この回の講義は、経済思想史の連続講義のなかで「重商主義」を扱った回である。ただし、この回の価値は重商主義の教科書的な整理そのものにはない。整理は前半三十分でほぼ終わり、残りの時間は、講師が提示した枠組みに対して参加者が次々と別の角度から異議を差し込んでいく展開になった。結果として、この回は「重商主義とは何か」を学ぶ回ではなく、「重商主義と呼ばれてきたものは、本当に重商主義だったのか」「いま我々が重商主義の再来と呼んでいるものは、本当に同じものなのか」という二重の問い直しの回になっている。
講師の整理はきわめてオーソドックスなものだった。覇権戦争で国家が疲弊し、絶対王政が王権の強化を必要とし、そのための経済的裏付けとして貿易が選ばれる。貿易はゼロサムゲームだと理解されたので、金銀の獲得が国富の指標になり(重金主義)、輸出は増やし輸入は減らす保護貿易主義が採られ、その延長線上で植民地政策が「合理的」なものとして正当化される。奪ったものが勝つ、という世界観である。そしてこの体制は自壊する。正貨が流入すれば通貨が高くなり、通貨が高くなれば輸出が減り、輸出が減れば国内産業は育たない。富は増えず、分配だけが上層に偏り、不満が溜まる。だから次にアダム・スミス的な批判が出てくる――という筋書きだ。
ここに三方向から異論が入った。第一に渡辺氏は、この体制がゼロサム認識そのものを加熱させ、安価な輸入品へのアクセスを国民から奪い、外貨を稼ぐだけの非効率な産業を過保護にすることで、市場の最適配分と正常な政治判断の双方を壊すと指摘した。そのうえで、現在のトランプ関税を「重商主義の再来」と呼ぶことに留保をつけ、重商主義の仮面を被っているだけで、実際に進行しているのは別のものではないかという問いを立てた。第二に前田氏は、ポルトガル、スペイン、オランダ、フランス、イギリス、アメリカという覇権の交代史を踏まえ、いま起きているのはグローバリゼーションが生んだ格差と移民問題への「巻き戻し」であって、宗教的正当化と植民地政策が組み合わさっていた本来の重商主義とは構造が違う、と述べた。
第三に、そして最も長く展開されたのがマイキー氏の異論である。要旨はこうだ。貿易黒字を目標にするなら、その前提として国内に魅力的な産業を育てなければならない。ところが絶対王政期のフランスは、聖職者と貴族を免税にしたうえで残りの身分に重税を課していた。これは国内産業育成とは真逆の政策であり、この時点で目的と手段が矛盾している。さらに、重商主義体制を維持すること自体が巨額のコストを生む。海上ルートを守る海軍の維持費、徴税を執行する官僚機構の拡大費、貿易規制の運用費、植民地の防衛費とインフラ整備費、貿易独占の維持費。植民地から得られる利益は大きいが、運営コストがそれを上回れば予算は減る。金銀を集めているつもりで、集めた以上を体制維持に吐き出していた。だからフランスは何度もデフォルトし、通貨の信用は落ち、信用が落ちるからさらに金を集めねばならないという自転車操業に陥った――という診断である。
この回を貫いているのは「名前が同じでも中身は同じとは限らない」という一貫した警戒である。教科書上の重商主義(貿易黒字と正貨蓄積を目的とする体系)と、絶対王政フランスで実際に走っていた政策(免税特権を温存したまま第三身分から搾り、軍事と植民地維持にそれを注ぎ込む財政)は、目的も手段も一致していない。同じ警戒が現代にも向けられる。関税と国内産業保護という見た目が重商主義に似ているからといって、その下で進行している力学まで同じとは限らない。講師が繰り返し述べた「これはあくまで一側面であり、必ずしも正しい言い方とは言わない」という留保は、謙遜ではなく、この回の方法論そのものだった。
講師はまず、重商主義という言葉が生まれた背景から入った。十六世紀から十七世紀にかけて、ヨーロッパでは覇権戦争が繰り返され、国家が疲弊する状況が続いていた。その背景にあったのが絶対王政であり、もうひとつが資本主義の萌芽である。国家の予算と資本をどう使うかが、この時期に初めて中心的なテーマになった。
絶対王政の側から見れば、王権を強めることが至上命題であり、そのためには経済的なバックグラウンドが必要になる。では何によって経済的裏付けを作るのか。ここで出てくるのが貿易である。講師は、この時代の思考のポイントとして二つを挙げた。ひとつは国ごとに権力が一極集中していること。もうひとつは、国家財政を強化する基盤として貿易が強い意義を持つとされたことである。
