この回の前半は、経営理念の講義と、それをめぐる参加者の議論に費やされた。論点は「理念を持ちましょう」という規範論ではなく、もっと手前にある。自分の事業でなぜ収益が発生しているのかを説明できるか。説明できないなら、それは理念がないということであり、事業機会も見えないということだ――という問いが、この回の議論の中心にある。
この回の前半は、経営理念をテーマとする講義から始まった。ただし内容は「理念は大事だ」という規範論ではない。企業の目的とは何か、利益とは何か、商品とは何か、という定義を一つずつ確定させ、その積み上げとして「だから理念が不可欠になる」と導く構成である。企業の目的は社会貢献をし続けることであり、利益はその継続のために必要なもの。したがって、利益を上げること自体を目的とする企業体は本末転倒である――という順序で話が進んだ。
この講義を受けて、参加者側から実務の報告と問題提起が重ねられていく。上場企業と日常的にミーティングを行っている参加者からは、そもそも価値観が定まっておらず、だからこそ言語化もできず、結果としてMVVが極めて漠然としたものになっている、という指摘があった。「世界平和です」「インターネットを使って民主化します」といった、腑に落ちない言葉でミッションが出てくるケースが大企業でも存在する。さらに、上場している理由を尋ねて、上場コストに対するリターンを定量的に説明できる企業はまずない、という証言が続いた。
この「説明できない」という状態がなぜ生じるのかについて、二つの角度から分析が加えられた。一つは制度・構造の角度である。日本にはメガバンクを中心とした株式保有と持ち合いの構造があり、外部からの影響に晒されずに済んだ。株主総会も短時間で終わるため、役員が理念を語らなくても済んできた。それが結果として発信力の欠如、ブランド力の欠如に繋がっている、という診断である。
もう一つが、哲学の角度である。哲学に詳しい参加者から示されたのは、極めて実務的な問いだった――あなたの事業で、なぜ収益が発生しているのかを説明できますか。なぜそれが金になっているのか、なぜそれに金を払いたい人がいるのか。一定の流通量があり、必要とする人がいるということは、そこに何らかの正当性があるということであり、多くの人がそれを自然で正当なものと認めているということである。それを言語化することが哲学であり、それができることが理念がはっきりするということだ、という定義が提示された。
本題に入る前、開始直後の20分ほどは参加者からの質問に答える時間になっていた。話題は、日本の通信キャリアと金融機関の資本・業務の接続である。
説明の骨子はこうだった。大手行の側では、個人向け総合金融プラットフォームが大きく変わろうとしており、AIエージェントをコンシェルジュとして付ける動きが出ている。これによって運用プラットフォームが充実し、アプリの使い勝手が上がり、資産運用がしやすくなる。ただしそこには懸念もある――同じプラットフォーム上で一般個人への貸付、いわゆるレンディングが拡大し、金利負担によって国民がさらに貧しくなる可能性がある、という指摘である。
そのうえで、通信キャリア側の構図が語られた。かつてNTTだけが持っていなかったのが金融・証券との接続だった。他社にはグループ内に銀行や証券が揃っている。この弱点を1年ほど前に動画で指摘したところ、その後に証券会社との接続が実際に動き出した、という自身の予測の振り返りである。これによって全ての通信キャリアと銀行が繋がる状態になり、レンディングのシステムが強化される流れが生まれた。それが本格稼働するのは2026年からではないか、という見立てが示された。
発言では「SBI証券とドコモが」と語られたが、公開情報では提携先はマネックス証券である。NTTドコモ、マネックスグループ、マネックス証券の3社が資本業務提携契約を締結したのは2023年10月4日で、クロージングは2024年1月4日。中間持株会社(ドコモマネックスホールディングス)の議決権比率はマネックスグループ50.95%、ドコモ49.05%となっている。裏取り済
ただし、SBIとの関連がまったくないわけではない。この勉強会の2日後にあたる2025年12月19日、NTTドコモ・住信SBIネット銀行・マネックス証券の3社が業務提携契約を締結している。発言時点ではまだ公表されていない案件であり、「SBI」という記憶の混線が結果的に近い方向を指していた形になる。この点は、発言を書き換えず食い違いとして記録しておく。
MUFGについては、発言で指摘された「情報基盤はGoogle Cloudなのに組んでいるのはOpenAI」という違和感が、その後の展開で解消されている。MUFGは2025年11月にOpenAIとの戦略的コラボレーション契約を締結し、2026年1月以降に三菱UFJ銀行の全行員約35,000人へChatGPT Enterpriseを展開する計画を公表した。さらに2026年5月7日、MUFGは米GoogleおよびGoogle Cloud Japanとも個人向け金融サービス領域で提携し、AIエージェントが商品選択から決済、家計データの可視化までを支援するシステムを開発、決済インフラをGoogle Cloud上に構築すると発表している。結果として「二重提携」の形になった。
