撤回に踏み切った主因は、売上数値そのものよりも消費者の激しい感情的反発だったとされる。旧処方の撤去に対する世論の怒りと「精彩を欠く売上」の両方が挙げられているが、決定的だったのは前者である。さらに皮肉なことに、この騒動はブランドを再活性化させ、クラシック復活後の売上は騒動前を上回る水準まで伸びた。
この食い違いは、マイキー氏の主張そのものはむしろ強化する。消費者が守ろうとしたのは味ではなく愛着であり、その反応は売上の下落という形ではなく感情の噴出という形で現れた。インサイトの読み違えは、数字より先に感情に出るということである。
これは質疑応答の中で出た例である。マイキー氏は「インサイトの読み違いみたいなところもあるんですよ。Googleグラスが一番いい例だと思います」と切り出した。プライバシーの問題などをかなり甘く見てやってしまった結果、Googleグラスは叩かれた。「ああいう大きい企業でも、そういうところをミスったりするわけなんですよ。何が正しいかは出してみなきゃ分からないよね、となるので、だからこそトライアル&エラーをどんどんやっていかなければいけない」。
マイキー氏は誤りの所在を明確にした。「インサイトの部分自体が、便利だよねというところだったんですけど、Google自体はもっと新しい技術にどんどん触れていって、生活を便利にしたいというところに突っ込んでいったんですよ。でも結果としてそこじゃなくて、そこ自体がそもそも間違っていたというのをGoogle自体が認めているんですよね」。参加者が「一部合っていたかもしれないけれど、捉え方や尺度、深掘りの仕方が間違っていた」と要約すると、マイキー氏は同意した上でさらに具体的に挙げた。プライバシーの懸念、日常生活に生まれる違和感、そして「結局ダサい」。目立つデザインだった。「ダサく見られたくない」という部分をしっかり考慮していなかった、という指摘である。
対比としてマイキー氏はAppleを挙げた。「Appleはインサイトを詰めるプロなので、その辺がやっぱりポイントみたいなところとデザイン性みたいなのが、まさにそういうところをカバーしているものだと思うんですよね。一つ安心感、音楽は聞きたいがiPodだと思うんですけど、あのぐるぐるっとやるやつが落ち着くから癖になっちゃう、みたいな。カーソルを鳴らす音にまでスティーブ・ジョブズはこだわったと言われているので、こういうところがAppleのデザイン性のすごさなんじゃないか」。
Googleグラスは2013年にExplorer Editionとして限定発売され、2015年に消費者向け製品としては市場から撤収した。2017年にはGlass Enterprise Editionとして業務用途で再開されている。
失敗要因として繰り返し挙げられるのはプライバシーである。公開時点で少なくとも72%のアメリカ人がプライバシーへの懸念を示しており、カメラで撮影されているかどうかを周囲が判別できないことが懸念を増幅させた。2013年3月、ジャーナリストのAdrian ChenがGawkerに書いた記事をきっかけに「Glasshole」という言葉が生まれ、RedditやFacebookを経て主流メディアにまで拡散した。カジノ、病院、スタジアム、映画館、大学の教室、レストランで着用が禁止された。顔にカメラを付けるというフォームファクター自体が、周囲全員のプライバシーへの侵害と受け取られ、ほぼ全面的に拒絶された。
講義中の指摘(プライバシー懸念、日常生活の違和感、目立つデザイン)は、いずれも実際に報告されている要因と一致している。
マイキー氏はまとめに入った。ニーズは表面的な欲求であり、インサイトは潜在的な心理の部分である。それを探るために必要になってくるのが洞察力と質問力である。そしてこれをプレゼンテーションの中に入れていく段になると、一つハードルが上がる。
1対1あるいは少人数。対話的コミュニケーションがある。質問しながらどんどん深掘りしていけばよい。相手のインサイトを探る余地がある。
その場で聞いて、掘れる
1対多数。相手との対話ができない状態である。だからどういう言葉を使えば気づかせてあげられるか、その人が「はっ」と思うか、「なるほど、そうかもしれない」となるかを、事前に設計しなければならない。