そして決定的なのが、貿易がどう理解されていたかだ。この時代の貿易観は、勝ち負けのあるゲーム――ゲーム理論でいうゼロサムゲーム――である。誰かが得れば誰かが失う。だとすれば貿易とは、国家間で富を奪い合う行為にほかならない。この前提が置かれた瞬間に、以降の政策は論理的に導かれてしまう。
重要な点として、重商主義(mercantilism / système mercantile)という語は、この体制を実践した当事者たちが自称した名前ではない。この語を広めたのは、ミラボーやアダム・スミスといった批判者の側であり、その後に歴史家が採用して定着した。アダム・スミスは『国富論』(初版1776年)において、輸入制限と輸出奨励という一群の政策を「商業の体系(mercantile system)」と名づけて批判した。
体系の主要な理論的形成者とされるのは、イギリスの東インド会社重役トマス・マン(Thomas Mun, 1571–1641)である。彼の死後に刊行された『外国貿易によるイングランドの財宝』(England's Treasure by Forraign Trade, 1664年)が、貿易差額説の古典として扱われる。政策実践者としては、フランスのジャン=バティスト・コルベール(コルベール主義の語源)、イギリスのトマス・グレシャムやオリヴァー・クロムウェルが名を挙げられる。
この事実は、この回の議論にとって無視できない意味を持つ。「重商主義」は後から批判者が付けたラベルであり、当時の政策が首尾一貫した単一の体系だったとは限らない。後述するマイキー氏の「なんちゃって重商主義」という違和感は、思想史研究の側から見ても筋の通った問いである。
「貿易はゼロサムである」という前提を一つ置くと、そこから先はすべて機械的に導かれる。奪い合いなのだから勝たねばならない。勝つとは金銀が入ってくることである。ゆえに輸出を増やし輸入を減らす。輸入を減らすには国内産業を保護する。原料を安く得るには植民地が要る。植民地から取った原料を本国で加工して植民地に売り戻せばさらに稼げる。前提が一つ間違っていると、そこから先の論理がどれだけ整合的でも、体系全体が間違った方向に固まる。この回で繰り返し確認されたのは、この構造そのものである。
国家の富は何によって生み出されるか。この問いに対する当時の答えは、金や銀、とりわけ金を集めることである。これを重金主義と呼ぶ。金を集める手段が貿易であり、貿易で稼ぐには、たくさん売るだけでは足りない。売る以上に買ってしまえば金が出ていくのだから、出ていく側を抑えなければならない。輸出は増やす、輸入は減らす。外から買えないのであれば国内で作る。だから国内産業を保護する。そして育った産業でさらに輸出を伸ばす。
講師はここで、この時代の主体的な考え方を「自国ファースト」という現代語で言い換えた。極力自国の産業を守り、自国にフォーカスする。言ってしまえば、相手はある意味どうでもいい、という考え方につながる。
そしてこの発想が別の行動を裏付ける。植民地政策である。自国に富を集めることが正義であるならば、植民地を増やしたほうが富は増やしやすい。植民地があれば原料はほぼただ同然で取ってこられる。取ってきた原料を本国で加工して付加価値をつけ、植民地に売りつける。この時代の論理のなかでは、これはきわめて合理的な資本の増やし方であり、だからこそ正当化された。講師はこの世界観を一言でまとめた。奪ったものが勝つ。奪い合いなのだから、奪って何が悪い。
| 構成要素 | 内容 | 体系内での役割 |
|---|---|---|
| 重金主義 (bullionism) | 国富の実体は金銀の保有量であるとする考え方 | 「何を最大化するか」を定義する。この目的設定がすべての起点になる |
| 貿易差額説 | 輸出超過によって正貨が流入し、国富が増えるとする考え方 | 目的(金銀)と手段(貿易)を接続する |
| 保護貿易主義 | 輸入を抑制し、国内産業を関税・規制で保護する | 正貨の流出を防ぐ。同時に国内生産の代替を狙う |
| 植民地政策 | 原料供給地かつ本国製品の専属市場として植民地を確保する | 原料コストを下げ、市場を独占する。体系の外部拡張装置 |
| ゼロサム認識 | 世界の富の総量は一定であり、貿易は奪い合いであるとする前提 | 上記すべての倫理的正当化を担う。「奪って何が悪い」の根拠 |