SMBCについては、Oliveに関する一般的な問い合わせに対応する生成AI活用の「SMBC AIオペレーター」が導入されており、24時間365日の自動対応を実現している。またSMBCグループとSBIグループは、Oliveの新たな資産運用サービス提供に向けた業務提携を発表している。「AIエージェントをコンシェルジュとして付ける」という発言の方向性は、公開情報と整合している。
この構図についての質問が続いた。結果として銀行株と通信株が上がりやすいということか――という問いに対しては、株が上がるかどうかはまた別の話であり、業界として注目しておいたほうがよい、という答えだった。理由は、これが日本独自の路線だからである。米国にはAT&T、T-Mobile、Verizonの3社があり、中国にはチャイナユニコム、チャイナモバイル、チャイナテレコムの3社があるが、いずれも銀行や証券会社の買収は行っていない。銀行の価格が高すぎるからである。
日本の場合、銀行の価格が米中と比べて高くないため、買収や提携が可能になっている。そこで生まれようとしているのは、先進国の常識とは違う「通信キャリアと銀行のエコシステム」である。これが吉と出るか凶と出るかは、やってみないと分からない。吉と出れば株は上がるが、凶と出るならどうなのかという話になる。だからこそ、この二つの業界が交差することで市場がどう変化するかを見ておいたほうがよい――という結論だった。
ここから講義に入る。導入で示された問題意識は、経営理念について「軽視してもよい」と書かれた文献が少なくない、というものだった。しかし理念がなければ、企業組織体を持続的に運営することは基本的に困難である。なぜそう言えるのかを、定義を一つずつ確定させながら説明していく、という構成が採られた。
この順序が重要である。利益を上げてはいけないという話ではない。利益は上げてよい。しかし、自分たちがこの社会に対してどう貢献するのかが一番上に来なければならず、それを持続するために利益を上げる仕組みを作らなければならない。順序が逆になり、利益を上げること自体を目的とする企業体になると、それは本末転倒である――という論理だった。
そして、社会貢献と一口に言っても、何をしたいのかによって視点が変わる。どの方向の社会貢献なのか、どんな社会貢献なのかを明確にするために、存在意義が必要になる。自分たちが社会に対してどんな存在で、どんなことを継続するつもりなのか。それを明確に示しているものが経営理念である――という接続で、理念の必要性が導かれた。
企業の定義について、ドラッカーが引かれた。ドラッカーは企業を「顧客を創造するもの」と定義している。顧客を作り出す、という意味である。
「顧客の創造」という言葉が初めて登場したのは、ピーター・F・ドラッカー『現代の経営』(The Practice of Management, 1954年)である。ドラッカーは「企業の目的は、それぞれの企業の『外』にある。企業は社会の機関であり、目的は社会にある。したがって、企業の目的として有効な定義は一つしかない。顧客の創造である」と述べた。裏取り済
同書ではさらに、企業の機能はマーケティングとイノベーションの二つに尽きる、と論じられている。またドラッカーが「マネジメント」という概念を発明したのも本書が最初とされる。
この回の講義で「企業の目的は社会貢献をし続けること」と置かれたのは、ドラッカーの「目的は企業の外にある/目的は社会にある」という命題を日本語で言い換えたものと読める。両者は矛盾せず、同じ構造を指している。
では、企業にとって商品とは何か。商品とは、顧客の持っている問題を解決するものである。人々が持っている問題を解決するから、社会に貢献できる。したがって、顧客の問題を解決し続けられるなら、その商品は必ず必要とされ続けるものになる。ここで正の循環が繋がる、という説明がなされた。
この循環を回すために企業に必要なことが、三つ挙げられた。第一に、顧客の問題をしっかりと特定すること。問題が特定できなければ、解決方法は見つけようがない。第二に、解決方法が見つかったらそれを具体化し、適切に提供する手段を作ること。第三に、企業の役割を明確化すること。
三つ目については、身近な比喩が使われた。商品も店名も不明確で分からない店と、商品も店名もはっきりしている店。どちらに行くかといえば、商品も店の名前も分からない店には基本的に行かない。商品と店名が分かって初めて、そこに行こうという動機が生まれる。企業の役割を明確化していなければ、顧客に使ってもらえる商品は提供できない――という論理である。