聞けないから、言葉で当てる
ここで必要になるのがパワーワードやキャッチフレーズである、とマイキー氏は述べた。「大抵の人たちのプレゼンテーションは、ただニーズを喋っているだけです。ニーズを喋れても『ああ、そうですか』となっちゃうんです」。
そして最も強いプレゼンテーションの定義が示される。「相手が質問する前に相手の問題を解決したいプレゼンテーションが一番強いんですよ。それはインサイトを理解しているからこそ、相手の質問を受けなくてもある程度解決できちゃうという。そこまで人のことを見てビジネスをしていますかという話なんです。お客さんと向き合っていますでしょうか」。
「これで一番困るのは、『私の商品にインサイトを調べ方が分かりません』と言われたときに、あなたの商品はあなたが一番理解しているわけで、なんでインサイトを僕に聞いてくるか分からないですよ、そもそも。で、相手のインサイトを分かっていないというのはどういうことかというと、お客さんと向き合っていないと一緒なんですよね」。マイキー氏は続けて「皆さんおそらくインサイトを探る能力はないです。なぜないのか。本当にインサイトが見分けられているのであれば、僕と前田さんは困らないからです」と、参加者自身を対象にした指摘まで行っている。
ここからがこの回の固有の論点である。参加者から質問が出た。「インサイトって、もちろん相手の潜在的なものを引き出すというのもそうだと思うんですけど、逆にこっちから与えて作り出すというやり方もできるのかなと思って」。
マイキー氏の答えは即答だった。「あ、そう。テクニシャンは作り出してあげるんですよ。なんですけど、めちゃくちゃ難しいんで、バチクソむずいので、今はその話はあえてしなかったです」。そして自己開示が続く。「僕は基本的に作り出すタイプなんですよ。僕は基本的にプレゼンの中で仮想インサイトを作り出すのがうまいので、何でも売れるんですよ」。
前田氏がこれを受けて、具体的な事例を出した。2年ほど前、AIのハイプサイクルについて幻滅期に入るという話をしていた。しかしなぜ幻滅期に入らなかったのか。「要は、今までがニーズだったりというところで収まっていたものが、幻滅期に入る前にそのままインサイトにすり替えることができたから」というのが前田氏の分析である。そして踏み込んだ。「これは実際にそれがあったわけじゃなくて、そういうふうに思い込ませて環境を作り出したから、という、その洗脳を作り出したということに他ならないかなという言い方もできるかなと思いますね。実際の話はインサイト前ですよね」。
マイキー氏はこれを肯定した上で条件を付けた。「ただ、あの仮想インサイトを作る、妄想インサイトを作らせたというのが、各企業を結託してやった話なんで」。つまり単独企業の仕業ではなく、業界全体で同じ物語を出し続けたということである。マイキー氏は続けて、「そこが分かっていない日本の企業は、なんかAIがどうのこうのと言っている企業がすごく多いなと思う」と述べ、企業だけでなくサービス全般のプレゼンテーションも大体そうであり、「インサイトの部分にマジで触れないんで、スタートアップワールドカップでも触れていないので、こいつは何なんだろうと思って見ていました」と評した。
インサイトは通常「顧客の中にすでにあるが、言語化されていないもの」として定義される。しかしこのセッションでは、それが外から供給されうるものとして扱われている。ハイプサイクルの幻滅期という「本来訪れるはずの調整局面」を、業界が結託して作った物語によって回避したという読み方である。これは、市場に働きかける側が持つ操作可能性の議論であり、通常のインサイト論よりも一段踏み込んでいる。同時に、その物語がどこかで実体に追いつかれるのかどうかは、この回では答えが出ていない。
参加者から、この回の前半で扱われた「ポテンシャル」との関係についての質問が出た。「順番で言ったら、インサイトを自分でどこまで明確にできるかだと思うんですけど、ポテンシャルって本来あるべきエネルギーみたいなものがあって、それが条件が揃ったらそこからエネルギーが出てきて、需要になるみたいなイメージですかね」。マイキー氏は「そうですね。その表現でも遠からずという感じで合っていると思います。その認識ぐらいでいいと思います」と応じた。