講師が植民地政策を説明する際に選んだ語は「合理的」と「正当化されてくる」だった。この二語は分けて考える必要がある。植民地からの収奪は、重金主義という目的設定を所与とすれば手段として合理的である。しかしそれが正当であることは、合理性からは出てこない。にもかかわらず当時それが正当とされたのは、別の正当化装置が働いていたからだ。講師はこの点について「宗教的な側面もちゃんと関わってくる」と述べ、その議論を渡辺氏に振った。この回の後半はまるごとその主題に費やされ、本レポートとは別のレポートで扱っている。
講師は次に、この体制が続かない理由を説明した。政策の実行によって、自国の貨幣の量は一旦は増えたように見える。ところが貨幣の量が増えると通貨が高くなる。通貨が高くなれば自国で売るものが相対的に高くなり、輸出量が下がる。輸出が下がれば国内産業も衰退しやすくなる。
講師はこれを「成果配分の自動調節」と呼んだが、経済学史上の標準的な名称は別にある(後述のClaude補足を参照)。いずれにせよ、含意は明確だ。経済が強くなった国は通貨が高くなるので、輸出はしにくくなり、むしろ輸入をするほうがその国にとって合理的になる。最初に「富を奪えばいい」と考えていたことが、そのまま自分の足を引っ張る。
もうひとつの問題は産業である。権力者のもとに富は集中したものの、産業は実際にはほとんど育たなかった。なぜなら、富の奪い合いに意識が向いていれば、自国での生産にはそこまで意識が向かないからだ。権力は集中し、産業は衰退する。この状態で何が起きるか。不満である。社会全体の富が増えているわけではなく、分配が変わっただけ。上層に金が留まり、下層に流れなくなった。それだけの構造しか作らなかったのではないか、というのが講師の総括だった。
講義中の「成果配分の自動調節」という表現について。経済学史上、正貨の流入が物価を通じて貿易差額を自動的に打ち消すメカニズムは、一般に「正貨(価格)自動調節メカニズム」(price-specie-flow mechanism)と呼ばれる。定式化したのはデイヴィッド・ヒューム(1711–1776)で、1752年刊行の『政治論集』(Political Discourses)に収められた論考「貿易差額について」(Of the Balance of Trade)がその出典である。ヒュームの経済学上の貢献はほぼこの一冊に集約されている。
論理はこうだ。正貨が流入すると、貨幣数量説の経路を通じて国内物価が上昇する。国内物価が上がれば交易条件が相手国に有利な方向へ動き、外国側の自国製品への需要が減る。結果として貿易差額は反転し、正貨は逆に流出しはじめる。したがって「貿易黒字を操作して金を貯め続ける」という重商主義の政策提案は、原理的に成立しない。これが重商主義に対する最も鋭い理論的反証の一つとされ、古典派経済学への道を開いた。
なお、講師が用いた「成果配分の自動調節」という語は標準的な学術用語ではない。内容は正貨自動調節メカニズムと一致しているので、用語だけ差し替えて理解すればよい。ヒュームの没年が1776年、つまり『国富論』刊行と同じ年である点も、この講義シリーズの流れを追う上では覚えておく価値がある。(出典:Wikipedia「デイヴィッド・ヒューム」、コトバンク、cruel.org 経済思想史プロファイル)
講師がこの回で重商主義を取り上げた理由は、ここにある。歴史を見ることに何の意味があるのかと問われれば、比較的に似たものが繰り返し出てくるからであり、似たものが出てくるということは、次の流れを把握するためのツールになるからだ。講師は各国が現在とっている政策と重商主義の類似点を指摘し、「そういう視線で見ていただくという方法があるのではないか」と提示した。ただし同時に、「これは一面を切り取った形なので、必ずしも正しい言い方とは言わない」と明確に留保している。
渡辺氏はまず、講師の整理を補強する形で、ゼロサムゲームであると認識されること自体が持つ危険を指摘した。ゼロサムであると理解された瞬間に、そのゲームへの加熱が生まれる。実際、この枠組みはルイ十四世期の戦争を加熱させる手段として機能し、プロイセンを含む列強がこれを学んでいった。しかし国はやればやるほど疲弊する。