| 企業に必要なこと | 何をする段階か | 対応する能力 |
|---|---|---|
| 企業の役割の明確化 | 自分たちが何者で、何を提供するのかを外部に示す | プレゼンテーション |
| 顧客の問題の特定 | 解決すべき問題が何かを突き止める | リサーチ |
| 解決策の提供 | 特定した問題に対する具体的な解を作り、届ける | アイデア(企業が持つ発想力) |
そして、この三つを統合する指針として存在意義の明確化があり、そのために経営理念が不可欠になる、という形で講義は閉じられた。適切にこの三つを行うことで、顧客を創造し続けられ、次々と顧客が生まれてくる循環を作り出せる。その結果として顧客側に企業への依存が生じ、企業は安定した利益を上げやすくなる、という順序も示されている。
講義を受けて、参加者から補助線が引かれた。理念がないというのは全体設計ができないということであり、それは逆説的に言えば「何をするか」よりも「何をしないか」を決めるための定義付けにもなるのではないか、という指摘である。理念があると、何を捨てるか・何を選ぶかに繋がる。目的を利益だけにしていると、それが定まらないので、結局何の会社にもならない。
これを講師が受けて、企業には贅肉がつきやすい、という比喩で応答した。贅肉がつくと動きが鈍くなり、どんどんうまく動かなくなる。だから削ぎ落とす時が必ず来る。そのときに何を取るべきか、何を捨てるべきかを判断するために、理念が必要になる――という補強である。
この議論を、主宰者は身体の比喩で受けた。人間で言えば血のようなものだ、と。何を優先して高くするか低くするかという判断基準がないというのは、どういうことなのか。「俺の血は金でできている」と言っているのと同じであり、それは「俺の血はウイスキーでできている」と言っている人物と構造的には変わらない。子どもに向かってそれを言えるか。「俺の血はちゃんとした血液でできている、綺麗な血だから60でも70でも働けるぞ」と言う父親なら子どもは安心するが、「俺の血はテキーラでできている」と言われたら、いつ死ぬか分からないという話になる――という、やや乱暴だが分かりやすい対比だった。
この参加者は、その日の日中に起業志望者向けの講義でも同じ話をしていたと述べている。個人の起業家ほどここが重要になる。何のためにやるのか、なぜ自分が起業しようとするのかという問いに対して、答えが金だけなら絶対に続かない。何の社会問題を解決するのかを自分の中できっちり決めなければ、やりきれない――という内容だったという。そして、日本の経営者は「お金に近いところの話しか食いつかない」のではないか、という問題提起がなされた。一番大事なのはここなのだが、と。
ここから議論は、実務の現場報告に移る。上場企業と日常的にミーティングを行っている参加者からの証言である。
指摘は率直だった。自分自身も含めて、そもそも哲学を学んでいない。ほぼ毎日どこかで上場企業の人たちとミーティングをしているが、ほぼ全てにおいて哲学がない。だから価値観が定まっておらず、価値観が定まっていないから言語化もできない。それでもMVVを出してくるのだが、極めて漠然としている。「世界平和です」「我々はインターネットを使って民主化します」――そうした全く腑に落ちない言葉でミッションが出てくるケースが、大企業でも存在する。
さらに踏み込んだ問いが紹介された。上場している理由が分からない、という点である。御社はなぜ上場しているのか、いまだにコストをかけて、その上場コストに対するリターンは何なのか。この問いに答えられるケースはまずない。数値化して定量的に説明できる答えをもらえることは、まずない――という証言だった。
この参加者からは、実務での応用状況も報告された。既存のモデルからその次の世代のモデルへ、という枠組みを実際に企業へ持ち込んでいる。ただし現実の進捗は厳しい。前提となるモデル自体ができていない企業がほとんどで、話をしても「え」という顔をされる。次の段階まで到達している企業はほとんどなく、まだ入口の段階で話をしている状況だという。
そして、組織の話にはさらに到達していない、と続く。本来ならKPIがあり、それを組織としての役割ごとにどう割り振るか、CROなのかCHOなのか、ファンクションをどう設計するか、という議論になるはずだが、そこまで全く行っていない。各社ごとにカスタマイズしていくしかなく、そのためにはディスカッションを重ねていくしかない――という現状認識が示された。
この参加者は、AIエージェントの話が企業に入ってくる中で、自分の役割は何か、AIに代替されないあなたとは何なのかを自問しながら、自身の現在価値と将来価値をどう表現できるかを話し合っている、と述べた。この問いの立て方は、本セッション後半で扱われた「人の現在価値ではなく成長率に投資する」という発想と同じ構造を持っている。