参加者は続けて、マイキー氏の講義が「統一と統一ということが、もう完全に受けている僕らがみんなインストールされている」ため、ずっと学び続けようと思える、最初はみんな金儲けなどで入ってくるが、途中でそうじゃないなということに教育されるし、それに気づく、うまく作られていると述べた。
マイキー氏はこれを、自分自身のインサイトの話として引き取った。「僕のインサイトの部分は、渡辺さんと上野さんがすごく意識してくださっていて、マイキーのインサイトは100%の知識を出したい。でもどうやって出させるのかを考えて行動していた。これはインサイトに触れているんですよ」。前田氏も含めて、どうやってマイキー氏の意見を引き出そうか、100%に近づけようかというところで動いている。だから相手のインサイトが分かっているから行動が変わる。
「これが僕がもう120%出している状態だったら、多分このインサイト自体、ここに気づいたらもうニーズは満たしちゃっているので、結果として多分おそらく渡辺さんとか上野さんとか前田さんは、このコミュニティを去ると思うんですよ」。参加者から「やばい。完成しないプロダクトはすごい」という反応が出た。マイキー氏は「そういうふうにちゃんと意識しているから、質問とか説明のレベルがむちゃくちゃ高くなっていくのは当たり前の話なんです」と応じている。ニーズを満たし切ることが関係の終わりであるという、PART 3で述べた原理が、この勉強会そのものに適用されている。
マイキー氏はここで、質問の質そのものをインサイトの言葉で説明した。「おそらくこういうことも喋れるんだろうなというインサイトを分かっているからこそ、質問の精度が高くなるから、僕も余計なことをペラペラ喋って、どんどん100に近づけようとしちゃう状態になる。でも大抵の人の質問はそこじゃないですよ。自分のニーズをどう埋めるかしか考えていないです」。参加者が「確かに広がりが全然違う」と受けると、マイキー氏は「広がる量が違うに決まっている」と応じた。
そしてアフターズームの廃止判断がここに接続する。アフタートークも自分のニーズを埋めるだけの話、あるいは相手のニーズを埋めようとする作業だけである。だから前田氏はインサイトの部分を切りに行く。「で、この切りに行った結果、前田さんは何て言われるかというと『怖い』って言われるんです。意味が分からないですよ」。前田氏がインサイトにタッチしに行こうとしているのに、相手はニーズしか求めておらず、そもそもインサイトに触れようという気になっていない。だから話が噛み合わないのは当たり前である、という説明である。
参加者が「これはマズローで言ったらレイヤーが違うという話ですかね」と問うと、マイキー氏は「配慮の話だと思うんですよ、他人に対しての」と返した。あえて難しい質問をするのは、そのインサイトを切り抜くためにやっている場合もある。それを「質問が難しい」「話が難しい」と言われたら、そもそもインサイトに触れる気がないじゃんとなってしまう。「だからそれを全部無視して僕らだけでバーッと喋ると盛り上がるのは当たり前の話なんです。触っちゃいけないところをお互いに触りまくっているからなんです。表面に出ていないところを触りまくっているから、それは話が盛り上がるに決まっている」。参加者の一人がこれを「ポテンシャルからポテンシャルへのパスです」と言い換えた。
「マイキーさんの場合、仮説の量をめちゃくちゃ立てていくということなんですかね」という問いに対して、マイキー氏はこう答えた。「僕は人の家に土足で入り込むのを平気でできる人間なので、だから普通にインサイトに触れられます。そこに礼儀とかいらないんで」。さらに「他人に気を使うという人がいるんですけど、他人に気を使っていなくて、自分が一番可愛いから他人に気を使うんですよ。自分が傷つかないように、アホだと思われないように」と続けた。そして海外経験のある人が強い理由として、元々「何を言っているか分からないやつ」が周囲にいるので、どうやったら伝わるかを考えざるを得ないことを挙げている。子供の頃は自分の言っていることが親や先生に通じないから、どう伝わるかを考える。しかし「自分の日本語は完璧である」という前提になると、その考え方が消える、と。