疲弊のメカニズムとして渡辺氏が挙げたのは三点である。第一に、安価な輸入製品を手に入れる機会が失われることで、国民の生産能力と、その恩恵を受けていた農民層が疲弊する。第二に、外貨を稼ぐだけの非効率な産業が極端に保護されることで、市場としての最適配分が得られなくなり、基本的な生産性が低下する。豊かさに導かない。第三に、貨幣の量を増やせば国力が上がるという誤った考え方に接続し、産業全体が衰退したうえに金への極端な執着が生まれる。その結果、貴族側・王権側が全体配分をできない状況と、すべてがゼロサムゲームに帰着してしまう社会的風潮を生み、正常な政治判断ができなくなる。
「まさに今のトランプ主義が保護貿易ということで関税をかけることによって国内産業を優遇するという形を取っていますが、実際これは雇用状態ですとか、その市場への流入を阻害しているよねということを、どうやって僕たちがこの教訓から出られるか。これは実際、一般的にはこの法則性を導いているようでいて、実際問題これは重商主義なんだろうかという問題もある意味入っているのかなと思っています。重商主義に見えるけれども実際は重商主義の仮面を被っているだけで、実際に進行しているのは違うよ、というところを僕たちがどれだけ現代の市場から見通せるのかも、すごく大事な問題だと思っています。」
講師はこの問いに正面から同意しつつ、その難しさを認めた。見た目が非常に類似しているだけに、どこが相違しているのかを見るのが難しい。加えて、そう見せないようにしている工夫も一部にはある。なぜなら現代の政策は、単に国内産業を保護するだけでなく、どういう国際的な連携を築くかという層を持っており、中国もアメリカもそれぞれにそれをやっているからだ。講師はここから、後の比較優位論に接続する部分を見つけていくことが今後必要になると述べた。
また渡辺氏は、これを「その通りだ」と断定してしまうと市場が混乱すること、国家間対立への不安が強まりすぎると産業の空洞化を招くことにも触れている。分析としての正しさと、それを公に述べることの副作用が別問題であるという指摘である。
前田氏は、より長い時間軸を持ち込んだ。まず直近の話として、グローバリゼーションが進行し中国が世界の工場になった結果、貧富の格差がさらに広がった。いまはその格差が広がりすぎたところに、国家間対立と移民問題が重なって不満が噴出している。これが現在の状況の直接的な背景である。
そのうえで前田氏は、ローマ帝国までは遡らないにしても、と断りながら覇権の系譜を並べた。まずポルトガルが栄え、次にスペイン、そしてオランダ、フランス、イギリス、その後アメリカ。それぞれが八十年から百年ほど覇権を握って栄えてきた。この流れのなかで、第二次世界大戦を機に植民地というものがまずなくなった。ここには日本のサポートがあり、インドにしてもインドネシアにしても独立ができた。植民地体制はここで一度ご破算になった。
その後、日本がリカバーするなかで、中国をもっとサポートしたいという勢力が中国を世界の生産国として優遇し、技術移転が起こった。そうして中国が栄えてきたなかで、改めて元の構図に戻った――というのが前田氏の見立てである。
「以前の覇権国というのは、いわゆるその宗教を最初に持ってきて、それこそ豊臣秀吉の時代にはカトリックが来て、日本からも奴隷をいっぱい連れていったわけですよね。金銀も持ち出されたというところもあって、そういったところはまさに重商主義だと思うんですけれども、それに覇権と植民地政策が絡んでいるというところだと思うんですね。今はそういった宗教の問題というよりも、どちらかというとその巻き戻しが起こっているなかで、ちょっと違う形での現象が起こっているんじゃないかと自分では感じています。」
覇権が特定の国から国へ移っていくという長期史の枠組みは、国際政治経済学に複数の系譜がある。代表的なのがイタリア出身の歴史社会学者ジョヴァンニ・アリギ(Giovanni Arrighi, 1937–2009)の『長い20世紀――資本、権力、そして現代の系譜』(原著1994年、邦訳は作品社)で提示された「システミック蓄積サイクル」論である。アリギはアメリカのサイクルを、ジェノヴァのサイクル(15〜17世紀)/オランダのサイクル(17〜18世紀)/イギリスのサイクル(19〜20世紀)と並べて比較した。約700年の資本主義史を眺めると、金融への拡大は資本主義の最高段階ではなく、一つのサイクルの最終局面であり、次の世界体制の前兆である――というのがアリギの中心命題である。