なお、企業のAIエージェント導入は、この勉強会の時点よりさらに具体化している。本レポートPART 0のとおり、MUFGは2026年1月以降に全行員約35,000人へChatGPT Enterpriseを展開する計画を公表し、2026年5月にはGoogleとも個人向け金融領域で提携した。「AIに代替されないあなたとは何か」という問いが実務的な切迫感を持つ環境は、この1年で明確に前進している。裏取り済
哲学の不在という診断に対して、主宰者から構造的な説明が加えられた。日本企業には、理念を語らなくても済む構造があったのではないか、という角度である。
説明はこうだった。海外の企業は、何かをやらかせば株価が下がり、投資家が入ってきて、企業に入り込まれ、買収され、乗っ取られるということが起きる。しかし日本の場合、株式の相当部分を銀行が保有してくれるという構造があり、それによってすでに安泰である。しかも銀行は口を出さない。加えて持ち合い株によって自らのポジションを固め、結果として外部から口を出させない。だから会社は自分の帝国のように運営できる――という構図である。
これに対して、参加者からさらに補強が入った。それはすなわち、株主総会ですら短時間で終わってしまうから、役員が理念をきちんと話さなくても済んできた、ということでもある。そしてそれは、今の時代における発信力の欠如に直結する。発信力がブランド力になっている以上、日本のブランド力が他国の大企業に比べて全くないのは、そういうことが全部繋がっているのだろう――という整理だった。
発言では「日本の場合は40%とか50%ぐらいを銀行が持ってくれます」と語られた。文脈からは過去の護送船団的な構造を指した表現と読めるが、現在の制度・実態とは大きく異なるため、食い違いとして記録しておく。
第一に、制度面。2001年11月28日に公布された「銀行等の株式等の保有の制限等に関する法律」(銀行等株式保有制限法)により、銀行は自己資本(Tier1)を超える株式を保有することが禁止されている。銀行経営が株価下落に左右されないようにすることが目的で、当初の実施期限は2004年9月中間期末とされ、2003年7月の改正で2006年9月中間期末まで2年延長された。裏取り済
第二に、実態面。政策保有株式は縮減が進んでいる。2021年のコーポレートガバナンス・コード改訂で政策保有株式が重点項目とされ、方針と縮減の考え方の開示、取締役会での毎年の保有適否の精査・開示、議決権行使基準の策定・開示が求められるようになった。純資産比20%以下といった数値目標を掲げる企業グループもあり、損害保険大手3社は2029年度末または2030年度末までに政策保有株をゼロにする方針を公表している。
つまり、発言で描かれた「銀行が大量保有して外圧を遮断する」構造は、制度上は2000年代に上限が設けられ、実務上も2020年代に急速に解体が進んでいる。この点は発言と現状のギャップとして押さえておく必要がある。ただし、その構造が長く続いた結果として「理念を語らなくても経営できた世代」が残っているという診断そのものは、上場企業との対話に基づく参加者の証言と整合しており、否定されるものではない。
もう一つ、日本企業に固有の論点として提示されたのが、創業者と後継者の問題である。創業した人たちのほうが、トップダウンで動かせるスピードがある。理念は創業者がいるうちは下にも伝わるから、強い企業になる。しかしそれは代を重ねるごとに薄まっていき、現社長の理念と創業者の理念がずれてくることも必ずある。それでも「創業者の言葉は絶対だ」という価値観が日本では強い、という指摘だった。
これに対して、実際に相談を受けている案件が紹介された。ゼロから始めて事業を大きく伸ばした創業社長がいて、息子が継ぐことになったが、社長と息子の間でコミュニケーションすら成立していない。きっぱり退けばよいのだがそうではなく、結局ダメ出しが出てしまう。血が繋がっていることが、かえって難しさを増している――という事例である。
そして「会社内の天皇」になってしまうパターンが日本企業には極めて多い、という指摘に接続された。米国では、新しいことをやりたいなら別の会社を作ってもう一度ゼロからやればよいと考える人が多いのに対し、日本の企業では「一度作った組織は全部自分のものだ」という発想で、組織に合わない事業を始めるときもその会社の中でやり続けてしまう。この差が目立つ、という比較だった。
この回の議論で最も密度が高かったのが、哲学に詳しい参加者による説明である。「哲学」と言われると徳を説かれるのかと思われがちだが、そうではない、という前置きから始まった。
提示された問いは、極めて実務的だった。あなたが経営したり何かの事業をしたりすることで、なぜ収益が発生しているのかを説明できますか。なぜそれが金になっているのか。なぜそれに金を払いたいという人がいるのか。これを説明できる人がどれだけいるか。それができることが、理念がはっきりするということである。