前田氏の区切りとの照合。前田氏は「ポルトガル→スペイン→オランダ→フランス→イギリス→アメリカ、それぞれ80年から100年」と述べた。アリギの区切りと突き合わせると、起点が違う。アリギはポルトガル・スペインではなくジェノヴァの金融資本を最初のサイクルに置き、フランスを独立したサイクルとしては数えない。またアリギのサイクルは1つあたり100〜200年で、前田氏の「80〜100年」よりかなり長い。つまり前田氏の系譜は「政治・軍事上の覇権国」を並べたものであり、アリギが並べたのは「資本蓄積の中心地」である。同じ順序に見えて、数えている対象が違う。どちらが正しいという話ではなく、覇権交代論は何を覇権と定義するかで系譜そのものが変わる、と理解するのが正確である。
なお、第二次世界大戦後の植民地独立に日本のサポートがあったという前田氏の見解は、日本の戦時中のアジア政策の評価をめぐる論争的な主題であり、歴史学上の評価は分かれている。本レポートでは発言内容としてそのまま記録し、Claude側からの断定的な評価は行わない。この点は複数の立場の文献にあたって各自で検証されたい。(出典:Wikipedia「ジョヴァンニ・アリギ」、作品社『長い20世紀』紹介ページ、松岡正剛「千夜千冊」1365夜)
講師は前田氏の指摘を受けて、違う現象が起こっていることには自分も同意すると述べたうえで、それでも類似点をどう見るかが重要だと応じた。そして今回この主題を出した理由を、より踏み込んで説明している。講師の理解では、重商主義とは経済と宗教が切り離されないタイミングとして語られるものである。そして現在も、リバタリアニズムやリベラリズムといった語の定義そのものが入れ替わりを起こしており、思想の転換点という面が重なっているのではないか、と。ただしそこを重ねると話が複雑になりすぎるため、今回は整理されている事項だけを取り出したのだ、と講師は述べている。
この回で最も長く、最も具体的に展開されたのがマイキー氏の異論である。出発点は極めてシンプルな整合性チェックだった。
重商主義とは、金や貴金属を蓄えることと、貿易を黒字化させることを同時に目的とする。ということは、国内経済を発展させることが大前提になるはずである。ところが絶対王政期のフランスで実際に行われていたのは何か。聖職者と官僚は税金がゼロ、貴族も免税。負担がかけられていたのは農業に従事する層だけだった。
マイキー氏はここに、古代エジプトとの類比を持ち込んだ。神殿で働けば課税されないというので農民が神殿に流れ込み、税が納められなくなった。同じ構造ではないか、と。当時の軍事費が必要だったことは理解できる。だが、貿易黒字を目的とするなら国内産業を発展させねばならないのに、その担い手に重税をかましている時点で矛盾している。だから「なんちゃって重商主義」みたいなものを重商主義と呼んでいるのではないか――これがマイキー氏の中心命題である。
マイキー氏は「当時フランスの人口が約2500万人いた中で、聖職者が100万人」「貴族だけで50万人」「残りの2350万人を重税にすることによって富を得ていた」と述べた。この数値について公開データを確認したところ、聖職者数に大きな食い違いがある。
革命前夜のフランスの人口は、諸資料で概ね2600万〜2800万人とされる。そのうち第一身分(聖職者)は約12万人、第二身分(貴族)は約35万人と記録されている。つまり聖職者数は発言値の約8分の1であり、桁が一つ違う。貴族数についても発言の50万人に対し公開データは約35万人である。
重要なのは、この訂正がマイキー氏の論旨を弱めるどころか、むしろ強めるという点である。免税特権を持つ層が人口の1.7%程度しかいないのに、国土の三割から四割を保有し、税制上の優遇を受けていた。人口の9割以上が第三身分であり、8割ほどが農民だった。特権層の人数が少ないほど、「ごく少数の免税階級を温存したまま圧倒的多数から搾る」という構図の異常性は際立つ。ただし数値そのものは講義中の発言のまま流通させるべきではないので、ここに明記しておく。
第二の論点は、コスト構造である。マイキー氏は、重商主義体制を維持すること自体が三つの領域で巨額のコストを生むと整理した。
| コスト領域 | 内訳と発生理由 |
|---|---|