論理の展開はこうだった。一定の流通量があり、必要とされる人がいるということは、そこに何らかの正当性があるということである。正当性があるということは、多くの人がそれを自然で正当なものと認めている、支持しているということである。それが社会に本当に必要なのかが理解されているということであり、それは言葉や何らかの習慣を通じて理解されている。それを共通性と呼ぶ。だから、収益を予測できる人にはそこが見えているのであって、結果やデータや人の真似でしか理解できない人とは、投資の見方も、自分の収益がどこで発生し、どこで減りそうで、どこで膨らみそうかの予測も、まるで違ってくる――という説明である。
この説明にはもう一つの側面が含まれていた。経済は社会に何らかの価値を生んでいる。しかし同時に、組織や人を育てられない社会であるなら、企業はマイナスの影響を与えていることにもなる。それが外部不経済である。環境に負荷を与えているといった話だけでなく、一定の思考法しか生み出せない人を作ってしまうこと――訓練することでしか人間を育てておらず、特定のことだけやっていれば生きていけるという状態を作ってしまうこと――も、企業が社会に与えている悪い影響と言えないか、という提起だった。
それが家庭に影響し、特権階級であるとか特定の既得権益であるとか、それを守ることだけに汲々としてしまう。そうなれば、自分たちの成長も、コミュニティをどう作るかも、家族に対する責任も、社会や国家に対する責任も見えなくなる。利益追求だけにフォーカスすれば当然起きるはずのことである。それも社会にマイナスの影響を与えているとすれば、厚生としてどうなのか――と、経済学の枠組みに接続された。ここでコースの定理やピグー税が言及されている。
ピグー税は、アーサー・セシル・ピグーが1920年の主著『厚生経済学』(The Economics of Welfare)で展開した外部性の議論に由来する。市場経済がうまく機能せず、経済活動が社会に悪影響を及ぼす場合に企業などへ課す税で、負の外部性を生み出す活動を抑制するための課税を推奨した。裏取り済
コースの定理は、ロナルド・コースが1960年に提唱したもので、ピグーの理論に対する対案の性格を持つ。外部性が存在しても、当事者間の協議によって外部性を内部化でき、その結果は所有権がどちらにあるかに関係なく同じになる、という主張である。財産権が明確で取引費用がゼロであれば、当事者間の取引によってパレート最適な資源配分に到達できる、と整理される。
講義中に言及された「エコノミクス・オブ・ウェルフェア」は、ピグーの主著名そのものである。企業の負の外部性を「環境負荷」だけでなく「特定の思考法しか持てない人材を再生産すること」にまで拡張して捉える視点は、ピグーの原典にある議論そのものではないが、外部性の枠組みを人的資本に適用した解釈として筋が通っている。
議論の後半、理念と行動を繋ぐ概念として「一貫性」が繰り返し使われた。理念というのは収益母体をどう作るかという話でもあるが、それだけではない。企業が収益を上げるというのは、社会において自分のポジションを作るため、そして継続のために必要なものである。ポジションであり、一貫性を作るために必要になる。その一貫性を作ることの副産物として収益が上がっていく――という順序が示された。
したがって、本来的にどうやって成長していくか、どう進化していくか、どうイノベーションを起こしていくか、そのサイクルの中にこそ価値がある。それを維持することと、サイクルとして回していくことの中に、企業の価値が生まれる。逆に言えば、そこに矛盾が生まれればそれは一貫性を生まない、ということになる。
この観点から、言葉の使い方についての観察が共有された。この場では、世間一般の定義ではなく独自の定義で用語が使われることがある。だから複数の参加者が、対面で会うたびにその用語の定義を確認し合っているという。「この言葉はどういう意義で使われているのか」「感情という言葉はどういう意味で使われているのか」――そうやって確認していくと、その言葉の中にどんな理論が込められていたかという発見がある。一つの講義に社会学や政治学の理論が複数入っているのは、そういうことなのだ、という説明だった。
そして、一貫性を保つとは何かについて、明確な定義が与えられた。設計とは一貫性を保つことであり、一貫性を保つとは誤解される行動を排除するという意味である。「どうせ金目当てなんでしょう」「結局は口だけなんでしょう」と言われうる余地を、あらかじめ全部潰しておく。そのうえで、どうすれば周囲から一貫性が見えるか、皆が一貫性を認めてくれるかを想定しないと、その行動は取れない――という整理だった。
実行の難しさについても率直な補足があった。私たちはついつい矛盾した行動を取ってしまう。すぐに批判されたり成果が出なかったりすると不安になる。だからこそアウトプットが貴重なのであり、思考と行動と感情を混乱させているのは自分たちの習慣である。その習慣をやめることが、一貫性を保つということであり、思考と行動を一致させるということだ――と結ばれた。