| ①軍事コスト | 植民地獲得競争そのものの戦費(フランスとイギリスは七年戦争を戦った)。加えて、貿易黒字を維持するには海上ルートを保護せねばならず、フランスの海軍維持費は他国と比べて相対的に重かった。監視体制を高く保つ必要があるほど、必要なリソースと資金が流出する |
| ②徴税・規制コスト | 国民から、また植民地から金属を吸い上げるには徴税請負人が要る。人が貧しくなるほど徴収は困難になり、コストは上がる。税収を管理する官僚機構の拡大にも、貿易規制の運用にも金がかかる |
| ③植民地維持コスト | 植民地はいつどこで襲われるか分からないため防衛費が嵩む。生産性を上げて経済的利益を得るには現地インフラの開発が必要で、ここに莫大な資金がかかる。さらに現地住民の統治と貿易独占の維持。得られる利益は大きいが、運営コストがそれを上回れば予算は減る |
マイキー氏の表現を借りれば、これは「火の車状態」である。金や金融機関の側から見れば、国家の信用がないため通貨の価値が落ちていく。通貨の価値が落ちるからこそ、さらに金を集める必要が生じる。自転車操業に近い状態が、フランス革命の前に起きていた。
マイキー氏は「今まであの時代に何回デフォルトしましたかという状態なわけなんですよ」と反語で述べ、回数は挙げなかった。公開データで確認できる。カーメン・ラインハート、ケネス・ロゴフ、ミゲル・サバスターノの2003年の研究によれば、フランスは1500年から1800年のあいだに8回、対外債務のデフォルトを起こしている。比較対象として、スペインは1500年から1900年のあいだに13回である。この数字は主権債務研究で繰り返し引用され、米連邦準備制度理事会の研究論文などにも収録されている。
この数字はマイキー氏の診断を裏づける方向に働く。金銀を最も熱心に集めていた二国が、近世ヨーロッパで最も頻繁に破産している。正貨の蓄積量と国家財政の健全性は連動していなかった、ということである。なお1721年のフランス国債再編(ジョン・ロー体制崩壊後の「ヴィジャ」と呼ばれる債務整理)はシカゴ連銀の研究論文が詳細に分析しており、体制維持コストが正貨収入を食い潰す構造を実証的に追える数少ない事例になっている。(出典:Reinhart, Rogoff & Savastano 2003/Federal Reserve "Sovereign Debt Crises"/Federal Reserve Bank of Chicago, Velde 2016)
マイキー氏は次に、これだけ金を貯めてきたのなら、本来は税をゼロにして国民に配ればよかったはずだ、と指摘する。ところが実際に「これはフェアじゃない」と言って動いたのがルイ十六世で、彼は農民ではなく貴族と教会からも税を取ろうとした。当然、教会と貴族が激怒する。そして結果として、ルイ十六世は処刑された。
ここでマイキー氏は現代日本への接続を行っている。税収率が高くなって毎回上振れするなら、その金を国民にばらまいて経済活動に使えばいいのに、自分たちの通貨の価値が落ちていて、それ以上にコストがかかっている状態だから、さらに徴収しなければならないという発想になる。「これがまさに日本なんですよ、やっていることは」という指摘である。
マイキー氏は「ルイ十六世が死んだ後にスイスの銀行家をフランスに入れた」「スイスの銀行家であるネッケルという人が国会の歳入歳出を国民に初めて発表した」と述べたが、時系列が逆である。
公開データによれば、ジャック・ネッケルはジュネーヴ出身の銀行家で、ルイ十六世の財務総監(財務長官)を務めた。彼が『国王への会計報告』(Compte rendu au Roi)を公刊したのは1781年2月19日であり、数週間で10万部が売れる大反響となった。ルイ十六世の処刑は1793年1月であるから、財政公開は国王の死後ではなく、その12年前、在位中の出来事である。
この報告書が例外的だったのは、単に収支を公開しただけでなく、国家が特定の貴族や国王の寵臣に支払っていた年金の受給者名と金額まで列挙した点にある。これが貴族層の激しい反発を招き、ネッケルは辞任を要求され、他の閣僚に見放されて1781年5月19日に辞表を提出した。なお同報告書は経常収入が支出を1000万リーヴル以上上回っていると記載していたが、この数字自体が後に激しい論争の的になっている。
マイキー氏の論旨――「財政の実態が国民に開示されたことで、これだけ搾り取っておいて財政が不安定だったのかという怒りが一気に噴出し、国家に対しても教会・貴族に対しても信頼が壊れた」――という因果の筋自体は、この事実関係と整合する。ただし出来事の順序が違うので、レポート上は訂正して記録する。
マイキー氏の総括はこうだ。いくら金属を持とうが、結局その経済を潤していたのは誰かといえば、ほぼ農民や貴族になれない人たちで賄っていた。だが現代の市場経済は逆である。大抵の国は一パーセントの優秀な層と九十九パーセントで成り立っており、優秀な層が稼げばその分だけ国民が潤うという構造をアメリカも韓国も中東も中国も採っている。絶対王政期のフランスは、今の市場経済とまったく逆の構造だった、というのが最終的な診断である。そして「ダメな人が頑張るより優秀な人が頑張ったほうが合理的だし生産性も高い」という言い方で、権力を持ちすぎた結果こうなってしまったのではないか、と締めくくった。
これに対し渡辺氏は、「市場における需要と供給の自動調整を組織化しようとして失敗した」「その組織化そのものを規制してしまったところが大きい問題だ」と整理し直し、講師は「重商主義というより重金主義と言ったほうが正しいような気がする」と応じた。マイキー氏もこれに同意している。この回で提示された最も簡潔な結論は、この一往復に凝縮されている。
マイキー氏の議論を受けて、渡辺氏がきわめて重要な構造的補足を入れた。貴族と僧侶の権力を「地方主義」として捉えると分かりやすい、というのである。
それまで、貿易は地方単位で行われていた。地方の領主である貴族と、僧侶階級が、それぞれ独自ルールで貿易に関わっていた。独自ルールでやっているからこそ、富の蓄積に統一的な方向を示すことができなかった。これを国家が管掌するようになった――ここで法規制が一般化し、一律の規制が敷かれるようになった。地方差が生まれることに対して、実際の荘園の領主である貴族と僧侶階級が問題視した。これが対立の一つの根である。
もう一つが土地である。この段階では市場そのものがまだ成熟しておらず、土地の売買は行われていなかった。貴族が最終的に最もこだわったのが、この土地を自由化するかという点であり、そこにフランス革命をかけて争うことになる。土地まで自由化するのか、土地に対する領有権をどこまで維持するのか。領有された土地の一般市民はどういう税の扱いを受けるのか。土地の所有について貴族は最後まで粘った。これに対し、議会が貴族・僧侶階級・第三身分に対する約束を何度も壊すことによって、信頼が失われていった。
渡辺氏の指摘は、重商主義を「国家が採用した経済政策」としてではなく、「国家が地方から経済主権を回収した事件」として捉え直すものである。この視点に立つと、マイキー氏が指摘した徴税・規制コストの爆発は偶発的な失敗ではなく、地方分散していた仕組みを中央に一元化した以上、必然的に発生する統治コストだったことになる。同時に、それが誰の既得権を奪ったのかも明確になる。重商主義に反対した勢力は、自由貿易論者ではなく、貿易権を奪われた地方領主と聖職者だった。
議論を現代に引き戻したのは、参加者からの次の問いだった。重商主義の時代において金や銀は国家の富と権力の象徴だったが、いま金をどれだけ集めても半導体企業一社は買えない。では当時の金銀は何をしていたのか。国家がコントロールできる外交、つまり軍事力に直結する資産だったのだと考えると、いまそれに代わって奪い合われているものは何か。半導体などの先端技術と、データではないか。だから中国とアメリカが最も先端技術とデータを奪い合っているのではないか。
この問いは、講師が講義冒頭に置いた矛盾と接続する。すなわち、最も貿易赤字が大きい国が、世界で最も富を持っている国であるという現代の矛盾だ。参加者からは、金の兌換関係がなくなったからだという説明が紹介された。最強の国は借金漬けの国である、なぜなら自分の通貨で買えるから、通貨は金ではなくただの紙なのだから――という論である。そのうえでその参加者は、トランプ氏の言うことも分かるが、世界最強の地位をやめてしまうのだろうか、という疑問を提示した。
講師はこれに対し、マイキー氏が説明したのは兌換関係が生きていた時代、物理的な金と貨幣が結びついていた時代の話であり、時代ごとの話だと整理した。当時であればそう考えるのは当然であり、経済がまだそこまで理解されていない時期だったと言える。ただし今の状況がそこに回帰してきているのではないか、複雑化しているようでまた単純化していないか、というのが講師の論点である。
参加者から「王政に戻るということはないですかね」という問いが出た。講師の応答は「でも今、非常に近いですよね」「大統領が王様の代わりのものですからね」であり、権限が非常に集中している、あるいは集中させようとする動きになっている、特に中国とアメリカの動きが分かりやすい例だと述べた。人間が考えることは大したことがないのか、同じものを見ているから結果も同じになるのか、という参加者の呟きに対し、講師は「結果的にどうしても感情が優先して動くので、どんどん進んできたと思ったら単純化してくることは起こる」と応じている。
この回の終盤近く、上野氏がまったく別の角度から一本の線を引いた。以前に前田氏が貨幣の歴史を扱った際、貨幣は信用から始まったという話があった。今回の重商主義は、その信用から出発して貨幣ができたあと、貨幣の「数量的に測れる」という側面に偏った結果ではないか、というのである。
数量を追うということは、額面を追うということである。額面に依存すると、流通量がすべてになり、すべてが量的に測られるようになる。そうなると限られた有限資源を常に交換することになるが、熱力学的には交換すれば必ず拡散して減っていくので、疲弊していく。金銀を集めるという方向に依存したこと自体が、衰退の原因だった。そして上野氏は、いま日本人が同じようにお金だけを追っていくなら、同じように衰退するだろう、と結んだ。参加者の一人がこれを「熱力学第二法則ですね」と受けている。
講師はこれを信用創造の議論と接続した。信用する際には共通の認識がなければならない。では共通の認識を生み出すものは何か。ここが最も欠損しがちな部分ではないか、と。我々はすでに貨幣システムを知っていて、それありきで考えているが、本当はそうではない。MMT(現代貨幣理論)は、昔からあったことを今になって振り返って見に行ったものではないか、という発言も出ている。
MMT(Modern Monetary Theory/現代貨幣理論)の系譜。自国通貨を発行する政府の財政制約は税収ではなくインフレであるとする理論体系で、1990年代に投資家ウォーレン・モズラーが提示した議論を、L・ランダル・レイ、ビル・ミッチェル、ステファニー・ケルトンらが理論として発展させた。日本語では『MMT現代貨幣理論入門』(L・ランダル・レイ著、島倉原監訳、東洋経済新報社)が標準的な入門書として流通している。
マイキー氏の「MMTは昔からあったことを今になって振り返って見に行ったものではないか」という直観は、思想史的に正確である。MMTが土台に置く表券主義(chartalism)は、ドイツの経済学者ゲオルク・フリードリヒ・クナップが『貨幣国定学説』(原著1905年、英訳1924年)で提示したものだからである。クナップは、貨幣は素材の市場価値ではなく法による創造物であり、国家が租税・手数料・罰金の支払い手段として特定の通貨を受け取ると定めることが貨幣を貨幣たらしめる、と論じた。「貨幣は信用から始まった」という前田氏の以前の講義と、上野氏の「数量に依存した結果が重商主義」という整理は、この表券主義の系譜にそのまま接続する。逆に言えば、重商主義が金銀の物理量を国富とみなしたのは、貨幣についての商品貨幣論を採ったからであり、思想史上の分岐点はここにある。
熱力学第二法則の援用について。エントロピー増大則を経済過程に持ち込んだ嚆矢は、ルーマニア出身の経済学者ニコラス・ジョージェスク=レーゲンの『エントロピー法則と経済過程』(原著1971年、邦訳みすず書房)である。彼は、低エントロピーの有用なエネルギーと物質は経済プロセスでの変換のなかで散逸し、高エントロピーの廃棄物として環境へ戻ると論じ、新古典派経済学への方法論的批判を展開した。ハーヴァードでシュンペーターに学び、ヴァンダービルト大学教授を務めた人物である。上野氏の「有限資源を量的に交換し続ければ拡散して減っていくので疲弊する」という議論は、この系譜にほぼ正確に一致する。ただしこの援用が経済学的にどこまで厳密に成立するかは論争的であり、比喩としての有効性と理論としての厳密性は区別して扱う必要がある。(出典:Wikipedia「現代貨幣理論」「表券主義」「ニコラス・ジョージェスク=レーゲン」、みすず書房 書誌情報、econ101.jp 掲載レイ論考)